2017/01/23 - 2017/01/23
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旅人のくまさんさん
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パスポート更新の時に立寄った、名駅西の椿神明社の紹介です。総本社は、三重県伊勢市にある、豊受大神宮とされます。椿社、厳島社、天王社、稲穂社、神明社の牧野五社の内、椿社が祀られていると紹介されていました。(ウィキペディア)
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イチオシ
椿神明社の境内の南側にある出入口付近の光景です。こちらが表参道になるようです。地図を参照しますと、南北に細長い境内のようでした。地元の氏神として長く信仰を集めてきた神社のようです。(同上)
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上の方の『村社』の二文字は塗り込められていましたが、『神明社』の文字が刻まれた石標の光景です。『椿神明社』などの呼び名もあるようです。『椿神明社』に伝わる、河童の伝説です。中村区編集の『笈瀬川筋巡り』から紹介します。『わしはおいせ川のカッパ太郎だ。川岸にはお宮の森がある。何十本もの大椿が繁っているので椿の森とよんでいる。おいせ川は子どもの天国だ。大勢の子どもが泳いでいる。わしも泳ぎがうまい。それに誰にも負けない力持ちさ。一番得意は男の子に化けることだ。』(同上)
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表参道の鳥居近くにある、銅葺屋根を持った椿神明社の掲示板の光景です。『椿神明社』のタイトルがあり、ご祭神や縁起が記されていました。古くは、伊勢神宮の神領で、その中を流れる川が『御(おん)伊勢川』と呼ばれたようです。後の『笈瀬川(おいせがわ)』の呼び名の語源とされます。今は、南北の『笈瀬通り』として名前を残しています。(同上)
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読み難くなってしまっていましたが、椿神明社の縁起などを記した板書きの文字のズームアップ光景です。(同上)
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椿神明社の境内光景です。参道脇に細長い蝋燭立が置いてありました。風で吹き消されないよう、ガラス戸付きでした。この先は、無断立入り禁止の表示がありました。(同上)
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内側から眺めた表参道の鳥居光景です。南側方面になります。力自慢で、男の子に化けるのが得意なカッパの話が伝わる椿神明社は、伊勢神宮の外宮にみたてられた社で、豊宇気比売命(トヨウケヒメノミコト)が祀られています。(同上)
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表参道の右脇に置かれた、大きく口を開けた阿形の雄獅子の光景です。左足の下に玉を持つ姿です。(同上)
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表参道の左脇に置かれた、口を閉じた吽形の雌獅子の光景です。右足の下に子獅子がいる姿です。一対で、台座に『奉献』の文字がありました。(同上)
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斜め後ろから眺めた雄獅子の光景です。『還暦記念』の文字と名前が記してありました、昭和14年(1939年)3月に寄進された狛犬でした。1941年(昭和16年)12月8日に、日本が英米に宣戦布告をして始まった太平洋戦争の2年前の年です。(同上)
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先程の阿形の雄獅子と一対だった、吽形の雌獅子の顔のズームアップ光景です。口元の曲線が、何とも言えない迫力です。(同上)
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イチオシ
吽形の雌獅子の右足の下の子獅子のズームアップ光景です。小さい牙を生やした、根性がありそうな子獅子の顔です。(同上)
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表参道の右脇になった立派な石灯篭の光景です。シャープな造りで、柱には『献灯』の文字がありました。(同上)
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表参道の左脇になった立派な石灯篭の光景です。正方形をベースにしたシャープな造りす。四方に格子造りの窓が設けられた火袋です。(同上)
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鉄の柵で囲われ、使用できない状態の手水舎の光景です。多分、この場所を不法占拠されることを防止した措置です。(同上)
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表参道の脇にあった2列目の狛犬の光景です。その奥の中央に拝殿が見えていました。『牧野五社』の呼び名は、かつての牧野村に因むようでした。(同上)
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表参道の脇にあった2列目の狛犬のズームアップ光景です。右脇に足を揃えて坐した、阿形の雄獅子像です。この像には玉はありません。(同上)
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表参道の脇にあった2列目の狛犬のズームアップ光景です。左脇に足を揃えて坐した、吽形の雌獅子像です。この像には子獅子はいませんでした。(同上)
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イチオシ
『椿神社』の拝殿のズームアップ光景です。『椿神社』の呼び名の由来は、河童伝説で紹介した、この地が、『何十本もの大椿が繁っている椿の森』が因んでいるようでした。(同上)
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拝殿に受かって、左側面から眺めた本殿の光景です。手前の拝殿の建物には、耐震対策でしょうか、木製の支柱が使われていました。(同上)
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更に近寄って撮影した本殿光景です。高床式の本殿に向かって、木製の階段が設けてありました。その手前には、立入ることが出来ないよう、石の柵が設けてありました。(同上)
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拝殿の周りに掲示してあった、説明用の貼紙のズームアップ光景です。この貼紙には、『甘酒祭の起因』のタイトルがありました。『御伊勢川(おんいせがわ)』から汲んだ水で造られた甘酒の効用から始まる『甘酒祭』の起源が紹介されていました。『御伊勢川(おんいせがわ)』が、後の『笈瀬川(おいせがわ)』になりました。(同上)
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冒頭に『序』と記された神社の縁起などの説明文です。末尾に昭和31年(1956年)3月の日付がありました。牧野五社に関して、あらためてご祭神などを調べ直した、牧野五社宮司と氏子総代会世話掛かり一同名での序文でした。(同上)
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『序』に続く、『縁起』の説明部分です。『牧野五社鎮座地並びに祭神』のタイトルで一覧が記してありました。起源などについては分からなかったようです。分かった神社があっても、横並びの記載のために、すべて省略されたのかもしれません。(同上)
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椿神明社の境内光景です。左端に見えるのが、支柱を施した拝殿、その後方直線状に本殿が見えています。(同上)
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昭和7年(1932年)10月の日付があった、『奉献』の文字が刻まれた石標の光景です。寄進者名が列挙してありましたが、何が寄進されたのかは、記されていないようでした。この年には、1月から3月にかけて、第一次上海事変が起きています。上海共同租界周辺で起きた、日華両軍の武力衝突です。(同上)
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境内側から眺めた、東参道と、その入口に建つ石の鳥居の光景です。名古屋駅の西側に近い、商店街が立ち並ぶ一角にある椿神明社です。(同上)
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外側から眺めた、東側の参道入口の鳥居の光景です。東側の参道は、この先で表参道と合流していました。(同上)
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椿神明社の拝殿と、その周りの鎮守の杜の光景です。常緑の樹は、楠あたりでしょうか、拝殿の数倍の高さに育っていました。(同上)
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同じく、境内の高木の光景です。冬木立の樹は公孫樹のようです。椿神明社の境内の東端の光景になります。(同上)
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先に紹介した、椿神明社の縁起等が記された掲示板の光景です。南側の表参道入口付近の光景になります。これで椿神明社の紹介はおしまいです。(同上)
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