2017/03/27 - 2017/03/28
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ペコちゃんさん
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小学校も春休みに入った3月下旬に、孫とジジ・ババの3人で1泊2日の房総ドライブに出かけました。
8時に家を出て、いつもの首都高の渋滞に巻き込まれながら「海ほたる」に着いたのは10時半。
午前中は雨天で風が強かったので、しばし海ほたるで休憩を取り、最初に向かったのは「東京湾観音」。
その後は浜金谷で昼食をとり、雨も上がったので「鋸山」へ。
15時半過ぎに下山し、まだホテルに向かうのは早いので、南房総突端の「野島崎灯台」と「洲崎灯台」へ回り、夕陽を見ながら18時過ぎに「館山シーサイドホテル」に到着。
翌日は「館山城」に行き、その後は外房に向かいました。
写真は、ツツジに彩られた館山城。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 家族旅行
- 一人あたり費用
- 1万円 - 3万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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「海ほたる」から内房に入り、館山自動車道・富津中央ICで降りて「東京湾観音」へ・・・東京湾を一望できる南房総国定公園の大坪山(標高120m)に建てられたこの観音様、高さは何と56mもあります。
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この観音様は、戦没者慰霊と世界平和の想いから、宇佐美政衛翁が私財を投じて昭和36年に建立した救世観音像で、常に私達の幸せを願う安らかなお顔をしています。
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千葉県君津市で生まれた宇佐美 政衛(うさみまさえ:1889~1977)翁は14歳で上京し、26歳の時に材木商として独立。
その後、全国に山林を求め、治山治水のための造林事業に一生を尽くしました。 -
観音様の前に建てられた宇佐美夫妻の像。
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東京湾観音の原型を作ったのは、千葉県鴨川市生まれの仏像彫刻家・長谷川昴(こう:1909~2012)・・・観音様の胎内にも彼の作品が多数あります。
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2013年の新聞記事。
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地下10mに埋められた16本の柱が、56mのコンクリート像を支えています。
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観音像入口の近くにある「観世音像建立趣意」の銘板。
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中に入ると、戦没者慰霊の祭壇があります。
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その右には不動明王の像。
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観音様の胎内には、天上界へと続く324段の「らせん階段」があり、安置された彫像をゆっくりと拝観しながら、一歩一歩、人生のように踏みしめて20階まで登って行きます。
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” 自分にきびしく 他人に寛容なれ ” ・・・人としての教えを書いた紙が、随所に貼られています。
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胎内の各階には、七福神や十二支守り本尊など、長谷川昂による23体の像が置かれています。
これは、2階の文殊菩薩。 -
七福神は、3階の恵比須様から9階の布袋様まで各階に飾られています。
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6階の弁財天。
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9階の布袋尊。
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安房国・小湊で生まれた日蓮大師の像は、10階にあります。
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12階のマリア観音。
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13階の虚空蔵菩薩。
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13階は観音様の腕があり、展望台になっています。
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天気が良ければ富士山も見えるそうですが・・・
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階段を、もうひと頑張り・・・
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観音様の左耳の穴の部分(18階)。
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右耳の穴からは、駐車場が見えます。
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やっと20階に到着・・・約20分かかりました。
「天上界」・・・何だか良い響きです。 -
浦賀水道に面した富津岬。
今日は天気に恵まれませんでしたが、天気が良ければ天上界からは富士山や夕焼けも美しく見えるそうです。 -
東京湾観音の御本尊。
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孫が書いたお札を御本尊に納めました。
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胎内七福神参りのスタンプをパンフレットに押して、受付に見せると、お箸のプレゼント。
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再び富津中央ICから館山自動車道を走り、富津金谷ICで降ります。
午後1時半なので、昼食は「the Fish」の一角にある「地魚回転寿司 船主(ふなおさ)」へ。 -
回転寿司の店なのに、お寿司が回転しておらず、個別注文で握ってもらいます。
大好きなエンガワが、こんなに美味しいとは!・・・いつも行く近所の回転寿司の三倍の厚さはありました。
お寿司好きの孫も大喜び! -
昼食後、雨も上がったので鋸山日本寺へ。
凝灰岩で出来た標高329.4mの鋸山は、房州石と呼ばれた良質石材の産地で、江戸時代から盛んに採石が行われ、1982年まで続いていました。
現在も石切場跡はそのまま残っており、露出した山肌の岩が鋸の歯のように見えることから、鋸山と呼ばれています。 -
ロープウェー乗り場に行ったら、強風のため運休。
そこで、大仏広場に近い東口の駐車場へ向かい、東口管理所で拝観料(600円)を払って進みます。 -
これは、入ってすぐの所にある「大黒堂」・・・昭和14年の大火で焼失した後、平成17年に再建されました。
ここには、弘法大師が彫ったと言い伝えられている大黒尊天が祀られています。 -
大仏広場の奥には、高さ31.05mの大きな大仏様が鎮座しています。
奈良の大仏が18.18m、鎌倉の大仏が13.3mであることを考えると、圧倒的な大きさです!
