2017/05/31 - 2017/06/01
11位(同エリア76件中)
ベームさん
5/31(水)、7日目。
ディナンを発ちレンヌに、一泊します。
朝の気温12度、レンヌに着くと晴れて暑くなりました。
レンヌ:ブルターニュ地域圏の首府。起源はローマ時代以前に遡り、ブルターニュ公国時代から今に至るまでブルターニュの中心都市。同地方の玄関口で、人気のモン・サン・ミシェルへの起点でもあります。
1720年の大火、第2次世界大戦の空爆で2度も甚大な被害を受けたが見事に復興しています。人口22万人。
写真はタボール庭園の薔薇。
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 30万円 - 50万円
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス
- 航空会社
- ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
地図左上、ディナンからレンヌへ。
-
ディナン、デュクロ広場のバス停。
-
10:45発のレンヌ バスターミナル行に乗ります。これを逃すと次は4時間後の14:45です。
バス代6ユーロ。 -
バスが来ました。
-
途中、車窓から。青空になりました。
-
12時過ぎ、レンヌ、レピュブリック広場で降りました。レンヌの中心でホテルにも近いので。
-
レピュブリック広場。
-
町の真ん中をヴィレーヌ川が東西に流れています。
-
川の向うに大きな商工会議所の建物。
-
左の建物はレンヌ美術館。
-
まずホテル・ガルタンへ。
ホテル前の風景。 -
ホテルにチェックインして直ぐレンヌ美術館に行きました。
レンヌ美術館。入館料6ユーロ。
1794年開館。ブルターニュの画家のほかゴーギャン、ドニ、カイユボット、ピカソなどの絵画があります。一番有名なのはジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「生誕」です。貸し出しされていないように祈ります。 -
展示室です。
ゆったりとした空間。 -
では展示されている絵の幾つかを。
ギヨーム・レナール(1971~):花束。
2015年。
ナント生まれで現在レンヌで活動中。 -
作者不明:二人の老人と女。
16世紀。
仇っぽい女は男から眼鏡を取り上げています。男を盲目にしようとしているのか。 -
フランケンのフラン:シモンの家での食事。
1637年。
キリストに不治の病を治してもらったバリサイ人シモンはお礼にキリストを自分の家に招待した。その席に罪深い女マグダラのマリアが現れひざまずきキリストの足を香油で洗う。その場面です。 -
キリストの足を洗うマグダラのマリア。
-
ルイ・ド・コールリィ(1580年頃~1622):アンリ4世時代の舞踏会。
-
ポール・ゴーギャン(1848~1903):窓辺の花を生けた花瓶。
1880年頃。
タヒチ時代の絵の印象が強いので、こんな絵も描いていたのだと思いました。 -
ポール・ゴーギャン:オレンジのある静物画。
1882年以前。
ゴーギャンは1880年代後半にブルターニュの小村ポン・タヴァンに住み、彼を慕って幾人かの画家が集まりポン・タヴァン派と云われるようになりました。ブルターニュに縁の深い画家です。 -
テオバルト・ミショー(1676~1765):漁からの帰還。
-
フランティシェク・クプカ(1871~1957):不安定な青。
1924年。
チェコ生まれ、フランスで活動した。抽象画の先駆者の一人。 -
パブロ・ピカソ(1881~1973):裸婦半身像。
1923年。 -
パブロ・ピカソ:帽子を被った男の半身像。
1970年。
晩年の作です。 -
ルイ・マルコウシス(1878~1941):ケリティの港。
1927年。 -
展示室。
地方の美術館はたいていほとんど人はいません。ゆっくり鑑賞できます。 -
フェリックス・ヴァロットン(1865~1925):3階回廊席。劇場の印象。
1909年。
スイスの画家、フランスで活動。 -
ラウル・デュフィ(1877~1953):アーヴル港のヨット。
1925年。
野獣派の一員。色彩の魔術師と云われる。 -
モーリス・ドニ(1870~1943):初めての歩み。
1911年。
