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金沢市には「北陸の小京都」という洒落た呼び名があります。京都のように古い町並みや文化が残されていることからこの名があります。また、今では死語になりつつありますが、金沢市の中心部のことをご年配の方は「尾山」と呼びます。<br />そんな尾山の地に建つ尾山神社は加賀藩祖 前田利家を祀る神社です。それならば300年以上の歴史ある古社かと思うかもしれまんが、意外やこの神社は明治時代初頭の建立です。利家を祀った社殿の荒廃を見るに見かね、元藩士が歴代藩主の屋敷跡(金谷御殿跡)に1873(明治6)年に建てた神社です。尾山神社と称して郷社に列せられ、翌年には県社に昇格、その後1902(明治35)年には別格官幣社に列せられました。また、1998年には利家の正室 お松の方も合祀されました。<br />廃藩後、維新の風に乗り遅れて決して楽ではなかった暮らしの中でこうした豪華な神社を建立していることから、利家が藩士たちにどれほど慕われ、心の拠り所となっていたかが窺われます。何故明治時代まで利家を祀る神社が建たなかったかと言えば、2代藩主 利長は外様大名の身であり、幕府を憚って創建に踏み切れなかったのです。そこで守護神 物部八幡宮並びに榊葉神明宮を遷座する名目で卯辰山麓に社殿を建立し、利家を合祀していました。それが、尾山神社の前身となる卯辰八幡宮(現 宇多須神社)でした。<br />尾山神社のHPです。<br />http://www.oyama-jinja.or.jp/

問柳尋花 加賀紀行⑤金沢 尾山神社

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2017/06/01 - 2017/06/03

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montsaintmichel

montsaintmichelさん

金沢市には「北陸の小京都」という洒落た呼び名があります。京都のように古い町並みや文化が残されていることからこの名があります。また、今では死語になりつつありますが、金沢市の中心部のことをご年配の方は「尾山」と呼びます。
そんな尾山の地に建つ尾山神社は加賀藩祖 前田利家を祀る神社です。それならば300年以上の歴史ある古社かと思うかもしれまんが、意外やこの神社は明治時代初頭の建立です。利家を祀った社殿の荒廃を見るに見かね、元藩士が歴代藩主の屋敷跡(金谷御殿跡)に1873(明治6)年に建てた神社です。尾山神社と称して郷社に列せられ、翌年には県社に昇格、その後1902(明治35)年には別格官幣社に列せられました。また、1998年には利家の正室 お松の方も合祀されました。
廃藩後、維新の風に乗り遅れて決して楽ではなかった暮らしの中でこうした豪華な神社を建立していることから、利家が藩士たちにどれほど慕われ、心の拠り所となっていたかが窺われます。何故明治時代まで利家を祀る神社が建たなかったかと言えば、2代藩主 利長は外様大名の身であり、幕府を憚って創建に踏み切れなかったのです。そこで守護神 物部八幡宮並びに榊葉神明宮を遷座する名目で卯辰山麓に社殿を建立し、利家を合祀していました。それが、尾山神社の前身となる卯辰八幡宮(現 宇多須神社)でした。
尾山神社のHPです。
http://www.oyama-jinja.or.jp/

旅行の満足度
5.0
観光
5.0
同行者
カップル・夫婦
交通手段
高速・路線バス JR特急
  • まちのり<br />お天気が回復してきたので、レンタサイクル「まちのり」にチャレンジしてみました。<br />金沢観光のポイントは、主要観光スポットが自転車で回れる範囲に密集していることです。近江町市場、尾山神社、武家屋敷、21世紀美術館、兼六園、金沢城址公園、ひがし茶屋は、直線距離にして4km程で結べます。徒歩では時間を要し、バスだと乗り換えの待ち時間がロスします。また、近距離ゆえタクシーでは割高になります。そこで便利なのがレンタサイクルです!<br />注意するのは、「まちのり」はレンタサイクルとは異なり、自転車をシェアするサービスということです。町中に設置された21ヵ所のサイクルポート(貸出・返却拠点)及び「まちのりの事務局」のどこでも自転車の貸出・返却ができ、基本料金は200円です。また、30分以内でポートを乗り継げば、基本料金だけで何回でも利用できます。ただし、貸出しは早い者勝ちのシステムのため、返却したポートに戻ったところ、空っぽだったなんてこともあり得ます。その時は、すぐ近くにバス停がありますので、臨機応変にバスを利用するか、徒歩で駒を進めればよいことです。<br />尚、ポートのマップや駐輪台数は、「まちのり」のHPからスマホでリアルタイムに確認できるため、臨機応変の対応も可能です。人数さえ多くなければ、乗り継いで行けると思います。<br />「まちのり」のHPです。<br />http://www.machi-nori.jp/

    まちのり
    お天気が回復してきたので、レンタサイクル「まちのり」にチャレンジしてみました。
    金沢観光のポイントは、主要観光スポットが自転車で回れる範囲に密集していることです。近江町市場、尾山神社、武家屋敷、21世紀美術館、兼六園、金沢城址公園、ひがし茶屋は、直線距離にして4km程で結べます。徒歩では時間を要し、バスだと乗り換えの待ち時間がロスします。また、近距離ゆえタクシーでは割高になります。そこで便利なのがレンタサイクルです!
    注意するのは、「まちのり」はレンタサイクルとは異なり、自転車をシェアするサービスということです。町中に設置された21ヵ所のサイクルポート(貸出・返却拠点)及び「まちのりの事務局」のどこでも自転車の貸出・返却ができ、基本料金は200円です。また、30分以内でポートを乗り継げば、基本料金だけで何回でも利用できます。ただし、貸出しは早い者勝ちのシステムのため、返却したポートに戻ったところ、空っぽだったなんてこともあり得ます。その時は、すぐ近くにバス停がありますので、臨機応変にバスを利用するか、徒歩で駒を進めればよいことです。
    尚、ポートのマップや駐輪台数は、「まちのり」のHPからスマホでリアルタイムに確認できるため、臨機応変の対応も可能です。人数さえ多くなければ、乗り継いで行けると思います。
    「まちのり」のHPです。
    http://www.machi-nori.jp/

