2017/05/28 - 2017/05/28
148位(同エリア453件中)
だいこくさん
関西地方、天気が続いています。
梅雨に入る前に、暑くなる前に何処かへ行かなくては・・・
何を焦っているんだか、毎日暇を持て余しているというのに・・・
そうだ、久々 鞆へ行こう、海を見に行こう。
わざわざ広島迄行かなくても、海ならもっと近くにも有るのに・・・
なんだかんだと、葛藤しながら・・・何かしても一日、しなくても一日。
さあ、出発です。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ここはJR"尼崎"駅 7:55
尼崎 → 相生 → 岡山 → 福山 → 鞆の浦
乗車券だけ買って鞆の海、目指します。 -
いつもなら、手っ取り早く高速バス "ビンゴライナー"で
伊丹空港 → 福山駅なのですが、
ある時、普通・快速・新快速列車を乗り継げば福山駅に辿り着く事に気づきました?
なんせ、地続きなんですから。
まずは写真 下表記の駅をみんな、のみ込み相生駅へ。 -
車窓は雲一つない快晴。
車内はボックス席、
時間と共に旅行気分が増します。 -
相生駅で山陽本線に乗換、ここは岡山駅。
掲示表示に温泉地名など見たもんにゃあ、
《思えば遠くへ来たもんだ》なんてちょっと思ったりして。 -
"糸崎"行き
糸崎ってどの辺?と思いながら乗車。
真黄黄の列車は初めて。
***ちなみに糸崎は尾道の次の駅でした。 -
列車は倉敷、笠岡を超え福山駅に到着。
7時に家を出て、約5時間。
自慢じゃないけど、だいこくには有り余る時間と自由がいっぱい。
ほんと、贅沢だね。 -
福山駅前から"鞆の浦"行きバスに乗ります。
車内でご自由にと書かれたパンフレットを手にします。
《福山市無形民俗文化財、福山・鞆の浦 観光鯛網 2017/05/03~5/28》
えっ? 何かしてる? -
約30分程で鞆の海が見え始めます。
-
終点"鞆港"のひと停留所前"鞆の浦"で降ります。
ここより逆にひと停留所前"安国寺下"バス停に
真新しい"舟歌"の碑をみつけたのですが気になります。
何故こんなところに? -
気にはなりますが、引き返す気は無く、
"そば処十割そば 三代目作十"へ直行です。
以前よりメニューが増えていますが、
迷わず "海老天 そばセット"
そう広くない店内は満員、カウンター越しにフル回転の調理場3名を見ていると、
気が遠くなりそう。
途中、そば屋さんにそばが切れるという大盛況 時間は1:30 -
ここ"鞆の浦"へは10回程訪れていますが、
こんなにも澄み渡った"鞆の浦"は初めての事。 -
海の向こうに幾重にも島が見えるなんて、
やっぱり今日来て良かった。
一番奥はきっと四国だよ。 -
だいこくには縁遠い
宿「汀邸 遠音近音(をちこち)」の横の防波堤に腰を下ろします。
遠くに大きなタンカー、
止まっているようですが、少しずつ移動している様子。 -
左横には"仙酔島"へ渡る "いろは丸"が出港待ち。
-
仙酔島では "観光 鯛網"が出航したもよう。
-
5月には盛大なお祭りが有るとは聞いていましたが、
これの事なんだと初体験です。
こんなに人で賑わう鞆を見るのも当然初めて。 -
明治時代中期に1網で1万匹とれた記録があるという
鞆の浦鯛しばり網漁法
現在はこの漁法での漁はしていなくて、
伝統行事として毎年5月に観光用に行うのだとか。
近年、鯛自体もあまり獲れないそうです。 -
乙姫様が手船で弁天島"弁財天"へ向かい大漁祈願。
-
そして、五色の吹き流し・大漁のぼりを立てた鯛網船団は、
威勢のいい漁師歌と共に沖合いへ進んで行きました。
その後の事は分かりません。
船団は何処まで行ったのやら・・・ -
2:20から鞆の浦ボランティア、無料ガイドさんについて歩きます。
"海岸山千手院福禅寺"の石垣の下にある碑です。
大伴 旅人(おおとも の たびと)、飛鳥時代から奈良時代にかけての貴族
天平2年(730年)太宰府の役人の任期を終え、
都へ帰る途中、鞆の浦へ立ち寄った時の歌で、
「吾妹子(わぎもこ)が見し鞆の浦のむろの木はとこ世にあれど見し人ぞなき」
妻が見たことのある鞆の浦のむろの木は、いつまでも絶えることなくあるけれど、その妻はもういないのです。 という内容の歌だそうです。
だいこくの独り言
歌を刻んだ石碑は数々あれど、読めない、意味が解らない、故につまらない。
景観を損ねない程度に側に翻訳した文字があれば、心に残るんだろうけどな・・・ -
ガイドさんによると、この"はまゆう"は鞆の歴史をずっと見守ってきたらしい。
