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観光の前半であった三内丸山遺跡の見学を終えて、「ねぶた」見物に向かいます。<br /><br />春先に夏のクルーズプランが発表されますと、阿波踊りや熊野の花火に加えて東北の祭りや花火が、必ずクルーズコースに組み込まれています。パンフレットなどを見れば、「ねぶた祭り」の写真なども載っていたりしますから、「東北祭り&火祭りクルーズ」なんて言う感じですね。<br /><br />そんなわけで、「ねぶた」は一度見たいと強く思っていたのです(阿波踊りも是非見たいです)。ですから、「ねぶたの家」を見物出来るというのは、知らないところを「何だろう」と思いながら訪ねるのとは違って、「実物が見られる!!」という期待感があったのです。<br /><br />「ねぶた」の実物を見ることが出来るだけでも大満足!!<br />そんな思いで、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に向かったのでした。

日本一周春色クルーズ・(その8)青森(ねぶたの家 ワ・ラッセ)

33いいね!

2017/04/28 - 2017/04/28

337位(同エリア1493件中)

4

68

カメちゃん

カメちゃんさん

観光の前半であった三内丸山遺跡の見学を終えて、「ねぶた」見物に向かいます。

春先に夏のクルーズプランが発表されますと、阿波踊りや熊野の花火に加えて東北の祭りや花火が、必ずクルーズコースに組み込まれています。パンフレットなどを見れば、「ねぶた祭り」の写真なども載っていたりしますから、「東北祭り&火祭りクルーズ」なんて言う感じですね。

そんなわけで、「ねぶた」は一度見たいと強く思っていたのです(阿波踊りも是非見たいです)。ですから、「ねぶたの家」を見物出来るというのは、知らないところを「何だろう」と思いながら訪ねるのとは違って、「実物が見られる!!」という期待感があったのです。

「ねぶた」の実物を見ることが出来るだけでも大満足!!
そんな思いで、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に向かったのでした。

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
交通
5.0
同行者
友人
交通手段
観光バス
旅行の手配内容
ツアー(添乗員同行あり)

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  • バスを降りて、「ねぶた」の家の方へ移動する途中、倉庫か工場のような建物が見えて来ました。<br />港があれば、倉庫か工場があるのは当然のこと。青森が活発な都市であることの証拠ですね。

    バスを降りて、「ねぶた」の家の方へ移動する途中、倉庫か工場のような建物が見えて来ました。
    港があれば、倉庫か工場があるのは当然のこと。青森が活発な都市であることの証拠ですね。

  • なんとなくですけど、この建物に向かっているような気がしてきました。<br /><br />この外装は、どういう意味なのでしょうかね。<br />東京の新宿には、ゴジラがビルの屋上から道行く市民を見下ろしているけど、ここには「ねぶた」の姿をどこかに飾ったら?と思います。

    なんとなくですけど、この建物に向かっているような気がしてきました。

    この外装は、どういう意味なのでしょうかね。
    東京の新宿には、ゴジラがビルの屋上から道行く市民を見下ろしているけど、ここには「ねぶた」の姿をどこかに飾ったら?と思います。

  • 上の写真でも見えていた図です。<br /><br />先ほどの建物は、「FACTORY」となっていますから、やっぱり工場でした。何の工場か? そこまでは分かりませんけど、自動車工場ではなさそうだね。<br /><br />私たちが向かっている先は、まさにこの赤い建物・「ねぶたの家 ワ・ラッセ」だったのです。<br /><br />★「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AD%E3%81%B6%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%AE%B6_%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB

    上の写真でも見えていた図です。

    先ほどの建物は、「FACTORY」となっていますから、やっぱり工場でした。何の工場か? そこまでは分かりませんけど、自動車工場ではなさそうだね。

    私たちが向かっている先は、まさにこの赤い建物・「ねぶたの家 ワ・ラッセ」だったのです。

    ★「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AD%E3%81%B6%E3%81%9F%E3%81%AE%E5%AE%B6_%E3%83%AF%E3%83%BB%E3%83%A9%E3%83%83%E3%82%BB

  • 館内で最初に出会ったのが、これでした。<br /><br />「子もりうた」っていう主題の「ねぶた」のようです。フクロウの赤ちゃんに弁天様?が琵琶でも弾いて聞かせるのでしょうか? でも、お顔の表情がちょっとキツイね。<br /><br />調べてみますと、小学3年生の子が描いた下絵をもとに造ったそうです。この実物「ねぶた」を造る際には、下絵とは若干違っていると思いますけど。 それにしても、小学3年生の子が「こういう“ねぶた”が良いな」と、「ねぶた」の姿を想像しながら描いたなんて本当にスゴイですね。

    館内で最初に出会ったのが、これでした。

    「子もりうた」っていう主題の「ねぶた」のようです。フクロウの赤ちゃんに弁天様?が琵琶でも弾いて聞かせるのでしょうか? でも、お顔の表情がちょっとキツイね。

    調べてみますと、小学3年生の子が描いた下絵をもとに造ったそうです。この実物「ねぶた」を造る際には、下絵とは若干違っていると思いますけど。 それにしても、小学3年生の子が「こういう“ねぶた”が良いな」と、「ねぶた」の姿を想像しながら描いたなんて本当にスゴイですね。

  • こりゃまた、スゴイ形相だねぇ。<br />五穀豊穣を祈願しての「田村麻呂と鬼神様」という「ねぶた」さんですね。<br /><br />これはね、「全国小・中学生ねぶた下絵コンクール」の中学生の部で最優秀賞受賞作品になった下絵を基に造られたということらしいです。これでも「中型ねぶた」というのですから、本物はもっとスゴイよね。<br /><br />「全国小・中学生ねぶた下絵コンクール」という行事が行われているって、初めて知りました。それにしても、小学生や中学生がこのような「ねぶた」像の下絵を書き上げるなんて、本当にビックリですね!!その着想の素晴らしさ感服すると同時に、さぞかし素晴らしかったであろう下絵を見たかったですね。<br /><br />ところで田村麻呂さんって、坂上田村麻呂さんですね。<br />平安時代の武将で、日本で最初の征夷大将軍になった人です。歴史家の誰かが「日本最初の名将」と言っている人ですね。<br /><br />また、坂上田村麻呂さんは京都の清水寺とか富士山本宮浅間大社、塩竃神社なんかを建てたと言われている人のようです。 坂上田村麻呂さんは東北地方と縁が深いのです。ただし、彼自身は青森までは軍を進めていなかったようで、彼の後継者の文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)が青森まで攻め込んだようです。<br /><br />鬼神様がどういう人か?ちょっと分かりませんので、困っております(^O^)<br /><br />★坂上田村麻呂の詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%9D%91%E9%BA%BB%E5%91%82

    こりゃまた、スゴイ形相だねぇ。
    五穀豊穣を祈願しての「田村麻呂と鬼神様」という「ねぶた」さんですね。

    これはね、「全国小・中学生ねぶた下絵コンクール」の中学生の部で最優秀賞受賞作品になった下絵を基に造られたということらしいです。これでも「中型ねぶた」というのですから、本物はもっとスゴイよね。

    「全国小・中学生ねぶた下絵コンクール」という行事が行われているって、初めて知りました。それにしても、小学生や中学生がこのような「ねぶた」像の下絵を書き上げるなんて、本当にビックリですね!!その着想の素晴らしさ感服すると同時に、さぞかし素晴らしかったであろう下絵を見たかったですね。

    ところで田村麻呂さんって、坂上田村麻呂さんですね。
    平安時代の武将で、日本で最初の征夷大将軍になった人です。歴史家の誰かが「日本最初の名将」と言っている人ですね。

    また、坂上田村麻呂さんは京都の清水寺とか富士山本宮浅間大社、塩竃神社なんかを建てたと言われている人のようです。 坂上田村麻呂さんは東北地方と縁が深いのです。ただし、彼自身は青森までは軍を進めていなかったようで、彼の後継者の文室綿麻呂(ふんやのわたまろ)が青森まで攻め込んだようです。

    鬼神様がどういう人か?ちょっと分かりませんので、困っております(^O^)

    ★坂上田村麻呂の詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9D%82%E4%B8%8A%E7%94%B0%E6%9D%91%E9%BA%BB%E5%91%82

  • 「やたら跳ね やたらたたき<br />  やたら吹く所にネ ネブタがあるんだよ<br />      もう何もかも忘れて<br />        本当のね 北のね 火祭りをネ<br />          湧かさなくっちゃだめなんですよ」<br />                                  棟方志功<br /><br />棟方志功さんは、こんなに「ねぶた」のことがお好きだったんですね。「ねぶた」の祭りを湧かすのは、「ねぶた」に関わる全ての人々の熱気だよね!!<br /><br />★棟方志功の詳しいことは↓にて<br />https://www.google.co.jp/search?safe=active&amp;source=hp&amp;q=%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F&amp;oq=%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F&amp;gs_l=psy-ab.1.0.0l8.8530.8530.0.10045.4.2.0.0.0.0.131.246.0j2.2.0....0...1..64.psy-ab..2.2.246.6..35i39k1.bQ1eMiQEy2c

    「やたら跳ね やたらたたき
      やたら吹く所にネ ネブタがあるんだよ
    もう何もかも忘れて
    本当のね 北のね 火祭りをネ
    湧かさなくっちゃだめなんですよ」
    棟方志功

    棟方志功さんは、こんなに「ねぶた」のことがお好きだったんですね。「ねぶた」の祭りを湧かすのは、「ねぶた」に関わる全ての人々の熱気だよね!!

