パナイ島 旅行記(ブログ) 一覧に戻る

今回はアウトバウンドの仕事です。あしながジュニアイングリッシュキャンプに医師として同行します。あしなが育英会主催です。行先はフィリピン・パナイ島のイロイロ(Iloilo)です。ダジャレのような地名です。「色々」ではありません。後で知ったのですが、意外と重要な都市のようです。日本中からの中学生と一部小学生(高学年)、合計66名参加です。それをサポートするスタッフ数も30名近くいます。<br /><br />主な仕事は子供たちの健康管理で、経験上、風邪症状や頭痛、腹痛などを素早く治してあげることです。もちろん暑いところなので、熱中症にも要注意です。ところが、想定外のことが起こり事態は一転します。<br /><br /><br />【3月25日(土)】<br />今日は恒例のAFS春年間生が飛行機で福岡へやってくる日です。博多支部長の私はもちろん出迎えに参加しました。博多支部ではそのまま簡単にオリエンテーションをするのですが、16時20分発のANA羽田行きに乗らなければならないので、途中で退席しました。今日は前泊なので成田なのですが、この出迎えのために少し遅い便にしたかったので、成田空港直行便がありません。羽田からリムジンバスにのり成田空港へ行き、そこからホテル日航成田のシャトルバスで到着したのは午後8時頃でした。あしながの職員から必要書類、名札などを受け取り、関係者に挨拶しただけで部屋にチェックインしました。軽くおにぎりを食べていたのですが、部屋にはハンバーグカレーが置いてあり、有難くいただきました。<br /><br /><br />【3月26日(日)】<br />約100名とともに、ホテルでの朝食後、7時15分頃バスですぐ近くの成田空港へ移動し、余裕を持って9時30分のフィリピン航空マニラ行きへ乗ります。意外と遠く5時間近くかかりました。時差は1時間で現地時間午後1時半頃到着しました。フィリピンは30年以上前独身の頃、マニラと近郊ビーチに行ったことがあります。二度目です。今時珍しい機内で、個別モニターも団体のモニターもありません。最後尾の無料スナックやドリンクのコーナーもありません。驚いたのが、天井からミストがかなり派手に出てくることです。これなら、機内の乾燥を防げます。<br /><br />乗り換えのマニラ空港はわかりにくく、どちらから入国審査に行っていいのかわかりません。アメリカ人職員アイザックと一緒でしたが、回りにグループの誰もいないのに気づき元に戻りました。職員の数人が入国審査の入り口にとどまっています。児童売買の盛んなフィリピンは子供の入国審査が厳しいらしく、15歳以下(今回のほとんどの生徒たち)はビザではないが特別な審査書類が必要なようです。ですから、手続きに時間がかかっていました。アメリカのように経由地でも一旦荷物を引き取るのですが、X線も通さず結局新たにラベルを貼って元のターンテーブルに戻すのです。意味がわかりません。面倒なだけですが・・・<br /><br />時間に余裕があったので構いませんが、マニラ発午後4時50分発のPR2145便でイロイロへ。午後6時には宿舎へ到着しました。我々のホテルは Adhara Resort でロッジタイプです。私の部屋は有難いことにスイートで、一人なのに大きなベッドが二つもあり広いです。但し、南国なのでシャワーのみです。スタッフの一部と主に中学生がこのホテルで、小学生と他のスタッフは近くの Sheridan Hotel です。人数が多いので、夕食から全てバイキング料理のようです。午後7時から長粒米のパサパサご飯とおかず3品程度とスープがありました。まぁ、こんなものでしょう。食べれないほどまずくはありません。ある男子生徒がこのご飯を見て、水の配合を間違えていると言います。男の子にしてはご飯を炊いたことがあるのでしょうか?でも、実際はコメの種類自体が違うことを教えてあげました。<br /><br />現地での携帯電話とシムカード、プリペイドカード(発信用)を受け取りました。シムカードは簡単に入れて安心していました。後で、このままでは発信できないことを知りプリペイドカードの番号を入力しました。<br /><br />まだ到着したばかりですが、歯痛の女子小学生に鎮痛剤を渡し、フライト直後から左こめかみ痛、頭痛を訴える中学生男子は経過観察のみにしました。<br /><br /><br />【3月27日(月)】<br />実質、最初の朝です。7時半から全員で体操をします。聞いたことのある日本のヨーデル体操、それから世界で流行っているらしい体操をフィリピン人スタッフ2人、日本人スタッフ2人がリードしながら踊ります。8時15分くらいからバイキング形式の朝食です。高級ホテルではなく、子供たちのキャンプみたいなものですから、ご飯とおかず3種類だけです。しかも、アメリカ文化の影響のせいか野菜は少ないようです。さぁ、いよいよ子供たちの英語研修などを横から見ながら、フィリピン英語を観察して子供たちの健康管理をしようとのんびり朝が始まったはずでした。<br /><br />ところが、事態は急展開! 携帯電話が鳴り、ある男性の右手に脱力感がありフォークが掴めないとのことです。 えっ、誰? 82歳? 今回は子供たちのキャンプでスタッフは大人もいますが、割と若い人が多いのに。そう言えば、有名な社会学教授で弟子グループを引き連れて今回のあしなが育英会フィリピン英語研修の調査研究に来る一団がいることを思い出しました。ともかく、病状は「脳卒中」の疑いがあり緊急性があるので、車の手配をしてもらって25分程度の Richmonde Hotelへ急行しました。<br /><br />ホテルの朝食会場に患者さんはいました。S先生です。82歳でパーキンソン病があるようです。朝食を前に左の口からよだれを垂らし、ズボンの大事な辺りが湿っています。泌尿器科が本業の私としては尿失禁かと思ったのですが、回りの人に聞くとよだれがその辺に落ちているだけのようでした。軽く診察すると、明らかに右手の握力が落ちています。本人も右手の脱力感を訴えます。構音障害はないようです。つまり、所謂ろれつが回らないことはないようです。血圧は125/60程度と正常でした。まず軽い脳卒中で間違いないと判断し、病院へ急ぎます。ちょっと考えましたが、国によって状況も違うし救急車を呼ぶよりミニバンでそのまま病院へ直行した方が早いと判断しました。不幸中の幸いで、今回契約している男性ナースが病院も選んでくれ、前もって連絡してくれています。すぐ診てもらえるはずです。<br /><br />患者さんについて書くと、「福祉社会学」の命名者で著名な学者のようです。教授を歴任し、筑波大学では副学長までされたようです。まだお会いしていないあしなが育英会会長(創始者)玉井先生と同じ歳でずっと懇意なようで、今回のプロジェクトの教育的意義の学問的調査団として、弟子にあたる日本各地からの研究者9人で現地に同行しているのでした。ところが、リーダー自らが病に倒れたわけです。<br /><br />着いた病院名は The Medical City Iloilo です。大きな深い河の目の前です。すぐに、救急外来で女医さんが診断し、もちろんCT検査をします。CTの撮影後に、神経内科専門医Dr. Anna Nina Natalia Tayo(同じく女医)が診察してくれます。私が通訳しながら、丁寧に神経学的検査をします。やはり、右手が曲がって伸ばせない状態で、右足に Babinski(病的)反射(錐体路障害)があります。私の目にはほとんど分かりませんが顔面表情も左右差があり、少し右側が歪んでいるようです。認知機能の検査もします。日付を聞かれますが、最近忙しくてあまり気にしていなかったのではっきりしないが3月下旬だと答えます。西暦を聞かれてもちゃんと2017年と答えます。異常なしです。<br /><br />脳(単純)CTでは、明らかな病変は描出されませんが、臨床的に軽度の脳梗塞は間違いありません。脳出血の場合は、早期でもCTに映るはずです。この段階では、ICUに入院になっていました。ICUなので部屋の出入りが面倒です。ガウンを羽織り、靴には使い捨てカバーを、帽子とマスクをします。本来は見舞いも一人ずつで午前8時から9時と午後5時から6時だけと厳しいのですが、言葉の問題もあり例外扱いにしてもらい我々だけには少し緩い規則を適応してくれています。ですから、私と秘書のOさんが一緒に部屋にいます。<br /><br />山のようにある持参薬の整理をします。商品名だけの薬やジェネリック(一般名)が分かるのと色々あります。苦労して大体整理できました。判明したのは、パーキンソン病以外にも狭心症、高血圧、糖尿病、高脂血症があります。これに肥満があれば、完全なメタボリック症候群で、いずれにせよ脳卒中などの高リスクで、実際に発作を起こしてしまった訳です。S先生も認めていますが、真面目にきちんと内服していないようです。よくあることです。後で主治医から聞いたのですが、やはり HgbA1c は7%と高く、真面目に薬を飲んでいなかったので血糖値もコントロールされていなかったようです。参考までに、HgbA1c とは現在の血糖値だけでなく過去2ヶ月くらいの平均した血糖値を反映するので血糖値のコントロールの具合の指標になります。<br /><br />タヨ先生の説明で私もよく知らなかったこととして、最初の24時間だけは脳の血流を確保するために、むしろ血圧は高目にコントロールするそうです。血糖値は厳密にコントロールしますが。抗血小板療法などを始めます。ずっと付き添っている女性が秘書のOさんです。もちろん、入院中は一番近親者代わりに付き添っていました。S先生がオシッコをしたいと言い出します。通訳すると、ナースが紙オムツにしろと言います。でも、患者としてはトイレに行きたいと言います。もちろん、ベッド上安静です。仕方がないので尿器(urinal)を要求し、成り行きで私がじきじきに手伝います。泌尿器科の専門医である私は職業病で、うん82歳にしては尿勢があるなとか、やはり切れが悪いので終わり際時間がかかるな、などと考えて楽しんでいました。ただ、面倒なので近くにいたナースに「ショーベン」は「piss」と教え、S先生にも「ピス」と言ったら通じると教えました。<br /><br />やっと解放されたのはもう午後2時近くでした。Oさんを部屋に残し、ミニバンで一緒に動いている添乗員のTさんと病院1階にある喫茶店に入り、サンドイッチ、冷たい飲み物、エスプレッソで少し空腹と喉の渇きを抑えました。いきなり大役で気が張っていたので、疲れはあまり感じませんでした。本来の仕事であるあしながジュニアイングリッシュキャンプのアドハラホテルへ戻ったのはもう3時半頃でした。不在の間に開会式等が行われていました。<br /><br />ただ、先程の脳梗塞に比べると重症度、緊急度が違うので、あまり問題はありません。実質まだ初日ですし。もちろん、関係者のS先生が倒れたのでキャンプの責任者Nさんも了解していて優先させてもらっています。ナースの資格はないけど、児童教育の専門家Kさんが看護班として子供たちの健康状態を班のリーダー経由で把握してくれています。まだ問題のある子はいないと報告を受けました。別のホテルの小学生グループもIさんが責任を持ってくれているので、必要があれば連絡があるはずです。<br /><br />やっと本来の仕事に戻って、むしろのんびりできます。子供たちの活動の近くで待機するだけです。S先生のグループの一人は私と同じ福岡から来ていました。太宰府の近くの女子短大で教えているようです。また、Kさんという今回のプロジェクトのアドバイザーとも知り合いました。アフリカに詳しいようです。今回の仕事の関係で最初に私に連絡してきたHさん(日本待機)にS先生の病気のことについて電話で詳細に報告しました。Lineの通話で話すのは初めてでした。<br /><br />6時過ぎには夕食です。カバナ(窓のない開放的な部屋、家)で食べます。もちろん、バイキング形式で基本はご飯、3品のおかず、スープ、デザートです。今朝、ランドオペレータの日本人が注文を付けてくれたので早速野菜が増えていました。食文化に関しては完全にアメリカ文化の影響で野菜をあまり取らないようです。ベトナムやタイのような豊富な野菜料理がなさそうです。残念!<br /><br />8時のミーティングの前後に看護班Kさんから報告があり、偏頭痛もちの中学生を連れて来ます。ある程度鎮痛剤は自分の薬について知っているので、それを参考に持参している鎮痛剤とめまいもあるのでその薬も渡しました。<br /><br /><br />【3月28日(火)】 <br />朝は病院へ行くので、途中の昨日のS先生らのホテル、リッチモンドホテルで添乗員Tさんと秘書Oさんとバイキングの朝食を取りました。もちろん、アドハラホテルと違い高級ホテルの料理で何でもあり美味しいです。せめてもの役得です。<br /><br />3人ですぐに病院のICUへ見舞いに行きます。Oさんと2人で同時に中に入れます。一応ICUの面会時間は午前8時~9時、午後5時~6時だけです。言葉の問題もあり少し我々には甘くしてくれています。S先生は幸い元気です。昨日(発作時)よりは表情もしっかりしています。マヒの程度は変わらないようで、まだ右手が曲がったままで伸ばせないようです。しっかり話もできます。よだれも今日はほとんどありません。便秘でまだ通じがなく、大量の薬の中にあったプルセニド以外も欲しいと言います。自分の財布に入っているそうです。昨日、タヨ先生からも聞かれましたが、ナースから心エコーとMRIを受けるか聞かれました。検査のゴーサインを私が出しました。費用は6万円と2万円とかかるようです。でも、やはりやった方がいいし、お金は保険から出るはずです。<br /><br />病院で現地のフィリピン人の保険会社からの女性を見かけました。もちろん、発生した病気や病人の現地調査に来ていたのでした。後日、秘書のOさんからとんでもない話を聞きました。