2017/04/30 - 2017/05/06
3位(同エリア22件中)
尖椒土豆絲さん
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我家恒例、労働節の中国旅行の候補地を探索していると・・・
河北省と山西省の境界に残る関所を発見。
城壁・城門フェチな我家の有力暢游候補地となりました。
本当に自力で行くことが可能なのか???
仕事関係で知り合った在日華人の方々のアドバイスを受け、イザ!イザ!出陣です。
皆さん、親身になって色々と心配して下さり、同時にアドバイスをして下さります。
正しく日中友好です(^▽^)/
という訳で、様々な先人達の旅行記等を参考にしながら、人民大移動の労働節真っただ中、古城・史跡巡りに突撃、暢游して来ました~!
魅力たっぷりの様々な河北省の史跡群、私たちと一緒に旅をしましょう。
それでは、北馬南舟の歴史を鑑みながら、いざ出発!!
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 4.0
- グルメ
- 4.0
- 交通
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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-
今年も我家恒例のゴールデンウイークの中国旅行の始まりです。
日本航空の北京往復チケットを握り締め、東京羽田空港から北京首都空港に向かって出発です。
毎度々、待ちこがれた機内食では、大好きなプレミアムモルツです。
爆買い中国人や日本人ビジネスマン達で満席のJL021便は、定刻前に離陸、様々な人達と一緒に海の向こうの中華大陸に乗り込みます!
Let's go 中国!!!! -
先ずは軍資金の確保です。
到着フロアーの中国銀行ATMで人民元を引き出します。
今日のレートは、1元=16.56円でした。
両替手数料不要のATM利用、絶対にお奨めです(^ ^)。 -
さて、いよいよ中国暢游の開始です。
今日は保定市満城区まで移動しなければなりません。
北京西站から高鉄で保定東站へ行く方法も有りますが、労働節の大混雑を考えた場合、北京国際空港からの直通長途バスに軍配が上がると判断しました。
時刻表では所要180分と表記されています。 -
14:10発の保定行き長途バス(100元)を購入です。
この空港からの長途バスですが、途中乗車・降車不可です。
段々と融通が利かなくなってきましたネ。
当たり前か・・・ -
14:10定刻に発車した長途バスは、空港第1・2ターミナルビルを経由し、第5環状から京港澳高速を爆走します。
3列シートの幅広座席の豪華バスで快適です(^ ^)。 -
労働節渋滞にも遭遇しながら。北京国際空港から所要約200分の17:30過ぎに保定站隣の保定汽車総站に到着です。
し・か・し・・・・・
火車站西広場発満城区行きの17:15発14路最終バスは既に発車済み・・・
事前に到着が間に合わないことを想定していた我家は、満城区行きのバスが発着する保定客運中心站まで、保定站隣の火車站西広場から1路バス(1元)に乗車です。 -
保定客運中心站は、在来線の保定站と新しく敷かれた高鉄保定東站の間に位置します。
ここから中長距離のバスが市内・市外に発着しています。 -
満城区行きの610路(6元)に乗車です。
最終バスは、18:30です・・・間に合って良かった~!
所要約60分で交通大隊站に到着、予めネット予約しておいた都市118連鎖酒店に向かいます。 -
フロントの服務員に“入住”と告げると“没有” “今天労働節満室”と紙に書かれて・・・
そんな馬鹿な・・・((+_+))・・・どうやら予約のみで、ネット決済払いされていないとの理由からか、私達用の部屋を確保して無かったことが判明!!さあ困った!!!!。
“我是外国人、住処求助”と紙に書くと服務員があちらこちらに電話をして、結局 “●×〇▼△□◎” と言われ、パスポート提示も無しで宿泊出来てしまいました。
普段は使用していない部屋なのか? 双床部屋で朝食付き 118元 という超安値です。
何にせよ助かりました~ )^o^(。 -
部屋で小休憩後、満城の街に繰り出します(●^o^●)。
満城人民広場周辺には数多くの食事処が軒を連ねています。
地方都市で良く見かける光景ですが、大音量に合わせて沢山の人達が踊っています。 -
人民広場周辺の羊肉焼串の香りに誘われて、露天食卓を確保、焼串各種・豆腐保鍋・鳥賊油炸を注文、労山ビールで( ^^)/▽▽(^^ )乾杯!!乾杯!!
日本での通常の食事では、エチケット上の観点から遠慮している“ニンニク”丸焼きですが、今夜は遠慮なしです。
う~ん、香ばしいニンニク、美味しいのなんのって!!!!
長い移動だった旅行初日の4月30日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
旅行2日目、5月1日が始まりました(早上好)。
中国労働節最終日の朝は、爆竹の大音量と共に始まりました。
食堂に行ってみると118元の宿泊代金では申し訳ないような品数多数の早点です。
お腹を満たして、いよいよ中国大陸暢游旅行の始まり・始まりです(●^o^●) -
ホテルから満城漢墓まで歩くか? 公共バスに乗るか? タクシーを使うか? と考えながら外へ出ると、いきなり馬車と遭遇、日本では消えてしまった光景ですね。
“これに乗せてもらう”と家内と冗談で語り合い・笑い合いです。
基本的にタクシー使用は暢游の効率は上がりますが、他人任せのルート選択は、我家の暢游信条と外れます。
よし!!!歩こう!!!!!!! -
ホテルから満城漢墓まで、北陵山村を抜けるコースで徒歩約25分、晴天の彼方に目的地が見えて来ました~!!
ここ満城漢墓ですが、正式名称は“満城陵山漢墓博物館”です。 -
満城漢墓風景区への入場料は10元です。
しかし、山頂の劉勝(1号墓)とその妻竇綰(2号墓)の墓史跡入場料は別になっています。
墓史跡が目的の私達は通票75元を購入しました。 -
ここで満城漢墓について解説すると、中山靖王劉勝という王が、この墓陵に葬られています。
漢中山王系(紀元前154年~)には歴代10人の王名が記載されていますが、その初代王にあたります。
この劉勝ですが、淫乱の王とも呼ばれ、120名の子供を残しています。
本当かどうかは別にして、後々約300年後に現れた三国志蜀国の劉備は、その中山靖王劉勝の末裔と名乗って時代を駆け巡っています。
劉備が無名だった頃の決まり文句が“私は前漢景帝の子・中山靖王劉勝の末裔である!”です。
そのように叫んで漢王朝復興を大義に仲間を集めたのでしょう。 -
神道沿いに並ぶ石像:満城石刻が現れました。
雰囲気ありでテンション上がります。 -
長信宮灯モニュメントです。
何だかなあ~(>_<)
テンション下がります。
75元の門票代には、このモニュメント作成費も含まれているのでしょうね~ -
徒歩でも山頂に立てますが、軟弱我家は牽道(リフト往復50元)に頼りました。
陵山客運牽道票を手に、空中散歩開始です。 -
見た目はロープウェイですが、2人乗りのリフト(索道)です。
僅か12分で山頂の旅人になれます。 -
陵山の観光地図を確認し、さあ暢游開始です。
-
満城漢墓の1号墓手前に設置された解説板です。
劉勝から代々続く家系図です。 -
劉勝墓(1号墓)の入口です。
-
ここ満城漢墓ですが、何と発見したのは訓練中だった人民解放軍河北部隊です。
その発掘時の写真が、1号墓に入って直ぐに設置されていました。
しかし、こんな所で人民解放軍は何の訓練をしていたのでしょうかね~?
と思いつつ奥へ進みます。 -
北耳室です。
この照明の色使い・・・何故?紫色なの? 誰か注意して下さい。
とは言うものの、まあ、ここは中国です。
日本人と中国人の色彩感覚や美意識が違っても不思議では有りません。
しかし、何だかなあ~(>_<) -
南耳室です。
墓の内部には発掘された土器など色々な展示がありましたが、大半は複製品です。
本物は河北省博物館などに収蔵されています。 -
こちらも複製品でしょうか。
-
劉勝金縷玉衣、全長は188㎝です。
ん???この金縷玉衣、何やら股間に●●を収めるような構造になっています。
嬉し恥ずかし男の勲章~!!! こいつが120名もの大量の子供を作ったのか!!!
