サンチアゴ旅行記(ブログ) 一覧に戻る
毎年1月は割と暇です。学会や用事もなく、年末年始人が休んでいる間に働いて中旬にゆっくり南半球を目指します。夏冬逆なので、南半球がいいのです。日本が寒い時に、暖かい(暑い)所へ行くのです。東南アジアもいいのですが、せっかく長く休みやすいので好きな中南米に行くことが増えます。オーストラリアとニュージーランドにも一度は行きました。景色はいいのですが、アングロサクソンは所詮食事がイマイチなので一度で十分です。食べ物の美味しいラテン民族の方が好きなので、中南米の方が魅力的です。<br /><br />最初は、以下の順番で訪れる(アメリカの場合、時差の関係で東から西へ移動したほうが時間的に有効)見積もりを取ったのですが、欧州経由でした。ブエノスアイレス、メンドーサ、サンティアゴ。それはともかく、念のために逆ルートで見積もりを取ると約25万円と安く33万円と8万円も違うので、もちろん迷わずこちらにしました。アメリカ経由です。経由はどちらでも構わないのですが。それと広いアメリカと違い、今回のチリ(夏時間)とアルゼンチン(日本と同じく夏時間は採用していない)はどちらも日本との時差が12時間と時差が同じでどっちから回っても関係ないのでした。<br /><br />週に1回の外来での定期的仕事のある火曜日だけはなるべく休まないようにしていますので、いつものように水曜日に出発して一回だけ火曜日の代診を後輩に頼み、ギリギリの月曜日に帰国です。そうすると目いっぱいで13日間休めます。時差の関係で、帰りは3日かかります。行きも2日かかります。だから、9泊13日の旅です。<br /><br /><br />【1月11日(水)~12日(木)】<br />福岡空港を15時に出発して、チリのサンティアゴに到着したのは翌日の18時過ぎ(日本時間)(現地午前6時)で、合計約27時間ちょっとです。幸い、私にはどうもありません。サラリーマンのように仕事でないので、若い頃から格安航空券で旅行をしています。もちろんエコノミークラスです。ヨーロッパも当時は「南回り」と言って東南アジアの国々、中近東を経由して(3~4回乗り換え)30時間近くかけて行っていました。空港だけとはいえ、色々な国を訪問できてむしろ面白かったです。<br /><br />今回は主にアメリカン航空の便です。FUK-HND-LAX-SCL の順番です。福岡から成田空港ではなく、羽田空港経由でした(二度目かな?)。帰りはダラス経由ですが、行きはロスアンゼルス経由でした。<br /><br />今回は「夏時間」のチリに午前6時過ぎに着いたので、飛行機からは暗くて灯りしか見えませんでした。夏時間だとちょうど日本と12時間の時差で計算が簡単です。午前、午後が入れ替わるだけです。次に行くアルゼンチンは夏時間がなく、常に日本と12時間の時差のようです。さすがに、ちょうど日本の真裏です。せっかく窓側の席をとってあるのに。残念!ロサンゼルス空港で入国審査(乗り換えでも)のため、一度預け荷物も受け取り預けなおしたのに、サンティアゴ空港で荷物が出てきません。ほとんど諦めて、紛失荷物手続きに並んでいました。最後に、念のためその辺に並べてある荷物を見ると、自分のバッゲージがありました。よかった! 翌日以降にホテルに送ってもらうと面倒です。こういう時のために、2日分の着替えなどは手荷物に入れてあるとはいえ。<br /><br />現地は夏なので、上着を脱ぎました。まだ早朝なのでそんなには暑くありません。でも、だんだん暑くなりセーターも脱ぎます。いつものように、まず空港でキャッシングをします。事前に1(チリ)ペソは約0.17円と調べていますので、2万円弱、10万ペソほど引き出しました。海外旅行のコツですが、慣れない外貨の場合端数はどうでもよく、桁を間違う方が大変なので、暗算では5か6で割ればいいのです! <br /><br />ホテルは分かりやすい街の中心部で予約しているので、安い普通のバスで空港から地下鉄の駅まで5千ペソ程度で移動し、地下鉄はもっと安くたったの660ペソでホテル近くまで行けました。チェックインには早すぎるので荷物だけ預け、早速、知り合いのチリ人から聞いていた近くのモネダ宮殿(大統領府)でのCambio de Guardia(衛兵交代式)を見に歩いて行きました。モネダ(Moneda)とはスペイン語で money、つまりお金の意味で、もともとは国の造幣局だったようです。<br /><br />次にカテドラル(サンティアゴ大聖堂)を見学。厳かな教会を訪れるのは好きです。気持ちが安らぎます。そして、サンタ・ルシアの丘へ。もともと要塞らしく、今は石造りの堅牢な建物跡があるだけですが、公園のようなものです。先ほど通ったアルマス広場の公園近くに大衆食堂が並んでいたので、戻って行き1000円ちょっとで食べれるステーキ(目玉焼き付き)を注文しました。<br /><br />私は安上がりで気楽な街歩きが好きです。ちょっと疲れたので時間もいいし、一旦ホテルへ戻り休憩しました。それから、地下鉄で移動し、サン・クリストバルの丘へ行きました。有名なリオデジャネイロのコルコバードの丘に立つキリスト像のような、マリア像を見に行きました。ボリビアのコチャバンバにも同様の像がありました。麓まで行き、ロープウェイに乗るのですが、途中で動物園があり降りました。せっかくだからと降りたのですが、別料金です。でも、一旦降りたら次のロープウェイまで時間があるので、動物園を見ることにしました。結論から言うと、時間のムダでした。再度ロープウェイに乗り頂上に行くと、高台にあるので市内が見渡せます。高いところには必ず行きます。スモッグのせいかはっきりとは見えませんがアンデス山脈があり、ほんの一部頂上に雪が残っています。<br /><br />休憩所でコーラでも飲もうとしました。すると、地元の名物らしい冷たい飲み物があるようです。濃い紅茶のような色の液体で底のほうにだんごというか小麦を練ったようなものがたくさん沈んでいて、その上にピーチ(ドライフルーツ?)のような果物が入っているようです。試してみると美味しい! この後、街のあちこちで売っているのに気がつきました。時々、飲みました。Mote con huesillos という名前の飲み物でチリ名物のようです。<br /><br />夜は迷わず Cena show つまりDinner show へ行きました。マイクロバスが迎えに来るのですが、珍しくアメリカ人はいず、全てブラジル人でした。明らかにおかまの若い男性二人と中年女性3人連れで1人だけ子どもがいました。客全体でもアメリカ人がほとんどいないらしく、英語の説明がなく全てスペイン語で少し残念でした。たまに単語が聞き取れるけど、もちろんスペイン語は分かりません。<br /><br />最初の演奏の始まる前に10分以上もお客が勝手に出演者と一緒に写真を撮りに行きます。やはり、日本人とは違います。自由すぎます。パナマで見たような民族衣装で女性がスカートを優雅に広げたりするダンスもあります。よくあるように踊り子に呼ばれ一緒にみんなの前で踊りました(踊らされました?)。途中で、その写真を1枚5千ペソで売りに来ました。若い頃なら買わないのですが、歳をとると気が大きくなるのか記念に衝動買いしました。<br /><br />ただ、想定外だったのが、イースター島がチリの所属であるせいか、意外と太平洋の島々のような衣装とダンスがあったのが印象的でした。食事も中南米のどこかで食べたことのあるセビーチェ(魚の酢漬け、日本で言えば酢の物か?)も美味しく、メインのトマトソース味のサーモンもボリュームあり美味しかったです。デザートもクレープ風で満足です。以上送迎付きで45000ペソ(8千円程度)ですから満足しました。<br /><br />丸48時間以上経ってようやくコンタクトレンズ(2週間使い捨て)を久しぶりにはずし、最近治療を始めたCPAP(経鼻的持続陽圧呼吸療法)を使い寝ました。睡眠時無呼吸症候群のためです。おかげでだいぶ眠りの質は良くなりましたが、まだ夜中に1回程度目が覚めます。<br /><br /><br />【13日(金)】<br />さすがに、長旅の後の最初のベッドでの睡眠でしたから珍しく8時過ぎまで熟睡できました。若い人には分からないでしょうが、普段は歳をとるとなかなか若い頃のように爆睡はできません。すぐ目が覚めるのです。歩いてすぐのエンテルタワーに行きましたが、何故か登れないと断られました。スペイン語でよく分かりませんが、autorizacion つまり authorization(許可)が必要ということらしいです。でも、サンティアゴ出身の知人に勧められたタワーなので詳細、理由は不明です。  <br /><br />ホテルは一旦チェックアウトしましたが、最初からの予定通りまた戻って来るので大きなカバンとCPAPはこのホテルに預けました。サンティアゴだけだと4日間も見るほどのものはなさそうで、最初から途中でどこかへ行くつもりでした。でも、地元の旅行会社で相談しても2泊程度で手頃なところはなさそうです。そこで、事前に調べていたバスで2時間程度の西海岸のビーチ、Vina del Mar(ビーニャ・デル・マール)へ行くことにしました。ホテルはエキスペディアで予約しました。少し高くても歩いてビーチへ行けるところを選びました。<br /><br />パソコンを入れたリュックだけの軽装で移動です。バスは快適で2時間でビーニャ・デル・マールへ到着。でも、ホテルまでは少し遠いのです。スマホは持っていないので、地球の歩き方の地図だけが頼りです。眺めの良さそうな高台へと歩いてと思いましたが、結構遠いのでタクシーにしました。3千ペソ(550円程度)足らずです。ビーチ(太平洋です!)が見え絶景です。でも、苦労してタクシーを拾うと相乗りで、しかも方向が反対だと言われ乗車拒否されました。でも、私の地図では地名は複雑でも方向は合っているはずです。何とか、軍服(海兵隊?)を着た若者数人に聞くとスマホでホテルを調べてくれ、大体の方向(先程の方向で合ってました)と歩いて20分くらいと教えてくれました。海岸沿いにビーチを見ながら歩くと、昨夜調べていたメトロと呼ばれるローカル電車の駅が見えます。それを指標に歩き、バルでコーヒーを注文し、若い店員にホテルを聞くと同じくスマホの地図で調べてくれ、すぐ近くだとわかりようやく無事にホテルに到着しました。ただ、値段の割にはこじんまりしたホテルでした。<br /><br />早速、晴れているので歩いて10分のビーチへ。先ほど通過したビーチです。もちろん、本を持参し、サングラスも準備しています。このビーチは泳ぐのにはあまり適していません。まず、水が冷たい。波も荒くて少し危険です。2,3度海で軽く泳いで、1時間半ほど過ごしホテルへ戻りました。そのまま、ホテルの小さなプールサイドで読書を続けました。<br /><br />夜はタクシーで街中のカジノへ。でも、ホテルで呼んだタクシーにしては少しぼられたようで、1万ペソも取られました。珍しく、地球の歩き方のレストランを目指していくとありません。4~5年前のですから、店が代わっていました。我ながら、アホです。チリの西海岸なので迷わず代わりのシーフードがありそうな店を探しましたが、味付け等がイマイチでした。<br /><br />カジノも珍しくパスポートでの身分証明不要。ここではいつものブラックジャックをしましたが、変なルールでした。絵札とエースが出たらブラックジャックで1.5倍の配当ルールがないのです! 確かにブラックジャックとは書いていません。スペイン語とはいえ、21としか書いていません。絶不調でほとんど負けてばかりでした。キャッシングした10万ペソのうち、6万ペソ(1.1万円程度)でいつものように勝負します。1時間半ほど遊んで2万ペソまで目減りしたところで理性が働き止めました。帰りはタクシーですが、ホテルの名前を憶えてなくスペイン語しか通じず、冷や冷やでしたが方向はわかっていたので何とか無事に帰り着きました。来る時の1万ペソぼられたのに比べ、帰りはかなり遠回りしたはずなのに6千ペソでした。やっぱり!<br /><br /><br />【14日(土)】<br />午前中はせっかくなので、プールサイドで日光浴しながら本の続きを読もうと思っていたのですが、何と今朝はどんより曇っています。それならと、部屋から出ずインターネットラジオで音楽を聴きながらのんびり読書しました。<br /><br />昨日通過したメトロに乗り、たった5駅の Valparaiso(バルパライソ)へ行きます。ここは街並み自体が世界遺産です。急坂が多く、Ascensor(小さいケーブルカー)がたくさんあるユニークな街並みのようです。地名は「天国の谷」を意味します。英語なら、Valley of paradise ですね。<br /><br />早速、駅から一番近いケーブルカーを探しますがわかりません。老若の女性たち(労働者?)に入り口を聞くと、年配のおばちゃんが恋人のように私の腕を取ってすぐそばだけど分かりにくい入り口まで案内してくれます。残りの女性たちはヤンヤの歓声です。私も振り返って、大げさに手を振ってみせます。大したことではないですが、このようなエピソードが明るい南米らしくて楽しいのです。<br /><br />歩いていくつかのアセンソールに乗ります。向かい側のカラフルなペンキ塗りの家や板壁や崩れかけた土壁にもカラフルな絵が描いてあります。そして、あちこちにカラフルな壁画があり、場所によっては階段にまで絵を描いています。青空美術館 (Museo a Cielo Abierto) という名の一帯もあります。チリの有名な画家ロベルト・マッタの作品だそうです。だから、この街自体が世界遺産に登録されているのでしょう。<br /><br />ちょうど割と大きなアセンソールを上がったところが観光地らしく少し高級そうなレストランもありました。眺めが最高で、このカラフルな街並みと港が見えます。よく見ると、チリ海軍の軍艦もあります。せっかくだから、奮発してロブスター料理(約3500円)を注文しましたが、味付けはイマイチでした。でも、付け合わせに頼んだチリ・サラダというのはトマトと玉ねぎだけのシンプルなものでしたが気に入りました。<br /><br />時間的に、インターネットカフェを探し(パソコンは持っていても、ホテルと違い Wi-Fi がないので)明日のサンティアゴに戻ってからのアンデス山脈ツアーを予約しました。でも、午前中の分は売り切れで何とか午後2時半からのを予約しました。メトロでVina del Mar へ戻り、バスで2時間かけサンティアゴに戻りました。同じ道のはずなのに、来る時には気がつかなかったぶどう畑やオリーブ畑がたくさんあります。イタリアのようです。日本でもチリワインは有名です。<br /><br />夜は珍しく、ホテルの近くのレストランに行ったら安っぽい店で完全に失敗でした。セヴィーチェも量が多いだけであまり美味しくなく、prima vera(たぶんイタリア語と同じで春)special という名前のサラダにいたっては完全に名前負け。コーン、ブロッコリ―、ピー(エンドウ豆?)などは冷凍食品を疑わせるほど不味い。やはり手を抜いて近場で済ませるとろくなことはありません。<br /><br /><br />【15日(日)】<br />いよいよサンティアゴも実質最終日です。朝は、少し郊外の Sky Costanera(コスタネラセンター)へ行きました。でも、9時に行っても日曜日だし閑散としています。