この女性からの東京へのレポートを受け、たぶん東京本社からの指示ですが、以下のような「提案」が保険会社からされたそうです。一旦退院して、保険会社が手配する自家用機(医者とナースが付き添う)でマニラへ飛び、現地の医者に診てもらい必要あれば再入院したらという提案です。自家用機は200万円するが保険からお金はおりるので心配なく、自家用機で高度が低いので気圧の影響も少ないともっともらしいことを言ったようです。<br /><br />でも、これは医学的には明らかに誤りです。そんな屁理屈ではなく、脳血管障害の急性期(ICUに入っています!)に車や飛行機で移動することの方がはるかに危険です。再発作を誘導します。マニラの病院へ行くというのも中途半端です。ここイロイロの病院が信用できないという偏見でしょう。念のために主治医のタヨ先生にも確認しましたが、私と同意見で最低でも7日間は安静が必要というのが常識のようです。<br /><br />以前に尊敬する日本旅行医学会専務理事の篠塚先生から、似たような話を聞いていたのも参考になりました。表沙汰にはなっていませんが、以前ある医師(感染症が専門)が誤った判断で同様のケースで飛行機で日本の病院へ運ぼうとして、患者さんは亡くなったそうです。私の友人で元商社マンも、東南アジアの駐在員の間では病人が出たら、せめてすぐにシンガポールの病院へというのが常識だと自信を持って言っていました。もちろん、東南アジアの病院レベルが低いと決めつけた偏見からでしょう。急がない病気ならそれも一理ありますが、こういう血管系の急性期は話が別です。動かすこと自体、リスクが高いのです。保険会社を含め素人にはその辺の区別がつかないのです。医者でも上記のように急性期医療を知らない人がいるのですから。<br /><br />今日は午前中にはアドハラホテルへ戻れました。子供たちの英語レッスン5グループを覗くと、やり方はファシリテーター(フィリピン人英語講師)によって多少違うものの、身体の名称を歌で覚えさせるゲーム感覚のレッスンをしていました。昔どこかで見たことのある英語のゲーム式レッスンです。私が半分知っていた通り、フィリピン人の英語講師は発音がほとんどアメリカ英語に近く違和感がありません。物価が安く、セブ島などで観光を兼ねて英語を勉強するのが流行っている理由です。私の知人の若い歯科医も1ヶ月くらい勉強しに来たそうです。<br /><br />昼食は、またご飯とおかず3品、スープ、デザートの同じパターンです。せめておかずの野菜は少し増えています。午後は最初のフィリピンキッズとの交流のようです。午後4時頃病院から電話があり、6時頃に再度来て欲しいようです。全て私がいないと詳しい内容が誰も理解できません。たぶん、成り行きでとことん付き合わないといけません。<br /><br />わざわざ呼び出されたので、心エコーとMRIの結果の説明かと思ったら、まだ施行していません。タヨ先生は忙しいらしく、ICUで待たされたあげく院内電話で会話しました。明日の心エコーとMRIの承諾書にサインして欲しいようです。ナースが承諾書を持って来て書類にサインしますが、身内の欄にOさんが、interpreter の欄に私がサインします。晴れて「通訳」になりました。ところが、OさんはIDとしてパスポート番号が必要でホテル(リッチモンド)へ戻って来なければなりません。<br /><br />もう午後7時半過ぎ、たぶん自分のホテルのバイキング料理は残っていません。すると、Oさんがどうぞリッチモンドホテルのレストランで好きなものを食べて下さいと言ってくれました。どうせ一緒にホテルへ戻ります。遠慮なく、この辺では最高級ホテルらしいリッチモンドで US rib-eye black angus steak with baked potatoes(アンガス上ステーキ、ふかしポテト付き)を食べました。割と安くて950ペソ(約2300円、1 ペソ=約 2.3 円)でかなり本格的な美味しいステーキでした。昨年、中国の北京で食べた不思議なステーキと違い本物でした。<br /><br />自分のホテルに帰り着いたのは午後9時も過ぎていて、ミーティングも終わっていました。せめて、責任者のNさんに挨拶しておきました。でも、この日は別に問題のある生徒はいないようで、看護班のKさんからも電話はありませんでした。<br /><br /><br />【3月29日(水)】<br />結果的に、今日は初めて一度も病院へ行かずにすみ、一日中本来の仕事であるあしなが英語研修にいました。朝は体操から始まり、いつもの朝食です。午前中は各グループ2人のフィリピン人ファシリテーター(講師)が上手にゆっくり喋って教えています。英語だけで進行しています。<br /><br />もう到着して4日目ですが、あまり暑くないです。普段は一番暑い時期のようで、パイロットケースで実施した昨年は10数人の内、半数が熱中症で病院へ行ったようで、医師の私が今回依頼された理由の一つのようです。でも今年は幸い、曇ったり小雨が降ったりでうだるような暑さまではありません。日本の初夏程度です。<br /><br />今日の昼食はいつもの場所ではなく、同じ敷地内のちょっと離れた場所にある食堂(サンセットビーチ)です。今日はシェリダンホテルで主に研修している小学生グループも合流しています。普段あまり診れない小学生もいます。小学生グループの看護班Iさんからの報告もあり、小学生数人と中学生数人を診察しました。薬まで出したのは2人だけです。9号室(Suite 9)(救護室?ダジャレ?)で寝かせる生徒も何人かいます。身体的または精神的に疲れているだけの生徒も多いので、若い年代の子供らは休ませるだけでも落ち着きます。<br /><br />今日の午後の行事は市内学校訪問、生徒たちとの交流です。午後1時半出発して Botong-Cabanbanan National High Schoolへ行く中学生に同行しました。フィリピンではごく最近教育制度が10年制から12年制へ移行し、日本や米国と同じようになったそうです。ですから名前はハイスクールですが、主に中学生のいる学校です。女性の校長先生の部屋へ順番に挨拶に行きます。<br /><br />クラスに分かれて交流しますが、私はグループ3について行きました。9年生(中3)のクラスのようでした。授業は何と校長先生が自らやっています。最初の自己紹介など日本人生徒はシャイでした。でも、ゲームを一緒にしたり折り紙(鶴や紙飛行機)を教えたりしているうちにだいぶ打ち解けたようでした。最後に、屋外で全員の前でフィリピンキッズ代表のダンスがあり、非常に盛り上がりました。分かれる前には、自撮りなどで盛り上がっていました。「葵」君がモテモテで、積極的なフィリピンキッズ(女の子)に取り囲まれて大騒動でした。まるでジャニーズのようでした。<br /><br />ホテルへ帰る途中、Church of the Immaculate Conception, Oton, Iloilo へ立ち寄りました。日本語に訳しにくい教会名です。スペインの影響のあるフィリピンですから当然カトリック教会でしょう。「無原罪懐胎」という意味のようです。<br /><br />4時半頃にはホテルへ戻ったので、生徒らが来る前にプールでひと泳ぎしました。途中から、生徒もやって来ましたが。着替えると、ちょうど秘書のOさんから電話があり、主治医のタヨ先生からの電話を6時頃から待っていましたが、結局8時過ぎになり今日は行かなくていいようです。<br /><br /><br />【3月30日(木)】<br />今朝は忙しい。6時45分に自分のホテルを出発し、7時10分頃にはリッチモンドホテルへ到着。役得で高級ホテルの朝食を食べていると、秘書のOさんが合流し7時40分にホテルを出発し、割とすぐに病院(The Medical City Iloilo)へ到着。すぐに病院車でMRI検査のできる病院へ移動かと思ったら、その前にICUに呼ばれる。ICUに入るには、毎回ガウンを装着し靴に付ける使い捨てのカバー、場合によっては帽子とマスクと重装備なのでいちいち面倒です。<br /><br />いつものように、通訳が私の大事な仕事です。金属が邪魔なので、入れ歯を外してもらう必要があります。でも、患者であるS先生は洗面所でないとできないと言いますが、我慢してもらって鏡を私が保持し、たらいを下に置き、自分でやってもらいます。確かに、発作後初めてのようですし、利き腕の右手先が少しマヒしています。自分では15分かかると言っていましたが、幸いほんの15秒で上の入れ歯が取れました。次に、下の入れ歯もあっさり取れました。他に、手術等で体内に金属がないかを確認しました。<br /><br />オシッコをしたいと言います。オムツに排尿は嫌なようで、私が尿器を当てて手伝います。82歳の男性にしては勢いもまぁまぁで短時間で終わります。300mlたっぷり出ました。8時出発予定と聞いていましたが、実際にはやっと8時半になって病院の救急車で出発します。ナースと女医が前席に座り、私と秘書のSさんは狭い患者のストレッチャーの横に座ります。サイレンを鳴らすので、救急車として渋滞でも割と早く進みます。<br /><br />15分ほどで着いた病院の名前が面白く Iloilo Doctor’s Hospital です。世界中いろいろな病院を見ましたが、病院名にわざわざ「医者」とついているのも、当たり前過ぎて却って珍しいと思います。まず、薬代(造影剤)を支払うように言われ、Sさんが3700ペソ程度払い領収書をもらいます。やっとMRIの検査が始まります。途中で私が呼ばれ通訳しますが、どうも患者さんは頭が圧迫で痛いと言います。痛いのは我慢するが、怪我をしないか心配だと言います。子供をなだめるように、怪我をするようなことはありませんと説得します。<br /><br />始まる前に約1時間半かかると言われました。たぶん、MRIは日本と違い、やや旧式なので時間もかかるのでしょう。単純MRIが終って造影剤を使う前に、また呼ばれます。また、オシッコしたいそうで尿器で取ります。確かに250ml出ました。点滴で利尿がついているのでしょう。しばらくしてまた呼ばれます。今度は左足が痛いと言います。圧迫された感じがするそうです。見ると、何もないので心配ないと説得します。<br /><br />やっと終わりそうになった時点で、MRI検査の料金を支払います。造影剤と別に約1万ペソです。合計1万4千ペソ程度、日本円で3万円程度です。やっと終了したのは11時前でした。病院というところは少しずつ時間がかかるのを医師として熟知しているので予想はしていましたが、入院先の病院へ戻ったのは11時25分頃でした。8時から10時までなどいうのは最初から無理だと思っていました。<br /><br />今から、気になるので再度心エコーをするのに立ち会って欲しいとナースに言われましたが、前日と同じで必要ないと思ったのと、本来の仕事のあしながグループに戻れないので断りました。やっと待ってくれているミニバンでホテルではなく、今日のイベントの目的地、SM(ショッピングセンター)へ直接行きました。2階の Food Hall に行くと私の方が先に着いていたらしく、しばらくしてみんなと合流できました。我々スタッフはここで待機です。生徒たちはファシリテーター(現地フィリピン人講師)、日本人リーダーたちと今日のミッションでお買い物です。その前に、今日の昼食はファーストフードです。<br /><br />私が強く希望して我々6人はフィリピン人に超人気のJollibeeでのファーストフードです。私は店構えやメニューに興味があるので、ランドオペレータと2人で買い出しです。予想通り大したことはないのですが、人気の理由は一つには値段でしょう。物価が違うとはいえ、スパゲッティが120円程度です。私は無難そうなアメリカ並みのホットドッグに安物のチーズが乗ったのを注文。もちろん、ハンバーガーもあります。特徴的なのは、ライスがあることです。アイスクリームも4人分(私はジェラートに拘るのでパス)、コーラといろいろ頼んで6人分で2400円程度。安さが魅力でしょう。食べてみると、予想通り大したことはないです。でも、どの程度の味か一度は経験したかったのです。どう大したことがないのか。でも報道によると、フィリピン人には大人気で、出稼ぎ大国のフィリピン人には「故郷の味」らしいのです。<br /><br />3時過ぎには、全員(中学生組)アドハラホテルへ戻りました。4時半頃、藤村氏が挨拶に来ると待っていました。昨夜来られた方で、あしなが育英会の副会長で、何と<br />前の野田内閣での官房長官だそうです。丁寧に、S先生の発症からの病状を説明しました。今日、見舞いに行かれているので、結構お元気なことは知っているようです。<br /><br />ちょっと早いですが6時頃4人で Breakthrough という海辺の高級シーフードレストランへ行きました。Talaba(蟹ではありません、カキです)、カニ身、イカなどの食事、シュリンプ入り焼き飯、ハマグリ入りスープ(フィリピンらしく酸っぱい)。デザートも4種類注文しました。本音ではまぁまぁでした。やはり、イタリアと違って感動するほどの味にはなかなか出会えません。でも、こちらでは確かに高級レストランでしょう。眺めもいいし、木曜日の夜なのに結構お客さんがいっぱいでした。<br /><br />副会長の藤村氏からはあしなが育英会はあしなが交通遺児育英会とは別物だと聞きました。実質、分裂したそうです。玉井義臣(現あしなが育英会会長)らが始めた交通遺児育英会とは別に災害遺児などをサポートするNGOが「あしなが育英会」だそうです。悪く言うと、乗っ取られたような感じです。公益財団法人「交通遺児育英会」とは別物ですが、昔ながらに「あしながおじさん奨学金」と呼んでいるので、私を含め混乱している人が多そうです。ですから現在のNGO「あしなが育英会」は会長・玉井義臣氏、副会長・藤村修氏を中心にもっと広く災害遺児をサポートし、今ではアフリカの遺児のサポートもしています。