間違いなく男性用の金縷玉衣です(^▽^)/ -
さてさて、劉勝墓から移動して、隣の竇綰墓(2号墓)の入口に到着です。
-
ここでも、照明の色使い、やっちゃいました~ってな感じです。
-
劉勝の正室 竇綰の銀縷玉衣です。
こちらは女性用玉衣ということで、股間に何も付いていないのですが・・・
アララ、おっぱ●部分は、2ツ山の出っ張り構造になっていませんヽ(^o^)丿
不思議だ!
言い過ぎでしょうか・・・??? -
景区入口にあったモニュメントの長信宮灯の実物は、こんなに小さいのですね・・・意外です。
とはいえ、この小さな長信宮灯自体が複製品ですけどね(*^_^*)。 -
貴重な歴史的な20,000点もの発掘物が見つかっています。
当時の素晴らしい技術に脱帽です。
いよいよ陵山暢游を終了です。 -
帰路もリフトを利用、一気に下山です。
山麓の大駐車場隣に広がるテーマパークのような建物群の脇を通り、バス乗場に向かいます。 -
満城区中心部までは、この満城101路(1元)で移動です。
保定に行きたいと紙に書いて、運転手さんに見せてから乗車です。
発車したバスが漢城人民政府前に着いた頃、運転手さんに“●×〇▼△□◎” と降車を促され・・・
“□▽●〇◎×□”と指しながら、これから歩くべき方向を示してくれます。
有難う!!親切な運転手さん!!!! -
降車したバス停近くに沢山の警察官が居て、“保定行きバス乗場はここじゃない!!あっちだ!!”と親切に教えてくれます。
そして・・・那里?の質問が来ました~(^▽^)/
何回も“リーベン”と伝えるのですが発音が正しくない為、上手く伝わりません。
紙に“我是日本人”と書くと、一同“うぉ~”と叫びます。
ここに旅行に来る日本人は珍しいようです((´∀`))。
騒いでいる内に、昨日、漢城区まで乗って来た610路(6元)が到着です。 -
“◎〇▽▼▲□×”と乗車を促され、約60分で保定客運中心站に到着です。
直ぐに1路バス(1元)に乗り換えて、保定中心部に向かいます。 -
大慈閣小区站で1路バスを降車、街の中心部に建つ大慈閣に到着です。
周りは大勢の人民で溢れています。
労働節最終日です。
街中は活気付いています。
手前から天王殿・鐘楼・鼓楼そして主殿と並んでいます。 -
大慈閣に入場します。
何故か免費でした。
ラッキー (^_−)−☆ -
残念ながら楼閣には上がれません。
高い位置から保定の街を眺めてみたかったなぁ~!!! -
次は保定古城中心に鎮座する鐘楼です。
登楼に5元必要です。 -
急な階段を登ると・・・
-
大定廿一年(1181年)鋳造の大きな鐘が吊ってあります。
保定の長い歴史と共に、様々な時代を見て来たことでしょう。 -
鐘楼西側に保定天主教堂が見えています。
高さが無い為、大展望とは言えません。
しかし、大慈閣に上がれなかった我家にとっては、Goodな景色です!(^^)! -
保定天主教堂は重厚な石造りの建築物です。
残念ながら教会内は見られませんでした。 -
保定古城中心部の西大街近くの市場街の露天食堂で昼食です。
我家十八番の尖椒土豆絲・揚州炒飯・木須肉で一献、労山ビールで ( ^^)/▽▽(^^ )!!乾杯!!
市場には、露天食堂といった非日常体験が味わえ、我家の暢游モード・テンションは上がりっぱなしです(●^o^●) -
昼食後も暢游は続きます。
ここ保定古城の西大街は、美観地区なのか、統一されたレンガ調の建物が連なります。
ちょっと西洋的な建築物が我家の心を踊らせます。 -
その西大街から永華南大街を南下、光園に到着です。
ん・・・何故だろう?? 休館している・・・( ;∀;) やられた~(+_+)
ここ光園は別名:保定抗日戦争記念館です。
私が日本で学んだ日中戦争(中国呼称:抗日戦争)等の歴史教育と、中国が教えるそれとでは違いが有ると感じています。
歴史解釈が国家の思惑で都合よく利用されるのは日本や中国だけでなく世界共通項です。
そこも踏まえた上で、中国が抗日戦争をどう後世に伝えていくのか?・・・私達日本人の先人達は、大東亜戦争で何をしたのか?・・・興味が大きかっただけに休館は非常に残念でなりません。 -
次は直隷総督署暢游です。
直隷とは首都に直属する土地を示す言葉です。
また、直隷とは皇帝に直接隷属しているという意味でもあります。
明朝を開いた太祖:朱元璋は南京に首都を置きました。
しかし、直に明朝が北京に遷都した為、北京に近いこの保定が直隷と呼ばれるようになり、清朝時代に直隷省となり、そして河北省となったようです。 -
門票30元です。
-
入場して暫く歩くと、戒石坊という牌坊が現れました。
公生明(公は明を生ず)と書かれています。
つまり・・・
物事が公平であれば、暮らしやすいのに、公平さを欠くことから様々な困難が生じてしまいます。
公平な考え方を維持し続けることで、混沌とした世の中を明るくすることが可能になるのです。
という意味かな???? -
日本の歴史教科書にも載っている李鴻章が紹介されています。
1823年、安徽省盧州府合肥に生まれ、様々な役職を歴任後、直隷総督兼北洋通商大臣になっています。
そう、直隷総督ですよ(=_=) -
日清戦争(中国呼称:甲午の役)の講和条約:下関条約の清朝側全権大使として覚えました。
伊藤博文と並んで講和条約締結交渉の様子が再現されています。 -
長靴型をした保定城の地図です。
我家大好き城壁が取り囲んでいます。
現在は残念ながら南側城壁西半分の一部しか残されていません。 -
残された城壁を見に行きましょう。
直隷総督署から永華南大街を10分ほど歩くと、保定動物園と天威中路に沿って約500m程の城壁が連なっている場所に到着します。 -
激しく傷んでいる部分と綺麗に修復されたそれが混在しています。
-
城壁には動物園内から上がれるようですが、我家は先を急ぎます。
保定站まで約1.5km、歩くか路線バスに乗るか??? -
結局歩いて保定站に移動しました。
徒歩で苦労して辿り着いた場所は、1路バス等の多くの路線バスが発着する保定站東口ロータリーです。
しかし、站舎大工事中で東口は閉鎖中・・・站舎に入れません。
え~・・・聞いてないよ(トホホ・・・)
大きく站舎北側の道路を回り込んで、やっと西口ロータリーに到着です。 -
今日は定州まで移動します。
保定客運中心からの長距離バス、保定東站からの高鉄列車、そして保定站からの在来線火車移動と3ツの選択肢が有ります。
我家は保定站からの在来線火車硬座利用です(11元)。 -
大きな・大きな・超々大きな保定站です。
高鉄専用の保定東站ではありません、在来線用の保定站です。
2009年に保定站に来た時は、まだ高鉄専用線は無く、動車組を利用しました。
田舎の小さな站舎だったことを思い出します。
中国の発展スピードに脱帽ですね。 -
高鉄とは違ったボックス型のお見合いシートです。
日本と同じように、乗客は皆、スマホを触っています。
情緒あふれる火車の旅の時代は終わりを告げていました。
残念ですね・・・(;一_一) -
乗車約37分で定州站到着です。
この列車移動ですが、途中停車も無く、安価で早く移動でき快適です。
辿り着いた定州ですが保定に比べ一段田舎の香りが漂います。
こんな雰囲気の街、我家は大好きです!(^^)! -
さあ、定州国際酒店まで移動です。
定州站前ロータリーから6路バス(1元)で国際酒店站まで乗車です。 -
乗車約25分、予めネット予約している定州国際酒店に到着です。
双床 238元 朝食付きです。
そうそう、この定州国際酒店は4ツ星ホテルなのです。
部屋に入ってみると、何とバスタブが有るではないですか・・・(●^o^●)
さてさて小休止後は定州夜景観賞に出かけます。 -
中山中路を西へ20分程歩くと、計画的に整備が進められている定州中山古城の近隣施設群が美しく煌めいています。
家族や若いカップルの人気の食事スポットでもあるようです。
労働節最終日の夜は、地元の方々で大いに賑わい活気付いていました。 -
美食街入口です。
落ち着いた色のライトアップに我家も心が和みます。 -
地元のお洒落な夜景ポイントなのでしょうか?
