2016/12/29 - 2017/01/03
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satoshiさん
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2017年のお正月休みに北インドのカジュラホ・ヴァナラシに行ってきた時の旅行記の3日目です。
3年連続でインドでお正月を迎えました。今年はまだ行ったことのなかったカジュラホと22年ぶりとなるヴァナラシ2か所を巡りました。
旅程
〇12月29日
名古屋を出発。新幹線で東京まで移動。皇居前を散策後、成田EX成田まで移動 17:15発NH827便にてデリーに向けて出発。24:45デリー着。
〇12月30日
入国審査後デリー国際空港で一晩過ごす。朝ターミナル1に移動。9:00発のエアインディゴ6E308でヴァナラシに向かう予定が40分遅延。10:40頃ヴァラナシ到着。その後12:40発のジェットエアウェイズ9W2423便にてカジュラホに向かうはずが13:10発にまた遅延。14:15頃カジュラホ到着。
ホテルチャックイン後、オートリクシャーをチャーター。西の寺院群と南の寺院群を見学。夜、光と音のショーを見学
●12月31日
西の寺院群見学 エアインディア15:15発AI405便にてヴァナラシに向かう予定がまた遅延 16:10頃出発。17:20頃ヴァナラシ到着
●1月1日
ボートで遊覧後サールナート見学。街に戻った後旧市街、ガート散策
〇1月2日
ガート散策、ラームナガル見学。昼食後空港へ移動。インディゴ6E635便17:25発デリー行が1時間遅延。19:00頃デリー着
〇1月3日
ANA1:25発NH282便デリー発成田12:45着にて帰国。成田エクスプレス、新幹線を乗り継ぎ名古屋まで戻ります。
ヴァラナシ移動日と翌日ヴァラナシ観光1日です。ヴァナラシ観光日はカメラの露出補正値を誤り少し暗めの写真になってしましました。データを修正するのも量が量なんでそのままアップします。
1日目は移動日でカジュラホからヴァナラシに移動、飛行機遅延の為と空港から旧市街まで1時間近く掛かった為プージャは見学できず。そのまま終了。観光一日目はホテルで依頼したボートでガンジス川遊覧。その後オートリクシャーをチャーターして午前中サールナート見学。午後からはヴァナラシの旧市街の見学をしました。
- 旅行の満足度
- 3.0
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 15万円 - 20万円
- 交通手段
- タクシー 飛行機
- 航空会社
- インディゴ ジェットエアウェイズ (運航停止) エアインディア ANA
- 旅行の手配内容
- 個別手配
- 利用旅行会社
- エクスペディア
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カジュラホ発ヴァラナシ行AI405便機内。軽食と水が出ました。
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17:20頃ヴァナラシ空港着。プリペイドタクシーにて予約したゲストハウスに向かう。タクシー代700ルピーに駐車場出口で駐車場代50ルピーが別途必要だった。運転手は英語が話せないようだったが、通訳らしき若者が相乗りしてくる。ゲストハウスの紹介やニューイヤーパーティーを誘ってくるが、ホテルは予約してある。パーティーとか一切興味ない旨伝えるとしつこく誘ってこなくなった。ヴァナラシは22年ぶりになるがデリーと同様、客引きが大人しくなったように感じる。後部座席で機嫌悪そうな顔で座っていると通訳が「なんでそんなに悲しそうな顔をしている」と聞いてくる。「疲れてるんだよ」と答えるとしつこく話しかけてこなくなった。別に疲れてないけど。
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ゴードリヤーの交差点に18:30頃着。自動車、オートリクシャーで入れるのはここまで。ゲストハウスは旧市街の為ここから10分ほど歩く。空港から1時間以上かかった。ゴードリヤーは相変わらずのカオスっぷり。よく見ると液晶大型ディスプレイがあり時の流れを感じる。タクシーを降りたときにチップをねだられたので50ルピー払う。タクシーを降りると目の前で日本人ツアー客が整列して記念写真を撮っている。何でここ?