<br /><br />8時半頃戻ると、女子2名が風邪気味で薬を渡しました。夜、10時過ぎてから主治医のタヨ先生から電話があり、MRIでやはり複数の脳梗塞が見つかったそうです。保険会社に出すのに、証明になるMRIのレポートを書いてもらうように頼みました。明日にも患者さんを普通室に移すようです。病状は私の希望的予想通り、マヒもどんどん改善しています。だいぶ、右手の指先も動くようになったようです。タヨ先生はずっとは病院にいないことが分かった(今日は夜9時過ぎにのみ病院へやって来た)ので、明日の予定を聞くと午後2時に来るそうで、それに合わせて面会にしてもらいました。退院は月曜日になりそうで、近畿日本ツーリストの人が帰りのチケットの手配をしていますが、フィリピン航空の乗車許可をもらうために書類が必要なはずです。私が日曜日に帰国する前に手続等をしておかないと面倒なので連絡しようと思っています。<br /><br />電話でタヨ先生と話していてビックリする話がでてきました。面と向かって話していると訛りもあまりないしタヨ先生の英語も分かりやすいのですが、携帯電話だと音が悪いのか少し聞き取りにくいことがあります。患者のS先生にICUでビールを飲ませたと聞こえました。まさかと思い、許可したのかと聞き直すと、ICUでビールを飲まないと食が進まないとバカなことを言われて呆れたと言ったのでした。<br /><br /><br />【3月31日(金)】<br />今日は朝からみんなと行動。体操、朝食、午前中の英語レッスンのすぐ側で待機して、風邪だの頭痛だの腹痛だのだるさだの軽症ですが、結構訴えのある子らが時には一人で直接来ます。<br /><br />11時半に早めに昼食です。今日は午後から昨日と同じSM(ショッピングモール)へ行く予定です。私も一旦同行し、少し一緒に過ごしてから2時の約束の病院へ向かいました。ちょうど2時からSMで大掛かりな地震の防災訓練のようでした。<br /><br />2時10分頃に病院に到着すると、タヨ先生が病棟にいました。昨日から Acute Stroke Unit へ移動しています。日本語で何と訳していいのか知りませんが、要するに、脳卒中専門のICUです。出入りが制限され、ガウンなどが必要なのは同じです。見舞いも本来は制限されていますが、S先生だけは言葉の問題もあり特別扱いを受けています。S先生は初日から大便は仰向けに寝ていては出ないと言っていましたが、この部屋にはポータブルトイレ(知りませんでしたが、英語では commode と言うようです)が置いてありました。大便の時だけは移動の許可が出ているのでしょう。<br /><br />まず、正式なレポートではないものの昨日のMRIで4ヶ所小さな脳梗塞があるようです。ラクナ梗塞のようです。必ずしも左側だけでなく、臨床症状と合います。つまり、マヒや運動障害は右だけでなく左側にも少しあります。但し、一番ひどいのは右手首より先の脱力感やマヒと足も右の方が動きが悪いようです。それと、effusion とか fluid という、所謂「液体」が少し硬膜下に溜まっているようですが、これは陳旧性の脳出血かもしれません。但し、もともとパーキンソン病という全身の神経疾患があるので病状が複雑になります。<br /><br />次に、帰りのS先生のフライトの手続きにフィリピン航空の書式を書いてもらおうとしますが、患者のサイン(かろうじて書けた)などをもらってから、タヨ先生に書いてもらわなければなりません。でも、フィリピン航空の医者の承認が要るあたりが、書類審査だけなのか診察まで必要なのかはっきりしません。<br /><br />それと、昨日のMRIの正式レポートと写真そのもの、CDなどを昨日の支払い領収書を持って、昨日の病院まで誰かが取りに行かなければならないとわかり、その手配等で時間がかかります。その一環で、やはりリハビリをしようということになり、忙しくなります。今日、普通病棟へ移れることにもなりました。24時間誰かがつかなくてよくなりますし、出入りも人数も自由になります。<br /><br />明日土曜日は、タヨ先生は朝5時に病棟へ顔を出し、日曜日は夕方病棟へやって来て、その時までに問題がなければ月曜日(4月3日)に退院の予定です。ということで、よく考えたら私も明後日帰国だし、明日はタヨ先生もいないので私の出番はないということで、S先生に最後のお別れをしました。入れ替わりに、昨日お会いした藤村氏が見舞いに来ています。<br /><br />ところが帰ろうとすると、リハビリの医師が意外に早くやって来ます。またも女医さん! 今回関係した医者は全員女医さんです。救急医、主治医、他院でのMRI検査に同行した医師、他院の放射線科医、リハビリ医、偶然とはいえ5人とも女医さんです。いくら女性が活躍するフィリピンとはいえ、フィリピンに男性医師はいないのか! それはともかく、リハビリ医の診断に付き添わなくてはいけません。もちろん、通訳です。<br /><br />やっと終わって帰ろうとすると、ナースか事務員か分かりませんが、先ほどサインしたリハビリの承諾書に住所や携帯電話番号、IDとしてパスポート番号などを書かされます。やっと、車も手配できているし今度こそ帰ろうとすると、男性2人がやって来て、病棟を移る前の清拭(風呂の代わりに体を拭く)かと思ったら、超音波と電気刺激の機械を持ってきたリハビリ技師のようです。結局、機械まで使うのでS先生が怖がり悲鳴を上げ、結局私はリハビリの通訳まで付き合う羽目になりました。<br /><br />まずは、治療用の超音波らしく、両大腿の深部筋肉の刺激らしいです。S先生に聞くと、自分では刺激など何もないようです。続いて、両大腿に神経の電気刺激らしい治療を始めました。電圧を上げていって痛みなどの不快感をチェックしながら規定の数値まで上げたようです。血圧などのモニターでチェックしながらの治療です。途中で、鼻から大きく吸って口から大きく吐き出す深呼吸の練習もさせていました。<br /><br />それからようやく所謂リハビリが始まりました。手首を伸ばしたり屈曲したり、内旋・外旋したり、肩から大きく動かしたり、次に足を曲げたり伸ばしたり、上に蹴らせたり(手で邪魔をして負荷をかけます)などの運動を2人のリハビリ技師が指導します。たぶん、後からやる一人は見習いだろうと思います。<br /><br />ようやく終わり解放され、S先生に本当に最後のお別れの挨拶を再度しました。聞いていた電話番号でドライバーを呼び、ミニバンで Adhara ホテルへ帰り着いたのは7時過ぎでした。スタッフリーダーに電話していたので、かろうじて夕食をとってもらっていました。心身ともにタフな私ですが、今日は気楽に(1~2時間のつもりで)病院へ行ったのに予定が大きく代わりかなり通訳などで拘束されたので、さすがにくたびれました。心身とも。午後8時からのスタッフミーティングにも何とか参加し、9時半には床に就きました。<br /><br /><br />【4月1日(土)】<br />いよいよ実質最終日です。今日はようやく丸一日子供らと過ごす本来の仕事ができそうで気分的に楽です。朝の体操から、朝食です。珍しくワッフル、ソーセージと生野菜サラダです。朝食会場でもあるカバナ(屋根だけの開放的な建物)で待機していると、スタッフやリーダーに連れられた生徒たちがやって来ます。主に、風邪症状や頭痛、疲れ程度で9号室で寝かせて休ませることもあります。ナースの資格はないけど、児童教育の専門家であるKさんが看護の責任者としてテキパキと働いてくれるので助かります。<br /><br />午前中はカバナでの生徒たちの英語学習の様子を眺めたり、昼食は3日前と同じ少し離れた場所の食堂で、小学生たちもシェリダンホテルから来ています。午後3時からいよいよ閉会式です。あしなが育英会副会長の藤村氏の日本語の挨拶をアメリカ育ちの若い日本人女性が通訳します。日本人生徒(あしながキッズ)の英語での一言ずつの挨拶があり、ちょっとした寸劇などを披露します。フィリピン人スタッフのダンスもあります。かなりフィリピンキッズとあしながキッズは打ち解け、抱き合っています。残念ながら、開会式にはS先生の病院騒ぎで出席できなかったのですが、やはりその時あしながキッズはかなり緊張していたそうで開会式と閉会式でずいぶん雰囲気が違うようです。<br /><br />今日も藤村氏と話す時間が少しありましたが、S先生は若い頃は文学青年で1957年には小説「闘牛」で第38回芥川賞候補にまでなったそうです。そう言えば、今回の入院先でも(病状が軽かったこともあり)フィリピンの病院スタッフはレベルが高いと客観的に感心されていました。この経験を一文にしそうなことを言っていました。<br /><br />くしくも、秘書以外に交代で看病していた若い男性学者(S先生の弟子)も病院なのに明るいスタッフに感心していて、私に外国ではこんなものかと聞きます。私は違いますと答えました。たぶん、これはフィリピン人の特性だと思います。アジアなのにラテン的なのはスペイン統治下の影響だと思います。ただ残念ながら、食文化は後から来たアメリカ文化の影響で野菜もあまり取らず「ジャンクフード」文化のようです。ただ、国としては割と「アメリカ英語」が得意なので英語学校など有利な面があります。<br /><br />今回確認できたのは、やはりフィリピン人は明るい性格もあり、介護や看護に向いているという事実です。貧しい国のせいもありますが、世界へ看護師やメイドを送り出しているので有名です。世界の共通語である英語も得意ですし、明るく優しく、介護や看護師には最高だと思います。日本政府も「漢字のある日本語」の言葉の壁で意地悪せずに、資格試験のハードルを下げ、むしろ積極的にフィリピンから呼ぶべきだと個人的には思います。実際、日本の現場でも患者さんからもフィリピン人の介護者は人気のようです。全体的に小柄な人が多いのもいいです。やはり、(偏見ではなく)白人の大柄の女性だと日本人の高齢者には圧迫感があると思います。学校訪問したフィリピンの子供たちもみんな(貧しいだろうに)明るく素直で可愛らしいのです。<br /><br />全員で最後の夕食が始まりました。目玉は子豚の丸焼きのようです。でも、少し抵抗のある人もかなりいました。残念ながら、食事自体はあまり美味しくありません。でも、みんなで最後の別れを惜しんで盛り上がっていました。<br /><br /><br />【4月2日(日)】<br />いよいよ今日は帰国の日です。イロイロを午前10時20分に出発して1時間足らずでマニラへ着き、今回は荷物を受け取る必要はありません。最後に我々と別の全日空便で羽田へ帰る藤村氏とお別れします。S先生のことを最後まで心配しておられました。今晩、主治医が確認して明日早朝退院の許可が出る予定です。そして、その日の夕方マニラまで移動し一泊ゆっくりします。翌日火曜日に全日空便で羽田まで帰るはずです。たぶんもう大丈夫でしょう。<br /><br />今回の病院付き添いで分かりましたが、マニラからはフィリピン航空、日本航空が成田便、全日空が羽田便のようです。国内線のターミナル移動が結構大変なので、団体の我々は全てフィリピン航空でした。日本航空と全日空は別のターミナルで、車で15分も移動にかかるそうです。ターミナルを移動して待ち時間がたっぷりあるので、国内で携帯電話が通じるので最後に秘書のOさんにかけました。昨日、S先生がケーキを食べたいと言い出したそうで相談されました。「隠れ食い」はよくないので、ダメもとで主治医に聞いたらとアドバイスしました。すると、少しならいいだろうと許可が出たそうです。それで、病院喫茶店のケーキ(かなり大きい)を買ってきたそうです。目を離した隙に、何と全部平らげたそうです。まぁ、笑い話ですみます。血糖値は薬と食事でかなりコントロールしているはずですから。もう病状も安定していますし。<br /><br />もちろん、S先生や秘書のOさんから私は非常に感謝されましたが、不幸中の幸いで今回は幸運が重なっています。英語の得意な医者である私がいたこと。しかも、私が動ける初日に発作を起こしたこと。フィリピンの一都市での発作ですが、神経専門医どころか Stroke(脳卒中)専門医(タヨ先生からもらった名刺に明記されている)に遭遇したこと。医師としてのレベルも問題ないこと。発作自体も軽かったこと。弟子や秘書が近くにいたことなどです。<br /><br />PR432便は少し遅れて15時過ぎ出発しました。機内では隣がもう一人の添乗員Iさんだったので色々なことが聞けましたが、機内に個別モニターも何もないので呆れていましたが、むしろ進んでいるそうでスマホやパソコンにソフト(MyPal Player)をダウンロードしたら機内エンターテインメントを楽しめるそうです! そんな! 結局、イヤフォンも自分で準備しないといけないようです。でも、事前に教えてくれるわけではないのでやはり不親切です。20時頃成田空港に到着し、バスで日航成田ホテルへ。<br /><br />幸い、全員大した病気もせずに一緒に帰国しました。もし来年も呼ばれたら、猛暑に備え脱水症の備えに経口補水液オーエスワン(OS-1)などの準備が必要かなと考えています。今年がたまたま涼し過ぎて、問題がなかっただけかもしれません。<br /><br /><br />【4月3日(月)】<br />今日生徒たちは迎えに来た一部の保護者と麹町で解散式を行います。私も今日は福岡へ帰るだけなので参加できたのですが、最初の契約時に出なくていいと言われていたので、成田空港からの福岡便を取ってもらっています。<br /><br />ちょうど生徒たちの麹町へ移動するバス3台を見送ってから、自分のホテルバスで成田空港へ移動し、福岡へ帰りました。<br /><br />想定外の今回の仕事でしたが、ハプニングを楽しむ私としては、非常に有意義な仕事でした。ひょんなことから、以前から頭では想定していた海外での脳卒中患者さん発生時に通訳として大活躍できました。イメージ通りでした。<br /><br /><br />

