2017/09/15 - 2017/09/19
17位(同エリア121件中)
尖椒土豆絲さん
- 尖椒土豆絲さんTOP
- 旅行記27冊
- クチコミ0件
- Q&A回答6件
- 61,562アクセス
- フォロワー19人
城壁・城門大好きな我家の暢游候補地を探していたところ、浙江省の江南長城(臨海古城)という城壁散歩が可能な史跡や、漁村丸ごと古城として保存されているという石浦漁港古城の存在を探知、一気に中国暢游モードに突入です。
日本航空HPでチケットを検索してみると、東京ー上海間【エコノミークラス Special Saver Q 中国行】が往復39,000円という超激安価格で発売中いうことが判明、これは行くしか無いでしょう。
という訳で、毎度々の古城・史跡巡りに突撃、台風18号とニアミスをしながら、何とか無事に旅行を終えて帰国しました。
魅力たっぷりの江南の様々な史跡群、私たちと一緒に旅をしましょう。
それでは、北馬南舟の歴史を鑑みながら、いざ出発!!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 3.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
東シナ海を中国大陸へ猛進していた大型台風18号は、急遽進路を東にV字ターン!!VVVV。
今回の旅游先への台風直撃が無くなり、我家は安堵です。
その一方、直撃が予想される日本列島が心配です。
とは思いつつ、機内食とプレミアムモルツを楽しみながら、大雨の上海に向かいます。
アテンダントさんの話では、JL081便は台風を跨いで飛行するとのこと・・・??
跨ぐって何?? -
上海虹橋空港国際線ターミナルは大規模リニューアルが進み、大きく様変わりしていました。
先ずは軍資金調達の為に、空港内のATMを探します。
ところが、交通銀行と中国農業銀行のATMは、電源OFF。
東亜銀行ATMでは日本のキャッシュカードやクレジットカードでは出金出来ませんでした(≧∀≦)。
国際線が就航しているにも関わらず、なんてこったい・・・!(◎_◎;) -
軍資金調達は諦め、取り敢えず、地下鉄10号線で上海虹橋火車站に向かいます(3元)。
券売機の操作は至って簡単です。 -
上海虹橋火車站内で見かけた中国工商銀行のATMに並び、再度、キャッシュカードでの出金に挑戦。
今度は上手く軍資金調達に成功です(やったネ)。
因みに本日のSMBC信託銀行のレートは、1元=17.69円です。 -
続いて高鉄切符売場に到着です。
以前に比べると、ネット予約が普及し、大混雑は緩和されています。
私達も予め日本で上海虹橋→臨海の高鉄列車切符をネット購入しました。
本来は臨海まで180元ですが、日本からのネット購入の場合、1枚につき予約手数料30元と中国発行クレジットカードで決済しない場合は、更に5%の追加手数料が必要です。
やはり、中国銀行で口座開設して、中国発行のクレジットカードを持たないといけませんネ!!! -
上海虹橋から臨海までの高鉄切符です。
高鉄は直前購入の場合、満席になるケースが多く、事前購入の方が安心です。
早速、帰路の18日の寧波→上海虹橋の切符を購入です。 -
予約した高鉄列車G7539号発車時刻14:15まで、小一時間ほど有ります。
散歩がてら駅構内を探索です。
それにしても、何て広大な駅舎なのだろう・・・
そして何て沢山の人々で溢れかえっているのだろう・・・ -
大きく崩れた上海の天候、高鉄列車が順調に走行することを祈ります。
臨海迄、2時間52分の旅です。 -
高鉄列車は杭州・揚州・寧波と大雨の中を爆走します。
そして、定刻通りに臨海火車站に到着です。
台風18号の影響で臨海も大雨です。
さてさて、続いて臨海火車站から211路バス(4元)で臨海中心部に向かいます。
駅前ロータリーに停車中の211路バスにダーッシュで飛び乗りです。 -
目指すは今夜の宿泊先の国貿賓館です。
バス停がホテル前だと有難いのだけど・・・・・ -
雨と夕方のラッシュが重なって、所要1時間も費やして国貿賓館站に到着です。
バス停から臨海国貿賓館(250元×2泊 朝食付き)迄は徒歩数分の距離で、雨の中をダーッシュ!!! 無事にチェックインです。
部屋に入り、テレビのスイッチを入れると、天気予報で台風18号の高波予想が流れていました。
浙江省寧波の天気は晴れ!!やったね!!!!
でもでも、この後、台風18号は日本に向かいます。
日本が大変なことになりそう・・・ -
さてさて小休止後、夜景観賞に出発です。
台風18号が東寄りに進路を変え、影響下から脱したようで、遂に雨が上がりました。
やったね ( ^ω^ ) ~!!!
臨海古城東門にあたる崇和門がライトアップされています。
何か幻想的です。
やっぱり古城って、いいなぁ~(^ν^) -
東湖公園に建つ依水山庄です。
江南地方の建物の特徴が出ています。 -
崇和門前の東湖公園から東に歩くこと約20分、人民路の露店食堂街に到着です。
何軒もの店が軒を連ね、路上には沢山のテーブルとイスが並んでいます。 -
今回は予め、取引先の華人の方に、臨海の露店食堂街の場所を調べてもらいました。
このアジアチックな雰囲気が大好きです。
ワクワクしちゃう!!!
そんな中、玉環小海鮮という店に入ってみて、食材を観察です。 -
よっしゃー! 何を注文するかを決めたゼ!!!