    ★棟方志功の詳しいことは↓にて
    https://www.google.co.jp/search?safe=active&source=hp&q=%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F&oq=%E6%A3%9F%E6%96%B9%E5%BF%97%E5%8A%9F&gs_l=psy-ab.1.0.0l8.8530.8530.0.10045.4.2.0.0.0.0.131.246.0j2.2.0....0...1..64.psy-ab..2.2.246.6..35i39k1.bQ1eMiQEy2c

  • 玄関ホールから「ねぶた」の展示場へ行くには、このようなトンネルを抜けていきます。<br />でも、何もないトンネルではなくて、両側にには「ねぶた」に関わる資料が表示または展示してありますよ。<br /><br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    玄関ホールから「ねぶた」の展示場へ行くには、このようなトンネルを抜けていきます。
    でも、何もないトンネルではなくて、両側にには「ねぶた」に関わる資料が表示または展示してありますよ。


    (Kさんご提供の写真です)

  • ここから、「青森ねぶた」の簡単な歴史をご紹介しましょう。<br /><br />先ずは黎明期です。<br />1626年、津軽藩主が、青森の街づくりを命じる。<br />1720年、5代藩主が弘前で眠流(ねぷたながし)を見る。<br />1730年、現在の青森市油川(新城川河口付近の左岸川)で「ねぶた」を出した。<br /><br />弘前の「ねぷた」が先輩だったのですね。<br />弘前は確かに良いところですからね。岩木山の東側に広がる津軽平野は今も多くの恵みをもたらしてくれていますね。<br /><br />「ねぷた」と「ねぶた」は、兄弟ですね。青森の「ねぶた」が始まってから、今年で287年と言うことになります。<br /><br />★弘前ネプタ祭りの詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E5%89%8D%E3%81%AD%E3%81%B7%E3%81%9F<br />★青森ねぶた祭りの詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%A3%AE%E3%81%AD%E3%81%B6%E3%81%9F

    ここから、「青森ねぶた」の簡単な歴史をご紹介しましょう。

    先ずは黎明期です。
    1626年、津軽藩主が、青森の街づくりを命じる。
    1720年、5代藩主が弘前で眠流(ねぷたながし)を見る。
    1730年、現在の青森市油川(新城川河口付近の左岸川)で「ねぶた」を出した。

    弘前の「ねぷた」が先輩だったのですね。
    弘前は確かに良いところですからね。岩木山の東側に広がる津軽平野は今も多くの恵みをもたらしてくれていますね。

    「ねぷた」と「ねぶた」は、兄弟ですね。青森の「ねぶた」が始まってから、今年で287年と言うことになります。

    ★弘前ネプタ祭りの詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BC%98%E5%89%8D%E3%81%AD%E3%81%B7%E3%81%9F
    ★青森ねぶた祭りの詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%A3%AE%E3%81%AD%E3%81%B6%E3%81%9F

  • 1800年代からです<br /><br />1840年代(天保年間)から1873年(明治15年)まで「ねぶた」が禁止され乍らも、人々は細々と「ねぶた」をやっていたのでしょうか? 明治15年になって、少しずつ許されるようになって来たのですね。<br /><br />天保年間以来の人々の「ねぶた」への拘りが、今日まで「ねぶた」を持続させる力になっていたのですね。

    1800年代からです

    1840年代(天保年間)から1873年(明治15年)まで「ねぶた」が禁止され乍らも、人々は細々と「ねぶた」をやっていたのでしょうか? 明治15年になって、少しずつ許されるようになって来たのですね。

    天保年間以来の人々の「ねぶた」への拘りが、今日まで「ねぶた」を持続させる力になっていたのですね。

  • 1930年頃からです。<br /><br />この時期は、一口に言えば戦争の時代でした。<br />「ねぶた」もその影響を受け、「ねぶた流し」の行われない年が増えたようです。社会が安定していること、このことは「ねぶた」にとっても大切な条件だったのですね。

    1930年頃からです。

    この時期は、一口に言えば戦争の時代でした。
    「ねぶた」もその影響を受け、「ねぶた流し」の行われない年が増えたようです。社会が安定していること、このことは「ねぶた」にとっても大切な条件だったのですね。

  • 戦後です。<br /><br />降伏の翌年には、二つの町で「ねぶた」が復活したのです。

    戦後です。

    降伏の翌年には、二つの町で「ねぶた」が復活したのです。

  • 復興と改革の時代・・<br /><br />エッ?復興?? 戦争の時、青森も攻撃されたの??<br />いや~、昭和20年7月28日~29日の青森大空襲のことは知りませんでしたよ(=_=) 青函航路のことは以前に書きましたけど、まさか、青森の港や街まで爆撃されるなんて(-_-;) それでも戦争を終わらせようとしなかった日本の姿に、改めて愕然としました。<br /><br />青森は戦後になって、復興に取り組んだのです。<br />街や港の再建に取り組み、「ねぶた」も復活させたんですね。青森市民の力強い姿を見る思いです!!<br /><br />★青森大空襲の詳しいことは↓にて ◆「青森空襲 写真」にても検索してみて下さいね<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%A3%AE%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2 

    復興と改革の時代・・

    エッ?復興?? 戦争の時、青森も攻撃されたの??
    いや~、昭和20年7月28日~29日の青森大空襲のことは知りませんでしたよ(=_=) 青函航路のことは以前に書きましたけど、まさか、青森の港や街まで爆撃されるなんて(-_-;) それでも戦争を終わらせようとしなかった日本の姿に、改めて愕然としました。

    青森は戦後になって、復興に取り組んだのです。
    街や港の再建に取り組み、「ねぶた」も復活させたんですね。青森市民の力強い姿を見る思いです!!

    ★青森大空襲の詳しいことは↓にて ◆「青森空襲 写真」にても検索してみて下さいね
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%9D%92%E6%A3%AE%E5%A4%A7%E7%A9%BA%E8%A5%B2 

  • 1960年代からです。<br /><br />「ねぶた」はどんどん発展していきます。<br />ツアーコースに選ばれたり、文化財に指定されたり、大阪万博に出演するなどして、1972年には「ねぶた」観客も200万人を突破しました。<br />1977年(昭和51年)には、フランスのニースにまで招待されたとか。世界からも注目されてきたのですね。

    1960年代からです。

    「ねぶた」はどんどん発展していきます。
    ツアーコースに選ばれたり、文化財に指定されたり、大阪万博に出演するなどして、1972年には「ねぶた」観客も200万人を突破しました。
    1977年(昭和51年)には、フランスのニースにまで招待されたとか。世界からも注目されてきたのですね。

  • 1962年には松竹歌劇団のハワイ公演に招待されて、海外でも公演するようになったんですね。1970年の大阪万博でも活躍し、他県から招待されることも。<br />1986年にイタリアのフィレンツェ遠征を果たし、2001年には大英博物館で、2007年にはロサンゼルスへ。<br /><br />日頃の頑張りがあればこその、大きな大きな成果だと思います。

    1962年には松竹歌劇団のハワイ公演に招待されて、海外でも公演するようになったんですね。1970年の大阪万博でも活躍し、他県から招待されることも。
    1986年にイタリアのフィレンツェ遠征を果たし、2001年には大英博物館で、2007年にはロサンゼルスへ。

    日頃の頑張りがあればこその、大きな大きな成果だと思います。

  • 「ねぶた」の作り手が、専門の「ねぶた師」からより多くの人々に広まるにつれて、作者による個性や手法の違いが多様化し、それが大きな魅力となってきたようです。<br />作者の違いによる華麗さ、迫力、表現力等、「ねぶた」に与えられる個性を競うようになり、作者同士の表現力を多様性が「ねぶた」の魅力を一層高めてきたとのことです。<br />素晴らしいことですね。<br /><br />ただ、作者同士の表現力の競演が、個性をより強調しようとして、ややもして「ねぶた」の形・姿が現代化したり欧米志向化したりして、本来の伝統的表現から外れることのないようにと、気になって仕方ないのです。

    「ねぶた」の作り手が、専門の「ねぶた師」からより多くの人々に広まるにつれて、作者による個性や手法の違いが多様化し、それが大きな魅力となってきたようです。
    作者の違いによる華麗さ、迫力、表現力等、「ねぶた」に与えられる個性を競うようになり、作者同士の表現力を多様性が「ねぶた」の魅力を一層高めてきたとのことです。
    素晴らしいことですね。

    ただ、作者同士の表現力の競演が、個性をより強調しようとして、ややもして「ねぶた」の形・姿が現代化したり欧米志向化したりして、本来の伝統的表現から外れることのないようにと、気になって仕方ないのです。

  • 1986年(昭和61年)、学校の夏休みの図画の宿題は、「ねぶた」の絵と決まっていたんです。<br /><br />これじゃあ、青森の人々が「ねぶたバカ(ねぶたに夢中になる人)」になるわけだよね~(^o^)

    1986年(昭和61年)、学校の夏休みの図画の宿題は、「ねぶた」の絵と決まっていたんです。

    これじゃあ、青森の人々が「ねぶたバカ(ねぶたに夢中になる人)」になるわけだよね~(^o^)

  • 1990年代に入って、野球場建設地を調査したところ三内丸山遺跡が見つかり、1997年には国の指定遺跡に、2000年には国の特別史跡にしてされました。<br /><br />青森の歴史のみならず日本の歴史にとっても、重要な遺跡として脚光を浴びるようになった三内丸山遺跡が、「ねぶた」に反映されないはずはないですね。<br />ちなみに、1999年の「ねぶた大賞」は、JRねぶた実行委員会が制作した「縄文 三内丸山」が受賞したのです。<br /><br />「ねぶた」は1700年代からさまざまな歴史の波に揉まれれながら、現代にひきつがれてきたのですね。

    1990年代に入って、野球場建設地を調査したところ三内丸山遺跡が見つかり、1997年には国の指定遺跡に、2000年には国の特別史跡にしてされました。

    青森の歴史のみならず日本の歴史にとっても、重要な遺跡として脚光を浴びるようになった三内丸山遺跡が、「ねぶた」に反映されないはずはないですね。
    ちなみに、1999年の「ねぶた大賞」は、JRねぶた実行委員会が制作した「縄文 三内丸山」が受賞したのです。

    「ねぶた」は1700年代からさまざまな歴史の波に揉まれれながら、現代にひきつがれてきたのですね。

  • 次は「ねぶたができるまで」です。<br /><br />「ねぶた祭り」が終わると、すぐに次の年の構想を練り始めるとか。<br />歴史物が多いので、さまざまな文献や資料を調べて、下絵を描くのですね。<br /><br />「ねぶた」を作るって言うのは大変ですね。

    次は「ねぶたができるまで」です。

    「ねぶた祭り」が終わると、すぐに次の年の構想を練り始めるとか。
    歴史物が多いので、さまざまな文献や資料を調べて、下絵を描くのですね。

    「ねぶた」を作るって言うのは大変ですね。

  • それから、制作にかかります。<br />下ごしらえ→小屋がけ→骨組みと進んでいきます。<br /><br />あの「ねぶた」はどこで作るのか?<br />どこかの公民館でも借りるのかと思えば、以前は地区ごとに小屋を用意してやっていたようです。現在では、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」より海沿いに300mほど離れた所にある、「ラッセランド」という簡易作業場で作っています(5月~8月)。<br /><br /><br />【※】骨組みのところの写真と説明文が途切れてしまいましたので、説明文を↓に書いておきますね。<br />「角材の支柱をベースに、「ねぶた」の骨組みを作ります。<br /> 針金やタコ糸を使って、細かく複雑なかたちを作り<br /> 上げていきます。」

