2016/10/30 - 2016/10/31
11位(同エリア285件中)
ひらしまさん
旅で死ぬのは本望だが、それは避けるべきリスクを避ける努力をした上でのことだと思う。この旅の行程づくりで一つこだわったのは、イランで飛行機に乗らないことだった。
なぜなら、イランでは航空事故が異常に多い。過去25年間イランでは200回以上の航空事故が発生し、2千人以上が死亡しているそうだ。
その事故頻発の原因は、米国主導の経済制裁のために新しい機材を購入できず、飛行機が老朽化していることにある。
そこで、私はこうも思う。罪のない人々の生命を脅かす経済制裁ってどうなんだろう。
ほかにも、クレジットカードがまったく使えない不便さなども、旅行者が体感する経済制裁だった。
経済制裁の理由は、「イランが核兵器を開発しようとしているから」だ。
私も、特別に非人道的な兵器である核兵器には絶対反対だ。しかし、これまでに核兵器を開発したイスラエル・インド・パキスタンに対して国際社会は制裁などしてこなかったではないか。イランだけを目の敵にするのはどうも腑に落ちない。
そもそも、早くから核兵器を手にしたことを特権にして、核軍縮は口先だけでいっこうに実行しようとしない米ロ英仏中の核大国5カ国こそ、本当は制裁されるべきではないか。
イランの人々の情にほだされた私としては声を大にして言いたい。
現地3日目のきょうからはイラン中部のエスファハーンを訪ねる。16世紀から18世紀にかけてサファヴィー朝ペルシャの首都として栄え、「エスファハーンは世界の半分」とまでたたえられた古都とはどんなところだろうか。
〈旅行時のレート 1万リアル≒29円〉
- 同行者
- カップル・夫婦
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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シーラーズからのバスが着いたテルミナーレにはタクシーがたくさん並んでいた。
何人かの運転手と交渉してホテルまで25万が18万に下がったところで妥結したが、降りる時に細かいのが17万しかなかったらそれでいいと言ってくれた。交渉が甘かったらしいが、決めた金額を負けてくれるタクシーも珍しい。
セターレホテルは3ベッドに4人掛けソファもある広い部屋で機能的。
部屋の天井に聖地メッカの方角を示す矢印がついているのはどのホテルにも共通している。
日本の旅館のように歯磨きセットが用意されているのもイランのホテルの特徴だ。イランの人は日本人並みに清潔好きかもしれない。 -
ホテルのあるハーフェズ通りを散策。高級装飾品店が並んでいて、眺めるだけで楽しめる。
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イランって結構豊かなんだなあと思う。
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エマーム広場の夜景を見て引き返す。
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夕食は目当ての店を見つけられず、宿でお勧めを聞いたら宿のレストランを勧められた。当然か。
妻はラムのトマト煮と、豆とディルの入ったライス。ライスは大盛りで持て余していた。
私はチキンステーキと野菜炒め。妻と違って味覚の幅が狭いらしく、どうもインタナショナル料理の方が合っている。
でも一番おいしかったのはゴマ入りのナン。チャイは民族衣装の男性がサービスしてくれた。 -
現地4日目。
絵はがきを書いて郵便局へ向かう途中のモスクの前に花輪がたくさん並んでいた。お葬式かもしれない。 -
郵便局で勝手が分からず戸惑っていると、ここでもまわりの人が声を掛けてくれる。
長いすで待っている時に、隣の子連れ男性にリクエストされてパチリ。
絵はがきを投函したあと、エマーム広場への道を探していると相手の方から「エマーム広場?」と声を掛けてくれる。やさしい人たちばかりだ。 -
広場手前で工房が集まる一画があり、見学させてもらった。はにかみながら写真も撮らせてくれた。
そして隣の店でエナメル塗りの絵皿を買う。きっと広場の店よりは安かったのではないかと思う。 -
エマーム広場に出た。目の前にマスジェデ・エマームの巨大なエイヴァーンがそびえる。
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マスジェデ・エマームの前には修学旅行の女子生徒たちが集まっている。
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こちらは独自のアングルを追求する女性カメラマンとその友人。
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マスジェデ・エマームの中央礼拝堂に入った。
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ドームの天井は繊細にして壮大な美しさがある。
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柱は大きな大理石を彫ったもの。
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左の礼拝堂はほの暗く静かな空間。
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礼拝堂の隅々まで緻密な装飾がされている。
