2017/10/25 - 2017/10/25
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fernandoさん
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今回の旅の目的は学生時代のクラス会です。それに合わせて九州を旅します。
クラス会は昨日終了し、本日は熊本からフェリーで長崎に渡ります。
九州の旅 2017
大阪まで 10.23
熊本まで 10.24 新門司港から宗像、そして熊本。
★長崎まで 10.25 原城跡から外海、そして長崎。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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10月25日(水)。
阿蘇のホテルからの景色です。 -
朝食はバイキング、特に牛乳が美味しい。
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友人たちとホテルで別れ、私は長崎に向かいます。
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熊本地震からの復旧はまだまだ時間がかかりそうです。
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熊本市内は以前訪問しているので、今回はパスです。
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熊本港フェリー桟橋に向かいます。
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乗る船はオーシャンアローで島原まで約30分で着くという。
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流麗な船体の双胴船です。
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船内は広々ゆったりです。
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乗用車51台搭載可能です。
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スタビライザーまで付いています。
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修学旅行でしょうか、学生さんが大勢乗っていました。
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さすが高速船、そのスピード感が違います。
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バスも3台載っていました。
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熊本から長崎に向かうにはこの航路が便利です。
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雲仙岳が見えます。
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原城跡に来ました。
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原城跡の概略です。
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来年の世界遺産登録を目指しています。
「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」です。
その遺産は各地に点在しており、その片鱗に触れたいと思います。 -
城から南有馬の街並みが見えます。
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天草方面です。
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城跡の一角に十字架が建つ。
「島原・天草一揆」の舞台となった場所です。 -
「島原・天草一揆」は江戸時代初期に起こったもので、もともとは圧政・重税であった。
一揆勃発後はキリスト教がそのよりどころとされた。
当時16歳の少年天草四郎が一揆の総大将となった話はあまりにも有名です。
(諸説あり) -
幕府は一揆軍を全滅に追いやることになる。
その後、島原半島と天草諸島のカトリック信者は根絶されることになる。
わずかに残った信者たちは深く潜伏し、隠れキリシタンとなっていった。 -
何故か物悲しい話です。
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城跡から十字架やロザリオの珠など、多くの信仰具が発見されているという。
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そんな古の記憶が忘れられたかのような風景です。
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南有馬の街に八幡神社がある。
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その一角に島原の乱原城の供養碑がある。
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その供養碑です。
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島原半島を斜めに抜けます。
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小浜温泉に出ました。
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そして長崎方面に向かいます。
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長崎市街を迂回して外海(ソトメ)地域に向かいます。
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途中黒崎教会があります。
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日本での旅の友はF-PACEです。
ちょっと大きいのですが、長距離運転にはとても楽です。 -
外海地域の出津(シツ)文化村です。
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長崎市街からはかなり北の地にあります。
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ここは世界遺産候補「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の一つです。
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出津の集落です。
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ド・ロ神父の像です。
神父はフランスから1879年に赴任してきた。
年表を見ると、
1853年ペリー来航
1865年信発見(大浦天主堂)
1868年明治元年
1873年信教の自由の黙認。
まさに、隠れキリシタンの人々にとっては待ちに待った出会いであった。 -
ド・ロ神父は私財を投じて各種施設を造るが、その中でも特筆すべきなのはここ「出津救助院」です。
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「出津救助院」は女性の自立支援のための作業場です。
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こちらは薬局であったという。
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外海地区は「陸の孤島」と呼ばれ、田畑にも恵まれない厳しい自然環境の中、長期のキリシタン弾圧にも耐えながら、信仰だけを頼りに貧しい暮らしをしていた。
神父は彼らをみて、「魂の救済だけでなく、その魂が宿る人間の肉体、生活の救済が必要」と痛感した。 -
多彩な事業を授けることによって、外海の人々に「自立して生きる力」を与えました。
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織布、編物、素麺、マカロニ、醤油等を製造したという。
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2階は祈りの場であるとともに、宿舎、作業場としても利用された。
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神父が母国フランスから取り寄せた、当時最新式のオルガンです。
ここまで運んでくるだけでも大変なことだったでしょう。 -
屋根には十字架のマークがあります。
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次に教会堂に向かいます。
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出津教会堂は、神父が私財を投じて1882年に建てられた。
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風の強さを考慮した低い外観が特徴です。
内部の見学には事前連絡が必要で、予約してありました。
内部は撮影禁止です。 -
大野地区に来ました。
もう時間は4:40です。 -
町の上の方にある小さな教会堂です。
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石造りの壁と瓦屋根の和洋折衷です。
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ここもド・ロ神父によるもので、1893年に建てられた。
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壁の石は玄武岩で、神父の考案した工法が採用されている。
窓は木製の引き戸です。 -
隠れキリシタンの歴史を現在に伝える教会堂です。
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今5時。暗くなる前に宿に入りたいです。
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宿は浦上天主堂の近くにしました。
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浦上天主堂が正面に見えます。
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宿は長崎カトリックセンターです。
信者でなくても泊まれます。
ユースホステルになっています。 -
何といっても安い!!
一泊\3300(素泊まり)でした。
受付のお姉さんは親切ですし、言うことありません。 -
壁が薄いので、静かに願います。
バス・トイレは共同です。 -
正面に浦上天主堂が見えます。
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夕食は軽くラーメンです。
明日は長崎市内の観光ですが、ぎっしりです。 -
阿蘇から島原、長崎の外海地区そして長崎市街の位置関係です。
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