2017/07/13 - 2017/07/13
146位(同エリア2133件中)
玄白さん
行田の古代蓮を見たあと、午後は小江戸と言われる川越まで足を延ばしてみた。この日のショートトリップのメインは古代蓮で、川越は付け足しのようなもの、川越を隅から隅までを見てやろうというつもりはなく、有名どころの蔵造りの街並みを散策し、夕方は川越氷川神社の縁結び風鈴イベントを覗いてみるというつまみ食い観光でした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 自家用車
PR
-
梅雨明け間近で、昼頃になると強烈な日差しが注いでいる。こんな炎天下で街歩きはしんどいので、軟弱な我が家のこと、日差しが傾くまでいつものワンパターン行動で川越郊外の日帰り温泉へ。
「小江戸はつかり温泉」というスーパー銭湯風の日帰り温泉施設で昼食も兼ねて時間つぶし。温泉はあまり期待していなかったのだが、地下1700mからくみ上げた温泉は、弱アルカリの肌がつるつる、すべすべになるいわゆる美人の湯。なかなかの泉質だった。 -
3時過ぎに川越の市内へ。市の中心部には観光客が利用できる無料の駐車場はなさそう。旧市街の北側に観光客用無料駐車場があったので、そこに車を停め、蔵造りの街並みまで歩く。まだ日差しはそこそこ強い。
途中で見つけた蔵造りの街並みの図柄のマンホールの蓋。 -
蔵造りの街並みにたどり着く前に、早くも連れ合いが寄り道。和ろうそくの店である。連れ合いが好きでやっている(当人は自分のライフワークだと言っている)茶事で使うのだそうだ。和ろうそくは、会津の絵ろうそくが有名だが、川越が和ろうそくの名産地なのかどうか定かではない。
-
長いこと、どれにしようか迷っている。それも楽しいらしい。
和ろうそくは、パラフィンを原料にした洋ろうそくと違って、櫨(はぜ)の実を原料にして一本づつ手作りのため、値が張る。しかし、その炎は洋ろうそくより大きくて消えにくくゆらめきが大きいので、日本的情緒の奥深さが感じられるものらしい。 -
イチオシ
蔵造りの街に来た。江戸時代に建てられた蔵造りの家がたちならんでいる一角である。こういう街並みはモノクロ写真が似合う。
-
観光用人力車が通りかかったので、人力車も入れて、もう一枚。こちらはカラーで。
-
蔵造りは、耐火性に優れているため、火事が多かった江戸で発展した建築様式である。こういう江戸時代の建築様式の蔵造りが数多く残っているのが川越は「小江戸」と言われる所以である。
だが、現存する蔵造りの家は、当然ではあるが、ほとんどの家の中は土産物を売る店、食堂、カフェなど観光客相手の店に様変わりしている。 -
食べ歩き用のもち焼せんべいを実演販売している店。
-
和ろうそく屋に次いで連れ合いが入った店は「豆吉本舗」という豆菓子の店。地元の老舗と思って入ったようだが、後で調べてみると京都、倉敷、湯布院、妻籠など古い街並みが残っている都市に全国展開している豆菓子専門店だった。
-
川越のシンボル、時の鐘。江戸寛永年間に川越藩主だった酒井忠勝によって作られたが何度か火事で焼失し、そのたびに再建された歴史を持つ。現在の時の鐘は明治26年の大火で焼失し翌年再建された4代目である。
江戸時代は鐘撞き守が決まった時間に鐘を突いて時刻を知らせる時計台だった。いまでも機械式で一日4回、鐘が突かれるようだ。今回、鐘の音色を聞くことはできなかったが、どんな音色なのだろうか。 -
時の鐘は薬師神社という小さな神社の山門も兼ねている。江戸時代は瑞光山医王院常蓮寺という寺だったが、明治の廃仏毀釈で神社となった。
-
薬師神社の前から眺めた時の鐘。高さ16m、3層の櫓構造になっている。2015年の耐震診断で、倒壊の恐れがあるという診断結果が出て、ただちに3年かけて耐震補強工事が行われたそうだ。
-
川越の代表的農産物はサツマイモ。そのサツマイモを使った和菓子「いも恋」や「いもポテ」、「芋おこわ」を売る和菓子屋兼茶房「右門」
ここは素通り -
