2017/08/07 - 2017/08/09
48位(同エリア271件中)
ねいちゃさん
孫旅最終日、早朝。
しばし家族の皆さんと別れて、城崎温泉の外湯「鴻の湯」をたった一人で楽しみます。
孫とどっぷりと過ごすのもいいんですが、わずかな時間でも一人の時間も大切に。
気分よく、朝食を済ませて、今日は朝来の竹田城に行くつもり。
孫は山登りはまだまだ無理なので、ここはヨメと二人の別行動。
竹田城へは一度見ておきたかったので、この機会を利用させてもらいました。
孫ほったらかしだったので、最後の最後で孫孝行。
今年の旅もこんな感じで終わります。
旅程
2017/08/07 京都→宮津→天橋立
2017/08/08 天橋立→伊根町→城崎温泉
2017/08/09 城崎→竹田→京都・鉄道博物館
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 4.0
- 同行者
- 乳幼児連れ家族旅行
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
8月9日朝、旅館の内湯は手狭なので
お散歩がてら外湯「鴻の湯」さんへ。
「からんころん」と下駄の音を響かせて・・・
おや?こんなところに木戸松菊公の石碑が・・・。城崎温泉 美術と歴史の宿 つたや旅館 宿・ホテル
-
「松菊」って誰?
とお思いの方もおられると思いますので
ここは丁寧に、桂小五郎=木戸孝允は御存じですよね。
その方の「号」が松菊、桂小五郎のことなんです。 -
その木戸孝允の遺構がなんでまた城崎に?
う~んとね、「蛤御門の変」ってご存知ですか?別名「禁門の変」。
尊王攘夷派の長州藩が、形勢不利の中、一発逆転を狙って
天皇奪取計画を実行に移そうとし、薩摩・会津に阻止された事件。 -
尊王攘夷なのに、天皇を力づくで奪おうという、天皇を全く重んじていない長州藩。
あろうことか、皇居に対して砲撃を加えるという暴挙。
長州藩の尊王攘夷というのはこの程度の代物で、
成功するはずもなく、天皇に弓引く行為は当然「朝敵」となります。
で、桂小五郎が身を隠すために潜伏したのが但馬の出石。 -
出石・・・だんだん近づいてきましたね。
その出石も追手の追及が激しく、
ついで身を隠したのが城崎の「つたや」さんで
当時は「松本屋」といったらしいです。
その痕跡がこの石碑なのですねぇ。 -
お話には続きがあって・・・
ここにはタキという娘さんがいて、
色々世話をしてくれたらしいですが、
「逃げの小五郎」は「女癖のタチの悪い小五郎」でもあったんで、
娘タキは・・・やられっちゃったんですよねぇ。
小五郎はとっくに別んトコ逃げてしまってます。
しゃーない奴でしょう、これが維新三傑の一人です。城崎温泉ロープウェイ 乗り物
-
思わず、桂小五郎を語ってしまいました。
そうこうするうちに「鴻の湯」さんに到着です。
朝早めなのに、結構人がおられます。
涼しい朝の中の露天風呂は気持ちよかったですよ。鴻の湯 温泉
-
城崎で一番古いのが「鴻の湯」さんだそうで、
何でも舒明天皇の御代と言いますから、飛鳥時代。
随分古いトコ攻めてきてます。
コウノトリが足の傷を癒したことから発見されたといういわれがあるそうな。 -
動物が傷を癒やす温泉って伝承、どこにでもありますが・・・
飛鳥時代、誰が見て、どうやって記録を残したんでしょうかねぇ。
そっちの方が気になって仕方ないです。
まんだら湯
今日は定休日だったので行けなかった外湯さん。
ココも古いですよ、奈良時代創建。
えらいお坊さんが病人を救うため祈願をしたら沸いたという温泉。
あ、だから「まんだら=曼荼羅」なのね。まんだら湯 温泉
-
ちなみに「曼荼羅」の「荼」は「茶」ではないんですよ、知ってました?
