2017/01/19 - 2017/01/19
202位(同エリア307件中)
三峯霧美さん
友人を誘って、一度行ってみたいと思っていた大洗磯前神社と東国三社巡りに行ってきました。
大洗磯前神社は海岸に立つ鳥居に荒波が打ち付ける姿が印象的。
東国三社は鹿島・香取・息栖の三つの神社が三角形に並び、鹿島神宮と香取神宮は延喜式神名帳で「神宮」の名の付く三つの社のうちの二つという古社。ちなみにもう一つは伊勢神宮です。
大洗の海岸は寒風と荒波を覚悟していきましたが、暖かく風も穏やかな参拝日和でした。
都内在住の友人達との待ち合わせは、つくばエクスプレスの「三郷中央駅」という離れ業。外環出口、常磐道入り口そして都内から一直線の電車の駅、さらに駅前が整備されて待ち合わせのロータリがあるという三拍子そろった待ち合わせ場所です。
気の置けない友人との旅は、毎回楽しさ満載です。
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渋滞を避けるべく早めの出発にしましたが、いまいち時間が読み切れず、遅れちゃいけないと6時前に自宅を出発し、三郷周辺に着いたのが7時前。
早すぎたので、近くのマックでコーヒーを飲みながら時間をつぶし。
8:40 全員がそろったところで出発です。
三郷から常磐道に乗って東水戸道路の水戸大洗ICで降ります。
大きな交差点に立つ大鳥居(一の鳥居)をくぐって駐車場へ。
9:35 大洗磯前神社
友人たちは「もっと小さい神社だと思ってた」という。意外に規模の大きな神社だったそうで。大洗磯前神社 寺・神社・教会
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神社は海岸のすぐそばですが、小高い山全体が神域。駐車場は山を登ったところにあるので、歩いてくると随神門の前に出ます。結構な高さの石段です。
門や拝殿の前は全く潮騒は聞こえてきませんが、この石段の上部に立つと波が砕ける音が聞こえてきました。 -
石段の前に手水舎。
近所のお爺さん、いつも散歩されているんでしょうか、豪快にうがいをしておりました。
おいおい、爺さん、そりゃだめだ。 -
大洗磯前神社 おおあらいいそさきじんじゃ
式内社(名神大)
祭神 大己貴命 配祀神 少彦名命
856年に大洗の海岸に大己貴命と少彦名命が降臨。
昔この国を造り終えて東の海に去ったが、今人々を救うために再び帰ってきたと託宣したそうです。
当時は地震が多発して人々が動揺し、国内が乱れていて、神が混乱を鎮めるために降臨したといわれます。
朝廷が国司の上奏から1年足らずで官社に列する破格の待遇をしたことから、ご神徳が顕著だったことを物語っています。 -
拝殿には大麻が置いてあり、自分でお祓いをしてからお参りします。
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戦国時代に社殿はすべて焼失して荒廃してしまい、小さなお社でお祀りされていました。江戸時代に水戸藩によって再興されます。
現存する本殿・拝殿・随神門はその当時に造営されました。 -
本殿 1730年に造営されたものです。茅葺屋根が美しい曲線を描いています。
ひたちなかの海岸沿いにある「酒列磯前神社」は祭神が少彦名命、配祀神が大己貴命で、神社の由緒はまったく同じです。二つの神社で一つの信仰とされています。
今回は残念ながらひたちなかまで足は延ばすことができませんでしたが、近々にお参りに行きたいです。 -
古社だけあって、摂社末社がたくさんあります。
本殿の両脇にそれぞれ、三社。裏参道に御嶽神社。
境内は気の早い梅がポツポツと咲き始めていました。 -
石段を降りて、海岸へ向かいます。
降りたところにある鳥居が二の鳥居。これもとても大きなものです。
石段の脇には清良神社があります。戦国時代末期にだまし討ちで殺害された小幡城主の小幡宥円の祟りを鎮めるために創建されたとあります。
神社を建ててしまうほどの祟りとは、いったいどんなものだったのでしょうか。 -
御朱印は社務所で頂きました。番号札で管理されて、安心して預けられます。