沢山のカップルがデートしています。
私達夫婦にも、こんな時代が有ったかな・・・? 有ったよね・・・? -
多くの暢游客・地元客で賑わっています。
街が綺麗になったことだし、皆さん、ゴミのポイ捨ては止めましょうね(*^-^*) -
定州署焦楼も美しく彩られています。
登楼できれば夜景観賞スポットですが、残念ながら開放されていません。 -
ライトアップされた開元寺塔です。
明日は、この塔に登り、定州中山古城のナイスビューを楽しむ予定です。 -
先程の美食街に戻り夕食です。
我家十八番の尖椒土豆絲・麻婆豆腐・過油肉麺を注文、間違えて過油肉が来ちゃいました~仕方ないか!!! という訳で、雪花ビールで ( ^^)/▽▽(^^ )!!乾杯!!
旅行2日目の5月1日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
旅行3日目、5月2日が始まりました(早上好)。
流石は4ツ星ホテルです。
饂飩や目玉焼きを目の前で調理してくれます。
何かリッチな気分だね((´∀`)) -
定州中山古城は、見所がコンパクトに集まった暢游し易い街です。
昨夜のように、中心部まで歩くことも可能です。
しかし、城外から南城門を潜って入城したいとの思いが強く、南城門站までバス移動を選びました。 -
昨夜、定州站からの移動でお世話になった6路バス(1元)を待ち、南城門站まで乗車です。
-
さあ、城外から中心南街を北上、南城門を潜って本日の暢游旅行のスタートです。
甕城門洞が見えています。
中軸線に沿って南側から入城!!!!!
これって、我家にとっての古城暢游時の儀式みたいなものです。
やっぱり古城探索は、シ・ビ・レ・ます。 -
古城を取り巻くお堀を渡ると南城門です。
いやいや、圧巻です(●^o^●) -
南城門の門票5元です。
-
城門から南側を眺めます。
先程潜った甕城の門洞が見えています。 -
城門から北側を見下ろします。
露天市場が立ち、懐かしいアジア・懐かしい日本の姿が見られます。 -
低い建物が多い中、北方右手に大きな塔が見えています。
-
城内に入り、南城門を振り返ります。
次の暢游地の開元寺塔に行ってみましょう(*^。^*) -
開元寺門票10元です。
中華第一塔と呼ばれています。
55年の歳月を費やして建てられました。
信仰上だけでなく、異民族の監視塔としても使われてきたようです。
故に瞭敵塔とも言われています。
山向こうの太原等が異民族に侵略された場合、ここ定州は北京防衛の前線基地でもあった訳です。 -
塔手前の石碑の文字は、清華大学建築学科の教授・羅哲文という方の執筆です。
日中戦争(中国呼称:抗日戦争)時、日本軍の攻撃を受け、国民党が武漢から重慶に臨時政府を移した頃から、梁思成の元で弟子として、働いてきた人です。
様々な説が有りますが、第二次世界大戦末期、梁思成は日本の古都:京都と奈良を空爆しないようアメリカに提言していたと言われています。
アメリカは原子爆弾の威力を計る為に、古都:京都と奈良を空襲せずに敢えて残していたという説も有ります。
史実は戦争の勝者が自国の都合に合わせて歴史を刻み込みます。
日本の古都は戦火から逃れたのですが、一体何が本当なのでしょうか??? -
清朝時代の1884年の大地震で、塔は大きく損壊したことが有ります。
塔の東北部分が、上から下までズルっと崩れ落ちてしまいました。
1986年に本格的な修復を行って、現在に至っています。 -
塔は何故か閉鎖中(ガーン <`~´>)。
瞭敵塔のナイスビューは諦めるしかありません(/ω\)
そ・ん・な・・・聞いてないよ~(。-_-。) -
残念・無念・なんでやねん!!!
-
敷地内の傍らに石塔が設置されていました。
どうやら日本絡みのようです。
建設東亜新秩序記念塔と書かれています。
私達が知らなかった史実が、史跡・遺構となって現れて来ました。 -
定州人民抗日戦争記実です。
日本軍の侵華罪に触れています。
私達日本人は、子供の頃からの義務教育で日中戦争(中国呼称:抗日戦争)および第二次世界大戦について学びました。
被爆国として核兵器の恐ろしさを心深く刻みました。
ただ、当時の敵国に対し、日本が何をしたのか?
被害者の観点から考察した歴史認識は、その場に行かないと分かりません。 -
建設東亜新秩序記念塔の説明文です。
当時の日本は大東亜共栄圏を高らかに謳い、アジアに侵攻しました。
各地で激しい戦いや惨劇が有ったことでしょう。
現在、日本と中国は、アジア開発銀行 VS アジアインフラ投資銀行というアジアの主導権をかけた経済戦争中です。
自国発展の為にお互いの国が経済の分野で戦う・・・いいことです( `ー´)ノ
決して血の流れるような戦いは繰り返してはなりません。 -
さあ、開元寺塔暢游を終え、完成間近の中山博物館(定州博物館)まで歩いて来ました。
この博物館も含めて、辺り一帯が再開発中です。
テーマパークのような建築物が並びます。
まだ中山博物館は工事中で未公開、ん~残念(*''▽'') -
大きな石に定州中山国古城と刻まれています。
当り一帯は大規模な再開発が進められています。 -
定州中山国古城を奥に進みます。
次の暢游地、定州貢院に向かいます。 -
定州貢院の門票20元です。
-
府試と院試が行われた場所です。
敷地内には、南から北に向かって、影壁・大門(写真)・二門・魁閣号舍・大堂・二堂・後楼という順番で建物が並んでいます。 -
魁閣号舎です。
定州貢院の創建は、清代乾隆四年(1739年)まで遡ります。 -
2階で正面に足を踏ん張って構えているのは魁星像です。
魁星とは、北極星近くを回る柄杓(ひしゃく)型の北斗七星を眺めた時に、水を汲む部分の先端にある第1星を現わしています。
また、試験をトップ通過した者を現わす象徴星でもあります。
その存在を道教的発想で擬人化したのが魁星像なのです。
魁星像は多くの受験生の守護神となったのです。 -
清代科挙考試験制度の説明です。
受験戦争は、いつの時代にも存在しています。
輝かしい中華の頭脳を選ぶ訳ですから、それはそれは過酷な制度だったことでしょう。 -
服の内側がカンニングペーパーになっています。
凄い力作です。
しかし、試験中に、どうやって見たのだろう・・・? -
後楼です。
試験の期間前後、受験生はこの貢院敷地内の後楼に幽閉されます。
部外者との接触を全て断つことにより、不正の嫌疑をかけられないようにした訳です。
さてさて、貢院暢游を終え次に進みます。 -
定州署を含めて再開発中の定州中山古城崇文街地図です。
-
街全体がテーマパークのように綺麗に作り直されていきます。
私達が大好きな混沌アジアの姿が消えていきます。
失礼な表現かも知れませんが、薄暗い混沌・雑踏の街並みが中国っぽいのです。
綺麗な街並みなら横浜中華街でも見ることが出来ます。 -
東西に貫く文街を散策します。
-
最近、あちらこちらの暢游地で見かける大流行の銅像です。
ここでも設置されていたか・・・
ヘイ!!お二人さん、一体何を挽いているの??? -
雅楽像です。
ヘイ!!お二人さん、一体何を弾いているの??? -
馬車ですね。
ヘイ!!お馬さん、一体何を引いているの??? -
銅像達に別れを告げます。
正面の中山中路から入り、焦楼を潜り抜けると・・・ -
定州署です。
入口の門・隣の集票処共に閉じられていました。
まだ、一般開放されていないようです。 -
昨日の晩餐を謳歌した美食街の食事処を再び来訪。
過油肉麺リベンジです。
我家十八番の尖椒土豆絲・過油肉麺・香魚茄子炒を注文、雪花ビールで ( ^^)/▽▽(^^ )!!乾杯!! -
昼食後の後半戦暢游の開始です。
最初に訪れた場所は定州文廟(10元)です。
文廟東側傍に建つ文昌閣です。
平面四角形で高さが20m程あります。 -
定州文廟は、河北エリアで最も完全な状態で保存されている古跡と言われています。
創建は唐の大中12年(858)です。
