2016/09/20 - 2016/09/20
2521位(同エリア6981件中)
ぎんちよさん
この日は今回の旅行の中で一番歩きました!何故ならアッピア街道を散策したから。本当に疲れたけど、充実した一日でした!
天気は快晴(ローマは夜中にだけスコールが降りました)、絶好のお散歩日和。
スタートはメトロのチルコ・マッシモ駅。ここから南下するとアウレリアヌスの城壁を抜け、アッピア街道へ入ることができます。
が、まずは城壁内のカラカラ浴場へ。
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この浴場はとにかく巨大です!熱い湯、ぬるい湯、水風呂、サウナ、マッサージ室(アカスリがローマ人は好きだったみたい)、プール、体育館、運動場、図書館(ギリシア語とラテン語で分かれていた)が一つになった、超巨大複合施設。現代のスーパー銭湯の比なんかではないです。
一度に1500人以上、1日に6000-8000人が利用したと言われている、この巨大浴場(音声ガイドでは浴場の建物で全長300mって言ってたかな?)は、カラカラ帝時代に9000人が約5年かけて完成させたもの。カラカラ帝は自分のパワーを誇示するために、こんな巨大なものを作ったのだとか。
216年に建立されてから、538年のゴート族侵攻で水道が破壊されるまで使用されていました。
ローマ時代の浴場は前2世紀頃から男女別に入ることが推奨されていましたが、実際には守られておらず(つまりは混浴状態だった)、ハドリアヌス帝が正式に勅令を出してから、男女別の時間で入浴することが義務付けられました。現代の浴場の様に、浴室や更衣室が2つある設計ではなかったので、時間で分けられたのだとか。 -
更衣室
4つの異なる白黒床モザイクの場所には、木製のロッカーがあったらしいです。鍵は無いため、裕福な人は奴隷に荷物を見張らせていました。更衣室は水はけを良くするために、中央が低く、傾斜がかかっています。 -
遺跡修復中の様子。一つ一つ手作業で石みたいなタイルをはめ込んでいく地道な作業。
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プール。縦55m、横22m。水位は足が底に着く程度しかありません。
プールでは石を投げて、如何に遠くの対岸の壁?床?へぶつけるというゲームが流行っていたらしく、床の石にその痕跡がありました。 -
一部残っている、床か壁の模様。
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ここは確か浴槽&サウナのあった場所
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お湯は地下で蒔きを使って沸かしていたらしいです。
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図書館跡。浴場とは別の建物。母語であるラテン語の他にも、ギリシア語を話すバイリンガルローマ人が多かったので、図書はどちらの言語も揃っていました。
このカラカラ浴場、予想以上に大きかったので、周るのに結構時間がかかりました。
でも昨日のコロッセオとは反対にガラガラだったので、長く居ても疲れなかったですw場所によってはほぼ貸切状態でした。 -
ここからラティーナ通りを南下します。人は全然いませんが、車の交通量が多いです。
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暫く行くと、スキピオ家の墓があります。何かしらのレリーフはあるかなと思ったが、現在は単なる公園となっていました。
因みにポエニ戦役での名将、スキピオ・アフリカヌスはこの墓地には葬られていません。カトーにローマから追い出されたスキピオは、「恩知らずのわが祖国よ、わが骨をもつことはないであろう」と言い残し、確かナポリ近くの別荘でその生涯を終えています。 -
ここから少し歩くと、アウレリアヌス城壁に突き当たります。この辺まで来ると観光客は全くいません。
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全長19キロに及ぶ城壁には全部で18の門がありますが、一番完全な形で残っているのが、サン・セバスティアーノ門。
カエサルが城壁は必要ないと破壊してから約300年後、いわゆる危機の3世紀と呼ばれる時代に、アウレリアヌス帝が建設したものです。 -
門を抜けると、いよいよアッピア街道へ入ります。
現在は、旧アッピア街道と呼ばれており、新アッピア街道は別にあります。
この街道は、紀元前312年に、財務官アッピウスが敷設させた、世界最古の幹線道路です。敷設当時はローマからカプアまで、後に南の重要拠点ブリンディシにまで至るこの道路は「街道の女王」(街道=viaは女性名詞)と呼ばれ、国土の動脈として、現在まで使用され続けています。
このアッピア街道の開通を皮切りに、ローマから各地への道路が敷設され、正に「すべての道はローマに通ず」ることになります。