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道路を渡って海岸へ、ホテルと観光施設の間の路地を歩いて行くと波音が近づいてきます。
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ありました!神磯の鳥居。
神様が降臨したところに立っていて、容易に近づけない聖地です。
夜明けはさぞや綺麗だろうと思ったら、水戸光圀公が月夜の景色の美しさを詠んだ句があるそうです。月夜の幻想的な景色も見てみたい。 -
波が砕ける瞬間を狙って撮影。風が無く穏やかですが、波は荒く砕ける波濤が綺麗です。
元旦の早朝は神職さんが初日の出を奉拝するそうです。
もちろん、一般の方もたくさんいらっしゃるそうです。 -
駐車場の脇にお稲荷さんに続く参道があるので行ってみました。
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茶釜稲荷神社 境内に大甕磯神社と櫛形山神社の石碑があります。合祀されているようです。
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與利幾神社 御祭神は建御名方命。
1772年に清水平太夫が漂流する変わった木片を曳いてきたところ、諏訪明神の霊木であるというお告げがあったので、祀ったという記録があるそうです。
諏訪明神なので、祭神は建御名方命なのかと・・・。 -
拝殿から参道を振り返ると、鳥居は最近作られたようで新しい。
境内の神社で参道、拝殿、本殿があるのはこの神社だけでした。
10:45 大洗から鹿島に向かいます。海岸と並行して走る国道51号線を南下します。
海岸からは500mほど内陸を走るので、海を見ながらのドライブではありません。 -
11:50 鹿島神宮 到着
とりあえず、お腹が減ったので、参道のお店でランチにしましょう。
うちだや
土産物屋の奥が食堂です。入っていくと、入り口のドアの近くは寒いから奥へどうぞと案内されました。昭和の雰囲気たっぷりでまさに「食堂」。
けど、トイレは改修したようでとても清潔で気持ちよく使えました。うちだや グルメ・レストラン
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けんちんうどんを注文しました。うどんが来る間に、土産物屋で販売している漬物を試食させてくれます。
タッパーに入れた漬物を箸で手の平に乗せてくれます。あ~懐かしい昭和がそのまま残っている。「あっち(土産物売り場)で売っていますよ」という試食販売ですね。手拭きのタオルも持ってきてくれました。
けんちんうどん 950円 お味は普通に美味しい。温まりました。 -
12:20 鹿島神宮 大鳥居
以前は御影石の鳥居でしたが、震災の本震と余震で根元から倒壊しました。そのニュース映像の記憶があります。
現在の鳥居は境内の杉の巨木4本を切り出して再建されました。
要石のところで出会った地元のお爺さんから聞いた話は、毎年3月9日は春季祭という大きなお祭があり参拝者がたくさん訪れるそうです、翌10日はそのお祭の片付けで多くの人が鳥居を出入りしていて、すべてが片付いた翌日の11日に震災が起こったので、人的被害が無かったとおっしゃってました。 -
鳥居から真っすぐな参道を歩いて行きます。
神武天皇元年に宮柱を建てたのが創建年とされています。
常盤国風土記には香島の天の大神が高天原から香島の宮に降臨したと記されていて東国随一の古社。 -
楼門は日本三大楼門の一つとされ、1634年初代水戸藩主の徳川頼房により造営されました。総朱漆塗り。
ちなみに三大楼門の他の二つは、熊本の阿蘇神社と福岡の筥崎宮です。
平日ですが参拝者はひきも切らさず、東国三社巡りのバスツアーの方もいるようで。 -
拝殿 その後方に幣殿、石の間、本殿と並びます、いずれも1619年 徳川秀忠の名による造営です。
参道から真っすぐ楼門をくぐると、本殿は右側にあり、社殿は北向に建っています。
祭神 武甕槌大神 たけみかつちのおおかみ -
拝殿の前には、こちらも大麻がありました。お祓いしてからお参りしました。
今回拝観しませんでしたが、国宝で最古最大の直刀、韴霊剣(ふつのみたまのつるぎ)などの宝物を展示している宝物殿があります。 -