写真は「ポケットジオパーク」
玄武岩や溶岩石で造られている公園で、
旧御所の湯で使われていた地元の石をそのまま石垣にしています。 -
志賀直哉ゆかりの三木屋さん。
有名な「城の崎にて」はここで生まれました。
山手線にひかれ大怪我をした志賀直哉が湯治に使った旅館。
蜂・ネズミ・イモリの生き物の死を自らの体験と結びつけた作品が「城の崎にて」。
短い作品なので読んだことはありますが、う~んちょっと微妙な作品でしたね。国登録有形文化財の宿 三木屋 宿・ホテル
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それより、三木屋って、秀吉の三木攻めに縁があるということに驚きました。
「三木の干殺し」・・・秀吉って力攻めは愚の骨頂と思っていて
もっぱら兵糧攻めを行うんですけど、これってすごい残酷な戦いだと思いません?
落城した三木城の城兵の子孫が逃れて、元禄年間に創業した旅館。
自らの出身を偲んで「三木屋」と名付けられたそうです。 -
とか何とか言ってるうちに「喜楽」まで戻ってきました。
朝に外湯に浸かるというのはいいもんですね~。
目も覚めたことだし、さぁメシだ、メシだ!城崎温泉 喜楽 宿・ホテル
-
さぁ朝食です。
坊主も朝風呂無理やりつけられて、さっぱりとしたご様子。
日本旅館の朝飯というのは、ホント豪勢なものです。 -
朝からこんなにたくさん食べられないんですけどね。
それでもいつもよりも、多く食することができます。 -
昨晩は縁日が出ていた神社。
その名残の提灯が朝の陽をうけて・・・。
ここ城崎では夏休み中はほぼ毎晩縁日なんですけど。 -
外湯「御所の湯」
城崎について、真っ先に飛び込んだ外湯さん。
立派な建物で、御所の名に恥じない風格を漂わせています。御所の湯 温泉
-
唐破風を正面にもつ立派な外観。
でも2005年オープンだそうで、城崎では逆に一番新しい外湯。
ギャップが色々と面白い。
滝になってる露天風呂があったり、温泉ミストサウナがあったり、
かなり楽しめますよ。
それに、何でも「美人の湯」というのが別名らしいです。 -
この頃どこいってもそうなんだけど、ここも欧州系の外国人がおられました。
外国の方は、人前で裸になる銭湯とかはお嫌いだと聞いてたんですが
そうでもないんですかね?
日本に来られる以上一定覚悟されているのか、私の情報がステレオタイプ的すぎるのか、でもご夫婦で楽しんでおられましたね。 -
さぁ、風呂も入ったし、メシも喰ったし・・・。
そろそろ最終日の観光に出かけましょうね。
二人旅だと、早朝から貪欲に巡りまくりなんですけども
孫旅ではそういうわけにもいきませんから
ここはゆっくりとご出発。 -
もう一回お隣の三木屋さんに。
26号室を愛されていた志賀直哉先生にもお別れを言って
(どこが26号室かは存じ上げませんが)・・・いざ出陣。 -
綺麗な景色ですねぇ、よく晴れてくれてます。
台風はすっかり跡形もなく・・・。
今日の予定は、年寄二人を竹田城前の山城の郷で降ろし、
若夫婦は坊主とともにお土産物屋めぐりで待機してもらいます。
こんな機会でもなければ寄ることもなかったであろう竹田城に
私らは登る計画を立てました。 -
この8月に「東洋のマチュピチュ」と呼ばれた別子銅山の東平に行ったばかりで、
この竹田城も「日本のマチュピチュ」で、かなり有名。
強く意識していたわけではないのですが、
この「マチュピチュ」つながりは、大変面白かったです。竹田城跡 名所・史跡
-
例によって、グーグルマップから空撮写真をいただいております。
完璧な山城ですね。形がちょうど手裏剣のようで・・・