どうも、銀行街のようです。人もいないし、従って空いている店もほとんどありません。ようやく、喫茶店を見つけ時間を潰しました。1月なので日本でいう7月で夏とは理解していましたが、毎日思ったより暑く昼間は33度くらいまで上がります。<br /><br />日焼けした両腕の前腕部だけに水泡が出ました。えっ、まさか変なウイルス性感染症?と少し心配しましたが、場所柄そんなはずもないし、やはりただの日焼けしすぎのようです。でも、皮がむけるだけなら慣れていますが、水泡までできたのは初めてです。<br /><br />このタワーは素晴らしく南米一高いそうです。61階で300メートルだそうです。もちろん、眺めは最高です。遠くにアンデス山脈が見え、たぶん東北方面です。スモッグがなければもっと景色はいいのでしょうが。降りる時に3階か4階に立ち寄らされましたが、ちょうどスーパーのような店があり、友だち用のチリワインを1本買いました。<br /><br />地下鉄で移動して、中央市場へ行きました。期待した通り、新鮮な魚介類をそのまま料理するレストランがたくさん中に入っています。ディスプレイで美味しそうな冷たい貝類の料理を注文しました。これはビーニャ・デル・マールのと違って美味しかった。食事も終わったのにまだ時間があるなぁと不思議に思っていたら、何と腕時計が止まっています。慌てて、携帯電話の時計で確認するとそろそろホテルに戻らないとアンデス山脈ツアーに遅れます。<br /><br />ギリギリでツアーに間に合いました。迎えの車から大型バスに乗り換え、約1時間半かけてアンデス山脈の麓へ行きました。麓と言っても、標高3千メートルだそうです。ちょっと油断して、予防薬のダイアモックスを今回は準備していません。できるだけゆっくり歩き、時々深呼吸をしたり、水分をたっぷりとって高山病の予防をしました。おかげで大丈夫でした。少し雪山が残っているのが割と近くで見れました。野生のキツネがいたり、空を舞う鷲もいました。<br /><br />帰りは夕方なので、ホテルでなく直接レストラン街で降ろしてもらいましたが正解でした。Patio Bellavista (眺望のいいパティオ)という一角で、お洒落なレストランがたくさんある場所でした。Bellavistaはアメリカにもよくある地名でよく知っています。サン・クリストバルの丘の麓でした。当然、眺めもいいです。ステーキを食べたくて入ったレストランはメキシコ料理でファヒータス(日本の焼き肉に近い)にしようか迷いましたが、初志貫徹やはりステーキにしました。チリサラダと一緒に食べました。非常に美味しく満足しました。<br /><br />部屋に帰り、明日のタクシー手配をしました。最初は安く地下鉄とかも考えていましたが、朝早いので遅れるかもしれないと思い、タクシー手配会社に電話しました。<br /><br /><br />【16日(月)】<br />朝6時15分のタクシー予約です。近いですが、一応国際線だし確実に2時間前に着くということで、この時間の予約になりました。最初はもっと安い乗り合いにしたかったのですが、それだと時間が5時半と恐ろしいことを言われたので、少し高いけど普通のタクシーと同じ一人で予約しました。19,500 ペソ(約3,400 円)です。乗り合いだとこの半額以下になるのですが、あまり朝が早いときついので、たまには奮発してタクシーです。その代り、ボッタクリの心配はありません。<br /><br />実際に、すぐに空港に到着してまだ2時間以上前の6時半でした。<br /><br />でも、結構長い列ができているので40~50分かかりました。私には悪い癖がありギリギリであせることが多いのですが、やはりゆっくりできる方がいいのかもしれません。おかげでゆったりとした気持ちで9時発のメンドーサへのフライトを待ちました。残ったチリペソをアルゼンチンペソへ両替しました。千アルゼンチンペソになりました。1アルゼンチンペソは約7円です。<br /><br />空港では当然の如く、安全審査があり手荷物などのX線検査があります。いつものパソコン入りのリュックと今回からはCPAP(経鼻的持続陽圧呼吸療法)の入った小カバンも持っています。それは何だと聞かれるので、通じるかなと思いCPAP(シーパップ)と答えると、ロサンゼルス空港でも、ここサンティアゴ空港でもすぐに通じました。審査職員が知っているということは、医療器具としてかなり認知されている、ある程度多くの人が持ち運んでいるのでしょう。<br /><br />眼下に雪の積もったアンデス山脈を見ながら約2時間でアルゼンチンのメンドーサへ着きました。娘のロシオと弟のフリアが空港で待ってくれています。実は、ロシオとお父さんに2年前パリでのAFS100周年記念大会で知り合い、3泊4日のベルギーへのバス旅行で一緒でした。アルゼンチンに行く気満々の私ですからメールアドレスを聞いていたのです。弟のフリアは医学生のようです。<br /><br />2日間泊めてもらうことになっています。自宅に連れて行ってもらい、お昼休みに帰って来た父親アルフレードと4人で昼食にしました。買ってきたミラノ風カツレツを自宅で揚げたものです。日本で言えばトン(豚)カツですが、本場イタリアでは仔牛のカツです。ここはアルゼンチンですが、多くの国では仔牛を食べます。日本では値段が高いのであまり仔牛料理はありません。この家族は健全で、私の好きな生野菜サラダをたっぷり食べ、しかもオリーブオイルとバルサミコ酢です。最高です。私も今では滅多にドレッシングなどは使いません。父親は医者です。<br /><br />その後、ロシオとアルゼンチンの風習であるマテ茶を飲みました。同じストロー状の金属(先端に茶葉が入らないような小さな穴が側溝で複数ある)で交互に親しい人と共有してマテ茶を飲むのが慣習らしいです。少し砂糖を入れて甘くしますが、私の口に合い気に入りました。そして、有難うというまで延々と繰り返して飲むそうです。後日談として、お土産にもらって気に入っています。自宅で一人で楽しんでいます。 <br /><br />幸い、一番英語のできるロシオ(学校の英語教師)は夏休みらしく、平日なのに付き合ってくれます。AFSのホストファミリー経験者の家族で、支部員としてもボランティアをしています。その関係で知り合いの数年前に日本(帯広)に1年間留学したニコラスとダウンタウンで会いました。一緒にアイスクリーム(スペイン語でhelado)を食べながら、ニコラスとはもちろん日本語で話しました。まぁまぁの日本語レベルです。 <br /><br />家に戻るとしばらくして母親のマリーサが帰宅しました。初対面です。彼女も医者ということを初めて知りました。小児科医で新生児を専門にしているようです。夜は、買ってきたパスタを料理してくれ、昼食同様新鮮なサラダが付け合わせです。Sorrentinos(ソレント風の)パスタという名前ですが、意味不明です。多くの場合、○○風と外国の名前を付けているのは正しくないのですが・・・ 調べると、やはり間違いのようです。外観は丸いラビオリです。中には、モッツアレラチーズとハムが入っていました。モッツアレラチーズが入っているから南イタリアのソレントというのがこじつけでしょうか? 味はまぁまぁ美味しかったです。<br /><br />こういう事に拘る私は後日インターネットで調べました。ロシオにも聞いたけど知りませんでした。日本在住のイタリア系アルゼンチン人のブログで以下を見つけました。たぶん、正しいでしょう。「ソレンティーノとは円形のラビオリのようなパスタです。ソレンティーノパスタの起源はなんと!1768年!!Somar Luarさんという有名な料理評論家がイタリアのソレント(歌で有名ですが、私も好きな街でナポリの近郊)という街にいたシェフに新しいパスタを作ってくれと頼んだのが始まりとか」。ちなみに、中の具材は好みで何でもいいそうです。アルゼンチンでは人気の高い料理のようです。<br /><br />夜はロシオが使っていた部屋が空いているので、そこで寝ました。意外と狭いベッドでした。学校の先生として働いているロシオは別の所にアパートを借りているそうです。でも、後で聞くと給料が少ないので本来は大変らしいのですが、両親の所有している物件に住ませてもらっているらしいです。<br /><br /><br />【17日(火)】<br />軽い朝食後、8時に父親のアルフレードのオフィスへ一緒に行きました。この日の午前中は保険会社で医者としての事務的な仕事のようです。9時半頃、ロシオが迎えに来てくれます。このオフィスはメンドーサの街中心部にあるので、ロシオが案内してくれます。歩いて回りました。順番にイタリア広場、チリ広場、サン・マルティン広場を回り、最後に巨大な独立広場(Independecia)へ行きました。噴水があるのは珍しくないですが、人口湖もあり、運動のできるジムが入った建物までありました。市民の憩いの場のようです。<br /><br />観光客もいるようです。南米一の高峰・アンデス山脈のアコンカグア(6960M)への入り口として登山家たちが集まる場所のようです。それと、アルゼンチンワインの半分以上はここメンドーサ産のようです。<br /><br />それから、車に戻り少し郊外の銅像のある公園へ連れて行ってくれました。サン・マルティン公園という名前らしく、グローリア(栄光)の丘(Cerro de la Gloria)にサン・マルティン将軍の銅像があります。小高い丘にある像なので、非常に高く立派です。5千人のアンデス軍を率いた英雄のようです。この広大な公園の一角には2万人以上収容できる立派な野外劇場もあります。<br /><br />一端、1時過ぎに家に帰りロシオとそのボーイフレンド・ニコラス、フリアンとそのガールフレンドのアウグスタ、父親のアルフレードと私の6人が2台の車に分乗し、かなり郊外のブドウ園へ行きました。ニコラスは多い名前なのでしょうか?昨日会った日本へ留学した大学生もニコラスでした。ブドウ園の所有するレストランへ着いたのは2時も過ぎていました。<br /><br />中は、イタリアの影響も強い(イタリアからの移民も多い)アルゼンチンらしく、ワインとオリーブオイルを売っていて、その中のレストランなので期待大です。何せ、もう22回もイタリアに行っているイタリア好きの私ですから。みんなでシェアした前菜は期待通り美味しかったです。でも、迷った挙句注文した私のペンネ・ジェノベーゼ(もちろんバジリコソース)は完全な見掛け倒しでした。何故か、クルミが入っていました。たぶん、本物のジェノベーゼの松の実の代わりでしょう。本物を知っているだけに(わざわざ本場のジェノベーゼを食べにジェノバへ行ったことがあります!)ガッカリで、私としては珍しく少し残しました。バジリコの風味もありませんでした。<br /><br />アルコールはダメな私ですが、好奇心は旺盛なのでワイナリー見学などは嫌いではありません。ワインではなくぶどうジュースですが、私の高校時代のAFS留学先が Welch のぶどうジュース用の Concord ぶどうの産地でしたから、ぶどうには愛着があります。<br /><br />ここはかなり大きなワイナリーでした。大きな樽が並んでいます。しばらく見学した後はもちろん試飲したりして購入です。私は舐めるだけです。お店の人と相談して 1,500 円程度の赤ワインを1本購入しました。この程度の値段で十分美味しいはずです。もちろん、友だち用のお土産です。<br /><br />最後の夜ですが、予想通り、恐れていた通り(?)のんびりです。南イタリアで居候した家庭を思い出します。大体予想していたので、インターネットをしたり、テレビでスポーツ番組を見たり、ゴロゴロして過ごしました。<br /><br />午後10時少し前に出発して、歩いても行けるすぐ近くの行きつけらしいParilla 店(つまり、アルゼンチン風ステーキ屋)へ行きました。豪快な Asado です。豪快な牛のステーキやソーセージなどがボリューム満点です。焼くのは炭火ではなく、薪で炎が出ます。ここでも、新鮮な野菜サラダもたっぷり注文してくれました。その前に最初に、中南米には多いエンパナーダ(揚げパンで中に具が入っています)を軽く食べました。最後の夜は豪快に、典型的なアルゼンチン料理を堪能しました。ただ、正直血の入ったソーセージは少し苦手です。食べ慣れたのか、以前ほど牧草牛が気にならなくなりました。30年前、アメリカ中西部から来た時は、穀物牛に慣れていて、アメリカに比べても安いアルゼンチンの牛肉(パンパの牧草牛)は少し味が落ちると思いましたが・・・<br /><br />ずっと会話も盛り上がり、色々な話が聞けました。どこの国もそうですが、隣国チリとは仲が悪いようです。特に、フォークランド紛争の時にチリが軍港(たぶん数日前に私が行って来た所)をイギリスに提供してからは最悪のようです。アルゼンチンはブラジルと並ぶ南米の大国ですが、自分たちは嫌われていると自覚しているようです。気取っているとか、傲慢だとか。日本ではあまり知られていないようですが、ブエノスアイレスが南米のパリと呼ばれるように、経済的にも恵まれた時代がありました。<br /><br />また、ちょっとしたはずみから中国人の話になりました。悪口で盛り上がりました。遠く離れた(日本と中国の裏側)南米でも、中国人の評判は最悪です。以前から、ボリビアやウルグアイでもタクシーの運転手との片言の英語会話でも中国人の評判が悪い事には感心しています。隣国だから日本と仲が悪いだけではないようです。<br /><br />顔なじみで親しいらしいウェイター・ヴィクトルもベテランらしく、昔ここに通ってきた日本人商社マンと親しくなったようで、私にもまた戻って来いと言ってくれました。<br /><br /><br />【18日(水)】<br />今日は首都のブエノスアイレスへ国内移動の日ですが、午後遅くの便でゆっくりできます。朝7時20分に起きて、仕事に行く母親マリーサにお別れです。その後、ブエノスアイレスの地図を持って父親アルフレードが見どころをお薦めしてくれた後、お別れです。<br /><br />昨夜遅かったので、今朝シャワーを浴び、荷物を整理してロシオが迎えに来るのを待ちました。犬の世話をしてくれる福岡の娘用にお菓子の買い物をしました。一応、アルゼンチンで有名なお菓子のようです。同じ年頃の娘さんのお薦めだから大丈夫でしょう。シャレた喫茶店にも入りましたが、chanosahou(茶の作法?)という名前のドリンクをロシオが注文しました。どうも、緑茶とハーブ茶のブレンドのようでした。私は無難にカプチーノを注文しました。<br /><br />昼は家へ戻り、フリアンと3人で冷凍庫のパスタを解凍して料理しました。まぁまぁの味です。気に入っているのが、毎回新鮮な野菜サラダを作ってくれることです。<br /><br />考えてみると、ロシオは娘と同じ歳ですが英語も上手だし、話がはずみます。英語は上手なのですが、どこで覚えたのかアメリカでは使わない queue という単語を使います。イギリスやオーストラリア英語で米語ではline up です。「列に並ぶ」という意味です。後は、強調する時に、盛んに super ・・・ と言います。<br /><br />ミュージカル「エビータ」やマドンナの映画「エビータ」のファンで、30年ぶりのブエノスアイレスでエビータのお墓にもう一度行きたいと言うと、ロシオははっきりエバ・ペロン(通称エビータ、フアン・ペロン大統領夫人)は悪い政治家だったと言います。