    それから、制作にかかります。
    下ごしらえ→小屋がけ→骨組みと進んでいきます。

    あの「ねぶた」はどこで作るのか?
    どこかの公民館でも借りるのかと思えば、以前は地区ごとに小屋を用意してやっていたようです。現在では、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」より海沿いに300mほど離れた所にある、「ラッセランド」という簡易作業場で作っています(5月~8月)。


    【※】骨組みのところの写真と説明文が途切れてしまいましたので、説明文を↓に書いておきますね。
    「角材の支柱をベースに、「ねぶた」の骨組みを作ります。
     針金やタコ糸を使って、細かく複雑なかたちを作り
     上げていきます。」

  • その次は、このように照明を付けて、紙貼りをしていくのですね。<br /><br />照明の電気は、「ねぶた」を載せる台車の中に軽油を使って回す発電機を付けているのだそうです。蛍光灯や電球などの数はだいたい600~1000個前後もあるようです。仮に30W電球が600個としますと、18000Wになりますね。大変なことです。<br />最近では電気消費量の少ないLED電球を使うようになってきているようです。<br /><br />女性が紙貼りをしていますが、最近は女性の「ねぶた師」も誕生しているという話がありますよ。

    その次は、このように照明を付けて、紙貼りをしていくのですね。

    照明の電気は、「ねぶた」を載せる台車の中に軽油を使って回す発電機を付けているのだそうです。蛍光灯や電球などの数はだいたい600~1000個前後もあるようです。仮に30W電球が600個としますと、18000Wになりますね。大変なことです。
    最近では電気消費量の少ないLED電球を使うようになってきているようです。

    女性が紙貼りをしていますが、最近は女性の「ねぶた師」も誕生しているという話がありますよ。

  • まだまだです(^o^)<br /><br />書き割り→ろう書きと進んでいきます。

    まだまだです(^o^)

    書き割り→ろう書きと進んでいきます。

  • そして、色付けして、出来上がった「ねぶた」を台車に乗せます。<br />台車に乗せるのも、慎重にやらないと壊れますよね~(^^;) ある話では、40人から50人程の人たちが、力を合わせて台車に乗せているとか。そりゃ、そうだよね~。<br /><br />出来上がった「ねぶた」を見上げる時の歓びと感慨は、さぞかし大きなものがあると思います。←これは製作に携わった方々でないと分からないですね。

    そして、色付けして、出来上がった「ねぶた」を台車に乗せます。
    台車に乗せるのも、慎重にやらないと壊れますよね~(^^;) ある話では、40人から50人程の人たちが、力を合わせて台車に乗せているとか。そりゃ、そうだよね~。

    出来上がった「ねぶた」を見上げる時の歓びと感慨は、さぞかし大きなものがあると思います。←これは製作に携わった方々でないと分からないですね。

  • ついに完成!!<br /><br />祭り当日に、いよいよ出陣です!!(^_^)v<br />パレードの沿道には数十万の人々が、「ねぶた」の勇姿を今や遅しと待ち構えているのです!!<br /><br /><br />「ねぶた」は昔からこの大きさだったんだと思ってみますと、ちょっと疑問を感じますね。<br />確かに、町中の人々が期待しているし、出品者にとっても大いに誇りたいものですからある程度は大きなサイズであってもおかしくないですね。<br />しかし、最初の頃はこれほど大きくなく、時代と共に大型化してきたようです。現在では最大の大きさは決められていますが、過去には20m近い「ねぶた」も作られたとか。<br />もっと昔を考えれば、新潟・古町で見た「小路」「路地」の多いの昔の町は、青森とて同じだと思います。ある話では、人が背負ったり、小さい車に乗せた「ねぶた」が路地や小路を通っていたとのことです。当然の話だと思います。そういう「ねぶた」が現在も作られているのか?知りたいところです。<br /><br />大型化と共に、制作費も問題だと思います。<br />発電機まで備えて、多数の照明器具を装備するなどして、1台に2000万円前後もの費用がかかるとか。それが、地域の負担を重くしてスポンサーに頼らざるを得なくなる条件となっていないか?心配になるところです。<br />昔ながらの、木と竹と紙と?椈燭で作る「伝統」も大事だと思います。<br />

    ついに完成!!

    祭り当日に、いよいよ出陣です!!(^_^)v
    パレードの沿道には数十万の人々が、「ねぶた」の勇姿を今や遅しと待ち構えているのです!!


    「ねぶた」は昔からこの大きさだったんだと思ってみますと、ちょっと疑問を感じますね。
    確かに、町中の人々が期待しているし、出品者にとっても大いに誇りたいものですからある程度は大きなサイズであってもおかしくないですね。
    しかし、最初の頃はこれほど大きくなく、時代と共に大型化してきたようです。現在では最大の大きさは決められていますが、過去には20m近い「ねぶた」も作られたとか。
    もっと昔を考えれば、新潟・古町で見た「小路」「路地」の多いの昔の町は、青森とて同じだと思います。ある話では、人が背負ったり、小さい車に乗せた「ねぶた」が路地や小路を通っていたとのことです。当然の話だと思います。そういう「ねぶた」が現在も作られているのか?知りたいところです。

    大型化と共に、制作費も問題だと思います。
    発電機まで備えて、多数の照明器具を装備するなどして、1台に2000万円前後もの費用がかかるとか。それが、地域の負担を重くしてスポンサーに頼らざるを得なくなる条件となっていないか?心配になるところです。
    昔ながらの、木と竹と紙と?椈燭で作る「伝統」も大事だと思います。

  • 「ねぶた大賞」を獲得した作品群です。<br />受賞年順が途切れていますけど、少しご紹介しますね。<br /><br />多くの作品がある中で、大賞を取るというのはなかなか難しいですね。<br />この「大賞」というのは、いつ頃からあったのか? 1995年からと言うことですが、実質的には1962年の「田村麻呂賞」が制定されていたのです。<br />ところが、坂上田村麻呂が東北を支配した人物であるという話から「ねぶた大賞」に変更されたとのことです。 出場(出陣)する「ねぶた」の審査そのものは、1948年からあったようですね。

    「ねぶた大賞」を獲得した作品群です。
    受賞年順が途切れていますけど、少しご紹介しますね。

    多くの作品がある中で、大賞を取るというのはなかなか難しいですね。
    この「大賞」というのは、いつ頃からあったのか? 1995年からと言うことですが、実質的には1962年の「田村麻呂賞」が制定されていたのです。
    ところが、坂上田村麻呂が東北を支配した人物であるという話から「ねぶた大賞」に変更されたとのことです。 出場(出陣)する「ねぶた」の審査そのものは、1948年からあったようですね。

  • 2007年から2015年までの大賞受賞作品です(二つの写真を合成しました)。<br /><br />「ねぶた」の主題には、当然のことですが伝統的な時代物が多いですね。実物を見たら、とっても見応えがあると思います。<br /><br />このような「ねぶた」を出すのは、地元の地区単位で決められていると思っていたんです。ところが、受賞者を見ますとJRとか商工会、日立、三菱などの名前が殆どですね。悪く言えば、企業の宣伝の機会になっている。良く言えば、企業が地元と協力して伝統文化を守っているなどと解釈出来るのですが、このことは今まで全く知らなかったんです。<br />「ねぶた」が昔に較べて大型化し、制作費が多額になることによって地元が負担に耐えられなくなってきたのか? 全く勝手な想像ですが、そんなことを考えてしまいました。<br /><br />それにしても、「ねぶた」の表現力はスゴイですね!!<br />図工も美術も全く分からない私には、神業としか言えないような知識・技能を持った人たちが作ったのですね。<br /><br />ここまで「ねぶた、ねぶた・・」と言ってきますと、「ねぶた」って何だろうと思いますね。「国指定重要無形民俗文化財」に指定されているからには、その起源とか由来もハッキリしていると思ったのですが、それが諸説あるというのです。<br /><br />どんな諸説があるのか?いろいろな記事もほぼ共通していますが次の3つです。<br />(1)文室綿麻呂軍の兵士が、津軽各地に残留したことに由来するというもの<br />(2)津軽為信が文禄2年、京で披露したという「津軽の大灯篭」を起源とするもの<br />(3).柳田国男などによる「夏場の睡魔を戒めた」という説<br /><br />これらを、私が検証するというのは、いささか難しすぎるのです(-_-;) <br />でもなんとなく支持したいのは、古代から東北地方に混在するアイヌの人々とアイヌ語との関わりを考え合わせつつ、(1)の説かな~~??思うんです。いろいろな歴史ドラマもあって面白いし・・、もっと勉強してから、ここに追記できるようにしたいと思います。

    2007年から2015年までの大賞受賞作品です(二つの写真を合成しました)。

    「ねぶた」の主題には、当然のことですが伝統的な時代物が多いですね。実物を見たら、とっても見応えがあると思います。

    このような「ねぶた」を出すのは、地元の地区単位で決められていると思っていたんです。ところが、受賞者を見ますとJRとか商工会、日立、三菱などの名前が殆どですね。悪く言えば、企業の宣伝の機会になっている。良く言えば、企業が地元と協力して伝統文化を守っているなどと解釈出来るのですが、このことは今まで全く知らなかったんです。
    「ねぶた」が昔に較べて大型化し、制作費が多額になることによって地元が負担に耐えられなくなってきたのか? 全く勝手な想像ですが、そんなことを考えてしまいました。

    それにしても、「ねぶた」の表現力はスゴイですね!!
    図工も美術も全く分からない私には、神業としか言えないような知識・技能を持った人たちが作ったのですね。

    ここまで「ねぶた、ねぶた・・」と言ってきますと、「ねぶた」って何だろうと思いますね。「国指定重要無形民俗文化財」に指定されているからには、その起源とか由来もハッキリしていると思ったのですが、それが諸説あるというのです。

