2016/12/22 - 2016/12/24
3239位(同エリア12031件中)
あきちゃんさん
- あきちゃんさんTOP
- 旅行記22冊
- クチコミ11件
- Q&A回答1件
- 33,983アクセス
- フォロワー3人
価格の安さに飛びついて、2016年、年末の上海に行ってきました。
往きは3時間、帰りは30分ほど遅れた飛行機…。10m先はかすみ、100m先はおぼろな、スモッグに沈む風景…。
中国訪問は、死線を超える覚悟が求められます(笑)。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.5
- ホテル
- 4.5
- グルメ
- 3.0
- 交通
- 3.0
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- 中国南方航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
名古屋国際空港(セントレア)を午前8時30分のフライト予定。
5時に起き、津なぎさまち港から6時の連絡船に乗って、セントレアへ渡りました。 -
7時過ぎに搭乗手続きを済ませたのですが、ここで「上海行8時55分発MU292便は、出発時間が3時間ほど遅れます」とのアナウンス。
やっぱり中国の飛行機は、遅れるのが当たり前だと思ってるなぁ! -
搭乗が開始されたのは、12時になろうかという時刻でした。
これなら早朝に出かけてこなくてもよかったし、到着した上海での行程にも影響しますが、これも旅の醍醐味ということで…。 -
名古屋-上海間は2時間少々のフライトですが、機内食が出るんですよ。
和食、洋食の2種類あって、パン好きの僕は洋食で…。 -
午後2時50分(上海時間。日本時間は3時50分。以下、上海時間です)、上海に着きました。
広~い空港、いつもの通りの沖止めです。 -
出口で添乗員さんに拾ってもらい、専用バスに乗って、いざ出発!
でももう午後3時50分、どこへ行けますかね(苦笑)? -
ここからはしばらくの間、上海浦東国際空港から市内までの、車窓の風景をご覧いただきます。
何か、ピンボケのような写真が続きますが、ピンボケにあらず…。遠くの風景はおぼろ、近くの光景もカスミがかかったよう。…そう、大気汚染の現実です。 -
数百m先の建物は、カスミのかなた…。
-
数十m先の鉄塔もご覧の通りです。
-
鉄道ですかね。
-
市内に入って来て、ビル群が見えてきました。
-
手前のビルはくっきりしていますが、奥の方のビルはかすんでいます。
北京もたいへんらしいし、地方都市もやり放題らしく、中国の大気汚染対策は喫緊の課題ですね。 -
午後5時30分、閉場時間のない公園へ案内してくれました。
フランス租界に位置するという「復興公園」。お洒落な洋風デザインが人気の公園で、周辺にはレストラン、カラオケ店などがあり、深夜でも賑わっているらしい。 -
高さ6.5mのマルクス、エンゲルス像がありました。
そういえば、ここは社会主義国家だった! -
スモッグにかすむ街を抜けて、夕食会場に向かいます。
-
格安ツアーに慣れている僕ですが(笑)、この値段ではまずまずの食事でした。
-
午後8時30分、今日、明日と連泊する「シェラトン虹口(ホンキュウ)」に着きました。
昭和22年に流行った「夜霧のブルース」(ディック・ミネ唄)の一番に、『青い夜霧に 灯影が赤い、どうせ俺らは 独り者、夢の四馬路か 虹口の街か、ああ 波の音にも 血が騒ぐ』という歌詞があります。(僕はオジサンたちが歌っていたのを聞いた世代ですよ(笑)!)