フィリピン英語研修旅行同行、脳梗塞患者発生

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2017/03/26 - 2017/04/02

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    今回はアウトバウンドの仕事です。あしながジュニアイングリッシュキャンプに医師として同行します。あしなが育英会主催です。行先はフィリピン・パナイ島のイロイロ(Iloilo)です。ダジャレのような地名です。「色々」ではありません。後で知ったのですが、意外と重要な都市のようです。日本中からの中学生と一部小学生(高学年)、合計66名参加です。それをサポートするスタッフ数も30名近くいます。

    主な仕事は子供たちの健康管理で、経験上、風邪症状や頭痛、腹痛などを素早く治してあげることです。もちろん暑いところなので、熱中症にも要注意です。ところが、想定外のことが起こり事態は一転します。


    【3月25日(土)】
    今日は恒例のAFS春年間生が飛行機で福岡へやってくる日です。博多支部長の私はもちろん出迎えに参加しました。博多支部ではそのまま簡単にオリエンテーションをするのですが、16時20分発のANA羽田行きに乗らなければならないので、途中で退席しました。今日は前泊なので成田なのですが、この出迎えのために少し遅い便にしたかったので、成田空港直行便がありません。羽田からリムジンバスにのり成田空港へ行き、そこからホテル日航成田のシャトルバスで到着したのは午後8時頃でした。あしながの職員から必要書類、名札などを受け取り、関係者に挨拶しただけで部屋にチェックインしました。軽くおにぎりを食べていたのですが、部屋にはハンバーグカレーが置いてあり、有難くいただきました。