本殿 1619年造営 それ以前は奥宮の社殿が本殿として使われていました。
鳥よけらしきものが、下がっていました。 -
社務所に御朱印帳を預けて、奥宮に向かいます。
参道の両側は原生林です。 -
鹿島神宮の眷属は鹿。鹿園がありました。
奈良の春日大社は鹿島神宮の神様を勧請して造られました。
その際、白い神鹿の背に分霊を乗せ、多くの鹿を引き連れて奈良まで行ったと伝えられ、奈良の鹿は鹿島が発祥とされています。
この旅の後、春日大社展で鹿島立神影図を見た時は感動しました。 -
奥宮 祭神 武甕槌大神荒魂
1605年に徳川家康により関ヶ原戦勝の御霊として建てられた本宮の旧本殿。
先日参拝した富士山本宮浅間大社の本殿も、関ケ原の戦勝祈願のお礼でした。あっちこっちで戦勝祈願してたんですね、家康さん。 -
奥宮の先の参道をさらに進み森の中に入っていきます。
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森の奥にあるのは「要石」地震をおこすナマズの頭を押さえてるという言い伝え。
徳川光圀公が七日七晩掘らせても、たどり着かず、けが人続出したので中止したという。
お参りしていると、通りすがりのご老人が立ち止まり「説明しましょうか?」とにっこり笑う。いや~、満面の笑みを無下に断るわけにもいかず。
「語ってもよろしいですかな」って、どっかで聞いたことある、あの感じ。(FF10) -
で、その語り始めたお爺さんによると、香取神宮にも要石があり、鹿島で頭を、香取でしっぽを押さえてるとか、元はナマズではなくて大きな魚という言い伝えだったとか、頭と尻尾を一つの石で串刺しにしているとか。
いろいろお話を聞くことができました。
これからご友人とウォーキングするそうです。こんなところで油売ってる場合じゃないんじゃね?と心配したり。
待ち合わせ場所は参道の辻、ご友人は待ってましたよ。 -
社務所に戻って御朱印帳を受け取りました。
歌手の相川七瀬さんのオリジナルデザインの御朱印帳の領布がありました。
彼女、神社などの聖地巡りの本を出版されているんですね。知りませんでした。 -
頂いた御朱印は二種類、本殿と荒魂の奥宮の二つです。
この日は節分前だったので、授与所で福豆を買い求めました。鬼に投げずに、美味しく頂きました。 -
13:45 香取神宮の一の鳥居は以前は東西南北に四つありました。現在は北以外の三つ。こちらは西側の一の鳥居。「北浦」から流れ出る鰐川の中にあります。
風のない穏やかな日、お参りする人もいませんでした。
東側の一の鳥居は太平洋の海岸に、南側はこれからお参りに行く息栖神社の一の鳥居が代用されています。 -
14:10 息栖神社 いきすじんじゃ
東国三社の一つです。
主祭神 久那戸神 鹿島神・香取神による葦原中国平定時に東国への先導に立った神
延喜式神名帳には記載が無く、国史(日本三大実録)に於岐都説神と記されています。息栖神社 寺・神社・教会
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古くは「おきつせ・おきす」と呼ばれ、香取海に浮かぶ沖洲(おきす)に祀られた神と考えられています。
鳥居をくぐり、参道を進むと1847年の造営の神門があります。
応神天皇の時代、日川の地に創建され、地震と津波にあって、807年に現在地に遷座。実はその旧社地と鹿島、香取を結ぶとほぼ正三角形になるんだそうです。 -
社殿 1722年に造営された社殿は1960年に火災で焼失し、1963年に鉄筋コンクリートで建造されました。残念ですね、華麗と言われた社殿を見てみたかったです。
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本殿脇に礎石が並んでいました。806年に遷座してから、数回建替えが行われて、この礎石はいずれかの時代に使われていたものだそうです。
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拝殿、幣殿、本殿と並んでいます。
社務所で御朱印を頂いて、何気なく御守りなどを見ていると、東国三社巡りのお守りがあるのに気づきました!