今風に言えば「ハンドスピナー」のような形に郭が作られてます。 -
竹田城には自家用車では登れません。
「山城の郷駐車場」で車を止めて、そこから「天空バス」にのって
一方通行の山道をすすむことになっています。
ただバスの時間がね~、私らが着いた時は2時間待ちだったので
タクシーで行かざるを得ませんでした。 -
入場料を払って山道に入りしばらく進むと
堅牢な石垣が見えてきます。
真夏だけど、思い切り汗をかくこともなく、
結構ラクに到着した感があります。
多少テンション上がってるんでしょうかね。 -
付け根の部分に天守台があって、
そこを中心に3方向に延びる郭は、北千畳・南千畳・花屋敷と呼ばれていて、
標高がすべて330m前後にそろえられているそうです。
計算された築城術で、バランスよく美しく建築物が配されています。 -
イチオシ
そろそろ竹田城の沿革、語ってもいいですか?(笑)
竹田城HP
http://www.city.asago.hyogo.jp/takeda/ -
「あかん」と言われても語るんですけど。
竹田城の別名は虎臥城[とらふすじょう・こがじょう]と言います。
これは縄張りが虎が臥せているように見えることかららしいですが、よくわかりません。またの名を安井之城とも。 -
有名なのは「天空の城」かも。
山頂に位置し、しばしば円山川の川霧により霞むことからそのように呼ばれ、「日本のマチュピチュ」とも呼ばれます。
雲海に浮かび上がる古城の累々たる石垣群の威容は、名物ともなっています。 -
標高353.7mの古城山(虎臥山)の山頂に築かれており、
廃城から400年も経つものの、石垣はほぼ往時のまま、
現存する山城として日本屈指の規模で、今も多くの観光客が訪れています。 -
室町期の中世の城なんですが、戦国期の城のような「桝形虎口」が
しっかりと大手門に造られています。
山頂・石垣・虎口など堅牢な城だったようですね。 -
今でこそ有名な竹田城なのですが、その築城についてはよくわかっていません。
記録としては江戸末期の「和田上道氏日記」しかなく、
嘉吉年間に「安井ノ城」が築かれたと記されるのみとなっています。 -
他の伝承によれば、嘉吉三年山名持豊によって築かれ、太田垣光景が初代城主に任じられたというのもあります。
「嘉吉=かきつ」という元号は、日本史的にはかなり知られている元号で、
6代将軍足利義教[あしかがよしのり]が、播磨守護赤松満祐[あかまつみつすけ]に謀殺された「嘉吉の乱」がおこったことで有名なのです。 -
この嘉吉の乱の首謀者赤松満祐は、とても背が低く将軍義教に
いつも「三尺入道」とバカにされていたそうです。
一尺は約30.3cmなので、その三倍だと91cm。
中世でもさすがにそんな背の低い人はいないでしょうから、
これは「やーい、○ビ」みたいな感じでしょうか。 -
そういう個人的な恨みだけではないでしょうが、
将軍との関係はあまりうまくいってなかったのは確かなようです。
また、この将軍、成り手がいなくて「くじ引き」で選ばれたことも有名です。 -
江戸時代には「いなかにも京にも御所の絶え果てて公方にことを嘉吉元年」という狂歌が歌われたりしました。
意味は「鎌倉公方足利持氏が殺されたかと思ったら、今度は京の御所義教が謀殺される。まさに年号通り、公方を「事欠く」、「嘉吉=欠きつ」元年であるなぁ。」となります。
嘉吉元年は西暦では1441年。 -
将軍を殺された室町幕府は、当然赤松満祐を追討することになりますが、
その赤松追討軍として派遣されたのが、山名持豊で、この人もまた有名なお方。
京都人が先の大戦と呼ぶ「応仁の乱」←ほんとはいいませんけども。