    【3月26日(日)】
    約100名とともに、ホテルでの朝食後、7時15分頃バスですぐ近くの成田空港へ移動し、余裕を持って9時30分のフィリピン航空マニラ行きへ乗ります。意外と遠く5時間近くかかりました。時差は1時間で現地時間午後1時半頃到着しました。フィリピンは30年以上前独身の頃、マニラと近郊ビーチに行ったことがあります。二度目です。今時珍しい機内で、個別モニターも団体のモニターもありません。最後尾の無料スナックやドリンクのコーナーもありません。驚いたのが、天井からミストがかなり派手に出てくることです。これなら、機内の乾燥を防げます。

    乗り換えのマニラ空港はわかりにくく、どちらから入国審査に行っていいのかわかりません。アメリカ人職員アイザックと一緒でしたが、回りにグループの誰もいないのに気づき元に戻りました。職員の数人が入国審査の入り口にとどまっています。児童売買の盛んなフィリピンは子供の入国審査が厳しいらしく、15歳以下(今回のほとんどの生徒たち)はビザではないが特別な審査書類が必要なようです。ですから、手続きに時間がかかっていました。アメリカのように経由地でも一旦荷物を引き取るのですが、X線も通さず結局新たにラベルを貼って元のターンテーブルに戻すのです。意味がわかりません。面倒なだけですが・・・

    時間に余裕があったので構いませんが、マニラ発午後4時50分発のPR2145便でイロイロへ。午後6時には宿舎へ到着しました。我々のホテルは Adhara Resort でロッジタイプです。私の部屋は有難いことにスイートで、一人なのに大きなベッドが二つもあり広いです。但し、南国なのでシャワーのみです。スタッフの一部と主に中学生がこのホテルで、小学生と他のスタッフは近くの Sheridan Hotel です。人数が多いので、夕食から全てバイキング料理のようです。午後7時から長粒米のパサパサご飯とおかず3品程度とスープがありました。まぁ、こんなものでしょう。食べれないほどまずくはありません。ある男子生徒がこのご飯を見て、水の配合を間違えていると言います。男の子にしてはご飯を炊いたことがあるのでしょうか?でも、実際はコメの種類自体が違うことを教えてあげました。

    現地での携帯電話とシムカード、プリペイドカード(発信用)を受け取りました。シムカードは簡単に入れて安心していました。後で、このままでは発信できないことを知りプリペイドカードの番号を入力しました。

    まだ到着したばかりですが、歯痛の女子小学生に鎮痛剤を渡し、フライト直後から左こめかみ痛、頭痛を訴える中学生男子は経過観察のみにしました。


    【3月27日(月)】
    実質、最初の朝です。7時半から全員で体操をします。聞いたことのある日本のヨーデル体操、それから世界で流行っているらしい体操をフィリピン人スタッフ2人、日本人スタッフ2人がリードしながら踊ります。8時15分くらいからバイキング形式の朝食です。高級ホテルではなく、子供たちのキャンプみたいなものですから、ご飯とおかず3種類だけです。しかも、アメリカ文化の影響のせいか野菜は少ないようです。さぁ、いよいよ子供たちの英語研修などを横から見ながら、フィリピン英語を観察して子供たちの健康管理をしようとのんびり朝が始まったはずでした。

    ところが、事態は急展開! 携帯電話が鳴り、ある男性の右手に脱力感がありフォークが掴めないとのことです。 えっ、誰? 82歳? 今回は子供たちのキャンプでスタッフは大人もいますが、割と若い人が多いのに。そう言えば、有名な社会学教授で弟子グループを引き連れて今回のあしなが育英会フィリピン英語研修の調査研究に来る一団がいることを思い出しました。ともかく、病状は「脳卒中」の疑いがあり緊急性があるので、車の手配をしてもらって25分程度の Richmonde Hotelへ急行しました。

    ホテルの朝食会場に患者さんはいました。S先生です。82歳でパーキンソン病があるようです。朝食を前に左の口からよだれを垂らし、ズボンの大事な辺りが湿っています。泌尿器科が本業の私としては尿失禁かと思ったのですが、回りの人に聞くとよだれがその辺に落ちているだけのようでした。軽く診察すると、明らかに右手の握力が落ちています。本人も右手の脱力感を訴えます。構音障害はないようです。つまり、所謂ろれつが回らないことはないようです。血圧は125/60程度と正常でした。まず軽い脳卒中で間違いないと判断し、病院へ急ぎます。ちょっと考えましたが、国によって状況も違うし救急車を呼ぶよりミニバンでそのまま病院へ直行した方が早いと判断しました。不幸中の幸いで、今回契約している男性ナースが病院も選んでくれ、前もって連絡してくれています。すぐ診てもらえるはずです。

    患者さんについて書くと、「福祉社会学」の命名者で著名な学者のようです。教授を歴任し、筑波大学では副学長までされたようです。まだお会いしていないあしなが育英会会長(創始者)玉井先生と同じ歳でずっと懇意なようで、今回のプロジェクトの教育的意義の学問的調査団として、弟子にあたる日本各地からの研究者9人で現地に同行しているのでした。ところが、リーダー自らが病に倒れたわけです。

    着いた病院名は The Medical City Iloilo です。大きな深い河の目の前です。すぐに、救急外来で女医さんが診断し、もちろんCT検査をします。CTの撮影後に、神経内科専門医Dr. Anna Nina Natalia Tayo(同じく女医)が診察してくれます。私が通訳しながら、丁寧に神経学的検査をします。やはり、右手が曲がって伸ばせない状態で、右足に Babinski(病的)反射(錐体路障害)があります。私の目にはほとんど分かりませんが顔面表情も左右差があり、少し右側が歪んでいるようです。認知機能の検査もします。日付を聞かれますが、最近忙しくてあまり気にしていなかったのではっきりしないが3月下旬だと答えます。西暦を聞かれてもちゃんと2017年と答えます。異常なしです。

    脳(単純)CTでは、明らかな病変は描出されませんが、臨床的に軽度の脳梗塞は間違いありません。脳出血の場合は、早期でもCTに映るはずです。この段階では、ICUに入院になっていました。ICUなので部屋の出入りが面倒です。ガウンを羽織り、靴には使い捨てカバーを、帽子とマスクをします。本来は見舞いも一人ずつで午前8時から9時と午後5時から6時だけと厳しいのですが、言葉の問題もあり例外扱いにしてもらい我々だけには少し緩い規則を適応してくれています。ですから、私と秘書のOさんが一緒に部屋にいます。

    山のようにある持参薬の整理をします。商品名だけの薬やジェネリック(一般名)が分かるのと色々あります。苦労して大体整理できました。判明したのは、パーキンソン病以外にも狭心症、高血圧、糖尿病、高脂血症があります。これに肥満があれば、完全なメタボリック症候群で、いずれにせよ脳卒中などの高リスクで、実際に発作を起こしてしまった訳です。S先生も認めていますが、真面目にきちんと内服していないようです。よくあることです。後で主治医から聞いたのですが、やはり HgbA1c は7%と高く、真面目に薬を飲んでいなかったので血糖値もコントロールされていなかったようです。参考までに、HgbA1c とは現在の血糖値だけでなく過去2ヶ月くらいの平均した血糖値を反映するので血糖値のコントロールの具合の指標になります。

    タヨ先生の説明で私もよく知らなかったこととして、最初の24時間だけは脳の血流を確保するために、むしろ血圧は高目にコントロールするそうです。血糖値は厳密にコントロールしますが。抗血小板療法などを始めます。ずっと付き添っている女性が秘書のOさんです。もちろん、入院中は一番近親者代わりに付き添っていました。S先生がオシッコをしたいと言い出します。通訳すると、ナースが紙オムツにしろと言います。でも、患者としてはトイレに行きたいと言います。もちろん、ベッド上安静です。仕方がないので尿器(urinal)を要求し、成り行きで私がじきじきに手伝います。泌尿器科の専門医である私は職業病で、うん82歳にしては尿勢があるなとか、やはり切れが悪いので終わり際時間がかかるな、などと考えて楽しんでいました。ただ、面倒なので近くにいたナースに「ショーベン」は「piss」と教え、S先生にも「ピス」と言ったら通じると教えました。

    やっと解放されたのはもう午後2時近くでした。Oさんを部屋に残し、ミニバンで一緒に動いている添乗員のTさんと病院1階にある喫茶店に入り、サンドイッチ、冷たい飲み物、エスプレッソで少し空腹と喉の渇きを抑えました。いきなり大役で気が張っていたので、疲れはあまり感じませんでした。本来の仕事であるあしながジュニアイングリッシュキャンプのアドハラホテルへ戻ったのはもう3時半頃でした。不在の間に開会式等が行われていました。

    ただ、先程の脳梗塞に比べると重症度、緊急度が違うので、あまり問題はありません。実質まだ初日ですし。もちろん、関係者のS先生が倒れたのでキャンプの責任者Nさんも了解していて優先させてもらっています。ナースの資格はないけど、児童教育の専門家Kさんが看護班として子供たちの健康状態を班のリーダー経由で把握してくれています。まだ問題のある子はいないと報告を受けました。別のホテルの小学生グループもIさんが責任を持ってくれているので、必要があれば連絡があるはずです。

    やっと本来の仕事に戻って、むしろのんびりできます。子供たちの活動の近くで待機するだけです。S先生のグループの一人は私と同じ福岡から来ていました。太宰府の近くの女子短大で教えているようです。また、Kさんという今回のプロジェクトのアドバイザーとも知り合いました。アフリカに詳しいようです。今回の仕事の関係で最初に私に連絡してきたHさん(日本待機)にS先生の病気のことについて電話で詳細に報告しました。Lineの通話で話すのは初めてでした。

    6時過ぎには夕食です。カバナ(窓のない開放的な部屋、家)で食べます。もちろん、バイキング形式で基本はご飯、3品のおかず、スープ、デザートです。今朝、ランドオペレータの日本人が注文を付けてくれたので早速野菜が増えていました。食文化に関しては完全にアメリカ文化の影響で野菜をあまり取らないようです。ベトナムやタイのような豊富な野菜料理がなさそうです。残念!