この歌詞の中の「四馬路(スマロ)」「虹口(ホンキュウ)」という、何か妖しく、それでいて物悲しい響きの言葉が地名であることは知っていたのですが、今回の上海で目の当たりにして感懐を新らたにしました。
戦前、「四馬路(スマロ)」は外国人租界の花街、「虹口(ホンキュウ)」には日本人租界があったのですね。
、 -
第2日目。午前6時起床。 窓からの光景は朝霧(?)にかすむ町並み。10m先の隣のビルがかすんでいます。
-
午前7時、モーニングです。 さすがシェラトン、メニューの豊かさには大満足でした。
-
霧(?)にむせぶ街へ出動です。
-
交通整理のおまわりさん。スモッグの町で、たいへんです。
-
幻想的というか…、住んでいる人も大変ですね。
-
町の開発期に建てられた、集合住宅です。7階建てでも、エレベーターは無しです。
-
ホテルを出て2時間。今日の第一訪問先、蘇州の「太湖」に着きました。中央にかすんでいるのは、「六頂山」です。
「無錫旅情」(1987年、尾形大作歌)には「六頂山から太湖を望めば心の中まで広くなる~」と歌われていますから、当時はスモッグもなかったのでしょうね。 -
琵琶湖の約3.4倍もあるという太湖。その風光明媚ないでたちは、昔から多くの書画・文献に描かれてきました。
-
10人ほどのおじさんたちが、凧揚げをしていました。
左向こうに見えるモニュメントは、「ジャンク船」の帆をかたどったものです。
ジャンク船は中国で古くから用いられきた木造帆船。大型船は海洋船や戦艦にも用いられましたが、小型のジャンク船は漁業などに使われていました。 -
ぐんぐん揚がっていく凧。
しっぽの先端のあたりに、はるか向こうへ揚がっている凧が二つ見えます。(拡大して探してみてください。) -
5人ほどの家族連れが、一層の船に乗り込んで漕ぎ出していきました。
-
2009年に訪問したときはビルや工場が建築中だったように思いますが、無錫市は今や高層ビルが立ち並ぶ大都会です。人口は戸籍人口467万人、常住人口637万に(2010年、ウイキペディア)。
-
バスの車窓から見つけた、バイク用防寒着。
-
後日に見つけた、停車中のバイクにかかっていた防寒着です。綿入れのどてらを、前後を逆にして来ているみたい。風を通さなくて、いいなと思いました。
-
車窓から見た城門と城壁。無錫は有史以前からの6000~7000年に及ぶ長江文明の歴史を持ち、長江南部の穀倉地帯として多くの国が興亡を繰り返した土地ですから、城門・城壁、古戦場などの史跡がたくさん残っています。
-
無錫南禅寺。無錫市の南に位置する古刹。創建は547年、現在の建物は1980年に修復されたもので、境内には大雄宝殿、観音殿、地蔵殿、43.3mの五重塔などがあります。
-
この塔は、運河の水害を鎮めるために建てられたものだとか。
-
本堂です。
-
金色に輝く仏様がおわしました。
-
お昼を無錫市内のホテルで取った後、午後1時30分、「東洋のピサの斜塔」とも称えられる 「虎丘」を訪れました。
-
「虎丘」という呼び名について、『史記』 の記載によると、今から2500年ほど前の春秋時代、越王との戦いに敗れた呉王の闔閭 (こうりょ) がこの地に埋葬されてから3日後、その墓に白い虎が現れたことから 「虎丘」 と呼ばれるようになったという伝説があるようです。
「少し左に傾いています」とガイド君は言うのですが、どう見ても右に傾いているように見えます。「みんな、右に傾いていると言ってるよ」と言うと、「人によって、見方はそれぞれです」と譲らない(笑)。 -
参道に、大きな3本足の器(鼎、鉄器、高さ5mほど)のモニュメントがありました。この鉄器は7、後日の上海博物館でその原型(高さ50cmほど)を見ることになるのですが、今から2500年ほども前に造られた鉄器でした。
ここにこのモニュメントが置かれているのは、呉王闔閭が越王勾践に敗れここ虎丘に葬られたのがBC496年のことなのですが、その当時に中国文明はこれほど精巧な鉄器を造っていたということを誇示しています。
この頃の中国は戦国時代に入っていきますが、すでに武器にも鉄を使用していたのですね。
-
午後3時15分、藕園(ぐうえん)へ。
この庭園は、もともとある夫妻の庭園だったそうですが、清代の光緒年間(1875年~1909年)のはじめ、安徽地方の民政・軍政長官で、江蘇・安徽・江西地方の総督代理の沈秉成が退官後、夫人の厳永華とともに蘇州に移り、隠居する際、この庭園を買い取って、手を加えたものだそうです。 -