分かりやすく言えば、生活保護の人を甘やかすような政策と批判します。ポピュリズムの典型で、一母親から子供に自転車が必要と言われたら送ってあげるような人気取りが得意だったそうです。確かに、知識層から見れば、必ずしも正しい政策ではないようです。私は、それはともかく、「Don’t cry for me  Argentina」などの名曲のあるミュージカルが好きで、エビータには愛着があると言い訳しました。たぶん、アメリカ人はじめ多くの外国人にとっては同じだと思います。<br /><br />早目に14時半にはメンドーサ空港へ送ってくれました。いよいよロシオとフリアンともお別れです。16時25分のフライトなのでゆっくり間に合い、予定通りEzeiza(エセイサ)(ピスタリニ)国際空港には18時には着きました。残念ながら、実際には国内移動でしたが、何故か空港は市内中心街(セントロ)に近い国内空港・ホルヘ・ニューベリーではありません。空港バスに乗り45分ほどでセントロにあるバスターミナルへ着きました。珍しくシェラトンホテルを予約してあるのですが、近いのは Sheraton Buenos Aires のほうで、私のは Sheraton Libertador で2つの広場を見ながら1km弱歩きました。キャスター付きのカバンを引きながら歩くと結構遠く感じました。<br /><br />まだ明るいのですが、ホテルにたどり着いたのはもう午後8時頃です。近くに懐かしい名前の Florida 通りがあります。アメリカのフロリダ州は良く知っていて、英語では「ロ」にアクセントがあって「フローリダ」のように発音しますが、スペイン語では「リ」にアクセントがあって「フロリーダ」と発音するのが面白くてずっとこの地名は覚えていました。しかも、繁華街で歩行者天国のようです。路上でもタンゴを踊っているグループがいました。近くにあるギャレリア(日本語でギャラリ―、ガレリー?)にある食堂街で定番のアサード(牛ステーキ)を食べました。こちらでは、一番無難な食べ物です。<br /><br /><br />【19日(木)】<br />ここブエノスアイレスは1988年、何と29年前に米国留学から帰国する前に初めて憧れの南米旅行として、住んでいたシンシナティからAMEXツアーで来ました。ペルーのリマ、クスコ、マチュピチュ(但し、高山病にかかり行きそびれました!)、ブラジルのイグアスの滝、リオデジャネイロと回りました。数年前にウルグアイとアルゼンチン側のイグアスの滝に来た時に乗り換えで立ち寄りましたが。<br /><br />シェラトンホテルにしては安く取れたせいか、朝食は付いていません。ちょっと迷ったけど約 1,500 円のビュッフェに行きました。でもやはり、値段の割にはイマイチで明日からは迷わず外で軽く食べます。<br /><br />21日(土)の夜9時過ぎの便で帰国まで、丸3日間あるのでゆっくり市内観光します。もちろん、基本的に街歩きです。まず、コロン劇場に立ち寄ります。世界三大劇場らしく、イタリア・ミラノのスカラ座、フランス・パリのオペラ座と並ぶそうです。全部、外観は見たことあります。でも、中を見るのは並んだり有料だったり面倒なので、外見だけにしました。<br /><br />次に近くのサン・マルティン劇場まで行きました。友達でもある名古屋のなかにし陽子さん、有名なタンゴ・シャンソン歌手が歌ったことがあるそうで、是非見たいと思っていました。でも、ここは改装中らしく外観もパッとしません。残念です。<br /><br />地下鉄Subte(珍しい名前です、普通はmetroとかですが・・・)も使い、レコレータ地区へ移動し、絶対に行きたかった「エビータの墓」のあるレコレータ墓地へ行きました。以前来た時はエビータを知らないので、有名な大統領の奥さんの墓ということでピンときませんでした。ただ、豪華なお墓だとは印象にあります。今度は、ミュージカルと映画(マドンナ)の「エビータ」が大好きなので、張り切って再訪しました。でも、今回見ると記憶程は大きなお墓ではありません。周りにはもっと大きな家のようなお墓もあります。地図で探してやっと見つかる程度です。観光客が常に6~7人いるのでやや目立つ程度です。もちろん、写真は撮りましたが。<br /><br />海外でよく見る風景で日本人には珍しいものに、バスや地下鉄の中に突然人がやって来て、小物を一人一人に配って小銭を回収していく商売(?)。もちろん、買いたくない時は品物を返すだけです。と言うか、勝手に回収していきます。それでも、見ていると少しは売れています。例えば、女性用の手鏡とか。それと同じく、音楽家は多いです。突然バスや地下鉄の車両に現れて、1~2曲歌ってストリート・パーフォーマーのように小銭を回収します。結構、見ている方は暇つぶしになります。<br /><br />歩き疲れたのでタクシーに乗りました。やはり物価は安いのである程度乗っても500円程度と安い料金でした。セントロ(中心街)にあるAFS事務所に表敬訪問しました。と言っても、勝手に立ち寄るだけです。関係者(AFS支部員)であるロシオが電話はしてくれているようです。最初に出て来た Patricia が各部屋を案内してくれ、働いているスタッフに紹介してくれました。アルゼンチンは高校留学生、引き受けが約400人、派遣が約200人とちょうど日本と反対のようでした。日本は派遣が約400人、引き受けが約200人ですから。ボランティアとして、私は主に海外からの留学生の引き受けの世話をしています。思っていた以上にイタリアからの留学生が多く、何と毎年100人も来るそうです。元々、イタリアからの移民が多いのが他の中南米との違いです。もちろん、主流、一番数が多いのはスペイン人で言葉もスペイン語ですが。<br /><br />スペイン語とイタリア語は似ています。スタッフ5人の前でテストしました。イタリア語を少し勉強している私が丸暗記している文章をイタリア語でそのまま言い、スペイン語圏のアルゼンチンの人が理解できるか試しました。”Il cucchiaio no si usa per mangiare gli spaghetti.”(スパゲッティを食べるのにスプーンなんかは使わない)と言うと、ほぼ全員理解できました。一人だけ、最初の cucchiaio が何かと聞きました。<br /><br />昼は、ピンク色のカーサ・ロサーダ(色にちなんだニックネームで、大統領府)にも近いビジネス街のレストランで千円程度のミックスバーベキューを食べました。日本でいうランチスペシャルです。牛とベーコンと野菜の串刺しとポテトです。無難な味です。近くにカテドラル・メトロポリターナ(大聖堂)があります。外観は大したことないのですが、内装はさすがにすごい教会です。<br /><br />ここブエノスアイレスでは、地下鉄で面白いことに気がつきました。呑気な国で、窓口があっても誰もいない駅の窓口があることです。要するに、切符が買えません!(せっかく値段は安いのに)。大統領府の隣、5月広場には3つの駅が近くにあるのが地図でわかっているので、隣の駅窓口まで行くと駅員がいました!   切符を買って中に入ると別の路線の乗り場まで繋がっていました。地下鉄で国会議事堂まで行きました。ものすごく立派な建物ですが、中には入れません。その前にかなり広い国会議事堂広場があります。公園です。でも、何故か同じく入れない部分がかなりあります。<br /><br />一旦ホテルに帰り、せっかくの最上階(22階)にあるプールで軽く泳ぎました。屋根があると思っていましたが、一部は太陽が差し込むようになっています。<br /><br />なかにし陽子さん推薦(歌ったことがある?)のタンゴショー・Senor Tango(セニョール・タンゴ)を予約しています。8時集合でバスが迎えに来るのを待ち、20分で会場へ。9時くらいから食事です。珍しくチキンを頼みましたが、やはりビーフにすべきでした。何故か、日本と逆で巨大なビーフに対してチキンは小ぶりでした。サーモンも結構ボリュームがあって美味しそうでした。サンティアゴのショーと同じで、今回も同じテーブルの人は全員ブラジル人でした。<br /><br />それはともかく、ショーは最高で久しぶりに感激しました。プロジェクションも上手に使っているし、伝統的なタンゴの踊りだけでなく、天井の高い作りで、シルク・ド・ソレイユのような宙吊りの踊りもある(「空飛ぶタンゴ」初めて見ました!)し、好きなエビータのメインソング「泣かないでアルゼンチン」の歌もあり、スポーツでおなじみのアルゼンチンの国旗色(空色と白のストライプ)の長い幕が降りてきたり、あっという間の2時間でした。やはり、ちょっと気取った踊り・タンゴはスペインの影響で、気さくなイタリア風ではないようです。<br /><br /><br />【20日(金)】<br />昨日でこりたので、朝食は近くのバルで軽く2個のクロワッサン、カフェオーレで済ませました。たったの48ペソ(350円)です。<br /><br />マラドーナが所属していたはずのボカ・ジュニアーズ・スタジアムへ行きました。リオの巨大なマラカナン・スタジアムと違って大きさも普通だし、あまり感動しませんでした。地球の歩き方に書いていた、有名プレーヤーとの合成写真サービスも終わっていました。<br /><br />その代わり、近くにあるカミニートが最高でした。小径の意味だそうです。道に並ぶ家々の壁やテラスや壁が大胆にカラフルに塗られていて、見ていて楽しいです。歩行者天国だし、タンゴの恰好をさせてくれたり、あちこち路上でタンゴを踊っていたりで楽しいのです。ATMでキャッシングして、札束で財布が膨らんでいたので、私としては珍しくタンゴ衣装の女性と写真を撮っただけでお金を取られたり、結構散財しました。ブエノスアイレスの浅草という感じでしょうか?外国人が喜ぶ場所です。<br /><br />タクシーでロシア教会へ移動しましたが、明らかにメーターを操作しているらしく、メーターの数字が目まぐるしく変わります。それでも、幸い近場で110ペソ(800円程度)だから大したことはありません。たぶん、実際にはたったの60ペソ(400円程度)のはずですが。そこから歩く途中にいくつかカトリックの教会がありました。名前も忘れました。たぶん、そんなに有名でないでしょう。いつの間にか、昨日のカテドラル(大聖堂)に戻っていました。その斜め前の建物がカビルドという名前と知りました。元行政機関のようです。<br /><br />ホテルに戻って今日も軽くひと泳ぎ。今晩はドリンクだけのタンゴショーを予約しているので、歩いて食べに行きましたが、意外とマックやKFCなどしかありません。やっと、ちょっとしたレストランを見つけ今日は魚料理(Merluzaで日本語ではホキ?タラ目メルルーサ科)を食べました。まぁまぁ美味しい魚料理でした。付け合わせの野菜炒めとエンパナーダも。<br /><br />今日はEl Viejo Almacen という100年以上の歴史のあるタンゲリーアに行きました。斜め前ですが、割とステージに近い席でした。普通の天井の低い、クラシカルなタンゴショーでした。でも、飽きないように、ペルー楽団やソロの歌手、演奏などもありました。やや短く、1時間半ほどで終わりました。個人的には、昨日のセニョール・タンゴの方がはるかに好きです。<br /><br /><br />【21日(土)~23日(月)】<br />いよいよ今日は帰国の日ですが、夜9時過ぎの便ですからまだゆっくり観光できます。まず、subte(地下鉄)D線で郊外パレルモ地区にあるエビータ博物館へ行きました。知識層であるロシオからはエビータは嫌いと聞いていましたが、私は単純にミュージカルと映画「エビータ」が気に入っているので興味があります。<br /><br />そのせいか、思ったより地味な一軒家風の博物館でした。でも、不遇の少女期を過ごしたエビータがモデルから女優になり、大統領夫人の地位を得て33歳で病に倒れるまでの波乱に満ちた生涯を写真などとともに紹介しています。自分が貧しかったので、貧困層に手厚く、でもある意味生活保護者を甘やかした面はあるようです。一方、少なくとも女性参政権などに尽力したのも事実のようです。個人的には来てよかったです。<br /><br />周辺には植物園、動物園、日本庭園、プラネタリウムなどがあるのですがパスしました。地下鉄で移動して、ボカ港に取って代わったプエルト・マデーロ地区の港、かつその辺りのウォーターフロント地区で洒落たレストラン等がある地域へ行きました。有名らしい Rodizio Perto Madero というレストランがありましたが、入り口のメニューで値段をチェックするととんでもない値段です。1万円でやっとお釣りがくる程度です。もちろん、パス! 並んでいるレストランを全部チェックして、結局そこそこの店を見つけました。Shrimp skewer(エビの串刺し焼き)を注文しましたが、期待通り美味しく、値段もまぁまぁでした。十分です。<br /><br />順番としては無駄なのですが、腹ごしらえした後、朝行った方向の地下鉄に再度乗り本屋さんへ行きました。2008年イギリスの新聞で「世界の美しい書店ランキング」2位に選ばれたことがあるらしいのです。El Ateneo Grand Splendid と言い、グランド・スプレンディド劇場(オペラ劇場?)の建物を利用した書店で確かに素晴らしい。しかも、ステージが喫茶店になっているので、珍しくケーキとコーヒーをゆっくり味わいました。回りは明らかに観光客だらけです。<br /><br />私としては珍しく早めにホテルに戻り、預けてあった荷物を引きながらゆっくりとSan Martin 将軍の銅像のあるサン・マルティン広場を歩いて、来た時と同じ空港へのバス乗り場まで行きました。おかげで、かなり早く空港へ着きのんびりしました。軽く野菜サラダとマテ茶を注文しました。ダメもとでウェイトレスにペソと米ドルの併用で払いたいと言うと、あっさりオーケー。計算してもらって最後の185ペソ全てと足りない分8ドルで280ペソの支払いをしました。おかげで両替(結構手数料が高い)をしなくてすみました。お礼にウェイトレスにチップ2ドルをあげました。<br /><br />帰りの途についた訳ですが、暦上は丸3日間かかります。21日21時20分ブエノスアイレス・エセイサ発―ダラス空港22日04時40分着(約10時間)。予定より50分も早く到着、ここダラス空港では入国審査(乗り換え)で初めて預け荷物を受け取らずにすみました。今回も来る時はロサンゼルス空港では、いつものように乗り換えなのにいちいち預け荷物を受け取り、預けなおしが必要でした。徐々に規則が変わりつつあるのでしょうか?空港にもよるのでしょうか?<br /><br />ダラス空港では、かなり待ち時間があって午前10時50分出発―23日16時20分成田到着(約14時間!)(予定より約1時間遅れ!)。ギリギリでも予定のジェットスター便(17時45分発)には間に合いそうなのに、18時40分発のJAL便に回され、予定より1時間遅れでようやく21時頃福岡空港に到着しました。ちょうど丸2日間です。時差が12時間ですから、ちょうどブエノスアイレス空港から丸36時間で福岡空港まで帰って来ました。でも、幸い私にはこの長い飛行機の旅程も苦になりません。こうして無事に13日間の南米旅行が終りました。<br /><br /><br />空飛ぶドクター(登録商標)<br />坂本泰樹<br />

