2017/06/09 - 2017/06/09
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ベームさん
6/9(金)、16日目。
今日はパリの北西20キロ、電車で約40分、セーヌ川の支流オワーズ川に望むポントワーズを訪ねました。
カミーユ・ピサロ、ポール・セザンヌ、ヴァン・ゴッホ、ギュスターヴ・カイユボットなど印象派の画家たちが好んで集まり、創作に励んだ地です。
特にカミーユ・ピサロはこの地を好み、1866年から17年間もポントワーズおよびその近郊に住んでいたそうです。
ピサロの愛した風景、絵を描いたオワーズ川のポイントを探して歩こうと思います。
写真はポントワーズ、オワーズ川の眺め。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
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朝のテレビ。
イギリス総選挙で保守党の退潮を報じています。 -
サン・ラザール駅からRER・J線でポントワーズに向かいました。8時57分。
切符はモビリス1~5ゾーン、17.3ユーロ。
セーヌ川はパリの西で何回も南北に蛇行しています。 -
途中アルジャントゥイユ駅。
ここもセーヌ川沿いの印象派と縁の深い町で、ポントワーズかアルジャントゥイユかどちらに行こうか迷いました。 -
RER・J線の路線図です。
左の端の先にサン・ラザール駅があり路線が分かれています。乗り間違えないよう注意が必要です。
ポントワーズは一番下の線の真ん中ほど。 -
オワーズ川の鉄道橋を渡っています。
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ポントワーズ着、9時37分、パリから40分でした。
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ゴッホ終焉の地オヴェール・シュル・オワーズ方面乗換駅。
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ポントワーズ駅前。
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駅を出ると正面の坂、ティエール通りの先に大きな教会が見えます。
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サン・マクロー大聖堂です。
スタートから長い坂道をよっこらしょと登りました。 -
大聖堂から駅方面の眺め。
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突き当りにポントワーズ駅。
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サン・マクロー大聖堂。
12世紀の建築で15世紀にフランボワイヤン・ゴシック様式で拡張されています。 -
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サン・マクロー大聖堂、後姿。
閉まっていました。 -
オテル・ド・ヴィル/市庁舎通り。
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ポントワーズ市庁舎です。1854年。
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市庁舎の裏にあるポントワーズ美術館(タヴェ・ドラクール美術館)。
入ります。
カミーユ・ピサロの絵が見られるかと思っていましたが、油彩画は無く版画を沢山見ることが出来ました。 -
こことカミーユ・ピサロ美術館共通の入館料6ユーロ。
10時オープンに合わせて入ると男が二人いたが、チケットを扱う同僚がまだ来ないから少し待て、とのこと。暢気なものです。 -
ロジャー・シャステル:ビストロ。
1952年。
抽象画の部屋が幾つかありました。 -
ロジャー・シャステル(1897~1981):トゥーロンの7月14日。
1955年。 -
セルジュ・シャルシューヌ(1888~1975):キュビスムの作品。
1930年。 -
館内。
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カミーユ・ピサロの版画展が開かれていました。
ピサロは版画を200点ほど残しています。 -
勿論版画ですから小さいものですがとても興味深いものでした。
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魚市場。
1894年頃。 -
ポントワーズの野菜市。
1891年。 -
ポントワーズの市。
1895年。 -
雨のエフェ。
1879年。 -
ポントワーズ、エルミタージュの風景。
1880年。
ポントワーズ近郊、ピサロも住んでいました。 -
ギュイヨンの岸壁。
1866年。 -
版画の展示室。
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製作中のピサロ。
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1900年頃のピサロ。
70歳ころ。 -
ポントワーズ近郊、オスニーの教会。
1885年。 -
水辺の牛飼いの女。
1890年。 -
ジゾールの市場。
1895年。 -
争う水浴の女たち。
1894年。 -
四人の浴女、パンフレット。
1895年。 -
鵞鳥と水浴の女。
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柵の女。
1889年。 -
耕作。
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柴束を運ぶ女たち。
1896年。 -
エルベの農婦。
1895年。
ピサロの油彩画は無かったものの沢山の版画を見ることが出来、十分な収穫でした。 -
ピサロ美術館は2時オープンなので一旦オワーズ川まで降りてきました。ポン広場。
ポントワーズの旧市街地はオワーズ川の河岸段丘の上にあります。
丘の左上の建物がピサロ美術館です。 -
振り仰ぐと後から行く予定のカミーユ・ピサロ美術館が見えます。
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広場に面したタイ料理店で得体のしれないものを食べました。
ここでも店員が日本人/東洋人が珍しいと見えて、美味しいかと聞きにくる。美味しいと答える。 -
河畔の観光案内所でピサロがオワーズ川沿いで絵を描いたポイントを印した地図を貰いました。
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何か所が訪ねてみます。
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オワーズ川。
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鉄道橋の下を潜って。
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ポルト河岸。
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のんびり船を手入れしています。
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ポントワーズ、鉄道橋。
1873年頃。 -
その絵が描かれた場所。今は立派な橋です。
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油を流したような川面。
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水が流れているのかいないのか。
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堰があり水が流れていることが分かります。
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ピサロの散歩道だったでしょう。
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ポントワーズ、オワーズ川の岸辺。
