2017/05/24 - 2017/06/08
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a-kamoさん
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今回のヨーロッパ旅行はブルガリアのカザンラク・バラ祭りに合わせて計画。
6月第1週の日曜日がパレードなどメインのイベントが組まれており、それに合わせて前後をブルガリア・ルーマニアを旅する計画へ。今回のヨーロッパ旅行はブルガリアのカザンラク・バラ祭りに合わせて計画。
6月第1週の(4日)日曜日がパレードなどメインのイベントが組まれており、それに合わせ前後をブルガリア・ルーマニアを巡る旅を計画。
ルーマニアは北のマラムレシュ地方まで行くとかなりの距離になるのと、昨年ポーランドでの田舎・木造教会巡りの旅をしたので、トランシルヴァニア地方シギンショアラまで北上しまたブルガリアへ戻るルートになりました。
ブルガリアは黒海をみたいな?!と言う一言でネセバルまで行き(魚貝類を食べたいが本音か?)、その後ヴェリコ・タルノヴォからカザンラク・バラ祭りへそして最後はプロヴディフ経由でソフィアへ戻ってくるルート約2300kmの旅となりました。
今回は比較的ハプニングも事故も無く帰国する事が出来ました
④編
5月29日(月) シギンショアラを出発、ピエルタン要塞、
ヴィスクリ要塞見学後ブラショフへ宿泊
5月30日(火) ブラショフを出発しブカレストへ宿泊
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- レンタカー
- 航空会社
- カタール航空
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
シギンショアラの街を離れブラショフとは逆方向の
ピエルタン要塞へ向かいます
距離は30Km程度、40から50分程度か。
途中からピエルタン村へ向かうと道路は田舎道、
でも思ったより道は悪く無い。 -
今回の巡り旅のルートです (* 本旅行記記載)
5月25日 ソフィア空港からリラの僧院へ①ドゥプニツァ宿泊
5月26日 ドゥプニツァ出発、イヴァノヴォ洞窟教会見学し②ルセで宿泊
5月27日 ルセ出発、ブルガリアからルーマニアへ国境越え、北上
ブカレストを通過し一気に③シナイヤへここで宿泊
5月28日 シナイヤ、少し観光し出発、途中ブラン城見学その後道から見えた
要塞が素晴らしかったルペア要塞へ寄り道、そしてシ
④ギンショアラへ宿泊(ここがルーマニア訪問の最北)
*5月29日 シギンショアラ出発、ピエルタン要塞へその後ブラショフへ向かう
途中ヴィスクリ要塞へ寄り道(これが、思ったより大変)
⑤ブラショフ宿泊
*5月30日 ブラショフを出発し⑥ブカレストへ宿泊
5月31日 ブカレスト出発、再度ルーマニアからブルガリアへの国境越そして
スヴェシュタリでトライキア人の墳墓を見学後⑦ネセバルへ宿泊
6月1日 終日ネセバルでのんびり(宿泊)
6月2日 ネセバルを出発ヴェリコ・タルノヴォ手前で急遽アルバナシへ寄り道
その後⑧ヴェリコ・タルノヴォへ宿泊
6月3日 ヴェリコ・タルノヴォ出発エタル野外民族博物館見学、カザンラクへ
明日のバラ祭りの情報を入手し近郊の⑨スタラ・ザコラへ宿泊
6月4日 スタラ・ザコラ出発カザンラク、バラ祭りへ
その後⑩プロヴディフへ移動宿泊
6月5日 昼までプロヴディフ観光後ソフィアへ移動、ソフィア近郊の
ボヤナ教会見学⑪ソフィアへ宿泊
6月6日 ゆっくりレンタカーを空港へ返却後ソフィア観光、宿泊
6月7日 ほぼ終日ソフィア観光後夕方ソフィア空港へ移動し帰国へ -
