2017/09/13 - 2017/09/15
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pp235さん
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ハルビンから、長春、瀋陽、丹東を経て、大連まで、鉄道を利用し、旧満州を巡りました。
- 旅行の満足度
- 5.0
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瀋陽観光は、九・一八事変陳列館から。
柳条湖事件が日本の侵略の始まりと捉えられています。 -
七三一部隊陳列館では、中国語・英語の説明でしたが、ここでは、全て日本語の説明があります。
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幼稚園児、小学生のグループから大人まで、大勢の見学者が訪れていました。
私たちは、各自で展示を見学していましたが、もし、日本人だと分かったら、どのように思われたでしょうか。
顔がはっきり映っていない写真を選んだので、手ぶれが著しいです。 -
写真パネルの展示がかなり多いものの、ここには七三一部隊による人体実験の模型が置かれていました。七三一部隊陳列館にはなかったものです。
博物館により、展示の過激さが異なっているようです。 -
他の博物館でも、最後のコーナーは、中日友好の発展のための努力が内容となっていますが、九・一八事変陳列館では、日本の軍国主義の復活への警戒が内容となっていた点が違っていました。
「過去百年の中日関係の歴史を顧みれば、前半の50年は日本軍国主義がたえず中国を侵略する歴史であり、後半の50年は中日両国国民が友好関係を発展させようとしてきた歴史である。しかし、日本の右翼勢力が猛威を振るい、その活動は中止されるどころか却って強化されている。…現実は私たちに中日友好の強化に力を入れると同時に、常に日本軍国主義の復活を警戒しなければならないことをしめしている。これは中日両国国民の共同の歴史的責務である。」 -
次に訪れたのは、中国工業博物館。
鉄工所・機械製作所の工場跡を利用した重工業の博物館です。 -
重工業が国力そのものだった時代、日本が満州を手に入れたかった理由がここにあるというのが、この博物館を訪れた理由でした。
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工場の敷地だけあって、広大で、汽車館(各国の乗用車の展示)、瀋陽の鉄西地区の100年間の歴史を展示したコーナーなど駆け足で回りました。
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昼食。並べられている途中で、この後もどんどん運ばれてきます。いつもテーブルの上は満載でした。中華料理は、野菜がいつでもたくさん摂れるのがうれしいです。
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午後は、清朝太祖ヌルハチが建設した瀋陽の故宮の見学です。
写真は、政務や式典を行った大政殿。 -
広場に官吏の事務所が立ち並んでいます。
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宮廷収蔵物の展示館には、陶磁器や青玉の彫刻などの芸術品が展示されていました。
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鳳凰楼は書物庫で当時最も高い建物だったそうです。
見学時は上には上がれず、1階を通り抜けただけでした。 -
二代皇帝ホンタイジの夫人の住まい。
オンドルのような暖房がされていたようですが、冬は寒そうです。 -
天井からゆりかごが下がっています。
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写真とは無関係ですが、冬の間は改修ができないとのことで、観光のハイシーズンでも改修を行うそうです。
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次に、張学良旧居陳列館を訪問しました。
張作霖は、爆殺事件で有名ですが、張学良のことはあまり知らなかったので、この旅行の前に、傅虹霖(川崎将夫、酒井亨・訳)「張学良 その数奇なる運命」、古野直也「張家三代の興亡 孝文・作霖・学良の“見果てぬ夢”」を読んでみましたが、2人の張学良に対する見方が対照的で面白かったです。 -
東北王の邸宅というだけあって、立派です。
見学者がとても多く、建物の中はかなり混雑していました。 -
贅沢な調度品の数々
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張作霖が第五婦人のために建築した小青楼。
関東軍の鉄道爆破により負傷した張作霖が運び込まれて、最後に息を引き取った場所です。 -
張学良と最後まで連れ添った趙一荻の住居。
こじんまりした住宅ですが、見学者でかなり混みあっていました。 -
この日の夕食は新宿にもお店がある「老辺餃子」で、餃子三昧でした。
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いろいろな餃子が出てきたのですが、だんだんどれがどれだかわからなくなってしまいました。
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6日目の朝は、撫順に向かいました。
最初の訪問先は、平頂山惨案遺址記念館です。
写真を撮ると言われて集まった村人を機関銃で日本軍が虐殺し、遺体を焼いて山を爆破したという説明です。
虐殺が行われた村はこの記念館から少し離れており、ここは亡骸が発掘されたところだそうです。 -
JR東日本労組など、日本の労組から寄贈された石碑が立てられていました。
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3000というのは殺害された村人の人数です。
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当時を再現する動画スクリーン前には見学の大勢の子どもたちがいました。
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様々な写真パネルによる説明の後、死者の氏名が壁、天井一面にディスプレイされています。
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結びとして、侵略されたのは国が弱かったからで、強大な国を作ることで侵略されないようにしようと謳われています。
「愛国主義の旗を高く掲げて科学的発展観で指導にあたり、中国の特色ある社会主義の道を一貫して歩み、強大な社会主義祖国を建設し、外敵に侵略される歴史を二度と再び繰り返さないようにして、人類の平和と世界の繁栄を維持できるよう力を尽くして頑張って行こう!」 -
横路孝弘衆議院議長(当時)が、平頂山惨案遺址記念館の館長と会談しています。
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慰霊碑では、事件から85周年の記念行事の式典準備やリハーサルが行われていました。
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昼食レストランでは、食器に消毒済みのビニールがかかっていました。
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日本でおなじみのえびせんべいが初めて出てきました。
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食後は、撫順戦犯管理所旧跡を訪問しました。
戦後、溥儀や日本人戦犯を含む戦犯を収容していました。 -
管理所の廊下。ドアの窓から室内の展示を見学しました。
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溥儀が収容されていた部屋には、繕い物をしている溥儀が再現されています。
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収容所の状況について、パネル展示が行われています。
人道主義に基づく待遇がとられていたとのことで、戦犯たちの栄養(パンや肉を食事に提供)、衛生(当時の石鹸箱などの展示)、学習(多数の教材の展示)、音楽(楽器の展示)、運動(運動会のパネル)、医療(各囚人のカルテの展示)などに気を配っていたことが示されています。
後で訪問した旅順の刑務所(当時、日本人が運営)の待遇が劣悪だという展示がされていたのとは対照的です。 -
屋外劇場の舞台
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ホール
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畑では、あたかも当時を再現するかのような人が、実際に作業をしていました。
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釈放される溥儀の再現。
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東北料理の夕食でした。
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