2016/01/21 - 2016/01/21
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junemayさん
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2015年10月の成田⇔奄美大島便が国内LCC利用の第1弾となりましたが、実はその前に予約してたLCCフライトがありました。はっきりとした記憶はないのですが、多分2015年の8月頃、中国資本の春秋航空が成田→佐賀便を開設するに当たり、特別キャンペーンを開催していたのです。
成田⇔佐賀便 就航記念キャンペーンでワンコイン!
えっ! 九州まで500円で飛べちゃうの? それは行くっきゃないでしょう。ところがです。キャンペーンページに飛んで、フライトを検索してみても、500円なんていう破格値はどこにも見当たりません。一体どこにあるんだろう??? と検索すること数分。
ありましたよ。ありました。5か月も先の行き2016年1月20日、帰り2016年1月27日。たった1便ずつの500円の設定が見つかりました。他のフライトは全て6000円以上なのに、この日のフライトだけ1ケタ確かに少なかった。キラキラッ☆!
考えることなくクリック。スケジュールも翌年の事なのですぐには入れられず。そのまま殆ど忘れかけていたのですが、新しい年のスケジュール帳を用意する頃になって、そう言えば、ポチッとやったわ と思い出し、寒い季節の九州横断の旅の計画を立て始めました。今回の旅は福岡と大分がメイン。予想外の雪で、楽しみにしていた国東半島には行けませんでしたが、のんびり緩い旅程で1週間、例によって知らない街をうろついて参りました。
1/20 東京→成田空港→佐賀空港→吉野ケ里遺跡→久留米
1/21★ 久留米→柳川→久留米
1/22 久留米→大分
1/23 大分→臼杵→大分
1/24 大分→別府→大分
1/25 大分→別府→大分
1/26 大分→日田→久留米
1/27 久留米→佐賀空港→成田空港→東京
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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いきなり現れた廊下は、御花御殿の大広間の濡れ縁です。国の名勝松濤園は庭の中を回遊できるのかと思ったら、狭い、この大広間に面した通路のような部分から先は進めず、がっかりしました。
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ガラス越しに大広間の中で、着物の展示物が見えました。客の振りしてちょっとのぞけばよかったかなあ。
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松濤園の見事な松です。この庭園は回遊式ではなく、座敷から庭を眺めることを主眼とする観賞式の庭園なのだそう。園内に道が作られていないんですね。
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日本三景の一つ松島の景観を模していて、真ん中の大海(池)の周りをぐるりと松が囲んでいます。
池の水は柳川城の内堀から引き入れて循環させているそうです。これぞ柳川式。 -
大広間の隣の棟は御居間と呼ばれている建物で、現在は立花家が経営する料亭「集景亭」の個室として使われています。食事をしながら庭を眺めるのであれば最高のロケーションです。
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ここで美しいお客様と出会いましたよ。カワセミです。くちばしが黒いから雄のようです。
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イチオシ
動きが早くて、満足な写真が撮れなかったけれど、カワセミ君、庭石を見事に引き立たせていました。望遠はボケていたのでこれが精一杯。
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松濤園を後にして、洋館の玄関前でもう1枚。ここにも天井に漆喰細工が施されていました。力強い円柱はイオニア式ですなあ。
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御花の門を出たところに、内堀周遊の舟旅「城門コース」が出来るお店があったので、恐る恐る聞いてみたら、1時間ほど待てるのであれば、韓国人の団体さんが来るのでそちらと一緒ならということでした。「乗せていただけるのであれば、私は一向にかまいませんよ」と二つ返事。
というわけで、無事に舟にも乗れることに。携帯宛連絡を頂く約束を取り付け、もう少し腹ごなしのお散歩です。 -
御花の門を南に下ると先ほど訪れた資料館のなまこ壁が堀に面して続いていました。ここにも北原白秋の詩がありましたよ。