亀屋栄泉という、これまたサツマイモを使った和菓子屋。明治時代から100年以上続く川越でも指折りの老舗。2階が芋菓子の歴史を伝える資料館になっているようだが、今は改装中でクローズしている。
-
またまたサツマイモの和菓子の老舗「くらづくり本舗」。創業明治20年。店先にカラフルな提灯が飾られていて、よく目立つ。これら3軒はサツマイモ菓子の店だが品揃えは店ごとに個性があるようだ。我が家は芋菓子は好みではないので、いずれも素通り。
なお、これら3軒の店は並んでいるわけではなく、和菓子の老舗ということで順番を入れ替えてまとめた。 -
町屋宮岡という蔵造りの家。明治の大火後に建てられたため、徹底した防火対策が取られているという。2階の窓は外側から分厚い観音扉、横引きの土戸、板戸と3重構造になっているらしい。現在でも明治以来、金物商を営んでいるという老舗である。
-
イチオシ
日が傾き夕暮れが迫ってきた。浴衣を来た若い女性観光客が目につくようになってきた。古い街並みには着物姿がよく似合う。
-
だが、まだまだ暑い。氷という文字の下げ旗に釣られて店内へ。
-
この店は紅茶専門のカフェ「紅茶浪漫館しま乃」。パフェに目がない連れ合い、心変わりして紅茶パフェをオーダー。玄白もかき氷が良い値段だったので、安い桃のシャーベットをオーダー
-
紅茶浪漫館で一息ついてから、来た道を戻る。ついでに昔ながらの駄菓子の店が集まっている菓子屋横丁もブラブラするつもりだったが、なんと4時には閉店しているというので、そちらは断念。
それにしても、観光の街なのに4時に店を閉めてしまうとは商売っ気がないな~ -
「椿の蔵」という和雑貨の店。連れ合いの後をくっついて店の中へ。手ぬぐい、風呂敷、和風の女性むけ雑貨、ジュエリーなどが並んでいる。
3年前に横浜の雑貨商が出店したという。 -
イチオシ
ウナギの寝床のような細長い店内の奥に足湯カフェがあった。足湯の前に和傘が飾ってある。先ほどカフェで一休みしたばかりなので、カフェには入らない。
-
観光客用無料駐車場は6時にクローズする。5時40分になったので、急いで駐車場に戻る。
-
そのあと、近くの川越氷川神社へ。夏の間、「縁結び風鈴」なるイベントが行われている。いまさら、縁結びでもないが、写真ネタになるかもしれないので、立ち寄ってみた。
-
拝殿。
7時になると境内がライトアップされる。川越氷川神社は言い伝えでは飛鳥時代欽明天皇2年に創建されたという。祭神5柱のうち、脚摩乳命(アシナヅチノミコト)、手摩乳命(テナツチノミコト)、素戔嗚尊(スサノウノミコト)、奇稲田姫命(クシナダヒメノミコト)という2組の夫婦神が祀られていることからとりわけ縁結びの御利益があると信じられ、最近では若い女性に人気があるようだ。ちなみに、古事記によれば、奇稲田姫命は脚摩乳命と手摩乳命の間に生まれた娘であるとされる。 -
拝殿の左側には能楽堂がある。
-
境内のいたるところに風鈴棚が置かれていて、風に揺られて涼やかな音が響いている。
-
七夕みたいに、社務所で短冊を¥500で買い、願い事を書いて風鈴にぶら下げるらしい。
最近の神社は、どこもパワースポットだの、縁結びイベントなどアピールして商売熱心である。 -
カップルの記念撮影用風鈴飾り
-
拝殿、本殿をぐるりと取り囲むように風鈴棚が置かれている。風鈴回廊だ。
-
風鈴にぶら下げられた短冊には、恋愛に関する願い事だけでなく、合格祈願、家内安全、健康祈願、病気平癒などあらゆる庶民の願い事が書かれている。どこでもいつの世でも庶民の願い事は変わらない。
-
丸いカゴの中に入れた風鈴も飾られている。
-
まもなく日の入り。
-
日が沈み、ライトアップされた風鈴棚が輝きを増してきた。
-
参拝客は思い思いにライトアップされた風鈴棚の写真を撮っている。
-
境内には八坂神社、柿本人麻呂神社、稲荷神社、護国神社などの末社がある。これは釣り灯篭の紋章が菊紋なので護国神社だろう。
-
本殿横の風鈴棚。女子高生2人が楽し気におしゃべりしている。話題はボーイフレンドのことだろうか?
