2017/11/21 - 2017/11/24
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Donkyさん
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「わろてんか」の街・大阪市内や 隣接する「堺」古墳群 散策その2です。
まずは「日本一高いビル」となった「あべのハルカス」(Abeno Harukas)を訪ねてみました。
お天気も良かったので屋上展望台から大阪の街を東西南北四方を存分に見渡せることができました。
ついでその翌日は、古代に造営された古墳が、1600年の時を経て今も残っている「堺・百舌鳥野」散策でしばし古(いにしえ)の時代へタイムスリップです。日本の歴史の長さの一端を感じました。
今を時めく「わろてんか」の街・大阪ですからもちろん天神橋筋商店街を歩き、「天満天神繁盛亭」も覗いてみました。
さて11月22~23日は、時まさに「薬の街大阪」では〈神農さん〉。
人出と 各種出店でにぎわいを見せていました。
神農祭は道修(どしょう)町にある少彦名(すくなひこな)神社の祭(11月22~23日)です。
少彦名神社は日本の医薬の神少彦名命と,中国の薬祖神神農をまつり,俗に「神農さん」といい親しまれて生活に根付いています。
注)ブログ記事のうち景勝地の紹介文はフリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』および各地の公式サイトから抜粋・加筆したものです。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 4.5
- ショッピング
- 4.5
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 新幹線 JRローカル 私鉄 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
「日本一高いビル」となった「あべのハルカス」(Abeno Harukas)の案内書。
21日朝一番に向かいました。 -
「日本一高いビル」到着です。
あべのハルカス(Abeno Harukas)は、大阪市阿倍野区に立地する超高層ビル。
2010年(平成22年)1月9日に着工され、2014年(平成26年)3月7日に全面開業しました。 -
「あべのハルカス」からの眺望
2017年現在、日本で最も高いビルであり、日本初のスーパートール(高層ビル・都市居住協議会の基準による300m以上の超高層建築物)でもあります。 -
「あべのハルカス」の影と眺望
近畿日本鉄道の前身である大阪鉄道が大阪阿部野橋駅構内で1937年(昭和12年)から営業を行ってきた阿部野橋ターミナルビル旧本館(百貨店西館。久野節による設計)の建替計画により建築された建物であり、建築規模は高さ300m、延床面積21万2,000m2、地上60階・地下5階(SRC・S造)です。 -
日本全国展望台の高さ比べ 「あべのハルカス」が建物ではトップ。
2011年2月から地上工事が始まり、2014年3月に竣工、同年3月7日にグランドオープンしました。工事中の2012年8月時点で高さ300mに到達し横浜ランドマークタワー(高さ296m)の高さを抜き、「日本一高いビル」の称号が大阪に移りました。 -
「あべのハルカス」屋上展望台にて
ビル名称の「ハルカス」は古語の「晴るかす」に由来しており、平安時代に書かれた『伊勢物語』の第九十五段では、「いかで物ごしに対面して、おぼつかなく思ひつめたること、すこしはるかさん」という一節が記されています。 -
「あべのハルカス」パンフ 屋上展望台から 北と東を望むとこんな光景が
この言葉には「人の心を晴れ晴れとさせる」という意味があり、ビルの上層階から晴れやかな景色を見渡して爽快感を味わえることや、多彩で充実した施設で来訪者に心地よさを感じてもらいたい、という思いが込められています。 -
「あべのハルカス」
なお、地名は「あべの」ですが、これに関しては「大阪」「天王寺」「上方」などの案もありました。しかし、日本一の超高層ビルになることで、知名度を上げていけるのなら「あべの」を全国区にしたいという意図により「あべの」が採用されました。 -
「あべのハルカス」
あべのハルカスの低層階には近鉄百貨店(あべのハルカス近鉄本店)と美術館(あべのハルカス美術館)、中層階にはオフィス、高層階にはホテル(大阪マリオット都ホテル)や展望台が入居しています。 -
Shop ハルカス300 メニュー
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「あべのハルカス」外観デザインに関しては、ペリ・クラーク・ペリ・アーキテクツ代表のシーザー・ペリが監修を務めました。ペリは、台湾の台北101が建設されるまでは世界最高層ビルであったマレーシアのペトロナスツインタワーなど、数々の超高層建築物の設計を務めていました。大阪では過去に国立国際美術館、大阪歴史博物館などを設計しています。