チリ、アルゼンチンへの旅

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2017/01/11 - 2017/01/23

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空飛ぶドクター

空飛ぶドクターさん

毎年1月は割と暇です。学会や用事もなく、年末年始人が休んでいる間に働いて中旬にゆっくり南半球を目指します。夏冬逆なので、南半球がいいのです。日本が寒い時に、暖かい(暑い)所へ行くのです。東南アジアもいいのですが、せっかく長く休みやすいので好きな中南米に行くことが増えます。オーストラリアとニュージーランドにも一度は行きました。景色はいいのですが、アングロサクソンは所詮食事がイマイチなので一度で十分です。食べ物の美味しいラテン民族の方が好きなので、中南米の方が魅力的です。

最初は、以下の順番で訪れる(アメリカの場合、時差の関係で東から西へ移動したほうが時間的に有効)見積もりを取ったのですが、欧州経由でした。ブエノスアイレス、メンドーサ、サンティアゴ。それはともかく、念のために逆ルートで見積もりを取ると約25万円と安く33万円と8万円も違うので、もちろん迷わずこちらにしました。アメリカ経由です。経由はどちらでも構わないのですが。それと広いアメリカと違い、今回のチリ(夏時間)とアルゼンチン(日本と同じく夏時間は採用していない)はどちらも日本との時差が12時間と時差が同じでどっちから回っても関係ないのでした。

週に1回の外来での定期的仕事のある火曜日だけはなるべく休まないようにしていますので、いつものように水曜日に出発して一回だけ火曜日の代診を後輩に頼み、ギリギリの月曜日に帰国です。そうすると目いっぱいで13日間休めます。時差の関係で、帰りは3日かかります。行きも2日かかります。だから、9泊13日の旅です。


【1月11日(水)~12日(木)】
福岡空港を15時に出発して、チリのサンティアゴに到着したのは翌日の18時過ぎ(日本時間)(現地午前6時)で、合計約27時間ちょっとです。幸い、私にはどうもありません。サラリーマンのように仕事でないので、若い頃から格安航空券で旅行をしています。もちろんエコノミークラスです。ヨーロッパも当時は「南回り」と言って東南アジアの国々、中近東を経由して(3~4回乗り換え)30時間近くかけて行っていました。空港だけとはいえ、色々な国を訪問できてむしろ面白かったです。

今回は主にアメリカン航空の便です。FUK-HND-LAX-SCL の順番です。福岡から成田空港ではなく、羽田空港経由でした(二度目かな?)。帰りはダラス経由ですが、行きはロスアンゼルス経由でした。

今回は「夏時間」のチリに午前6時過ぎに着いたので、飛行機からは暗くて灯りしか見えませんでした。夏時間だとちょうど日本と12時間の時差で計算が簡単です。午前、午後が入れ替わるだけです。次に行くアルゼンチンは夏時間がなく、常に日本と12時間の時差のようです。さすがに、ちょうど日本の真裏です。せっかく窓側の席をとってあるのに。残念!ロサンゼルス空港で入国審査(乗り換えでも)のため、一度預け荷物も受け取り預けなおしたのに、サンティアゴ空港で荷物が出てきません。ほとんど諦めて、紛失荷物手続きに並んでいました。最後に、念のためその辺に並べてある荷物を見ると、自分のバッゲージがありました。よかった! 翌日以降にホテルに送ってもらうと面倒です。こういう時のために、2日分の着替えなどは手荷物に入れてあるとはいえ。

現地は夏なので、上着を脱ぎました。まだ早朝なのでそんなには暑くありません。でも、だんだん暑くなりセーターも脱ぎます。いつものように、まず空港でキャッシングをします。事前に1(チリ)ペソは約0.17円と調べていますので、2万円弱、10万ペソほど引き出しました。海外旅行のコツですが、慣れない外貨の場合端数はどうでもよく、桁を間違う方が大変なので、暗算では5か6で割ればいいのです! 