    どんな諸説があるのか?いろいろな記事もほぼ共通していますが次の3つです。
    (1)文室綿麻呂軍の兵士が、津軽各地に残留したことに由来するというもの
    (2)津軽為信が文禄2年、京で披露したという「津軽の大灯篭」を起源とするもの
    (3).柳田国男などによる「夏場の睡魔を戒めた」という説

    これらを、私が検証するというのは、いささか難しすぎるのです(-_-;) 
    でもなんとなく支持したいのは、古代から東北地方に混在するアイヌの人々とアイヌ語との関わりを考え合わせつつ、(1)の説かな~~??思うんです。いろいろな歴史ドラマもあって面白いし・・、もっと勉強してから、ここに追記できるようにしたいと思います。

  • いよいよ本物の「ねぶた」拝見です!!<br /><br />凄い形相で真ん中の大蛇に挑戦していますね。<br />この「ねぶた」は、わが家もお世話になっている宅急便の「ヤマト運輸」さんが、2016年に制作しているんです。あまりに凄いし作りも丁寧・繊細のなので、知事賞と優秀制作者賞を受賞しているとのことです。<br /><br />ヤマト運輸さんは「ねぶた」制作の着想とつくり方が良いので、この年までに知事賞を9回、優秀制作者賞を4回も受賞しているのです。<br /><br />俵藤太ってどこの人?と思って調べてみると、出身地も、生誕地も死没地も分からないとか(墓地は群馬県と栃木県にあるそうです)。武術に優れていたのか、大蛇やムカデを退治していたみたいですね。<br /><br />私は武術が滅法ダメなので、カミさんに天下を取られてしまったのです(T_T)<br /><br />★俵藤太の詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%A7%80%E9%83%B7<br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    いよいよ本物の「ねぶた」拝見です!!

    凄い形相で真ん中の大蛇に挑戦していますね。
    この「ねぶた」は、わが家もお世話になっている宅急便の「ヤマト運輸」さんが、2016年に制作しているんです。あまりに凄いし作りも丁寧・繊細のなので、知事賞と優秀制作者賞を受賞しているとのことです。

    ヤマト運輸さんは「ねぶた」制作の着想とつくり方が良いので、この年までに知事賞を9回、優秀制作者賞を4回も受賞しているのです。

    俵藤太ってどこの人?と思って調べてみると、出身地も、生誕地も死没地も分からないとか(墓地は群馬県と栃木県にあるそうです)。武術に優れていたのか、大蛇やムカデを退治していたみたいですね。

    私は武術が滅法ダメなので、カミさんに天下を取られてしまったのです(T_T)

    ★俵藤太の詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E5%8E%9F%E7%A7%80%E9%83%B7

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  • これは何でしょうかね??<br /><br />魚のような気がしますけど・・。丸っこい姿からして、フグでしょうか??<br /><br /><br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    これは何でしょうかね??

    魚のような気がしますけど・・。丸っこい姿からして、フグでしょうか??



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  • これは、どういう人?<br />下アゴから立派な牙が出ています。<br /><br />とっても強そうに見えるんだけど、顔が青ざめていて、何かを恨めしそうに思ってベソをかいているようにも見えます。ヒョッとして奥さんに虐めらたかも知れないね。<br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    これは、どういう人?
    下アゴから立派な牙が出ています。

    とっても強そうに見えるんだけど、顔が青ざめていて、何かを恨めしそうに思ってベソをかいているようにも見えます。ヒョッとして奥さんに虐めらたかも知れないね。

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  • この主題は「蝦夷ヶ島 夷酋と九朗義経」です。<br />2016年の「ねぶた大賞」と「最優秀制作者賞」を受賞した作品です。<br /><br />蝦夷が島と言えば北海道。源義経は連絡船もない時代に海を渡って北海道へ・・。<br />私たちが知る話は、源義経は平氏打倒に貢献しながらも、その後のやり方が頼朝と対立を招て追われ、最後には平泉で自刃したことです。<br /><br />ところが、この「ねぶた」に託された物語では、義経が平泉で自刃せず北海道に逃げ延びて、生き抜いたという話です。<br />義経はアイヌの人々と出会い、蝦夷地でのアイヌの人々の力強い生き様を見たのです。自然の厳しい北の地で、互いに助け合って魚をとり、熊や鹿をも仕留め乍ら、力強く生き抜くアイヌの姿に心を打たれて、ここで天命を全うしようと決意したというのです。<br /><br />この様子は、鹿を抑えた瞬間を形にしたものでしょうか??<br /><br />★源義経の詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C

    この主題は「蝦夷ヶ島 夷酋と九朗義経」です。
    2016年の「ねぶた大賞」と「最優秀制作者賞」を受賞した作品です。

    蝦夷が島と言えば北海道。源義経は連絡船もない時代に海を渡って北海道へ・・。
    私たちが知る話は、源義経は平氏打倒に貢献しながらも、その後のやり方が頼朝と対立を招て追われ、最後には平泉で自刃したことです。

    ところが、この「ねぶた」に託された物語では、義経が平泉で自刃せず北海道に逃げ延びて、生き抜いたという話です。
    義経はアイヌの人々と出会い、蝦夷地でのアイヌの人々の力強い生き様を見たのです。自然の厳しい北の地で、互いに助け合って魚をとり、熊や鹿をも仕留め乍ら、力強く生き抜くアイヌの姿に心を打たれて、ここで天命を全うしようと決意したというのです。

    この様子は、鹿を抑えた瞬間を形にしたものでしょうか??

    ★源義経の詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%BA%90%E7%BE%A9%E7%B5%8C

  • 出ました!!猫ちゃん!!(^-^)(^_^)v<br /><br />人間にとって、猫ちゃんは人生の大事な大事な伴走者です。<br />可愛い顔や姿を見るだけでも心癒やされるんですね。 <br />「にゃー」の一声で、日々の辛い思いを消してくれるのです。私が小学生の頃は、いつも猫ちゃんと寝ていましたからね。<br /><br />ここでは、二人の子供のお守りをしているお利口な猫ちゃんを表現しているのだと思います。

    出ました!!猫ちゃん!!(^-^)(^_^)v

    人間にとって、猫ちゃんは人生の大事な大事な伴走者です。
    可愛い顔や姿を見るだけでも心癒やされるんですね。 
    「にゃー」の一声で、日々の辛い思いを消してくれるのです。私が小学生の頃は、いつも猫ちゃんと寝ていましたからね。

    ここでは、二人の子供のお守りをしているお利口な猫ちゃんを表現しているのだと思います。

  • この人、何か好きでもないものを見てしまったのでしょうか?<br /><br />運が悪かったんですね。<br /><br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    この人、何か好きでもないものを見てしまったのでしょうか?

    運が悪かったんですね。


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  • この人は併走する好敵手を横目で見ている、マラソン選手かも知れませんね。<br /><br />ちゃんと前を向いて走りましょう!!<br /><br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    この人は併走する好敵手を横目で見ている、マラソン選手かも知れませんね。

    ちゃんと前を向いて走りましょう!!


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  • こちらの主題は「津軽の忠臣 田中太郎五郎最後の勇姿」です。<br /><br />この作品は、第5回全国小・中学生「ねぶた下絵コンクール」作品で、最優秀賞となった中学2年生の今井さんが書いた下絵をもとに、細部を修正されて制作されたものとのことです。今井さんの下絵にも、凄まじい戦いの様子と、見るほどにおぞましい程の表情が描かれています。<br /><br />「田中太郎五郎」のことは、私たちには知るよしもないことですが、1579年のこと、津軽地方の争乱の中で追い詰められるも、乗馬が逃げられなくなった主君の大浦為信(津軽為信)を見た田中太郎五郎は、為信の身代わりとなって突撃し、倒れてしまった。<br />それを見た敵側は、為信を討ち取ったと思い込んで油断して戦列に緩みが出た。為信勢がその隙を攻撃して、敵の大将を倒し総崩れにさせたというのです。<br /><br />田中太郎五郎は自らの命を、主君を守り見方の劣勢挽回のために投げ打ったのでした。大浦為信は、田中太郎五郎の嫡子・田中宗右衛門に百石を加増し、津軽の忠臣の家として遇したというのです<br />昭和34年には、子孫にあたる元外交官佐藤尚武らによって「津軽之忠臣」の碑が建立されたとのことですが、「忠臣」と言ってしまうことには私は異存がありますね。<br />その時の状況判断で、自分のやるべきことを察し、そこに突進したのだと思います。そこにこそ田中太郎五郎自身の良い面があるのだと、私は捉えるのです!!<br /><br />昭和30年代になってなお「忠臣」という言葉を使い、田中太郎五郎個人の決断を軽視し、「忠臣」という扱いの中に位置づけてしまうことは、未だ人を「人=個人」として見ることのない封建時代の意識に留まっていると思えるのです。<br /><br />「忠義」が求められ、とりわけ武士階級にはそのような教育や躾が徹底され、社会全体がそれを常識とした時代だったとは言え、その時代の人々の自発的行動を現代の観点から捉え直す必要があると思います。<br />過去の社会意識から脱却出来ない日本社会の一面を見る思いがします。<br /><br />話が変わりますが、全国の小中学生から小・中学生から毎年「ねぶた」の下絵を募集しているって、他所でも「ねぶた」をやっているのかと思って調べてみましたら、東北北部はもちろん、東京でも九州でもやっているんですね。そんな各地の「ねぶた」を見てみたいです、<br /><br /><br />★田中太郎五郎が為信の身代わりになった「六羽川合戦」の詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%BE%BD%E5%B7%9D%E5%90%88%E6%88%A6<br />★↓は、各地のねぶた祭りです<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AD%E3%81%B6%E3%81%9F<br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    こちらの主題は「津軽の忠臣 田中太郎五郎最後の勇姿」です。

    この作品は、第5回全国小・中学生「ねぶた下絵コンクール」作品で、最優秀賞となった中学2年生の今井さんが書いた下絵をもとに、細部を修正されて制作されたものとのことです。今井さんの下絵にも、凄まじい戦いの様子と、見るほどにおぞましい程の表情が描かれています。

    「田中太郎五郎」のことは、私たちには知るよしもないことですが、1579年のこと、津軽地方の争乱の中で追い詰められるも、乗馬が逃げられなくなった主君の大浦為信(津軽為信)を見た田中太郎五郎は、為信の身代わりとなって突撃し、倒れてしまった。
    それを見た敵側は、為信を討ち取ったと思い込んで油断して戦列に緩みが出た。為信勢がその隙を攻撃して、敵の大将を倒し総崩れにさせたというのです。

    田中太郎五郎は自らの命を、主君を守り見方の劣勢挽回のために投げ打ったのでした。大浦為信は、田中太郎五郎の嫡子・田中宗右衛門に百石を加増し、津軽の忠臣の家として遇したというのです
    昭和34年には、子孫にあたる元外交官佐藤尚武らによって「津軽之忠臣」の碑が建立されたとのことですが、「忠臣」と言ってしまうことには私は異存がありますね。
    その時の状況判断で、自分のやるべきことを察し、そこに突進したのだと思います。そこにこそ田中太郎五郎自身の良い面があるのだと、私は捉えるのです!!