菜単を見ながら、食材を指さして、注文します。
縊蟶貝醤炒(マテ貝炒め)・臨海咸飯・尖椒土豆絲に舌鼓、哈爾賓ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!
静かに旅游初日9月15日の夜は更けていきます(晩上好)。 -
旅游2日目の9月16日が始まりました(早上好)。
臨海国貿賓館は、4ツ星ホテルです。
朝食会場に向かうと、目の前で出来立ての料理を調理中!!!!
臨海麦麺を注文です。
出来たてホヤホヤ、嬉しいなぁ~ (^▽^)/
臨海名物咸飯も一緒に食べて、エンジン点火!!!! -
さてさて、臨海古城散策初日の始まりです。
臨海古城東門前に広がる崇和門公園を見降ろすように、国貿賓館が聳えています。
古城観光の拠点として、抜群の立派です。 -
崇和門です。
古城といえば城門、城門といえば城楼です。
し・か・し・・・残念ながら登城は出来ません。 -
かつては臨海古城東側の護城堀だった東湖です。
現在は東湖公園として整備されています。 -
東湖越しに撫雲閣が見えます。
更にその後方には攬勝門が確認出来ます。 -
その攬勝門の階段と並行して城壁が見えています。
-
早速、東湖公園と臨海古城壁登城の通票70元を購入し入園します。
-
通票70元です。
個別に購入すると、東湖公園15元、臨海古城65元となり割高になります。
地元の人達は、機械に人民カードをタッチして入園です。
私達は、パスポート番号を控えられて入園です。 -
東湖公園は、南側の無償エリアと北側の有償エリアに分かれています。
この有償エリア内には、沢山の地元民が、二胡を奏で、歌い、そして踊っています。
どうやら臨海市民は無償で入園出来るようです。 -
東湖公園を後にし、いよいよ城壁散歩の開始です。
ここ臨海古城は江南長城とも言われています。 -
城壁散歩をスタートさせるには、南東鎮雄と刻まれた石坊を潜り、長い急な階段を登らなければなりません。
-
臨海古城は、カタカナの逆コの形で城壁が保存されています。
古城一周は6.3km。
東側1.6kmは撤去されましたが、残された約3/4の城壁が歴史の重みを今に伝えています。
古い街並みが残る紫陽街は、西側の朝天門と南側の興善門を結ぶように、逆L字型に延びているようです。 -
攬勝門に向かって真っ直ぐな急階段が続きます。
石段途中で転んだら最後、下段まで転げ落ちてしまいそうです。
気を付けなきゃ!!! -
急階段を登り切りました~かなりキツい石段です。
息を切らせながら振り返ります。
正しく心臓破りの石段です。
ドキドキしている心臓を労わらないと・・・
早速、救心を飲みます。
直ぐに心臓が楽になります (⌒▽⌒)。
ふと落ち着いて、遠方を眺めると、東湖公園の彼方に私達が停まっている国貿賓館が見えています。 -
台州府城墻の石看板です。
臨海市は台州市の地方都市です。 -
攬勝門と崇和門を結んでいた臨海古城東側の城壁です。
こちらは開放されておらず、散策出来ません。
先程、息を切らしながら登った急階段と並行して城壁が残されています。 -
攬勝門を潜り抜け、城楼に上がります。
-
城楼内には臨海古城の縮小模型が作られていました。
手前に見える瓮城が鎮寧門です。
後方の山々は城隍山で、その稜線に城壁が連なっています。 -
その隣には古城図が貼られています。
今から散策する城壁や各城門が載っています。
ここで、臨海古城の歴史に触れてみましょう。
臨海古城壁は、1600年以上の歴史をが有り、 中国に現存する独特な特色を持つ古城壁の一つです。
晋代に築城が始まり、唐、宋、元、明、清代に拡張されて現在の形になっています。 -
この城壁は明の名将と言われた戚継光が築いたもので、当時跋扈していた倭寇に対抗する目的も有ったようです。
この築城で腕を見込まれた戚継光は、中央に移ってから、万里の長城の修築に力を指揮します。
ここ江南長城壁は北京近郊長城の修築・補強の練習台の役割を果たしたようです。 -
城門から歩き出すと、電気カート車が停まっていました。
先程の急階段を登れない人の為に準備するのでしょうか?
何も案内が無く、事実は不明のままです。 -
古城東北角に位置する白雲楼への急階段を登ります。
百歩峻の急坂と呼ばれています。
またまた、救心が必要かな~?