ホテルは分かりやすい街の中心部で予約しているので、安い普通のバスで空港から地下鉄の駅まで5千ペソ程度で移動し、地下鉄はもっと安くたったの660ペソでホテル近くまで行けました。チェックインには早すぎるので荷物だけ預け、早速、知り合いのチリ人から聞いていた近くのモネダ宮殿(大統領府)でのCambio de Guardia(衛兵交代式)を見に歩いて行きました。モネダ(Moneda)とはスペイン語で money、つまりお金の意味で、もともとは国の造幣局だったようです。

次にカテドラル(サンティアゴ大聖堂)を見学。厳かな教会を訪れるのは好きです。気持ちが安らぎます。そして、サンタ・ルシアの丘へ。もともと要塞らしく、今は石造りの堅牢な建物跡があるだけですが、公園のようなものです。先ほど通ったアルマス広場の公園近くに大衆食堂が並んでいたので、戻って行き1000円ちょっとで食べれるステーキ(目玉焼き付き)を注文しました。

私は安上がりで気楽な街歩きが好きです。ちょっと疲れたので時間もいいし、一旦ホテルへ戻り休憩しました。それから、地下鉄で移動し、サン・クリストバルの丘へ行きました。有名なリオデジャネイロのコルコバードの丘に立つキリスト像のような、マリア像を見に行きました。ボリビアのコチャバンバにも同様の像がありました。麓まで行き、ロープウェイに乗るのですが、途中で動物園があり降りました。せっかくだからと降りたのですが、別料金です。でも、一旦降りたら次のロープウェイまで時間があるので、動物園を見ることにしました。結論から言うと、時間のムダでした。再度ロープウェイに乗り頂上に行くと、高台にあるので市内が見渡せます。高いところには必ず行きます。スモッグのせいかはっきりとは見えませんがアンデス山脈があり、ほんの一部頂上に雪が残っています。

休憩所でコーラでも飲もうとしました。すると、地元の名物らしい冷たい飲み物があるようです。濃い紅茶のような色の液体で底のほうにだんごというか小麦を練ったようなものがたくさん沈んでいて、その上にピーチ(ドライフルーツ?)のような果物が入っているようです。試してみると美味しい! この後、街のあちこちで売っているのに気がつきました。時々、飲みました。Mote con huesillos という名前の飲み物でチリ名物のようです。

夜は迷わず Cena show つまりDinner show へ行きました。マイクロバスが迎えに来るのですが、珍しくアメリカ人はいず、全てブラジル人でした。明らかにおかまの若い男性二人と中年女性3人連れで1人だけ子どもがいました。客全体でもアメリカ人がほとんどいないらしく、英語の説明がなく全てスペイン語で少し残念でした。たまに単語が聞き取れるけど、もちろんスペイン語は分かりません。

最初の演奏の始まる前に10分以上もお客が勝手に出演者と一緒に写真を撮りに行きます。やはり、日本人とは違います。自由すぎます。パナマで見たような民族衣装で女性がスカートを優雅に広げたりするダンスもあります。よくあるように踊り子に呼ばれ一緒にみんなの前で踊りました(踊らされました?)。途中で、その写真を1枚5千ペソで売りに来ました。若い頃なら買わないのですが、歳をとると気が大きくなるのか記念に衝動買いしました。

ただ、想定外だったのが、イースター島がチリの所属であるせいか、意外と太平洋の島々のような衣装とダンスがあったのが印象的でした。食事も中南米のどこかで食べたことのあるセビーチェ(魚の酢漬け、日本で言えば酢の物か?)も美味しく、メインのトマトソース味のサーモンもボリュームあり美味しかったです。デザートもクレープ風で満足です。以上送迎付きで45000ペソ(8千円程度)ですから満足しました。

丸48時間以上経ってようやくコンタクトレンズ(2週間使い捨て)を久しぶりにはずし、最近治療を始めたCPAP(経鼻的持続陽圧呼吸療法)を使い寝ました。睡眠時無呼吸症候群のためです。おかげでだいぶ眠りの質は良くなりましたが、まだ夜中に1回程度目が覚めます。


【13日(金)】
さすがに、長旅の後の最初のベッドでの睡眠でしたから珍しく8時過ぎまで熟睡できました。若い人には分からないでしょうが、普段は歳をとるとなかなか若い頃のように爆睡はできません。すぐ目が覚めるのです。歩いてすぐのエンテルタワーに行きましたが、何故か登れないと断られました。スペイン語でよく分かりませんが、autorizacion つまり authorization(許可)が必要ということらしいです。でも、サンティアゴ出身の知人に勧められたタワーなので詳細、理由は不明です。

ホテルは一旦チェックアウトしましたが、最初からの予定通りまた戻って来るので大きなカバンとCPAPはこのホテルに預けました。サンティアゴだけだと4日間も見るほどのものはなさそうで、最初から途中でどこかへ行くつもりでした。でも、地元の旅行会社で相談しても2泊程度で手頃なところはなさそうです。そこで、事前に調べていたバスで2時間程度の西海岸のビーチ、Vina del Mar(ビーニャ・デル・マール)へ行くことにしました。ホテルはエキスペディアで予約しました。少し高くても歩いてビーチへ行けるところを選びました。

パソコンを入れたリュックだけの軽装で移動です。バスは快適で2時間でビーニャ・デル・マールへ到着。でも、ホテルまでは少し遠いのです。スマホは持っていないので、地球の歩き方の地図だけが頼りです。眺めの良さそうな高台へと歩いてと思いましたが、結構遠いのでタクシーにしました。3千ペソ(550円程度)足らずです。ビーチ(太平洋です!)が見え絶景です。でも、苦労してタクシーを拾うと相乗りで、しかも方向が反対だと言われ乗車拒否されました。でも、私の地図では地名は複雑でも方向は合っているはずです。何とか、軍服(海兵隊?)を着た若者数人に聞くとスマホでホテルを調べてくれ、大体の方向(先程の方向で合ってました)と歩いて20分くらいと教えてくれました。海岸沿いにビーチを見ながら歩くと、昨夜調べていたメトロと呼ばれるローカル電車の駅が見えます。それを指標に歩き、バルでコーヒーを注文し、若い店員にホテルを聞くと同じくスマホの地図で調べてくれ、すぐ近くだとわかりようやく無事にホテルに到着しました。ただ、値段の割にはこじんまりしたホテルでした。

早速、晴れているので歩いて10分のビーチへ。先ほど通過したビーチです。もちろん、本を持参し、サングラスも準備しています。このビーチは泳ぐのにはあまり適していません。まず、水が冷たい。波も荒くて少し危険です。2,3度海で軽く泳いで、1時間半ほど過ごしホテルへ戻りました。そのまま、ホテルの小さなプールサイドで読書を続けました。

夜はタクシーで街中のカジノへ。でも、ホテルで呼んだタクシーにしては少しぼられたようで、1万ペソも取られました。珍しく、地球の歩き方のレストランを目指していくとありません。4~5年前のですから、店が代わっていました。我ながら、アホです。チリの西海岸なので迷わず代わりのシーフードがありそうな店を探しましたが、味付け等がイマイチでした。

カジノも珍しくパスポートでの身分証明不要。ここではいつものブラックジャックをしましたが、変なルールでした。絵札とエースが出たらブラックジャックで1.5倍の配当ルールがないのです! 確かにブラックジャックとは書いていません。スペイン語とはいえ、21としか書いていません。絶不調でほとんど負けてばかりでした。キャッシングした10万ペソのうち、6万ペソ(1.1万円程度)でいつものように勝負します。1時間半ほど遊んで2万ペソまで目減りしたところで理性が働き止めました。帰りはタクシーですが、ホテルの名前を憶えてなくスペイン語しか通じず、冷や冷やでしたが方向はわかっていたので何とか無事に帰り着きました。来る時の1万ペソぼられたのに比べ、帰りはかなり遠回りしたはずなのに6千ペソでした。やっぱり!


【14日(土)】
午前中はせっかくなので、プールサイドで日光浴しながら本の続きを読もうと思っていたのですが、何と今朝はどんより曇っています。それならと、部屋から出ずインターネットラジオで音楽を聴きながらのんびり読書しました。

昨日通過したメトロに乗り、たった5駅の Valparaiso(バルパライソ)へ行きます。ここは街並み自体が世界遺産です。急坂が多く、Ascensor(小さいケーブルカー)がたくさんあるユニークな街並みのようです。地名は「天国の谷」を意味します。英語なら、Valley of paradise ですね。

早速、駅から一番近いケーブルカーを探しますがわかりません。老若の女性たち(労働者?)に入り口を聞くと、年配のおばちゃんが恋人のように私の腕を取ってすぐそばだけど分かりにくい入り口まで案内してくれます。残りの女性たちはヤンヤの歓声です。私も振り返って、大げさに手を振ってみせます。大したことではないですが、このようなエピソードが明るい南米らしくて楽しいのです。

歩いていくつかのアセンソールに乗ります。向かい側のカラフルなペンキ塗りの家や板壁や崩れかけた土壁にもカラフルな絵が描いてあります。そして、あちこちにカラフルな壁画があり、場所によっては階段にまで絵を描いています。青空美術館 (Museo a Cielo Abierto) という名の一帯もあります。チリの有名な画家ロベルト・マッタの作品だそうです。だから、この街自体が世界遺産に登録されているのでしょう。

ちょうど割と大きなアセンソールを上がったところが観光地らしく少し高級そうなレストランもありました。眺めが最高で、このカラフルな街並みと港が見えます。よく見ると、チリ海軍の軍艦もあります。せっかくだから、奮発してロブスター料理(約3500円)を注文しましたが、味付けはイマイチでした。でも、付け合わせに頼んだチリ・サラダというのはトマトと玉ねぎだけのシンプルなものでしたが気に入りました。

時間的に、インターネットカフェを探し(パソコンは持っていても、ホテルと違い Wi-Fi がないので)明日のサンティアゴに戻ってからのアンデス山脈ツアーを予約しました。でも、午前中の分は売り切れで何とか午後2時半からのを予約しました。メトロでVina del Mar へ戻り、バスで2時間かけサンティアゴに戻りました。同じ道のはずなのに、来る時には気がつかなかったぶどう畑やオリーブ畑がたくさんあります。イタリアのようです。日本でもチリワインは有名です。

夜は珍しく、ホテルの近くのレストランに行ったら安っぽい店で完全に失敗でした。セヴィーチェも量が多いだけであまり美味しくなく、prima vera(たぶんイタリア語と同じで春)special という名前のサラダにいたっては完全に名前負け。コーン、ブロッコリ―、ピー(エンドウ豆?)などは冷凍食品を疑わせるほど不味い。やはり手を抜いて近場で済ませるとろくなことはありません。


【15日(日)】
いよいよサンティアゴも実質最終日です。朝は、少し郊外の Sky Costanera(コスタネラセンター)へ行きました。でも、9時に行っても日曜日だし閑散としています。どうも、銀行街のようです。人もいないし、従って空いている店もほとんどありません。ようやく、喫茶店を見つけ時間を潰しました。1月なので日本でいう7月で夏とは理解していましたが、毎日思ったより暑く昼間は33度くらいまで上がります。

日焼けした両腕の前腕部だけに水泡が出ました。えっ、まさか変なウイルス性感染症?と少し心配しましたが、場所柄そんなはずもないし、やはりただの日焼けしすぎのようです。でも、皮がむけるだけなら慣れていますが、水泡までできたのは初めてです。

このタワーは素晴らしく南米一高いそうです。61階で300メートルだそうです。もちろん、眺めは最高です。遠くにアンデス山脈が見え、たぶん東北方面です。スモッグがなければもっと景色はいいのでしょうが。降りる時に3階か4階に立ち寄らされましたが、ちょうどスーパーのような店があり、友だち用のチリワインを1本買いました。

地下鉄で移動して、中央市場へ行きました。期待した通り、新鮮な魚介類をそのまま料理するレストランがたくさん中に入っています。ディスプレイで美味しそうな冷たい貝類の料理を注文しました。これはビーニャ・デル・マールのと違って美味しかった。食事も終わったのにまだ時間があるなぁと不思議に思っていたら、何と腕時計が止まっています。慌てて、携帯電話の時計で確認するとそろそろホテルに戻らないとアンデス山脈ツアーに遅れます。

ギリギリでツアーに間に合いました。迎えの車から大型バスに乗り換え、約1時間半かけてアンデス山脈の麓へ行きました。麓と言っても、標高3千メートルだそうです。ちょっと油断して、予防薬のダイアモックスを今回は準備していません。できるだけゆっくり歩き、時々深呼吸をしたり、水分をたっぷりとって高山病の予防をしました。おかげで大丈夫でした。少し雪山が残っているのが割と近くで見れました。野生のキツネがいたり、空を舞う鷲もいました。

帰りは夕方なので、ホテルでなく直接レストラン街で降ろしてもらいましたが正解でした。Patio Bellavista (眺望のいいパティオ)という一角で、お洒落なレストランがたくさんある場所でした。Bellavistaはアメリカにもよくある地名でよく知っています。サン・クリストバルの丘の麓でした。当然、眺めもいいです。ステーキを食べたくて入ったレストランはメキシコ料理でファヒータス(日本の焼き肉に近い)にしようか迷いましたが、初志貫徹やはりステーキにしました。チリサラダと一緒に食べました。非常に美味しく満足しました。