その西軍の総大将が山名持豊=山名宗全。
彼が陣をはった場所が「西陣」、西陣織でまた有名ですね。 -
で、山名持豊軍は丹波より生野から播磨に入国し、城山城にいた赤松満祐を滅ぼすことに成功します。
そして、その恩賞として幕府から播磨の守護に任じられ、太田垣氏を守護代として赤松氏の掃討戦を実施していったようです。
その際の拠点がこの竹田城で、伝承と何ら矛盾はないと思われます。 -
イチオシ
赤松氏はその後たびたび山名氏に反旗を翻しますが、ことごとく退けられます。
1467年「応仁の乱」を迎えると、今度は細川氏と山名氏の対立が激しくなります。
その後も混乱は続き、赤松氏や山名氏はこの地で抗争しつづけ室町期は終わりを告げます。 -
戦国期になると、播磨は毛利氏と織田氏の争奪の場となります。
山名氏やその重臣太田垣氏は、双方に微妙な距離を保ちつつ、
つかず離れずうまく立ち回っております。
大国に挟まれた小勢力の悲哀といったところでしょうか。 -
やがて播磨に織田氏の重臣、羽柴秀吉が派遣されます。
秀吉は黒田孝高(官兵衛)から姫路城を譲り受け、
ひと月で播磨の諸将から人質をとり帰服させることに成功します。 -
その後羽柴軍は二手に分かれ、秀吉率いる本隊は西の上月城を攻城、
別の一隊は秀吉の弟羽柴秀長が3000兵を率いて北方の但馬に進軍してゆきます。
秀長の狙いは二つあって、但馬の毛利になびく諸将の討伐と生野銀山確保だと
史料は伝えてくれています。
竹田城はその生野銀山を管轄する城で、秀長軍の第一目標となったようです。 -
「武功夜話」によると、立てこもる太田垣土佐守が寄せ来る秀長軍に岩石を投げ落とし抵抗を見せたが、秀長軍は300丁の鉄砲をあびせ、太田垣軍はたまらず城を開け放ち退却したと記します。
ただ、この「武功夜話」、すこぶる史料的価値の低い・・・「偽書」という意見も見られるもので、この戦闘シーンも信ぴょう性が低いと考えられています。 -
これに対し、織田信長の一級資料「信長公記」は信ぴょう性が高いので有名。
それによれば、「小田垣楯籠る竹田へ取懸り、是又退散、則、普請申付け、木下小一郎城代として入れ置かれ候キ」と記しています。
小田垣は太田垣、木下小一郎は羽柴秀長ですから、竹田城攻略後、秀長が城代になったことがわかります。 -
その後、小さな興亡が見られるものの、
山名氏と太田垣氏の竹田城支配は完全に終焉します。
当初、秀吉は秀長の武将の桑山重晴を城主に命じましたが、
秀吉に投降した赤松広秀が竹田城の城主となりました。 -
この赤松広秀が、今日見られる現在の竹田城の形を造ります。
しかし、関ヶ原の戦いで西軍だった赤松広秀は一時投降するも、
最終的には家康の怒りをかって切腹に追い込まれています。 -
イチオシ
その後、江戸幕府の「一国一城令」によって、竹田城は廃城となります。
以後400年に渡って、人の手が加わっていないということで
今見る姿となって残ってくれたんでしょうね。
これを僥倖というのでしょうねぇ。 -
さっきからずっと語ってばかりでじっくりお城をみてませんでしたねぇ。
この石垣の積み方は「穴太積み[あのうづみ]」と呼ばれる工法。
滋賀県坂本の穴太衆の技術です。
竹田城と安土城の石垣の積み方が酷似しているそうで
織田政権下のお城であることは間違いありませんね。 -
「二の丸」少しずつ天守台に近づいてきています。
1970年に入って竹田城では石垣復元工事に着手され、1980年に完了しました。
それ以降、美しい外観から多くの映画のロケ地にもなりはじめていきます。 -
この写真はネットで見つけたもので、問題があれば削除します。