  • 尾山神社<br />金沢ニューグランドホテル前から見た尾山神社です。<br />加賀百万石まつりの初日でもあり、境内の前のスペースには所狭しと屋台が並んでいます。おかげでここにある「まちのり」ポートは使えず、文化会館まで戻るはめになりました。<br />屋台の手前を左右に走るのが、百万石通りです。

    尾山神社
    金沢ニューグランドホテル前から見た尾山神社です。
    加賀百万石まつりの初日でもあり、境内の前のスペースには所狭しと屋台が並んでいます。おかげでここにある「まちのり」ポートは使えず、文化会館まで戻るはめになりました。
    屋台の手前を左右に走るのが、百万石通りです。

  • 尾山神社<br />尾山神社の名物と言えば、異国情緒溢れる神門です。異色の門として全国に知られ、兼六園と共に金沢市のシンボル的存在です。<br />前田家の威光を象徴する建造物を造りたいという人々の熱意の表れと言われ、金沢製糸場を建造した工匠 津田吉之助が設計及び造営工長を担った類例のない建物です。これは棟札により裏付けされており、地元ではオランダ医師ホルトマン設計との説も未だ残されていますが、時系列に矛盾があるようです。2代金沢市長 長谷川準也とその弟 大塚志良などが1874(明治7)年に計画し、津田吉之助が翌年建立したものです。避雷針の先までの高さは25mあります。

    尾山神社
    尾山神社の名物と言えば、異国情緒溢れる神門です。異色の門として全国に知られ、兼六園と共に金沢市のシンボル的存在です。
    前田家の威光を象徴する建造物を造りたいという人々の熱意の表れと言われ、金沢製糸場を建造した工匠 津田吉之助が設計及び造営工長を担った類例のない建物です。これは棟札により裏付けされており、地元ではオランダ医師ホルトマン設計との説も未だ残されていますが、時系列に矛盾があるようです。2代金沢市長 長谷川準也とその弟 大塚志良などが1874(明治7)年に計画し、津田吉之助が翌年建立したものです。避雷針の先までの高さは25mあります。

  • 尾山神社 神門(重文)<br />往時最先端のデザインだった「擬洋風建築」を模していますが、その中でも和漢風の分類とされ、中国の要素も組み入れた和・漢・洋折衷様式です。<br />現在では「斬新」と評されますが、創建時は「醜悪」と蔑まれたそうです。往時金沢を訪れた幸田露伴が「煉瓦造りの竜宮城」と煽り立てたこともあり、立直し論争が勃発し、改築の設計図まで準備されたそうですが、結局予算が付かず実現しませんでした。その後、1935(昭和10)年に旧国宝、1950(昭和25)年に重文に指定されると批判の声はピタリと鎮まり、現在に至っています。ハイカラな造りですので、この神社に祀られている派手好みで「傾奇(かぶき)者」と言われた利家もさぞご満悦のことでしょう。

    尾山神社 神門(重文)
    往時最先端のデザインだった「擬洋風建築」を模していますが、その中でも和漢風の分類とされ、中国の要素も組み入れた和・漢・洋折衷様式です。
    現在では「斬新」と評されますが、創建時は「醜悪」と蔑まれたそうです。往時金沢を訪れた幸田露伴が「煉瓦造りの竜宮城」と煽り立てたこともあり、立直し論争が勃発し、改築の設計図まで準備されたそうですが、結局予算が付かず実現しませんでした。その後、1935(昭和10)年に旧国宝、1950(昭和25)年に重文に指定されると批判の声はピタリと鎮まり、現在に至っています。ハイカラな造りですので、この神社に祀られている派手好みで「傾奇(かぶき)者」と言われた利家もさぞご満悦のことでしょう。

  • 尾山神社 神門<br />1層目は赤と青色を呈した戸室石(角閃安山岩)の石積みと煉瓦による3連アーチを架けますが、石積みの下地は木骨組みです。それに煉瓦を積んで白漆喰の壁で覆っています。<br />この3連アーチは神苑にある「図月橋」に由来するとも言われ、竜宮城を彷彿とさせる典型的な「竜宮造」です。また、この神門の設計に当たり、富岡製糸場や第一国立銀行を視察したこともあり、どことなく雰囲気が似ているかもしれません。

    尾山神社 神門
    1層目は赤と青色を呈した戸室石(角閃安山岩)の石積みと煉瓦による3連アーチを架けますが、石積みの下地は木骨組みです。それに煉瓦を積んで白漆喰の壁で覆っています。
    この3連アーチは神苑にある「図月橋」に由来するとも言われ、竜宮城を彷彿とさせる典型的な「竜宮造」です。また、この神門の設計に当たり、富岡製糸場や第一国立銀行を視察したこともあり、どことなく雰囲気が似ているかもしれません。

  • 尾山神社 神門<br />神門のデザインだけでなく、そこに施された彫刻にも注目してください。<br />頭貫の欄間に彫られているのは鶴と大和松です。また、頭貫の彫刻も見事です。その中央には加賀梅鉢紋が輝いています。 <br />

    尾山神社 神門
    神門のデザインだけでなく、そこに施された彫刻にも注目してください。
    頭貫の欄間に彫られているのは鶴と大和松です。また、頭貫の彫刻も見事です。その中央には加賀梅鉢紋が輝いています。

  • 尾山神社 神門<br />明治時代初頭、この和漢洋折衷の建物が人々の目にどのように映ったのか、想像に難くありません。 <br />前衛的にモダンやハイカラと捉えたのか、あるいは保守的に意味不明な奇異なものに映ったのか…。それは個々人の立ち位置で決まったのかもしれません。そしてこれを造ろうと志した人たちは、どんな思いだったのでしょうか?歴史の事実が語るのは、これ以降、日本で洋風のモノが爆発的に増殖したことです。<br />「鶴と大和松」の欄間は、和の装飾彫刻の残照と言っても過言ではないかもしれません。