-
イチオシ
風鈴回廊入口の風鈴棚
-
本殿裏手の風鈴棚。2色のLEDでライトアップされている。
-
夥しい数の絵馬のトンネル
-
境内に人形(ひとがた)流しをする払いの川がある。7時になると川底に仕掛けられたLEDが点灯し、ドライアイスの煙を流す演出が行われる。彦星と織姫星を分かつ天の川をイメージしているらしい。
氷川神社創建の逸話として、「千五百年前、入間川の川底が毎夜光り、不思議に思った人々が光の元を辿ったところ、現在川越氷川神社が鎮座している所にたどり着いた。土地の長老がお告げを聞くと、その光が氷川の神様の霊光であると告げられたので、ここに氷川神社を建てた」というのである。そんな逸話に基づくイベントである。 -
天の川らしい構図(?)で。飛び石は天の川のなかのガス雲 (^ ^);
-
イチオシ
川に架けられた結界と、岩から立ち昇る妖しい光が、ちょっとミステリアスな感じ。
実は、この立ち昇る光は、ここで撮影していた人のスマホの光である。長時間露光なので撮影している人は写っていない。 -
ドライアイスの煙がファンタジックな雰囲気を醸し出している。
-
最後に現代の神道、神社について思うことを記しておきたい。
神道の起源は、自然界のあらゆるものに神が宿るというアニミズム的自然崇拝と先祖を敬う祖霊信仰が混然一体となった素朴な民間信仰である。世界3大宗教のように厳密な教理体系が整備された宗教ではなく、各地の固有の事情も取り入れて発展してきた基本的には土着信仰的要素が強いものだったというのが江戸時代までの神道である。
しかし、明治時代になって状況は一変した。近代国家建設を進めるにあたって、明治政府は、天皇にすべての価値、権限を持たせた絶対王政的国家主義政策を推し進め、国民統合のための支配イデオロギーとして神道を利用したのである。地域に根差した多様な価値観、信仰があった各地の神社を伊勢神宮を頂点に序列化し、皇室神道と強引に結び付け天皇崇拝の国教化を図ったのである。いわゆる国家神道の確立である。国家神道に基づいて、国民には天皇への絶対的忠誠を強い、日本は他国にはない優れた民族による神聖な神の国(天皇は現人神)という、「国体」という概念を持ち出し、さらには「八紘一宇」という理念まで作り出し、アジアへの侵略戦争を美化していった。一方、政府とは独立した天皇の統帥権を振りかざして軍部が暴走し、その結果、日本人だけで330万人の犠牲を出した第二次世界大戦に突き進み、日本を破局に導いたのである。 -
戦後、GHQは新生日本には、現憲法に要約されている国民主権、基本的人権尊重とならび、政教分離の原則の徹底を求め、神道指令により国家と神社神道の分離を命じた。しかし、敗戦のわずか2年後に、国家神道が染みついた神道関係者が設立したのは神社本庁という組織である。表向きの設立の目的は、「祭祀の振興と神社の興隆、日本の伝統と文化を守り伝えること」となっている。しかし、神社本庁が言う「日本の伝統と文化を守る」ことの中身は、 自主憲法の制定、靖国神社での国家儀礼の確立、道徳・宗教教育の推進、東京裁判・侵略戦争の否定、家父長的家族観擁護、夫婦別性とジェンダーフリーへの反対という極めて右翼的主張である。さらに驚くべきは祭政一致を主張している。つまり、皇室神道の祭主である天皇が親政も行ない、国政上、政府はそれを輔弼する役割にとどめるという、明治憲法で明文化されていたものを復活すべきだという主張をする戦前の亡霊のような極右団体なのである。
カルト的極右団体ならば、大きな影響はないが、神社本庁は全国7万9000社の神社を傘下に置いて、形を変えた国家神道の枠組みを温存している。傘下の神道政治連盟を通じて歴代の政権に大きな影響力を与えてきた。とりわけ、現政権の動きと神社本庁の目指すところが空恐ろしくなるほど一致しているのである。現に旅行先で立ち寄った神社で、自主憲法制定署名活動をしているのを目撃したり、「八紘一宇」という文字が刻まれた石碑がある神社を見たりしている。
こうした神社神道の歴史と現代の神社に関わる動きを目の当たりにすると、無邪気にパワースポットでパワーをもらった、癒された~などと言ってはいられないと思うのである。なんとか、戦前のゾンビのような神社本庁が解体され、歴史ある各地の神社が国家神道のくびきから解放され、地域に根差し地元の人々の精神的拠り所としての本来の神社に戻って欲しいと願うばかりである。これこそが日本古来の伝統と文化を守ることになると確信している。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
46