ピエルタン要塞
世界遺産トランシルヴァニアの要塞教会の7ヶ所の内の一つ。
観光サイトによると
『12世紀、トランシルヴァニア地方に「サシ」というドイツ系の人びとが入って来て。この結果ドイツの文化がトランシルヴァニアまで伝わり、これらの教会はドイツ系ルーマニア人によって建てられました。彼らの由来は、現在のザクセン地方の人たちです。』
だそうです。 -
ピエルタン要塞
シギンショアラ山上教会の木の階段のように要塞へ入って行きます -
ピエルタン要塞
要塞の中の教会(要塞教会の建築様式はバロック調)しかしながら質素でシンプル。
正面の聖壇 -
ピエルタン要塞
要塞の中の教会(質素ですが重厚感ありです) -
ピエルタン要塞
教会の中ドア(門)にある複雑な「鎖の鍵」 -
ピエルタン要塞
このドアの鍵、中世の腕利きの職人たちの見事な製品だそうです。
しかし複雑過ぎて何だか???? -
ピエルタン要塞
全体が入口からでは良くわからず、ピエルタン要塞の裏へ回って見ました。
要塞が3重、4重になっているのが良くわかります。
左右の家は普通のの民家です。
この後ブラショフへ行く途中のヴィスクリ要塞へ(昨日の予定変更した要塞)向かいます。
距離にしたら80Km程度、まあ2時間はかからないかな? -
ヴィスクリ要塞
ちょっと軽く見すぎた?
ヴィスクリ要塞までの道が凄い、どうにか舗装はされているが
穴だらけ!
一言で言うと、穴を避けて走れない!何処を選んで走っても穴へ。
幸いにも他の走っている車の数はあまりなし。
予想外に苦労して到着。
ここ本当に世界遺産?て疑いたくなる。
これは、ツアーバスは無理。 -
ヴィスクリ要塞
英国のチャールズ皇太子も、ご訪問された評価の高い要塞とか。
受付の地元のお婆ちゃん。入場は2人で8レイ(230円程)
ピエルタン要塞よりず~っと安い。
かなりしっかりしたお婆ちゃん。
(危なくお釣りもらい損ねそうでした、悪いのは私?) -
ヴィスクリ要塞
『外敵に包囲された場合でも、しばらくは暮らせるように、要塞の中に、水、食糧などの生活物資を備蓄していたそうです。』 -
ヴィスクリ要塞
この場所、生活物資を備蓄したとか?外的の攻撃に対処したのでしょうか?
ガイドも何も無いので??? -
ヴィスクリ要塞
要塞内のロマネスクの教会(ゴシック様式) -
ヴィスクリ要塞
最上階へ行くには急な狭い階段を登ります -
ヴィスクリ要塞
最上階からの眺め、砦の囲みがはっきりとわかります。 -
ヴィスクリ要塞
最上階からの眺め。
眼下に村が眺められ、これは中々攻められないな~。 -
ヴィスクリ要塞
要塞全体のプロポーションは凄くいい感じ。
チャールズ皇太子が気にいるわけです。 -
この後、駐車場へ向かう道沿い、各家の前に露店を出している手編み製品。
お土産ゲット!
数店舗全て連れはチェックし購入。
作りがしっかりしていて安いとか!
地元住民(女性)の収入源でしょうか。? -
ヴィスクリ要塞からブラショフへ向かいます
来る時の穴ぼこだらけの道か砂利道へ変わりました。
正直、この方がまだマシか?(時間は要するけど)
ここで停止、牧草と空と遠くの家畜達を見ながら、お腹すいたのでスーパーで買ったパンでランチ。ほとんど車は来ない!
(貧素で見せられません!) -
ブラショフ ドラッケンハウス(Drachenhaus)へ到着
まずは駐車は?レセプションに尋ねたところ目の前の公共路上駐車でOKとか。
しかしながら、家の出入り口など駐車不可の場所除くと見た限り空いていない。
思案しているとホテル反対側で空きそうな雰囲気?
受付の女性がルーマニア語で空きそうな場所に止めた運転手と会話しOKらしい。
他の車に場所取られない様にして無事駐車。(ほっ!)