天明3年(1783)に完成した当初は、台座共9丈2尺の磨崖仏像でしたが、江戸末期に自然の風蝕で崩壊し、昭和44年に現在の姿に復元され、すぐ近くまで行って見上げると、その大きさが分かります。 -
正式名称は「薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)」。
鋸山の中腹に彫られたこの大仏は、瑠璃光を以て衆生の病苦を救い、病苦を救う医薬の仏様で、左手に薬壺を持っているのが特徴です。 -
曹洞禅宗の日本寺は、聖武天皇の勅詔で行基によって725年に開山し、開山当時は七堂十二院百坊と国内でも有数の規模を誇り、良弁・空海・慈覚などの名僧も立ち寄ったそうです。
境内の参道は、御影石の階段が全部で2,639段もあります。
山頂展望台を目指して、こんな石段をしばらくテクテク・・・ -
鋸山自体が岩山なので、トンネルもあります。
これは「通天閣」。 -
通天閣の先にある「西国観音」。
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今度、5年生になる孫も元気に展望台までやって来ました。
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東京湾入口の浦賀水道、その先は三浦半島・久里浜・・・美しい眺めです。
天気が良くなり、ラッキーでした。 -
採石場跡の高さは100mあるとか。
この人工的に削られた絶壁を上から見ると、足元がゾクゾクします。 -
この岩山の先端が、有名な「地獄のぞき」。
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先端は・・・風も強くて、吹き飛ばされそう。
「地獄のぞき」という名前がピッタリな、高所恐怖症の人にはあまりお勧めできないスポットです。 -
でも、” 折角来たのだから ” と、皆さん、次々と地獄を覗いています。
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地獄のぞきの下にあるのが、直角に切り出された石に囲まれた「百尺観音」・・・戦没者と交通犠牲者供養のために発願され、昭和35年から6年の歳月をかけて昭和41年にかつての石切場跡に彫られました。
その名前の通り、百尺(30.3m)の高さを誇ります。 -
1,553体の石仏が並ぶ「千五百羅漢道」を散策しながら、大仏広場に戻ります。
江戸中期の名工・大野甚五郎とその門弟達が、約20年かけて掘り上げた道沿いの石仏は、表情も顔も千差万別。
自分にそっくりの石仏に必ず出会えると言われていますので、訪れた際はぜひ探してみて下さい。 -
百体の観音様が並ぶ「百躰観音」。
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阿修羅のような石像もあるし、あせかき不動もいます。
この「あせかき不動」は戦国武将の尊祟を集めた不動様のようです。 -
色々な表情をした羅漢像は、見ていて飽きません。
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江戸蔵前の大口屋平兵衛が寄進した宝篋印塔。
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羅漢像の中には首の無いものが沢山みられます。
これは明治期の廃仏毀釈によって破壊されたものです。 -
案内板に ” 茫々たる宇宙人無数 幾箇の男児が是れ丈夫 ” と書かれた「不動滝」・・・かつては立派な滝だったのでしょう。
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「護摩窟」。
初めての鋸山日本寺は見応えがありました。 -
まだホテルに行くのは早いので、「野島崎灯台」に向かいます。
ヤシの木が続く86号線を走れば、まさに南国気分。 -
野島埼灯台は「白鳥の灯台」とも呼ばれ、わが国で2番目に古い、美しい灯台です。
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房総半島の最南端・野島崎に立つ、白亜の八角形をした野島崎灯台は、明治2年にフランス人技師・ウェルニーの設計によってつくられた日本最初の洋式8灯台のひとつです。
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岬の先端にある、「房総半島最南端の地」の石碑。
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太平洋の荒波に、心も洗われます。
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「絶景 朝日と夕陽の見える岬」という案内板がありました。
確かに最南端なので、朝日と夕陽を見ることが出来るのですね。 -
激しく岩にぶつかる波。
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西側に回ると、白浜温泉の街が見えます。
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まだ17時前なので、サンセットには少し早い。
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白浜町(現在は南房総市)は花の栽培が盛んで、キンセンカは全国シェア40%で日本一ですが、漁業も盛んです。
