2017/07/13 - 2017/07/13
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xiaomaiさん
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近江 城攻め夏の陣
7月13日:安土城
7月14日:彦根城・佐和山城
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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前日に大阪入りをし、JR在来線でやってきました安土。
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駅前で大きな荷物を預け、レンタサイクルを借りて、いざ出発。
まず訪れたのは、安土城郭資料館。 -
ここのメダマはこの安土城の模型。
後方にいる人と大きさを比べると、その大きさがわかる。 -
この模型はまっ二つ割れ、中をじっくり見ることができる。
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中央部は吹き抜けになっていた。
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非常に精巧に造られている。
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これだけを見たら、模型に見えない。
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視線をあげると......
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御館様
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「安土・南蛮図屏風 陶板壁画」
信長が安土のセミナリヨに滞在していたイエズス会のヴァリニャーノ神父に贈ったもの。神父は天正少年使節団を伴い、この壁画を持って、ローマ法王のもとへと旅立った。安土、京、長崎、マカオ、リスボン、ローマの様子が高さ1.6m、長さ22.02mに描かれている。 -
観音寺城と安土城の1/2000のジオラマ。難攻不落のはずであった観音寺城の規模は安土城の数十倍にも及ぶ。もともとは観音寺城にも行くつもりだったんだけれど、悪天候のうえ、装備不足であったため断念した。歩道は整備されていなく、この時期は虫が多いから、それにあった服装をしないといけない。地元の人にも、上記の理由で行かないほうがよいと言われた。
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城郭資料館を出ると、急に雨が降り出した。安土に到着したときから、今にも降り出しそうな感じだったから、想定内のこと。でも、10分ほど待ったら、小雨になり、出発。その後、雨はやみ、また降ることはなかった。
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信長がいたころは、楽市楽座で栄えた安土。今では、このような田園風景が広がる。
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安土城考古学博物館が見えた。
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まずは、「信長の館」へ。
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城普請の様子
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「信長の館」で見るべきは復元された天主。そのものに著作権があり、旅行記に画像は載せられない。
http://www.azuchi-shiga.com/n-yakata.htm -
旧柳原学校校舎
明治9年に高島郡新儀村に建てられた小学校校舎。で、滋賀県に現存する最古の建造物。 -
県立施設の安土城考古学博物館は「信長の館」の隣。
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この博物館は、大別して、琵琶湖を中心をする地域の考古資料の展示と、観音寺城と安土城を主とする城郭の歴史と信長についての展示がなされている。
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銅鐸
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銅鏡
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古代王の服装
左から、4世紀、5世紀、6世紀。 -
兵士と馬
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横江(現在の守山市)遺跡で発掘された鎌倉後期~室町前期の村の様子。ヴェニスのようだ。
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安土城大手門からつながる大手道の模型。
大手街道の左手に見えるのは、秀吉邸と伝えられるところ。 -
復元された長槍
左から、織田軍三間半槍、武田軍、後北条軍 -
彦根城のジオラマ
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昼食時となったので、安土城考古学博物館に併設されているレストランで、「近江牛冷やし担々うどん」を食べた。甘味のある牛肉とスープの辛さが暑さで疲れていた体を癒してくれた。
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遅くなりましたが、4時間40分いっしょに旅してくれた自転車くん。自転車をこいだのは、2013年8月に石垣島から黒島に行ったとき以来。
(黒島の旅行記:http://4travel.jp/travelogue/10806450) -
人も車もあまり通らない道を進み、やってきました安土城。
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現在は安土城跡は摠見寺が管理していて、拝観料として費用を払う。受付の女性から一年で最も暑い時にようこそ訪ねてくれたと言われた。でも、城攻めを経験するには、暑い夏が最適だと思っている。
ひたすら上り坂をのぼっていくため、画像の通り、杖が無償提供されている。 -
大手門は既になく、拝観料を払うと、すぐ目の前に大手道。この大手道は発掘調査後に、整備されたもので、江戸末期には摠見寺が造った石垣で塞がれていた。
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石材には石仏や石塔も使われ、そのままの姿を見て取れるものも少なくない。
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ここは秀吉邸があったとされる場所。大手道を挟んで向かい側には利家邸があったとされる。
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さらに急な大手道を上って行く。右手には伝家康邸があった。現在は摠見寺の仮本堂がある。
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直線の大手道を上り切って振り返るとこんな感じ。
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直線の大手道を上り切り、石段はさらに左手に伸びる。
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これ、たくさんいた。信長の化身ではないかと感じた。
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古井戸、伝信忠邸を過ぎ、黒金門へ向かう。
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二ノ丸のすぐ下に信澄や
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蘭丸の邸宅があった。蘭丸は織田一門が住んだエリアに居を構えていた。容姿端麗にして、才知武勇に長じていた蘭丸。本能寺では防戦の後、討ち死に。享年18。信長になくてはならない人物だった。
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そして、黒金門。石のサイズが大きくなり、いよいよ本丸に近づいていることを知らせる。
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仏足が刻まれた石さえ、城建築に用いられた。
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やや広く平らな場所に出た。ここが本丸。天皇を招き入れる「御幸の間」がある建物がここに建てられ、清涼殿と酷似した構造になっていた。
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さらに歩みを進めると天主跡。約28m四方の広さで、意外と狭く感じた。五層七階、高さ33mの天主は、宣教師ロイス・フロイスに欧州にはない壮大さだと思わせた。
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天主最上階からは美しい琵琶湖が眺められたのだろう。
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自分の先を歩いていたご夫婦は早々に下山。
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二ノ丸跡にある信長廟
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廟の入口右手に納札所
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摠見寺で入手できるのだろうか。
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信長みたいに頭がよくなって、強い女の子になりたい。弱い人を助けたい。
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来た道をおりる。
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摠見寺跡から望む西の湖。
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摠見寺三重塔
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摠見寺本堂跡地の草刈りをなさっていた。器材を持って上がってくるだけでも一苦労。
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安土築城以前の年号が記された棟札があり、甲賀の長寿寺から移築されたものらしい。廃城後は、豊臣家、徳川家から保護を受け、信長の菩提寺となった。1854年の大火で消失した本堂は伝家康邸跡地に仮本堂として建てられ、現在もそこにある。
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城下町と城内を結んだ、百々瀬口道と呼ばれる急な石段道。
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二王門は1571年の建立で、一対の金剛力士像がにらみをきかせている。
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二王門をくぐると、また急な石段。その石段を下り切ると、平らな山道があり、大手道に戻る。
安土城には1時間滞在した。建造物が残っていない分、想像力をたくましくする必要がある。再建を!という意見もあるようだけど、それは模型だけにし、このままにしておいたほうがいいと思う。
どの城を訪れても、また行きたいと思わされるけれど、安土城は特に再訪したい城だ。次回は予備知識をもっと得てから、訪ねたい。 -
自転車で安土駅へ向かう。その途中で見かけた美容院「イチニのサン」。
レンタサイクルは9時から14時40分までの4時間40分で、1000円だった。レンタサイクル屋のおじいさんは道を親切丁寧に教えてくれた。 -
安土から彦根へ向かう。電車の本数は少なくない。
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彦根駅前
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徳川四天王の一人にして、家康の天下統一に貢献した井伊直政の像。
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マンホールにはひこにゃん。
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この日と翌日は「彦根キャッスル リゾート&スパ」に宿泊。
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