1989年、映画「天と地と」でロケ地になっています。
上杉氏の春日山城は、竹田城の石垣にセットが組まれて再現されたそうです。
でもこれって遺跡保護の観点からみていいんでしょうかねぇ。
今なら多分許可は下りなかったと思うんですよね。 -
ね!思いきりやっちゃってますよね~。
いくら張りぼてだったとしても、絶対あかんやんねぇ、こんなん。
こういうのをたぶん「暴挙」と呼ぶのだと思います。
文化庁は許可してますが、角川の金に負けたのかもね。 -
2006年、日本100名城に選定されたことで一気に知名度が上がり、雲海の画像などがあちこちで見られるようになりました。
-
2012年には高倉健主演映画『あなたへ』のロケ地となり、
妻となる田中裕子がここで宮沢賢治の「星めぐりの歌」を歌うシーンが撮られます。
そして最後には「天空の城」の情景が映し出されたことから、
飛躍的に来客数が増大していきました。 -
来客数は2005年には3万人だったのが、2012年には24万人弱、2013年には約60万人に達します。
人が増えると困った問題がまた増えてくるのも「常」。
石垣崩落の危機や迷惑駐車の増加、遺跡整備費用の増大・・・。 -
写真は天守台です。
この石垣の積み方、さっきの「穴太積み」と違うのがわかりますか?
これが「算木積み[さんきづみ]」という工法で、
石垣の出角部分の強度を高めるために、
長方体の石の長辺と短辺を交互に組み合わせる方法がとられています。 -
竹田城では石垣の他、多くの瓦も出土しています。
但馬の山城では瓦の出土は多くないそうです。
その瓦の中で「高麗瓦」というものが1点出土しているのですが、
これが朝鮮半島の造瓦技術なんだそうで・・・。 -
なんでこれが注目されるかというと、
この技術、秀吉の朝鮮侵略によってもたらされたものだからなんです。
考古学的にも「近世の城」を色濃く伝えてくれるのが竹田城なんですね。
こういう紙ベースの史料や考古学的遺物が
歴史の行間を埋めてくれているというのが私的には大好物になっています。 -
「天守台」、階段がつけられています。
ということは、この天守台には登り口がないことがわかりますね。
武士のみなさん、どうやって天守に入ればいいんでしょう? -
イチオシ
附け櫓と連結されていたのか、本丸から橋が掛けられていたのか、
これも色々と想像してみるのも楽しいです。
よく復元天守ってあるんだけど、石垣だけは味気ない気もするんだけど
石垣だけしかないからこそ、想像がうまれることもあるんです。 -
台風が嘘みたいな好天になりましたねぇ。
かなり汗だくにはなりましたが、風が心地よいです。
通路が少し黒っぽいのがわかりますか?
地面保護マットが敷かれていて、土砂流出を防いでいるんです。 -
景色がいいので、おきまりのなんちゃってパノラマ~。
-
イチオシ
広角レンズに変えてみました。
一度に情報量が増えてきますねぇ。 -
こちら側は「花屋敷」方面。
-
こちら側は「南千畳」。
遠くに一本の松の木が見えてますが、枯れちゃっているんです。 -
で、こっちが「北千畳」方面。
天守台は標高351mで、3方面の郭よりも約20mほど高くなっています。
ここに何層かわかりませんが天守閣があったとすると、眺めはよかったでしょうね。 -
天守台は歪みがあるものの、だいだい10~12m四方なので
二・三層の櫓だったと思うのですが、それでも眺めはよかったはず。 -
本丸を下ったところの「平殿」。
-
正面は南二の丸に向かう通路ですが、
直線ではなく大きく屈曲しています。 -
イチオシ
南千畳まで降りてくると、天守台との標高差20mがよくわかります。