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ゴードリヤーから10分くらい歩いただろうか?何とか予約したババゲストハウス到着。エクスペディアで評判が良かったのとガートに近かったので予約。実際に泊まってみるとどうも「日本人宿」の様だ。日本人の若者や長期旅行者らしき人が多かった。チェックン時にオーナーにボートトリップの予約をお願いする。最初なんか面倒臭がられた感じがしたが何とかお願いした。1時間500ルピー。朝6時にロビーに来るようにとの事。本当はオーナーの言う通り自分で探しても良かったがトラブルが面倒だったので初日はホテルで予約。2日目朝は自分で探すつもりでした。実際はここで頼んだボートの漕ぎ手が良かったので満足して2日目はボートに乗らず。
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オーナーと他の客とのお喋りが止まらず、なかなかチェックインがはかどらない。19:10頃部屋に入る。ダブルで予約したのだが部屋がなかったらしくトリプルにアップグレード。3階だったので階段上るのがしんどい。シャワー、トイレ付き。お湯は十分すぎるくらい熱かった。これは嬉しい誤算。ただ、あくまでゲストハウスとして。30代前半までか長期旅行者にはお勧めするが、私のようなアラフィフにはちと辛いかも。
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一休みしてから夕食を摂りにレストランを探す。
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ガイドブックに載っているドルフィンというレストランに向かうも1月15日まで休業中。ベンガリトラ(通り)に戻りスパイシーバイツというレストランに向かう。写真は途中のダシャーシュワメーガート。さすがにこの時間は静かです。
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スパイシーバイツでチキンカレーとナン、コーラを注文。合計200ルピー。やっぱり街中は安い。ここはガイドブックにも載ってるし当サイトでも紹介されているのでいつ覗いても日本人が居ました。若いころは捻くれてそういうお店は敬遠したのですが、最近は逆に紹介されているお店なら是非行ってみたいと思うように。それが普通なんでしょうね。
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翌朝6:00頃ロビーに降りるとボートの漕ぎ手がゲストハウスまで迎えに来る。日本人の御夫婦と同船することに。写真は早朝のガート。まだ暗い。
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このボートに乗ります。コースはここムンジーガートを出発して南のハリシュチャンドラガート(火葬場)から北のマニカルニカーガート(火葬場)まで行き戻ってくるという1時間半のコース。漕ぎ手は自己紹介でムーン君と言うそうです。
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最初、南に向かいます。
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ヴィジャヤナガラムガート。この先に火葬場があり写真はここまで。船の上からなら火葬場の写真はとってもよいとの話もありましたが、漕ぎ手のムーン君は「ノーフォトプリーズ」との事。そういえば滞在中船上からでも火葬場の写真を撮る人は見かけませんでした。ルールが変わったのかも。
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ガンジス川で洗濯中。
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Uターンして北上中。漕ぎ手のムーン君はサービス精神旺盛で漕いでる間もガイドをしてくれたり、写真を撮ってくれたりする。同乗した御夫婦と情報交換したりしてると退屈してると思ったのか更に頑張ってガイドをしてくる。前回(20年以上前)来たときは2回ボートに乗ったが2回とも英語の喋れない漕ぎ手で無言の乗っていたことを思い出すと十分元が取れたと感じた。
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鳥が群れをなして飛んでます。餌付けしてるのでしょうか、漕ぎ手の人たちが大声で叫ぶと群れをなして飛んできます。実際餌も小舟で売っていました。
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シーダラーガート。メインのダシャーシュワーメードガートの近く。
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プラヤーグガード。朝のプージャをやっていました。この日は元旦でガンジス川で初日の出を見るつもりでしたが残念ながら霧が多く太陽は望めないだろうとの事。
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ダシャーシュワーメードガートです。7:00頃。同乗の御夫婦は飛行機の時間があるとの事でここで下船されました。この後ムーン君が鳥の餌を買ってくれて鳥に餌を撒きました。
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北のマニカル二カーガート(火葬場)に向かいます。このピンクの給水塔(ウォーターフィルターと言っていた)があるのがバーウリーガート。ここの2つ右のガートが火葬場。火葬場の写真はなし。22年ぶりに来たが、記憶の中の火葬場の風景と目の前の火葬場の風景が一致しない。前回も写真は撮っていないので、全くの記憶違いなのでしょう。人間の記憶って当てにならないですね。この後ムーン君が漕ぎ手を代われという。私が漕いでるところを写真に撮ってくれる。日本の公園とかにある手漕ぎボートは簡単に操船できるがこのような大きなボートは難しい。意外と重労働ですね。すぐに漕ぎ手交代。