    8時のミーティングの前後に看護班Kさんから報告があり、偏頭痛もちの中学生を連れて来ます。ある程度鎮痛剤は自分の薬について知っているので、それを参考に持参している鎮痛剤とめまいもあるのでその薬も渡しました。


    【3月28日(火)】
    朝は病院へ行くので、途中の昨日のS先生らのホテル、リッチモンドホテルで添乗員Tさんと秘書Oさんとバイキングの朝食を取りました。もちろん、アドハラホテルと違い高級ホテルの料理で何でもあり美味しいです。せめてもの役得です。

    3人ですぐに病院のICUへ見舞いに行きます。Oさんと2人で同時に中に入れます。一応ICUの面会時間は午前8時~9時、午後5時~6時だけです。言葉の問題もあり少し我々には甘くしてくれています。S先生は幸い元気です。昨日(発作時)よりは表情もしっかりしています。マヒの程度は変わらないようで、まだ右手が曲がったままで伸ばせないようです。しっかり話もできます。よだれも今日はほとんどありません。便秘でまだ通じがなく、大量の薬の中にあったプルセニド以外も欲しいと言います。自分の財布に入っているそうです。昨日、タヨ先生からも聞かれましたが、ナースから心エコーとMRIを受けるか聞かれました。検査のゴーサインを私が出しました。費用は6万円と2万円とかかるようです。でも、やはりやった方がいいし、お金は保険から出るはずです。

    病院で現地のフィリピン人の保険会社からの女性を見かけました。もちろん、発生した病気や病人の現地調査に来ていたのでした。後日、秘書のOさんからとんでもない話を聞きました。この女性からの東京へのレポートを受け、たぶん東京本社からの指示ですが、以下のような「提案」が保険会社からされたそうです。一旦退院して、保険会社が手配する自家用機(医者とナースが付き添う)でマニラへ飛び、現地の医者に診てもらい必要あれば再入院したらという提案です。自家用機は200万円するが保険からお金はおりるので心配なく、自家用機で高度が低いので気圧の影響も少ないともっともらしいことを言ったようです。

    でも、これは医学的には明らかに誤りです。そんな屁理屈ではなく、脳血管障害の急性期(ICUに入っています!)に車や飛行機で移動することの方がはるかに危険です。再発作を誘導します。マニラの病院へ行くというのも中途半端です。ここイロイロの病院が信用できないという偏見でしょう。念のために主治医のタヨ先生にも確認しましたが、私と同意見で最低でも7日間は安静が必要というのが常識のようです。

    以前に尊敬する日本旅行医学会専務理事の篠塚先生から、似たような話を聞いていたのも参考になりました。表沙汰にはなっていませんが、以前ある医師(感染症が専門)が誤った判断で同様のケースで飛行機で日本の病院へ運ぼうとして、患者さんは亡くなったそうです。私の友人で元商社マンも、東南アジアの駐在員の間では病人が出たら、せめてすぐにシンガポールの病院へというのが常識だと自信を持って言っていました。もちろん、東南アジアの病院レベルが低いと決めつけた偏見からでしょう。急がない病気ならそれも一理ありますが、こういう血管系の急性期は話が別です。動かすこと自体、リスクが高いのです。保険会社を含め素人にはその辺の区別がつかないのです。医者でも上記のように急性期医療を知らない人がいるのですから。

    今日は午前中にはアドハラホテルへ戻れました。子供たちの英語レッスン5グループを覗くと、やり方はファシリテーター(フィリピン人英語講師)によって多少違うものの、身体の名称を歌で覚えさせるゲーム感覚のレッスンをしていました。昔どこかで見たことのある英語のゲーム式レッスンです。私が半分知っていた通り、フィリピン人の英語講師は発音がほとんどアメリカ英語に近く違和感がありません。物価が安く、セブ島などで観光を兼ねて英語を勉強するのが流行っている理由です。私の知人の若い歯科医も1ヶ月くらい勉強しに来たそうです。

    昼食は、またご飯とおかず3品、スープ、デザートの同じパターンです。せめておかずの野菜は少し増えています。午後は最初のフィリピンキッズとの交流のようです。午後4時頃病院から電話があり、6時頃に再度来て欲しいようです。全て私がいないと詳しい内容が誰も理解できません。たぶん、成り行きでとことん付き合わないといけません。

    わざわざ呼び出されたので、心エコーとMRIの結果の説明かと思ったら、まだ施行していません。タヨ先生は忙しいらしく、ICUで待たされたあげく院内電話で会話しました。明日の心エコーとMRIの承諾書にサインして欲しいようです。ナースが承諾書を持って来て書類にサインしますが、身内の欄にOさんが、interpreter の欄に私がサインします。晴れて「通訳」になりました。ところが、OさんはIDとしてパスポート番号が必要でホテル(リッチモンド)へ戻って来なければなりません。

    もう午後7時半過ぎ、たぶん自分のホテルのバイキング料理は残っていません。すると、Oさんがどうぞリッチモンドホテルのレストランで好きなものを食べて下さいと言ってくれました。どうせ一緒にホテルへ戻ります。遠慮なく、この辺では最高級ホテルらしいリッチモンドで US rib-eye black angus steak with baked potatoes(アンガス上ステーキ、ふかしポテト付き)を食べました。割と安くて950ペソ(約2300円、1 ペソ=約 2.3 円)でかなり本格的な美味しいステーキでした。昨年、中国の北京で食べた不思議なステーキと違い本物でした。

    自分のホテルに帰り着いたのは午後9時も過ぎていて、ミーティングも終わっていました。せめて、責任者のNさんに挨拶しておきました。でも、この日は別に問題のある生徒はいないようで、看護班のKさんからも電話はありませんでした。


    【3月29日(水)】
    結果的に、今日は初めて一度も病院へ行かずにすみ、一日中本来の仕事であるあしなが英語研修にいました。朝は体操から始まり、いつもの朝食です。午前中は各グループ2人のフィリピン人ファシリテーター(講師)が上手にゆっくり喋って教えています。英語だけで進行しています。

    もう到着して4日目ですが、あまり暑くないです。普段は一番暑い時期のようで、パイロットケースで実施した昨年は10数人の内、半数が熱中症で病院へ行ったようで、医師の私が今回依頼された理由の一つのようです。でも今年は幸い、曇ったり小雨が降ったりでうだるような暑さまではありません。日本の初夏程度です。

    今日の昼食はいつもの場所ではなく、同じ敷地内のちょっと離れた場所にある食堂(サンセットビーチ)です。今日はシェリダンホテルで主に研修している小学生グループも合流しています。普段あまり診れない小学生もいます。小学生グループの看護班Iさんからの報告もあり、小学生数人と中学生数人を診察しました。薬まで出したのは2人だけです。9号室(Suite 9)(救護室?ダジャレ?)で寝かせる生徒も何人かいます。身体的または精神的に疲れているだけの生徒も多いので、若い年代の子供らは休ませるだけでも落ち着きます。

    今日の午後の行事は市内学校訪問、生徒たちとの交流です。午後1時半出発して Botong-Cabanbanan National High Schoolへ行く中学生に同行しました。フィリピンではごく最近教育制度が10年制から12年制へ移行し、日本や米国と同じようになったそうです。ですから名前はハイスクールですが、主に中学生のいる学校です。女性の校長先生の部屋へ順番に挨拶に行きます。

    クラスに分かれて交流しますが、私はグループ3について行きました。9年生(中3)のクラスのようでした。授業は何と校長先生が自らやっています。最初の自己紹介など日本人生徒はシャイでした。でも、ゲームを一緒にしたり折り紙(鶴や紙飛行機)を教えたりしているうちにだいぶ打ち解けたようでした。最後に、屋外で全員の前でフィリピンキッズ代表のダンスがあり、非常に盛り上がりました。分かれる前には、自撮りなどで盛り上がっていました。「葵」君がモテモテで、積極的なフィリピンキッズ(女の子)に取り囲まれて大騒動でした。まるでジャニーズのようでした。

    ホテルへ帰る途中、Church of the Immaculate Conception, Oton, Iloilo へ立ち寄りました。日本語に訳しにくい教会名です。スペインの影響のあるフィリピンですから当然カトリック教会でしょう。「無原罪懐胎」という意味のようです。

    4時半頃にはホテルへ戻ったので、生徒らが来る前にプールでひと泳ぎしました。途中から、生徒もやって来ましたが。着替えると、ちょうど秘書のOさんから電話があり、主治医のタヨ先生からの電話を6時頃から待っていましたが、結局8時過ぎになり今日は行かなくていいようです。


    【3月30日(木)】
    今朝は忙しい。6時45分に自分のホテルを出発し、7時10分頃にはリッチモンドホテルへ到着。役得で高級ホテルの朝食を食べていると、秘書のOさんが合流し7時40分にホテルを出発し、割とすぐに病院(The Medical City Iloilo)へ到着。すぐに病院車でMRI検査のできる病院へ移動かと思ったら、その前にICUに呼ばれる。ICUに入るには、毎回ガウンを装着し靴に付ける使い捨てのカバー、場合によっては帽子とマスクと重装備なのでいちいち面倒です。

    いつものように、通訳が私の大事な仕事です。金属が邪魔なので、入れ歯を外してもらう必要があります。でも、患者であるS先生は洗面所でないとできないと言いますが、我慢してもらって鏡を私が保持し、たらいを下に置き、自分でやってもらいます。確かに、発作後初めてのようですし、利き腕の右手先が少しマヒしています。自分では15分かかると言っていましたが、幸いほんの15秒で上の入れ歯が取れました。次に、下の入れ歯もあっさり取れました。他に、手術等で体内に金属がないかを確認しました。

    オシッコをしたいと言います。オムツに排尿は嫌なようで、私が尿器を当てて手伝います。82歳の男性にしては勢いもまぁまぁで短時間で終わります。300mlたっぷり出ました。8時出発予定と聞いていましたが、実際にはやっと8時半になって病院の救急車で出発します。ナースと女医が前席に座り、私と秘書のSさんは狭い患者のストレッチャーの横に座ります。サイレンを鳴らすので、救急車として渋滞でも割と早く進みます。

    15分ほどで着いた病院の名前が面白く Iloilo Doctor’s Hospital です。世界中いろいろな病院を見ましたが、病院名にわざわざ「医者」とついているのも、当たり前過ぎて却って珍しいと思います。まず、薬代(造影剤)を支払うように言われ、Sさんが3700ペソ程度払い領収書をもらいます。やっとMRIの検査が始まります。途中で私が呼ばれ通訳しますが、どうも患者さんは頭が圧迫で痛いと言います。痛いのは我慢するが、怪我をしないか心配だと言います。子供をなだめるように、怪我をするようなことはありませんと説得します。