部屋に帰り、明日のタクシー手配をしました。最初は安く地下鉄とかも考えていましたが、朝早いので遅れるかもしれないと思い、タクシー手配会社に電話しました。


【16日(月)】
朝6時15分のタクシー予約です。近いですが、一応国際線だし確実に2時間前に着くということで、この時間の予約になりました。最初はもっと安い乗り合いにしたかったのですが、それだと時間が5時半と恐ろしいことを言われたので、少し高いけど普通のタクシーと同じ一人で予約しました。19,500 ペソ(約3,400 円)です。乗り合いだとこの半額以下になるのですが、あまり朝が早いときついので、たまには奮発してタクシーです。その代り、ボッタクリの心配はありません。

実際に、すぐに空港に到着してまだ2時間以上前の6時半でした。

でも、結構長い列ができているので40~50分かかりました。私には悪い癖がありギリギリであせることが多いのですが、やはりゆっくりできる方がいいのかもしれません。おかげでゆったりとした気持ちで9時発のメンドーサへのフライトを待ちました。残ったチリペソをアルゼンチンペソへ両替しました。千アルゼンチンペソになりました。1アルゼンチンペソは約7円です。

空港では当然の如く、安全審査があり手荷物などのX線検査があります。いつものパソコン入りのリュックと今回からはCPAP(経鼻的持続陽圧呼吸療法)の入った小カバンも持っています。それは何だと聞かれるので、通じるかなと思いCPAP(シーパップ)と答えると、ロサンゼルス空港でも、ここサンティアゴ空港でもすぐに通じました。審査職員が知っているということは、医療器具としてかなり認知されている、ある程度多くの人が持ち運んでいるのでしょう。

眼下に雪の積もったアンデス山脈を見ながら約2時間でアルゼンチンのメンドーサへ着きました。娘のロシオと弟のフリアが空港で待ってくれています。実は、ロシオとお父さんに2年前パリでのAFS100周年記念大会で知り合い、3泊4日のベルギーへのバス旅行で一緒でした。アルゼンチンに行く気満々の私ですからメールアドレスを聞いていたのです。弟のフリアは医学生のようです。

2日間泊めてもらうことになっています。自宅に連れて行ってもらい、お昼休みに帰って来た父親アルフレードと4人で昼食にしました。買ってきたミラノ風カツレツを自宅で揚げたものです。日本で言えばトン(豚)カツですが、本場イタリアでは仔牛のカツです。ここはアルゼンチンですが、多くの国では仔牛を食べます。日本では値段が高いのであまり仔牛料理はありません。この家族は健全で、私の好きな生野菜サラダをたっぷり食べ、しかもオリーブオイルとバルサミコ酢です。最高です。私も今では滅多にドレッシングなどは使いません。父親は医者です。

その後、ロシオとアルゼンチンの風習であるマテ茶を飲みました。同じストロー状の金属(先端に茶葉が入らないような小さな穴が側溝で複数ある)で交互に親しい人と共有してマテ茶を飲むのが慣習らしいです。少し砂糖を入れて甘くしますが、私の口に合い気に入りました。そして、有難うというまで延々と繰り返して飲むそうです。後日談として、お土産にもらって気に入っています。自宅で一人で楽しんでいます。 

幸い、一番英語のできるロシオ(学校の英語教師)は夏休みらしく、平日なのに付き合ってくれます。AFSのホストファミリー経験者の家族で、支部員としてもボランティアをしています。その関係で知り合いの数年前に日本(帯広)に1年間留学したニコラスとダウンタウンで会いました。一緒にアイスクリーム(スペイン語でhelado)を食べながら、ニコラスとはもちろん日本語で話しました。まぁまぁの日本語レベルです。 

家に戻るとしばらくして母親のマリーサが帰宅しました。初対面です。彼女も医者ということを初めて知りました。小児科医で新生児を専門にしているようです。夜は、買ってきたパスタを料理してくれ、昼食同様新鮮なサラダが付け合わせです。Sorrentinos(ソレント風の)パスタという名前ですが、意味不明です。多くの場合、○○風と外国の名前を付けているのは正しくないのですが・・・ 調べると、やはり間違いのようです。外観は丸いラビオリです。中には、モッツアレラチーズとハムが入っていました。モッツアレラチーズが入っているから南イタリアのソレントというのがこじつけでしょうか? 味はまぁまぁ美味しかったです。

こういう事に拘る私は後日インターネットで調べました。ロシオにも聞いたけど知りませんでした。日本在住のイタリア系アルゼンチン人のブログで以下を見つけました。たぶん、正しいでしょう。「ソレンティーノとは円形のラビオリのようなパスタです。ソレンティーノパスタの起源はなんと!1768年!!Somar Luarさんという有名な料理評論家がイタリアのソレント(歌で有名ですが、私も好きな街でナポリの近郊)という街にいたシェフに新しいパスタを作ってくれと頼んだのが始まりとか」。ちなみに、中の具材は好みで何でもいいそうです。アルゼンチンでは人気の高い料理のようです。

夜はロシオが使っていた部屋が空いているので、そこで寝ました。意外と狭いベッドでした。学校の先生として働いているロシオは別の所にアパートを借りているそうです。でも、後で聞くと給料が少ないので本来は大変らしいのですが、両親の所有している物件に住ませてもらっているらしいです。


【17日(火)】
軽い朝食後、8時に父親のアルフレードのオフィスへ一緒に行きました。この日の午前中は保険会社で医者としての事務的な仕事のようです。9時半頃、ロシオが迎えに来てくれます。このオフィスはメンドーサの街中心部にあるので、ロシオが案内してくれます。歩いて回りました。順番にイタリア広場、チリ広場、サン・マルティン広場を回り、最後に巨大な独立広場(Independecia)へ行きました。噴水があるのは珍しくないですが、人口湖もあり、運動のできるジムが入った建物までありました。市民の憩いの場のようです。

観光客もいるようです。南米一の高峰・アンデス山脈のアコンカグア(6960M)への入り口として登山家たちが集まる場所のようです。それと、アルゼンチンワインの半分以上はここメンドーサ産のようです。

それから、車に戻り少し郊外の銅像のある公園へ連れて行ってくれました。サン・マルティン公園という名前らしく、グローリア(栄光)の丘(Cerro de la Gloria)にサン・マルティン将軍の銅像があります。小高い丘にある像なので、非常に高く立派です。5千人のアンデス軍を率いた英雄のようです。この広大な公園の一角には2万人以上収容できる立派な野外劇場もあります。

一端、1時過ぎに家に帰りロシオとそのボーイフレンド・ニコラス、フリアンとそのガールフレンドのアウグスタ、父親のアルフレードと私の6人が2台の車に分乗し、かなり郊外のブドウ園へ行きました。ニコラスは多い名前なのでしょうか?昨日会った日本へ留学した大学生もニコラスでした。ブドウ園の所有するレストランへ着いたのは2時も過ぎていました。

中は、イタリアの影響も強い(イタリアからの移民も多い)アルゼンチンらしく、ワインとオリーブオイルを売っていて、その中のレストランなので期待大です。何せ、もう22回もイタリアに行っているイタリア好きの私ですから。みんなでシェアした前菜は期待通り美味しかったです。でも、迷った挙句注文した私のペンネ・ジェノベーゼ(もちろんバジリコソース)は完全な見掛け倒しでした。何故か、クルミが入っていました。たぶん、本物のジェノベーゼの松の実の代わりでしょう。本物を知っているだけに(わざわざ本場のジェノベーゼを食べにジェノバへ行ったことがあります!)ガッカリで、私としては珍しく少し残しました。バジリコの風味もありませんでした。

アルコールはダメな私ですが、好奇心は旺盛なのでワイナリー見学などは嫌いではありません。ワインではなくぶどうジュースですが、私の高校時代のAFS留学先が Welch のぶどうジュース用の Concord ぶどうの産地でしたから、ぶどうには愛着があります。

ここはかなり大きなワイナリーでした。大きな樽が並んでいます。しばらく見学した後はもちろん試飲したりして購入です。私は舐めるだけです。お店の人と相談して 1,500 円程度の赤ワインを1本購入しました。この程度の値段で十分美味しいはずです。もちろん、友だち用のお土産です。

最後の夜ですが、予想通り、恐れていた通り(?)のんびりです。南イタリアで居候した家庭を思い出します。大体予想していたので、インターネットをしたり、テレビでスポーツ番組を見たり、ゴロゴロして過ごしました。

午後10時少し前に出発して、歩いても行けるすぐ近くの行きつけらしいParilla 店(つまり、アルゼンチン風ステーキ屋)へ行きました。豪快な Asado です。豪快な牛のステーキやソーセージなどがボリューム満点です。焼くのは炭火ではなく、薪で炎が出ます。ここでも、新鮮な野菜サラダもたっぷり注文してくれました。その前に最初に、中南米には多いエンパナーダ(揚げパンで中に具が入っています)を軽く食べました。最後の夜は豪快に、典型的なアルゼンチン料理を堪能しました。ただ、正直血の入ったソーセージは少し苦手です。食べ慣れたのか、以前ほど牧草牛が気にならなくなりました。30年前、アメリカ中西部から来た時は、穀物牛に慣れていて、アメリカに比べても安いアルゼンチンの牛肉(パンパの牧草牛)は少し味が落ちると思いましたが・・・

ずっと会話も盛り上がり、色々な話が聞けました。どこの国もそうですが、隣国チリとは仲が悪いようです。特に、フォークランド紛争の時にチリが軍港(たぶん数日前に私が行って来た所)をイギリスに提供してからは最悪のようです。アルゼンチンはブラジルと並ぶ南米の大国ですが、自分たちは嫌われていると自覚しているようです。気取っているとか、傲慢だとか。日本ではあまり知られていないようですが、ブエノスアイレスが南米のパリと呼ばれるように、経済的にも恵まれた時代がありました。

また、ちょっとしたはずみから中国人の話になりました。悪口で盛り上がりました。遠く離れた(日本と中国の裏側)南米でも、中国人の評判は最悪です。以前から、ボリビアやウルグアイでもタクシーの運転手との片言の英語会話でも中国人の評判が悪い事には感心しています。隣国だから日本と仲が悪いだけではないようです。

顔なじみで親しいらしいウェイター・ヴィクトルもベテランらしく、昔ここに通ってきた日本人商社マンと親しくなったようで、私にもまた戻って来いと言ってくれました。


【18日(水)】
今日は首都のブエノスアイレスへ国内移動の日ですが、午後遅くの便でゆっくりできます。朝7時20分に起きて、仕事に行く母親マリーサにお別れです。その後、ブエノスアイレスの地図を持って父親アルフレードが見どころをお薦めしてくれた後、お別れです。

昨夜遅かったので、今朝シャワーを浴び、荷物を整理してロシオが迎えに来るのを待ちました。犬の世話をしてくれる福岡の娘用にお菓子の買い物をしました。一応、アルゼンチンで有名なお菓子のようです。同じ年頃の娘さんのお薦めだから大丈夫でしょう。シャレた喫茶店にも入りましたが、chanosahou(茶の作法?)という名前のドリンクをロシオが注文しました。どうも、緑茶とハーブ茶のブレンドのようでした。私は無難にカプチーノを注文しました。

昼は家へ戻り、フリアンと3人で冷凍庫のパスタを解凍して料理しました。まぁまぁの味です。気に入っているのが、毎回新鮮な野菜サラダを作ってくれることです。

考えてみると、ロシオは娘と同じ歳ですが英語も上手だし、話がはずみます。英語は上手なのですが、どこで覚えたのかアメリカでは使わない queue という単語を使います。イギリスやオーストラリア英語で米語ではline up です。「列に並ぶ」という意味です。後は、強調する時に、盛んに super ・・・ と言います。

ミュージカル「エビータ」やマドンナの映画「エビータ」のファンで、30年ぶりのブエノスアイレスでエビータのお墓にもう一度行きたいと言うと、ロシオははっきりエバ・ペロン(通称エビータ、フアン・ペロン大統領夫人)は悪い政治家だったと言います。分かりやすく言えば、生活保護の人を甘やかすような政策と批判します。ポピュリズムの典型で、一母親から子供に自転車が必要と言われたら送ってあげるような人気取りが得意だったそうです。確かに、知識層から見れば、必ずしも正しい政策ではないようです。私は、それはともかく、「Don’t cry for me Argentina」などの名曲のあるミュージカルが好きで、エビータには愛着があると言い訳しました。たぶん、アメリカ人はじめ多くの外国人にとっては同じだと思います。