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ダシャーシュワーメードガートに戻る。沐浴中。朝日を浴びるガートの写真を撮ろうとイメージしてきたのですが生憎の天気。今回は旅行中通していい写真撮れませんでした。
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ムンジーガートに戻ってきました。7:30終了。丁度1時間半でした。ガートでムーン君にチャイを御馳走になり(飲んだ後ひょっとしてガンジスで水を汲んでないかと思い至ったが、もう遅い。でも、別にお腹壊すようなことなかった)、ムーン君とゲストハウスまで送ってもらってそこで別れる。
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8:20頃、サールナートに向かう。ゲストハウスのオーナーに翌日の空港行のタクシーの予約を頼む。850ルピーだったかな。サールナートの行き方を相談すると予約しようかと言ってくれるが、そうなんでも人任せにするのもつまらない。取りあえず行き方だけ相談するとゴードリヤーから片道300ルピー、往復チャーターで500ルピーが相場と教えてもらう。オートリクシャーをチャーターしたら見つけやすように運転手とナンバーの写真を撮っといた方がよいとの事。これがあとで功を奏する。
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ダシュワメーロードの様子。ここをゴードリヤー方向に向かうとオートリクシャーの運転手が話しかけてくる。サールナート行を交渉すると片道300ルピー。往復600ルピー。待機時間を相談すると1~3時間でも待つとの事。向こうではオートリクシャーは捕まらないとの事を言う(行ってみるとそうは見えなかったが)。大した差額でもないしお願いすることに。
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オートシクシャーに乗って移動中。路面が悪いのでガタガタ揺れて疲れる。
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サールナート9:00到着。タイ寺院の前で降りる。ゲストハウスで言われた通り運転手とオートのナンバーの写真を撮影歩きはじめるとガイドが売り込みに来るが、断りつつ鞄の中からガイドブックやらコピーやらを引っ張り出すのを見てガイドもあっさり引き下がる。22年前なら激怒するまでしつこく食い下がるのに時代は変わったなあと思う。写真はタイ寺院入口。
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タイ寺院の仏像。最近の物らしい。以前来たときは考古学博物館と遺跡公園だけ訪れたので1時間くらいしか居なかったような覚えがありますが、今回は最近のガイドブックに各国のお寺の紹介が載っていたので一通り訪れてみることに。
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ビルマ寺院の入口。観光客は誰もいなくて入るのに躊躇した。
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入口で案内されて奥の寺院にたどり着きます。
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寺院の中はこんな感じ。他に訪れている人はいなかった。
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考古学博物館と遺跡公園のチケット売り場に戻りチケット購入。まず考古学博物館に行きます。門を潜ったところで荷物預り所にバックとカメラを預けて中に入ります。門から中は写真撮影禁止でした。建物の外観を撮りたいと係員にいうと門の外から撮れと。そこまでいうか?写真は帰りに敷地外から撮影。中央玄関を入ると有名(らしい)4頭の獅子の像があります。テカテカに磨かれてました。
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ハイライトの遺跡公園は出来れば天候が回復してから訪れたい。天候が回復するかは分からないが。で、各寺院を先に廻ることに。朝食を食べてなかったので屋台でサンドイッチ購入。30ルピー。安い。昔はカレーしかなかったのになあ。
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ムーラガンダークティー寺院の入口。
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ムーラガンダークティー寺院の外観。1931年にスリランカの大佛提協会が遺跡を復元したそうです。
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入口に写真を撮る場合お布施をしてくださいとの寄付箱があるので、お布施をしてから中に入ります。本堂両側の壁画は日本人画家の野生司香雪さんが描かれた
そうです。日本画らしい淡いタッチでブッダの生涯が描かれてます。 -
本堂の隣に屋外展示場らしき場所があります。
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マーヤ―夫人が出産のときに手をかけたというアショーカの木があるとガイド本にあったのですがこの木の事でしょうか?あと本堂北面に動物園があったようなのですが時間がないのでパス。