    尾山神社 神門
    明治時代初頭、この和漢洋折衷の建物が人々の目にどのように映ったのか、想像に難くありません。
    前衛的にモダンやハイカラと捉えたのか、あるいは保守的に意味不明な奇異なものに映ったのか…。それは個々人の立ち位置で決まったのかもしれません。そしてこれを造ろうと志した人たちは、どんな思いだったのでしょうか?歴史の事実が語るのは、これ以降、日本で洋風のモノが爆発的に増殖したことです。
    「鶴と大和松」の欄間は、和の装飾彫刻の残照と言っても過言ではないかもしれません。

  • 尾山神社 神門<br />同じような鶴と松をモチーフにした彫刻ですが、同じものはありません。

    尾山神社 神門
    同じような鶴と松をモチーフにした彫刻ですが、同じものはありません。

  • 尾山神社 神門<br />大扉には、唐草模様(優曇華)の中央に前田家の紋章 加賀梅鉢紋です。 <br />そして外枠になる十字型の意匠が、デフォルメされて神門の随所に配されています。<br />

    尾山神社 神門
    大扉には、唐草模様(優曇華)の中央に前田家の紋章 加賀梅鉢紋です。
    そして外枠になる十字型の意匠が、デフォルメされて神門の随所に配されています。

  • 尾山神社 神門<br />中央に大瓶束を配し、左右に「鶴と大和松」をあしらっています。

    尾山神社 神門
    中央に大瓶束を配し、左右に「鶴と大和松」をあしらっています。

  • 尾山神社 神門<br />この木製の階段は、未だ現役だそうです。階段は左右に設置されています。<br />神門の中央に敷かれた黒い大きな丸石は、かつて兼六園にあった燈籠の笠だそうです。<br />何故ここに敷かれたかと言うと、ある時、燈籠が倒れて人を殺めたため、罰として人に踏まれる処に置かれたと伝えられています。

    尾山神社 神門
    この木製の階段は、未だ現役だそうです。階段は左右に設置されています。
    神門の中央に敷かれた黒い大きな丸石は、かつて兼六園にあった燈籠の笠だそうです。
    何故ここに敷かれたかと言うと、ある時、燈籠が倒れて人を殺めたため、罰として人に踏まれる処に置かれたと伝えられています。

  • 尾山神社 神門<br />

    尾山神社 神門

  • 尾山神社 神門<br />こちらの欄間には鶴がいません!<br />和の象徴となる「鶴」が飛び立ってしまったという落ちなのでしょうか???

    尾山神社 神門
    こちらの欄間には鶴がいません!
    和の象徴となる「鶴」が飛び立ってしまったという落ちなのでしょうか???

  • 尾山神社 拝殿<br />黒瓦が鈍く光る瓦葺、入母屋造の純和風、しかも荘厳なものです。鬼瓦には菊の御紋が光り、旧別格官幣社(国家に功績のあった人を祀る神社で、国がそれを認め、勅命で幣帛を奉献する格式の高い神社)であることを示しています。<br />左側の狛犬の後ろにある大木は、「蚊母樹(いすのき)」です。主に暖地で自生するマンサク科の常緑樹で、推定樹齢200年を越える古木だそうです。材質が硬いので、櫛を作るのに使われていました。一説には、「クシの木」と呼ばれていたものが、「イスの木」に転訛したと言われています。

    尾山神社 拝殿
    黒瓦が鈍く光る瓦葺、入母屋造の純和風、しかも荘厳なものです。鬼瓦には菊の御紋が光り、旧別格官幣社(国家に功績のあった人を祀る神社で、国がそれを認め、勅命で幣帛を奉献する格式の高い神社)であることを示しています。
    左側の狛犬の後ろにある大木は、「蚊母樹(いすのき)」です。主に暖地で自生するマンサク科の常緑樹で、推定樹齢200年を越える古木だそうです。材質が硬いので、櫛を作るのに使われていました。一説には、「クシの木」と呼ばれていたものが、「イスの木」に転訛したと言われています。

  • 尾山神社 拝殿<br />「百万石行列」と同じ日に行われているお祭りがあります。「封国祭」と言うのですが、「封国」とは前田利家公が豊臣秀吉から、この国、つまり加賀の地を治めるようにと封じられたことです。そこで、利家が1583(天正11)年6月14日に金沢城に入城したことに因み、明治時代にこの祭りが始められました。長い間その当日に行われてきたそうですが、梅雨と重なり天候が定まり難いため、百万石行列が6月第一土曜日に移行したことに便乗し、封国祭も同じ日に振り替えたようです。そうした訳で、目抜き通りを煌びやかな百万石行列が通っていく百万石まつりと、尾山神社内で厳粛に営まれる封国祭の両方により、利家の御遺徳を偲びつつ、我が国と北陸の更なる発展を願うイベントが開催されています。<br />

    尾山神社 拝殿
    「百万石行列」と同じ日に行われているお祭りがあります。「封国祭」と言うのですが、「封国」とは前田利家公が豊臣秀吉から、この国、つまり加賀の地を治めるようにと封じられたことです。そこで、利家が1583(天正11)年6月14日に金沢城に入城したことに因み、明治時代にこの祭りが始められました。長い間その当日に行われてきたそうですが、梅雨と重なり天候が定まり難いため、百万石行列が6月第一土曜日に移行したことに便乗し、封国祭も同じ日に振り替えたようです。 そうした訳で、目抜き通りを煌びやかな百万石行列が通っていく百万石まつりと、尾山神社内で厳粛に営まれる封国祭の両方により、利家の御遺徳を偲びつつ、我が国と北陸の更なる発展を願うイベントが開催されています。

  • 尾山神社 拝殿<br />祭神には、利家とその正室 お松の方を祀り、このふたりにあやかって「文武両道」「必勝」や「夫婦円満」「子宝安産」のご利益があります。 <br />

    尾山神社 拝殿
    祭神には、利家とその正室 お松の方を祀り、このふたりにあやかって「文武両道」「必勝」や「夫婦円満」「子宝安産」のご利益があります。

  • 尾山神社 拝殿<br />中央天井は格天井造で、3000年に1度しか咲かないと言われる伝説の花「優曇華(うどんげ)」が極彩色の岩絵具で描かれ、拝殿の見所のひとつです。<br />神社なのに何故「この世の浄土?」なのかと疑問に思ったのですが、この天井は金谷御殿から移築したものと知り、合点がいきました。<br />