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隣の神学校をのぞいてみた。
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イスラムはテロリズムとは違うという展示、そしてイスラエルによるパレスチナ攻撃を告発する写真パネルなどが展示されていた。
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またイスラム法学者による対話のコーナーも設置されていて、なにか質問はありませんかと話しかけられ、おいしいゴマ飴をもらった。
イスラムすなわちテロリズムみたいな乱暴な誤解、あるいは無知が世界中に横行しているだけに、彼らはイスラムへの理解を広げたいと懸命なのだ。
きっと憤りもあるだろうに、にこやかな笑顔で我々を見送ってくれた。 -
エマーム広場に戻った。噴水の池の向こうにマスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラーが見える。
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乾燥した国でこの噴水は癒やされる。
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広場で話しかけてきた中学生たち。私たちにもこんな時代があったな。
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マスジェデ・シェイフ・ロトゥフォッラー。ここは王族専用の寺院だったから規模は大きくない。
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それだけに手をかけてつくられている感じがする。
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上品な色使い。
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独特の模様。
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華麗なドーム。
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内部のエイヴァーンの鍾乳石飾りも美しい。
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ここにも修学旅行の生徒たちが大勢いた。
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エマーム広場はイラン随一の観光名所なので馬車も走っている。休憩中の馬さんのお食事タイム。
リアルが底をついたので両替し、バナナとサモサを買って帰り、我々も昼食にした。 -
夕方ザーヤンデ川の橋めぐりに出発。まずはタクシーでハージュー橋へ。
橋のたもとに着いて、川が干上がっているのに驚いた。イランには乾季があるのだろうか。
ハージュー橋は17世紀につくられた堂々とした橋だ。 -
橋の下部はエスファハーン市民の憩いの場らしい。
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ハージュー橋からスィーオセ橋まで2キロほど、緑地公園になっている気持ちのよい散策路を歩く。樹木がいろんな形に刈り込まれているのはイラン風なのかな。
途中、女性十数人のお茶会あり、一人もの思いにふける男性あり。 -
2つの橋を経てスィーオセ橋に着いた。ハージュー橋よりもさらに歴史がある橋だ。そして、人が多くにぎやかだ。
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橋の両脇にはこのようなアーチが並んでいる。
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そのアーチの下にも語らう人、新聞を読む人など、憩いの光景が見られる。
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対岸まで渡ってスィーオセ橋全長300mの全景を眺める。
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アゼルバイジャンから旅行に来たカップルに話しかけられ、旅の感想など語り合う。カフカス地方の人と話したのは初めて。
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南岸に戻る。夕陽を受けるスィーオセ橋の重量感ある橋脚。
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水が流れていないので橋の土台を歩いて渡る人が多い。
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川岸に腰掛けて橋を眺める人々に加わり、しばし休憩。
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ゆったりした時間の流れるスィーオセ橋だった。
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夕食に向かう途中にあった、たぶん募金箱。イランではどの街でもとてもよく見かけた。きっと寄付が盛んなんだろうな。