小さな三角柱に、三社の神紋をはめ込んで完成する御守り・・・鹿島で気付けばよかった・・・もう手遅れ。 -
境内にあるお稲荷さん、あれ?みんなホッカムリしています。なんかかわいいな。
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お稲荷さんの手水は大黒様と猿がにこやかに迎えてくれます。
神社の祭神の久那戸神は日本書紀ではサルタヒコと同神としています。そしてこの神社の周辺には「猿田」さんという名字の方が多いそうです。ああ、なんかすごいなぁ。 -
さてこれが、息栖神社の一の鳥居、鹿島神宮の南の一の鳥居も兼ねています。神社は常盤利根川のほとりにあり、川の堤防から撮影しています。
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振り向くと常盤利根川。先ほどの鹿島神宮の一の鳥居があった鰐川と、霞ケ浦から流れる川が合流して常盤利根川となり、この先で利根川と合流します。
湖から流れる川なので、とても穏やかです。 -
一の鳥居の両側に忍潮井(おしおい)という井戸が二つあります、社伝によると、日川の旧社地からゴロゴロと自力でついてきたといわれています。
井戸は男瓶と女瓶があり、鳥居の高い方が男瓶です。
こちらは女瓶。水が溜まっている底に土器が埋められて、そこから水が湧きだしているそうです。柵があってよく見えない。 -
見えないね~と言ってると、車でお参りに来た地元の方が、柵の真ん中のチェーンを外して、井戸のそばでお参りしていました。
そういえば、釣りをするなって看板はあるけど、中に入るなって、どこにも書いてない!!というわけで、中に入ってお参りしました。
井戸の底を覗くと、土器が見えた!黒い鯉が泳いでました。 -
御朱印を頂きました。
14:50 香取神宮に向かいます。 -
15:20 香取神宮 車のナビは神宮の山の裏側からのアプローチ。出たところが駐車場でした。
駐車場は無料、土産物屋の並ぶ参道を歩いて行くと、二の鳥居。
まだ初詣客相手の屋台が撤去されていません。香取神宮 寺・神社・教会
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参道はゆっくりとS字を描きながら山を登って行きます。
祭神は 経津主大神 ふつぬしのおおかみ
出雲の国譲りの際、武甕槌神(鹿島神宮の祭神)と共に出雲に行き大国主命と交渉をした神様です。 -
三の鳥居
日本書紀にフツヌシが東国の檝取之地(かとりのち)に祀られていると記されています。檝取はかじとりと読み、航行を司る神として祀られたという説もあるそうです。 -
総門 初詣で大勢の方がお参に来た名残のパイロン。
創建は神武天皇18年と伝えられています。常盤国風土記に記載されているので、かなりの古社。 -
大きな手水舎。神職さんと巫女さんがお賽銭を集めていました。
春日大社が創建されたときに、香取からは経津主命が第二殿に勧請されました。
経津主命は軍神として武家の寄進が多くなされ、江戸幕府からも崇敬を受けます。 -
楼門 1700年徳川五代将軍徳川綱吉による造営、朱色は丹塗。
東国三社巡りのバスツアーに追いつきました。香取神宮 寺・神社・教会
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式内社(名神大) 下総国一宮
拝殿 昭和11年からの大修築で造営されたもので、黒漆塗りのシックな拝殿になりました。初詣仕様で大きなお賽銭投げ入れスペースができてます。
冬の一番日が短い季節、3時半を回ると日が陰り始め、参拝客も少なくなってきました。 -
こちらが江戸時代1700年に造営された拝殿 現在は祈祷殿になっています。