解説パネルによると、ここ江南長城で最も険峻な坂だといいます。
またこの急坂ですが、伝承によると、築城に際して、何回も何回も失敗が続きました。
しかし、ある時、鹿が雪の上を駆け上がり足跡を残して行き、その足跡沿いに城壁を築いてみたら、今度は上手く築城出来た・・という言い伝えです。 -
蜿蜒曲折で稜線上を連なる城壁です。
急坂百歩峻を踏破するぞ!!! -
白雲楼で直角に左に折れて西進し・・・
-
長城のアップダウンを繰り返すと、括蒼門に到着です。
-
ここ括蒼門は臨海古城の北門にあたります。
城外の一枚岩には“至真妙道”と大きく文字が刻まれています。
北門から城内外に出入りする人達の目に触れ続けた訳ですね。 -
城隍廟に到着です。
何と隋の時代から生き続ける樹齢650年の香樟古木、つまり楠の木です。
人間の一生が儚く感じてしまいますね。 -
望天台です。
元末期、この地方で農民蜂起が起こり、台州一帯を占領しました。
その首領が天を祭るために建造したもので、今の望天台は1999年に大規模修復されたものです。
何だか北京の天壇公園の史跡に似ていますね。 -
台風18号が去り、天気が回復。
いよいよ晴れ男・晴れ女の本領発揮かな! -
映碧と書かれた楼閣が有りました。
展望台になっていますが、工事中で登れません。
先に進みます。 -
敵楼です。
現在、8台の敵楼が残っています。
二層構造で、上層は戦闘用、下層は休憩と倉庫を兼ねる構造で、明の万里の長城に適用されたようです。
この敵楼ですが、戚継光の発案だと言われています。
以前は単なる城壁のみで防御用の拠点はなかったらしいのです。
戚継光って、凄い人なんだ・・・ -
敵楼から振り返ると、連なる城壁が一望できます。
北に延びる城壁は山稜に沿っており、ミニ八達嶺と言われています。
別名、江南八達嶺長城と言われる訳が良く分かる景色ですね(^ω^) -
敵楼から朝天門に向けて、城壁を下ります。
霊江の氾濫から城内を護り続けた城壁が続いています。
敵を殲滅する瓮城も見えて来ました。 -
霊江に面した堅固な瓮城ですね。
大洪水の時、この城壁が水害を防ぎました。
残念ながら朝天門の城楼は残されていません。 -
歩いてきた長城を振り返ります。
そして朝天門瓮城を見降ろします。
ここ朝天門で下城して、紫陽街に行くことも可能ですが、私達城壁フェチ夫婦は、そのまま城壁散歩継続です。 -
その前に朝天門から城内を見下ろします。
ここから紫陽街が始まります。 -
続いて望江門に到着、城外を俯瞰します。
城外の霊江には橋が架かっています。
頻繁に車が行き来しています。 -
望江門城墻から降りる階段は封鎖されています。
先程の朝天門で降りない場合は、古城南側の興善門まで歩くしか選択肢は有りません。 -
先程、攬勝門城楼内のジオラマで見た古城南側3門の西側の鎮寧門です。
瓮城構造が綺麗に残っています。
ここでも下城出来ません。 -
古城南側3門の真ん中に構える興善門です。
長城散歩は、この先は通行止めになっています(知らなかった・・・)。
当初の予定では、南側3門の東側 靖越門まで一気に踏破するはずだったのですが・・・
止むを得ません!城壁散歩は終了です。 -
下城して、興善門瓮城から城外に出てみましょう。
-
興善門瓮城を城外から眺めます。
堅固な要塞だったことが良く分かりますね。 -
城内に戻り散策継続です。
写真は龍興寺です。
免費です。
興善門の内側に建立されています。
天台宗開祖最澄をはじめ、日本の高僧が留学した古刹です。
最澄がその在唐期間の8ヶ月中、6ヶ月もの間、修行したことでも有名です。 -
龍興寺の奥に何やら塔が見えます。
-
塔は千仏宝塔という名称で、石碑文によれば唐の時代の建築のようです。
今の時代まで残っている史跡です。 -
千体の石仏が埋め込まれています。
-
龍興寺の奥に建つ天寧寺です。
更に後方には巾山公園が続いています。
登るか?引き返すか?
昼食のことを考えれば、引き返さないと飯抜きになってしまいます。
腹が減っては戦は出来ませんね!
も~どろっと!!!! -
先程通った龍興寺の前を通って引き返します。
-
興善門から城内に繋がり、臨海古城内を十字に走る紫陽路入口の石碑です。
古い街並みが保存・再現されています。
さあ、今度は城内散歩の始まりです。
ん~それにしても、お腹が空いてきたぞ~!!!! -
古城の良さは城壁・城墻・城門だけでは有りません。
レトロな街並みも魅力の一つです。
街並みの整備も進み、良き古き時代にタイムスリップしたかの錯覚に陥ります。
紫陽街を北上すると・・・ -
天寧路との交差場所に千佛井が有ります。
-
天寧路の東方を眺めてみると、時間配分の都合上、明日の散策に回した巾山群塔が見えています。
明日は、あの双塔のところまで登らなきゃ!!!
ん・・・双耳峰というよりは、オッパイ山みたい!!(失礼しました) -
中国人民銀行です。
ATMは有りません。
両替業務はしていません。 -
カウンターは鉄格子で遮られています。
治安状況は如何な感じだったのでしょうかね。 -
清河坊です。
風火墻といい、火事の延焼を防ぐ知恵ですね。
紫陽街には、このようなアーチ状の石門が幾つも備わっています。 -
巾山西路と紫陽街の交差場所に、何軒もの食事処が軒を連ねています。
流石にお腹が空きました。
三鮮麦蝦麺・大排麦蝦麺・尖椒土豆絲に舌鼓、哈爾賓ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!! -
食べ過ぎました。
太田胃散を飲んで、胃袋の調子を整えます。
後半戦暢游の開始は仁一方からです。
今でいう薬局です。
昔から、お金と薬を扱う店は、町の繁栄の象徴だったのでしょうか!