我つひに還り來にけり倉下や 揺るる水照(みでり)の影はありつつ
故郷柳川に帰ってきた白秋が、舟が行き交う柳川の水路や水面に浮かぶ白壁の蔵の影を懐かしがっている詩ですって。この風景にぴったりの詩。 -
倉沿いにウナギせいろの名店があります。最初はここで食べようと思ったのですが、もう後の祭り。
1681年(天和元年)創業うなぎのせいろむしの老舗 本吉屋です。絶品との噂高いので、いつか機会があったら訪れたいな。 -
この本吉屋沖端支店を右に曲がると、風光明媚な沖端地区に到着です。昔の城下町からはちょいと外れるのですが、柳川というと写真で紹介されるのはこの辺りが多い気がします。冬なので柳が寂しいけれど、白秋なら詩を2、3捻りだせそうな趣のある地域でした。
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川下り乗船場がここにもありましたよ。だあれもいないけど・・・
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寒空の堀沿いのメインストリート、見事にだあれも歩いていませんね。ちと寂しいねえ。しかしながら、この時期柳川は熱く盛り上がっていたんですよ。
この日、ちょうど開催中だった大相撲1月場所で、柳川出身の琴奨菊が1991年1月場所の霧島以来、25年ぶりとなる3日連続の横綱戦勝利を達成したんです。この写真の時点ではまだ2日連続だけれどね。船宿でもその話題で持ちきりだったけれど、今写真見ると、そんな気配は全く感じられませんね。 -
半分朽ちたような古い茅葺屋根の山門を持つ西福寺。
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こちらは、沖端水天宮。前の旅行記で紹介した、船舞台囃子が行われる神社です。使われる小舟6艘は氏子の各町村から調達。3日がかりで舞台を組み立て、余興や囃子を奉納します。
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ウナギ屋ばかリ写しているけれど、もうご飯は食べたんだってば!
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でも、この鏝絵(こてえ)良いでしょう。勿論、図案はウナギでしたよ。
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沖端の堀割を右に曲がると直ぐある森山醤油の店舗。明治33年創業の醤油醸造元ですが、最近ではネット販売で手広く商売していて、店舗を拡大したみたい。
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元々の店舗は、後刻訪れることになる北原白秋生家前にありました。趣のある建物はお土産物屋さんになっていましたが、なぜか写真を撮ったのはこの看板だけ。
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北原白秋生家に向かう途中で見つけたマンホール。これが今までで一番綺麗でしたよ。
とこの時携帯が鳴って、「舟が出ますよ~」ということで、船着き場に引き返します。まだ1時間経っていないんですけれど・・・ -
ところが、私が船着き場に着いた後、事務所に再度電話があって、韓国人団体様は到着が30分遅れるのだそう。
「えっ あと30分ですかぁ・・・ 途中から引き返してきたのに・・・」としょんぼりの私を気の毒に思ったのか、舟を出すよと言ってくれました。
私一人のために?! 済まないねえ・・・
というわけで、こたつ完備の舟丸ごと1艘と昨年結婚したばかりの若い船頭さんを独占してしまいました。早速舟に乗り込みます。ラッキー! -
舟は、まだ私が足を踏み入れていない、未知の柳川を進みます。風はないけれど温度はかなり低いので、こたつはありがたい。
この景色の反対(背中)側は、先ほど行った御花の延長です。 -
次いで現れたのは、柳川で一番人気があり、船頭のYさんが結婚式を挙げた宿でもある「かんぽの宿やながわ」。ここのロビーに飾られているさげもん+お雛様は御花をしのぐと言われているそうで、是非行ってみてくださいと言われました。
勿論、行かなくっちゃ! -
密林のジャングルのようになってきましたよ。水に向かって枝を伸ばす緑の木々の美しい事!
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お次は柳川一ロマンティックな橋の登場。松の枝が大変印象的な出逢い橋です。
御花の松濤園の続きの庭から繋がっていて、御花の建物伝いに進むと、この橋が現れるのだそう。後で参りましたが、船頭さんに聞かなかったら、道順分からなかったわ! -
出逢い橋。立派な門までついた木橋ですよ。中央の少し高くなったところで、二人は出逢うのかしら?