1000年以上の長い歴史に圧巻・脱帽です。 -
定州古城の地図が有りました。
今では南城門しか残っていませんが、ここ定州も堅固な城壁に囲まれていたようです。
城壁は既に撤去されていて、城壁散歩は出来ません。
あしからず・・・ -
ここ文廟は孔子や魁星を祀る学問の神様の廟です。
貢院での科挙の試験の前、学政や試験官などが合格祈願に訪れた場所です。
いつの時代も、神頼みは同じですね。 -
定州中山漢墓(5元)に向かいます。
-
この中山漢墓に眠っている王は、後漢の光武帝の皇后の出の皇子・劉焉・中山簡王です。
実は、ここ定州には17代続いた中山王の陵慕があちらこちらに点在しています。 -
慕陵には付き物の石像・石刻が現れました。
-
さて、陵慕の中へ下りてみましょう。
昨日の中山漢墓とは違い、この漢墓の照明色使いは安堵です。
陵墓の中を奥へ奥へと進んで行くと・・・・・ -
玉衣が飾られています。
ん???この玉衣、股間に●●を収めるような構造のものが見当たりません。
嬉し恥ずかし男の勲章~!!! は何処に行ったのでしょうかヽ(^o^)丿 -
今日最後の暢游地の清真寺です。
中国に居ながら少し異国情緒を味わえます。 -
さあ、定州観光は終了です。
今日は石家庄まで移動します。 -
1路バス(1元)で、高鉄定州東站まで乗車です。
-
定州東站に到着です。
站名看板が無ければ、何処も同じに感じてしまうような建築物です。
殆ど空港のターミナルビルですね。 -
定州東站から石家庄站迄の高鉄切符です。
たった23分で移動出来ます。
時速300km/h走行で、日本の新幹線より高速運転されています。
広い国土が、どんどん狭くなりますね。 -
定州東站と石家庄站の双方に停車する高鉄列車は、おおよそ1時間に1本です。
日本の新幹線でいうところの“こだま号”でしょうか!!! -
石家庄站到着後、西口広場のバス発着場から9路バス(1路)で移動します。
この9路バスは、石家庄郊外の発着場になっている石家庄西客運站とを結ぶ主要路線で、頻繁に走っています。 -
9路バスで新百広場(北)まで移動、予め予約しておいた石家庄金円大厦(双床 329元 朝食付き)に無事にチェックインです。
-
ホテル南側の民族路は、旧石家庄站の西側に広がる歩行者天国の屋台街になっていました。
石家庄市は河北省の省都です。
屋台街等は残っていないだろうと思っていただけに、予測が外れて大興奮!!!楽しいなぁ~混沌アジア!!! -
自助火鍋の屋台が広がっています。
1人食べ放題20元という信じられないような安価です。
欲張ってカゴに取り過ぎて、残してしまいました(>人<;)。
しかし、大丈夫です。
火鍋の食べ残しは廃棄されますが、火鍋に投入する前のカゴに残された具材は、再び自助コーナーに戻されます・・・マジか??(;一_一)??
食品衛生法は無いのか?機能していないのか?
お客も誰も文句は言いません。
郷に入っては郷に従えですね。 -
楽しい露天食堂です。
自助火鍋を囲んで、労山ビールで ( ^^)/▽▽(^^ )!!乾杯!!
旅行3日目の5月2日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
旅行4日目、5月3日が始まりました(早上好)。
今日から石家庄西方の山々の間の暢游地に向かいます。
まずは石家庄西客運站まで9路バス(1元)で移動です。 -
石家庄西王客運站で井徑県行きのバスに乗り換えます。
-
石家庄西客運站からは様々な方面へバスが出ています。
-
井徑県行き切符(12元)を購入しました。
切符には井徑では無く、微水と記されています。
微水って何処だろう?
どうやら井徑県中心部を指しているようです。 -
井徑県行きバスに乗り込む際、紙に“我想行秦皇古道、山王庄村途中降車”と書いて車掌さんに見せました。
車掌さんは“●▼□〇×●”と頷き、乗車約30分後の道端で“▼□●〇×●”と降車を促してきました。
どうやら目的地に到着したようです。
有難う!親切な車掌さん!!! -
降ろされた道端近くに石炭発電所が有りました。
ここから車道を上がって行くと、秦皇古道入口が見えて来ました。 -
発電所の北側の白王庄村に続く村道を歩くこと約30分、秦皇古駅道風景区入口に到着です。
途中、白王庄と微水を結ぶバスが走っていました。
このバスに途中乗車すれば楽に到着できますね。 -
門票20元です。
-
秦皇古駅道風景区入口です。
何やら作り物見え見えの貼りボテ城門です。 -
城門を潜り抜けて振り返ると・・・
井徑古駅道と刻まれていますね。 -
その傍らに説明板が有りました。
井徑の戦い=背水古戦場が有った場所です。
井徑聊口を抜けた韓信軍は、河を背にして布陣します。
古書尉繚子天官編によると“背水陳爲絶地”(水を背にして陣すれば死に場所となる)と書かれています。
布陣の基本は水を前・山を背に陣を張るのが通例なのに、全く真逆な陣を張って、自陣の兵を追い込んで勝利しました。 -
張りぼて城門を潜り、古道を散歩します。
秦の始皇帝は、統一国家を築き中国全土を支配すると、首都咸陽を中心に辺境まで通じる街道の整備に乗り出します。
その遺跡は現在各地で続々と発見されています。
ここ石家庄と井徑を結ぶ街道も、その古道の一つです。 -
刻まれ続けた轍です。
こんなに削られて凹むまで利用されていたのですね。 -
峠の東天門です。
鹿泉と井徑間の秦皇古道では、最も標高が高い場合になります。
あらら、我家大好き長城が見えています。 -
今回の暢游旅行最初の城壁散歩です。
庚子長城と呼ばれています。
東天門から南側に延びる城壁を登り始めて振り返ります。
城壁は峠越えの稜線に沿って築城されています。 -
東天門から北側に延びる城壁です。
城壁散歩は楽しいなぁ~(*^_^*) -
東天門を潜る道には、古い巨大な舗装用の石が綺麗に敷かれています。
その古道には2本の轍の跡が深く刻まれています。
深さは約10cm程か、或いはそれ以上かも知れません。
きっと車輪に鉄のカバーをつけていたと思われます。 -
この刻まれ方、半端じゃありません・・・
歴史って素晴らしいですね(●^o^●) -
峠には関羽廟や送子廟・八仙祠・劇楼等が並んでいます。
井徑側西門を潜り抜けると、そこには・・・ -
秦皇古道西側の出入口にはスキー場が有ります。
オフシーズンのスキー斜面は穀倉畑として活用されています。
有効活用ですね )^o^(
しかし、スキー場周辺ですが、タクシーも誰も居ません。
路線バスも有りません。 -
スキー場下の五里鋪村です。
石家庄という地名がよく分かるような石造りの家々が連なります。
辺りは石段・石垣・石壁の世界です。
石家庄周辺には石頭村という石で出来た街があり、観光名所となっています。
何も石頭村まで行かなくても、石で出来た街は沢山存在しているようです。 -
バス無し・タクシー無し。
仕方なく秦皇古道を歩いて街まで降ります。
甘陶河に沿った濱河路を南下、徒歩約60分かけて、井徑県中心部の甘陶河の韓信街に到着です。
あ~足が痛いよ~!(>人<;)
韓信街から甘陶河を渡ると・・・ -
甘陶河を隔てた東側対岸に、韓信を描いた大きな看板が有ります。
背水古戦場跡と記されています。
日本でも“背水の陣”という諺で知られる有名な戦さの舞台です。
この戦で負けた李左車は、韓信から燕国を攻める方策を尋ねられた時、“敗軍の将、兵を語らず”と答えたといわれています。
この諺も日本に伝わり、現在でも使われています。 -
井徑の街には、2ツの公共汽車站が有ります。
ここ井徑客運站南站は、井徑県内の近場専用のバスターミナルのようです。 -
井徑客運站南站から各方面にバスが運行されています。
今から行く天長鎮は、井南のことです。
因みに井徑のことは、県城または微水と表記されます。
次の井南行きは、13:25です。 -
13:25を過ぎてもバスが来ません!!