生薬好き・薬好きな我家にとって、興味深い史蹟です。 -
仁一方近くの沢山の店で梨膏糖が売られています。
何々???咳喉に効くらしい・・・
我家愛用の龍角散ののどすっきり飴と比べてみましょうか!(◎_◎;)! -
太平天国が占拠したという屋敷の門です。
昔、世界史で習った記憶では、太平天国の乱は、中国のキリスト教信者が起こした反乱・内戦だったかな? -
次に台州孔子廟にやって来ました。
大成門を潜ると、中軸線上に大成殿・明倫堂と連なります。
孔子を祀る廟で、全国に建てられており、創建は北宋時代と長い歴史を刻んでいます。
沢山の賢者を輩出して来たことでしょう。 -
先程、城壁散歩で通過した望江門です。
車が頻繁に走り抜けて行きます。 大半の城門の門洞は狭く、人や馬車位しか通れない設計になっています。
ここ望江門は、瓮城も無いことから、車道を通す現代風設計の再建門かも知れません。 -
朝天門外てす。
今度は瓮城外から門洞を潜ります。 -
城内から見た朝天門です。
ここから紫陽街が始まります。
先程、瓮城上から見下ろしていた場所ですね。 -
紫陽街が潜り抜ける鼓楼です。
残念ながら修復工事中てす。
カバーで覆われ、鼓楼の全貌が分かりません。
まあ、仕方ないネ!!!! -
紫陽街を歩きます。
夕刻が近づきました。
暢游を終えて、一度、ホテルに戻ります。 -
ホテルで小休止後、再び、昨夜と同じ人民路の露店食堂街に足を運びました。
今夜は海鮮店ではなく、串焼き店を選択です。
着座して単菜を見たのですがよく分かりません。
店の人達が、“▽●×◎◆◇”と言っています。
店の奥の食材冷蔵庫に連れて行かれました。
直接、串を指さして注文です。
羊肉・大蒜・豆腐等、ワイルドに食しながら、哈爾賓ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!! -
露天食堂には露天調理が似合います。
串が次々と焼かれて行きます。
辺りは芳ばしい香りに包まれています。
この季節の露天食堂は気温も最適で、とっても楽しいなぁ~
古城散歩に明け暮れた旅行2日目の9月16日が終わろうとしています(晩上好)。 -
旅游3日目の9月17日が始まりました(早上好)。
今日は臨海古城散策2日目です。
昨日、行けなかった巾山景区に登ります。
写真の貞度堂横の東入口からも登れますが、昨日、靖越門を訪れていません。
今日も城壁散歩できるかな? -
臨海古城の城壁は、逆コの字型に残されています。
その南東端から連なる煉瓦積みの城壁です。
城壁登り口は工事中で閉鎖されています。
ん~残念!!! -
城外を散歩して行くと、臨海古城南3門の東端の靖越門に到着です。
堅固な瓮城を備えています。
それに石の組み方が変わっています、
煉瓦積みではなく、石をそのまま整形して積んでいるようです。 -
瓮城の洞門を潜り抜けます。
石の模様が綺麗だね(^▽^)/ -
やがて、馬面が見えます。
現在、東端の靖越門から紫陽路南端が接する興善門の間は修復工事中で、城壁上には上がれません。
結局、今日はこのまま城壁に沿って、城外散歩します。 -
古城南側を流れる護城河の霊江です。
この辺り一帯の地質なのでしょうか?
台風18号の影響なのでしょうか?
茶色に濁った大きな流れが動いています。 -
興善門から城内に入り、昨日訪れた龍興寺と天寧寺をやり過ごして、巾山群塔を目指します。
中斗宮と三元宮を拝観し、山頂へ続く遊歩道を進みます。 -
巾山公園図です。
山全体に遊歩道(登山道)が張り巡らされています。
私達は西口から登り、北口へ下る予定です。 -
巾山群塔東側の大文峰塔です。
近くの石碑には巾山東塔と刻まれています。
昨日、天寧寺から見上げた左のオッパイ山山頂です。 -
巾山は双耳峰のような形をしています。
東峰から西峰まで歩きます。
巾山群塔西側の大文峰塔に到着です。
近くの石碑には巾山西塔と刻まれています。
同じく右側のオッパイ山山頂です。 -
巾山公園は、東西南北の何れからも入園(登山)出来ます。
北口を出た所の天寧路は、昔懐かしい露天市場が広がっています。
私の故郷でも、四九(しく)と言って、毎月の4と9がつく日には露天市場が開かれていました。
あ~懐かしい!!! -
天寧路を東進、崇和門広場まで歩きます。
とうとう臨海古城暢游が終了します。
2泊お世話になった国貿賓館近くのバス停から高鉄臨海火車站に移動です。
211路と218路、先に来たバスに乗ろう!!! -
待つこと5分、218路(4元)に乗車です。
2日前と違い、天気良好・ラッシュ無し状況です。
約35分で臨海火車站までスイスイ走行です。 -
臨海火車站から寧海火車站迄の切符を購入です。
私達、地方線と思って舐めていました・・・
満席寸前だったようです。
座席は別々で、並らびの確保が出来ません。
まあ、寧海迄は僅か20分の移動です。 -
臨海站前の露店食堂で簡単な昼飯です。
何故なら高鉄移動後の寧海長途汽車站で豪華な昼食を想定していました。
水餃に舌鼓、雪花ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!
後ほど、この水餃、食べておいて助かった~と分かります。 -
高鉄に乗るぞ~!!!!!!!!!!!!!!!!
-
G7516の高鉄切符です。
寧海まで僅か20分・20元です。 -
あっと言う間に寧海火車站に到着です。
中国大陸を縦横無尽に走る高鉄、本当に便利になりましたね~(^▽^)/ -
寧海客運中心は今年4月に運用が始まったばかりの新しいバスターミナルです。
高鉄寧海火車站に隣接するように開設されています。
しかし・・・
新し過ぎて、テナントは全て空っぽ、当然食事処も皆無です・・・トホホ!!!