    始まる前に約1時間半かかると言われました。たぶん、MRIは日本と違い、やや旧式なので時間もかかるのでしょう。単純MRIが終って造影剤を使う前に、また呼ばれます。また、オシッコしたいそうで尿器で取ります。確かに250ml出ました。点滴で利尿がついているのでしょう。しばらくしてまた呼ばれます。今度は左足が痛いと言います。圧迫された感じがするそうです。見ると、何もないので心配ないと説得します。

    やっと終わりそうになった時点で、MRI検査の料金を支払います。造影剤と別に約1万ペソです。合計1万4千ペソ程度、日本円で3万円程度です。やっと終了したのは11時前でした。病院というところは少しずつ時間がかかるのを医師として熟知しているので予想はしていましたが、入院先の病院へ戻ったのは11時25分頃でした。8時から10時までなどいうのは最初から無理だと思っていました。

    今から、気になるので再度心エコーをするのに立ち会って欲しいとナースに言われましたが、前日と同じで必要ないと思ったのと、本来の仕事のあしながグループに戻れないので断りました。やっと待ってくれているミニバンでホテルではなく、今日のイベントの目的地、SM(ショッピングセンター)へ直接行きました。2階の Food Hall に行くと私の方が先に着いていたらしく、しばらくしてみんなと合流できました。我々スタッフはここで待機です。生徒たちはファシリテーター(現地フィリピン人講師)、日本人リーダーたちと今日のミッションでお買い物です。その前に、今日の昼食はファーストフードです。

    私が強く希望して我々6人はフィリピン人に超人気のJollibeeでのファーストフードです。私は店構えやメニューに興味があるので、ランドオペレータと2人で買い出しです。予想通り大したことはないのですが、人気の理由は一つには値段でしょう。物価が違うとはいえ、スパゲッティが120円程度です。私は無難そうなアメリカ並みのホットドッグに安物のチーズが乗ったのを注文。もちろん、ハンバーガーもあります。特徴的なのは、ライスがあることです。アイスクリームも4人分(私はジェラートに拘るのでパス)、コーラといろいろ頼んで6人分で2400円程度。安さが魅力でしょう。食べてみると、予想通り大したことはないです。でも、どの程度の味か一度は経験したかったのです。どう大したことがないのか。でも報道によると、フィリピン人には大人気で、出稼ぎ大国のフィリピン人には「故郷の味」らしいのです。

    3時過ぎには、全員(中学生組)アドハラホテルへ戻りました。4時半頃、藤村氏が挨拶に来ると待っていました。昨夜来られた方で、あしなが育英会の副会長で、何と
    前の野田内閣での官房長官だそうです。丁寧に、S先生の発症からの病状を説明しました。今日、見舞いに行かれているので、結構お元気なことは知っているようです。

    ちょっと早いですが6時頃4人で Breakthrough という海辺の高級シーフードレストランへ行きました。Talaba(蟹ではありません、カキです)、カニ身、イカなどの食事、シュリンプ入り焼き飯、ハマグリ入りスープ(フィリピンらしく酸っぱい)。デザートも4種類注文しました。本音ではまぁまぁでした。やはり、イタリアと違って感動するほどの味にはなかなか出会えません。でも、こちらでは確かに高級レストランでしょう。眺めもいいし、木曜日の夜なのに結構お客さんがいっぱいでした。

    副会長の藤村氏からはあしなが育英会はあしなが交通遺児育英会とは別物だと聞きました。実質、分裂したそうです。玉井義臣(現あしなが育英会会長)らが始めた交通遺児育英会とは別に災害遺児などをサポートするNGOが「あしなが育英会」だそうです。悪く言うと、乗っ取られたような感じです。公益財団法人「交通遺児育英会」とは別物ですが、昔ながらに「あしながおじさん奨学金」と呼んでいるので、私を含め混乱している人が多そうです。ですから現在のNGO「あしなが育英会」は会長・玉井義臣氏、副会長・藤村修氏を中心にもっと広く災害遺児をサポートし、今ではアフリカの遺児のサポートもしています。

    8時半頃戻ると、女子2名が風邪気味で薬を渡しました。夜、10時過ぎてから主治医のタヨ先生から電話があり、MRIでやはり複数の脳梗塞が見つかったそうです。保険会社に出すのに、証明になるMRIのレポートを書いてもらうように頼みました。明日にも患者さんを普通室に移すようです。病状は私の希望的予想通り、マヒもどんどん改善しています。だいぶ、右手の指先も動くようになったようです。タヨ先生はずっとは病院にいないことが分かった(今日は夜9時過ぎにのみ病院へやって来た)ので、明日の予定を聞くと午後2時に来るそうで、それに合わせて面会にしてもらいました。退院は月曜日になりそうで、近畿日本ツーリストの人が帰りのチケットの手配をしていますが、フィリピン航空の乗車許可をもらうために書類が必要なはずです。私が日曜日に帰国する前に手続等をしておかないと面倒なので連絡しようと思っています。

    電話でタヨ先生と話していてビックリする話がでてきました。面と向かって話していると訛りもあまりないしタヨ先生の英語も分かりやすいのですが、携帯電話だと音が悪いのか少し聞き取りにくいことがあります。患者のS先生にICUでビールを飲ませたと聞こえました。まさかと思い、許可したのかと聞き直すと、ICUでビールを飲まないと食が進まないとバカなことを言われて呆れたと言ったのでした。


    【3月31日(金)】
    今日は朝からみんなと行動。体操、朝食、午前中の英語レッスンのすぐ側で待機して、風邪だの頭痛だの腹痛だのだるさだの軽症ですが、結構訴えのある子らが時には一人で直接来ます。

    11時半に早めに昼食です。今日は午後から昨日と同じSM(ショッピングモール)へ行く予定です。私も一旦同行し、少し一緒に過ごしてから2時の約束の病院へ向かいました。ちょうど2時からSMで大掛かりな地震の防災訓練のようでした。

    2時10分頃に病院に到着すると、タヨ先生が病棟にいました。昨日から Acute Stroke Unit へ移動しています。日本語で何と訳していいのか知りませんが、要するに、脳卒中専門のICUです。出入りが制限され、ガウンなどが必要なのは同じです。見舞いも本来は制限されていますが、S先生だけは言葉の問題もあり特別扱いを受けています。S先生は初日から大便は仰向けに寝ていては出ないと言っていましたが、この部屋にはポータブルトイレ(知りませんでしたが、英語では commode と言うようです)が置いてありました。大便の時だけは移動の許可が出ているのでしょう。

    まず、正式なレポートではないものの昨日のMRIで4ヶ所小さな脳梗塞があるようです。ラクナ梗塞のようです。必ずしも左側だけでなく、臨床症状と合います。つまり、マヒや運動障害は右だけでなく左側にも少しあります。但し、一番ひどいのは右手首より先の脱力感やマヒと足も右の方が動きが悪いようです。それと、effusion とか fluid という、所謂「液体」が少し硬膜下に溜まっているようですが、これは陳旧性の脳出血かもしれません。但し、もともとパーキンソン病という全身の神経疾患があるので病状が複雑になります。

    次に、帰りのS先生のフライトの手続きにフィリピン航空の書式を書いてもらおうとしますが、患者のサイン(かろうじて書けた)などをもらってから、タヨ先生に書いてもらわなければなりません。でも、フィリピン航空の医者の承認が要るあたりが、書類審査だけなのか診察まで必要なのかはっきりしません。

    それと、昨日のMRIの正式レポートと写真そのもの、CDなどを昨日の支払い領収書を持って、昨日の病院まで誰かが取りに行かなければならないとわかり、その手配等で時間がかかります。その一環で、やはりリハビリをしようということになり、忙しくなります。今日、普通病棟へ移れることにもなりました。24時間誰かがつかなくてよくなりますし、出入りも人数も自由になります。

    明日土曜日は、タヨ先生は朝5時に病棟へ顔を出し、日曜日は夕方病棟へやって来て、その時までに問題がなければ月曜日(4月3日)に退院の予定です。ということで、よく考えたら私も明後日帰国だし、明日はタヨ先生もいないので私の出番はないということで、S先生に最後のお別れをしました。入れ替わりに、昨日お会いした藤村氏が見舞いに来ています。

    ところが帰ろうとすると、リハビリの医師が意外に早くやって来ます。またも女医さん! 今回関係した医者は全員女医さんです。救急医、主治医、他院でのMRI検査に同行した医師、他院の放射線科医、リハビリ医、偶然とはいえ5人とも女医さんです。いくら女性が活躍するフィリピンとはいえ、フィリピンに男性医師はいないのか! それはともかく、リハビリ医の診断に付き添わなくてはいけません。もちろん、通訳です。

    やっと終わって帰ろうとすると、ナースか事務員か分かりませんが、先ほどサインしたリハビリの承諾書に住所や携帯電話番号、IDとしてパスポート番号などを書かされます。やっと、車も手配できているし今度こそ帰ろうとすると、男性2人がやって来て、病棟を移る前の清拭(風呂の代わりに体を拭く)かと思ったら、超音波と電気刺激の機械を持ってきたリハビリ技師のようです。結局、機械まで使うのでS先生が怖がり悲鳴を上げ、結局私はリハビリの通訳まで付き合う羽目になりました。

    まずは、治療用の超音波らしく、両大腿の深部筋肉の刺激らしいです。S先生に聞くと、自分では刺激など何もないようです。続いて、両大腿に神経の電気刺激らしい治療を始めました。電圧を上げていって痛みなどの不快感をチェックしながら規定の数値まで上げたようです。血圧などのモニターでチェックしながらの治療です。途中で、鼻から大きく吸って口から大きく吐き出す深呼吸の練習もさせていました。

    それからようやく所謂リハビリが始まりました。手首を伸ばしたり屈曲したり、内旋・外旋したり、肩から大きく動かしたり、次に足を曲げたり伸ばしたり、上に蹴らせたり(手で邪魔をして負荷をかけます)などの運動を2人のリハビリ技師が指導します。たぶん、後からやる一人は見習いだろうと思います。

    ようやく終わり解放され、S先生に本当に最後のお別れの挨拶を再度しました。聞いていた電話番号でドライバーを呼び、ミニバンで Adhara ホテルへ帰り着いたのは7時過ぎでした。スタッフリーダーに電話していたので、かろうじて夕食をとってもらっていました。心身ともにタフな私ですが、今日は気楽に(1~2時間のつもりで)病院へ行ったのに予定が大きく代わりかなり通訳などで拘束されたので、さすがにくたびれました。心身とも。午後8時からのスタッフミーティングにも何とか参加し、9時半には床に就きました。