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再び移動。今度は中国寺院です。1939年建立だそうですが、中国が共産党化してからタイの僧侶が主に管理しているとの事。
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本堂です。
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本堂内部です。
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しばらく歩き日本の日蓮宗の日月山法輪寺。
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法輪寺の本堂の中です。典型的な日本のお寺といった感じ。インド人の方が掃除をされていたのに違和感を感じてしまったほど。
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法輪寺敷南横にヴィシュワシャーンティシトゥーパという仏舎利塔が建っています。法輪寺の仏舎利塔だそうです。
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仏舎利塔の仏像。
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今度はチベット寺院です。
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本堂。
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本堂内。こちらもチベット風の造りになっています。
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11:20頃再び遺跡公園の入口に戻りました。天候も回復しなかったのですが待っていてもしょうがない。これから遺跡公園に入ります。
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遺跡公園の西端からのダメークストゥーパの眺め。サールナートはブッタが悟りを開いてから最初に説法した場所で後世に聖地となった場所です。
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アシューカ王の柱。ガラスで区画されてます。
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柵の向こうに四角い石碑があり金箔が張られてます。ブッタが成道後最初に雨季を過ごしたのがこの辺だそうです。
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ダルマラージカストゥーパ跡
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ダメークストゥーパ。6世紀に作られた塔。
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ダメークストゥーパの彫刻です。部分的に残ってます。
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11:30頃オートリクシャーとの待ち合わせ場所に戻る。2時間半の待ち時間となったのでセーフだったなと思っていたら運転手がいない。食事でも行ったのかな?周りのオートリクシャーの運転手に下車時に撮影した運転手と車両の写真を見せたら探してくれたが見つからない。「そのうち戻ってくる。寝て待ってろ」と言われ座席で休むことに。往きの料金払ってないので違うオートリクシャーで帰る訳にもいかない。(悪い人ならそうするかも)。30分位して痺れを切らしてうろうろ様子見に周辺を歩いたら他の運転手が携帯で連絡を取ってくれた。どうやら私の帰りが遅いので遺跡公園まで探しに行ったようだ。12:00運転手と合流。
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帰りに車窓?からチャウカンディースツゥーパ撮影。ブッダが5人の弟子と再会した場所に建てられた塔だそうです。見学も出来るようです。タイ寺院の前の道路を南に進むと見えてきます。徒歩でも行けるような距離でした。
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13:10頃交通規制の為、ゴードリヤー近くで下車。ゴードリヤーまでは歩く。下車時に運転手から待ち時間の割増料金をねだられるが、「3時間でも待つといったでしょ」と言い返したら納得した顔をした。その代り「もし貴方がハッピーな時間をな時間を過ごせたら好きな金額でいいからお金を下さい」と。そう言われるとチップを払うのも悪い気はしない。40ルピー渡す。歩きながら、チップも要求され方次第で払う側の気分も変わるものだなと考える。確かに高が100ルピー(約200円)でもぼったくられたと1日気分悪くなるのも気前よく払えるのも相手の態度次第。その程度の無駄遣いは日本でコンビニで買い物するときは日常茶飯事だし。
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午後からはガートの北寄りの観光地のマーンマハルとヴィシュワナート寺院を見学しようかと。マーンマハルに行こうとするが地図を場所が見ても分からない。ボートの売り込みの人に連れて行ってもらう。感謝。写真は入口。
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200ルピー払って入場。1階は中庭と宮殿らしきホールからなり、ホールにはなぜか窓ごとに若いカップルがイチャイチャしている。デートスポットなのか、ここは?