    尾山神社 拝殿
    中央天井は格天井造で、3000年に1度しか咲かないと言われる伝説の花「優曇華(うどんげ)」が極彩色の岩絵具で描かれ、拝殿の見所のひとつです。
    神社なのに何故「この世の浄土?」なのかと疑問に思ったのですが、この天井は金谷御殿から移築したものと知り、合点がいきました。

  • 尾山神社 拝殿<br />格天井のズームアップです。<br />「優曇華」はインドの想像上の花であり、正式名称は「優曇波羅華」と言います。仏教経典では3000年に一度花が咲くといい、その時に如来菩薩や金輪明王・転輪聖王が現世に出現するとしています。このことから、通常「滅多にない吉祥」という意味の言葉として用いられます。<br />この優曇華の花ですが、実は全くの想像の花ではなく実在するそうです。少なくとも、モデルとなる花が存在していたようです。インド原産の桑科イチジク属のフィクス・グロメラタがそれとされ、花は小型で壺状の花托に包まれて見えないため、「滅多に花が見られない植物 → 3000年に一度開花  → 花を見ることが出来たら吉兆がある」と変形していったようです。<br />調べてみると、「優曇華」と呼ばれている花は、それ以外にもありました。 <br />1.中国の木蓮科の山玉蓮(白木蓮のような花が咲く) <br />2.熊本県の相良トビカズラ(紫の房状の花が咲く) <br />3.芭蕉の花 (稀に咲くことから)<br />古典文学では『竹取物語』や『源氏物語』など、近代文学では泉鏡花著『白金之絵図』、田山花袋著『道綱の母』、夏目漱石著『虞美人草』などに「優曇華」用例が見られます。泉鏡花は、現 金沢市主計町で生まれ育ちましたので、尾山神社の拝殿の天井画を見た時のインパクトが強かったのではないかと思います。

    尾山神社 拝殿
    格天井のズームアップです。
    「優曇華」はインドの想像上の花であり、正式名称は「優曇波羅華」と言います。仏教経典では3000年に一度花が咲くといい、その時に如来菩薩や金輪明王・転輪聖王が現世に出現するとしています。このことから、通常「滅多にない吉祥」という意味の言葉として用いられます。
    この優曇華の花ですが、実は全くの想像の花ではなく実在するそうです。少なくとも、モデルとなる花が存在していたようです。インド原産の桑科イチジク属のフィクス・グロメラタがそれとされ、花は小型で壺状の花托に包まれて見えないため、「滅多に花が見られない植物 → 3000年に一度開花 → 花を見ることが出来たら吉兆がある」と変形していったようです。
    調べてみると、「優曇華」と呼ばれている花は、それ以外にもありました。
    1.中国の木蓮科の山玉蓮(白木蓮のような花が咲く)
    2.熊本県の相良トビカズラ(紫の房状の花が咲く)
    3.芭蕉の花 (稀に咲くことから)
    古典文学では『竹取物語』や『源氏物語』など、近代文学では泉鏡花著『白金之絵図』、田山花袋著『道綱の母』、夏目漱石著『虞美人草』などに「優曇華」用例が見られます。泉鏡花は、現 金沢市主計町で生まれ育ちましたので、尾山神社の拝殿の天井画を見た時のインパクトが強かったのではないかと思います。

  • 尾山神社 拝殿<br />欄間は約8寸厚の欅の一枚板に見事な梅花紋を透彫にし、極彩色の華麗な彫刻を施しています。これも金谷御殿からの移築で、成巽閣の欄間と同じ彫師が手掛けたものであり、前田家御細工所の名工 武田友月の作品と伝えられています。<br />成巽閣では撮影が禁じられていますので、こちらを写真に収めてください。<br />

    尾山神社 拝殿
    欄間は約8寸厚の欅の一枚板に見事な梅花紋を透彫にし、極彩色の華麗な彫刻を施しています。これも金谷御殿からの移築で、成巽閣の欄間と同じ彫師が手掛けたものであり、前田家御細工所の名工 武田友月の作品と伝えられています。
    成巽閣では撮影が禁じられていますので、こちらを写真に収めてください。

  • 尾山神社 拝殿<br />細かく梅花を散らした欄間です。<br />これが色褪せていない極彩色だった状態を想像してみてください。

    尾山神社 拝殿
    細かく梅花を散らした欄間です。
    これが色褪せていない極彩色だった状態を想像してみてください。

  • 尾山神社 神門<br />一段高くなった拝殿から神門を臨みます。<br />神門建立の中心人物だった長谷川準也は、幕末の藩内抗争に敗れて弾圧された加賀藩開明派 黒羽織党の家に生まれました。天井から地球儀が吊り下げられた珍しい家庭環境で育ち、維新後は身に付けた洋学の知識を生かして製糸や鋳造、製塩の洋式工場を次々に起こし、路頭に迷える旧藩士たちを救済し、近代金沢の恩人になった人物です。<br />長谷川準也の趣意書によると、「ことさらに珍奇をめざしたものではなく、強いて伝統を踏襲せず、堅固をめざしたものである」としています。

    尾山神社 神門
    一段高くなった拝殿から神門を臨みます。
    神門建立の中心人物だった長谷川準也は、幕末の藩内抗争に敗れて弾圧された加賀藩開明派 黒羽織党の家に生まれました。天井から地球儀が吊り下げられた珍しい家庭環境で育ち、維新後は身に付けた洋学の知識を生かして製糸や鋳造、製塩の洋式工場を次々に起こし、路頭に迷える旧藩士たちを救済し、近代金沢の恩人になった人物です。
    長谷川準也の趣意書によると、「ことさらに珍奇をめざしたものではなく、強いて伝統を踏襲せず、堅固をめざしたものである」としています。