1872年頃。 -
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絵の風景とはなかなか一致しませんが、なにせ絵の描かれた当時とは140年以上の隔たりがあるのです。
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ポテュイ河岸の眺め。
1868年。 -
その描かれた場所。
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川岸から崖を登りカミーユ・ピサロ美術館に行きました。
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カミーユ・ピサロ美術館。
午後2時からの開館です。 -
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美術館は公園の中に建っています。
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庭園からの眺め。
オワーズ川と鉄道橋。 -
鉄道橋。左下の丸い屋根は観光案内所。
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ポン広場、川中島はポテュイ島。
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庭園からの眺め。
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崖の上にあり街並みが見晴らせます。
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入館します。
ピサロ美術館と名はついていますがカミーユ・ピサロ自身の作品は殆どありませんでした。友人たちが描いたポントワーズ近辺の絵、ピサロの息子たちの絵がありました。ピサロの絵は各地の美術館、個人の所蔵に帰していていかにピサロの名を冠する美術館といえどもピサロの作品を揃えることは出来ないのでしょう。 -
ルドヴィク・ピエット(1826~1878):ヴォレイユの市場。
1875年。
印象派、ピサロの友人。 -
ルドヴィク・ピエット:エルミタージュの道とカミーユ・ピサロの家。
1876年。
エルミタージュはポントワーズ近郊の地。 -
ルドヴィク・ピエット:グラン・マルトロワ広場の野菜市。
1876年。 -
ジョルジュ・ウイリアム・ソーンリイ(1857~1935):グラン・マルトロワ広場。
1910年。 -
ルイス・ヒメネス・アランダ(1845~1928):エペロンの道。
1913年。
スペインの画家。 -
ルイス・ヒメネス・アランダ:オワーズ川の岸辺とポントワーズの堰。
1908年。 -
ポントワーズ、エルミタージュの自宅の庭のベンチで憩うカミーユ・ピサロと妻ジュリー。1876年。
ピサロ46歳ころ。 -
ポントワーズのポール・セザンヌ。
1875年。
ピサロはセザンヌの才能を認め、セザンヌはピサロを”父親であり相談相手であり神のような存在だった”と後に述べています。 -
ポール・セザンヌ(1839~1906):オーヴェル・シュル・オワーズの農家の入り口。
1874年。 -
展示室。
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カミーユ・ピサロ:オーヴェル・シュル・オワーズ、果樹園の手押し車。
1879年。 -
カミーユ・ピサロ:冬、縁日からの帰り。
1878年。 -
ギュスターヴ・カイユボット(1848~1894):ジャンヌヴィユイエのセーヌ川の岸辺。
1870年頃。 -
フレデリック・コルディ(1854~1911):ポントワーズ、ポテュイ河岸。
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アルマン・ギヨーマン(1841~1927):ミルゴードンの果樹園。
1892年。
印象派で、セザンヌ、ピサロと親交があった。 -
ルシアン・ピサロ(1863~1944):松林。
1892年。
カミーユ・ピサロの息子。 -
ルシアン・ピサロ:林檎の収穫。
1889年。 -
美術館の窓から。
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ルドヴィク・ロド・ピサロ(1878~1952):セーヌ川の河岸とチュイルリー。
1900年頃。
ルドヴィクもカミーユ・ピサロの息子です。カミーユの息子、娘は皆画家になっています。 -
ルドヴィク・ロド・ピサロ:マント・ラ・ジョリーのセーヌ川。
1900年頃。 -
ルドヴィク・ロド・ピサロ:松。
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ルドヴィク・ロド・ピサロ:ディエップ。
1902年。 -
ルドヴィク・ロド・ピサロ:ディエップ。
1902年。 -
ポール・シニャック(1863~1935):エルブレのセーヌ川。
1889年。 -
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レオ・ゴーソン(1860~1944):ピサロの庭とエラニーの鐘楼。
新印象派の画家。
エラニーもポントワーズの近くにあります。 -
マクシミリアン・リュス(1858~1941):ラニー・シュール・マルヌの風景。
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ギュスターヴ・カイユボット:床の鉋削りのための三つの習作。
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ギュスターヴ・カイユボット:床の鉋削りのための習作、座っている男。
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ギュスターヴ・カイユボット:床に鉋をかける男たち。
1875年。
オルセー美術館所蔵です。 -
カミーユ・ピサロ:農家の夫婦。
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カミーユ・ピサロ:ジャンヌ・ベルリナーの肖像。
1861年。 -
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ベンチに座るポール・セザンヌ、横に立つカミーユ・ピサロ。
1874年頃。 -
カミーユ・ピサロと3人の息子たち、ルシアン、ルドヴィク・ロド、フェリックス。
1894年。カミーユ64歳。 -
マルモッタン・モネ美術館の”印象派の先駆者”ピサロ展のパンフレットが置いてあります。
2017年2月23日から7月2日まで。
カミーユ・ピサロ美術館ではピサロの作品はあまり見られませんでしたが、後日このピサロ展で沢山見ることが出来ました。 -
美術館の近くから先ほどのサン・マクロー大聖堂が見えます。
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帰りは下りです。
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駅への途中、カルメル派修道院。
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カルメル派修道院。
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ポントワーズ駅に戻ってきました。
RERの車両。 -
帰りはRER・H線、パリ北駅行に乗りました。
車両は綺麗なのですが、北駅行の路線の乗客はどうも。人種差別になるといけないので書きませんが。 -
パリ、北駅はRER・H線とK線が発着しますが分かりにくい路線です。
RERを乗りこなすと相当なパリ通と云えます。 -
途中サン・ドニ駅。サッカー場があります。
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パリ、北駅着着。15時47分。
明日からはまたまたパリを離れ、ブルゴーニュの幾つかの田舎町を2泊3日で訪れます。
今旅行記を書きながら振り返ってみると、よくもこんなに動き回れたなあと思いますが、旅先ではアドレナリンが多く出たのでしょう。
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