特に、海女の素もぐりによるアワビ・天草などの漁が有名で、約400人の海女が農業との兼業で活躍しています。 -
房総半島の先っぽには、もう1つの灯台「洲崎(すのさき)灯台」があります。
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大正8年に点灯を開始した洲埼灯台・・・高さ約15mの灯台で、対岸の三浦半島にある剱埼灯台とともに、東京湾の入り口を守る灯台として、航行する船舶の安全を支えています。
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晴れた日には、富士山や伊豆大島、三浦半島などを眺めることができる、絶景のビュースポットです。
眼下には栄の浦漁港と館山湾が広がっています。 -
北側を見ると、中央の少し高くなった所が、今日登った鋸山。
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西側は、視界が良ければ三浦半島の先に富士山が見えるのですが・・・
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館山のホテルに向かう途中、美しい夕陽が見えました。
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今回泊まるのは「館山シーサイドホテル」。
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中央の円形建物は1階がフロント・ロビー、2階が大浴場で、2階建ての宿泊棟は左右につながっています。
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自家源泉のたてやま鏡ケ浦温泉の湯を引き入れたオーシャンビューの大浴場。
海を見下ろす大きな湯船で、日ごろの疲れを癒して寛げました。
(写真は翌朝撮ったもの) -
そして、客室もオーシャンビュー。
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お楽しみの夕食・・・刺身の舟盛り・伊勢海老・キンメ・天ぷらにお寿司等など、ボリューム一杯の美味しい食事でした。
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二日目。
朝食前に、ホテルの前に広がる北条海岸を散策。 -
海の香りが体を包みます。
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写真では殆ど分かりませんが、富士山が見えました。
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遠くに見える館山城も鏡ケ浦を見下ろしています。
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北条海岸にはフェニックスが植えられ、南国・宮崎のようです。
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ホテルに戻って朝食・・・あら煮やミニコンロを使って自分で焼き上げる干物など、朝食バイキングも美味しく頂きました。
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ホテルをチェックアウトして館山城に立ち寄り。
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館山城は、館山市民に憩いの場として親しまれている城山公園の丘陵頂上にあります。
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頂上までは70mと低く、気軽な散歩コースですが、登り坂なので汗をかきます。
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天正18年(1590)に里見氏によって築城された館山城は、慶長19年(1614)に廃城となり、破却されました。
現在の天守は昭和57年に再建され、館山市立博物館分館(八犬伝博物館)となっています。
青空に映える白亜の天守は、館山のシンボルですね。 -
170年に亘り安房を統治した里見氏は、10代目・忠義の時、言いがかりによって改易(身分の取り上げ)させられ、遠く伯耆国(鳥取県)佐倉の地で失意の内に病没し、側近の8人も殉死しました。
8人の戒名には、「賢」の字が付けられて八賢士と呼ばれ、曲亭馬琴(滝沢馬琴)が書いた長編読本『南総里見八犬伝』の「八犬士」のモデルであると言われています。 -
天守の下にある広場から見た、館山の街並み。
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館山城は模擬天守ですが、市立博物館別館として、里見氏を題材にした『南総里見八犬伝』の資料を多く展示してあり、見応えがあります。
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天守閣の最上階から海側を望むと、眼下には館山の市街地と美しい館山湾が広がります。
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右側に白く突き出ているのは、沖合い約400mまで伸びた「館山夕日桟橋」。
館山城の後は、外房へ向かいます。
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