  • 尾山神社 神門<br />2、3層目は壁を銅板で覆い、金谷御殿に廻されていた高欄を貰い受けています。3層目は4面を5色の上質ギヤマンで張り、更に窓以外を銅板で覆っています。往時はその中に御神灯が点灯され、その光が金沢の町を照らし、また遠く日本海を航行する船の目印となる灯台の役目も果たしていたそうです。屋根の頂点を水煙で飾り、その上に高さ8mある塔の相輪を彷彿とさせる避雷針を設けています。これがDr.ホルトマンの手によるもので、日本最古のものです。往時は、このような背の高い建造物は少なく、落雷による火災を防ぐ配慮だったと思われます。

    尾山神社 神門
    2、3層目は壁を銅板で覆い、金谷御殿に廻されていた高欄を貰い受けています。3層目は4面を5色の上質ギヤマンで張り、更に窓以外を銅板で覆っています。往時はその中に御神灯が点灯され、その光が金沢の町を照らし、また遠く日本海を航行する船の目印となる灯台の役目も果たしていたそうです。屋根の頂点を水煙で飾り、その上に高さ8mある塔の相輪を彷彿とさせる避雷針を設けています。これがDr.ホルトマンの手によるもので、日本最古のものです。往時は、このような背の高い建造物は少なく、落雷による火災を防ぐ配慮だったと思われます。

  • 尾山神社 神門<br />映画で話題の三島由紀夫著『美しい星』にこの神門が登場します。「彼もまた円盤を見た一人だったかもしれない。あの第三層の部屋にひっそり籠って、五彩の光りをいろいろと工夫して、夜の海の上を飛んで来る円盤と交信していたのかもわからない」。自称金星人の華族がここをUFOとの交信場所と考え、ダン・ブラウン著『インフェルノ』のモチーフにも似た三島氏の作品の中でも異色の小説です。会話中の「彼」とは、神門を設計した津田吉之助のことです。しかし煉瓦アーチに注連縄とは、摩訶不思議な空間です。文化庁は「石及び木造2階建て宝形造り銅板造り」と定義しています。

    尾山神社 神門
    映画で話題の三島由紀夫著『美しい星』にこの神門が登場します。「彼もまた円盤を見た一人だったかもしれない。あの第三層の部屋にひっそり籠って、五彩の光りをいろいろと工夫して、夜の海の上を飛んで来る円盤と交信していたのかもわからない」。自称金星人の華族がここをUFOとの交信場所と考え、ダン・ブラウン著『インフェルノ』のモチーフにも似た三島氏の作品の中でも異色の小説です。会話中の「彼」とは、神門を設計した津田吉之助のことです。しかし煉瓦アーチに注連縄とは、摩訶不思議な空間です。文化庁は「石及び木造2階建て宝形造り銅板造り」と定義しています。

  • 尾山神社 神門<br />2層の金谷御殿に廻されていた高欄の意匠も凝っています。また、木彫りの彫刻が施された部分には、加賀梅鉢紋をあしらったデザインの明り取りが4つ並んでいます。大扉にあった意匠をデフォルメ(優曇華を間引いた)したものです。<br />透かしを通した揺曳が、床で照り返す情景が目に浮かぶようです。

    尾山神社 神門
    2層の金谷御殿に廻されていた高欄の意匠も凝っています。また、木彫りの彫刻が施された部分には、加賀梅鉢紋をあしらったデザインの明り取りが4つ並んでいます。大扉にあった意匠をデフォルメ(優曇華を間引いた)したものです。
    透かしを通した揺曳が、床で照り返す情景が目に浮かぶようです。

  • 尾山神社 前田利家公銅像<br />加賀100万石を治めた利家の姿は凛々しく、天空に向けて槍を突き上げる若き姿は勇ましくもあります。 <br />利家は織田信長に仕え、生涯40近い戦に参戦した槍の名手で「槍の又左」という異名を持ちました。袋状の布を背負い、馬で駆けるとそれが風で膨らみ、背後からの流れ矢を防ぐ赤い武具「母衣(ほろ)」を纏った赤母衣衆でした。ある程度の武将にならないと母衣は付けられなかったそうです。しかし実際は、室町時代の頃に騎馬戦は廃れています。ですから、風で膨らんだ形にするためにわざわざクジラの骨やヒゲ類で膨らんだ形にしたフェイクであり、単なる装飾具にすぎなかったそうです。<br />この銅像は、大河ドラマ『利家とまつ』の放映記念に造られたものです。<br />利家は後に豊臣秀吉に服属し、柴田勝家に代わって北陸最大の大名となり、金沢城を居城にしました。五大老として徳川家康と比肩する実力の持ち主でしたが、秀吉の死後、その8ヶ月後に利家も病死しています。利家の死が豊臣氏の滅亡が決定的となる一因だったとも言われています。<br />歴史に「もしも」はありませんが、利家がもう少し長生きしていたら、歴史はどう動いていたのでしょうか?

    尾山神社 前田利家公銅像
    加賀100万石を治めた利家の姿は凛々しく、天空に向けて槍を突き上げる若き姿は勇ましくもあります。
    利家は織田信長に仕え、生涯40近い戦に参戦した槍の名手で「槍の又左」という異名を持ちました。袋状の布を背負い、馬で駆けるとそれが風で膨らみ、背後からの流れ矢を防ぐ赤い武具「母衣(ほろ)」を纏った赤母衣衆でした。ある程度の武将にならないと母衣は付けられなかったそうです。しかし実際は、室町時代の頃に騎馬戦は廃れています。ですから、風で膨らんだ形にするためにわざわざクジラの骨やヒゲ類で膨らんだ形にしたフェイクであり、単なる装飾具にすぎなかったそうです。
    この銅像は、大河ドラマ『利家とまつ』の放映記念に造られたものです。
    利家は後に豊臣秀吉に服属し、柴田勝家に代わって北陸最大の大名となり、金沢城を居城にしました。五大老として徳川家康と比肩する実力の持ち主でしたが、秀吉の死後、その8ヶ月後に利家も病死しています。利家の死が豊臣氏の滅亡が決定的となる一因だったとも言われています。
    歴史に「もしも」はありませんが、利家がもう少し長生きしていたら、歴史はどう動いていたのでしょうか?