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進行方向右手には松濤園が見えてきました。
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もう一度出逢い橋をと思って振り向いたときには遅かったぁ・・・
ところでこの柳川を行く舟はどんこ舟と呼ばれていますが、名前の由来をご存知ですか? どんこってシイタケの事かと思っていたのですが、ハゼの仲間のどんこという魚に似ているからその名がついたそうですよ。 -
所々に、水面すれすれにまで伸びた枝を見ることが出来ます。枝をよけるために、お客さんは伏せて、船頭さんはまたいでというブログを見つけたけれど、それやった記憶ないなあ・・・
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こりゃあ伏せる方も大変でしょう!
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お店の一部が堀に突き出している本吉屋沖端店を今度は舟から見上げます。
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目の高さが変わると景色も違って見えますね。右手には白秋の詩のあった御花のなまこ壁の倉庫が高くそびえています。
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鴛夫婦にも出会いましたよ。
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舟は沖端に入って参りました。舟から見ても、やはり人影が見えないなあ・・・貸物件という看板が寂しい!
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西福寺再びです。
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ここは橋げたすれすれです。乗客一人なので、こういう時は大胆に寝っ転がれます。
船頭さん用の梯子があるのをたった今発見! 船頭さんが欄干を跨ぎ、反対側の欄干を越えて舟に戻る「船頭雲隠れの術」は通常こちらの橋でやるのかしら? 私の船頭さんは別の橋でこの芸を披露してくれました。 -
ほーら 橋げたが頭のすぐ上にありました。怖!
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滑らかな水面に描かれた曲線の多い景色が面白い!
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前方の橋で、船頭さんが恒例の芸を披露してくれましたよ。ど下手な動画だけれどご覧くださいね。
https://youtu.be/_sH74Oj1dg4 -
我らが船頭さんは小さい時から舟が好きだったとか。近頃の若者には珍しい船頭一筋の人生です。川下りには付き物の舟歌も聞かせてくださいましたよ。毎日鍛えているから、良い声だ! 私のためだけに(ここを強調)心を込めて歌ってくれました。
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衣料品店等が入っているこの建物の側面は階段状。川で行われる行事の時には絶好の観客席となりそうですねえ。
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船頭のYさん 乗客私一人と言っても手を抜くことなく、最後まで大変熱心に説明してくださって(人''▽`)☆ありがとうございました。貴方がいらっしゃる限り、柳川の川下りは安泰です。
とても思い出深い50分の船旅となりました。 -
舟から降りると、早速ながら御花の東側の庭園伝いに出逢い橋を目指します。
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今見えている建物は、御花和館の隣にある料亭旅館松濤館の宿泊棟です。お部屋から松濤園が一望できますね。
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柳川舟下りで一番の絶景とされている出逢い橋を、今度は実際に渡って、景色を愛でます。いかにもロマンティックなラブストーリーとか悲劇の伝承とかがありそうな橋の名ですが、船頭さん、何も言ってなかったなあ。
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舟からだと良く分かりませんでしたが、中央部分が平ぺったい太鼓橋状になっていて良い味出しています。恋人同士が会うのにはピッタリ!
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水辺に向かって枝を伸ばす木々の影が、水面の大部分を覆います。先ほど、舟はあの枝のトンネルの下を進んでいったんですね。
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本来は門のある側から渡るんだったのかも・・・
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水に映った影絵のような世界を暫し楽しみました。風流ですなあ。今日は本当に風がなく穏やか。
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舟は右手奥の水路から御花沿いに進んできて、木がもこもこ生えている所で右に曲がり、出逢い橋の下を潜りました。御花は浮島のように、四方を濃い緑で囲まれている贅沢な空間でした!
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浮島を眺めた後は、「かんぽの宿柳川」でさげもん+雛飾りを鑑賞。わおぅ!!!
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さげもんの数があまりにも多くて、奥の雛飾りがコンパクトに映ります。伊豆の吊るし雛ではあまり見かけない柳川手毬がここでもふんだんに使われていました。
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赤い毛氈の上も注目。毎年宿のスタッフの方々が少しずつ趣向を変えて、竹組みから飾り付けまでの一切を担当されているそうですよ。御花の雛飾りと良い勝負をしていますよ。あなたはどっち?
