2017/06/07 - 2017/06/08
5位(同エリア56件中)
ベームさん
6/7(水)、14日目。
サン・サヴァンからポワティエに戻りブールジュへ。
乗っていた列車が途中で運転休止という今回初めてのトラブルがありました。
ブールジュはロワール川中流域の南、サントル・ヴァル・ド・ロワール地域、かってのベリー地方の中心都市。紀元前52年にはこの近辺でカエサルのローマ軍とガリアの英雄ウェルキンゲトリクスとが闘っています。
3世紀には司教座がおかれ発展していくが、ブールジュが最も華やかだったのはベリー公ジャン1世(1340~1416年)の時代です。ジャン1世は芸術家のパトロンを持って任じ自らも美術品を収集した。有名な「ベリー公のいとも豪華なる時祷書」(シャンティイのコンデ美術館所蔵)は彼がランブール兄弟に作らせたものです。
今でも400以上の木組みの家が残り中世の面影を残す町です。人口7万人弱。
写真は世界遺産サン・テチエンヌ(ブールジュ)大聖堂。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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サン・サヴァンからポワティエに戻ってきました。
ブールジュへの列車まで時間があるので駅の辺りをぶらついてみました。するとポワティエ市街地に行く良いルートが見つかりました。
駅を背に左に100mほど行くと写真のエスカレーターがあります。 -
エスカレーターに乗って写真の跨道橋を渡ると昨日歩いた坂道の途中に出るのです。坂道を歩く労力が半減します。まあ今気が付いても遅かりしですが。
これからポワティエに行かれる方のご参考まで。 -
ポワティエ駅前。
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ポワティエからブールジュへ。
写真左下。 -
ポワティエからサン・ピエール・デ・コールまで15時27分発のTGVで、サン・ピエール・デ・コールでTERに乗換えてブールジュに到着です。
TGVの車両番号の表示。これは7号車です。なんとも見えにくい。大体フランスの公共機関のサービスはこんなものです。利用者の目線で考えていない。 -
ポワティエ~サン・ピエール・デ・コール~ブールジュのEチケット。
インターネットで購入したのをプリントします。25ユーロ。
上段がTGVで座席指定。10号車42番。
今回の旅行でTGVを何回か利用しましたが、車内検札があったのは1回くらい、乗車前にホームでチェックがあったのが1回、案外いいかげんなものです。 -
サン・ピエール・デ・コール駅。16時10分着。
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サン・ピエール・デ・コール駅。トゥールの入り口でもあります。
トゥールへ行くにはTGVでここまで来て乗換えます。大阪に行くのに新幹線で新大阪まで行き普通電車に乗換えるようなものです。 -
サン・ピエール・デ・コールで乗り換えたTER(普通列車)がシュノンソー駅を通過しました。2010年にトゥールからここまで来てシュノンソー城へ行ったことがあります。バスが停まっている先にシュノンソーの入り口があります。その時は背中を痛めて公園のベンチでしばらく横になっていました。遠い昔の気がします。
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ヴィエルゾン駅で列車は止まったまま動かない。しばらくすると乗客がゾロゾロ降りていく。理由は分らないが列車はどうやらここでストップらしい。本当に困ったことです。旅行中必ず一度はこういったことに出合います。
駅員に聞いて別の列車でどうにかブールジュに着きましたがだいぶ時間をロスしました。 -
やっとこさブールジュに着きました。
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ブールジュ駅。
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ホテルは駅前のル・ベリー。
1泊79ユーロです。 -
ホテルで和食の店を教えてもらって出かけました。
イェーヴル川という小さな川を渡りました。 -
途中に公園がありました。
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1952~1962年、北アフリカで戦った兵士たちの広場。
北アフリカのアルジェリア独立戦争で戦ったフランス軍兵士たちのことでしょう。 -
記念碑がありました。
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「北アフリカでフランスのために亡くなった兵士たちの記念に。」
フランスはアルジェリアなど北アフリカで散々植民地政策を行い現地人を搾取したのではないのですか。
反発して独立を勝ち取ろうとして蜂起したアルジェリア人を弾圧しようとして戦死した兵士たちでしょう。もっとも、悪いのは兵士たちではなく、戦わせた政治家たちですが。 -
夜のBBC放送はカタール危機を伝えています。
カタール株式市場10%下落。 -
6/8(木)、15日目。
今日は夕方の列車でパリに帰るので朝はゆっくりホテルで食事して街に出かけました。
ノートルダム教会。 -
サン・テチエンヌ大聖堂目指して幾つもの道を曲がり曲がり歩きました。
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グーグルマップをプリントした地図を持っていますが分かりにくい。
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古都ブールジュには15世紀ころの木組みの家が400軒以上残っているそうです。
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ゴルデーヌ広場ではないかと思います。
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やっとどこを歩いているか分かりました。
ブルボヌー通り。大聖堂は近いです。 -
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この狭い石畳の道を観光プチトランがごとごと音を立てて追い抜いて行きました。