  • 尾山神社 金鯰尾兜(きんなまずおのかぶと)<br />境内では至る所に利家を記念する彫刻や置物を目にすることができます。中でも要チェックなのが、こちらの金色の兜です。<br />利家が末森城の戦いで着用したとされる全身金箔押しの甲冑のうち、兜のみを複製したものです。甲冑の正式名称は「金小札白糸素懸威胴丸具足」と言い、実物は前田家が所蔵しています。霊力を持つと考えられていた「鯰の尾」をデザインしており、金沢市の特産品である金箔が施され、名前の通り「鯰の尾」のように縦長の形をした兜です。元々は利家の銅像の頭にあったものを、こちらに移設したそうです。

    尾山神社 金鯰尾兜(きんなまずおのかぶと)
    境内では至る所に利家を記念する彫刻や置物を目にすることができます。中でも要チェックなのが、こちらの金色の兜です。
    利家が末森城の戦いで着用したとされる全身金箔押しの甲冑のうち、兜のみを複製したものです。甲冑の正式名称は「金小札白糸素懸威胴丸具足」と言い、実物は前田家が所蔵しています。霊力を持つと考えられていた「鯰の尾」をデザインしており、金沢市の特産品である金箔が施され、名前の通り「鯰の尾」のように縦長の形をした兜です。元々は利家の銅像の頭にあったものを、こちらに移設したそうです。

  • 尾山神社 お松の方レリーフ<br />利家の正室で、学問や武芸をたしなむ才色兼備の女性だったと伝えられています。実母が利家の母の姉に当たり、利家とは従兄関係でもあり、利家亡き後、芳春院と号しました。2男9女を産み、往時でも11人の実子がいるのは珍しかったそうです。<br />利家の危機を何度も救い、家康が天下をとってからは自らが人質となり、前田家のために奔走し続けました。長男 利長が秀吉の死から江戸幕府成立に至る難局を苦渋の政治的な判断によって乗り越えて加賀藩の礎を築いた背景には、お松の方の支えがあったと言っても過言ではありません。<br />こうした歴史的な背景を踏まえ、改めて利家とお松の方の像を見てみると、感慨深いものがあります。

    尾山神社 お松の方レリーフ
    利家の正室で、学問や武芸をたしなむ才色兼備の女性だったと伝えられています。実母が利家の母の姉に当たり、利家とは従兄関係でもあり、利家亡き後、芳春院と号しました。2男9女を産み、往時でも11人の実子がいるのは珍しかったそうです。
    利家の危機を何度も救い、家康が天下をとってからは自らが人質となり、前田家のために奔走し続けました。長男 利長が秀吉の死から江戸幕府成立に至る難局を苦渋の政治的な判断によって乗り越えて加賀藩の礎を築いた背景には、お松の方の支えがあったと言っても過言ではありません。
    こうした歴史的な背景を踏まえ、改めて利家とお松の方の像を見てみると、感慨深いものがあります。

  • 尾山神社 本殿<br />建造は古式に則った三間社流造で、簡素にして神厳に満ちた社殿の佇まいです。

    尾山神社 本殿
    建造は古式に則った三間社流造で、簡素にして神厳に満ちた社殿の佇まいです。

  • 尾山神社 本殿 玉垣<br />本殿に向かって右側面の玉垣は珍しい煉瓦造になっており、加賀梅鉢紋の透かしになっています。<br />煉瓦を使用した玉垣は、金沢ではここが最初だそうですが、津田吉之助が富岡製糸場を下見したことが奏功しているように思えます。<br />

    尾山神社 本殿 玉垣
    本殿に向かって右側面の玉垣は珍しい煉瓦造になっており、加賀梅鉢紋の透かしになっています。
    煉瓦を使用した玉垣は、金沢ではここが最初だそうですが、津田吉之助が富岡製糸場を下見したことが奏功しているように思えます。

  • 尾山神社 金谷神社<br />木漏れ日と戯れる若楓です。<br />摂社 金谷神社は、2代藩主 前田利長をはじめ17代までの藩主、当主と正室を祀っています。

    尾山神社 金谷神社
    木漏れ日と戯れる若楓です。
    摂社 金谷神社は、2代藩主 前田利長をはじめ17代までの藩主、当主と正室を祀っています。

  • 尾山神社 金谷神社前の「さし石」<br />神社前には「さし石(力石)」が並べられています。旧藩主前田家より拝領した石で、若衆たちがこの石を担いで力と技を競ったと言われています。<br />現在は、触れると健康になると言われており、多くの人々が石を触って健康を祈る場となっています。<br />

    尾山神社 金谷神社前の「さし石」
    神社前には「さし石(力石)」が並べられています。旧藩主前田家より拝領した石で、若衆たちがこの石を担いで力と技を競ったと言われています。
    現在は、触れると健康になると言われており、多くの人々が石を触って健康を祈る場となっています。

  • 尾山神社 東神門(登録有形文化財)<br />旧金沢城の桃山風御殿様式だった二の丸にあった唐門です。<br />旧卯辰山招魂社前にあったものを1963(昭和38)年に境内に移築しています。1間1戸の向唐門で、屋根は桟瓦葺。主柱は円柱、控柱は角柱とし、両開き桟唐戸をたてています。<br />総欅造で釘を1本も使わず、屋根は瓦と銅板で葺いています。<br />格式の高さを窺わせるものですが、彩色は一切ありません。また、制作者は不明だそうです。

    尾山神社 東神門(登録有形文化財)
    旧金沢城の桃山風御殿様式だった二の丸にあった唐門です。
    旧卯辰山招魂社前にあったものを1963(昭和38)年に境内に移築しています。1間1戸の向唐門で、屋根は桟瓦葺。主柱は円柱、控柱は角柱とし、両開き桟唐戸をたてています。
    総欅造で釘を1本も使わず、屋根は瓦と銅板で葺いています。
    格式の高さを窺わせるものですが、彩色は一切ありません。また、制作者は不明だそうです。