パーキング料金は後でよく見て考えるとして1時間購入しそしてホテルチェックインへ。
この後またまた・・・・・! -
ドラッケンハウス(Drachenhaus)
このホテルは作りが2階までの棟が並んでいる作り。 -
ドラッケンハウス(Drachenhaus)
部屋は入口ゲートを入って直ぐの左棟2階です。 -
ここでまたまたお土産話!
シナイヤで試しに購入たジェロビタールの続き
シナイヤで購入後使用感はいい感じとかで、今度はブラショフの大きなスーパーへ
結局、ここブラショフでまとめ買いです。(購入数は二桁までいかないけど!)
この後またホテルへ荷物を置き、路上駐車に料金を・・・・・
何と車に張り紙(素人の手書き)、更にその前の家の住人が来てここに止めるな(怒り)。
(ブルガリア語なんでそんな感じ)すごいけんまく!
そこで、先程ホテルの受付の女性と交代(お互いに言い合う(間違いガンガン言ってます)始末)。
そして、結論が出て受付の女性曰くダメみたいですね。(えっ!)
そしてその後は他の路上駐車場を探して!(彼女はここで終了)
日本では考えられないサービス(サービスでは無いね!)
仕方なく、自分で探して何とか翌朝までの駐車料金を購入フロントガラスの中側に置き、ここは無事終了。
やはり、いつもの旅の様に自分で解決するしかないね。 -
ブラショフ街歩き
街歩き開始、まずは街の中心部へ
車は進入禁止で歩行者専用のトプブリチ通りを進みます -
ブラショフ街歩き
スファトゥルイ広場へ出ました(街の中心部)
やはりそこそこ大きな街だけに人も多い感じです。
(ちょっと今までマイナー巡りでしたので) -
ブラショフ街歩き
スファトゥルイ広場から先に小さいけど、有名な黒の教会がみえる。 -
ブラショフ街歩き
先程見た黒の教会(小さくないじゃない)
どっしり重い感じのゴシック教会です。
ガイド本によると、1689年にハプスブルグ軍の攻撃にあい
外壁が黒焦げになりこの名が付いたそうな。 -
ブラショフ街歩き
黒の教会、今日月曜日でお休み。時間ももうおそいか?
綺麗で大きな時計が印象的です。 -
ブラショフ街歩き
ブラショフを見下ろすトゥンバ山。
ちょっとローブウエイに乗るに時間が厳しい。
駐車場のゴタゴタで時間取られたのでさらに時間無し。 -
ブラショフ街歩き
VILA KATHARINA Hotel) <- ドラキュラが愛した女性(カタリーナ)
と言う事で、有名ですが?
ブラショフで最初このホテルへ宿泊しよか?悩んだホテル。
私達にはやや高級?
部屋数は3つ?(確か)最大の問題はチェックアウトが確か12時だったかな?
それでやめたような・・・・・?
(実は料金とか・・?まあ、それも・・・!) -
ブラショフ街歩き
ヨーロッパで三番目に狭いスフォリー通り
幅1.11メートルとか。
(当然車はNGですよ!)人とすれ違うには?・・・・人によります。 -
ブラショフ街歩き
ヨーロッパで三番目に狭いスフォリー通り
何やら撮影?
