2017/08/18 - 2017/08/27
55位(同エリア1304件中)
gyachung kangさん
- gyachung kangさんTOP
- 旅行記66冊
- クチコミ60件
- Q&A回答20件
- 90,704アクセス
- フォロワー59人
テヘランにて入国後イスファハーンへ移動。イスファハーンのイマーム広場に立ち、その繁栄ぶりを世界の半分とまで謳われた往時の面影がリアルに残る古都に初めて触れた。
イランは広い。日本の4倍の面積を持つこの国の見どころは実に多く、時間さえあればぐるっと一周してみたい旅人泣かせの国であるが泣いている暇も惜しい。
結局は初志を貫徹、ペルシャの心臓部をたどることにした。まず砂漠の街ヤズドに立ち寄りシーラーズまで南下する王道650キロの旅。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イスファハーンの街をあとにして今度は南東の方角にあるヤズドへと向かう。
イスファハーンのバスターミナルでまずバスのチケットを購入。運賃26万リアル。日本円で850円くらい。さすが産油国、安いです。 -
こんなバスに乗る。ボルボ製、ピカピカである。
陸路移動は果たして良策なのか不安な感じもしていたのだが、結論を先に言うと心配は無用であった。 -
座席は革張りでリクライニングシート。出発前に男性のスタッフから乗客全員に写真のボックスが配られた。
ん、なんだこりゃ?
開けてみると中には数種類のお菓子が。 -
リムジンバスはキャビール砂漠とザグロス山脈の合間を通るハイウェイをひたすら走る。ハイウェイはまるでスケートリンクのように整備され走りは快適。
草木のない荒涼とした景色はイメージのまんまのイランの風情でなかなかイイ。 -
ひたすら走ること4時間半、ヤズドに無事到着。
予約は入れていないが目星をつけていた今夜の目当ての宿が見つかった。 -
レセプションでチェックイン手続き。
私の部屋を案内してくれた。このホテルはご覧のように伝統家屋をホテルに改装したちょっとばかし味のあるトラディショナルホテルである。レセプションにはユネスコからの表彰状も飾られているお墨付きだ。あ、そうそう、イランでの宿泊は例外なくパスポート預けとなる。だからチェックアウトの時はパスポート受け取りを抜かりなく! -
お宿も確保できたんでホッとした。
早速ヤズドの街を歩いてみよう。ホテルを出ると周囲はこんな感じ。大都市テヘランどころか古都イスファハーンとも掛け離れて異質だ。 -
ホテルから一番の目抜き通りらしい?エンゲラーブ通りに出て歩くこと10分、目の前に現れましたよ、アミール・チャグマークのタキイェが。
-
15世紀に建てられたという。
モスクでも宮殿でもない目的がよくわからないかなり不思議な建築物である。
相当な高さのあるミナーレとアクセントカラーのペールブルー、これと似た建築物は他には?と思うくらい個性的。
そして問題は名前である。
アミール・チャグマークのタキイェ
アミール・チャグマークのタキイェ
何回口にしても覚えられない。 -
さてヤズドと言えば?