早目に14時半にはメンドーサ空港へ送ってくれました。いよいよロシオとフリアンともお別れです。16時25分のフライトなのでゆっくり間に合い、予定通りEzeiza(エセイサ)(ピスタリニ)国際空港には18時には着きました。残念ながら、実際には国内移動でしたが、何故か空港は市内中心街(セントロ)に近い国内空港・ホルヘ・ニューベリーではありません。空港バスに乗り45分ほどでセントロにあるバスターミナルへ着きました。珍しくシェラトンホテルを予約してあるのですが、近いのは Sheraton Buenos Aires のほうで、私のは Sheraton Libertador で2つの広場を見ながら1km弱歩きました。キャスター付きのカバンを引きながら歩くと結構遠く感じました。

まだ明るいのですが、ホテルにたどり着いたのはもう午後8時頃です。近くに懐かしい名前の Florida 通りがあります。アメリカのフロリダ州は良く知っていて、英語では「ロ」にアクセントがあって「フローリダ」のように発音しますが、スペイン語では「リ」にアクセントがあって「フロリーダ」と発音するのが面白くてずっとこの地名は覚えていました。しかも、繁華街で歩行者天国のようです。路上でもタンゴを踊っているグループがいました。近くにあるギャレリア(日本語でギャラリ―、ガレリー?)にある食堂街で定番のアサード(牛ステーキ)を食べました。こちらでは、一番無難な食べ物です。


【19日(木)】
ここブエノスアイレスは1988年、何と29年前に米国留学から帰国する前に初めて憧れの南米旅行として、住んでいたシンシナティからAMEXツアーで来ました。ペルーのリマ、クスコ、マチュピチュ(但し、高山病にかかり行きそびれました!)、ブラジルのイグアスの滝、リオデジャネイロと回りました。数年前にウルグアイとアルゼンチン側のイグアスの滝に来た時に乗り換えで立ち寄りましたが。

シェラトンホテルにしては安く取れたせいか、朝食は付いていません。ちょっと迷ったけど約 1,500 円のビュッフェに行きました。でもやはり、値段の割にはイマイチで明日からは迷わず外で軽く食べます。

21日(土)の夜9時過ぎの便で帰国まで、丸3日間あるのでゆっくり市内観光します。もちろん、基本的に街歩きです。まず、コロン劇場に立ち寄ります。世界三大劇場らしく、イタリア・ミラノのスカラ座、フランス・パリのオペラ座と並ぶそうです。全部、外観は見たことあります。でも、中を見るのは並んだり有料だったり面倒なので、外見だけにしました。

次に近くのサン・マルティン劇場まで行きました。友達でもある名古屋のなかにし陽子さん、有名なタンゴ・シャンソン歌手が歌ったことがあるそうで、是非見たいと思っていました。でも、ここは改装中らしく外観もパッとしません。残念です。

地下鉄Subte(珍しい名前です、普通はmetroとかですが・・・)も使い、レコレータ地区へ移動し、絶対に行きたかった「エビータの墓」のあるレコレータ墓地へ行きました。以前来た時はエビータを知らないので、有名な大統領の奥さんの墓ということでピンときませんでした。ただ、豪華なお墓だとは印象にあります。今度は、ミュージカルと映画(マドンナ)の「エビータ」が大好きなので、張り切って再訪しました。でも、今回見ると記憶程は大きなお墓ではありません。周りにはもっと大きな家のようなお墓もあります。地図で探してやっと見つかる程度です。観光客が常に6~7人いるのでやや目立つ程度です。もちろん、写真は撮りましたが。

海外でよく見る風景で日本人には珍しいものに、バスや地下鉄の中に突然人がやって来て、小物を一人一人に配って小銭を回収していく商売(?)。もちろん、買いたくない時は品物を返すだけです。と言うか、勝手に回収していきます。それでも、見ていると少しは売れています。例えば、女性用の手鏡とか。それと同じく、音楽家は多いです。突然バスや地下鉄の車両に現れて、1~2曲歌ってストリート・パーフォーマーのように小銭を回収します。結構、見ている方は暇つぶしになります。

歩き疲れたのでタクシーに乗りました。やはり物価は安いのである程度乗っても500円程度と安い料金でした。セントロ(中心街)にあるAFS事務所に表敬訪問しました。と言っても、勝手に立ち寄るだけです。関係者(AFS支部員)であるロシオが電話はしてくれているようです。最初に出て来た Patricia が各部屋を案内してくれ、働いているスタッフに紹介してくれました。アルゼンチンは高校留学生、引き受けが約400人、派遣が約200人とちょうど日本と反対のようでした。日本は派遣が約400人、引き受けが約200人ですから。ボランティアとして、私は主に海外からの留学生の引き受けの世話をしています。思っていた以上にイタリアからの留学生が多く、何と毎年100人も来るそうです。元々、イタリアからの移民が多いのが他の中南米との違いです。もちろん、主流、一番数が多いのはスペイン人で言葉もスペイン語ですが。

スペイン語とイタリア語は似ています。スタッフ5人の前でテストしました。イタリア語を少し勉強している私が丸暗記している文章をイタリア語でそのまま言い、スペイン語圏のアルゼンチンの人が理解できるか試しました。”Il cucchiaio no si usa per mangiare gli spaghetti.”(スパゲッティを食べるのにスプーンなんかは使わない)と言うと、ほぼ全員理解できました。一人だけ、最初の cucchiaio が何かと聞きました。

昼は、ピンク色のカーサ・ロサーダ(色にちなんだニックネームで、大統領府)にも近いビジネス街のレストランで千円程度のミックスバーベキューを食べました。日本でいうランチスペシャルです。牛とベーコンと野菜の串刺しとポテトです。無難な味です。近くにカテドラル・メトロポリターナ(大聖堂)があります。外観は大したことないのですが、内装はさすがにすごい教会です。

ここブエノスアイレスでは、地下鉄で面白いことに気がつきました。呑気な国で、窓口があっても誰もいない駅の窓口があることです。要するに、切符が買えません!(せっかく値段は安いのに)。大統領府の隣、5月広場には3つの駅が近くにあるのが地図でわかっているので、隣の駅窓口まで行くと駅員がいました!   切符を買って中に入ると別の路線の乗り場まで繋がっていました。地下鉄で国会議事堂まで行きました。ものすごく立派な建物ですが、中には入れません。その前にかなり広い国会議事堂広場があります。公園です。でも、何故か同じく入れない部分がかなりあります。

一旦ホテルに帰り、せっかくの最上階(22階)にあるプールで軽く泳ぎました。屋根があると思っていましたが、一部は太陽が差し込むようになっています。

なかにし陽子さん推薦(歌ったことがある?)のタンゴショー・Senor Tango(セニョール・タンゴ)を予約しています。8時集合でバスが迎えに来るのを待ち、20分で会場へ。9時くらいから食事です。珍しくチキンを頼みましたが、やはりビーフにすべきでした。何故か、日本と逆で巨大なビーフに対してチキンは小ぶりでした。サーモンも結構ボリュームがあって美味しそうでした。サンティアゴのショーと同じで、今回も同じテーブルの人は全員ブラジル人でした。

それはともかく、ショーは最高で久しぶりに感激しました。プロジェクションも上手に使っているし、伝統的なタンゴの踊りだけでなく、天井の高い作りで、シルク・ド・ソレイユのような宙吊りの踊りもある(「空飛ぶタンゴ」初めて見ました!)し、好きなエビータのメインソング「泣かないでアルゼンチン」の歌もあり、スポーツでおなじみのアルゼンチンの国旗色(空色と白のストライプ)の長い幕が降りてきたり、あっという間の2時間でした。やはり、ちょっと気取った踊り・タンゴはスペインの影響で、気さくなイタリア風ではないようです。


【20日(金)】
昨日でこりたので、朝食は近くのバルで軽く2個のクロワッサン、カフェオーレで済ませました。たったの48ペソ(350円)です。

マラドーナが所属していたはずのボカ・ジュニアーズ・スタジアムへ行きました。リオの巨大なマラカナン・スタジアムと違って大きさも普通だし、あまり感動しませんでした。地球の歩き方に書いていた、有名プレーヤーとの合成写真サービスも終わっていました。

その代わり、近くにあるカミニートが最高でした。小径の意味だそうです。道に並ぶ家々の壁やテラスや壁が大胆にカラフルに塗られていて、見ていて楽しいです。歩行者天国だし、タンゴの恰好をさせてくれたり、あちこち路上でタンゴを踊っていたりで楽しいのです。ATMでキャッシングして、札束で財布が膨らんでいたので、私としては珍しくタンゴ衣装の女性と写真を撮っただけでお金を取られたり、結構散財しました。ブエノスアイレスの浅草という感じでしょうか?外国人が喜ぶ場所です。

タクシーでロシア教会へ移動しましたが、明らかにメーターを操作しているらしく、メーターの数字が目まぐるしく変わります。それでも、幸い近場で110ペソ(800円程度)だから大したことはありません。たぶん、実際にはたったの60ペソ(400円程度)のはずですが。そこから歩く途中にいくつかカトリックの教会がありました。名前も忘れました。たぶん、そんなに有名でないでしょう。いつの間にか、昨日のカテドラル(大聖堂)に戻っていました。その斜め前の建物がカビルドという名前と知りました。元行政機関のようです。

ホテルに戻って今日も軽くひと泳ぎ。今晩はドリンクだけのタンゴショーを予約しているので、歩いて食べに行きましたが、意外とマックやKFCなどしかありません。やっと、ちょっとしたレストランを見つけ今日は魚料理(Merluzaで日本語ではホキ?タラ目メルルーサ科)を食べました。まぁまぁ美味しい魚料理でした。付け合わせの野菜炒めとエンパナーダも。

今日はEl Viejo Almacen という100年以上の歴史のあるタンゲリーアに行きました。斜め前ですが、割とステージに近い席でした。普通の天井の低い、クラシカルなタンゴショーでした。でも、飽きないように、ペルー楽団やソロの歌手、演奏などもありました。やや短く、1時間半ほどで終わりました。個人的には、昨日のセニョール・タンゴの方がはるかに好きです。


【21日(土)~23日(月)】
いよいよ今日は帰国の日ですが、夜9時過ぎの便ですからまだゆっくり観光できます。まず、subte(地下鉄)D線で郊外パレルモ地区にあるエビータ博物館へ行きました。知識層であるロシオからはエビータは嫌いと聞いていましたが、私は単純にミュージカルと映画「エビータ」が気に入っているので興味があります。

そのせいか、思ったより地味な一軒家風の博物館でした。でも、不遇の少女期を過ごしたエビータがモデルから女優になり、大統領夫人の地位を得て33歳で病に倒れるまでの波乱に満ちた生涯を写真などとともに紹介しています。自分が貧しかったので、貧困層に手厚く、でもある意味生活保護者を甘やかした面はあるようです。一方、少なくとも女性参政権などに尽力したのも事実のようです。個人的には来てよかったです。

周辺には植物園、動物園、日本庭園、プラネタリウムなどがあるのですがパスしました。地下鉄で移動して、ボカ港に取って代わったプエルト・マデーロ地区の港、かつその辺りのウォーターフロント地区で洒落たレストラン等がある地域へ行きました。有名らしい Rodizio Perto Madero というレストランがありましたが、入り口のメニューで値段をチェックするととんでもない値段です。1万円でやっとお釣りがくる程度です。もちろん、パス! 並んでいるレストランを全部チェックして、結局そこそこの店を見つけました。Shrimp skewer(エビの串刺し焼き)を注文しましたが、期待通り美味しく、値段もまぁまぁでした。十分です。

順番としては無駄なのですが、腹ごしらえした後、朝行った方向の地下鉄に再度乗り本屋さんへ行きました。2008年イギリスの新聞で「世界の美しい書店ランキング」2位に選ばれたことがあるらしいのです。El Ateneo Grand Splendid と言い、グランド・スプレンディド劇場(オペラ劇場?)の建物を利用した書店で確かに素晴らしい。しかも、ステージが喫茶店になっているので、珍しくケーキとコーヒーをゆっくり味わいました。回りは明らかに観光客だらけです。

私としては珍しく早めにホテルに戻り、預けてあった荷物を引きながらゆっくりとSan Martin 将軍の銅像のあるサン・マルティン広場を歩いて、来た時と同じ空港へのバス乗り場まで行きました。おかげで、かなり早く空港へ着きのんびりしました。軽く野菜サラダとマテ茶を注文しました。ダメもとでウェイトレスにペソと米ドルの併用で払いたいと言うと、あっさりオーケー。計算してもらって最後の185ペソ全てと足りない分8ドルで280ペソの支払いをしました。おかげで両替(結構手数料が高い)をしなくてすみました。お礼にウェイトレスにチップ2ドルをあげました。

帰りの途についた訳ですが、暦上は丸3日間かかります。21日21時20分ブエノスアイレス・エセイサ発―ダラス空港22日04時40分着(約10時間)。予定より50分も早く到着、ここダラス空港では入国審査(乗り換え)で初めて預け荷物を受け取らずにすみました。今回も来る時はロサンゼルス空港では、いつものように乗り換えなのにいちいち預け荷物を受け取り、預けなおしが必要でした。徐々に規則が変わりつつあるのでしょうか?空港にもよるのでしょうか?