"海岸山千手院福禅寺"の石垣下にあり、
ここ"はまゆう"の位置する場までが昔は浜辺だった証になるのだそうです。 -
"はまゆう"の上に位置する"海岸山千手院福禅寺"入り口。
同敷地内、隣接の"対潮楼"は鞆の浦を代表するスポットです。
江戸時代、朝鮮通信使の上官三使の宿舎となったのが"対潮楼"
12回来日中11回の往路・復路でここ鞆の津に寄港
「寺は高い崖の上に海を臨んで建っている。島々は大小遠近さまざまに並び地勢奇しく絶景これに勝るものはない。」とここからの眺めを絶賛し定宿としたそうです。
有料ですが、一度はその絶賛の景色を前に江戸時代に思いを馳せるのもいいのではないでしょうか。 -
鞆港へ向かいます。
先程のハマユウから2分程のトモテツバスのバス停。
お魚捕まえた猫さんを表現しているとか。
"尾道"が猫の街とは認識していましたが、
ここ鞆の浦もそうだったようですね。 -
ホットする港風景です。
-
この階段状のものを"雁木"と呼びます。
江戸時代における和船操船技術の一つで、
潮の満ち干による水面の上下、
停泊中の廻船の舷側高さの変化に応じて、
渡り板を架けて人や物の積み下ろしをするそうです。 -
鞆の浦の"雁木"の風景はとても貴重で珍しいものらしく、、、
維持保存の為、一部今はこの状態。
潮の引いた数時間にしか工事が出来ず修復には時間が掛かるそうです。
請負金額も・・・ -
2015年の冬ドラマ "流星ワゴン" のロケに使われた場所は。
門と"丸忠総業"の表札がかけられたまま残っています。 -
-
そして、鞆の浦と言えば"常夜灯"
南面に「金毘羅大権現」、
北側に「当所祇園宮」の石額
どちらも、海上安全の神様だそうです。 -
確か、潮が引けば、ぐるっと一周廻れたはずです。
-
海中の石積(亀腹型)まで含めると10mを越す高さで、港の常夜燈としては日本一との事。
-
***説明文***
鞆の浦は多島海の天然の良港で、豊後・紀伊水道がぶつかる瀬戸内海の中央部に位置し、“潮待ちの港”として栄えました。
潮待ちとは、潮流を利用して航行する船が潮流の向きが変わるのを待つことです。
当時航行は、潮の流れと櫓、帆を漕いで進んでいた時代です。
瀬戸内海では一日に2回の干満があり、6時間毎に潮流が逆転。
関門海峡、豊予海峡、紀淡海峡、鳴門海峡を通り、干潮から満潮まで鞆ノ浦に向かって潮が流れ込んで来る。
また満潮から干潮にかけては鞆ノ浦から潮が4つの海峡に向かって流れ出る。
逆潮を避ける為、また潮に乗る為に、潮待ちの停泊が必要とされた。
***
当然、天候によっては何日も足止めが続いたそうです。 -
鞆の浦の歴史を検索すると、平安時代から現在に至るまで、
交易都市、文化都市、伝統産業の町、鉄工業の町、
そして観光の町と変化してきた時代背景や、
この地に関わってきた人物が面白く、
歴史が積み重なった町なんだと改めて厚みを感じます。 -
鞆の浦を見下ろす小高い丘の上に鞆城(天正4年(1576年))があったそうです。
今は鞆城跡に歴史民族資料館の建物が建っています。 -
路地は敵の侵入を妨ぐべく張り巡らされ、
漁師町らしく、海の風の通りを良くする為、
狭く細く長く作られているそうです。 -
以下、鞆の路地風景が続きます。
路は何処も綺麗で歩きやすい石畳です。 -
"民芸茶処 深津屋"
お店へは入った事はありませんが、
路地をウロウロすれば必ず横は通過するはずの位置にあります。
ミーハー情報ですが
宮崎駿監督も愛飲した「炭焼きコーヒー」があるそうです。 -
今日は、"いりこ屋"さんにお客様がいる!
おばさん、しっかり儲けて下さいね。 -
"保命酒"
鞆の浦名産の薬味酒(リキュール)
別名「瀬戸内の養命酒」
歴史はとても古くて、万治二年(1659年)より製造。 -
現在、製造・販売を行っているのは鞆の浦にある4社のみ。
どのお店に立ち寄っても試飲させてもらえます。
飲みやすさの点ではどちらも共通ですが、
微妙に味に違いが有ります。 -
“太田家住宅”
維新の夜明け近い1863(文久3)年8/18尊王攘夷を主張する三条実美ら7名の公家は、
公武合体派に追われ都落ち、その際ここへ立ち寄ったそうな。
そして、保命酒を口にして和歌を残したそうな。
《世にならす鞆の港の竹の葉を 斯(か)くて嘗(な)むるもめつらしの世や》
世間で有名な鞆の浦の保命酒を こうして味わってみると 何とも言えないほどすばらしい
以上、こんな事が書いてあるようです。 -
-
だいこく、路地裏一番のお気に入りの木。
船底に使われていたのかな?