そうです、拝火教と言われるゾロアスター教の信徒が今もいる街である。
このヤズドにはゾロアスター教の寺院があるってことでもちろん行ってみた。
とても慎ましやかな建物で一見寺院には見えない。名前はアーテシュキャデ。
これも覚えにくいよなあ。ペルシャ語はなかなか手強いよ。 -
彼がゾロアスター教の神である。
名前はアフラ・マズダ。
私も知らなかったのだが日本の自動車メーカーのマツダの英語表記はMATHUDAではなくてMAZDA
実はこれ、アフラ・マズダのスペルに倣ったのだという。これはビックリ。 -
これは1500年以上絶え間なく燃え続けていると言われる聖火。
ガラス越しに見るため写真では映り込みでちとわかりづらいけど。
そもそもゾロアスター教の成り立ちは紀元前1000年頃とのことでとてつもなく古い。イスラム教やキリスト教ははるかに後発の信仰である。 -
アーテシュキャデにはゾロアスター教を紹介しているコーナーもある。祭壇の再現や写真の記録、地下には礼拝空間も。
ところで世界で一番有名なゾロアスター教徒と言えばやはりクイーンのフレディ・マーキュリーをおいて他にない。
彼は両親がイラン出自の家系であるから実は不思議でもなんでもない。 -
アーテシュキャデでの見学を終えてヤズドの市内を散策。ここはイランのど真ん中、ペルシャ語だらけ。当たり前か笑
-
こんなウォールアートを発見。
これはテヘランでも他の街でも同様だったがウォールアートが頻繁に現れる。日本よりよっぽどポピュラーである。 -
この道をくぐるとこの先はヤズドの旧市街に入って行く。
-
迷路のように入り組んだ路地の途中にレストラーンの看板を発見。
期待できそうな雰囲気に誘われて階段を登ってみると屋上に出た。
そこにはこの景色が広がっていた。
ヤバいじゃあないか!! -
まだ夕暮れ前、私の他にゲストは誰もいないが、準備中のお店のスタッフが目配せして座席とメニューを促す。
この景色を目の前にしてここで食事をせずに立ち去る選択肢はもはや無い。 -
私がオーダーしたのはヤズディスープと
-
この肉料理
タス・キャバーブ、
ラクダ肉のトマトソース煮込み!
これはフツー東京では食べられない。私は初トライだったが肉は柔らかくて何のクセもなく美味であった。 -
このレストラーンの様子はこんな感じ。
ペルシャのトラディショナルスタイル、チャイハネのソファが置かれている。
これは謂わばルーフトップチャイハネ(by私)である。
う~ん、このスタイルにこのヤズドの野性味溢れるビュー、私はノックアウトされた。 -
そして陽が傾き
-
モスクの横に立つミナーレに照明が当たりだした。まさにその方向からアザーンが。
いやあいいね~
これじゃあこのレストラーンから帰れないじゃあないか、ホントにそう思った。 -
夕食後、旧市街にあるバザールを発見。
-
このヤズドでもゴールドの需要は旺盛のようだ。この点はペルシャもアラブも変わりない。
-
翌朝。
ホテルでの朝食。日本では100%の確率で朝食を摂らない私だが、旅先では正反対、必ず食べる。しかもかなりしっかり。そしてここもまたチャイハネソファである。 -
この空間がこのホテルの食事の間。
部屋の真ん中には水が張られ天井はテント式で天幕を透して朝日が射しこんでくる実に気持ちのいいダイニングスペースになってる。
この朝の朝食客は私以外には2組ほど。
私の旅行はおよそラグジュアリー感とは無縁だが、豪華と呼ぶのとも少し違う、贅沢な時間が道中に必ずやって来る。この日の朝食タイムはヤズドからのスペシャルギフトであった。 -
さて。
この日は私がヤズドに立ち寄ることにした目的を果たすため、朝一番からタクシーをキャッチし郊外に向かった。
行き先は、沈黙の塔 である。 -
目の前に現れた大小ふたつの丘
これが沈黙の塔。
つい80年程前までゾロアスター教徒の埋葬様式である鳥葬が執り行われていた聖なる場所である。
実際この場所に立つと少しばかり厳粛な気持ちになっていた。 -
まずは向かって左側、高いほうへ登ってみる。人の気配は全くない。
-
登ること20分、丘のてっぺんに到着。
麓には廃墟となったかつての埋葬儀礼関連と思われる建物。その向こうにヤズドの家並みが見えている。 -
ヤズド市街と反対方向を振り返ると山肌が剥き出しの荒々しい景観。
-
で、丘の頂上には直径5メートル程のこの穴が残っていた。観光スポットではないから一切の説明板など無い。