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夕食に選んだのは「歩き方」に載っていたノウバハール。思ったより早く着いてしまい、開店の6時まで近くのバス停のベンチで乗り降りする人々を眺めて時間をつぶした。
6時になったけれど店の明かりがつかない。でも、もう待てない。
店のある地下に降りていくと、店は真っ暗ながら奥の厨房の明かりはついているし、ドアは施錠されてない。真っ暗な店内に恐る恐る足を踏み入れ、厨房に向かって声をかけた。
すると、暗闇の中から突然人が現れて、店内がパッと明るくなった。ホッとしながら奥のテーブルに進もうとしたら、テーブルとテーブルの間の床に寝ている人がいてのけぞった。
どうやら、夜の部までの時間に仮眠していた従業員たちを無理矢理起こしてしまったらしい。ちょっと申し訳ない気分で席に着いた。
写真は挽肉のケバブ。 -
魚の唐揚げ。
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ライス添え。それにティーを頼んだらここではチャイでなく紅茶が出てきた。
どの料理もおいしい。しかも安い。2人で34万リアルだから千円足らず。大満足だった。 -
満ち足りた気分でホテルへ帰る道沿いにショッピングセンター発見。日本と変わらない感じだ。
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服地屋さんかな。
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店頭の写真は、チャードル着用という厳しい制約の中でもおしゃれを追求する女性たちの気持ちを反映しているように見える。
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こんなエレガントなモールもあった。
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かと思うと、ここは小さな女の子向けのバッグの店かな。
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おしゃれで贅沢な婦人服の店。ここがイランとは思えない。
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ショウウィンドウを楽しんで歩いて来たけれど、もうエマーム広場に着いてなくちゃ変だなあと、見れば前方にこの夜景。
ずいぶん大きいけど、いったいなんの建物だろう。でも、このかたち、見たような…。
スィーオセ橋!
食事したノウバハールから宿に向かって東へ歩いていたつもりが、南に戻っていた。どうやら歩き始めにあった工事箇所で方向感覚がずれてしまったらしい。 -
せっかくだからとスィーオセ橋の夜景をカメラに納めてから、来た道を戻った。
途中で右に曲がった方が近そうなのだけれど、暗いので現在地点をつかめない。
交差点で近くにいた人にエマーム広場への道を聞いていると、通りかかった女性が「私についてきて」と言って歩き出したのであわててついて行く。
きっと私たちのやりとりを耳にして、2人だけでは広場に行けそうもないと心配してくれたのだ。
1歳くらいの幼児を抱いた若い女性だ。夜8時を回り、家路を急ぐのだろう、かなり早足で、申し訳程度にかぶっているヘジャブが何度も後ろにずり落ちてしまう。
いくつ目かの交差点で、彼女は「ここを左折して○○通りを右折すれば広場に着く」と教えてくれたが、私たちが理解できていないと見て自分も左折して歩き始める。
あわてて前に立ちはだかって、あなたの家はどっちかと尋ねると元の直進方向だという。
幼子を抱いたお母さんにこれ以上甘えるわけにはいかない。もう大丈夫だから、本当にありがとうと、握手と日本のキャンディで気持ちを伝えて引き返してもらった。
急いでいるだろうからと、お名前も聞けず、写真も撮らなかったけれど、彼女の親切を私たちはきっと忘れないだろう。 -
さて、どこで右に曲がればいいかなあと思案しながら歩いていると、「コンニチハ」と声をかけてくれる男性がいたので広場への道を聞くと、なんと日本語で返事が返ってきてびっくり。
彼もまた、一緒に行きましょうと自転車を押してつきあってくれた。
彼、レザさんは、かつて横須賀で働いていた時に日本語を覚えたという。とても流ちょうな日本語で、日本語検定も3級までとったそうだ。今は絨毯取引で成功しているらしい。
広場のすぐ近くまで送ってくれて、自転車で去って行った。 -
静かな夜のエマーム広場を横切りながら思った。どうして彼らはこんなに優しいんだろう。
一生分の親切を一日で受けたような気持ちで、幸せな夜だった。
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この旅行記へのコメント (6)
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- ソウルの旅人さん 2019/06/20 22:18:35
- 初めまして!
- 初めまして。ソウルの旅人と申します。拙稿に「いいね」をありがとうございます。
日本人とは異なる質の親切を体験すると、とても“幸せ”な気分になります。イラン人の親切を見事に表現された旅行記で、感動しました。また、モスク内部の美しさに目を瞠りました。今後、ひらしま様の旅行記をゆっくり拝見させていただきます。
私は近年は韓国に特化して旅行をしております。
- ひらしまさん からの返信 2019/06/21 22:35:35
- 同感です!