ユネスコの世界文化遺産登録証です。
蘇州には現在9つの古典園林がユネスコの世界文化遺産に登録されていますが、ここ「藕園」は2000年に登録されました。 -
窓格子の精巧な造りにも、中国封建時代の富裕層の豪華さが表れています。
ン、中国は今も共産党指導者たちの蓄財は百億円段位ですから、変わってはいませんですかね(苦笑)。 -
調度品にも、手の込んだ造りが見られます。
-
置物や装飾品も名品貴品が取り揃えられていました。
-
見事な池と石組みの庭です。
-
清代の邸宅という風情ですね。
-
「藕園」のすぐ横を走っている大運河です。
610年、隋の文帝と煬帝によって完成した、中国の北京から杭州までを結んでいて「京杭大運河(けいこうだいうんが)」と呼ばれている、総延長2500キロメートルに及ぶ大運河です。 -
完成当時から中国大陸の南北を水運で結ぶ、経済の大動脈でした。現在も活用されています。
日本は聖徳太子の時代、牛馬と人力だけでこの大工事をやり遂げたのは、中国の底力ですね。途中で、黄河と揚子江を横断しています。 -
午後4時、上海へ戻る途中の車窓から見た、下校風景です。
たくさんの父兄が、車やオートバイでお迎えです。 -
午後5時30分、今は岸壁に係留されている豪華客船を改装したレストランで夕食です。
-
このツアーのうたい文句は「旬の上海ガニ付き」。 …で、この夜の夕食に各人一杯ずつのカニが付いてきました。
身の丈10cmほどのカニちゃん、しかしツアー代金を考えれば、なんの不平不満もありません(苦笑)。 -
午後7時30分、夕食のあとは外灘(ワイタン、英語バンド)へ。
今夜は、ナイトクルーズ船に乗ります。 -
この一帯は19世紀後半から20世紀前半にかけての租界地区(上海租界)であり、当時建設された西洋式建築物が建ち並んでいます。
-
租界時代の行政と経済の中心であったことから現在も官庁と銀行が多く見られますが、プラダ、シャネルなどの名店や、租界時代のレトロな雰囲気を売り物にしたレストランなどが軒を連ね、お洒落な雰囲気も醸し出しています。
-
一帯は、はじめはイギリス租界。のちアメリカが進出して、共同租界となりました。
-
OPツアー、ナイトクルーズに申し込み、遊覧船に乗り込みました。
-
川面から見る、外灘の風景です。
-
中央のとんがり帽子の建物が「紅海関(上海海関)」、その左のどっしりと輝くビルは「旧香港上海銀行ビル(上海浦東発展銀行)」、右は「旧交通銀行ビル(上海総工会本部)」。
往時の面影を今に伝えているビル群です。 -
外灘の対岸、新開地は躍進する上海を象徴する、近代的なビルが林立しています。
-
上って下って、往復約50分ほど。 午後9時、黄浦江ナイトクルーズ終了です。
-
岸辺のレストラン。どこかお洒落です。
-
午後9時30分、ホテルへ帰着。
-
第3日目。今日も霞む街へと繰り出します。
-
朝方、珍しく青空が顔を見せました。
-
街角で、道案内をする警察官。中国の警官も、親切じゃないか!
-
長江文明を展示する「上海博物館」。
-
虎丘の斜塔の前にあったモニュメント同じ器です。約2500年前の鉄の器です。
-
お父さんが子どもたちに、熱心に説明していました。
-
つぎは、フランス租界です。
-
立ち並ぶ洋館の一軒に、「周公館」の看板がありました。
共産党と国民党による第4次国共内戦前夜の1946年6月に、中国共産党代表団の上海事務所が設立された場所です。
中華人民共和国の黎明期、周恩来首相が起居し、活動の指揮をとった館であることから、「周公館」の名まえがあります。。
-
周恩来首相が仕事をし、寝起きした部屋です。
-
つぎに訪問したのは、新しい街「田子坊」です。
上海の路地裏の雰囲気に浸りながら、食事やお買い物が楽しめる「田子坊」。ショップの入れ替わりも激しく、行くたびに新しいお店がオープンしているといいます。 -
お洒落なオープンデッキのカフェ(?)がありました。
-
訪れる観光客も国際的です。
-
でも、頭の上にはパンツが…。中国的というべきか(笑)。
新しいオシャレな街「田子坊」。ちなみに読み方は「タコぼう」ではなく「でんしぼう」です。 -
昼食ののち、「豫園商城(よえんしょうじょう)」へ!