が、鳥葬の儀式のため遺体を安置したのがこの場所だということは一目瞭然でわかった。
街からの喧騒音も車のクラクションも全く聞こえず草木もないので風が吹かなければ葉が揺れる音さえしない。無音の世界はヨルダンのワディラム砂漠で初めて経験したがそれ以来。リアルに沈黙の塔であった。 -
左側の丘を降り右側にも登ってみた。
階段がある。
こちらは鳥葬の使用頻度が高かったのかもしれない。 -
沈黙右塔から沈黙左塔を見る。
丘の裏側からゆるやかに巻いているスロープの傾斜はおそらく遺体を丁重に運ぶための配慮であろう。 -
沈黙の塔。
現地ではダフメと呼ばれていた。
3年前、中国雲南省のデチェンチベット自治州の田園地帯で現役の天葬台への道を見つけたことがあった。
ネパールのカトマンドゥ、パシュパティナートでは白布に包んだ遺体に火をつけて燃やしている現場に出くわした。
インドのベナレスではガンガーに遺体を流す光景を目撃した経験もある。
いずれの光景も私は鮮明に覚えている。 -
ダフメ、沈黙の塔の見学の後、ヤズドの中心に戻った。
綺麗なファサードと一際高いミナーレ。
昨日ルーフトップチャイハネから見えたモスク、マスジェデ・ジャーメである。 -
ヤズドの最高峰モスク。
イスファハーンの同名モスクより建築年代が新しい分タイルの色艶が水々しい。 -
イスファハーンのマスジェデ・イマームはアッバース大帝勅命の王都建設プロジェクトの要だから壮麗を尽くすのは必然。
だが王都でもないこんな砂漠の街のモスクにあっても内部までキッチリとモザイク装飾が及んでいる。技術者と財が無ければこうはならない。当時のペルシャ世界の繁栄の証しである。
そしてこの絨毯の大きさね。大きさも技術。まさしくペルシャの一大基幹産業。 -
このシンボルとも言えるモスクを基点に旧市街のウォーキング。迷路感は200%で私好み。
-
旧市街の中は本当に一切の近代建築がない。
車と電線がなければ500年前とほぼ同じではないだろうか。 -
外壁は土と藁?を混合させた天然素材。
これってアジア的と言うよりアフリカ的である。 -
目につくのはこんな小さな扉のみ。
昨年訪れた中国の福建土楼でさえ小さな窓はあった。が、このヤズドの伝統家屋には窓らしい窓もなくガラス窓なんて皆無。強烈な日射しを一切遮断しているかのようだ。 -
お昼。
迷路の中でランチを食べた。実にへんてこな店で手づくりの工芸品がズラリと並ぶ真ん中に席があり、スタッフはオヤジ1人。
メニューにあったホームメイドフードを頼むと出てきたのがコレ。
茄子の酢漬けのヨーグルトソースに生トマトに生ピーマン。値段は11万リアル、360円くらい。
こ、これはいったい料理なのか?生まれて初めて自問自答しながらランチを食べた笑 -
食後のひと歩き。アレクサンダープリズンへ行ってみる。
-
アレクサンダーは説明するまでもない。
かのアレクサンダー大王。紀元前4世紀に世界を席巻したマケドニア出身世界史上屈指のスーパースターである。最強マケドニア軍が東進しペルシャをも配下に治めた時代に彼が作った牢獄だという。
見てすぐ気がつくのは牢獄でありながらずっと後の時代に建てられたモスクと建物の基本構造が極めて似通っている事。
因みに圧倒的な征服者のイメージが強いアレクサンダー大王だがペルシャでは何故か寛容な統治をしたらしい。 -
これは旧市街の中の町工場。
ヤズドに限らずイランでは銅や銀素材の金物製品が民家の中のようなスペースで至るところで製造されていた。やはりこの国はモノづくりの力量が高いように思われる。 -
ヤズドの街でもう一つ。
屋根の上に一見煙突のような塔がにょきにょき立っている。これがバードギール。室内の換気のために屋根の上に設置された独特の風採り塔なんだそうで。 -
そのバードギールの存在感が際立っているのがココ、旧市街から車で10分、ドウラト・アーバード庭園。
ヤズド一番の高さのバードギールが真っ先に目に飛び込んでくる。 -
大きなバードギールだけでなく、ペルシャ式庭園の様式を汲んだ庭園の一つとして世界遺産登録されている。
建物には美しいステンドグラス、敷地内にはチャイハネの休憩所もある。訪れる人もそれほど多くない分、一息入れるにはもってこいのスポットであった。
そしてヤズドは2017年今年、街自体が世界遺産登録となったばかり。まさに絶妙のタイミングでの訪問となった。 -
ヤズドの街に別れを告げ再び陸路南下。
目的地は南へ300キロ、シーラーズ。