触れると、とにかく優しい、柔らかい、
人に例えれば、、、
??????
そんな人はいない!
この木に勝る人はなし。 -
蔵の外壁の上部が外へせり出しているのは、
火災時に炎を外方向へ逃がす為だそうです。 -
手前は焼杉、奥は杉皮。
-
おっ、ここにも これぞ木。
*人間に仕え続けて来たんだぞ* って木です。 -
3年来ない間に"鞆の浦"の町は綺麗になりました。
古く 新しく?
新しく 古く?
どう表現するのがしっくりいくのかな? -
鞆の町のメイン通り県道47号線です。
狭くて交通量の多いのだけは変わらないようです。
そして、この先には鞆、唯一の四辻があります。
年配の方達は「四辻で」を合言葉のように待ち合わせした場所だそうです。 -
ガイドコースもそろそろ終わりに近づきます。
ここで、坂本龍馬登場です。
1867年(慶応3年)4月23日、坂本龍馬率いる海援隊の「いろは丸」と、
紀州藩船「明光丸」が瀬戸内海の六島沖で衝突。
鞆の浦へ曳航される途中にいろは丸が沈没。 -
その際、坂本龍馬と海援隊士が宿泊したのがこの2階の隠し部屋だったそうです。
暗殺の危機もかえりみず紀州藩から賠償金の談判交渉をしたのが、『対潮楼』。
鞆の浦は、この日本で最初の海難審判事故の舞台となった場所という事になります。 -
玄関脇に立てかけられたお琴には、
"坂本龍馬宿泊跡 桝屋清右衛門宅"とあります。
竜馬が、この敷居を跨いだのでしょうか?
ちょっぴりロマンです。
話はとびますが、福山市は琴の生産では全国の7割をしめている名産地だそうです。
そして、琴の名曲 "春の海"
諸説はあるようですが、この地に関係が深いのは間違いないようです。 -
ボランティアガイドさんと離れ、
"観光鯛網"の賑わいも納まったであろう"仙酔島"へ渡ります。 -
渡船場から"平成いろは丸"に乗船し5分程。
3年ぶりの島に何故かワクワクしています。 -
島へ上陸。
-
まず、見えるのが
人生が変わる宿"ここから"
本当に人生変わるのかな?
なんて宿泊したのが"鞆の浦"を知るきっかけでした。
もう、4年程泊まっていませんが、
施設の古さと人手不足は変わり無いような気がします。
もし勧めるなら、部屋からの景色は格別ですよとだけ。 -
今日は、島にある"ここから"にも"国民宿舎"にも寄る事はなく、
遊歩道を目指します。 -
良い天気で、景色も、心も晴れ晴れです。
-
遊歩道の終点。
25分程歩いたでしょうか。 -
いつもなら、この終点には誰もいないのですが、
今日は少し様子が違います。
カップルが2組、海からカヌーを漕いで突然現れた人が2人、 -
学校の理科クラブで来ましたというグループが15名程。
引き潮の時間帯に浜で見られる生き物を探しているのだとか。
聞けば、タコやアメフラシなども見つかるらしい。
この終着点は今日は独り占め出来ない様子。
諦めてそろそろ、引き返します。 -
桟橋付近に戻りました。
いつもなら一泊する地です。
これからが、大好きなたそがれ時。
こんなに早く帰るなんて・・・
物足りないような・・・ -
一泊して帰ろかな?
どうしようかな?
葛藤は続きますが・・・
やはり、帰ります。 -
海を覗けばクラゲ。
-
こちらにもクラゲ。
貴方たちも時間いっぱい有りそうね。
私も時間いっぱい持ってるよ。
一緒だね。 -
鳥さんも同じかな。
-
日帰り旅行の自撮り記念です。
-
"仙酔島"バイバイ
-
時間は18:30
だいこくの大好きな、人の居ない静かな"鞆の浦"が戻りました。 -
ここから、バスで福山駅に帰ります。
そうか、猫の街になったのか・・・ -
でも、そういえば"鞆の浦"で悲しい猫事件が報じられたのはつい最近だったような。
-
福山駅到着19:05
ガイドさんの話によると、
福山はバラの町で100万本を目指していて
到達したとか。 -
福山駅在来線ホームです。
前には福山城の敷地が広がります。
電車接近メロディ "百万本のバラ"が流れています。
旅の最後に忘れかけていた、素敵な曲を聴けて嬉しかったな。
さあ、時間は19:20 乗換2回 帰宅予定時刻23:30
きっと、ガタン、ゴトン 寝てしまうんだろうな・・・
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