下はモデルがいたので撮影でしょ~。
登っている男性は?? -
ブラショフ街歩き
ヨーロッパで三番目に狭いスフォリー通り
思ったより長い通りです。 -
ブラショフ街歩き
スケイ門(スケイ地区へ続きます)
門をくぐり抜けスケイ地区へ -
ブラショフ街歩き
スケイ地区の聖ニコラエ教会
ガイド本によるとこのスケイ地区はブラショフがドイツ移民によって
建設された当時、先住のルーマニア人たちが余儀なく移り住んだ地域
だそうです。
その境がスケイ門。 -
夕食 Restaurant Sergiana(セルジアナ)
ちょっと歩き疲れたがブラショフ旧市街へ戻り夕食へ -
ブラショフ 夕食 Restaurant Sergiana(セルジアナ)
中の雰囲気はこんな感じ、まだ空いてます。 -
夕食 Restaurant Sergiana(セルジアナ)
見た目よりサッパリしてます。
チェルパ・スープ -
夕食 Restaurant Sergiana(セルジアナ)
ポークとキノコのソテー -
夕食 Restaurant Sergiana(セルジアナ)
ルーマニアのピクルス癖になりそう -
夕食 Restaurant Sergiana(セルジアナ)
もう一品はトラウト。
連れがナイフとフォークで悩んでいると・・
何と店のボーイさん綺麗に全部サーブしてくれました。
(多分、まだ暇だったのかも) -
夕食 Restaurant Sergiana(セルジアナ)
シナイヤのパパナシが忘れられずオーダー
まあ、美味しいがシナイヤのより少し落ちるかな。
この時ガイド本のパパナシの写真みせたら???
これパパナシでは無いね!と一言。
確かにガイド本とは違う????
いつもの様にビールとワイン(1本)チップ入れて170レイ弱(約4700位かな) -
ドラッケンハウス(Drachenhaus)
翌朝の朝食へ
ホテルに併設してる、ホッケーパブで朝食です。 -
ドラッケンハウス(Drachenhaus)ホッケーパブで朝食
メニューから選びます。これはイングリッシュブレックファースト。 -
ドラッケンハウス(Drachenhaus)ホッケーパブで朝食
メニューから選びます。これはコンチネンタルブレックファースト。
予想外にイングリッシュブレックファーストの方に軍配が上がる。 -
ドラッケンハウス(Drachenhaus)
いよいよブカレストへ向け出発
ブカレストまで170Km約2時間半位かな。
まあ、午後ブカレスト市内街歩き想定で向かいます。 -
ドラッケンハウス(Drachenhaus)出発
昨日の駐車場移動でちょっと心配しましたが、駐車場違反も無く
無事ホテル前に車移動、荷物積んで(連が又々出てこない?待つだけ)
その間にこの2人の若い女の子(ちょっと変ですが)、今日は平日で学校有るはずなのに・・・・・?。
始め花を買って?(少しくたびれた花、売り物にしたそれしか持って無いし)
断ると、今度は写真撮って?(断ると、長々としつこい!)
どうにか危ないのでサヨナラしました。
(正解?不明?) -
ブカレストへ向かう。
幹線道路沿いの露店のへちょっと寄り道
ここでルーマニア道路事情について総括(あくまでも個人的な物)
まず、
*運転はかなり荒いしスピードはヨーロッパなので当然。
例えば、追い越しはカーブでも追い越す(ビックリです。
対向車が来ても突っ込む車も、更に交差点でも平気で追い越します)
*道路事情、都市を出るとほとんど信号は無い、特に高速はなく中央分離帯があるとガンガン飛ばします。
私達120K位かなスイスイ抜いてきます。
更に分離帯が終了と思ってたら突然交差点(信号無し)車が左右から出てきます。
*道路の作りも今一つ良くない感じ。
(信号が無いのでよほど注意しないと危ない場所も多い、優先道路がおかしい感じ)
*さらに田舎は穴ボコだらけ、気持ち良く走れない(突然穴が・・)
まあ、ある面では日本人の感覚からなのかも? -
ブカレストへ向かう。
幹線道路沿いの露店のへちょっと寄り道
今一つ気に入る物が無い。はちみつも高いあまり無し。
(ひやかしでした) -
ブカレスト市内へ入ります。
街の中心部へ入る手前凱旋門通過。
観光サイトによると
『第一次世界大戦に、ルーマニアを守って死んだ兵士達の石造の記念碑で、1922年建設。ブカレストの北部にあり、パリの凱旋門と似ています。』 -
ブカレスト宿泊のホテル キャピトル ホテル
直ぐ先が旧市街の為車は多いし。でもホテル専用の路上駐車へ。
(運良く玄関目の前をゲット)
早速、ホテルへ荷物置きブカレスト街歩きへ -
ブカレスト街歩き
旧共産党本部前へ、う~ん!