ヤズド→シーラーズ間も山肌露わな茶色い大地を走り抜ける。これがイランの原風景なのかもしれない。
全くの余談だがこういう景色を眺めていると私の頭の中には必ずライ・クーダーのパリ、テキサスのスライドギターの音が流れてくる。なぜだろう? -
このシーラーズで滞在するホテルにチェックイン。ロケーション最優先、予約なしの飛び込みだがレセプションにはイラン美女がお出迎え、一泊US50ドルの値段以上に上級のしっかりしたホテルであった。
-
ところでイラン旅行で戸惑うのがお金である。正規発行のお札は10万リアルが最大紙幣。が、これ日本円で330円程度でキャッシュで所持すると札束状態。
インフレの結果であろうイランチェックなる札が流通しており50万と100万のチェックが市中で使用されている。桁が大き過ぎるため旅行者は一日に何度も混乱する。イラン政府は早々にデノミを検討すべきかも。
さらにホテルでは全く普通に未だUSドル決済OK。これはキューバも同様だったが基軸通貨とは言え長らくの敵国通貨。イランならもう少し自国通貨を信用しても大丈夫だと思いますがねえ私は笑 -
このシーラーズに来たからにはまずお参りしなければならない場所がある。
シャー・チェラーグ。
シーア派教徒の巡礼地である。
ここは敷地内への入場が厳しくモスレムはフリーだが非モスレムの観光客には必ずオフィシャルの案内スタッフがつく。カメラは例外なく荷物預かり所行き。 -
というわけでシャー・チェラーグでのカットは全てスマホ写真である。
案内スタッフにスマホはOKで普通のカメラが持ち込み禁止の理由を問いただしたのだがスタッフ男性は「あ、いやあプロフェッショナルカメラはダメなんですよね~」としどろもどろ回答に終始。まあそれ以上詰めるのは止めることにした。 -
シャー・チェラーグはモスクではない。
殉教者イマーム・レザーの弟の墓所であり建築物は14世紀の作。
異教徒は建築物の内部には入れない。 -
シャー・チェラーグのタイルワーク。
ここも素晴らしい。
最高レベルだと思う。 -
建物の内部がチラリと見える場所。
天井も壁もガラス細工でキラキラ。
テヘランのゴレスターン宮殿と共通する造り。 -
私はバルセロナからの観光客と一緒にオフィシャルのスタッフに案内され敷地内をぐるりと一周45分ほど。無料ガイドであり外国人にはもちろん英語で対応してくれる。カメラの件はさておき観光客対応の観点では日本より間違いなく先進だと思う。
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シャー・チェラーグの見学を終えてシーラーズの街中へ。
ここはマドラセ・ハーン。1615年に建てられた歴史ある神学校。 -
続いてマスジェデ・ヴァキール。
シーラーズを代表するモスクの一つ。 -
ご覧の通り二本のミナーレが極端に低いのがこのモスクの特徴。
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見事な花や木のデザイン柄のタイルもヴァキールの特徴。
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列柱に支えられた大規模な礼拝スペースもある。
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夕暮れ時のこの時間。この景色。落ち着くなあ。
イランではイスファハーンでもヤズドでも大型バスで乗りつけて大挙してやって来る中国人ツアー客にお目にかかることは最後までなかった。個人旅行者だけが落ち着いて観光できる国、イラン。素敵じゃあありませんか。 -
翌朝。
6時に起床し7時に朝食場所のレストランへ行くと。その日の宿泊ゲストの国籍に合わせたご挨拶ボード。これまでホテルは数百軒と泊まったが意外に初めてだったかも知れない。こんなサービスが朝から気分を上げてくれる。 -
朝食後すぐに本日のアクティビティ。
この日に向かうところはシーラーズから北へ60キロ離れた所にあるペルセポリスとナグシェ・ロスタム遺跡。 -
1時間ちょいでまずはナグシェ・ロスタムに到着。駐車場の先に小さな土産もの屋が一軒あるだけ、周囲にはなんにもない荒野である。
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その荒野に忽然と現れたのがナグシェ・ロスタム遺跡。
大きな岩に掘り出された太古のペルシャの王墓と記念碑である。 -