今9時20分、早くから出動です。多分団体客でしょう。 -
1階が石造り、階上が木組みの家が続きます。
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サン・テチエンヌ大聖堂が見えてきました。後方から近づいていきます。
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後姿。
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飛梁。
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大聖堂に後ろの方からアプローチしています。
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大聖堂の貫録十分。
もっとも大聖堂とは建物が大きいことではなく、そこに司教座が置かれている教会をさします。まあ一般的には司教座が置かれている教会は建物も大きいですが。そして司教座大聖堂はその傘下(司教区)に幾つもの普通の教会を管轄しています。 -
南側には大司教庭園が広がっています。
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フランス最優秀職人の博物館もあります。
元の大司教館。 -
大聖堂南側。
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サン・テチエンヌ大聖堂、通称ブールジュ大聖堂。
正面に回ってきました。その迫力にただただ圧倒されるばかりです。 -
大きすぎて全景が入りません。
先ほどのプチトランもやって来ました。 -
119年から1255年にかけて建設された大聖堂。シャルトル大聖堂とならんでゴシックの代表的建築物です。
16世紀のユグノー戦争で大きな被害を受けました。19世紀初頭に大規模な修復を受けています。
1992年世界遺産認定。 -
北側の塔。
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正面には五つの扉口があります。五つも入り口があるのは初めてです。確かパリのノートルダム大聖堂もシャルトルの大聖堂も三つだったと思います。
中央の扉は身廊、左右の4つの扉は側廊の入り口です。 -
中央扉。
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中央扉口のタンパン。
13世紀作成当時そのままの姿を保っています。 -
最後の審判です。ゴシックの最高傑作と云われています。
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身廊。幅41m、奥行き124mある大きな聖堂です。
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身廊と側廊を仕切る柱。
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主祭壇。
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最後の晩餐のレリーフです。
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祭壇の上に架かる豪華な大燭台。
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天井の高さ37m。
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側廊。
身廊の左右の側廊がそれぞれ2重になっている(計4つ)のは少ないと思います。 -
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側廊の祭壇。
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ステンドグラスは13世紀のもので、シャルトルのステンドグラスと同じ工房作と云われます。
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赤い色が目立ちます。
シャルトルのブルーに対しブールジュの赤と云われるそうです。 -
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15世紀の天文時計。
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大聖堂の近くにある市庁舎です。
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市庁舎からデュクロ通りを北へ。
14世紀ベリー公の宮殿。現在県議会。 -
サン・ピエール教会。
12世紀に起源をもつ。 -
ジャック・クール通りの古い館。
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ジャック・クール通り。
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ジャック・クール宮殿。
宮殿と云っても個人の邸宅でした。 -
シャルル7世の財務官を務めたブールジュの豪商ジャック・クール(1400~1456年)の邸宅。
金銀細工商の息子に生まれたクールは中近東貿易で巨大な財を築き、フランスに富をもたらした功績で1441年シャルル7世の財務官にまで栄進します。 -
中庭。
こういった成功者の例にもれず競争者や債務者の反感、自分自身の財務問題などで失脚し1454年ローマに亡命、その地で亡くなりました。
この邸宅は彼の絶頂の頃、1444~1451年の間に造られました。クールの言葉に依れば、自分の屋敷は「大きく、広く、高く、豪華」でなければならない、そうです。 -
中庭。
館は何度も所有者を変えた末に1682年最後の所有者コルベールがブールジュ市に売却しました。市役所、裁判所などに使用されたのち現在は国の歴史的建造物として管理されています。 -
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19世紀前半、裁判所に改造された時館内の装飾が大幅に取り払われたそうでがらんとしていました。