江南の名園として知られる「豫園」を取り囲むように広がるのが「豫園商城」。門前町みたいなものですね。
明清代風の街並みに老舗レストランや商店がひしめき、上海を訪れた観光客はもちろん、地元の人たちも買いものに街歩きに足を運ぶ名所となっています。 -
左手に見えているとんがり屋根の建物が、140年の歴史を持つ、上海で最も古い茶楼「湖心亭」。豫園商城のランドマーク的な建物ですから、迷ったらここを待ち合わせ場所とするとよいでしょう。
池にかかる橋を渡ると「豫園」の南入口なのですが、ごった返していてなかなか渡れません。ツアーのここでの滞在時間は30分。橋を渡るのに10分、往復20分。とすると、「豫園」の園内滞在時間は10分! -
10年ほど前に来た時の名園のたたずまいが忘れられなくて、ここまで来て「豫園」を見ないでは帰れないぞ!と思い、急いで入園券を買いました。
-
「豫」は愉を示し、すなわち「楽しい園」という意味。面積は約2万㎡。
もとは四川布政使(四川省長にあたる)の役人であった潘允端が、父親のために造園したもので、1559年(嘉靖38年)から1577年(万暦5年)の18年の歳月を費やして造営されましたが、完成した時には父は亡くなっていたといわれています。 -
大きな太湖石をくり抜いた通路をくぐって進みます。
太湖石は、太湖の湖底から引き揚げられた石で、石灰質の泥が固まって千変万化の形を形成しています。中国の庭園によく用いられていて、巨大なものを据えることは富と権力の象徴となるとされました。 -
かつて見た名園が現れました。
-
すでに制限時間の10分は過ぎていて、もう急いで戻らなくてはなりません。
-
帰りも人混みをかき分けて戻り、集合時間にはセーフ!
ガイドくんが、「えっ、庭園に行ったんですか。よく時間内に戻ってこられましたね」と言っていました。他の人たちは、皆さん、商城のお店屋さんをのぞいていたらしい。 -
ツアーバスの駐車場所まで歩きます。
商城内の各店は、朝8時半オープン、夜は9時ごろ閉店です。国営店が多いのも特徴。サービスは期待しないように…。店員さんは「陽気で大雑把でおせっかい」という、典型的な上海人のおばちゃんたちで固められています。…と上海ナビの情報です。 -
豫園商城内では雑貨の買い物をしないように! 商城の雑貨市場では、まずは品物と値段を見るだけ。そして、豫園商城からたった数10m離れるだけで値段が数分の1に変わるんです!。…と上海ナビの情報②です。
-
豫園商場を後にして、移動バスの車窓から見た大きなバスターミナルです。
-
午後1時30分、最後の訪問地の「新場古鎮」へ立ち寄りました。
-
はりめぐらされた水路に石橋…、水郷古鎮のお約束の光景ですね。
でも、石橋の左上に近代的な新しい住宅が建てられていました。古い情緒ある町並みが売り物の古鎮で近代住宅…って、余程の覚悟で建てたのでしょうね。
歴史的な風景を保持しようとする、景観条例なんかはないのでしょうか。 -
水路のところどころに、趣きのある橋が架けられ、腰掛になった欄干にはお年寄りたちが座って談笑しています。
-
コーヒーを飲ます店や、食堂、レストランなんかがありました。
もちろん、お土産や手芸品などの店も並んでいます。 -
この水郷で一番大きな「千秋橋」。
午後2時15分、新場古鎮に別れを告げ、上海浦東空港へ向かいました。
3時20分、空港へ到着。 -
午後5時15分出発予定が、25分の遅れ! 中国の飛行機は、遅れるのが当たり前とは覚悟していたのですが、セントレア港から津港へ渡る高速船の最終が午後10時00分出航です。
この飛行機、予定では9時20分にセントレア着なのですが、出発で25分遅れていますから、このまま着いても9時45分。フライト時間が長引くと船に乗れず、ホテル宿泊も覚悟しました。
でも、パイロットくんがスピードアップしてくれたのか、9時40分にセントレア着。荷物は全て機内持ち込みにしていましたので、急いで入国審査も通過し、そのまま乗船場へ。すでに乗船が始まっていた船に滑り込み、無事帰宅しました。
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
上海(中国) の旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
92