    【4月1日(土)】
    いよいよ実質最終日です。今日はようやく丸一日子供らと過ごす本来の仕事ができそうで気分的に楽です。朝の体操から、朝食です。珍しくワッフル、ソーセージと生野菜サラダです。朝食会場でもあるカバナ(屋根だけの開放的な建物)で待機していると、スタッフやリーダーに連れられた生徒たちがやって来ます。主に、風邪症状や頭痛、疲れ程度で9号室で寝かせて休ませることもあります。ナースの資格はないけど、児童教育の専門家であるKさんが看護の責任者としてテキパキと働いてくれるので助かります。

    午前中はカバナでの生徒たちの英語学習の様子を眺めたり、昼食は3日前と同じ少し離れた場所の食堂で、小学生たちもシェリダンホテルから来ています。午後3時からいよいよ閉会式です。あしなが育英会副会長の藤村氏の日本語の挨拶をアメリカ育ちの若い日本人女性が通訳します。日本人生徒(あしながキッズ)の英語での一言ずつの挨拶があり、ちょっとした寸劇などを披露します。フィリピン人スタッフのダンスもあります。かなりフィリピンキッズとあしながキッズは打ち解け、抱き合っています。残念ながら、開会式にはS先生の病院騒ぎで出席できなかったのですが、やはりその時あしながキッズはかなり緊張していたそうで開会式と閉会式でずいぶん雰囲気が違うようです。

    今日も藤村氏と話す時間が少しありましたが、S先生は若い頃は文学青年で1957年には小説「闘牛」で第38回芥川賞候補にまでなったそうです。そう言えば、今回の入院先でも(病状が軽かったこともあり)フィリピンの病院スタッフはレベルが高いと客観的に感心されていました。この経験を一文にしそうなことを言っていました。

    くしくも、秘書以外に交代で看病していた若い男性学者(S先生の弟子)も病院なのに明るいスタッフに感心していて、私に外国ではこんなものかと聞きます。私は違いますと答えました。たぶん、これはフィリピン人の特性だと思います。アジアなのにラテン的なのはスペイン統治下の影響だと思います。ただ残念ながら、食文化は後から来たアメリカ文化の影響で野菜もあまり取らず「ジャンクフード」文化のようです。ただ、国としては割と「アメリカ英語」が得意なので英語学校など有利な面があります。

    今回確認できたのは、やはりフィリピン人は明るい性格もあり、介護や看護に向いているという事実です。貧しい国のせいもありますが、世界へ看護師やメイドを送り出しているので有名です。世界の共通語である英語も得意ですし、明るく優しく、介護や看護師には最高だと思います。日本政府も「漢字のある日本語」の言葉の壁で意地悪せずに、資格試験のハードルを下げ、むしろ積極的にフィリピンから呼ぶべきだと個人的には思います。実際、日本の現場でも患者さんからもフィリピン人の介護者は人気のようです。全体的に小柄な人が多いのもいいです。やはり、(偏見ではなく)白人の大柄の女性だと日本人の高齢者には圧迫感があると思います。学校訪問したフィリピンの子供たちもみんな(貧しいだろうに)明るく素直で可愛らしいのです。

    全員で最後の夕食が始まりました。目玉は子豚の丸焼きのようです。でも、少し抵抗のある人もかなりいました。残念ながら、食事自体はあまり美味しくありません。でも、みんなで最後の別れを惜しんで盛り上がっていました。


    【4月2日(日)】
    いよいよ今日は帰国の日です。イロイロを午前10時20分に出発して1時間足らずでマニラへ着き、今回は荷物を受け取る必要はありません。最後に我々と別の全日空便で羽田へ帰る藤村氏とお別れします。S先生のことを最後まで心配しておられました。今晩、主治医が確認して明日早朝退院の許可が出る予定です。そして、その日の夕方マニラまで移動し一泊ゆっくりします。翌日火曜日に全日空便で羽田まで帰るはずです。たぶんもう大丈夫でしょう。

    今回の病院付き添いで分かりましたが、マニラからはフィリピン航空、日本航空が成田便、全日空が羽田便のようです。国内線のターミナル移動が結構大変なので、団体の我々は全てフィリピン航空でした。日本航空と全日空は別のターミナルで、車で15分も移動にかかるそうです。ターミナルを移動して待ち時間がたっぷりあるので、国内で携帯電話が通じるので最後に秘書のOさんにかけました。昨日、S先生がケーキを食べたいと言い出したそうで相談されました。「隠れ食い」はよくないので、ダメもとで主治医に聞いたらとアドバイスしました。すると、少しならいいだろうと許可が出たそうです。それで、病院喫茶店のケーキ(かなり大きい)を買ってきたそうです。目を離した隙に、何と全部平らげたそうです。まぁ、笑い話ですみます。血糖値は薬と食事でかなりコントロールしているはずですから。もう病状も安定していますし。

    もちろん、S先生や秘書のOさんから私は非常に感謝されましたが、不幸中の幸いで今回は幸運が重なっています。英語の得意な医者である私がいたこと。しかも、私が動ける初日に発作を起こしたこと。フィリピンの一都市での発作ですが、神経専門医どころか Stroke(脳卒中)専門医(タヨ先生からもらった名刺に明記されている)に遭遇したこと。医師としてのレベルも問題ないこと。発作自体も軽かったこと。弟子や秘書が近くにいたことなどです。

    PR432便は少し遅れて15時過ぎ出発しました。機内では隣がもう一人の添乗員Iさんだったので色々なことが聞けましたが、機内に個別モニターも何もないので呆れていましたが、むしろ進んでいるそうでスマホやパソコンにソフト(MyPal Player)をダウンロードしたら機内エンターテインメントを楽しめるそうです! そんな! 結局、イヤフォンも自分で準備しないといけないようです。でも、事前に教えてくれるわけではないのでやはり不親切です。20時頃成田空港に到着し、バスで日航成田ホテルへ。

    幸い、全員大した病気もせずに一緒に帰国しました。もし来年も呼ばれたら、猛暑に備え脱水症の備えに経口補水液オーエスワン(OS-1)などの準備が必要かなと考えています。今年がたまたま涼し過ぎて、問題がなかっただけかもしれません。


    【4月3日(月)】
    今日生徒たちは迎えに来た一部の保護者と麹町で解散式を行います。私も今日は福岡へ帰るだけなので参加できたのですが、最初の契約時に出なくていいと言われていたので、成田空港からの福岡便を取ってもらっています。

    ちょうど生徒たちの麹町へ移動するバス3台を見送ってから、自分のホテルバスで成田空港へ移動し、福岡へ帰りました。

    想定外の今回の仕事でしたが、ハプニングを楽しむ私としては、非常に有意義な仕事でした。ひょんなことから、以前から頭では想定していた海外での脳卒中患者さん発生時に通訳として大活躍できました。イメージ通りでした。


    同行者
    社員・団体旅行
    航空会社
    フィリピン航空
    利用旅行会社
    団体旅行
    旅行の満足度
    4.0
    ホテル
    4.5
    グルメ
    2.0

    PR

    • 出発

      出発

    • フィリピン航空機内食

      フィリピン航空機内食

    • 空からのマニラ

      空からのマニラ

    • マニラ空港

      マニラ空港

    • イロイロ空港<br />歓迎の旗

      イロイロ空港
      歓迎の旗

    • 夕食<br />バイキング料理

      夕食
      バイキング料理

    • ホテルの敷地内には<br />放し飼いの馬が

      ホテルの敷地内には
      放し飼いの馬が

    • 開放的なカバナ

      開放的なカバナ

    • 敷地内には孔雀まで放し飼い

      敷地内には孔雀まで放し飼い

    • 一転<br />病院のICU<br />日本と大して変わらない

      一転
      病院のICU
      日本と大して変わらない

    • プールもある立派なホテル

      プールもある立派なホテル

    • 会場のホテル近くの大学

      会場のホテル近くの大学

    • 病院<br />The Medical City Iloilo

      病院
      The Medical City Iloilo

    • カバナでのレッスン中

      カバナでのレッスン中

    • 高級ホテルでの<br />USビーフステーキ

      高級ホテルでの
      USビーフステーキ

    • 毎回こんな感じのバイキング形式

      毎回こんな感じのバイキング形式

    • ボトン・カバンバナン学校訪問

      ボトン・カバンバナン学校訪問

    • 校長先生の授業<br />教室にはドゥテルテ大統領の写真も<br />制服あり

      校長先生の授業
      教室にはドゥテルテ大統領の写真も
      制服あり

    • 学校での子供同士の交流

      学校での子供同士の交流

    • 現地学生によるダンス<br />歓迎会<br />

      現地学生によるダンス
      歓迎会

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      この旅行記へのコメント (2)

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      • by wakupaku2 さん 2017/04/29 00:58:05
        海外で大活躍!!!

        空飛ぶドクターさん、

        はじめまして。wakupaku2と申します。

        学術的な内容の深い旅行記、素人の私は難解で、何度も読み返しました。

        旅行先でご専門以外の病状も判断される、ってこと、救命救急につながる大事なお役目ですね。

        海外旅行保険のくだり、興味深いです。

        日本旅行医学会ってあるんですね?

        息子や友達の息子が研修医なので、先生の旅行記のURLを送って読んでもらいます。

        今後も楽しみにさせて頂きます。

        空飛ぶドクター

        by 空飛ぶドクター さん 2017/08/28 00:46:45
        RE: 海外で大活躍!!!
        >
        > 空飛ぶドクターさん、
        >
        > はじめまして。wakupaku2と申します。
        >
        > 学術的な内容の深い旅行記、素人の私は難解で、何度も読み返しました。
        >
        > 旅行先でご専門以外の病状も判断される、ってこと、救命救急につながる大事なお役目ですね。
        >
        > 海外旅行保険のくだり、興味深いです。
        >
        > 日本旅行医学会ってあるんですね?
        >
        > 息子や友達の息子が研修医なので、先生の旅行記のURLを送って読んでもらいます。
        >
        > 今後も楽しみにさせて頂きます。


        コメント有難うございました。このウェブサイトはいつメッセージ
        やコメントが来ているか目立たないので、中々気がつきませんでした。

        確かに「日本旅行医学会」はまだ医者の間でもあまり知られて
        いないと思います。個人的には、問題の多い「高山病」の予防
        の知識などを旅行会社に広めたいと思っています。

        私の仕事はユニーク過ぎて、ようやく著書やウェブサイトの
        効果で旅行に同行して欲しいという依頼が時々入るようになっ
        てきました。

        どんどん、みなさんに広めて下さい!

        空飛ぶドクター(登録商標)
        坂本泰樹

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