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手前から本殿、幣殿、拝殿。昭和の修造では幣殿が造られて、本殿も大規模な修繕が行われたそうです。
黒漆塗りで統一されて、とてもシックで重々しい雰囲気を醸し出しています。
黒漆は木の緑が鮮やかに見えます。 -
本殿の奥にも行ってみました、静かな茶店が一軒あり、その屋上からは鹿島方面が見通せました。
摂社の六所神社の隣には、香雲閣という、大正天皇が参拝の折に休憩したというレトロな建物があります。
神宮職員の施設となっているのか、改築してレストランやカフェにしたら、参拝客の人の流れも変わってくるのでは、なんて下世話な想像をしてしまいました。 -
三本杉 一本は枯れ死してしまいましたが、源頼義の祈願で三又に分れたと言われています、本殿の脇なので、離れないと画面に納まりません。実はすごい迫力なんですが・・・。
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御朱印を頂きました。
この旅の後、3月にホームページが一新されて、おしゃれになりました。
ちょっとダサかったからね、今まで。 -
鹿島神宮のお爺さんに教えていただいた要石を見に行きます。
あのお爺さん、香取の地図を、泥の地面に鍵の先を使って書いて説明してくれました。
それは、それは、懐かしい所作。泥の地面に棒で地図を書いて説明するなんて、もう何年も見たことのない光景でした。
だいたい、泥の地面なんて探さないと見つからないし。ああ、昭和は遠くなりにけり。 -
立派な祠は護国神社の社殿、そこを通り過ぎると、小さな末社の拝手神社が見えてきます。
その左手に要石がありました。 -
あら、こっちはまん丸だ。鹿島は真ん中が凹んでいましたね。
ここの要石にも、徳川光圀公が掘らせたが、根元を見ることができなかったという言い伝えがあります。 -
この日はあちこちで、黒と渋茶のトラ猫に遭遇しました。また石段を登ってきました。
あら、あなた、さっきもどこかで会ったわね、着いて来たの? -
二の鳥居前の広場に小さくて急な坂道があります、そこを登って行くと奥宮があります。
旧参道脇だったそうです。 -
経津主大神の荒魂を祀っています。
ん~~、この様式、伊勢神宮みたいだと思ったら、昭和48年、前回の伊勢神宮の遷宮の古材を使ったそうです。 -
16:35 参道のお店は店じまいを始めています。すっかり参拝者も少なくなりました。
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わらび餅と厄落とし団子をお土産に買いました。
プルプルのわらび餅はきな粉がたっぷり入って、宝さがしのようです。
厄落とし団子は、オーダーしてから折に詰めるので、ちょっと時間がかかります。でも、お団子は驚くほどフワフワ。餡子ときな粉の二種類が楽しめます、みたらし団子も選べます。 -
駐車場もすっかり人がいなくなって、最後に香取神宮の鳥居を見に行きましょう。
この日は、大磯の海の鳥居、鹿島の川の鳥居、息栖の湧水の井戸の鳥居、そして最後は香取の川の鳥居です。 -
津宮浜鳥居 祭神の経津主大神は、ここから上陸したと伝えられます。往古、神社の表参道口です。
川は利根川ですが、利根川が銚子に流れるようになったのは江戸時代。香取神宮ができた頃は海だったのでしょう。
日が落ちてしまい夕焼けにシルエットの鳥居です。川沿いから国道に出る道がどれも狭くて難儀しました。
佐原市内のファミレスで夕食を取り、電車組の計らいで、圏央道・常磐道を経由し三郷中央駅で解散となりました。おかげで都心を通らずに帰ることができました。
今回は、期せずして、神社と鳥居を見るツアーになりました。津宮鳥居河岸 自然・景勝地
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