岩の上部に彫られているのは墓。
アケメネス朝ペルシャの王墓なので紀元前500年とか400年とかの時代にまで遡る墓だ。 -
一番右端は修復中であったがこれが名高いクセルクセス1世の墓とのこと。
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王墓の下にはこんなレリーフが幾つか。
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このレリーフが一際大きく最も有名。
馬上は大帝国を築いたペルシャ、シャープール1世。手を捕まえられているのは東ローマ皇帝。つまりササン朝ペルシャ時代の対東ローマ帝国戦勝の記念図である。従って上の王墓と下のレリーフは制作年代に軽く500年以上の開きがあるのかもしれない。 -
岩壁に向かって左サイドには四角い建造物。これはゾロアスター教の神殿とのこと。こうしてみるとサウジアラビアのメッカにあるカーバ神殿のルーツのようにも見えてくる。
さらにササン朝ペルシャと東ローマ帝国の戦いはゾロアスター教国とキリスト教国の覇権争いだったともうかがえる。 -
私の中では今すぐ世界遺産登録決定のナグシェ・ロスタム遺跡なのだが、そうなっていないのはまだ歴史的な検証結果が確定し切れていないのかもしれない。今後に注目である。
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再び車に乗りナグシェ・ロスタムから6キロ先にあるのがペルセポリス遺跡。
ここも今は荒野の只中だ。 -
石積みの階段を登ると現れた。
クセルクセス門だ。 -
頭部は崩壊しているが牡牛の側面彫刻は綺麗に残っている。
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反対側にある人面有翼獣神。ペルシャ版のスフィンクスと言っていい。
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双頭の鷲。イラン航空のロゴマークになっているのでお馴染み。
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出ました!
ペルセポリスの代名詞とも言えるライオンが牡牛を襲うひと際有名なレリーフ。
この絵は単純な自然界の描写図ではなく、牡牛が冬、ライオンが春を象徴し春の訪れを祝う意匠だとのガイドの解説があった。
イランには今もノウルーズと呼ばれる暦がある。太陽暦では3月、イラン暦では新年にあたる春を歓迎する行事で古来ペルシャから春は特別な季節であることがよくわかる。 -
アパダーナの東階段の側面レリーフ。
アケメネス朝ペルシャへの各国からの朝貢シーン絵巻になっている。これはアーリヤから。 -
こちらはガンダーラからの使者。
全23か国、アケメネス朝の威光を今に伝える特別な記録になっている。 -
百柱の間ゾーンに残っている彫刻。
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これも有名。牡牛の頭部。
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最上部に王、その下は下臣、全ての人物像に同じレリーフはない。
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遺跡エリアの背後は小高い山になっていて登ると
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踊り場の上にはアルタクセルクセス2世のゾロアスター教様式の墓がある。
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で、この場所からペルセポリスの全容が見渡せる。
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アケメネス朝ペルシャの栄華と威信を全て凝縮したペルセポリスは紀元前331年に陥落。陥落させたのはマケドニアのアレクサンダー大王である。
私は2年前にそのマケドニアを訪れた。首都スコピエの中心部には天に駆け上る騎乗姿のアレクサンダー大王像が誇らしげにある。2300年前の歴史が私の旅の中で繋がった感じがした。 -