かんぽの宿にはお土産も売られていて、私はここで有明海産の上質な海苔を手に入れました。雛祭り時は是非是非お立ち寄り下さい。 -
かんぽの宿から再び出逢い橋の脇を歩いて、お散歩を続行。
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道なのか、どなたかの家の通路なのか、このまま行って良いものか迷いながら進みます。でも無事に沖端のお堀端に出たので合っていたみたい・・・
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途中の魚屋さんの店先では牡蠣やカニの姿を目にしました。右上の貝は何ていう名前でしょう?
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お値段の安さにびっくり(@_@)!!!
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「舟が出るよ」という連絡を貰った時、私はこの北原白秋生家・記念館を目指していました。白秋は1885年(明治18年)生まれ。家は江戸時代より続く油問屋でしたが、白秋が生まれた頃には酒造業を営んでいました。
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この建物は幕末から明治初期にかけてのもので、1901年(明治34年)の沖端大火により損傷を受けましたが、土蔵ナマコ造りの部分は焼け残ったのだそうです。
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ここで白秋記念館に入場すると思いきや、私はなぜか踵を返し、別の目的地に向かっています。この辺りの事全然覚えていないんだけれど・・・
このブルーのムツゴロウは記念館お向かいの森山土産物店の前に佇んでいました。有明海のムツゴロウは姿形も生態もとてもユニーク。味は淡白で、柳川では先ほど食べた甘露煮にすることが多いらしいですが、味噌煮やかば焼きにすることもあるようです。 -
次の目的地までの途中で見つけた煙突。魚料理屋さんの裏にありました。
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やってきたのは、白秋記念館からおよそ5分の距離のところにある、旧豊島家住宅です。柳川藩士の隠宅だった家と庭が福岡県有形文化財、庭はその後国の名勝にも指定されました。
北原白秋記念館の半券で入場可能だと書いてあるので、多分時間の関係でこちらを先に廻ったのではないかしら? 2年前から認知症だった可能性もありです(@_@)! -
こちらがその玄関。ちょうど何かのロケ隊が来ていて、道を塞いでいたのだですが、大丈夫入れるみたいです。
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柳川立花藩士で勘定方の吉田舎人兼壽が寛政年間(1789年~1810年)に建てた茅葺入母屋造りの茶室を含む建物と庭園です。木が邪魔で、建物の全体像が撮れません。
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この写真は後程お庭から撮った1枚。手入れをしているにせよ、200年以上たった木造建築とは思えません。
二方に縁側が伸びていて角に柱がないのは、畳に座って庭を見ることに重きを置いた建築であることが良く分かります。 -
こちらは玄関の6畳間。北半分に板の間があり、土蔵から出した食器などに配膳した場所だと書かれていました。現在板の間は管理室になっています。
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箪笥のある4畳半。日本家屋特有の身の引き締まる空気が流れています。
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炉が切ってあるので、こちらが茶室?だと思ったら、ここはなかのま。住宅の隅や別棟にある閉鎖的な狭い茶室とは異なり、思いっきり開放的!
