2016/09/03 - 2016/09/09
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hirobekさん
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雍和宮
清の康熙33年(1694年)、皇子時代の雍正帝の居館として建築された。雍正帝が雍親王に封じられていたことから、即位前は「雍王府」と呼ばれていた。1711年には後の乾隆帝が雍王府内で誕生している。雍正帝が即位した後に、皇帝の旧居を他人の住居とするのははばかられたこともあり、寄進されて寺院となった。スイスホテル北京香港マカオセンター ホテル
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国子監
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恭王府 清朝 和珅的家宅
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北京駅から列車に乗る
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北京ー承徳へ
北京駅 12:20 出発
承徳 17:30 到着
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恭王府
住所:北京市西城区前海西街17号
チケット代:40元
恭王府は、中国において現存する王府の中では、最も保存状態の良い清時代の王府(皇族の邸宅)
乾隆41年、西暦1776年、乾隆帝の寵愛を受けていた和珅(わこん)は后海を背にし、東に前海を臨むこの場所に、彼自身の豪邸を築いた。そのため、この豪邸は当時「和第」と呼ばれていた。明代の弘治の年に大太監を勤めていた李広も、この地に邸宅を築いていたという説もある。清の嘉慶4年、旧正月の3日に、当時の皇帝の父、すなわち乾隆帝は死去する。その翌日、嘉慶皇帝は行動に移る。和珅の軍機大臣と九門提督という2つの重役を解任した上、和珅の家財をすべて没収にはいった。その金額は白銀8億両もあったとまで言われている。国の総収入の十数年分にも相当する莫大の金額であった。そのために、「和珅が失脚し、嘉慶は満腹」という言われ方も当時されていた。 -
同年の旧正月の18日、即ち西暦1799年2月22日、和珅は自決を余儀なくされ、「国よりも豪邸」と言われたその邸宅も、皇帝の弟である慶僖親王「永璘」が所有することになった。
しかし和珅の息子の嫁であった和孝姫は、そのまま邸宅の半分に住むことになった。
咸豊元年、西暦1851年、清末の重要な政治家であった恭親王、奕䜣(えききん)が邸宅の三代目の持ち主となり、その時に名が「恭王府」と改められた。
風水上これ以上の場所はない
恭王府について、「月牙川が竜のように敷地内を巡り、遠くに見える西山はうずくまる虎の如し」という描写が史書にあり、その場所が風水においては絶好の位置にあるということを意味している。昔の人は、家を建てる時に風水を非常に重要視していた。北京には竜脈が2本あるといわれる。その一つは土の竜、即ち故宮の竜脈であり、もう一つは水の竜、後海と北海を通る直線を指す。恭王府はちょうど水の竜という竜脈に位置するため、風水の観点から見ると絶好の場所とされている。 -
「清の歴史の半分は恭王府にあり」というのは歴史地理学者の侯仁之氏によるコメントである。民国初年、この邸宅は、恭親王の孫である溥偉によって、40万元銀貨の値段で教会に売られたが、補仁大学によって108本の金塊で買い戻され、女子校として用いられることになった。新中国成立後は、公安部の宿舎、送風機工場、音楽学院など、複数の機構が入居した。
昔の人は、水をお金と見なし、恭王府も至る所に水が見うけられる。その湖の水は玉泉湖から引かれている。またその水は中に流れ込むのみで、外には出て行かないことも、風水学で言う財を収めるという見解に合致している。恭王府の辺りに住んでいた中国の文豪郭沫若などは、みな非常に長生きした。また北京では長寿の年寄りがいちばん多いと言われている場所は、ほかでもなく恭王府周辺なのだ。ここはまさに風水における宝の土地なのである。 -
恭王府は中国で最も保存状態の良い王府建築で、表の邸宅と裏の庭園という二つの部分からなっている。一般公開をめぐって30年前から議論されてきた。1975年、周総理は病床に横たわったまま、谷牧氏にまだやり終わっていない三つの要件を頼んだ。その一つになんと恭王府の公開が含まれていたのだった。
王府の敷地面積は約3.1万㎡で、中、東、西という三列の建物に分けられ、正確な中軸線で貫かれ、たくさんの四合院からなっている。邸宅は広いだけでなく、厳格な基準の下で、建築されている。その点は正殿と別殿の数からもよく分かる。恭王府には、5宇、正殿7宇、後殿5宇、寝室7室あり、左右両脇に別殿がある。親王より地位の低い人の邸宅では、絶対にその数を超えることはない。また、建物の設計と瓦の色も異なっている。恭王府の中、東、西の三列にはそれぞれ三つの中庭があり、奥のほうにある二つの中庭が観光の主なエリアになっている。 -
恭王府は前海西街に位置し、1776~1785年に築かれた。もともとは清の乾隆皇帝の寵臣である和珅の私邸だったが、嘉慶の年、汚職の罪で処刑された彼の財産は没収され、この私邸も慶王に贈られた。同治皇帝の時、恭親王奕忻が西太后の政変に協力した手柄で、この邸宅を西太后から譲り受け、恭親王府と名付けられた経緯がある。
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奇岩
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奇岩のトンネル
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恭王府
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前門 旧北京駅
現在は鉄道博物館 -
北京最後の夕食
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北京地下鉄駅に降りる長いエスカレーター
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地下鉄エスカレーターの壁の宣伝
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前門
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南鑼鼓巷
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南鑼鼓巷 北京のお菓子老店
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南鑼鼓巷 飴細工
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天安門広場
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北京 后海べりのレストラン
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探し犬
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