この辺は軽く見てやはり旧市街へ行こう。 -
ブカレスト街歩き
飲み屋街、いやいや失礼。 -
ブカレスト街歩き
ワンちゃん多すぎ!(仕事?) -
ブカレスト街歩き 旧市街
1559年建造されたクルテア・ヴェケ教会(ブカレストの最も古い建物)。 -
ブカレスト街歩き 旧市街
クルテア・ヴェケ教会
教会の内部は平日なのに信者がギッシリ、ちょっと遠慮して直ぐ出てきました。 -
ブカレスト街歩き 旧市街
クルテア・ヴェケ教会の裏へ回って、小さな小屋でパンを売っていて信者行列です。
きっとありがたいパンなのでしょう?
???わからない。 -
ブカレスト街歩き 旧市街
旧王宮跡のウラド・ツェペシュの像
観光サイトによると
『現在の「ブカレスト」という名前は、当時ワラキアと呼ばれたこの地を治めていたヴラッド・ツェペシュによって、トゥルゴビシュテで1459年9月20日に署名される文書で、初めて公式呼ばれました。』
だそうです。またまたドラキュラのモデル登場です。 -
ブカレスト街歩き 旧市街
ハヌル・ク・テイとかガイド本に書かれている場所 -
ブカレスト街歩き 旧市街
ガイド本によると菩提樹の隊商宿とか
旧市街をぐるぐる行ったり来たりよく歩きました。 -
ブカレスト街歩き
旧市街を抜け、統一広場の噴水 -
ブカレスト街歩き
統一広場の反対側を見ると遠くに国民の館。
ちょっと遠うそう。行きますか! -
ブカレスト街歩き
国民の館 (米国ペンタゴンに次ぐ、世界で2番目に巨大な建築物)
やはり、遠かった。旧市街を散策しさらにこの中を見学するパワー無し。
ここで街歩き終了。(単に運転手が早くビール飲みたいだけ?)
やはり、首都は違う(何がって???)
野良犬は居ないし、信号が多いし、・・・・!あとはご想像で。 -
ブカレスト 夕食へ ヴァトラー
ホテルへ戻り今日の夕食レストランへ行きます(ルーマニア最後の夕食です) -
ブカレスト 夕食へ ヴァトラー
アウトサイドの席へご案内!早くくると空いていていいね。
でも、18時は有に過ぎてる。 -
ブカレスト 夕食へ ヴァトラー
肉団子いりのややピリ辛のスープ
(意外とサッパリ、辛くない)
ルーマニアのスープは比較的見た目よりサッパリしているのが総括です。 -
ブカレスト 夕食へ ヴァトラー
最後にルーマニア定番のミティティ(トルコ料理にある、ケバブ風)
(牛肉のひき肉炭火焼き)何ピースとかピース単位でオーダー -
ブカレスト 夕食へ ヴァトラー
すね肉のグリル(ドイツ料理に近い感じ)
あとは飽きずにピクルス
そして、ビールとワイン1リットル
チップ入れて約200レイ弱(5700円位か)いつもより都心部で高め? -
ホテルへ戻りなが古いビル
(使われていなビル)
ちょっと裏や通りから外れるとたくさんこの様なビルがあります。
手を加えて使うには費用がかかりすぎるか?
やはり、まだまだ経済情勢が厳しいのでしょうか? -
ホテルの部屋から街の夜景
ルーマニアと言えばロシアと同様夜の世界も有名ですが。
ここはおとなしく就寝。 -
ホテルチェックアウト
今日は再度ルーマニアからブルガリアへの国境越え
途中シュベスタリへより一路黒海を見るためネセバルへ向かいます。
⑤編
再度国境越え黒海沿岸のネセバルへ続きます。
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