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「あべのハルカス」は建物は全面がガラス(旭硝子製)で覆われたカーテンウォール(LIXIL製品)であり、三段階にセットバックする立体構造となっています。各段階の屋上空間には緑地空間が設けられ、周辺の公園施設と協調して緑のネットワークを形成するほか、建物内部では吹き抜け空間を利用した「光と風の道」を創出することでエネルギー消費量を低減するなどの環境対策が取られています。
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「あべのハルカス」で見つけました。
「ご当地アイス」パインアメソフトは パイナップル味のソフトクリームに
懐かしのパインアメの顆粒がプチプチと新食感!感動の日本一!です。
(全くの個人の感想です。) -
ランチに緑色のお粥! ちりめんじゃこが味の決め手、
他に赤(とまと)、黄色(かぼちゃ)と三色 食の都 さすがです・ -
翌日は堺へ向かいます。古代史の街。「さかい利・晶の杜」千利休・与謝野晶子
ゆかりの街です。 -
堺に到着
堺市(さかいし)は、大阪府泉北地域に位置する日本の政令指定都市です。
大阪府による地域区分では泉北地域とされていますが、市制施行時の堺市域や南河内郡の旧郡域など歴史的に泉北郡ではなかった地域が多く含まれており、他の泉北地域3市1町とは区別されることもあります。 -
堺市(さかいし)は、ご存知でしたか?大阪府内で人口・面積ともに第2の都市であり、人口は2015年4月時点で山梨県・佐賀県・福井県・徳島県・高知県・島根県・鳥取県の人口を上回ります。
一方、居住人口に比べて昼間人口の割合が低く、大阪市の衛星都市としての特徴も併せ持っています。 -
「堺」の地名は平安時代には見られ、摂津国、河内国、和泉国の「境(さかい)」に発展したことによると言われています。「境」、「左海」などとも表記された(宿院交差点にある石灯籠には「左海たばこ庖丁鍛治」と書かれていますよ)。
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鎌倉時代以降は、摂津国と和泉国の荘園名として見られ、江戸時代(元和年間)以降は、両国の国境に大小路という東西幹線を敷いた町となりました。宝永年間には大和川の付け替えが行われましたが、明治3-4年まで大小路は摂泉国境(大小路以北の堺市街は摂津国でした)の役割を果たしていました。
駅前に千鳥屋宗家支店 お土産にお正月用招福「黒豆しぼり」を買いました。 -
国境が大和川に変更された後は和泉国のみに属する町となりました。1880年(明治13年)の郡区町村編制法施行により、のちに堺市となる堺区(郡区制)が発足し、のちに泉北郡となる大鳥郡から分離しました。また、1938年(昭和13年)の南河内郡金岡村編入以降、和泉国と河内国に跨る市域を形成するようになり現在に至っています。このため、他の泉北地域と区別して「堺・泉北」のように併記されることがあります。
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堺・百舌鳥野。
ここには古代に造営された古墳が、1600年の時を経て今も残っています。
古墳文化が花開いた時代、大阪湾にほど近いこの地には、かつてない巨大な前方後円墳が造営されました。
そして、それをとりまく中小の古墳とともに、様々な形状の古墳を擁する古墳群を形成しています。
古墳の一つ一つがかつての日本の姿を今に伝える貴重な歴史遺産であり、日本の歴史の1ページを語る世界的な遺産でもあります。 -
百舌鳥古墳群にある仁徳天皇陵古墳は、エジプトのクフ王のピラミッド、秦の始皇帝陵とともに世界三大墳墓の一つに数えられます。
三大墳墓の大きさを比べると、仁徳天皇陵古墳の巨大さがわかります。
仁徳天皇陵古墳 :全長486メートル 高さ35.8メートル 体積140万立方メートル
全長・体積 いずれも両者より大きいのです。 -
百舌鳥エリア 解説
中心には仁徳天皇陵古墳
三重のお堀が神秘のパワースポット(ボランティアガイドさんのお薦め)
古墳は日本列島の各地にみられ、それらの多くは一定のエリア内に群をなして営まれています。それらは「古墳群」と呼ばれていますが、古墳群の中でも特に大規模な前方後円墳が集中して営まれている大古墳群は大阪や奈良に多くあり、百舌鳥・古市古墳群はその代表です。
百舌鳥・古市古墳群は、巨大な前方後円墳を核として、小規模の円墳、方墳に至るまで、墳形と規模のバラエティー豊かな古墳で構成されています。特に、この古墳群で見られる
①墳丘の巨大さ
②濠の多重化
③陪塚(ばいちょう)の多数配置は、
古墳築造の最盛期の姿をはっきり表しています。 -
古市エリア 解説