やがて核桃園行きの13:40発のバス(5元)が到着、服務員に乗車を促され、慌てて乗り込みます。
天長鎮(=宋古城)と紙に書いて提示、頷く服務員と運転手(^ω^)、
乗車約30分後、途中で運転手が“●〇▼▽□×〇”と叫んでいます。
どうやら天長鎮に到着したようです。
“往路最終汽車時間”と紙に書くと、18:00と書き返されました。
通じましたね~やったね~(^0_0^) -
天長鎮へは綿河大橋を渡ります。
しかし、先ずはエネルギーの充填つまり昼食です。
降車したバス停横の食事処に入店、速攻で注文です。
炒面・香魚茄子肉・尖椒土豆絲を注文、嘉禾ビールで ( ^^)/▽▽(^^ )!!乾杯!!
この店、味付けは最高なのですが、一皿の量が多くて食べ切れませんでした(謝々)<m(__)m> -
さあ、後半戦の暢游開始です。
あらあら・・・昼食中に一雨降ったようです。
綿河大橋という十二孔大石橋を渡って、天長鎮に入ります。
清朝時代の乾隆45年(1780年)に架橋されましたが、1801年の綿河の大洪水で被災しました。
その後は被災と修復を繰り返し、現在に至っています。 -
天長鎮東城門脇の石碑です。
井徑旧城と記されています。 -
東城門の甕城を象る城壁です。
崩れた部分が修復されています。
城壁に登れないか?
辺りを探るも手掛かり無し・無し・無い無いです。 -
東城門です。
城門上の楼閣は残っていません。
残念です。
しかし、それにしても寂びれた城門に、シビレます。
さあ、ここから城内に入ります。 -
清代に建てられた皆山書院です。
乾降42年(1777年)に作られました。
残念ながら公開されていません。 -
紅五星★をつけた中学校です。
-
城内を一気に西方へ貫きます。
今度は西城門です。
甕城の洞門部分が残っています。 -
洞門を潜り、井徑旧城の城外へ出ます。
井徑旧城の南西角の角楼が見えています。
このような弩台が十九座あったようです。 -
旧城外を東に歩くと、南城門が見えて来ました。
国家級歴史文化名鎮です。
城郭の建設が始まったのが宋熙最八年(1075年)です。 -
城外から南城門を仰ぎ見て、さあ、再び井徑旧城に入城します。
-
甕城内です。
右手が東側の城門口、左手が北側の城内に続く城門口です。
かなり堅固な城郭・城門なのが分かります。
城壁大好き我家の心は弾みっぱなしです(^○^)。 -
南城門の城郭に上がりたかったのですが、開放されていません。
残念賞を頂きました!(◎_◎;)! -
雨に濡れた南城門は、何とも言えないノスタルジーを感じさせます。
-
南城門から再び城外に出て、暢游再開です。
東西へ連なる城壁と外堀にうっとり・・・
靄で霞んでいます。
旧城を一層、魅力的にしていますね。 -
小南城門=東関です。
城門には山環水抱という四字熟語が刻まれています。
風水用語で、最上無比の吉相となる地形のことを示します。 -
潜り抜けて振り返れば観音閣です。
残念ながら、ここも上がれません。 -
天長鎮暢游を終え、井徑へ戻ります。
帰路は17:30天長鎮始発で県城つまり微水行きの路線バス(5元)です。
私達の後ろに座った中国人男性と筆談です。
今夜の宿泊予定先が聚源商務酒店だと話すと、“●〇▽□●◎×”と言っています。
どうやら“井徑客運站南站まで行かずに途中で降りろ”と言っているらしい。 -
県城内の国道309号線(治河東路)が、甘陶河を渡る手前で降車しました。
何と直ぐ傍に、井徑客運站に隣接した、本日から連泊予定の聚源商務酒店が有りました。
バス終点の井徑客運站南站まで行かずに済み、助かりました~(#^^#)
このホテルは、HP上では外国人不可という扱いです。
そこで、北京在住の知人の●坐富さんに代行予約してもらいました。
フロントで予約済みバウチャー(支払い済みバウチャー)とパスポートを出すと、あっさりとチェックインです(双床 258元 朝食付き)。
フロントには世界各国の時差時計が有ります。
外国人不可な訳が有りませんよね!(^^)! -
無事に部屋を確保して小休止です。
今日は5月3日 憲法記念日です。
早速、CCTVを見てみると、やはり日本関連のニュースを報道していました。
戦争放棄・専守防衛を基軸にしてきた日本ですが、安倍政権になってから、改憲の動きが出て来ています。
中国の方々には、この日本の動きが、どのように映っているのでしょうか? -
夕食はホテル近くの水餃子専門店に行きました。
青椒木須肉と韮肉水餃を頼み、労山ビールで ( ^^)/▽▽(^^ )!!乾杯!!
旅行4日目の5月3日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
旅行5日目、5月4日が始まりました(早上好)。
今日は楽しみにしていた火車の旅です。
車中では新しい出会いが待っているのかな? -
井徑站集票処で娘子関站迄の乗車券を購入です。
服務員は人民カードではなくパスポートの提示に焦ってしまいました。
発券が上手く出来ず、私達の後ろは大行列になってしまいました。
パスポートを示して、ローカル火車に乗る外国人なんて、滅多に居ないのでしょうね。 -
和諧型電気機関車が入線です。
5両の客車を牽引しています。
1~4号車は客車、5号車は寝台車です。 -
寝台車の指定席です。
ベッド1台につき、4名づつ座ります。
3階建ての寝台車の最上段に上がるのは、かなり大変そう。
2階部分が荷物置き場になってました。
ほぼ座席は満席です。
みんな、何処に行くのだろう? -
井徑站から娘子関站迄、ノンストップで37分、バスに比べて早い速い!
-
娘子関站前には沢山のタクシーが待機しています。
固関長城は、タクシーしか移動手段が有りません。
さあ、交渉開始のゴングが鳴りました~!
我が家内、最初に声掛けしてきた仲介人らしき人物をスルーして、綺麗な中型タクシーの横に立つ、優しそうなオジさんと価格交渉開始です。 -
タクシーのオジさん:120元!
我が家内:60元!
先方の言い値に対し、必ず半値で返答する交渉慣れした我が家内です。
他のタクシードライバーをも巻き込んで、ダンピングです。
最終的には往復の移動+観光時間約60分全込みで60元で交渉成立です。
なんて見事な価格交渉力なのだろう・・・
中型タクシーは、かなり荒れた山道を、約35分程かかって固関長城に到着です。 -
固関長城の門票50元です。
河北省と山西省は太行山脈で隔てられています。
その山脈に設けられた関所の一つが、ここ固関です。
平定県からの路線バスが走っています。
そう、ここは山西省なのです。 -
固関長城の城門が見えて来ました。
-
堂々たる風格の固関城門です。
-
傍らに観覧図が有りました。
高速道路と一般道を隔てて、北と南に長城が連なっているようです。
長城散歩を前に何だかワクワクします。
城壁フェチ我家の心を躍らせます。
Let's Go !!! -
固関長城の城門を潜ります。
ん!!! 足元に続く轍に感嘆です。
歴史の重みが刻まれています。 -
里城門から城楼に上がります。
-
甕城構造の曲線美、色々な城郭を見て来ましたが、いつも感嘆・感動です。
-
馬車が通る度に、轍が刻まれ続けたのでしょう!
