2017/06/06 - 2017/06/07
9位(同エリア53件中)
ベームさん
6/6(火)、13日目。
ポワティエ1の続きです。サント・クロワ博物館でカミーユ・クローデルの彫刻を見ました。
6/7(水)、14日目。
ポワティエの近郊サン・サヴァンに行き、サン・サヴァン・シュール・ガルタンプ修道院付属教会の世界遺産の天井画を見てからブールジュへ行き1泊。
修道院の起源はカール大帝/シャルルマーニュが設立した9世紀初めに遡りますがヴァイキングにより破壊されます。その後11世紀末にロマネスク様式に再建された修道院付属教会は天井一面に旧約聖書の場面を描いたフレスコ画が描かれました。
16世紀に宗教戦争で再び教会は荒廃しますが、19世紀半ばメリメがそれを見出し壁画の保護を提唱しました。入念な修復作業の結果元の様な姿に戻ったのです。1983年世界遺産登録。
実際その中に一歩入ると驚くべきロマネスク壁画の世界が広がっていました。
なおこの壁画を深く研究しその価値を世に知らしめた人として日本の美術史学者吉川逸治氏がおりました。ロマネスク建築・壁画の研究を専門にし「サン・サヴァン教会堂のロマネスク壁画」という著を成しておられます。
写真はその天井画。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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ポワティエ。
サン・ジャン洗礼堂から隣りのサント・クロワ博物館に行きました。 -
サント・クロワ(聖十字架)博物館。
考古学部門、美術・工芸部門があります。カミーユ・クローデルの作品の蒐集はフランスで2番目の数だそうです。 -
幸運なことに無料日でした。
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先ずは考古学部門。
古代ガロ・ローマ時代の遺跡です。 -
主にポワティエ近辺から出土した物が収蔵されています。
2世紀ころの境界石。石灰岩。 -
ポワティエ出土花模様のモザイク。2世紀。
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コリント式柱頭。1~2世紀頃。石灰岩。
ポワティエ出土。 -
円柱の礎石。2~3世紀初め。石灰岩。
ポワティエ出土。 -
アテナ像。1~2世紀。白大理石。
ポワティエ出土。
ポワティエはガロ・ローマ時代から栄えた町なのでその時代の遺物が沢山発掘されています。 -
展示室。
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運命の女神像。古代ローマ期。石灰岩。
ポワティエ出土。 -
石棺。
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タンパン:振り向くライオン。12世紀。石灰岩。
ナンテールの修道院。 -
タンパン:双頭のドラゴン。12世紀。石灰岩。
ナンテールの修道院。 -
柱頭。
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通称口論の柱頭。11世紀後半。石灰岩。
ポワティエ:サン・ティレール出土。
二人の男が互いに相手の顎鬚をつかんでなにやら言い合っている様子。ユーモラスですね。しかし二人とも斧を振りかざしていて、血を見るかもしれません。 -
水差し:鹿。中世初期。石灰岩。
ポワティエ出土。 -
次は美術・工芸部門です。
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フランケンのフランス2世の作と見做される:バルタザールの饗宴。16世紀。
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アンドレ・ブリュイエ(1857~1914年):コンスタンチーヌへの道。1885年。
私にはなじみのない画家の絵が多かったですがいずれも興味深いものでした。。 -
アンドレ・ブリュイエ:赤い服の少女。1895年。
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イポリート・ルコント(1781~1857年):獅子心王リチャードの目覚め。1834年。
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カミーユ・グルスラン(1872~1951年):風。大理石。
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カミーユ・グルスラン:鏡。
石膏。 -
ロマン・ブルック(1874~1970年):眠るヴィーナス。
1917年。 -
サラ・リプスカ(1882~1973年):コレットの胸像。1954年。
セメント。 -
サラ・リプスカ:プリンセス・ナタリー・パレーの胸像。
木と磁器。 -
ピエール・デュコ(1889~1972年):妖精、キューピッド、雌シカと鳩のいる風景。1925年。
直訳です。 -
ピエール・ボナール(1867~1947年):ヨットの上で。1906年。
ナビ派の画家で、今まであちこちの美術館でお目にかかりました。 -
アルベルト・マルケ(1875~1947年):碁盤縞の堤防とオロンヌの砂浜。1933年。
フォーヴィズムのフランスの画家。 -
ギュスターヴ・モロー(1826~1898年):セイレーン/海の精と詩人。1895年。
モローの絵がポワティエで、どういう経緯があったのでしょう。 -
カミーユ・クローデル(1864~1943年):運命の女神。1904年。
ブロンズ。
カミーユ・クローデルのために一室が設けられていました。カミーユ・クローデルのコレクションとしてはフランスで2番目だそうです。 -
カミーユ・クローデル:ワルツ。1905年。
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同。別の角度から。
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カミーユ・クローデル:傷ついたニオビデ。1906年。
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17歳のカミーユ・クローデル。1881年。
カミーユは子供の頃から彫刻の才能が有りました。