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船底をひっくり返したような屋根裏。
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館からの眺め。
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暖炉。
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ジャック・クール時代のヨーロッパの商業地図。
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ブールジュはフランスのほぼ真ん中に位置し、ほとんどの通商路が交差しています。ブールジュの栄光の時代を示す地図です。
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当時戦争や商用に用いられたガレー船。櫂や帆が備えられていました。
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廊下の天井。
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礼拝堂。
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16世紀のピエタ。
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礼拝堂の天井。
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ジャック・クール邸をあとにします。
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キュジャ館、現ベリー博物館。
ケルト、ガロ・ロマン、古代エジプトからベリー地方の中世のの考古品が収蔵されています。 -
ベリー博物館。1515年。
16世紀の法学者ジャック・キュジャの館でした。 -
ベリー博物館。オテル・キュジャ/キュジャ館。16世紀。
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ベリー博物館。
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プランシャ広場辺りの木組みの家。
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上の通りと下の通りを繋ぐ狭い通路。
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エステーヴ美術館。
1489年。 -
フランボワイヤン式ゴシック建築。
当初は市議会でした。 -
現代の画家モーリス・エステーヴ(1904~2001)が自身の絵を市に寄贈し、市がエステーヴ美術館として開館したものです。
ブールジュには沢山の博物館、美術館があり全部見ていたらとても時間と体力がもちません。もうパリに帰ります。 -
ポワティエ、サン・サヴァン、ブールジュ2泊3日の旅を終りパリに帰ります。
15時49分発のアンテルシテ(都市間長距離列車、在来線の特急列車)3914。15ユーロ。
パリ、オーステルリッツ駅までヴィエルゾン、サルブリ、レゾーブレ・オルレアンの3駅しか停まりません。 -
アンテルシテの車両。
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オーステルリッツ着17時53分。
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乗って来たアンテルシテ。
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構内はごった返していました。
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発着掲示板の前でホーム番号が出るのを待っているのです。発車10~15分前にようやく番号が掲示板に出るとざわざわと人波がそのホームに向かって移動します。フランス人は辛抱強いですね、ドイツや日本でそんなシステムを採用したら暴動が起こりかねません。
いや、お上の権威に弱い国民性から日本人はおとなしくしているでしょう。 -
ホテルはリヨン駅前なので歩いてセーヌ川を渡ります。
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駅を出ると直ぐセーヌ川に架かるシャルル・ド・ゴール橋。
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川向うのビルはリヨン駅周辺。真ん中にリヨン駅の時計塔が見えています。
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シャルル・ド・ゴール橋から下手オーステルリッツ橋。
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対岸。
白い建物はRATP/パリ交通営団本社。
パリと近郊の公共交通機関/メトロ、RER,バスを運営している。東京でいえば東京23区に乗り入れている私鉄、営団、都営地下鉄、都バスを一緒にしたようなもの。 -
上手。
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上手にはルーヴル宮から引っ越してきたベルシー地区の新大蔵省の建物が突き出ています。
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オーステルリッツ駅を振り返る。
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リヨン駅。
オーステルリッツ駅とリヨン駅間は歩いて10分弱だったと思います。 -
夜のテレビではコミー前FBI長官とトランプ大統領の対立を報じていました。
今日はこれで寝ます。明日はカミーユ・ピサロが創作に励んだ町、ポントワーズを訪ねます。
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