ダラス空港では、かなり待ち時間があって午前10時50分出発―23日16時20分成田到着(約14時間!)(予定より約1時間遅れ!)。ギリギリでも予定のジェットスター便(17時45分発)には間に合いそうなのに、18時40分発のJAL便に回され、予定より1時間遅れでようやく21時頃福岡空港に到着しました。ちょうど丸2日間です。時差が12時間ですから、ちょうどブエノスアイレス空港から丸36時間で福岡空港まで帰って来ました。でも、幸い私にはこの長い飛行機の旅程も苦になりません。こうして無事に13日間の南米旅行が終りました。


空飛ぶドクター(登録商標)
坂本泰樹

旅行の満足度
4.5
同行者
一人旅
交通手段
鉄道 高速・路線バス 徒歩 飛行機
航空会社
アメリカン航空
旅行の手配内容
個別手配

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  • サンティアゴの地下鉄

    サンティアゴの地下鉄

  • モネダ宮殿、衛兵交代式

    モネダ宮殿、衛兵交代式

  • サンティアゴ大聖堂

    サンティアゴ大聖堂

  • サンティアゴ大聖堂の内部

    サンティアゴ大聖堂の内部

  • 大衆食堂メニュー<br />肉と野菜と目玉焼きとフライドポテト

    大衆食堂メニュー
    肉と野菜と目玉焼きとフライドポテト

  • エムパナダなどのスナック

    エムパナダなどのスナック

  • 夏なのに紅葉のような色の木

    夏なのに紅葉のような色の木

  • 背景にはビル群<br />サンタ・ルシアの丘

    背景にはビル群
    サンタ・ルシアの丘

  • サンタ・ルシアの丘

    サンタ・ルシアの丘

  • すごいボリューム<br />ステーキとフライドポテトと目玉焼き

    すごいボリューム
    ステーキとフライドポテトと目玉焼き

  • 大衆食堂の雰囲気

    大衆食堂の雰囲気

  • サンティアゴ地下鉄内部

    サンティアゴ地下鉄内部

  • ケーブルカーでサン・クリストバールの丘へ

    ケーブルカーでサン・クリストバールの丘へ

  • サン・クリストバールの丘からの眺め<br />ビル群の奥にアンデス山脈が

    サン・クリストバールの丘からの眺め
    ビル群の奥にアンデス山脈が

  • 同上<br />たくさんの観光客

    同上
    たくさんの観光客

  • サン・クリストバールの丘<br />マリア像

    サン・クリストバールの丘
    マリア像

  • チリ名物のドリンク<br />Mote con huesillos

    チリ名物のドリンク
    Mote con huesillos

  • cena(dinner) show の入り口<br />モアナ像(イースター島、チリ)<br />一緒になったおかまのブラジル人<br />

    cena(dinner) show の入り口
    モアナ像(イースター島、チリ)
    一緒になったおかまのブラジル人

  • ディナーショー<br />チリの民族衣装ダンス

    ディナーショー
    チリの民族衣装ダンス

  • ディナーショー

    ディナーショー

  • ディナーショー<br />一転して南太平洋風<br />(イースター島)

    ディナーショー
    一転して南太平洋風
    (イースター島)

  • 西海岸の街<br />ビーニャ・デル・マールへ

    西海岸の街
    ビーニャ・デル・マールへ

  • 1個100円程度のスナック<br />エンパナーダ

    1個100円程度のスナック
    エンパナーダ

  • ビーニャ・デル・マール<br />教会

    ビーニャ・デル・マール
    教会

  • 名前通り海岸線<br />ビーニャ・デル・マール(海)<br />チリの西海岸(太平洋)

    名前通り海岸線
    ビーニャ・デル・マール(海)
    チリの西海岸(太平洋)

  • ホテルの部屋から<br />目の前に海水浴場が見える

    ホテルの部屋から
    目の前に海水浴場が見える

  • mariscos(マリスコス)<br />シーフード

    mariscos(マリスコス)
    シーフード

  • カジノ街からのビーニャ・デル・マールの野景

    カジノ街からのビーニャ・デル・マールの野景

  • カジノの外観

    カジノの外観

  • バルパライソ名物<br />アセンソール(ケーブルカー)

    バルパライソ名物
    アセンソール(ケーブルカー)

  • バルパライソ<br />カラフルな家の壁

    バルパライソ
    カラフルな家の壁

  • バルパライソの港<br />チリ海軍の軍港

    バルパライソの港
    チリ海軍の軍港

  • アセンソールと壁の絵

    アセンソールと壁の絵

  • バルパライソ<br />カラフルな家々

    バルパライソ
    カラフルな家々

  • 階段にもぎっしり絵が描いてある

    階段にもぎっしり絵が描いてある

  • 日本の影響<br />TSUNAMI(津波)避難所のマーク?

    日本の影響
    TSUNAMI(津波)避難所のマーク?

  • 街角のチリ美女

    街角のチリ美女

  • 地下鉄やバスでよく見かける演奏家<br />小銭を稼いでいる

    地下鉄やバスでよく見かける演奏家
    小銭を稼いでいる

  • コスタネラ・タワー<br />61階、300M<br />サンティアゴ

    コスタネラ・タワー
    61階、300M
    サンティアゴ

  • コスタネラ・タワーからの眺め<br />ビル群と遠くにアンデス山脈<br />夏でも一部雪山が

    コスタネラ・タワーからの眺め
    ビル群と遠くにアンデス山脈
    夏でも一部雪山が

  • チリのドリンクの看板

    チリのドリンクの看板

  • こうやってドリンクをあちこちで売っている

    こうやってドリンクをあちこちで売っている

  • 中央市場<br />新鮮な魚介類が食べられる

    中央市場
    新鮮な魚介類が食べられる

  • アンデス山脈ツアー

    アンデス山脈ツアー

  • 鷲もいるアンデス山脈

    鷲もいるアンデス山脈

  • Patio Bellavista(レストラン街)

    Patio Bellavista(レストラン街)

  • Patio Bellavista<br />メキシコ料理でのステーキとサラダ

    Patio Bellavista
    メキシコ料理でのステーキとサラダ

  • サンティアゴ空港<br />アルゼンチン航空

    サンティアゴ空港
    アルゼンチン航空

  • Latam 航空

    Latam 航空

  • アンデス山脈越え<br />サンティアゴ → メンドーサ

    アンデス山脈越え
    サンティアゴ → メンドーサ

  • 空からのメンドーサ

    空からのメンドーサ

  • ボナーデ家の庭

    ボナーデ家の庭

  • 料理を作っているロシオ

    料理を作っているロシオ

  • メンドーサの街中<br />アイスクリーム屋で<br />ロシオとニコラスと3人で

    メンドーサの街中
    アイスクリーム屋で
    ロシオとニコラスと3人で

  • 気に入った<br />マテ茶セット

    気に入った
    マテ茶セット

  • パスタ・ソレンティーノス<br />(ラビオリの一種?)

    パスタ・ソレンティーノス
    (ラビオリの一種?)

  • ボナーデ家のみなさんと<br />

    ボナーデ家のみなさんと

  • 女医であるお母さん<br />アメリカ式の白衣でカッコいい

    女医であるお母さん
    アメリカ式の白衣でカッコいい

  • メンドーサの銅像の前で<br />夏なのでTシャツ姿

    メンドーサの銅像の前で
    夏なのでTシャツ姿

  • ロシオ<br />サン・マルティン将軍の銅像の前で

    ロシオ
    サン・マルティン将軍の銅像の前で

  • それぞれ彼氏、彼女を連れて<br />ブドウ園のレストランにて

    それぞれ彼氏、彼女を連れて
    ブドウ園のレストランにて

  • 期待外れのペンネ・ジェノベーゼ

    期待外れのペンネ・ジェノベーゼ

  • メンドーサの街中<br />喫茶店でロシオと

    メンドーサの街中
    喫茶店でロシオと

  • フリアと

    フリアと

  • メンドーサ<br />最後の晩餐<br />ボナーデ家のみんなと

    メンドーサ
    最後の晩餐
    ボナーデ家のみんなと

  • 豪華なアサード<br />ビーフ・ステーキ<br />ソーセージ

    豪華なアサード
    ビーフ・ステーキ
    ソーセージ

  • ブエノスアイレス<br />フロリーダ通りでの路上タンゴ

    ブエノスアイレス
    フロリーダ通りでの路上タンゴ

  • 幅広い7月9日大通り<br />ブエノスアイレス

    幅広い7月9日大通り
    ブエノスアイレス

  • コロン劇場<br />ブエノスアイレス

    コロン劇場
    ブエノスアイレス

  • 改修中の<br />サンマルティン劇場

    改修中の
    サンマルティン劇場

  • レコレータ墓地<br />エビータの墓

    レコレータ墓地
    エビータの墓

  • エバ・ペロンの石碑

    エバ・ペロンの石碑

  • AFSアルゼンチン事務所

    AFSアルゼンチン事務所

  • 世界地図の前で<br />I love Chile のTシャツを着て

    世界地図の前で
    I love Chile のTシャツを着て

  • AFSアルゼンチンのスタッフ

    AFSアルゼンチンのスタッフ

  • ピンク色の大統領府<br />(カサ・ロサーダ)

    ピンク色の大統領府
    (カサ・ロサーダ)

  • カビルド<br />植民地時代の行政機関<br />今は2階が5月革命博物館

    カビルド
    植民地時代の行政機関
    今は2階が5月革命博物館

  • ブエノスアイレス大聖堂の内部<br />(カテドラル・メトロポリターナ)

    ブエノスアイレス大聖堂の内部
    (カテドラル・メトロポリターナ)

  • subte と呼ばれる<br />ブエノスアイレスの地下鉄

    subte と呼ばれる
    ブエノスアイレスの地下鉄

  • Senor Tango 外観<br />ブエノスアイレス

    Senor Tango 外観
    ブエノスアイレス

  • セニョール・タンゴ内部

    セニョール・タンゴ内部

  • 「空飛ぶタンゴ」

    「空飛ぶタンゴ」

  • 演奏も

    演奏も

  • エビータのメインソングとともに<br />アルゼンチンの国旗<br />(水色と白のストライプ)

    エビータのメインソングとともに
    アルゼンチンの国旗
    (水色と白のストライプ)

  • タンゴ!

    タンゴ!

  • ボカ・ジュニアーズ<br />10番、マラドーナ、メッシ

    ボカ・ジュニアーズ
    10番、マラドーナ、メッシ

  • ボカ・ジュニアーズ<br />サッカー競技場

    ボカ・ジュニアーズ
    サッカー競技場

  • カミニート<br />ブエノスアイレス

    カミニート
    ブエノスアイレス

  • 有料だが

    有料だが

  • カミニートの野外レストラン

    カミニートの野外レストラン

  • オベリスコの見える<br />ブエノスアイレスの街並み

    オベリスコの見える
    ブエノスアイレスの街並み

  • 正統派のタンゲリーア<br />El Viejo Almacen

    正統派のタンゲリーア
    El Viejo Almacen

  • エビータ博物館

    エビータ博物館

  • プエルト・マデーロ地区<br />乙女の橋

    プエルト・マデーロ地区
    乙女の橋

  • すごい本屋さん<br />グランド・スプレンディド劇場を改造した書店<br />ステージが喫茶室に

    すごい本屋さん
    グランド・スプレンディド劇場を改造した書店
    ステージが喫茶室に

  • サンマルティン将軍像

    サンマルティン将軍像

  • ブエノスアイレス空港<br />(エセイサ国際空港)

    ブエノスアイレス空港
    (エセイサ国際空港)

  • 長い帰国の途へ

    長い帰国の途へ

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