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こちらは仏間だったかな。
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この部屋からよく整備された庭園の一部が見えました。
施工主の吉田家は後にこの家を藩主の立花家に献上。維新の頃に立花家から由布家に下賜されましたが、由布家の転居に伴い、豊島家のものとなり、2001年(平成13年)に柳川市に寄贈されたというのが、この家を巡る歴史。 -
本当の茶室はやはり家の隅にひっそりとありましたよ。左側の窓が風情ありますねえ。
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最後にこちらが4畳半の座敷です。広い、1間の幅のある入側と呼ばれる縁側が二方についているので、狭さを感じさせません。
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座敷からの展望です。国の名勝に指定された見事な庭園が現れましたよ。
柳川の庭園らしく、掘割の水を引き入れて造られた築山山水は、1797年(寛政9年)に築園と伝わっています。 -
この庭もまた回遊式ではなく、座観式茶室庭園と書かれていました。要は、座敷に座って観てくださいね というお庭です。池の手前には玉砂利が敷かれ、ここからはよく見えませんが、鳥居の奥の取水口傍に石造りの小さなお堂があるそうです。
池の中央に見える小さな石灯籠が庭全体の引き締め役として使われていました。 -
池泉中に打った沢渡りの飛び石手前には「渡れません」の文字が! なるほど。途中で水没しています。
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庭に面した式台には三日月の障子窓がありましたよ。この壁の向こうが何枚か前に写真のあった茶室なのですが、風流な三日月窓部分の写真は撮っていません。
こじんまりしていますが、立花氏の御花とはまた異なる癒しの空間を楽しませていただきました。 -
さて、ここで白秋記念館に取って返します。1901年(明治34年)の沖端大火で幸運にも焼け残ったなまこ壁の母屋です。
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茶の間に入って参りましたよ。豊島家から比べると格段に広いなあ・・・
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茶の間の先には、勘定部屋、父の部屋が続いていました。勘定部屋には家族といえど近寄ることが出来なかったそうですよ。
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板張りの狭いスペースは「番頭食事場」と書かれていて、旧家なら大抵の家にありそうなものが並んでいました。
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古い写真もありましたよ。あらっ なまこ壁ではないじゃないですかぁ・・・1階部分の雰囲気がまるで違いますねえ。うっかり騙されるところでした。
白秋生家と書かれた石標だけは同じ場所にありますね。 -
続いて白秋の作品が展示されているコーナーに突入。等身大の白秋が迎えてくれました。
白秋は近代日本の大詩人と呼ばれていますが、数多くの童謡の作詞家であり、歌人でもありました。57歳で亡くなるまで、故郷柳川を愛し、柳川こそが自分の詩歌の母体であると述べていたと言います。 -
白秋の作品集から知っている詩をみっけ!
この歌なら私でも歌えますよ。
赤い鳥、小鳥、
なぜなぜ赤い。
赤い実を食べた。
白い鳥、小鳥
なぜなぜ白い。
白い実を食べた。
青い鳥、小鳥、
なぜなぜ青い。
青い実を食べた。
延々と続きそう・・・他にも、夕~焼け小焼け~の赤とんぼ~、ゆりかごのうた等出るわ出るわ。白秋作のオンパレードでした。 -
左側が白秋さん。やはり、洋服より和服がお似合いだなあ・・・
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立派な欄間のある畳敷きの部屋が続きます。お座敷です。
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1階の隅には、弟妹の喧騒から逃れて白秋が中学時代に勉強部屋として使ったとされる部屋が復元されていました。
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柳川らしい趣があったのは、こちらの汲水場(くみづ)です。白秋の代表作「思ひ出」の中に汲水場についての記述がありました。
かつてはこの小さな掘割を挟んで10棟の酒蔵が並んでいました。汲水場の水は庭の泉水となったり、酒樽を洗ったり、コメを研いだり、菜園の水となったりして役立っていたそうです。 -
晴れた日であれば、水面が細かく割れて、反射した光がゆらめくように水の縁や石垣などに当たる様子を白秋は「水陽炎」(みずかげろう)と表現した と説明書きにありました。
石段から覗き込みましたが、どんより曇った本日の天気では流石に無理でした。夏の晴れた日であれば、白秋も見ていた「水陽炎」が拝めるかもしれません。 -
こちらは、1901年の火事で、母屋とともに何とか残った穀藏です。これも綺麗に補修が施されています。
下の改修前の写真と比べてみてください。 -
1階部分は殆ど残っていなかったんですねえ。
中は歴史民俗博物館になっていました。 -
白秋の作品などの展示の他、白秋を師と仰いだ韓国の詩人金素雲の原稿等が展示されていました。
1928年(昭和3年)に白秋の元を訪ねて面会を求めた素雲の原稿を見た白秋は、彼の才能を認め、刊行に向けて出版社を定めてくれたのだそうです。また、素雲が日本の文壇に多くの知己を得る契機を作ってくれたとありました。 -
穀藏の先、突き当りの建物は白秋生誕100周年記念として建てられた白秋資料館。柳川の歴史と文化、5つの時代ごとに見た白秋の生涯等の展示、ビデオシアターなどがありました。
大きな声では言えませんが、ささーと見ただけ。 -
穀藏と資料館の塀の間の掘割。家と家との境界線になっている掘割を辿って行った方が面白い~というのは理由になりませんなあ・・・
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もうし、もうし、
柳河じゃ、柳河じゃ。
銅(かね)の鳥居を見やしゃんせ。
欄干橋を見やしゃんせ。
(馭者は喇叭の音をやめて、赤い夕日に手をかざす。)
これも「思ひ出」の中の「柳河」という詩の一節です。川と河の違いが良く分かりません。 -
現代人で柳川出身の有名人と言えば、この方、妻夫木 聡氏。天地人は2009年(平成21年)の作だから、もう「懐かし~い」という段階に入っていますね。妻夫木さんも若いよ。
-
最後は駆け足になりました。柳川のお土産物屋さんは、さげもんで華やかなことこの上なしでした。残念ながら人気(ひとけ)がないので、外から覗いただけ。
-
これ、何だとお思いですか?