よかった~臨海火車站で水餃を食べておいて・・・・(>_<) -
石浦汽車東站迄の切符(26元)です。
-
14:45発 石浦東汽車站までの中距離バスです。
所要時間は、バスのフロントガラスの表示では100分のようです。
多数の空席が目立つ中、寧海客運中心を出発したバスは、従来から運用されている寧海長途汽車西站で、新たに多数のお客を乗せて再出発です。 -
結局、120分費やして、石浦東汽車站に到着です。
100分という表示は、従来からある寧海長途汽車西站から石浦東汽車站迄の所要時間です。
HP時刻表も要注意です。
石浦行き最終バスの発車時刻は15:00となっていますが、これは西站発車時間です。
新しく運用された寧海客運中心站発は、14:45です。
あ~余裕を持って移動して良かった~。
さあ、石浦漁港に向けて、路線バスで移動です。 -
早速、502路バスで、今夜宿泊する象山石浦憶江南酒店(288元 朝食付き)近くの老建行站まで移動です。
バス停間隔が短く、乗客の乗り降りの激しい路線です。 -
石浦古城周辺の打水湾には観光港及び漁港が並びます。
夕方、まさに満潮で、真っ茶色な海面が印象的です。
臨海の霊江と同じ色合いですね。
台風18号が来襲した時、一体、海の状況はどんな感じだったのでしょうか?
何にせよ、台風に遭遇せず、安堵・安堵です。
よっしゃ~チェックインするぞ!! -
チェックイン後、CCTVを見てみると・・・・・・
台風18号が鹿児島県に上陸したとの報道・・・・・・
私達が中国旅行を楽しんでいる間に・・・御免なさい・・
自然の猛威には勝てません!! -
さて、ホテルで小休止後、夜の晩餐及び夜景観賞に向けて再稼働です。
先ずは海峡広場の太極拳を眺め、近隣の露店食堂を物色です。
この季節、海風が爽やかで、塩の香りが辺り一面に拡がっています。
ここから1670m続く古城碗行街に興味津々です。 -
石浦古城は夜間は無償開放されています。
幻想的な灯りの中、碗行街を古城の奥へと歩いて行くと・・・ -
貝殻細工のお土産屋さんが並んでいます。
海辺の街ならではの光景ですね。 -
石段を上がると、お茶処の聴涛楼です。
夜の古城を散策中に一服したい方はどうぞ!! -
瓮城を従えた城門と楼閣が浮かび上がっています。
シビれます \(^-^)/!!! -
城門と関帝廟を抜けて、更に進みます。
-
古い街並みの石浦古城碗行街を抜け、人民路で夕食処を探します。
す・る・と・・・有りました~海鮮料理の露店食堂!!!
蟹を頼みましたが・・・没有。
台風18号の影響で、市場に入る海鮮食材が少ないらしい・・・ん~残念!!
早速、魚水辣煮・縊蟶貝醤炒(マテ貝炒め)・白飯に舌鼓、青島ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!
隣のテーブルの若者達から、“那里?”の質問が来ました~。
“我日本人”!! 発音が悪く伝わらず、結局は紙に書いて伝えました。
いや~コミュニケーション、楽しいなぁ~
旅游3日目の9月17日が終わろうとしています(晩上好)。 -
旅游4日目の9月18日が始まりました(早上好)。
石浦漁港は東シナ海に向けて開かれています。
打水湾に浮かぶ東門島の背後から、朝日が昇って来ます。
朝焼けに胸を打たれ、暫し感動です。 -
打水湾沿いの漁港中路を石浦古城方面に向かって散策開始です。
海風が心地よく、漁船のエンジン音が伝わって来ます。
あ~海辺の街なんだぁ~と思わず再確認です。 -
昨夜、沢山の方々が太極拳を舞っていた海峡広場です。
ここから石浦古城散策が始まります。 -
石浦古城の入場券(60元)です。
しかし、私達は、宿泊した象山石浦憶江南酒店から割引クーポン券を貰い、集票処で提示、割引価格の55元を支払って入場です。 -
石浦古城入場口の江心寺です。
道教寺で金・金・金で輝いています。
古城同様600年余りの歴史が有ります。
寺院内には大慈大悲観世音菩薩十八羅漢が睨みを効かせています。 -
昨夜は開放されていた石浦古城入場口牌坊です。
入場券が有れば、古城内の各旧家や博物館にも寄って行けます。
さあ、検票を受けて入城です。 -
石浦古城の地図です。
昨夜も散策しましたが、細長い石浦古城景区を奥へ奥へと進みます。 -
古城港城滄桑展館に入場です。
入城券の検票が有ります。
昔から活躍していた対倭寇海戦用炮舟です。
海の邪悪から乗組員を守る為、ん~よく見ると鬼面と目玉が付いていますね。 -
石浦古城のジオラマです。
現在残されているのは城門だけです。
城門に連なる城壁は、全て撤去されています。
なるほど、こんな形の城墻だったのですね。 -
石浦古城図です。
倭寇に備える堅固な城壁に囲まれていた様子が伺えます。
残念ながら城壁は撤去されてしまっています。
あ~歩きたかったなぁ~城壁散歩!!! -
漁光曲が紹介されています。
1934年に中国で漁光曲という同名映画が制作されています。
李香蘭こと故山口淑子さんが歌っていた曲です。 -
耕海牧漁です。
漁師達が使用してきた漁具が並んでいます。
圧巻は鯨の骨標本です。
鯨の捕獲は、日本だけでは無かったのですね。
ここは入城券の検票が有ります。 -
天然の良港・漁港ということは、山が迫っているということです。
おかげで、風情のある石段が敷かれています。 -
瓮城へと続く洞門を潜り抜け、城門への階段を上がります。
この石浦古城瓮城、高さは15m,城壁の厚さは2.8m,周長24.9mもあります。 -
瓮城内から城門を仰ぎ見ます。
-
城門を潜ります。
修復台基と旧台基が並んで分かりやすく解説されています。 -
城門に上がってみると、魚の日干場に遭遇・・・
まさか城門で魚を干しているとは(^◇^) -
臨海古城でも逢った英雄“戚継光”が守備する城門です。
倭寇が襲来する海を睨んで仁王立ちです。
昨夜の散策でも感じましたが、やっぱり城門はシビれます(^ν^) -
城楼の背後には関帝廟が建てられています。
関帝廟は、商売の神様“関羽”を祀る場所です。
中国全土、何処に行っても関羽は商売の神様として崇められています。
ん! 10:00から舞台で演舞が有るようです。
見て行きますか!!! -
関羽様鎮座!!