    昭和30年代になってなお「忠臣」という言葉を使い、田中太郎五郎個人の決断を軽視し、「忠臣」という扱いの中に位置づけてしまうことは、未だ人を「人=個人」として見ることのない封建時代の意識に留まっていると思えるのです。

    「忠義」が求められ、とりわけ武士階級にはそのような教育や躾が徹底され、社会全体がそれを常識とした時代だったとは言え、その時代の人々の自発的行動を現代の観点から捉え直す必要があると思います。
    過去の社会意識から脱却出来ない日本社会の一面を見る思いがします。

    話が変わりますが、全国の小中学生から小・中学生から毎年「ねぶた」の下絵を募集しているって、他所でも「ねぶた」をやっているのかと思って調べてみましたら、東北北部はもちろん、東京でも九州でもやっているんですね。そんな各地の「ねぶた」を見てみたいです、


    ★田中太郎五郎が為信の身代わりになった「六羽川合戦」の詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%AD%E7%BE%BD%E5%B7%9D%E5%90%88%E6%88%A6
    ★↓は、各地のねぶた祭りです
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%81%AD%E3%81%B6%E3%81%9F

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  • この作品の主題は、「陰陽師 妖怪退治」です。 <br />「ヤマト運輸」が制作した作品で、2016年の青森の商工会議所会頭賞と優秀制作者賞を獲得したとのことです。素晴らしい出来栄えですね。<br /><br />陰陽師(おんみょうじ)は、中国古代の陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって天文学、暦学、易学、時計を職掌とする官職とのこと。日本では、仏教・道教・神道・修験道の要素も混りあって、中国古代とは中身がやや違った陰陽道となり、陰陽師も朝廷の官職としてそうした役割を担ったようです。<br /><br />陰陽道が日本に伝わった当初から、陰陽師は当時の最先端知識を誇っていたのですが、地理学や気象・都市計画・節季のまで研究範囲を広がったようです。あの時代のこと、平安時代ではそのような陰陽師に退魔行をさせたこともあったようです。<br />平安時代に争いが続く中で、恨みを残しながら死んでいった貴族らが怨霊となって人々を脅した話が広まり、怨霊や妖怪の退治が陰陽師の仕事の一定の部分を占めるようになってきたとか。 それと共に、怨霊祓いや呪術・占術を主な仕事とする人々が現れてきたようです(現代の陰陽師はこちらの方が主な仕事かもね)。<br /><br />前置きはこれまでとして・・<br />この「ねぶた」は、人々の心に登場しては不安に陥れていた妖怪を、陰陽師悪霊祓いのお札(霊符)を持って、さまざまな怪物・妖怪を退治している様子でしょう。<br /><br />あの時代では、そうした迷信が人々の心に根付いていましたからね。私が子供の頃は、そういう怖い話を良く聞きましたから、夜中にトイレに行くのがとっても怖かったものでした。そう言う時に、陰陽師のおじさんが来て「悪いやつは退治したから、安心して良いよ」言ってくれたら、気持ちが休まったかも知れませんね。<br /><br />★陰陽師の詳しいことは↓にて〈平安時代・・を参照〉<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E5%B8%AB#.E5.B9.B3.E5.AE.89.E6.99.82.E4.BB.A3.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E9.99.B0.E9.99.BD.E9.81.93.E3.81.AE.E5.AE.97.E6.95.99.E5.8C.96.E3.81.A8.E9.99.B0.E9.99.BD.E5.B8.AB.E3.81.AE.E3.82.AB.E3.83.AA.E3.82.B9.E3.83.9E.E5.8C.96<br />★陰陽道の詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E9%81%93 <br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    この作品の主題は、「陰陽師 妖怪退治」です。
    「ヤマト運輸」が制作した作品で、2016年の青森の商工会議所会頭賞と優秀制作者賞を獲得したとのことです。素晴らしい出来栄えですね。

    陰陽師(おんみょうじ)は、中国古代の陰陽五行思想に基づいた陰陽道によって天文学、暦学、易学、時計を職掌とする官職とのこと。日本では、仏教・道教・神道・修験道の要素も混りあって、中国古代とは中身がやや違った陰陽道となり、陰陽師も朝廷の官職としてそうした役割を担ったようです。

    陰陽道が日本に伝わった当初から、陰陽師は当時の最先端知識を誇っていたのですが、地理学や気象・都市計画・節季のまで研究範囲を広がったようです。あの時代のこと、平安時代ではそのような陰陽師に退魔行をさせたこともあったようです。
    平安時代に争いが続く中で、恨みを残しながら死んでいった貴族らが怨霊となって人々を脅した話が広まり、怨霊や妖怪の退治が陰陽師の仕事の一定の部分を占めるようになってきたとか。 それと共に、怨霊祓いや呪術・占術を主な仕事とする人々が現れてきたようです(現代の陰陽師はこちらの方が主な仕事かもね)。

    前置きはこれまでとして・・
    この「ねぶた」は、人々の心に登場しては不安に陥れていた妖怪を、陰陽師悪霊祓いのお札(霊符)を持って、さまざまな怪物・妖怪を退治している様子でしょう。

    あの時代では、そうした迷信が人々の心に根付いていましたからね。私が子供の頃は、そういう怖い話を良く聞きましたから、夜中にトイレに行くのがとっても怖かったものでした。そう言う時に、陰陽師のおじさんが来て「悪いやつは退治したから、安心して良いよ」言ってくれたら、気持ちが休まったかも知れませんね。

    ★陰陽師の詳しいことは↓にて〈平安時代・・を参照〉
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E5%B8%AB#.E5.B9.B3.E5.AE.89.E6.99.82.E4.BB.A3.E3.81.AB.E3.81.8A.E3.81.91.E3.82.8B.E9.99.B0.E9.99.BD.E9.81.93.E3.81.AE.E5.AE.97.E6.95.99.E5.8C.96.E3.81.A8.E9.99.B0.E9.99.BD.E5.B8.AB.E3.81.AE.E3.82.AB.E3.83.AA.E3.82.B9.E3.83.9E.E5.8C.96
    ★陰陽道の詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%99%B0%E9%99%BD%E9%81%93 

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  • これは、「ねぶた愛好会」の「素戔嗚尊八岐大蛇退治」という、2016年作品です。<br />娘をひと飲みにしてしまう大きな頭と恐ろしい口が、見る程に怖くなります。素戔嗚尊の命も命がけですね。<br /><br />素戔嗚尊(スサノオノミコト。神須佐能袁命、須佐能乎命とも)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ。八俣遠呂智、八俣遠呂知とも)を退治する場面です。<br />これはもう、有名すぎる話ですね。<br />「ある時期になると山から頭が八つある大蛇が下りてきて、娘を食べてしまう。最後の娘を食べられてしまうと泣いていた夫婦に尋ねた素戔嗚尊が、娘との結婚を条件に八岐大蛇を退治することにした。八岐大蛇は仕掛けられた8つの酒樽の酒を飲んで眠りこけ、それを見計らった素戔嗚尊に切られて退治された」<br />という話ですね。<br />この話は幾つもあって、内容は少しずつ違っています。<br /><br />素戔嗚尊が娘との結婚を条件に八岐大蛇を退治したというのですが、人助けに条件を付けるなんて、「正義」の話ではないね(-_-;) もし、結婚を断っていたら、娘は大蛇に食べられてしまうのか?? まぁ、昔の話だから仕方ないです。<br /><br />そういうことなら、私もカミさんと結婚する時に「亭主関白を認める」ことを条件にすれば良かったなぁと、これを知って後悔しました(-_-;) 今さら亭主関白になっても、困るしね~(/_;) 「後悔先に立たず。」残念でした(&gt;_&lt;)<br /><br />★八岐大蛇の詳しいことは↓にて<br />https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%81<br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    これは、「ねぶた愛好会」の「素戔嗚尊八岐大蛇退治」という、2016年作品です。
    娘をひと飲みにしてしまう大きな頭と恐ろしい口が、見る程に怖くなります。素戔嗚尊の命も命がけですね。

    素戔嗚尊(スサノオノミコト。神須佐能袁命、須佐能乎命とも)が八岐大蛇(ヤマタノオロチ。八俣遠呂智、八俣遠呂知とも)を退治する場面です。
    これはもう、有名すぎる話ですね。
    「ある時期になると山から頭が八つある大蛇が下りてきて、娘を食べてしまう。最後の娘を食べられてしまうと泣いていた夫婦に尋ねた素戔嗚尊が、娘との結婚を条件に八岐大蛇を退治することにした。八岐大蛇は仕掛けられた8つの酒樽の酒を飲んで眠りこけ、それを見計らった素戔嗚尊に切られて退治された」
    という話ですね。
    この話は幾つもあって、内容は少しずつ違っています。

    素戔嗚尊が娘との結婚を条件に八岐大蛇を退治したというのですが、人助けに条件を付けるなんて、「正義」の話ではないね(-_-;) もし、結婚を断っていたら、娘は大蛇に食べられてしまうのか?? まぁ、昔の話だから仕方ないです。

    そういうことなら、私もカミさんと結婚する時に「亭主関白を認める」ことを条件にすれば良かったなぁと、これを知って後悔しました(-_-;) 今さら亭主関白になっても、困るしね~(/_;) 「後悔先に立たず。」残念でした(>_<)

    ★八岐大蛇の詳しいことは↓にて
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A4%E3%83%9E%E3%82%BF%E3%83%8E%E3%82%AA%E3%83%AD%E3%83%81

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  • 何でしょうか、イライラした感じのお顔しておられますね。<br /><br /><br />右の人: 昨日、高級レストランへ行って牛タンを注文したら、<br />「品切れですので貴方の舌を切らせて下さい」とぬかしおった!!<br />この俺様を何と思ってんだ!!青森の「ねぶた」だぞ!!!<br /><br />左の人: 俺も青鬼に言われたんだ!!「あなたは、どうしてそんなに<br />怖い顔をしてるんですか」ってな!(&gt;_&lt;)  俺はな、この顔で飯を<br />食ってンだよ!!今度会ったら、俺の方から奴に言ってやる!!<br /><br />真ん中の人:大先輩の話にワシャ肝を冷やしたよ!!医者は言った<br />んだ、「肝を冷やすと身体に悪い、頭を冷やせ」ってね。そんなこと<br />言われて、頭が冷やせるカッ!!てんだよ。この、バカ医者め!!