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南側の城壁ですが、この先は行き止まりです。
残念ながら観光用に開放されていません。 -
長城が一般道を越えて連なっています。
-
西峰寺です。
高速道路で隔たれた山上に建っています。 -
高速道路を渡る長城橋を歩き、西峰寺側に到着しました。
従来の長城は、高速道路建設に伴い、架け橋になったのでしょう。 -
我家大好き城壁散歩です。
ではなく城壁登山です。
どんなに疲れていても、そこに城壁が有る限り、我家の行進は止まりません!!! -
どんどん高度が上がっていきます。
天気に恵まれ、ナイスビューです。
さあ、今度は下山しなきゃ!! -
固関長城暢游は約70分程でした。
帰路は途中で仲間?友人?を相乗りさせて、娘子関へ戻ります。
娘子関・娘子関瀑布・水上人家・平陽湖遊覧船などの通票75元を薦められましたが、私達の本日の目的は、固関長城と娘子関の2箇所のみです。
ニッコリ笑って“不要(プーヤオ)”と僅かに知っている中国語で返事です。
やがて約30分で娘子関鎮に到着です。
有難う!!優しいタクシーの運転手さん!!!!! -
娘子関鎮の街中を歩いていると、店頭で刀削麺の美技に遭遇しました。
そのまま美技に惹かれて入店です。
パフォーマンスは最大の宣伝効果ですね。
見習おっと!! -
我家十八番の尖椒土豆絲・菜花干鍋・刀削麺を注文、燕京ビールで ( ^^)/▽▽(^^ )!!乾杯!!
菜花がカリフラワーだということを初めて知りました~。
言葉が通じない私達が日本人と気付いたお客さん達が、一緒にスマホで撮って欲しいとの要請です。
快く一緒に写真撮影、店内は大騒ぎです。
余程、日本人が珍しかったのでしょうね。 -
娘子関に行く途中に有った五龍泉公園です。
入口は閉じられ、様子が分かりません。 -
街中から山を眺めれば、連なる城壁が見えています。
何だが、気分上々です。 -
街を抜けると、何かイベント会場の設置準備が進められていました。
娘子関をバックにステージが組み立てられています。
以前、労働節に居傭関に行った時、同じようなイベント会場を組み立てていたことを思い出しました。
やがて、お揃いの服を着たグループによる予行練習が始まりました。
太鼓の反響音が山の中で快く響きます。
近くのポスターを確認したところ、明日と明後日の2日間のイベントのようです。 -
娘子関=天下第九関です。
遥か昔、平陽公主の部隊を当時の人達が“娘子軍”と呼んでおり、その名残で今の娘子関という関所名になっています。
現存する城門は2箇所あり、南城門の額には“京畿藩屏”の四文字が記されています。
北斉の天宝6年(555年)に建設され、現在の関城は明朝嘉靖21年(1542年)に再建されています。 -
門票27元です。
-
城門を潜り、城内に入りました。
-
城内から城門に上がります。
城門上の楼閣の内部には平陽公主の塑像が鎮座しています。 -
城壁歩きは、この急な石段上りから開始、私達の挑戦を待っています。
受けて立つぜ~上ってやるぜ~~~!!! -
上ってみて振り返ると・・・雨で濡れていなくて良かった良かった!!
城門の向こう側に桃河が見えています。
河まで断崖絶壁から一気に下っているような配置です。 -
ここ娘子関ですが、現在では綺麗に整備され、暢游客が大勢押しかける名所になっています。
しかし、ここ娘子関は日中戦争(中国呼称:抗日戦争)の激戦地:百団対戦場です。
かつて、日本軍が娘子関を陥落させています。 -
かなり上って来ました。
暢游旅行も5日目です。
そろそろ足腰が悲鳴を上げ出しました。
それでも、そこに城壁が有る限り、身体に鞭を打って上ります(>人<;)。 -
高い位置から娘子関城門正面を見下ろします。
ナイスビューです。 -
抗日記念碑が建てられていました。
歴史を忘れないという思いが込められているのでしょう。 -
さて、娘子関城門に戻り、北へ進みます。
途中の街中中心通りに、城門が有りました。
やっぱり上れません。 -
城門を潜って右へ曲がると東城門です。
ここも上がれません。 -
暢游を終えて、娘子関站へ戻ります。
帰路の娘子関站から井徑站までも寝台車の指定席でした(9元)。 -
火車の時間まで少々余裕が有ったので、娘子関鎮の街を散策です。
沢山の露天が並んでいます。 -
定刻15分前になると改札が始まります。
周りの人達は、私達が日本人だと気付き、色々と話しかけて来ます。
ゴメンなさい! 私達、中国語わかりません!!!
やがて始まりました~筆談の応酬です。
若い人は、スマホ翻訳アプリで話しかけて来ます。
大変だけど楽しいなぁ~(*^_^*)
中国の人達は、本当に優しいよね!!!!!!嬉!!
あれこれ騒いでいる内に、井徑站に到着です。 -
ホテルで小休止後に再稼動です。
地方都市の魅力の一つとして、昔懐かしい屋台の存在を語る必要が有ります。
中心部の韓信街周辺には色んな食事処が連なります。
エキゾチック・ノスタルジックという単語が似合うTHE アジアです。 -
屋台のお客さんが少なく、筆談が出来ずに少々残念です。
今夜も炙鶏(ローストチキン)と饂飩と板麺を注文、労山ビールで乾杯( ^^)/▽▽(^^)!! !!
旅行5日目の5月4日が終わろうとしています(晩上好)。。。。 -
旅行6日目、5月5日が始まりました(早上好)。
ホテルの窓からは暴風と霧に覆われた井徑の街が見えています。
何と悪天候なのだろう・・・・!(◎_◎;) -
テレビをつけてCCTVニュースをチェックします。
天気予報かと思いきや、何やら大風ニュースです。
どうなってるの???? -
北京が恐ろしいことになっています。
私達、今夜は北京入りだよね?・・・・・・・・
黄砂と粉塵が私達を待ち構えています。
あ~~龍角散ダイレクトを持参して助かった~~!!!!! -
連泊でお世話になった聚源商務酒店をチェックアウト、隣接する井徑客運站に向かいます。
-
鹿泉迄の9元の乗車券です。
-
私達が乗車した長途バスは、5月3日に利用した路線の逆コースで、石家庄西客運站行きです。
一般道を走行、約30分後、鹿泉汽車站で途中降車しました。 -
直ぐ近くのバス停から抱犢寨站行きの路線バスを待ちます。
-
早々に游5路バスが到着です。
走行途中のバス進行左手に、鹿泉古城の威遠門が見えます。
時間に余裕が有れば、帰路に立ち寄りたいと考えていましたが、行程に全く余裕が無い状況に陥り断念です。
う~ん!残念です。 -
抱犢寨站に到着、今から暢游予定の山々を見上げます。
私達は時間節約を優先に考え、ロープウェイ利用を選択します。
早速集票処に行くと、服務員が集まった観光客に“●△▼□◎〇×●”と何か言っている。
誰もロープウェイの切符を売ってもらえず、“▼□◎●×●△〇”と言いながら登山道に向かって歩いて行きます。
どうやら強風の影響で運休になったようです。
ヤ・ラ・レ・タ・・・!(◎_◎;) -
困りはて、再び服務員に話しかけると“〇×●●△▼□◎”と何か言って来ます。
訳が分からず80元を支払うと、何故かロープウェイの乗車切符が買えてしまいました。
理由は降車時に判明しました。 -
片道40元の切符です。
往復割引や往復切符は有りません。 -
取り敢えず、ロープウェイに乗車出来て大助かりです。
服務員の話では、徒歩だと山頂まで約90分もかかるそうです。
このロープウェイ、全長1800m有ります。 -
約15人程の乗客を乗せて、ロープウェイは一気に進みます。
目前には前衛峰から下る滑道が見えています。
あれ??? 一緒にロープウェイに乗っているこの人達は、一体何処から湧いてきたのだろう???