-
関帝廟前の特設ステージ:老漁民小舞台で演武が始まりました。
何かの昔話で構成されているようです。
演者のセリフで会場が騒めきます。
残念ながら、私達は日本語しか分かりません。
他の中国人観客と一緒に同化できず、もどかしさを覚えました。
やっぱり、中国語を勉強しなくちゃ!!! -
碗行街を奥へ進みます。
通りの様々な壁に、貝を植木鉢に見立てた飾りつけが目立ちます。 -
毎年9月初旬~中旬に、ここ石浦鎮で開催される開漁節は、象山県の風物詩らしいのです。
象山開漁節の時は、もっとカラフルな貝殻細工の装飾だったのかな??? -
関帝廟を過ぎた後の碗行街は下り坂になります。
次は宏章綢庄です。
花型やリボン型の可愛い釦が展示されています。
紐釦とでも言うのでしょうか?
チャイナドレスには必要不可欠な釦ですね。 -
大きな算盤を備えた源生銀庄です。
個人金融機関だった私立銀行です。 -
お金に絡む場所は鉄格子が当たり前なのでしょう。
カウンター飛び越え、「金を出せ!!」な~んていう銀行強盗は出来ません。 -
大皆春です。
石浦古城の薬局です。
生薬大好き我家の鼻が鳴ります。
火災の延焼を防ぐ洞式の風火墻を伴っています。
臨海古城でも沢山見られましたネ。 -
薬局のカウンター越しに、百味箪笥が見えます。
日本でも煎じ薬や漢方生薬の整理・管理に使われていますよね。
一体、どれ程の薬が中国から日本に伝わったのでしょうね。 -
古城内では、石浦名物の凍草が売られています。
海藻から作られた寒天とでもいうのかな?
甘いシロップも準備されています。
“□▽●〇◎×□”とお母さん達に声をかけられます。
きっと“喉越し爽やかな美味しい凍草だよ~1杯如何かな?” 何てところでしょうか。 -
阿片窟栽興烟館です。
アヘン(≧∇≦)いわゆる薬物です。
英国によりもたらされた印度産の阿片が、当時の清国を蝕んで行きます。
そして、阿片戦争で英国に破れた清国は、南京条約で香港を割譲され、自由貿易港の開港を強いられ、多額の賠償金を支払い国力が低下、世界の覇者の地位を譲る羽目になりました。 -
阿片を吸う人達です。
身も心も朽ちて行きます。
清国が英国からの阿片輸入を禁止した訳が分かります。 -
しかし、実際に阿片窟が石浦鎮に存在していたのですね・・・
中毒患者の末路は悲惨なものです。
そして国家の末路も同様です。
昔の授業で習った世界史のアヘン戦争は、西洋列強の脅威を日本国へ知らしめた強烈な警告だったと習いました。
清国と同じ轍を踏まないと誓った日本国は、やがて、開国・近代化・富国強兵へと突き進んだのです。 -
屋上に上がると、歩いて来た碗行街を中心にした石浦古城の全景が見渡せます。
黒瓦が続くノスタルジーな眺めです。 -
そのまま侍郎府に進みます。
外に出てみると、うだつの上がる立派な建物です。
明代五朝の侍郎重臣の故居です。 -
メイン通り碗行街から横道の福建街に入って彷徨ってみます。
古い街並みが整備・保存され、それが魅力を更に引き出します。
ん~何か時間が止まっているみたい・・・
さあ、古城から出ますよ!!! -
石浦古城前近くの桟橋に繋がれた漁業船団です。
赤い旗が威圧的です。
昨夜、晩餐で食した魚水煮の具材も、これらの船が水揚げしたのでしょうかねヾ(@⌒ー⌒@)ノ -
様々な漁業船が停泊しています。
皆さん、安全操業して下さいネ(^ν^)
魅力的な石浦の街に後髪を引かれながら、古城散策が終了します。 -
さあ、今日は上海まで戻らなければなりません。
先ずは埠頭桟橋前の東門碼頭站から石浦汽車東站まで移動です。 -
昨日同様、502路バスに乗車です。
海沿いの漁港中路を潮風を浴びながら快走します。 -
沿岸南線県道506号バイパス近くの郊外に建つ石浦汽車東站です。
-
石浦から寧波迄の切符を購入しなくちゃ!