  • 尾山神社 東神門<br />頭貫上は、蟇股に加賀梅鉢紋と火災封じの願いを込めた波の彫刻をあしらっています。また、桁上は、中央に大瓶束、その両脇に2頭の龍と雲の彫刻をあしらっています。<br />金沢城は度々火災に遭いそのほとんどを焼失しましたが、この門が幸いにも難を逃れました。その理由として「注連縄の上の阿吽形の2頭の龍が水を呼んで類焼を免れたから」と言い伝えられる縁起の良い門です。

    尾山神社 東神門
    頭貫上は、蟇股に加賀梅鉢紋と火災封じの願いを込めた波の彫刻をあしらっています。また、桁上は、中央に大瓶束、その両脇に2頭の龍と雲の彫刻をあしらっています。
    金沢城は度々火災に遭いそのほとんどを焼失しましたが、この門が幸いにも難を逃れました。その理由として「注連縄の上の阿吽形の2頭の龍が水を呼んで類焼を免れたから」と言い伝えられる縁起の良い門です。

  • 尾山神社 東神門<br />こちらが「吽形」の龍です。<br />3つ爪が迫力満点です。<br />大瓶束の下部にある結綿(ゆいわた)と呼ばれる彫刻も見事です。 <br />

    尾山神社 東神門
    こちらが「吽形」の龍です。
    3つ爪が迫力満点です。
    大瓶束の下部にある結綿(ゆいわた)と呼ばれる彫刻も見事です。

  • 尾山神社 東神門<br />こちらが「阿形」の龍です。<br />門を出た所が「お堀通り」です。通りの向こうの崖の上には「玉泉院丸」があります。かつて尾山神社(金谷出丸:かなやでまる)と玉泉院丸(二の丸の続)の間には外堀があり、鼠多門橋で繋がっていたそうです。つまり、「東神門」は二の丸への入口だったようです。

    尾山神社 東神門
    こちらが「阿形」の龍です。
    門を出た所が「お堀通り」です。通りの向こうの崖の上には「玉泉院丸」があります。かつて尾山神社(金谷出丸:かなやでまる)と玉泉院丸(二の丸の続)の間には外堀があり、鼠多門橋で繋がっていたそうです。つまり、「東神門」は二の丸への入口だったようです。

  • 尾山神社 神苑<br />神社の創建以前は金谷御殿の庭園だった所であり、1642年頃に造られた古代舞楽の楽器を模した池泉廻遊式庭園です。1954(昭和29)年に市の指定名勝となっています。<br />池には3つの島(鳥兜(とりかぶと)島、琵琶島、鳳笙(ほうしょう)島)が浮かんでいます。江戸時代の作風を残し、沢渡りによって琵琶島に至り、ここから八ツ橋、琴橋、図月橋(とげつきょう)等によって鳥兜島を巡る趣向で、これらは雅楽器を象徴しており、「楽器の庭」とも称されています。

    尾山神社 神苑
    神社の創建以前は金谷御殿の庭園だった所であり、1642年頃に造られた古代舞楽の楽器を模した池泉廻遊式庭園です。1954(昭和29)年に市の指定名勝となっています。
    池には3つの島(鳥兜(とりかぶと)島、琵琶島、鳳笙(ほうしょう)島)が浮かんでいます。江戸時代の作風を残し、沢渡りによって琵琶島に至り、ここから八ツ橋、琴橋、図月橋(とげつきょう)等によって鳥兜島を巡る趣向で、これらは雅楽器を象徴しており、「楽器の庭」とも称されています。

  • 尾山神社 神苑<br />神門の3連アーチのモデルともなった3連アーチ型石橋の図月橋も趣があります。<br />どこか独特の雰囲気を漂わせ、金沢文化の一端を誇示しているように思えます。<br />現在は、橋の保護のため渡ることはできません。<br />

    尾山神社 神苑
    神門の3連アーチのモデルともなった3連アーチ型石橋の図月橋も趣があります。
    どこか独特の雰囲気を漂わせ、金沢文化の一端を誇示しているように思えます。
    現在は、橋の保護のため渡ることはできません。

  • 尾山神社 神苑<br />琵琶島と鳥兜島を結んでいます。<br />鳥兜島は、毒を持つ植物と同じ物騒な名ですが、舞楽の楽人(伶人)が常装束に用いる冠の形をしています。<br />図月橋は、17世紀に中国人によって造られたと伝えられています。長崎市にある「眼鏡橋」と同年代のものだそうです。こちらの橋は、湖面に浮かぶ満月をイメージしたものと言われています。

    尾山神社 神苑
    琵琶島と鳥兜島を結んでいます。
    鳥兜島は、毒を持つ植物と同じ物騒な名ですが、舞楽の楽人(伶人)が常装束に用いる冠の形をしています。
    図月橋は、17世紀に中国人によって造られたと伝えられています。長崎市にある「眼鏡橋」と同年代のものだそうです。こちらの橋は、湖面に浮かぶ満月をイメージしたものと言われています。

  • 尾山神社 神苑<br />琴の形をした琴橋です。<br />神苑の水は、3代藩主 利常の命により完成した辰巳用水の水を高低差を利用して、兼六園から暗渠で導き、逆サイフォンの原理で築山にある「響遠瀑(きょうおんばく)」から落としていたそうです。現在は、往時の水路が断絶したこともあり、井戸を堀って地下水を池に流しています。<br />

    尾山神社 神苑
    琴の形をした琴橋です。
    神苑の水は、3代藩主 利常の命により完成した辰巳用水の水を高低差を利用して、兼六園から暗渠で導き、逆サイフォンの原理で築山にある「響遠瀑(きょうおんばく)」から落としていたそうです。現在は、往時の水路が断絶したこともあり、井戸を堀って地下水を池に流しています。

  • 尾山神社 神苑<br />鳳笙島です。<br />並べられた石が雅楽の笙の形になっています。

    尾山神社 神苑
    鳳笙島です。
    並べられた石が雅楽の笙の形になっています。

  • 尾山神社 神苑<br />尾形光琳筆『八橋図』を彷彿とさせる渡し橋です。

    尾山神社 神苑
    尾形光琳筆『八橋図』を彷彿とさせる渡し橋です。

  • 尾山神社 神苑<br />神苑の背景となる築山は鬱蒼としており、昼間でも薄暗い感じです。初めて訪れる方は、ここが金沢市街のど真ん中であることを信じられないかもしれません。<br />滝石組「響遠瀑」から落ちてくる水も、初夏を迎えて嬉しそうにはしゃいでいるように思え、幽邃の境地を形づくっています。<br />

