2017/06/01 - 2017/06/02
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buchijoyceさん
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1日は市ヶ谷の私学会館に泊まって、翌2日、神楽坂の横丁を散策した。まだこんな石畳の小路があちこちに残っていて、たのしかった。
ただ午前中だったので、一休みしたくともほとんどのお店が準備中で残念だった、次は午後に行ってみよう。
牛込橋を渡って、神楽坂を登り始める。ネットの中に神楽坂散歩があったのでそれを参考に、ロイヤルホストの横を右に折れ、神楽坂仲通り。そこを進むと左手の芸者新道に気が付いた。ここはかつて色町であった時代芸者さんたちが行き来した道とかで、江戸時代からの坂道。真ん中がゆったりとした石段になっている。石段の上に通行禁止の立て看板と柵。でも上らずに通り過ぎた。突き当りを上り、左に曲がった。地図を見ながら、横丁を探す、というより石畳の道を探す。本多横丁に出た。本多横丁をゆっくり眺め、神楽坂に出ると善國寺だ。毘沙門さんを祀ってあるようだ。赤塗りの門があり、奥に本殿がある。左右に狛犬がいる。あれ、あの狛犬、ライオンみたい、という声に近寄ってみると、なるほど犬ではない。説明を読むと石虎と書いてある。石虎なんて、はじめてみた。しかし迫力がある。喜んでカメラを向けて撮っている。上の写真はその一枚左手にいる吽形の虎さんだ。後で調べると、善國寺は徳川家康開祖となっているが、日蓮宗の寺だった。
この石虎さん、石が欠けている。調べるとこの傷は東京大空襲の惨禍だった。記録によると、牛込神楽坂は小学校と銀行の二つを残して、焼け野原になったと記録があった。善國寺も灰燼に帰し、石虎さんだけが残った。石虎さんは歴史の証人だったのである。
もう少し上まで行くと、同じように散策しているご夫妻に出会った。彼らは細い道を通って行く。私も続いて人ひとりやっと通れるような道を行くと、幅はやや広くなり、風情のある横丁になった。盛んに写真を撮っている若い男性が、私もやたら撮ってているので邪魔しないように手を止めてくれた。「勝手に撮っていますから気にしないでください」と声をかけると「初めてですか?」と聞いた。「そうです」「ここは神楽坂で一番古い通りです」「この通りなんていうんですか?}「兵庫横丁です」「あ~、ここが兵庫横丁ですか。どこにあるのか探していたんです」青年は先に行った。ほどなくさっきのご夫婦が戻ってきた。「あそこが山田洋次監督が泊まっていた宿だそうですよ」「どこ?」なんて、しゃべっているとさっきの青年も戻ってきた。「このお兄さんが詳しいですよ」というとご夫婦も「この方に教えていただいたんです」
もっとも私たちは戻らずそのまま下に。湯葉のお店の前を通って、イタリアンのお店も見つけて・・でも朝なのでどこも準備中。食事をしたり、お茶をするには、午後の方がいいな。
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