初日に購入済みの寧波発上海虹橋行き高鉄G7550号は17:40発です。
今からの昼食時間を考慮し、寧波到着時間から逆算すると、14:30頃のバスには乗らなければなりません。
アレ?寧波南と寧波東の二つの寧波が載っています。
集票処で“高鉄”と紙に書くと、“寧波南”と書き返されました。 -
14:30発のバス切符を購入、石浦汽車東站近くで食事処を探します。
街中には象山開漁節の旗が沢山掲げられていて、そよ風に洗われています。 -
海鮮という看板を揚げた店に入ります。
店内の冷蔵庫を見ながら、何を食べようか? 何を調理してもらおうか?
蟹と紙に書くと“没有”・・・やっぱり蟹は居ません。
よし!! 銀色に輝く太刀魚を指さして食材決定!!!!
お母さんが大胆に鍋を火にかけ、一気に調理開始です。 -
石浦特産の海鮮腕麺・海鮮炒飯・太刀魚辣焼に舌鼓しながら雪花ビールで乾杯!( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!
いやはや、海鮮料理って素晴らしいですね!!!
6年間、日本語勉強中という地元のお客さんが隣のテーブルに座っていました。
「石浦で日本人に会えるなんて・・・」と彼女は興奮気味!!日本語が使いたかったみたいです。
ではでは、石浦汽車東站に戻りましょう。 -
14:30発の寧波汽車南站行きの切符(47.5元)です。
-
果たして、寧波南は高鉄寧波站と隣接するバスターミナルなのでしょうか?
心配をよそに、定刻14:30、石浦から出発です。 -
石浦から象山県内の県道216号線、象山から高速道路を走行し、約120分後に寧波汽車南站に到着です。
寧波汽車南站は寧波火車站隣接でした。
ふ~ホッとしました。
時刻表に載っていた寧波汽車東站に乗っていたら、何処に連れて行かれていたのでしょうか? -
寧波站です。
高鉄が乗入れている場合、郊外に新駅を新設するケースが多いのですが、ここ寧波は従来の寧波站を大改造して活用していました。 -
寧波→上海虹橋の切符(144元)です。
旅游初日の15日に上海虹橋站で購入済みです。 -
予約したG7550号は、寧波始発の上海虹橋終着の高鉄列車です。
17:40発で、所要時間1時間50分です。 -
途中、余姚北・杭州東・嘉興南の3駅に停車しながら、上海虹橋站に定刻通りの19:30に到着です。
時速300km走行は日本の新幹線より早く、中国大陸は高速鉄道網の整備が急ピッチで進んでいます。
高鉄の基本設計は時速350km走行なので、今後は更に高速化が進むでしょう。
イヤイヤ、本当に便利になりました(^∇^) -
今夜は上海虹橋站から南翔站まで移動しなければなりません。
地下鉄10号と11号を乗り継ぎます(5元)。
延伸工事中ですが、現段階では地下鉄10号線の始発は上海虹橋站です。
つ・ま・り・・・座れます(^▽^)/
やったネ~!!!!!!! -
地下鉄11号線南翔站近くの真南路沿いの真南路衆仁路站から62路バス(1元)で解放路沿いの南翔鎮站まで移動です。
何と到着バス停前に、今夜、宿泊するホテルが有るでは有~りませんか!!!!
錦江之星上海南翔店(227元・朝食別20元×2人)に無事にチェックインです。 -
さて、小休止後、夕食と夜景観賞を果たす為、南翔鎮老街に向かいます。
時間が遅く、南翔小籠包の各店は閉店していました~残念!!!!(◎_◎;) -
南翔老街のライトアップは小規模です。
各説明看板も暗くてよく見えません。
まあ、明日、ゆっくり暢游すればいいか~!!! -
南翔老街近くの南華路に軒を連ねる美食街に向かいます。
店頭には“小龍”という表記・看板が目立ちます。
つまり、ザリガニです。
取引先や部下の在日華人の方々から、中国では当たり前の食材という話は聞いていました。
ここはチャレンジするっきゃ無いでしょう!!! -
ザ・リ・ガ・ニ・・・生きています。
服務員が、“×◎◆▽●◇”と言っていますが、理解不能。
紙に書いてもらうと1人前65元とのこと・・・
ん~チャレンジするっきゃ無い!!!無い!無い!無い! -
チャレンジ精神旺盛な我が妻です。
サッサと“いただきま~す”て言いながら・・・
食べちゃいました~(+o+)
僕も続いて食べました~(^▽^)/
ん・・・海老みたいで美味しいじゃん!!!!!! -
ホテルに戻り、テレビをCCTV13新聞チャンネルに合わせて見ていると・・・
9.18報道が流れています。
そう、今日は満州事変(中国呼称:九一八事変)勃発日です。
両国の不幸な過去の歴史を決して忘れてはいけません。
そして、これからも、互いに成熟した未来志向の付き合いをして欲しいと切に願います。 -
続いて天気予報です。
明日の上海周辺は曇り、明後日は雨と予想されています。
どうやら天気は下り坂です。
我家の旅游は明日で終了です。
雨、降らないでね (⌒∇⌒)
旅游4日目の9月18日が終わろうとしています(晩上好)。 -
旅游5日目最終日、9月19日が始まりました(早上好)。
ホテルを出て、解放路を北方向へ歩きます。
南翔老街入口で景区地図をチェック、古い街並み散策の始まりです。
上海中心部から約20kmという利便性の高い位置にあり、週末は上海っ子の気軽な散策スポットです。 -