それにしても、空がきれいなこと! -
「南二の丸」少し高台になっています。
山頂とはいえ、広めの空間ですね。
往時はどんな建物がたっていたんでしょうか。 -
イチオシ
振り返ると本丸・天守台の石垣が綺麗に目に飛び込んできます。
表紙はこの写真と迷ったんですよね。
いい写真でしょ。 -
「正門」
竹田城では観光客の通行をスムーズに行うために「一方通行」となっています。
観光客は「大手門」から入城し、「北千畳」を経て
「本丸」「天守台」と進み、「「正門」から「南千畳」に抜けることになります。 -
イチオシ
ここが竹田城の正面玄関になるわけですね。
この幅から考えて、立派な御門があったんでしょう。
それも漆喰の白壁とかではなく、弓矢構える武士が常駐しているような
足場を組んだ木の門というイメージ。 -
枯れた松がよく見えますね。樹齢100年だそうです。
この時はまだ立っていますが、今はもうないんですよ。
2018年1月16日に伐採され、その材でバイオリンが造られる予定なんだそうです。
その時のニュースはこちら
https://www.asahi.com/articles/ASL1H5RHML1HPIHB024.html -
イチオシ
またぞろ広角で遊んで見ました。
暑い炎天下の中、レンズ入れ替えて何してるんでしょうか。
でもこの空を見ると撮ってよかったと思えるんですよね。 -
また遊んでいます。
色変えるのたぶん好きかも。(笑) -
竹田城は季節によって入城できる時間が異なります。
(春)スプリングシーズン 3月1日~ 5月31日
午前8時~午後6時(最終登城 午後5時30分)
(夏)サマーシーズン 6月1日~ 8月31日
午前6時~午後6時(最終登城 午後5時30分)
(秋)雲海シーズン 9月1日~11月30日
午前4時~午後5時(最終登城 午後4時30分)
(冬)ウィンターシーズン 12月1日~翌年1月3日
午前10時~午後2時(最終登城 午後1時)
なお、1月4日~2月末は、竹田城跡への入城はできないそうです。 -
他にも時間延長とか、イベントとかもあるので
正確な情報は公式HPでご確認ください。
国史跡「竹田城跡」公式HP
http://www.city.asago.hyogo.jp/takeda/index.html -
さぁ、孫たちが待っているので下山しましょう。
本場の「マチュピチュ」とは比べるまでもないですが、
その感性は何となく通ずるものがあるのは確かです。
結論から言えば、行けてよかったですね。楽しかった! -
最後にネットから拾ってきた、有名な竹田城と雲海のシーン。
雲海の写真は、立雲峡という展望スポットから撮られています。
専用駐車場などもあるそうですが、詳しい情報はわかりません。
行かれる方はご自分でお調べくださいね。 -
パンフの画像。
雲海は自然現象なので、当然いつも見られるわけではありません。
9月~11月で、明け方から午前8時頃までが
一番観やすいとHPには書かれていました。 -
竹田城址大手門[復元]
この辺りに駐車場があり、ツアーなどではここまで登ってこれるようです。
また、登城口最後の売店もあるので、炎天下ではここで水なども購入できます。 -
駐車場奥には、竹田城の争奪戦を繰り広げた
赤松・山名両氏の供養塔がありました。
近くまで行って詳しく見たかったんですけど、
下山後で結構クタクタになっていて、
そんなパワーは残念ながら残っていませんでした。
ホント、真夏旅はもうひと頑張りがなかなかできなくて、
行ける場所が限られてしまうのがネックです。 -
突然の機関車に驚かれましたぁ?