    何でしょうか、イライラした感じのお顔しておられますね。


    右の人: 昨日、高級レストランへ行って牛タンを注文したら、
    「品切れですので貴方の舌を切らせて下さい」とぬかしおった!!
    この俺様を何と思ってんだ!!青森の「ねぶた」だぞ!!!

    左の人: 俺も青鬼に言われたんだ!!「あなたは、どうしてそんなに
    怖い顔をしてるんですか」ってな!(>_<)  俺はな、この顔で飯を
    食ってンだよ!!今度会ったら、俺の方から奴に言ってやる!!

    真ん中の人:大先輩の話にワシャ肝を冷やしたよ!!医者は言った
    んだ、「肝を冷やすと身体に悪い、頭を冷やせ」ってね。そんなこと
    言われて、頭が冷やせるカッ!!てんだよ。この、バカ医者め!!

  • 9人の方々が、全て怒っておられますね。<br /><br />今はそういう時代になりました。重要な役職にある人が、人は責めれど 自分は「記憶にありません」なんて、揃いも揃って言う時代になったね~。 <br /><br />資料ですか??「あの時は正規の会議ではないので記録は取りませんでした」(-_-;) 「あれは個人的なメモだから処分しました」(&gt;_&lt;)  過労死・過労自殺の防止ですか??「残業は単月で100時間は認めましょう。80時間はどうですか?」(-_-;)<br /><br />どこの国だか知りませんが、怒りは収まりませんねぇ(&gt;_&lt;)(*_*)<br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    9人の方々が、全て怒っておられますね。

    今はそういう時代になりました。重要な役職にある人が、人は責めれど 自分は「記憶にありません」なんて、揃いも揃って言う時代になったね~。 

    資料ですか??「あの時は正規の会議ではないので記録は取りませんでした」(-_-;) 「あれは個人的なメモだから処分しました」(>_<)  過労死・過労自殺の防止ですか??「残業は単月で100時間は認めましょう。80時間はどうですか?」(-_-;)

    どこの国だか知りませんが、怒りは収まりませんねぇ(>_<)(*_*)

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  • 3人揃って厳しい表情をしておられますね(-_-)<br />こちらの方々も、お話をしているみたいです。ちょっと聞いてみましょう(^^;)<br /><br /><br />右の人: オイ、お前んとこもカカア天下か? 俺のカカアは<br />あまりに酷い!!(&gt;_&lt;)(*_*) 俺が何か言うと、蹴飛ばすんだ(*_*)<br />お前んとこはもっと酷いか??<br /><br />中の人: 新婚旅行のホテルで、カカアがいきなり上座を取った<br />んだ!!(&gt;_&lt;) 役場の市民相談室に行ってみたら「あんたがバカ<br />だった」とぬかしゃがった(-_-;)(&gt;_&lt;) クソッタレ!!(&gt;_&lt;)<br /><br />左の人: 俺んとこはもっと酷いぞ!!足揉め、腰揉め、茶碗を洗え<br />ってんだよ!!俺がハイハイと素直に聞いてりゃ、イイ気になって(&gt;_&lt;) <br />俺は、カミさんに言ってやったぞ!!<br />「亭主というモンは、そんなモンじゃねぇんだ!分かったか!!!」<br />ってな!! <br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    3人揃って厳しい表情をしておられますね(-_-)
    こちらの方々も、お話をしているみたいです。ちょっと聞いてみましょう(^^;)


    右の人: オイ、お前んとこもカカア天下か? 俺のカカアは
    あまりに酷い!!(>_<)(*_*) 俺が何か言うと、蹴飛ばすんだ(*_*)
    お前んとこはもっと酷いか??

    中の人: 新婚旅行のホテルで、カカアがいきなり上座を取った
    んだ!!(>_<) 役場の市民相談室に行ってみたら「あんたがバカ
    だった」とぬかしゃがった(-_-;)(>_<) クソッタレ!!(>_<)

    左の人: 俺んとこはもっと酷いぞ!!足揉め、腰揉め、茶碗を洗え
    ってんだよ!!俺がハイハイと素直に聞いてりゃ、イイ気になって(>_<)
    俺は、カミさんに言ってやったぞ!!
    「亭主というモンは、そんなモンじゃねぇんだ!分かったか!!!」
    ってな!!

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  • 「おかあさん こっち向いて! 写真を撮るよ(^^)」<br /><br />勇壮な場面を作り上げた「青森ねぶた」を前に、記念の写真を撮りましょう!!<br />青森に来て、カミさんも良い見学ができたと思いますよ(^o^)

    「おかあさん こっち向いて! 写真を撮るよ(^^)」

    勇壮な場面を作り上げた「青森ねぶた」を前に、記念の写真を撮りましょう!!
    青森に来て、カミさんも良い見学ができたと思いますよ(^o^)

  • 「ねぶた」展示場を出て、土産物店で何か良いものないかな~と探してみました。」<br />美味しそうなものがありましたけど、我が儘なことは言えません(-_-)<br />

    「ねぶた」展示場を出て、土産物店で何か良いものないかな~と探してみました。」
    美味しそうなものがありましたけど、我が儘なことは言えません(-_-)

  • ここにも、美味しそうなものがいっぱいあるんだけどね。<br />「これ、欲しいな」<br />とカミさんに言っても、まず、99.9%はダメだからね~(-_-;)<br /><br />これも運命(*_*) オトコは見るだけなのであります(-_-;)

    ここにも、美味しそうなものがいっぱいあるんだけどね。
    「これ、欲しいな」
    とカミさんに言っても、まず、99.9%はダメだからね~(-_-;)

    これも運命(*_*) オトコは見るだけなのであります(-_-;)

  • 「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に到着した時に見た八甲田丸が、じっと見守っていてくれました。

    「ねぶたの家 ワ・ラッセ」に到着した時に見た八甲田丸が、じっと見守っていてくれました。

  • 船に帰るバスに乗りました。<br /><br />私達は早めにバスに乗りましたので、この通りゆとりの席です(^o^)<br /><br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    船に帰るバスに乗りました。

    私達は早めにバスに乗りましたので、この通りゆとりの席です(^o^)


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  • 船に帰ってきました。<br /><br />クルーズというのは、こういうことなんですよ。<br />そう、クルーズ中は船が「我が家」なんです。港に着くと出掛けて行って、観光が終われば帰ってくる。船を見ると我が家に帰ってきたような感じになるんですね。

    船に帰ってきました。

    クルーズというのは、こういうことなんですよ。
    そう、クルーズ中は船が「我が家」なんです。港に着くと出掛けて行って、観光が終われば帰ってくる。船を見ると我が家に帰ってきたような感じになるんですね。

  • 青森港に接岸するミレニアム号の全景です。<br /><br />これでも大きい船ですが、これより大きいクルーズ船が世界に50隻ほどもいる時代ですけど、これくらいのサイズがちょうど良いと思います。<br /><br />★↓は22万トンのクルーズ船です。ちょっと大きすぎますね。<br />http://4travel.jp/travelogue/10531794<br /><br />(Kさんご提供の写真です)<br />

    青森港に接岸するミレニアム号の全景です。

    これでも大きい船ですが、これより大きいクルーズ船が世界に50隻ほどもいる時代ですけど、これくらいのサイズがちょうど良いと思います。

    ★↓は22万トンのクルーズ船です。ちょっと大きすぎますね。
    http://4travel.jp/travelogue/10531794

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  • 乗船前に、一枚撮りましょう(^^)

    乗船前に、一枚撮りましょう(^^)

  • 「青森へまた来てね!」<br /><br />青森の方々が、手を振って見送って下さいました。<br />「ありがとう!! ご苦労様~!! また来るね~(^_^)v」<br />本当にそういう気持ちになりますよ。<br /><br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    「青森へまた来てね!」

    青森の方々が、手を振って見送って下さいました。
    「ありがとう!! ご苦労様~!! また来るね~(^_^)v」
    本当にそういう気持ちになりますよ。


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  • こちらでも!!<br /><br />今朝の鼓笛隊の方々かな?<br />こういうお姿を見ますと、本当に嬉しくなってしまいます。<br /><br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    こちらでも!!

    今朝の鼓笛隊の方々かな?
    こういうお姿を見ますと、本当に嬉しくなってしまいます。


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  • 向こうに見える山は八甲田山かな?<br /><br />青森は2度目の寄港でしたが、また来るには、やっぱり船が良いかな~?って思います。<br /><br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    向こうに見える山は八甲田山かな?