切符売場に居なかったし、切符を確認されて入場したのは私達だけみたいだし・・・ -
前衛峰鞍部のロープウェイ中間駅を過ぎて、一気に谷を跨いで、標高580mの山頂に向かいます。
朝靄で景色は期待していなかったのですが、一転して快晴になりましたよ。
超ラッキー(^▽^)/
南天門に続く登山道が見えています。
この道を歩いて登るなんて・・・信じられない!!
強風の影響で、かなりロープウェイは揺れました。 -
山頂駅に到着すると、私達以外の乗客は全員事務所に入っていきました。
どうやら作業員や荷物のみ輸送する為に臨時でロープウェイを運行したようです。
私達は、そこに便乗させてもらったようです。
何にせよラッキー(^▽^)/ -
雲上の暢游地 抱犢寨へ南天門から入場します。
高さ13.9m、幅23mあり、全国最大の山頂門坊です。
風は強いですが、霧は全て消え去り、快晴です。
晴れ男・晴れ女の本領発揮です(^○^) -
75元の門票です。
入場するだけでも高額な入山料ですね。
ロープウェイ代を節約して登って来ても入山料は必要です。 -
抱犢寨の石看板が待ち受けています。
この石看板は牛の形をしています。 -
台形状の山頂の抱犢寨の地図を見ながら、観光ポイントを覚えます。
結構広いようです。
時間的に全ての観光ポイントを巡るのは難しいと感じました。 -
写真入り地図です。
各所に設置されていて助かります。 -
さあ、要塞化された山頂に広がる抱犢寨の城壁散歩の始まりです。
-
断崖絶壁の上に城壁が連なります。
こんな雲上の山頂に、こんな堅固な城壁を作る必要が有ったのでしょうか? -
城壁散歩は楽しいなぁ~(*^_^*)
ラン!(^^)!ラン!(^^)!ラン!(^^)!! -
まさに垂直の壁です。
どんな敵が、この垂直の岩壁から攻めて来たのだろう??
上れる訳ないよね? -
天門洞です。
自然界には不思議な空間が有ります。
雨風が浸食して出来た大きな洞窟は、天井が抜け、何やら大きな空洞の中に落ちて行くようです。 -
洞窟の底まで20mの差が有ります。
下りてみましょう。 -
窟底に有る万仏洞に寄ってみます。
石洞内の壁という壁に、1万体もの石仏が彫られています。
一体どれ程の年月を費やしたのだろう・・・
奥へ奥へと進みます。 -
振り返って見ると、天空の城の大きな窓のようです。
-
途中の石仏の多さに圧倒されながら、万仏洞の最奥に到達しました。
ここでも????な光景が見られます。
この色彩感覚、とうしても理解できません。 -
こ・こ・怖!!!足が・・・足がすくみます。
-
抱犢雕像です。
南北朝時代、山麓の農民が戦乱を逃れて、大事な子牛を連れてこの山に上りました。
戦乱が治まった後、農民が子牛を抱えて死んでいるのが見つかったといいます。
牛は食物が有った為、生き延びて来たようですが、農民には食物が何も無かったようです。
実際に唯一食べることの出来る子牛を殺そうとはしなかったことで、農民の悲話が山の名前になっています。 -
千龍壁です。
長さは38m・高さ13m・厚み1.2mも有ります。 -
千龍壁前の羅漢堂です。
地下には五百羅漢堂が拡がっています。 -
五百羅漢と壁画です。
多彩な表情に溢れ、独特な雰囲気を醸し出しています。 -
北天門から崖を眺めます。
この崖上の城壁を歩いて来ました。
高所恐怖症の人には辛い暢游地ですね。 -
天堂街を真っすぐ戻って来ると、韓信文化園に韓信の股潜り像が有ります。
将来に大志を抱く者は、屈辱にも我慢強く耐えるという諺です。
韓信という武将は、漢の天下統一に功績のあった名将です。
若い頃、町の不良に喧嘩を売られましたが、韓信は大志を抱く身であった為、不良と争うことを避けました。
言われるまま不良の股の下を潜らされるという屈辱を敢えて受けましたが、その後韓信は大成し、天下統一の為に活躍したという故事から来ています。 -
さあ、抱犢寨を後にしますが・・・
や・ら・れ・た・・・
ロープウェイが強風で運転見合せ中。
今日は北京まで移動しなければならないのに・・・!
“●△▼□◎〇×●”と何か言っている。
紙に書いてもらうと、今日は風が収まる気配は無いので、歩いて下山しろと伝えたいようだ・・・(~_~;) -
覚悟を決めて歩いて下山します。
服務員の話では徒歩約60分が標準的なコースタイムとのこと!!
南天門から下山道を確認します。
えっ!えっ!えっ!こんな急な階段を降りるの・・・?
しかし我家には他に選択肢は有りません。
行くぜ~!!!!!!!!!!!!!!!! -
怖い!!!!!
恐ろしい!!!
膝ガクガク!!
まさか中国の山で、こんな体験をすることになるなんて・・・
まあ近い将来、笑い話に花が咲くことでしょう(⌒∇⌒) -
歩いて登山する信仰者の為に、休憩所が点在しています。
どの店でも水に浮いた1本胡瓜が売られています。
この急な階段を続々と登って来る人達に脱帽です。
皆さん!下山の体力も残しておいて下さいね(^▽^)/ -
一度、鞍部まで降りて、再び登ります。
-
前衛峰の肩まで登り返しました。
ここはロープウェイの中間駅にあたります。
振り返って抱犢寨を見上げます。
よくぞ降りれたものだ!!! -
助かった~滑道が有るよ~と思うも運休中( ;∀;)
ん~~~残念。
結局、最期まで歩くしか方法は有りません。
しかしこの滑道ですが、登り40元、下り50元と料金体系が異なっていますよ。
ロープウェイの半分ほどの距離しか無いのに、この値段設定は高いですよね。 -
徒歩約60分で山麓まで下山しました。
麓には食事処がズラッと並びます。
その中の1軒の露天食堂で、尖椒土豆絲と刀削麺を注文、嘉禾ビールで ( ^^)/▽▽(^^ )!! 乾杯!!
汗をかいた後のビールは上手いのなんのって!!! -
路線バス320路(2元)で新百広場北站に向かいます。
-
乗車すること約60分で新百広場西站に到着です。
ランチビールと疲労が・・・爆睡を誘います。
いや~バスという揺り籠で、よく寝た寝た!! -
新百広場西站から新百広場北站まで歩きます。
ここから石家庄站に移動です。 -
9路バス(1元)を待つ新百広場北站からは、5月2日に宿泊した石家庄金円酒店が目の前に見えていました。
夜景が綺麗な高層ホテルです。
お世話になりました(⌒∇⌒) -
2日前も3日前もお世話になった9路バスです。
-
石家庄站まで戻って来ました。
後は高鉄で北京へ移動です。
荷物検査を終えて集票処に並び、“今天石家庄至北京西硬座二張”と紙に書いて渡すと・・・
電子画面には19:50と表示。
何と何と・・・満席続きで、2時間半も待たなければなりません。
軟座を調べて貰っても、“没有”との回答・・・・・・
どうやら考えが甘かったようです。 -
高鉄の門票です。
混み合っており、家内と同じ車両ながら、別々の指定席になりました。 -
今夜、北京で落ち合い、夕食を一緒に食べようと言われていた知人の●坐富さんに、Wechatで到着が遅くなることを報告です。
また、今夜、宿泊予定の北京現代貫通酒店前門店のチェックイン予定時刻が21:00を過ぎる為、自動キャンセルされてしまう可能性が有り、この件についても相談です。 -
検簽窓口に並び、他の北京西站行き高鉄に空きが出ていないか?