この旧アッピア街道、車の交通量が多く、歩道が狭いor無いので、気をつけて歩かなくてはなりません。 -
アッピア街道入口にあった水道。夫婦?が彫られています
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第一マイルの円柱(レプリカ)。1ローママイル(1.5キロ)ごとに、首都からの距離を刻んだ大理石の円柱を立てるようにしたのは、グラックス兄弟の弟、ガイウス・グラックスの公共事業法で決まったことです。
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アッピア街道を暫く歩くと、左手にドミネ・クォ・ヴァディス教会があります。ここは、ペトロとキリストが再会した場所らしいです。本当かどうかは疑わしいが、キリストの足型までありました。
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私の足(24cm)と比べると、かなり大きいです!(笑)
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更に2キロほど南下します。こちらは教会敷地内の道。
人が全くいません。笑 -
教会敷地内を抜けると、サン・セバスティアーノ教会にたどり着きました。
ここにはカタコンベ(地下墓地)があり、有料で入ることができますが、無料で見れる展示品を見ただけで満足したので、地下へは入りませんでした。
教会自体は外から見るより広々としており、映画でよく出て来る懺悔の台?がありました。
さて、アッピア街道はこの先もまだ続くのだが、疲れたため、ここで引き返すことに。(本当はもっと先にあるチェチリア・メテッラの墓まで行きたかったんですが) -
教会内部
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昔の棺
教会の前にバス停があるので、バスでローマ市内まで戻ることにします。流石に歩いて帰るのはきついので・・・
が、このバスが来ません。10分ほどして二人組のスペイン人おばちゃんがやってきて一緒にバスを待ちました。少ししておばちゃん達がバス停の標札を見て、何かに気づきます。「ここ、一通だからローマとは逆方面に行かない?終点はここからまぁまぁ近いから、そこから乗りっぱなしでローマに行くことはできるけど、ぐるっと廻るから、一通になる前の道まで戻ったほうが良さげ」とかなんとか言ってます。
いや、危ない!このまま待つところでした。
おばちゃんたちに感謝しつつ、30分歩いてドミネ・クォ・ヴァディス教会まで戻ります。。 -
無事バスに乗れ、市内まで戻り、更にメトロでスパーニャ駅まで来ました。
歩いて15分、お目当てのアラ・パチスへ到着。
正式名は、「アウグストゥスの平和の祭壇」で、アウグストゥスの努力による平和の到来を祝い、その平和が長く続くようにという願いで建てられました。中央にある台座では、動物の生贄が行われていたそうです。 -
平和を祈る祭列の図。アウグストゥス、リヴィア、ティベリウス、アグリッパ、ユリア(アウグストゥス娘)、ドゥルースス(ティベリウス弟)などが描かれた、アウグストゥスの「家族の肖像」
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アラ・パチスの隣には、アウグストゥスやその近親者が葬られている皇帝廟があります。残念ながらここは中には入れないので外から写真だけ。雑草が生い茂っており、手入れはされてない感じでした。
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コルソ通りを進み、終点のポポロ広場に到着。ここに建つモニュメントは、アウグストゥスが征服したエジプトから運ばせたものらしいです。エジプト文字?のようなものが書かれています。
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次はメトロでレップブリカ駅に行き、ディオクレティアヌスの浴場と併設されている美術館へ行きます。本日二か所目の浴場ですが、こちらはローマ中心地のため、かなり破壊が進んでおり、ほんの一部しか残っていません。
美術館にはやたらと石棺が飾ってあり、美しいレリーフが彫られたものがたくさんありました。
日本の古墳なんかもそうですが、ローマでも遺体と共にナイフやアクセサリー、壺など貴重なものを石棺に入れていたらしいです。ぶっちゃけそこまで見所はありませんでしたが、翌日行くローマ国立博物館のチケットとセットになっている(セット券は3日間有効)ので、タダでした。 -
石棺
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本日の最終目的地はバチカン近くにある、Bonci(ボンチ)というピザ屋さん。いろんな具ががっつり載ってる、日本人好みのピザで絶品です♪
ここは量り売りをしてくれるので、ひとり旅には最適でした☆
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