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お目当ての天文台は屋上にあります。デリー、ジャイプルにもありますがここは一番小さいですね。前回来たときはなぜか訪れるのを忘れてました。
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去年ジャイプルで見た観測儀と同様のものが並んでます。
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全景です。後ろはガンジス川。
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屋上からのガンジス川の眺め。この後ヴィシュワナート寺院に向かうも細い道に人が溢れている。そういえばこの日は元日。なんかイベントがあるかも。翌日も時間があるのでこの日は訪れるのを諦める。
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さて、基本的にノープラン。どうしようかと考え南のドゥルガー寺院とガートの南からガート巡りをしようとベンガリトラ通りを南下。途中からガートに出てアッシーガート到着。14:30頃。
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アッシーガートから人に道を聞きながら15:00頃、ドゥルガー寺院到着。敷地の中には入れるがゲートからはヒンドゥー教徒しか中に入れないので外観だけ見学。
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再びアッシーガートに戻りガート巡りをしようと思うが腹が減った。そういえば昼飯を食べてない。屋台で麺を購入。順番待ちで時間がかかる。作っているところをウキウキ気分で見ていると止める間もなくパクチーが投入される。残念な味になってしまった、ええ、私パクチー苦手なんで。
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16:20頃アッシーガートから北上。行けるところまで行く。近年の地球の歩き方にイラストでガートの絵が1から65番(アッシーガートからドゥルガーガートまで)描かれている。実際は84カ所あるのですが。この絵を見たときに「これは描かれているガートを全部訪れろとの地球の歩き方の挑戦状だな」となぜか思い次回ヴァナラシを訪れた際はガート巡りを決行しようと企んでました。写真はアッシーガート。以下ダイジェストでアップします。
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ガンガーマハールガート。ガートにはペンキでガート名が記載してあります。多少地球の歩き方と食い違っているところもあったような。
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トルシィーガート。トルシィーという詩人が住んでいたらしい。
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チェートスィンガート。チェートスィンという藩主が建てた城塞だそうです。
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ケダールガート。ハヌマーンガートからラーリーガートの間は中間に火葬場のハリシュチャンドラガートがある為写真撮影は自主規制。ハリシュチャンドラガートは撮影できるとの情報もありますが朝方のボートの漕ぎ手から船の上からも写真は撮らないでくれと言われたので自主的に止めました。
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コーリーガート?にある日本人バックパッカーの間で有名なゲストハウス「久美子の家」22年前来た時にすでに伝説化してました。ドミがメインらしいので泊まってませんが。
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ラナマハルガート近辺。このあたりから城塞らしい建物が続く。
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ラナマハルガートの壁に小便器が張り付いてます。排水配管はされていません。立ちションするとのどう違うのかさっぱり分かりませんが上の写真をアップすると活用されている方たちの姿が見えます。私はこんな人通りの多い場所で使用する勇気がありません。
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プラヤーグガート(ダシューシュワメードガート?)の到着。プージャーの準備がされてます。16:50頃。プージャーは18:00開始と聞いているのでもうしばらく歩いてみようと北に向かいます。
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寺院があります。
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メインのダシューシュワメードガートです。
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マーンマディルガート。建物は先ほど訪れたマーンマハル。
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トリブラバイラヴゥーガート。ここで若者が怒った顔をして「この先はマニカルニカ―ガートだ。カメラとガイドブックをバックにしまえ」と命令してくる。カメラは聞くがガイドブックは聞いたことないぞ。まだ距離はあるのだがしょうがないのでバックにしまい北に向かい歩き続けると若者が付いてきて高圧的な態度で話しかけてくる。取りあえず無視するがしつこい。観光客を検問しているのなら付いてくる必要はない。明らかに金を(しかも高額)をたかる気だろう。どう撒こうか思案していると「マキ代」という日本語を口にする。この瞬間私の方針は決まる。無言で即Uターン。今来た道を戻る。どうせもう夕刻。続きは明日にしてプージャーの場所取りでもしよう。後ろで若者が大声で騒いでいるがバイバイ。
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プージャーの開始を待ちます。
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18:00から始まりました。
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プージャの様子。
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5人の神官?にてお祈りがされます。そういえば22年前来たときはプージャーの事は全く聞いたことがなかった。一見伝統行事っぽいし不思議に思っていたのですが、近くにいた日本語を喋るインド人から15,6年前から始まった。22年前ならまだなかった筈と教えられた。納得。
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同じ所作を四方に順にお祈りが捧げられます。
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お祈りは1時間ぐらいで終わりました。見学者が帰り始めたころを見計らって近くまで行き撮影。
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夕食をどうしようかベンガリトラ通りを南下しつつ思案。前日と同じスパイシーバイツでは芸がないなと思ったのと日本人で一杯でどうも照れくさい。お洒落なカフェ風の店もあったがこっちも馴染みそうにない。ガイドブックに載っていてすいてるように見えたシヴァカフェ&ジャーマンベーカリーに入ることに。
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店内は日本人と西洋人が半分ずつくらい。落ち着いた感じ。ターリーを頼んで待っていると店内の客にニューイヤーのプレゼントとしてケーキが配られる。売れ残りなんだろうなあと思いつつも折角なんで有難く頂く。
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チキンターリーです。スプライトと合わせて200ルピー+翌朝の朝食用に20ルピーで帰りにパンを購入。この日はゲストハウスに戻り就寝。
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