ナグシェ・ロスタムとペルセポリス観光を終えてシーラーズ市内に戻りかなり遅めのランチタイム。旧市街の一角にある地元人気店と評判の店に入ってみた。
こんな時間に満席じゃないか?と諦めかけたところ一席だけ空きが。ラッキ~ ! -
席について下を見下ろすと。
ほう、生ライブ演奏付きってことね。
ラッキー感に輪をかけたが、歌い手のお父さんがあまりにも普通過ぎて吹き出しそうになった。 -
こんだけローカル色満載の店なら旅行者としてキャバーブを頼まないわけにはいかない。実際このキャバーブは美味だった。
-
シーラーズは観光スポットが多い。
ランチ後、タクシーをキャッチして旧市街から西へ3キロの場所にあるシーラーズ屈指の庭園へ。
エラム庭園。
ペルシャ式庭園の代表格として堂々の世界遺産登録ガーデンである。 -
この庭園のタイル絵柄はちと面白い。
マンガのような人物タッチは世界のどこにも似ておらずイラン独特、この国のアートセンスはなかなか侮れない。 -
エラム庭園、一番美しいのは薔薇の最盛期とのことだが水と緑に縁遠い茶色い大地にあってよくぞここだけオアシスに仕立てあげたもんだと感心。
-
エラム庭園見学の次はここ
ハーフェズ廟。
シーラーズ出身のイラン最大の詩人のお墓である。 -
廟内には大理石の棺が置かれたくさんの人が訪れていた。
-
このとおり。
小学校の子どもたちも揃ってお墓参りに来ていた。失礼ながらイランに来るまでハーフェズについて全くの無知識、この詩人の存在感にビックリした。 -
ハーフェズ廟から徒歩10分の場所にもう一つ目を惹く外観のお墓がある。
アリー・エブネ・ハムゼ聖廟。
ブルーともグリーンとも言えるドームのタイルのパッチワークが焦眉。
シーラーズの青空に映えまくりである。 -
内観もやっぱり煌びやか。
だんだんペルシャ人の美的傾向がわかってきたかも。 -
シーラーズの中心部へ戻る。
この街を訪れた旅行者なら間違いなく目にするお城がキャリーム・ハーン城塞。
18世紀半ばに短い期間であるがシーラーズを首都としたザンド朝ペルシャの時代に造られた王宮の城だ。 -
城内への正門上にはこの絵柄タイル。イランのセンスはやっぱり一味違う。
確信したね。 -
が、このハーン城塞、見かけほど今現在では城内に見所は残っていない。
ザンド朝ペルシャ時代の威光を表現したヨーロッパ使節謁見の再現と -
礼拝の間の繊細な色遣いのミフラーブあたりである。
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あ!最大の見せ場はこれだった。
傾きのある建築物はままあるとは言えいくらなんでも度を超えてますよキャリーム・ハーン城塞。何とかしてやりたいが私にはどうすることも、スマン。 -
シーラーズの街にも当然のようにバザールがある。
バザールの規模はその街の規模に比例しているようだ。ヤズドよりは大きくテヘランよりは小さい。見学するなら一番歩き易いスケールかも知れない。 -
スパイスはバザールの花形。アジアでもアラビアでも必ずある。
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でイランならでは感が滲み出ていたのがこんな絵画店の多さ。東南アジアやアラブ圏ではあんまり出会わない。イラン絵画のタッチはどことなく劇画風である。
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バザールの中にあるオープンエアの休憩場所で。銃弾ベルトを胴に巻き立派な髭と迫力満点の面構え、いったいどこの部族の民族衣装なんだよ!とツッコミ感満載のオヤジ。このレベルのインパクトは暫く記憶にない。観光客の記念撮影目当てのコスプレとしてはキワモノ特別賞を差し上げたい。
でも最高なのは隣のお姉さんだな。
満面の笑みで銃口をオヤジの頭に向けるなんて。あなたの完勝ですよ。 -
朝から観光しまくって腹が減った。
バザール街の端っこに小洒落たレストランを発見。ここで夕食にする。 -
この晩のチョイスはディーズィ。
堂々のイランのローカル料理である。
食材は豆、羊肉、トマトで煮込み料理なんだけど -
食べ方がよくわからん。
店の女性にご指導を仰いだ。
平たい頭のついたスティックをポットの中に入れて具をギューと押し潰し、んで浮いたスープを別皿に取り分ける。
あとはナンに具を添えて食べても良し、スープに浸して食べても良し。私がこれまで食べたローカルフードの中でも食べ方がずば抜けて特異かも。
味?