ナビ派の理論的指導者。後日サン・ジェルマン・アン・レーのドニの博物館でドニの絵をたっぷり見ました。 -
モーリス・ドニ:トレガステルで座礁したヨット。
1938年。 -
モーリス・ドニ(1870~1943):レースの袖飾りの母子像。
1895年。 -
アンドレ・ドゥヴァンブ(1867~1944):1937年万国博覧会、エッフェル塔からの眺め。
1937年。
イェナ橋とシャイヨー宮方面を描いています。 -
シャルル・コテ(1863~1925):サンタンヌ・ド・パリュのパルドン祭りの女たち。
1903年。
パルドン祭とはブルターニュ地方の1年の過ちの許しを請うお祭り。 -
ポール・ランソン(1861~1909):エヴァ。
1895年。
モーリス・ドニと共にナビ派の先駆者。 -
ポール・ランソン:リンゴの収穫。
1895年頃。 -
ギュスターヴ・ロワゾー(1865~1935):フレール岬。
1904年。
後期印象派の代表者。 -
ギュスターヴ・カイユボット(1848~1894):ヨーロッパ橋。
1876年。 -
ギュスターヴ・カイユボット:カヌー遊び。
1878年。
セーヌ河、アルジャントゥイユ辺りでしょう。 -
アルフレッド・シスレー(1839~1899):セーヌ川の谷間の風景。
1875年。 -
ウジェーヌ・ブーダン(1824~1898):トゥルーヴィル、桟橋、満潮の海。
1885年。
オンフルール生まれ。ノルマンディーの海岸風景を多く描いている。モネの絵の師匠でもあった。 -
ウジェーヌ・アモリー・デュヴァル(1808~1885):シャッセリオー嬢の肖像。
1838年。 -
ほとんど借り切り状態。
-
ジャン・バプティスト・マリー・ピエール(1713~1789):眠るバッカスの巫女。
-
ジャン・バプティスト・グリュツェ(1725~1805):若い女性の頭。
-
ヤコブ・ヨルダーンス(1593~1678):悪徳と美徳のはざまの若い女。
1650年。
絵の名前は説明板の直訳です。 -
ありました。
ジョルジュ・ド・ラ・トゥール(1593~1652):生誕/キリストの誕生。
1645年頃。
彼の一番の傑作です。
15人ほどの子供と先生らしき一団がが絵の前に車座に座り何か喋りあっています。絵に近づけずとても邪魔でした。 -
絵葉書。
オルセー美術館でもラ・トゥールの作品をいくつか見ました。でも美しいマリアのこの絵が一番好きです。 -
工芸品も有りました。
-
-
-
-
数は少ないけど良い絵がありました。ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの「生誕」を見ることが出来て満足です。フランスはどこへ行っても地方の美術館が充実しています。
-
昼はレピュブリック広場のレストランで。食欲が湧かないので魚のスープにしました。パンをちぎってスープにひたして食べるとまあまあでした。ただの水を貰います。水道水は無料です。コーヒーとで14ユーロ。
昼は疲れるのでなるべくアルコール類は摂らないようにしています。それで”飲み物は?”と訊かれて”水/カラフ・ドー”と答えるのに少し躊躇します。 -
これから街歩き開始。
-
観光案内所を訪ねます。
-
観光案内所のある元サン・ティヴ礼拝堂。現在はギャルリー。
15世紀の建物です。 -
-
サン・ピエール大聖堂前の広場にやって来ました。
-
サン・ピエール大聖堂。
創設は12世紀、新古典主義のファサードは16~17世紀のもの。 -
身廊。
側廊との間の円柱がローマの寺院を思わせます。ローマの大寺院を意識して建設されたと云います。 -
-
-
幾何学的なな天井です。
-
内陣。
-
主祭壇。
-
イエスよ、私は君を信頼する。
-
5世紀末のレンヌの司教聖アマン。
-
円天井。
-
ゴージャスな教会です。
-
翼廊。
-
翼廊の祭壇。
-
煌びやかなパイプオルガン。
-
大聖堂からモルドレーズ門へ。
-
古い家が密集しています。
-
モルドレーズ門、外側。
1440年。 -
大聖堂から少し北に行くとシャン・ジャック広場。
-
プラス・デュ・シャン・ジャック。
-
17世紀前半の木組みの家です。
-
-
これは1720年の大火の後に建てられた石造りの建物。
-
ブルターニュ高等法院。
1554年にアンリ2世により創設された。今の建物は1994年再建されたもの。