19歳の時カミーユは42歳のオーギュスト・ロダンの弟子となりモデルも務めます。ロダンには既にローズという妻(内妻)がいました。 -
製作中のカミーユ・クローデル。1887年。23歳。
師と若く美貌で才気あふれる弟子、次第に愛し合うようになるロダンとカミーユ。三角関係が生じるのは自然の成り行きでした。カミーユはロダンの子を宿し中絶をして精神的なショックを受けます。 -
アトリエのカミーユ・クローデル。
ロダンは次第に情熱的なカミーユを重荷に感じるようになる。遂に二人の関係は破たんしロダンはローズのもとに帰っていく。カミーユの精神は徐々に病んでいきました。 -
1929年、65歳のカミーユ・クローデル。
48歳の時カミーユは精神病院に入院、死ぬまで入院生活を送ったという。母と妹とは絶縁常態のなかカミーユは78歳で一人さびしく死んでいった。
弟は劇作家、外交官(日本大使を務めたことがある)のポール・クローデル。 -
カミーユ・クローデル:嘆願する女。1905年。
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カミーユ・クローデル:目を閉じた若者。1885年。
テラコッタ。 -
カミーユ・クローデル:信頼。1888年。
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カミーユ・クローデルの部屋。
カミーユの作品をまとめて見るのは初めてでした。 -
カロリーヌ・ドゥエジー・ドランドン(1832~1909年):音楽。
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カロリーヌ・ドゥエジー・ドランドン:エヴァ。1909年。
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カロリーヌ・ドゥエジー・ドランドン:バルコニーの若い娘。
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シャルル・ブラン(1825~1908年):ジェルメーヌ・ピショの肖像。1881年。
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今日はこれでホテルに帰りました。
メゾン・デ・トロワ・クルー/三つの釘の館。
15世紀。 -
大通り/グラン・リュ。
中世時代のメインストリート。 -
グラン・リュを通ってホテルに帰りました。
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夕食はホテルで教えてもらった日本食堂で。
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意味不明の日本語が書かれています。
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その夜のテレビはパリ、ノートルダム大聖堂近くで警官が襲われた事件のニュースを繰り返していました。
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6/7(水)。
今日はポワティエから西40キロ、サン・サヴァンの修道院の有名な天井画を見てからブールジュに行き1泊します。
ポワティエのバスターミナル。 -
9:00発のChateauroux/シャトールー行に乗ります。午前中これ一本しかありません。
バス代6.9ユーロ。 -
バスの中では食べてはいけません。
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フランスの高速道路。
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サン・ピエール大聖堂が見えます。
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一般道。
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途中ショーヴィニーの町。
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サン・サヴァンのバス停に到着。9時45分。
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帰りのバス時刻を確認。12:57発で帰るつもりです。
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バス停のあるレピュブリック広場。
人口千人ほどの小さな田舎の町でもレピュブリック/共和国広場なんて立派な名前の広場がありました。 -
ナショナル通り。
こんな田舎町に来たのもサン・サヴァン・シュール・ガルタンプ修道院の世界遺産の天井画を見るためです。 -
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街中。
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ガルタンプ川に出ました。
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下手に古い石橋が架かっています。
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橋を渡った所から振り返るとこの風景が広がっていました。。
サン・サヴァン・シュール・ガルタンプ修道院/ガルタンプ川沿いの聖サヴァン修道院。尖塔は修道院付属教会。 -
古い石橋。
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ガルタンプ川。
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石橋からの眺め。さっき渡ってきた橋と修道院。
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美しい眺めです。
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サン・サヴァン・シュール・ガルタンプ修道院付属教会。
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川向うからの眺めを堪能して修道院に向かいます。