中心には応神天皇陵古墳 応神天皇陵古墳は、体積では国内最大で、仁徳天皇陵古墳を上回ります。国内最大とあって、古墳の前に降り立つと、圧倒的な存在感があります。
5世紀に造られたといわれる応神天皇陵古墳。地域で「応神さん」の呼び名で親しまれています。また、駅から応神天皇陵古墳に向かう間にも、さまざまな古墳に出会い、古代の香りを感じるエリアです。ちょっとしたトリビアですが、かつて「応神御陵前」という駅がありました。
場所は、近鉄電車の藤井寺駅と土師ノ里駅の間にあり、応神天皇陵古墳への参拝に利用されました。現在ではすでに廃駅となりましたが、かつての駅舎跡を探してみるのもおもしろいですよ。 -
おおむね熊野街道の東側は三国ヶ丘台地とも呼ばれる高台が広がり閑静な住宅地が多く、上野芝駅に近い霞ヶ丘や向ヶ丘といったやや規模の大きい住宅地は阪和線の母体である阪和電気鉄道により昭和初期に分譲されました。また、この高台には北区にかけて古墳が多く百舌鳥古墳群と称されています。
市役所の前に日替わりで地場のお店が出店(お豆腐屋さんのドーナッツが人気!) -
ここには古代に造営された古墳が、1600年の時を経て今も残っています。
古墳文化が花開いた時代、大阪湾にほど近いこの地には、かつてない巨大な前方後円墳が造営されました。 -
そして、それをとりまく中小の古墳とともに、様々な形状の古墳を擁する古墳群を形成しています。古墳の一つ一つがかつての日本の姿を今に伝える貴重な歴史遺産であり、日本の歴史の1ページを語る世界的な遺産でもあります。
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この遺産を今後も末永く守り、まちづくりへと活用していくため、堺市は百舌鳥古墳群の世界文化遺産登録をめざした取り組みを進めています。
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仁徳天皇陵古墳 にちなんだ DORYOラテ
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沿岸部は旧堺港南側の大浜海岸をはじめとして、かつては一大海浜リゾート地で知られ、西区の浜寺には高級住宅街も建設されました。しかし、堺泉北臨海工業地帯の造成によって石津川以北は往時を偲ぶ影もなくなり、以南の浜寺水路と浜寺公園の松林に辛うじて名残が見られる程度です。
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堺市は百舌鳥古墳群の世界文化遺産登録をめざした取り組みを進めています。
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杜のキッチン(管理栄養士の健康ランチを木の椅子とテーブルで提供している)
壁には手作りのお菓子やグッズが飾られ販売中でいい雰囲気です。 -
一方で堺の生んだ歴史上の人物 「千利休」を大河ドラマの主人公に推す声と動きがここにはあります。
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何といってもこの時期 大阪は「わろてんか」です。
毎朝楽しく観ています。朝は笑いが必須、一番です。 -
府内に戻って
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天満橋を目指します。
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天神橋筋商店街
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大阪天満宮(おおさかてんまんぐう)は、大阪府大阪市北区天神橋に鎮座する神社(天満宮)。
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大阪天満宮の蛭子門の横に石碑が立っています。大きな石碑ですが、神社周囲の石垣に比べると小さく見える感じがしました。ここがガラス発祥と云われても現在、遺構等が無く碑だけの施設となっていました。
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別名に天満天神・浪華菅廟・中島天満宮があります。大阪市民からは「天満(てんま)の天神さん」と呼ばれ親しまれています。
毎年7月24日から25日にかけて行われる天神祭は日本三大祭、大阪三大夏祭りの一つとして知られています。 -
戦後途絶えていた十日戎が、上方落語協会会長・六代桂文枝の意向もあり「天満天神えびす祭」として復活します。
天満天神えびす祭では天神祭などで活躍した天神天満花娘が福娘として奉仕します。 -
「天満天神繁盛亭」繁昌亭は、2003年に上方落語協会会長に就任した桂三枝(後の6代桂文枝)が、天神橋筋商店街で落語会を行える空き店舗の提供を商店街側に依頼したことに始まります。商店街はこの提案を大阪天満宮に持ち込み、上方落語協会も交えて話し合いを重ねた結果、天満宮用地に落語専門の定席を新設することで合意しました。