返って来る言葉は、“没有”ばかり・・・
結局、諦めて、19:50発の高鉄(128.5元)に乗車です。
石家庄站での待ち時間は約150分・・・北京西站迄の乗車時間は1時間19分、乗車切符さえ入手出来れば早い(速い)高鉄です。 -
北京西站から珠市口站まで、地鉄7号線で移動します。
最近は自動販売機での切符購入も慣れてきました。
珠市口站までの切符4元を2枚購入です。 -
珠市口站改札口で●坐富さんが待ってくれていました。
然も、21:00に間に合わない私達に代わって、代理チェックインを済ませてくれていました。
本当に助かりました。
まさに、感謝・感謝・感謝です。 -
毎年利用している北京貫通現代酒店(双床 308元 朝食無し)に到着後、直ぐに●座富さんと出発です。
粮食店街の毎年恒例の食堂 客満堂で炙鶏(ローストチキン)を食べなくちゃ!!!
頼んだ料理は、荷蘭豆炒臘肉・水餃・炙鶏・尖椒土豆絲と燕京ビールで ( ^^)/▽▽(^^ )!! 乾杯!!
●坐富さんとの会話は非常に楽しく、時間が過ぎるのを忘れてしまいました。
初めて食べた荷蘭豆炒臘肉は、●坐富さんお奨めの四川料理です。
ん~美味しいなぁ~((´∀`)) -
お世話になった●坐富さんです。
日中友好は政治とは関係の無い草の根が基本です。
晩御飯代をご馳走になってしまいました。
公共交通機関が終了した時間帯になってしまい、タクシーで帰られました。
到着が遅くなったばかりに申し訳なく、本当に感謝・感謝・謝々です。
長距離移動で疲れた旅行6日目の5月5日が終わろうとしています(晩上好)。 -
旅行7日目最終日、5月6日が始まりました(早上好)。
北京現代貫通酒店の朝食(20元)でエネルギー充填です。
1ツ星ホテルですが、目玉焼きと焼餃子を服務員が調理してくれます。
熱々出来立て料理に幸せを感じます(^▽^)/ -
中国CCTVの天気予報によると、今日は晴れ~です (*^^)v。
しかも暑くなりそう・・・ -
昨日までの、PM2.5は強風で消え去りました。
良かった~天気が回復してて!!
前門東側の台湾文化街を通り抜けると・・・ -
前門大街と出会います。
2008年の北京オリンピックを前にテーマパークのような街並みに作り変えられました。
そんな街並みも、今では当たり前の光景になってきましたね(^ ^)。 -
大柵蘭街の2本北側で、廊房頭條胡同という新しいスポットの整備が進められています。
前門周辺に残った昔懐かしい胡同は、いつの日か綺麗な街並みに造り替えられてしまうことでしょう。
壊して作って・・・気が付けば美観地区です。 -
紫禁城正陽門の箭楼です。
青空に映えて壮大ですね。 -
正陽門の瓮城構造は長安街大通りを作った際に取り払われています。
昔は先程の箭楼と繋がっていた訳ですね。 -
さてさて、前門東站から9路バス(2元)で、日壇路站に移動です。
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9路バスは頻繁にやって来ます。
北京市内の公共交通機関は便利ですね! -
日壇路站でバスを降車して、日壇公園に向かって歩きます。
辺り一帯は各国の大使館が並んでいて、警察官による巡回警備が物々しく行われています。
日壇公園は、月壇公園と対を成しており、朝陽門外に1530年に建立されました。
私達は南門から入園です。 -
南門から北上すると、霊星門が見えて来ました。
以前に訪れた天壇公園や地壇公園と同じ構造です。
しかし、ここでは、日壇の中には入れません。
ちょっと残念です。 -
公園散策後、西門から退園です。
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東二環を歩道橋で渡ります。
かつて北京城の城壁が有った場所です。
都市の発展に伴い、城壁は撤去され、その跡地は地上に環状道路、地下に環状地鉄が作られました。 -
禄米倉智胡同の智化寺に到着です。
1443年の創建で当初は司礼鑑大鑑王振の私邸です。
この王振ですが、昨年の労働節に蔚県暖泉を訪れた時に出て来ましたね。
確か“土木の変”だったかな?
明皇帝 正徳帝が捕虜になったのは、暖泉出身の宦官・王振の判断ミスと言われています。
王振が己の豪邸を皇帝に自慢したがり、退却ルート変更がなされ、結果的に匈奴に攻められてしまったのです。
困った宦官です(@_@;) -
門票20元です。
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楽譜です(^^♪♪♪。
西洋楽譜が世界標準になりましたが、東洋にも楽譜が有ります。
かつてアジアの雄だった清朝は、西洋列国の餌食になってしまいました。
しかし仮に当時の清朝が絶大な国家力を持っていたら、数学や物理も含め、様々な中華基準が世界基準になり得たのかも知れません。 -
中院の如来殿です。
王振の私邸では有りますが、建築は中国の古寺の規格を守っています。
三路に分かれ、中路は前中後の三院にわかれ、前院は七座殿堂、中院は如来殿、後院には大悲殿、万仏堂と並んでいます。
山門の両側に東西の傍門、入門すると長い参道が続き、西は方丈院、東は後廟に至る構造となっています。 -
禄米倉胡同を西に歩き、朝陽門南小街に出て、禄米倉站から24路(2元)で移動です。
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公共バスは頻繁に来ます。
流石に首都北京市内ですね。 -
東内小街站で24路バスを降車、今回の中国旅行の最後の暢游地点の通教寺に到着です。
文化大革命の波が押し寄せた時、尼僧は下野を余儀なくさせられました。
経典・仏像・仏具は破壊され寺院は閉鎖となっています。 -
北京旧城内に、こんなに静寂な空間が残っていたのですね。
文化大革命後、通教寺は再び開放され、尼僧たちも復帰し始め、現在に至っています。 -
東隣には南館公園が有り、市民の憩いの広場になっています。
しかも、とっても静か!!!
さて、東直門まで歩きますか~!!!!散歩!!!! -
東京でも見かける光景です。
東直門に並ぶレンタルサイクルです。
都市部の自動車の渋滞緩和と大気汚染抑制に有効です。
環境破壊を防ぎ、PM2.5による粉塵公害から人類と地球を守りましょう。 -
東直門站から軌場快速で北京国際空港へ向かいます(25元)。
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机場線に乗って、一気に北京首都空際空港へ Let's Go!!
北京首都空港第3旅客ターミナル、つまり国際線ターミナルに到着です。 -
振り返れば後髪を引かれます。
また来るぞ!中国!!! -
日本航空のチェックインカウンターの服務員から嬉しいお知らせ。
“満席の為、ビジネスクラスに移動して頂きます”・・・
ラッキー!!!ラッキー!!!ラッキー!!! -
私達が搭乗する予定JL022便の機材が見えて来ました。
そう言えば、昨年の秋に搭乗したドラえもんジェットは何処にいったのでしょうか?
様々な人の想いを乗せて、いよいよ take off です。 -
大連上空です。
いよいよ中国を離れます。 -
超ラッキーなビジネスクラスに乾杯!!!
何とシャンパンが振舞われましたよ(^ ^)。
エコノミー料金のままランクアップになったことは、周りの人達には内緒・内密・秘密です。 -
豪華な食事に顔が緩みっぱなしです(●^o^●)
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河北省史跡巡りの旅・・・如何でしたか?
終わってしまえば、あっという間の7日間でした。
さてさて機内食も味わったしサントリーモルツも白ワインも嗜んだことだし・・・.
ビジネスクラス最大のメリット=フラットシートで、東京羽田国際空港まで爆睡しま~す。
またまた中国旅行に行けたらいいなぁ~・・・いやいや、今年の中秋節も絶対に行くぞ~!!
と言う訳で お・し・ま・い (-^〇^-)
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