道端に建つ第1次世界大戦戦没兵士慰霊碑。 -
サン・サヴァン・シュール・ガルタンプ修道院付属教会。
5世紀に聖サヴァンと聖シプリヤンがこの地で殉教。カール大帝の時代に修道院が造られたというから起源は9世紀初頭でしょう。ノルマン人により一度破壊されます。
修道院付属教会は1040~1090年の間に建てられました。尖塔は15世紀に増設されたもので高さ76m。 -
修道院付属教会の天井には1100年頃ころに描かれた36枚のフレスコ画が残っています。
ユグノー戦争、フランス革命で荒れるに任せられていたのを歴史記念物監督官だった作家プロスペル・メリメが警告を発し1840年に修復が始まった。メリメはパリ、中世美術館にある貴婦人と一角獣も発掘しています。 -
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修道院と修道院付属教会。1983年世界遺産に登録されました。
入館料8ユーロ。 -
パンフレット。
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盛時はかなり大規模だったことが分かります。
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修道院の中。
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廊下にモニターがあって付属教会の壁画の写真を映しています。
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修道院付属教会のポーチにある壁画。
イナゴの大群。
モーセとイスラエル人の奴隷の出国を許さないエジプト王ファラオ。神は怒りイナゴの大群をエジプトに呼び寄せ、国中の穀物、緑の草木を食べつくさせた。旧約聖書「出エジプト記」。 -
同、貴婦人とドラゴン。
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クリプタの壁画。
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展示室。
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教会へは一旦修道院から出て正面に回ります。
この教会に一歩入るとナルテックス、身廊すべての天井に1100年頃に描かれた素晴らしいロマネスク壁画の世界が広がっています。 -
入り口から入ったナルテックス(入り口と身廊の間の広間、ポーチ)も壁画で埋め尽くされています。
タンパンの審判の場のキリスト。 -
かなり消えかかっています。
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天井部分。
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左から貴婦人とドラゴン、イナゴの大群(もしくは禍)、騎士の禍。
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貴婦人とドラゴン。
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イナゴの大群。
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騎士の禍。
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身廊に入りました。
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身廊の高さ17m、奥行き42m。
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天井には36枚の旧約聖書の創世記や出エジプト記の物語のフレスコ画が描かれています。あとでゆっくり見ます。
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左右の円柱にも漏れなく彩色された幾何学模様が施されていて明るい堂内です。
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私以外誰もいなく静まり返っていました。
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祭壇。
世界遺産とはいえアクセスの不便なところで、ここまで足を延ばす観光客は少ないようです。ツアーでもまずここは含まれていません。 -
身廊の左右には側廊があります。。
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聖人像とか絵等の装飾物があまりなくすっきりしていて清々しい感じがします。
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側廊。
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柱には淡い色の模様が施されています。
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柱頭。
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天井以外の壁面にもフレスコ画が描かれています。
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いよいよ天井画です。
身廊天井の旧約聖書のエピソードのフレスコ画は左ポーチの方から右内陣に向かって次の順に描かれています。
アダムとイヴ、天地創造、アブラハム、カインとアベル、バベルの塔、モーゼ、ヨセフ、ノアの方舟。 -
手前ポーチ側。奥内陣側。
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天井に2列、それぞれの下に1列ずつ計4列並んでいます。
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ポーチ側から順に左部分。
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中央部分。