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天満天神繁昌亭(てんまてんじんはんじょうてい)は、大阪府大阪市北区天神橋二丁目にある寄席。上方落語唯一の寄席で、落語を中心に、漫才、俗曲などの色物芸の興行が連日執り行われています。
通称「繁昌亭」と呼ばれ親しまれています。 -
「天満天神繁盛亭」用地は大阪天満宮の寺井種伯宮司の好意により、無料で提供されることになりました。1957年に戎橋松竹が閉場して以来、半世紀ぶりに大阪に寄席が復活することになったのです。
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足元にも
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ごまの専門店和田萬さん
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商店街の和菓子屋さん
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季節の和菓子
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堂島ロールの出店(期間限定)
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クリスマスのラッピングバス
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水の都、クルージングの乗り場と遊歩道
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福沢諭吉 誕生の地
福島区福島一丁目1 玉江橋北詰すぐ 市バス「玉江橋」下車 北東約200m
天保5年(1834)12月12日、諭吉は当地にあった中津藩蔵屋敷で生まれました。 -
父百助は諭吉が1歳8か月のとき急死、そのため母につれられ中津へ戻りました。中津では儒学を学び、安政元年(1854)長崎遊学を終え江戸へ上る途中大坂の蔵屋敷へ立ち寄ったが、兄のすすめで翌年3月、緒方洪庵の適塾に入門し、後に塾頭になっています。
3度にわたる幕府の遣外使節に随行、明治の文明開化啓蒙思想家として活躍、慶応義塾を開設しました。 -
宵闇迫る浪速の街に 大阪の一年を締めくくる「とめのお祭り」神農祭を告げる灯明が並び・・・。
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さて大阪の一年を締めくくる「とめのお祭り」神農祭とは?
●百科事典マイペディアの解説
神農祭【しんのうさい】:薬種問屋の並ぶ大阪道修(どしょう)町にある少彦名(すくなひこな)神社の祭(11月22~23日)。少彦名神社は日本の医薬の神少彦名命と,中国の薬祖神神農をまつり,俗に〈神農さん〉という。 -
大阪道修(どしょう)町にある少彦名(すくなひこな)神社にも人出が多く・・・。
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大阪道修町にある「少彦名神社」
●大辞林 第三版の解説によると
しんのうさい【神農祭】:薬種商が、冬至の日に医薬の祖とされる神農をまつって祝う行事。大阪の道修どしよう町の少彦名すくなびこな神社が著名。 [季] 冬。 -
少彦名(すくなひこな)神社 参道には出店がいっぱいで・・。
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参道の出店にも そこはかとない関西の風情があって・・。
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参拝客の目を楽しませてくれます。
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薬種商の街なのです。
ゆえに大阪道修(どしょう)町にある 「くすりの資料館」は 薬の街 大阪の象徴と言えます。 -
「大阪すしの松花堂」のお弁当。
お寿司にバッテラはさすが大阪。 -
ホテルの中は11月下旬からすでにクリスマスが近い雰囲気が漂っています。
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帰路の新幹線車窓から見える富士山は山頂に雲がかかっていましたが・・。
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帰宅して最寄り駅の「富士見テラス」から望む勇姿はいつも通りの山頂を見せてくれました。
初冬の つかの間の休息の時も 穏やかに過ぎていきました。
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