旨いが他のどの料理にも似ていない。
不思議な料理だったなあ、と思い返していたら何だか食べたくなってきた。
ディーズィを東京で探してみようっと。 -
食事を終えてシーラーズの街をぶらつきながらホテルへ戻る。
するとこんなちょっと感じのいいカフェがあったり -
ななんと、短い距離ながら地下鉄も走っていたり
-
映画館もあったりする。
そう言えばイランは世界的な映画監督アッバス・キアロスタミを輩出した国。
と、まあ、このようにゴリゴリのシーア派イスラム教の窮屈な国というイメージとはずいぶん違う印象だ。むしろこの地域にあってかなり先進国ではないか、これが私のイランへの感想である。 -
ナンもあるけど
-
ピザもあるよ
それがイランの真の姿か。 -
次の日の朝。
ホテルを出て早々に向かった目的地がこのモスク。シャー・チェラーグ廟の少し先、民家に囲まれて建つこじんまりとしたモスクなんだが、、 -
このステンドグラスが待っている。
ついにここまで来ましたよ。
マスジェデ・ナスィーロル・モルク。
シーラーズの大人気スポットである。 -
通称ピンクモスクまたはローズモスク。
ガージャール朝ペルシャ時代の1888年完成。アーチ窓に埋め込まれた一面のステンドグラスで有名になった今やシーラーズ一押しの大人気スポットである。 -
この連続ステンドグラスは中庭の西側に建っているため太陽光が正面から射し込んでくるのは朝の時間帯。
-
ガラスを透過した朝の光がこんな風に絨毯を染め上げる。
-
絨毯だけじゃない。
人も染め上げる。 -
いやあ、惚れ惚れする光の乱舞。
今まで世界に名前が知れ渡るキリスト教大聖堂のステンドグラスをいくつか見てきたが。
ホントここに来れてよかった。太陽が射す光の角度は刻々と動いている。一秒たりとも目を離すことが惜しい、そんな貴重な時間帯である。 -
私がこのモスクを訪れたのは朝8時過ぎ。その時点でモスクの入口には既に来訪者の靴が30足ほど。皆この時間帯を逃すまいと一番乗りを目指してやって来ていた。
写真に収める場所を確保するのに一苦労、人の来訪は途絶えることはなく、カラダを張って何とか数カット撮影することができた。それで大満足である。
シーラーズを訪れた観光客はリアルに朝寝坊してはいけない。一生の悔いを残すことになっちゃう。これは鉄則ですよ。 -
しばしピンクモスクのステンドグラスショーに溜息を漏らした後はクルアンゲートに行ってみる。北部方面からシーラーズ入りする時に必ず通る場所だ。
-
ここはチャイハネもある静かな市民憩いの場。最大の見どころは滝である笑!
乾いた大地の連続に見慣れた後、流れ落ちる天然の滝に遭遇するとこれがなかなか新鮮な驚き。大げさではなくホントです。 -
そんな場所だからいい齢をした大人も遊びに来ている。で日本人の私を見つけると、イラン人お約束の日本絶賛と質問攻め。結局フォトサービスをしないと話しが終わらないじゃないか?ねえ。
-
車道を挟んで反対側の山に登ってみると先ほどの滝が全体で見える。よくこんな乾燥地帯に地下水が溜まっているもんだ、と自然の力にちょびっと感動。
このミネラルウオーターを商品化すれば売れますよ。 -
荒々しいイランの大地って実は写真映えするってことに気がついた。
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これがイランが世界に誇る観光都市シーラーズの全景ビュー。右端は高級ホテルのグランドホテルシーラーズだそうで。
-
滞在時間もあとわずか。街中に戻るとまたもやこんな素敵なウォールアート。いったい誰が?と思うがイラン人に絵心があるのは間違いない。
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このタッチの絵も至るところに。
これは殉教者を慰さめる絵と見たが私たちがイメージするイランらしさだ。 -
ところでこの看板を見落とさなかった私はエラい。イランの方々もフツーに駄洒落がお好きなようです。ナイス。
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シーラーズで最後の食事はこのお店。ちっちゃいけれどセンスがあって家庭的。きっと人気店だ。
-
厨房ではおばちゃんがチャキチャキと料理を仕上げていく。
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料理名?忘れた。瞬間で覚えて次の日に忘れることが最近多発。猛省。