いやね、自分らの興味関心ばかりを追いかけてしまっていたので、
坊主が楽しめる場所をと、オプションをご用意。
自宅に戻る前に、罪滅ぼしに京都の鉄道博物館へ。京都鉄道博物館 美術館・博物館
-
まぁ年寄の二人旅ではないので、何かと気も使うわけで。
坊主を楽しませるのもジィジの喜びですからね~。
とか何とかいいながら、秘かにここは一度見てみたかったんですけれども。 -
多くの列車にちょっとご満悦の坊主です。
手にはしっかりおもちゃの車を握ってます。 -
新幹線0系の運転席
こうしてみると、昔の運転席ってすごくアナログだったんですね~。
今の車の運転席ですら、こんなもんじゃないですもん。 -
1964年(昭和39年)の東海道新幹線開業用に開発された、
初代の営業用新幹線電車。
「夢の超特急ひかり号」って、懐かしいフレーズだわ。 -
東海道・山陽新幹線用として足かけ44年にわたって運用されました。
2008年(平成20年)11月30日に定期営業運転を終了。
今はこうして引退後の余生を博物館で過ごされておられます。 -
イチオシ
この子は自分で操作したり運転したりするのが、すごく好きな子。
こういう施設ではとても楽しそうに遊んでくれます。 -
500系新幹線
521形制御電動車1号車 1996年、川崎重工業製。
500系新幹線電車W1編成の博多方先頭車。
廃車後、博多総合車両所で保管されていた車両で、後述の100系とともに博多総合車両所からこの博物館に収蔵された。
2018年2月24日から5月7日までは「500 TYPE EVA」仕様のラッピングが施されている。
京都鉄道博物館 ウィキペディアより -
京都鉄道博物館
交通科学博物館と梅小路蒸気機関車館の収蔵物をあつめて
梅小路蒸気機関車館のリニューアルに伴い、
2016年4月29日にグランドオープンしました。
ずっと行きたいと思っておりましたが、
今回よい機会に恵まれました。孫のおかげです。(笑) -
入館料金は一般 個人 1,200円 / 団体 960円
大学生・高校生 個人 1,000円 / 団体 800円
中学生・小学生 個人 500円 / 団体 400円
幼児(3歳以上) 個人 200円 / 団体 100円 (2018年3月現在) -
開館時間は、10時 - 17時30分(入館時間は17時まで)
休館日は毎週水曜日および年末年始(12/30~1/1)
ただし、春休み・夏休み期間中は開館。 -
ジオラマコーナーあり、運転シュミレーターあり、ATS・ATC体験あり
の楽しい施設ですが、休み期間中は1時間待ちはザラだそうです。
坊主はまだちっちゃいので、そういうのは無理なんだけど
小学生くらいになったらやりたがるだろうなぁ。 -
やっぱり、男の子だねぇ。
なぁ、そろそろお腹減ってきたから帰らない?
ラーメン屋いこうよ! -
最後はプラレールで・・・って、これやったらじぃじとこでできるやん!
こんな感じで坊主も満足してくれたようで、今回の孫旅は終了します。
台風にあったり毎回一筋縄ではいかない旅行ですが、
孫の成長を眺めながらの旅・・・さぁ今年はどこいこう?
ご覧くださったみなさま
今回もお付き合いくださりありがとうございました。
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この旅行記へのコメント (1)
-
- うふふ♪♪さん 2019/01/03 23:29:11
- 初めまして! うふふ♪♪と申します!
- ねいちゃさま☆
初めまして! うふふ♪♪と申します!
今頃で・・ホント今頃で、きっともうお忘れではないかと思うのですが・・💧💧、
うふふ♪♪の京都食い意地紀行3に、
ご訪問と投票をありがとうございます!
お礼が今頃で、本当にごめんなさい💦💦
病弱なもので、なかなか皆さんのページに伺えないもので・・
そんな訳で御礼が遅くなりました💦💦
城崎に行かれたのですネ!
うふふ♪♪の初旅行記も城崎でした!
しかし・・
御所の湯や三木屋さんはじめ、お写真がとても美しく、
構図も見事で、恥ずかしくなってしまいました💦💦
武田城址にも行かれたのですネ!
うふふ♪♪も行きたかったのですが、電車では、なかなか・・
いつか行ってみたくあります。
素敵な旅行記をどうもありがとうございます。
ねいちゃさんにとって、
この1年が、明るく朗らかな楽しいものとなりますように!
うふふ♪♪
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