南翔古鎮は“田”という字のような形の一体が保存地区になっています。
その“田”の中心部の解放路と人民街が交差するエリアが見えて来ました。
運河に架かる香花橋の向こうに、何やら塔が見えています。 -
南翔小籠包の老舗や水郷を眺めながら・・・橋を渡ります。
-
南翔寺双塔です。
五代から北宋の時代に立てられた塔です。
当時は白鶴南翔寺の山門の内側に立っていましたが、火災で消失してしまいました。
現在の双塔は清朝時代の清乾隆31年(1766年)に再建されたものです。
塔は七球八面あり高さは11m、煉瓦で作られています。 -
南翔寺山門前の古井戸遺跡です。
ガラス板で保護されています。 -
老街を散策します。
水郷古鎮の落ち着いた街並みですね。 -
南翔古鎮は小籠包の発祥地と言われていおり、薄皮・肉汁多を謳った小籠包専門店が軒を連ねています。
食べたいのは山々なのですが、まだお腹が空いていない・・・
もう少し散歩して、買うか否かはお腹と相談です。 -
狭い路地です。
週末は大変な混雑になりそうです。 -
いい景色です。
八字橋と呼ばれる隆興橋と太平橋です。
今日は平日だからなのか観光遊覧舟が停まっていません。 -
運河に沿った風情ある白壁の建物群です。
水郷っていいですね。 -
混堂弄には、古い歴史のある庭園“檀園”の入口があります。
2011年に修復され、一般開放されています。
ここ壇園は明代の南翔の文人・李流芳が私邸として建てたものです。 -
親切に日本語の解説も有ります。
→→→園は明朝の文人芸術家李流芳の自家庭園であり、当時の文化人が詩を吟じて痛飲する所でもある。明清の交換時代に壊された。西暦紀元2011年に再建され、園内にルルバビリオン、清暉院、回酔ホールと芙蓉片などの歴史名所が保存されている。全園の設計はすきがなくて適切で、ヒョウタン形のプールは中央に立って、ホールは環立している。洞穴がぐるぐる回って、婉曲的で、曲がっている廊下は全園に通じている。園内をぶらぶら歩いて、まるで絵の中にいるようである。
・・・・・翻訳ソフトかな? ちょっと微妙な日本語ですね。 -
門票30元です。
-
九曲橋を渡っていくと太湖石で積み上げた東屋が有ります。
この景色を見ていると、蘇州や南京で見て来た有名庭園が思い出されます。 -
何という静寂・・・
芙蓉池・九曲橋・招隠亭が絵のように存在しています。
南翔老街の喧噪とは真逆で裏腹な一時を過ごせます (^▽^)/
さて、次の旅游地点へ行かなきゃ!! -
今回最後の暢游地 雲翔寺です。
創建505年の歴史ある寺院で、最初白鶴雲翔寺とも呼ばれていたようです。
理由は、そこにあった巨石に2羽の鶴がとまっていて、清朝時代に康熙帝から雲翔寺という名を賜ったからと言い伝えられています。
その雲翔寺は2000年から再建工事が始まり、2004年に完成し、一般公開されています。 -
今日は特別な日らしく、何故か入場料は、たったの2元です。
-
入場して直ぐの鼓楼に登れます。
大雄宝殿= 本殿万佛堂を見下ろします。
本殿万佛堂と言う呼称ですが、大雄宝殿の地下にある功徳堂を見れば一目瞭然です。
鼓楼の中の階段を下っても行くことが出来ます。 -
万佛堂拝観を終え、いよいよ帰国の途につきます。
地下鉄南翔站まで路線バスで行くか? 歩いて行くか?
やはり、街並み大好きな我家は、“歩き”を選択です。 -
人民街を東進、太平橋を渡り、和平街と名称が変わった運河沿いの道を歩いて行くと、南翔中医文化街と名付けられた一角があります。
歴代の名医のレリーフが並んでいます。
我家愛用の華佗膏の冠名にもなっている名医華佗も紹介されています。
やっぱり、街は歩いてみるものですね。
新しい発見がそここに有りますよ (⌒∇⌒)! -
歩くこと約25分、地下鉄南翔站に到着です。
券売機で上海浦東国際空港までの切符を購入します(8元)。 -
昨夜も利用した地下鉄11号線の南翔駅です。
郊外の為か、地上駅になっています。
ここから浦東国際空港まで約90分の所要時間です。 -
途中の江蘇路站で地下鉄2号線に乗り換えです。
更に同2号線の広蘭路で乗り継いで、上海浦東国際空港に到着です。
南翔站から約90分かかりました。
同じ上海市内と言えど、何て遠いことか・・・
日本航空カウンターで無事にチェックイン、出国ゲートに向かいます。 -
南翔古鎮で食べ損ねた小籠包を空港で食べ、いよいよ出国です。
復路のJL086便は、台風の中を飛んだ往路と打って変わって静かで順調なフライトです。
定番のプレミアムモルツと白ワインを頼んで、機中で今旅游最後の乾杯( ^^)/▽▽(^^ )です。 -
淅江省史跡巡りの旅・・・如何でしたか?
終わってしまえば、あっという間の中秋節5日間の旅でした。
機内食も味わったしプレミアムモルツも白ワインも楽しみました。
いよいよ東京羽田国際空港に着陸です。
明日から仕事を頑張って、そして、また休暇を取って、再び中国旅行に行くぞ~!!行くぞ~!!!!!絶対行くぞ~!!!!!!!!
と言う訳で お・し・ま・い (-^〇^-)
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
寧波(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
200