    青森は2度目の寄港でしたが、また来るには、やっぱり船が良いかな~?って思います。


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  • 白っぽい船が停泊しているのを見つけました。<br /><br />あの形は貨物船ではなく、フェリーでもなく、クルーズ船でもない。<br />調べてみますと、海技教育機構所属の練習船「大成丸」でした。全国8ヶ所にある国立の海上技術学校とか海上技術短期大学校・海技大学校の実習に使われる船ですね。<br /><br />総トン数は3990トン、載貨重量トン数は1275トン、全長91.28m、幅15.5m、機関出力4079馬力、航海速力14.5ノットというスペックです。<br /><br />こういう船にも乗ってみたいですね。でも、チョット小さいので揺れやすいかな?(^o^)

    白っぽい船が停泊しているのを見つけました。

    あの形は貨物船ではなく、フェリーでもなく、クルーズ船でもない。
    調べてみますと、海技教育機構所属の練習船「大成丸」でした。全国8ヶ所にある国立の海上技術学校とか海上技術短期大学校・海技大学校の実習に使われる船ですね。

    総トン数は3990トン、載貨重量トン数は1275トン、全長91.28m、幅15.5m、機関出力4079馬力、航海速力14.5ノットというスペックです。

    こういう船にも乗ってみたいですね。でも、チョット小さいので揺れやすいかな?(^o^)

  • 岩木山ともお別れです。<br /><br />岩木山には、なぜか思い入れがあるんですね。<br />リンゴの花が綺麗な時に、カミさんと来たいものです。

    岩木山ともお別れです。

    岩木山には、なぜか思い入れがあるんですね。
    リンゴの花が綺麗な時に、カミさんと来たいものです。

  • タグボートが追いかけてきました。<br /><br />パイロットを迎えに来たのかも知れませんね。

    タグボートが追いかけてきました。

    パイロットを迎えに来たのかも知れませんね。

  • あの山と街がどうにも分からない(-_-;)<br />分からないままお別れするのも、なんか知らないですけど心の隅に引っかかりを感じるものですね。<br /><br />あのビルが何と言うビルかが分かれば、一発解決なんですけどね~(-_-)<br />

    あの山と街がどうにも分からない(-_-;)
    分からないままお別れするのも、なんか知らないですけど心の隅に引っかかりを感じるものですね。

    あのビルが何と言うビルかが分かれば、一発解決なんですけどね~(-_-)

  • きょうは午後3時出港でしたので、ディナーまでは時間があります。<br /><br />桂あおばさんの落語会が、場所を個室に変えて開かれました。<br />船側から個室を借りることができたんですね。良かったです!!<br /><br />時流に流されることのない桂あおばさんの、相変わらぬマジメな取り組みに好感が持てます。<br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    きょうは午後3時出港でしたので、ディナーまでは時間があります。

    桂あおばさんの落語会が、場所を個室に変えて開かれました。
    船側から個室を借りることができたんですね。良かったです!!

    時流に流されることのない桂あおばさんの、相変わらぬマジメな取り組みに好感が持てます。

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  • 来聴者とも気さくに会話をされる桂あおばさんの姿勢もご立派だと思います。<br /><br />奥様にも、楽しいひとときになったことでしょう(^^)<br /><br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    来聴者とも気さくに会話をされる桂あおばさんの姿勢もご立派だと思います。

    奥様にも、楽しいひとときになったことでしょう(^^)


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  • 幾つかの風力発電機が見えて来ました。<br /><br />その下の白い建物は住宅やホテルではなさそうです。<br />青森を出港してから2時間余を経過していることを考えますと、このあたりは下北半島西北端の大間町あたりかと思います。<br /><br />大間町は原子力発電所を建設するかどうかで、いろいろ議論があるようです。どうしてこんな遠くに原発を?と思いますが、津軽海峡と陸奥湾に接する自治体にとっては、建設に慎重な姿勢を示しているところもあるようです。函館などは、国を相手に建設中止求め提訴をしていますよ。青森市などはどう考えているんでしょうか。<br /><br />他方で、原発を受け入れる自治体の多くは、財政困難な町が多く、原発受け入れによって国や県からの補助金が交付されることに期待する例が多いとのこと。本来なら自分の町に置きたくないものを、補助金がもらえるということで受け入れるという事例は多々あるようです。<br /><br />自治体の体質はそのままに、補助金に依存する行政のあり方は大きな問題があると思います。

    幾つかの風力発電機が見えて来ました。

    その下の白い建物は住宅やホテルではなさそうです。
    青森を出港してから2時間余を経過していることを考えますと、このあたりは下北半島西北端の大間町あたりかと思います。

    大間町は原子力発電所を建設するかどうかで、いろいろ議論があるようです。どうしてこんな遠くに原発を?と思いますが、津軽海峡と陸奥湾に接する自治体にとっては、建設に慎重な姿勢を示しているところもあるようです。函館などは、国を相手に建設中止求め提訴をしていますよ。青森市などはどう考えているんでしょうか。

    他方で、原発を受け入れる自治体の多くは、財政困難な町が多く、原発受け入れによって国や県からの補助金が交付されることに期待する例が多いとのこと。本来なら自分の町に置きたくないものを、補助金がもらえるということで受け入れるという事例は多々あるようです。

    自治体の体質はそのままに、補助金に依存する行政のあり方は大きな問題があると思います。

  • 大間町に原子力発電所を建設するという会社(J-POWER・電源開発株式会社)が、風力発電も進めているというのです(2016年5月に稼働開始しています)。<br /><br />風力発電自体は自然の力を利用して発電するという、エネルギー面でも環境面でもとても良いことかと思います。しかし、一方で原子力発電所の建設を推進しているのですから、複雑な話ですね。この風力発電設備の建設費は誰が負担しているのでしょうかね?<br />

    大間町に原子力発電所を建設するという会社(J-POWER・電源開発株式会社)が、風力発電も進めているというのです(2016年5月に稼働開始しています)。

    風力発電自体は自然の力を利用して発電するという、エネルギー面でも環境面でもとても良いことかと思います。しかし、一方で原子力発電所の建設を推進しているのですから、複雑な話ですね。この風力発電設備の建設費は誰が負担しているのでしょうかね?

  • 遠くにコンテナ船を見つけました。<br /><br />かなり大きなコンテナ船ですね。このミレニアム号より長い船かも知れませんよ。<br />西行きか東行きか?それは忘れましたが、津軽海峡を通過するということは、日本海に面するどこかの港湾に寄港するとおもいます。<br /><br />日本海沿いには、こういう船を受け入れる設備を持った港湾は、そんなにないと思いますけどね。

    遠くにコンテナ船を見つけました。

    かなり大きなコンテナ船ですね。このミレニアム号より長い船かも知れませんよ。
    西行きか東行きか?それは忘れましたが、津軽海峡を通過するということは、日本海に面するどこかの港湾に寄港するとおもいます。

    日本海沿いには、こういう船を受け入れる設備を持った港湾は、そんなにないと思いますけどね。

  • コンテナ船を見た10分後に、こんどはLNGタンカーを発見しました。<br />これも大きな船ですね。<br /><br />津軽海峡って、大型船が随分通過するんですね。<br />これらの船を受け入れる港ってどこだろうか? またちょっと探してみたいと思います。

    コンテナ船を見た10分後に、こんどはLNGタンカーを発見しました。
    これも大きな船ですね。

    津軽海峡って、大型船が随分通過するんですね。
    これらの船を受け入れる港ってどこだろうか? またちょっと探してみたいと思います。

  • 写真撮りを終わってお部屋に帰る時、エレベーターを使わず階段を上りました。<br />その階段の折り返し点に飾ってあった花瓶?を撮ってみました。<br /><br /><br />この二つの花瓶?は、まだ完成前の状態にも見えますけど、これでも「完成品」でしょうか。←「芸術品」なんて、案外こんなものですけどね^^;<br /><br />問題なのは取っ手ですね。<br />これじゃあ持ちにくくて、取っ手も困るんじゃないですか?

    写真撮りを終わってお部屋に帰る時、エレベーターを使わず階段を上りました。
    その階段の折り返し点に飾ってあった花瓶?を撮ってみました。


    この二つの花瓶?は、まだ完成前の状態にも見えますけど、これでも「完成品」でしょうか。←「芸術品」なんて、案外こんなものですけどね^^;

    問題なのは取っ手ですね。
    これじゃあ持ちにくくて、取っ手も困るんじゃないですか?

  • これはこれは、なんという形でしょうか??<br /><br />表面がボロボロですから、なんか遺跡から掘り出してきたよう花瓶にも見えます。それにしても酷い形ですね。<br />持つ時は、どこを持てばいいのか?マジメな話、ホントに悩みそうな感じです。

    これはこれは、なんという形でしょうか??

    表面がボロボロですから、なんか遺跡から掘り出してきたよう花瓶にも見えます。それにしても酷い形ですね。
    持つ時は、どこを持てばいいのか?マジメな話、ホントに悩みそうな感じです。

  • 左のやつは、どうやって立てるのでしょうか?<br />玄関の下駄箱の上に置くにしても、一人じゃ立たないよ(-_-;)<br />困ったモンだね~(-_-)<br /><br />右のやつは、取っ手のように見える右側の筒に一輪差しでもするんでしょうか?<br />そこは小さくて、転びやすいし・・<br /><br />芸術家??(-_-;)って、どうしてこんなものを造るんでしょうかね?<br />この程度のものなら、私が作ってあげるよ(^o^)

    左のやつは、どうやって立てるのでしょうか?
    玄関の下駄箱の上に置くにしても、一人じゃ立たないよ(-_-;)
    困ったモンだね~(-_-)

    右のやつは、取っ手のように見える右側の筒に一輪差しでもするんでしょうか?
    そこは小さくて、転びやすいし・・

    芸術家??(-_-;)って、どうしてこんなものを造るんでしょうかね?
    この程度のものなら、私が作ってあげるよ(^o^)

  • さぁ、ホームパーティーですよ!!<br /><br />そう、ホームパーティーです(^^) 家族みたいなモンですからね!(^^)!<br />私が手を出しているのは野菜ですよ。<br />まずは生野菜から・・(^^)<br />それから、どんどん食べるのであります!!<br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    さぁ、ホームパーティーですよ!!

    そう、ホームパーティーです(^^) 家族みたいなモンですからね!(^^)!
    私が手を出しているのは野菜ですよ。
    まずは生野菜から・・(^^)
    それから、どんどん食べるのであります!!

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  • 私は先に食べちゃったけど、カンパイをしましょう!!<br /><br />ホームパーティーは今回が最後だからね、元気よくいきましょう!!<br />「カンパイ!!」

    私は先に食べちゃったけど、カンパイをしましょう!!

    ホームパーティーは今回が最後だからね、元気よくいきましょう!!
    「カンパイ!!」

  • 「カメちゃん、撮るよ~」<br />「ハイハイ~(^^)」<br /><br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    「カメちゃん、撮るよ~」
    「ハイハイ~(^^)」


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  • 次はオトコの兄弟で・・!(^^)!<br /><br />青森は結構良いところでしたね。<br />またまた元気をもらって、この通り元気いっぱいです!!<br /><br /><br />(Kさんご提供の写真です)<br />

    次はオトコの兄弟で・・!(^^)!

    青森は結構良いところでしたね。
    またまた元気をもらって、この通り元気いっぱいです!!