1894年、ユダヤ系の軍人ドレフュス大尉がドイツのスパイ容疑で逮捕され有罪判決を受けた。1899年、ここレンヌの軍法会議で再審が行われたが再び有罪。この時作家エミール・ゾラは新聞紙上に「余は弾劾す」を発表してドレフュスを擁護した。最終的に1906年ドレフュスは無罪を獲得した。普仏戦争で敗れ動揺する国内を反ユダヤ主義で煽り立てて纏めようとする軍部の陰謀だった。有名なドレフュス事件です。 -
サン・ソヴール教会。
1720年。 -
-
神秘的な雰囲気。
-
祭壇。
-
-
-
市庁舎広場です。
広場では消防隊の放水訓練中。化学消火剤、泡のようなものを放出していました。 -
レンヌ市庁舎。
1734年。ルイ15世様式だそうです。 -
フランツ・リスト(1811~1886)。
「1845年12月31日、作曲家・ピアニストであるリストはレンヌを訪問、市庁舎の大広間でリサイタルを行った」。 -
市庁舎と向かい合って立つオペラ座。
1830年。 -
オペラ座。
-
カルメン。
-
市庁舎広場。
-
ロルロージュ(時計塔)通り。
-
サン・ジェルマン教会。
市の中心部には教会が幾つも有ります。すべてに挨拶するのは大変です。 -
-
サン・ジェルマン教会。
-
-
-
ピエタのステンドグラス。
-
ホテルの近くにもあります。
トゥーサン教会。 -
大きなファサードの教会。
-
-
主祭壇。
-
-
-
夕食はどうしようか。ホテルで日本料理の店を調べてもらいました。
サン・ジョルジュ通り辺りに一つあるようです。 -
地方のホテルでは先ず日本料理か中華料理の店を調べてもらうことにしています。まあ大概1つや2つはあるものです。
この界隈にも木組みの家が何軒かかたまっています。 -
ホテルで調べて貰った日本レストラン「Fuji]。
フランスでは日本料理の店でも経営者は大抵中国人ですが、ここは日本人のマダムでした。ここの前はノルマンディーのオンフルールで店を開いていたそうでもう古いとのことです。
久しぶりの日本酒で気持ちよく酔いが回りました。何を食べたか忘れた。23ユーロ。
ホテルに帰りテレビを点けるとローラン・ギャロスのフランス・オープンばかりです。 -
翌日、6/1(木)。
今日は昼頃の列車でカンペールへ行くので朝はゆっくりです。 -
ヴィレーヌ川。
暑くなりそうな予感。 -
涼しいうちに散歩。
ホテルからヴィレーヌ川を渡った所にあるサン・ジョルジュ宮殿。
1491年シャルル8世とブルターニュ公女アンヌ・ド・ブルターニュの婚約の場だそうです。 -
サン・ジョルジュ公園。
-
この門構え、実は市民プールです。
-
市街地の北西部、タボール庭園の入り口。
ノートルダム・サン・ムレーヌ教会。 -
-
-
-
-
タボール庭園。
もとサン・ムレーヌ修道院の庭です。10万平方キロ以上もある広大な庭園です。
左の端がノートルダム・サン・ムレーヌ教会、真ん中にオランジュリー、右端がばら園。 -
-
広々とした気持ちの良い庭園です。
-
-
オランジュリー風の建物があります。
-
早くから草花の手入れをする人たち。
-
綺麗に植えつけられた花。
-
オランジュリー。
-
-
-
人の姿は草花の手入れをする人と私以外はジョッギングする人が時々走り過ぎるだけです。
-
-
少し下った所にばら園がありました。
-
-
-
-
-
子供用遊具。
-
面白い施設がありました。
-
鳥の家です。
白いハトが出入りしています。 -
網の囲いの中には幾種類もの小鳥たち。
-
インコ類が多いようです。
-
-
好い午前中を過ごしました。駅に向かいます。
-
公園から駅までは20分以上かかりました。
レンヌ駅は大工事中でした。 -
レンヌ駅からはモン・サン・ミシェルへ行くバスが発着しています。モン・サン・ミシェルの旅行記を見ると、多くの人がここからバスで向っています。
バスターミナルを覗いてみました。
次のバスは11:35発です。 -
バスが入ってきました。行列の中には日本人の姿もありました。
私はこれから列車でカンペールへ。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
ベームさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
147