川下りの舟で使われるこたつの中に入れる火鉢です。そう、ここは先ほど舟旅をさせていただいた舟会社の事務所。店を閉める時刻までに来れば、駅まで送っていくよ というありがたい申し出に図々しく戻って参りました。一人で舟遊びを楽しんだ上に送迎まで頼むなんて虫が良すぎるかしら? -
事務所にもさげもんが飾ってありましたよ。
ひえ~ これまた作るのが大変そうな蛸がいました。吸盤いくつあるんだろ~? -
最後は長老のフクロウさんに登場してもらいましょう。手作り感満載で同じものが少ないので、見ていて飽きません。4月初めまで楽しめるそうですので、冬の柳川に行かれるときには、雛飾り+さげもん鑑賞もお忘れなく。
-
久留米への帰りは、運よく観光列車「水都」(すいと)に乗ることが出来ました。特別料金不要で誰でも乗ることが出来ます。特急列車ばかりでなく普通列車もあるようですが、私が乗ったのは特急でした。
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窓が広い!
-
本当は大善寺近くのこちらの御塚・権現塚古墳を見て帰ろうと思っていたのですが、もう夕闇迫ってきていたので車窓から眺めただけ。
福岡は関西と並んで古墳の多い県で、こちらの古墳は「日本書紀」に登場する、現三潴郡地方の豪族「水間(三沼)君」の一族の墳墓で、5世紀後半から6世紀前半の建造と言われています。
あっという間に通り過ぎちゃった・・・ -
行きは50分かかりましたが、帰りは20分足らずで西鉄久留米に到着。もう少し乗っていたいと思うほど快適でした。
車両のデザインも凝っていましたよ。私が乗ったのはこちらの車両。柳川の夏の夜空を彩る花火と晩秋の白秋祭水上パレードのどんこ舟をモチーフにデザインされていました。 -
最後尾の1号車は菊と渡り鳥。こちらも素敵!
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灯りのともり始めた久留米の町を行きます。ラーメン大好き人間としては、とんこつ発祥の地久留米で是非ともラーメンを味わってみなくてはね。
丸秀鮮魚店というからお魚屋さんかと思ったら居酒屋チェーンですって! -
足元暗い中、また新種のマンホール発見!
調べてみたら公共桝として使用されていた蓋で、描かれているのは久留米中央公園にある世界的な彫刻家豊福知徳氏作の大噴水だそうです。 -
でやってきたのはこちらのラーメン屋さん「中る」(あたる)。〇べログで調べてのこのこやって参りましたよ。
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スープの豚骨が結構臭いましたが、そんなにこってりした印象はなく、おいしかったです。麺は普通で頼んだのですが固めでした。久留米ラーメンは、博多ラーメンとはことごとく異なっていると聞いていましたが、違いが分かるほど数食べていないので、コメント不能です。
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昼の御花御膳が効いていたので、夕飯は軽めで丁度良かったです。旅の最終日に久留米に戻ってきますが、久留米でしなければならないことの第一に挙げていたラーメン体験が出来てほっとした思いでした。
明日は久大本線経由で大分へ。この続きは、LCC第二弾 久大本線に沿って九州横断の旅 その4 大分市で。
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