    尾山神社 神苑
    神苑の背景となる築山は鬱蒼としており、昼間でも薄暗い感じです。初めて訪れる方は、ここが金沢市街のど真ん中であることを信じられないかもしれません。
    滝石組「響遠瀑」から落ちてくる水も、初夏を迎えて嬉しそうにはしゃいでいるように思え、幽邃の境地を形づくっています。

  • 尾山神社 神苑<br />築山から見下ろした神苑です。<br />燈籠がよいアクセントになっています。<br />神苑だけでも結構愉しめ、石川県の指定名勝となっているだけのことはあります。

    尾山神社 神苑
    築山から見下ろした神苑です。
    燈籠がよいアクセントになっています。
    神苑だけでも結構愉しめ、石川県の指定名勝となっているだけのことはあります。

  • 尾山神社 境内のオブジェ<br />拝殿の右脇には、蓮をあしらったオブジェがあります。<br />金色に光っているのは、さて何でしょうか?

    尾山神社 境内のオブジェ
    拝殿の右脇には、蓮をあしらったオブジェがあります。
    金色に光っているのは、さて何でしょうか?

  • 尾山神社 境内のオブジェ<br />お愛嬌として添えられた「雨蛙」でした。<br />それにしてもよくできています。<br />こうしたユーモアに頬を弛ませながら、尾山神社を後にしました。

    尾山神社 境内のオブジェ
    お愛嬌として添えられた「雨蛙」でした。
    それにしてもよくできています。
    こうしたユーモアに頬を弛ませながら、尾山神社を後にしました。

  • 旬彩グリル 香林<br />お腹もすいてきたので、ランチタイムにします。食い気に走ったため、尾山神社のお隣にある加賀てまり「毬屋」に寄るのを失念してしまいました。おかげで、カミさんは殺気立っていました。<br /><br />やってきたのは、香林坊にある「ダイワデパート 香林坊店」の8Fにある「旬彩グリル 香林」です。<br />窓際の席は総ガラス張りになっており、金沢市街が一望できます。中央に見えるのは、1893(明治26)年から約60年間、旧制高等学校として使用された石川四高記念館です。四高及び四高生の開校からの歴史を展示し、当時使用されていた制服など貴重な資料が揃っているそうです。

    旬彩グリル 香林
    お腹もすいてきたので、ランチタイムにします。食い気に走ったため、尾山神社のお隣にある加賀てまり「毬屋」に寄るのを失念してしまいました。おかげで、カミさんは殺気立っていました。

    やってきたのは、香林坊にある「ダイワデパート 香林坊店」の8Fにある「旬彩グリル 香林」です。
    窓際の席は総ガラス張りになっており、金沢市街が一望できます。中央に見えるのは、1893(明治26)年から約60年間、旧制高等学校として使用された石川四高記念館です。四高及び四高生の開校からの歴史を展示し、当時使用されていた制服など貴重な資料が揃っているそうです。

  • 旬彩グリル 香林<br />金沢城の石垣のズームアップです。<br /><br />せっかく金沢に来たのですから、ローカルフード「ハントンライス」をいただきます。「ハントンライス」という名前は、ハンガリーの「ハン」とフランス語でマグロをあらわす「トン」を合わせたものです。洋食屋「グリルオーツカ」が考案したメニューが元祖であり、元々はカジキのフライを載せたものでしたが、今では多くの店で多様なアレンジがなされて提供されています。<br />また、このグリルは、「ハントンライス」おすすめのお店9選に挙げられたお店です。定番は「グリルオーツカ」ですが、観光に来てまで行列に並ぶつもりは毛頭ありません。そこで見つけたのが、「穴場スポット」的なこのグリルです。

    旬彩グリル 香林
    金沢城の石垣のズームアップです。

    せっかく金沢に来たのですから、ローカルフード「ハントンライス」をいただきます。「ハントンライス」という名前は、ハンガリーの「ハン」とフランス語でマグロをあらわす「トン」を合わせたものです。洋食屋「グリルオーツカ」が考案したメニューが元祖であり、元々はカジキのフライを載せたものでしたが、今では多くの店で多様なアレンジがなされて提供されています。
    また、このグリルは、「ハントンライス」おすすめのお店9選に挙げられたお店です。定番は「グリルオーツカ」ですが、観光に来てまで行列に並ぶつもりは毛頭ありません。そこで見つけたのが、「穴場スポット」的なこのグリルです。

  • 旬彩グリル 香林<br />関西のお好み焼きを彷彿とさせるビジュアルです。<br />マヨネーズ(タルタルソースの代用)とケチャップで彩られたオムライスの上に、海老フライとヒレカツがトッピングされています。エビフライは、タルタルソースを身に纏っています。<br />「シャチホコ」を模したエビフリャーに「金」を思わせるフワフワ玉子といった、名古屋城のイメージをそっくり頂いたような一皿です。<br />何はともあれ、カミさんの機嫌も直り、美味しく完食いたしました。ごちそうさまでした!<br /><br />この続きは、問柳尋花 加賀紀行⑥金沢 兼六園(前編)でお届けいたします。

    旬彩グリル 香林
    関西のお好み焼きを彷彿とさせるビジュアルです。
    マヨネーズ(タルタルソースの代用)とケチャップで彩られたオムライスの上に、海老フライとヒレカツがトッピングされています。エビフライは、タルタルソースを身に纏っています。
    「シャチホコ」を模したエビフリャーに「金」を思わせるフワフワ玉子といった、名古屋城のイメージをそっくり頂いたような一皿です。
    何はともあれ、カミさんの機嫌も直り、美味しく完食いたしました。ごちそうさまでした!

    この続きは、問柳尋花 加賀紀行⑥金沢 兼六園(前編)でお届けいたします。

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