上段:バベルの塔。 -
右部分。
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上段:左からアブラハムとロトの別れ、木に登る人、アブラハムにカナンの地を離れるよう促すキリスト。
下段:カインとアベルの奉納。 -
カインとアベルの奉納。
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ロトとアブラハムの別れ。
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なにせ絵が古いうえに天井が高いのでデジカメでは鮮明な写真が取れません。仰向いて写すのは骨が折れます。
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バベルの塔。
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あとで絵葉書を載せます。
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上:ノアの方舟(箱舟)。
下:民を導くモーセ。 -
ノアの方舟。
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以下はより鮮明な絵葉書です。
天地創造。
旧約聖書の創世記によると、神は7日の内6日間かけて混沌のうちから光と闇、水と天、陸と植物、太陽・月・星、魚と鳥、獣と人間(アダムとイヴ)を造り最後の1日を安息日として休んだ。 -
カインとアベルの奉納。
楽園追放後アダムとイヴの間に生まれた2人の息子。カイン(兄)は農耕を営みアベル(弟)は牧畜を行っていた。ある日二人はヤハウエ(エホバ)の神に捧げものをした。カインは農作物を、アベルは子羊を。ヤハウエはアベルの貢物のみ受け取った。恨みに思った兄カインは弟アベルを殺害した。人類最初の殺人事件です。
絵では左が子羊を捧げるアベル、右は何か分かりませんが穀物らしきものを捧げるカイン。神はアベルの方を向いてカインを無視している。 -
ノアの方舟。
天地創造ののち人間は増え続け悪事を働くようになる。神は人間を造ったことを後悔し、大洪水を起こし人類を滅ぼそうと決心した。その際善人だったノアとその家族だけは助けることにし、ノアに方舟を作り家族と飼っていた家畜のつがいを乗せるよう告げました。
船にはノアの家族や鳥、馬などの家畜が全てつがいで乗せられています。種を絶えさせないようにしています。 -
方舟の出発。
大洪水は40日間続き、ノアの一行を除き全ての生き物を滅ぼしつくした。ノアの方舟は無事アララト山の頂に着地した。
アララト山はトルコにある標高5137mの山で、山頂付近から木の化石が出てきたところからノアの箱舟実在説もあるそうです。 -
ノアの泥酔。
やがてノアはブドウ栽培を始める。作った葡萄酒を飲んでノアは泥酔し裸で寝てしまう。3人の息子のうちセムとヤペテは目をそむけ父に衣を着せかける。ハムは裸を見てしまう。目覚めたノアは怒り、ハムの息子カインに呪いをかける。 -
ロトとアブラハムの別れ。
ノアから10代目のアブラハム(イスラエル民族の祖)と甥ロトは一緒に住んでいたが二人とも富裕で多くの財産、家畜などを持っていた。金持ちの2人が住むには土地が狭く牧草なども不足で互いの牧人の間で争いも起こるようになった。
そこでアブラハムの提案で二人は別れて住むことにし、アブラハムはカナンにロトはソドムの地に住んだ。 -
バベルの塔。
900年も前の絵が今も色鮮やかに残っていて、しかもそれを見ることが出来て感動して教会を後にしました。 -
昼は修道院広場に面したいかにも田舎風のレストランで済ましました。隣は観光案内所。
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何か土地の料理みたいなのを食べました。
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レストランのある通り。
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少し村の中をぶらつきバス停に向かいました。
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修道院のブドウ畑があるようです。
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人口約1000人の何もない村です。全く人を見かけない。
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村の中では一人の人にも出会いませんでした。
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12:57発のバスでポワティエに戻りました。
帰りの途中の風景。 -
帰る途中の景色。
ポワティエに戻りブールジュに向かいます。
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この旅行記へのコメント (2)
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- norio2boさん 2017/08/18 14:00:12
- 旅行記拝見してました
- 写真160枚もの大作旅行記拝見しました。
バベルの塔の写真良かったです。
カミーユクローデルの彫刻作品はパリのロダン美術館で見ました。彼女らしい作品の写真良かったです。カミーユの専用の部屋があるのですか。今年の春にカミーユクローデル美術館(MCC)がパリの近郊にオープンしたと聞きました。
続編のアップをお待ちしています。
- ベームさん からの返信 2017/08/20 19:17:18
- RE: 旅行記拝見してました
- norio2boさん、
メッセージ有難うございました。留守していたのでお礼遅れました。
カミーユ・クローデルの作品はあまり見られないので、ポワティエでまとめて観ることが出来良い思い出になりました。母国でもようやくカミーユの美術館が出来たのですね。
旅行記も終わりに近づきました。引き続きご覧いただけると嬉しいです。
ベーム
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