だがベッタベタの地元料理だったことは間違いない。おばちゃん、ありがとう。 -
シーラーズに別れを告げ空路首都テヘランへ戻る。
今旅最後の一日はテヘラン市内観光。
やっぱりこれは見ておきたい。テヘランのランドマーク、アーザーディタワー。ペルシャ建国2500年の記念碑だ。力強いデザインでいいシンボルだと思う。
で、このタワー、言わばテヘラン表の顔。
表があれば裏もあるのが世界の常だ。 -
テヘラン裏の顔。
私が以前からどうしても見たかった場所がここである。新市街の一角にある高い鉄格子に囲われた人の気配が皆無の広い敷地。 -
お察しの通りアメリカ大使館である。
表側に回ると管理さえ放置されたかのようにそのままにある大使館建屋が鉄柵の合間から丸見えであった。これにはビックリ。 -
前庭にはご覧の米国に捧げるアート作品が並んでいた。
イランとの長年の断絶状態に終止符を打ち歩み寄りに舵を切った前大統領の風刺画にはいくらかの手加減?を感じるんだがどうですか?因みに現職大統領の風刺画新作はまだなかった。最新の言動次第によっては新作が登場する日も近いかもしれない。 -
テヘラン市民は今さら何の感慨も抱かず通り過ぎているようだが、じゃあなんで無用の長物を40年近くも取り壊さないのか、それが不思議。
ひょっとしたら取り壊さないで残しておくことにイラン政府の米国への無言のメッセージがあるのかもしれない。うん、おそらく私の推察は当たっている。 -
米国大使館の近くの路上で。
小さな鉢植えの花が売られていた。それを品定めする女性。日本と何ら変わりのない街中の風景。イランは平和である。
そしてこの場所でも私はイラン人男性に捕まった。ダルビッシュ知ってるよ~(彼はイランハーフ)とか、どうして日本はあんなに成功したんだ、イランにも何かアイデアを教えてくれ、とかね。嬉しいけれど回答に困りましたよ私は。まあ、お前は忍者か?って聞かれることは一度もなかったからヨシとする。 -
イラン考古学博物館に寄ってみる。
さすがは建国2500年の国、ペルシャの歴史を伝える展示物は見応え満点。 -
3世紀のミイラ。名前はソルトマン。
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ギリシャ神話の酒神バッカス。
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3頭のライオン。
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ペルセポリスからは属国使者の謁見の図レリーフ。
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世界遺産チョガー・ザンビールから出土した牡牛像。これ、紀元前11世紀とかの時代だそうで。我が日本、その頃は影も形も残っていない。
-
博物館からバザール方面へ歩いて行く途中に見つけた建物。これまでどの国でも見たことがない様式であった。
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とんでもなく大きなテヘランのバザールの中でこんな店があった。オーダーメイドの服を裁縫する仕立て屋だと思う。
間口奥行き、たったこれだけで営業。1坪未満の営業店ってペルシャの市場はたくましい。 -
そろそろホテルに戻って荷物をピックアップ、空港に向かう時間が迫ってきた。
ホテルへの帰り道に発見したのが老舗感たっぷりのこのカフェ。入った瞬間にいい店オーラが充満していることがわかる、そういうカフェである。 -
旅先でケーキを食べることはほとんどない私。だがこのカフェでは迷わずケーキが食べたくなった。ウィーンの超がつく老舗、カフェザッハーでザッハートルテを食べて以来だったかも知れない。これもイラン旅行の記憶に残る味だった。
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2017年真夏のイラン遠征は大きなトラブルもなくこうして終了、無事帰国となった。
そしてこの旅のオマケは数えて100番目の世界遺産到達。記念すべき私の世界遺産ナンバー100はテヘランのゴレスターン宮殿となった。ちょっと、いやかなり地味な世界遺産だが私らしい巡り合わせで本人納得。この場でゴレスターン宮殿に御礼を言いたい。
ヘイリーマムヌーン!
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