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  • 次は姉妹三人で・・<br /><br />ライン河クルーズであって以来、本当に兄弟姉妹のようになりましたね。<br />右から、次女、長女、三女です(^-^)!(^^)!<br /><br />こうやって楽しんでいると、2時間くらいはアッと言う間に過ぎてしまいますよ。<br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    次は姉妹三人で・・

    ライン河クルーズであって以来、本当に兄弟姉妹のようになりましたね。
    右から、次女、長女、三女です(^-^)!(^^)!

    こうやって楽しんでいると、2時間くらいはアッと言う間に過ぎてしまいますよ。

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  • 今回でワインも焼酎もシャンパンも全部飲み干すことができました!!<br />どんな困難なことでも、兄弟姉妹6人で力を合わせれば必ず乗り越えられる!!<br /><br /><br />今回の青森寄港で、青森のことが少しずつ理解出来てきたように思いました。<br />三内丸山遺跡は、あの時代において先進的な暮らしと文化があったことを、青森で見せてくれました。<br /><br />「ねぶた」も、その起源について明確な定義を持たないとは言え、その様々考え方の違いを辿りながら奈良時代末期からの人々の歴史と想いを、それ故にこそ、幾度もの逆風を乗り越えて維持され発展してきた「ねぶた」の力強さを、知る機会を持てたように思います。<br />奈良時代末期からの坂上田村麻呂の活躍と人柄にも触れることができて、ホントによかったです。<br /><br />長崎、釜山、新潟、青森を過ぎて、日本一周春色クルーズは仙台を残すのみとなりました。<br />やっぱり、クルーズするなら9日間ではちょっと短い(^^;) 船に乗るなら、2週間から20日くらいが良いなぁと思い始めました(^o^)<br /><br />★↓は2週間少々も楽しめたクルーズでした。<br />http://4travel.jp/travelogue/10260501 <br /><br />明日は仙台寄港です。<br /><br />(Kさんご提供の写真です)

    今回でワインも焼酎もシャンパンも全部飲み干すことができました!!
    どんな困難なことでも、兄弟姉妹6人で力を合わせれば必ず乗り越えられる!!


    今回の青森寄港で、青森のことが少しずつ理解出来てきたように思いました。
    三内丸山遺跡は、あの時代において先進的な暮らしと文化があったことを、青森で見せてくれました。

    「ねぶた」も、その起源について明確な定義を持たないとは言え、その様々考え方の違いを辿りながら奈良時代末期からの人々の歴史と想いを、それ故にこそ、幾度もの逆風を乗り越えて維持され発展してきた「ねぶた」の力強さを、知る機会を持てたように思います。
    奈良時代末期からの坂上田村麻呂の活躍と人柄にも触れることができて、ホントによかったです。

    長崎、釜山、新潟、青森を過ぎて、日本一周春色クルーズは仙台を残すのみとなりました。
    やっぱり、クルーズするなら9日間ではちょっと短い(^^;) 船に乗るなら、2週間から20日くらいが良いなぁと思い始めました(^o^)

    ★↓は2週間少々も楽しめたクルーズでした。
    http://4travel.jp/travelogue/10260501 

    明日は仙台寄港です。

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  • 白い華さん 2017/09/22 10:27:17
    青森では、「ねぶた祭り」を 考察する・・・ カメちゃん。
    お早う御座います。
    「グルリ!と 日本一周・・・。そして、 韓国・釜山」も 終盤が 近づいているんですね〜。

    皆さん!で 「お部屋 ひと部屋・・・に 集合して。の ミニ・パーティ」が ほんと、和気あいあい!で くつろいで・・・「いい〜! 船旅なんだなぁ〜」と 思わせてくれます。
    そして、 「こ〜んな 良い!クルーズ仲間・・・に 巡りえ会えた 幸福」が
    写真を 通じて、「伝わってきました」。 (♪)
    ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
    さて、「観光で 出掛けた・・・ 『 ねぶたの家 ワ・ラッセ 』 で、 いろいろ、勉強が できましたね。
    私も、 カメちゃんの 解説!で 「なるほど〜」と 思いながら、
    「ねぶた・・・の 歴史。 文化。 作り方」を 知りました。

    現在は、「LED照明が 多いそう」ですが、
    アノ・・・ 「和紙の 勇壮な 絵画」の 裏側。には、 沢山の 電球。。。
    「山車!の 下側・・・の エネルギー・ポイント」で 色鮮やか。 明るく・・・・照明が 使われている」って 仕組み!が 解りました。

    私も、『 日本の 祭り 』 って 興味あり! なんですが、
    「トイレの 長蛇の列」を 考える・・・と、 出掛けたくなくなり、
    テレビで 見る!と なります。

    年齢を 重ねる・・・と こうゆう、「伝統の 祭り」も 見方が 変わって、 大好き!に なりますね〜。

    「ミレニアム」の 白&紺色・・・の 船体。
    ほんと、 エレガントで、 素晴らしいですね。

    4日後・・・より、「姉妹で ロシア旅行」に 行ってきますね。
    「気温は、 13度・・・と、 寒そう」ですが、 黄葉・・・の ロシア・旧帝文化を 拝見してみよう。と 張り切っています。
         それでは また

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2017/09/23 21:48:15
    RE: 「ねぶた」に会えて嬉しかったです(^^)
    白い華さん 

    嬉しいコメントをありがとう御座います!!
    返信が遅くなってスミマセンm(_ _)m


    毎年、春頃になると「ねぶた祭り」を見物出来るクルーズやツアーなどのプランが届くのですが、なかなかチャンスに恵まれず、行く機会もなく時が過ぎてしまいました。

    今回のクルーズで、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」の見学が出来たこと、良かったと思っています。出来れば、人々の掛け声と共に夜の街に繰り出す「ねぶた」の勇壮な姿をみたいですね。 それは叶わずとも、展示とは言え身近に見ることが出来たんですからね(^^)

    勇壮な「ねぶた」ですが、小・中学生からも下絵を募集していること、これはとても良いことだと思いました。彼らにとって、下絵を描くために勉強もしなければならないし、「ねぶた」について改めて考える機会にもなっていると思いますからね。祭りを地域のみんなで支えているなぁ(^^)という印象を持ちました。

    初めて見た「ねぶた」ですが、いろいろ調べてみますと、さらに面白いですね(^^)

    お話のように、このような「日本の祭り」にも関心が湧いてきていますよ。
    秋田の竿燈祭り(愛知にも似たようなものがあります)、徳島の阿波踊り、富山の「おわら風の盆」などなど、ほかにも見たいものがありますよね。
    それと、改めて日本の味も!!(^o^) 各地の伝統料理や和菓子等々、塩大福とか・・!(^^)!

    ミレニアム号は良い感じの船でしょ(^^)
    私達はパナマ運河クルーズとアラスカクルーズで、同型船のサミット号にも乗っていますので、慣れた感じで乗ってました。この船は、アジアに来てもエンタメや料理変更していなかったので、とても良かったですよ。 白い華さんも是非また、セレブリティの船に乗ってみて下さいね。9万トン程度が手頃なサイズだなと思ってるんです。

    明後日から、ロシア旅行にお出掛けとか。 羨ましいです!!
    以前にもお話したかと思いますが、私達はモスクワからルイビンスク経由でボルガ川を南下し、ボルゴグラードからドン川に移行(運河で川を乗り換え)して黒海直前のロストフナ・ドヌーまでの、壮大な? ボルガ川クルーズを申し込んだのです。それが、船会社のクルーズ計画変更でオジャンに(-_-;) 西ヨーロッパとは違った文明を見たかったのに、残念でした。

    白い華さんには、しっかりお楽しみになって、ロシアの旅行の土産話をお聞かせ下さいね。
    旅の御安全をお祈りしています!!

    ありがとう御座いました。
    それでは、また・・(^_^)/~
  • ガブリエラさん 2017/08/20 19:37:23
    ねぶた、迫力ありますね!!!
    カメちゃん☆

    こんばんは♪

    ねぶた、一度は見てみたい祭のひとつですヽ(^o^)丿
    ただ、残念なことに、私の苦手なもののひとつが「人ごみ」ということで、なかなか祭に行く機会がないんですよ〜(涙)。

    いろんな「ねぶた」があるんですね♪
    実際に、これが道を通っている所を想像したら、迫力あるでしょうね(*^_^*)

    クルーズでは、船が家なんですね!
    お友達と一緒で、ホームパーティーまでできて、これは本当に楽しいでしょうね〜♪
    カメちゃん、奥様の笑顔が、とても嬉しくなっちゃいます(*^_^*)

    2週間くらい行きたい、というカメちゃんの言葉で、カメちゃんがお元気なのがわかって嬉しいです!
    そうですよー!
    ぜひ、次回は2週間くらいのクルーズに、奥様とお出かけ下さいね(^_-)-☆

    ガブ(^_^)v

    カメちゃん

    カメちゃんさん からの返信 2017/08/20 22:43:18
    RE: ねぶた見物も楽しかったね(^^)
    ガブちゃん

    コメントをありがとう御座います!!

    青森寄港で、三内丸山遺跡と「ねぶた」を見ることが出来て、とても勉強になりました。
    以前から、ねぶた祭りを見たいな〜と思っていました。
    祭り本番ではないけど、「ねぶたの家 ワ・ラッセ」という展示館で見ただけでも結構楽しかったですよ。

    人の大所が苦手でしたら、この展示館を見るとイイですよ。ねぶたのことを「知る」という点では、むしろこっちの方が良いかもね。ちょっと費用を出して、桟敷から見れば落ち着いて見られると思いますけどね。

    「ねぶた」のように街を練り歩いたり、阿波踊りのように大勢で踊ったりする祭りは、とっても楽しいですね。 私は若い時に「郡上踊り」を深夜まで踊ったことがありましたよ。祭り気分ってホントに楽しいですね!!


    そう、クルーズ中は、あのクルーズ船が「我が家」なんですよ。船に着くとホッとしますからね(^^) 私達は船で19泊のクルーズもしましたけど、ホントに自宅感覚になりますね。
    せめて2週間くらいのクルーズに行きたいですね。
    カミさんは来年にショートクルーズに行きたいみたいですけど、私の体調がどうなりますか?非常に微妙です(-_-;)

    ガブちゃんもお母様とご一緒に安価なショートクルーズをご体験になってみて下さいね。

    嬉しいお話をありがとう!!(^_-)
    それじゃ、またね〜〜(^^)/~~~
    カメちゃん

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