ソウルの旅人さん、初めまして。
イランの旅は僕にとってほんとうに特別なものでした。
だから、ようやくイランも新しい旅客機が買えるようになったと他人事ながら喜んでいたのに、トランプ大統領登場ですべてが吹っ飛ばされ、いまや戦争の危機さえ語られていることに暗然としています。
ソウルの旅人さんも釜山で心温まる体験を重ねられたのでしたね。
“幸せ”な気分と書いてらっしゃること、まったく同感です。
みんながお互いの国を訪問し合って、あの“幸せな気分”を感じあったら、どこの政権がどんなに旗を振っても戦争なんかできないと思っています。
韓国へは、ずいぶん前にソウルと統一展望台に行ったことしかなく、今度は慶州など南の方を訪ねたいと思い、4トラの旅行記を漁り始めたところです。
なかでもソウルの旅人さんの旅行記は、豊かな知識に裏打ちされながら謙虚で確かな道しるべのように思えました。
以前の旅行記も含め、時々お邪魔して参考にさせていただきたいと思います。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
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- eimeiさん 2017/01/13 21:20:33
- 投票ありがとうございます。
- 初めまして、ひらしまさん。
じじいのバイク一人旅 32 (ギリシャ 編 パート1)に投票していただき、ありがとうございます。
イランの旅行記をおもしろく読ませていただきました。8年前、バイクをトルコに置き、パックパッカーとして、一人旅したときのことを思い出しました。イマーム広場ではイランの家族とアイスクリームを食べたことやペルセポリスを歩き回ったことを昨日のように思い出します。
私も「イランという国をどう思うか?」と何度も聞かれました。多分、欧米では、イランが好意的に見られていないことをネットなどで知っているからだろうと思われます。
また、イランの地方都市へ行くと、日本語を話す何人ものおじさんに助けられました。若いとき、日本へ出稼ぎに行っていたが、日本での想い出を誰一人話そうとはしません。
地方都市へ行くと、大統領より上の地位にある宗教指導者ホメイニとハメネイの大きな肖像画が街中に飾られています。
欧米的な自由、民主主義、男女同権などは、現時点では無理なような気がします。
イスラム圏で進歩的な国と言われていたトルコでさえ、現状ではほど遠いですから。
ところで、私は2〜3年間、長期の旅はできない状況にあります。その後、南米をバイクで走り回りたいと思っていますが、はたして60歳台後半で可能なのか?
今後ともよろしくお願いします。
名古屋の自宅よりeimei
- ひらしまさん からの返信 2017/01/14 11:50:10
- eimeiさん、こんにちは
イラン旅行記にご訪問ありがとうございます。
「イランでは人に会え」とどこかで読みましたが、いろんな人と出会ったイランは忘れがたい旅になりました。
もちろん革命の原動力であったイスラムによる政教一致体制は簡単には変わらないでしょうが、しかし、西欧型民主主義のよさをとりいれていく知恵をイランの人々は持っているという気がします。
eimeiさんのバイク一人旅かっこいいなあ。
昔の人の徒歩か馬での旅に一番近い、旅の原点現代版ですね。
バイクのある風景の写真もいいです。
ぜひ体力、知力を維持されて、南米バイク旅を実現してください。
楽しみにしています。
ひらしま
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- きなこさん 2016/12/04 20:48:44
- 温かいですね
- こんにちは
度々コメントすみません
なんて温かい人達なんでしょうか
全く私が想像していた「イラン」とは大違いです。
閉塞的で人とのコミュニケーションは取らないのかなぁって勝手に思ってました。
それに外国で有りがちな見返り目的でも無いし本当に心から親切な温かい方々なんですね
とっても興味が湧いてきました
きなこ
- ひらしまさん からの返信 2016/12/04 23:39:38
- RE: 温かいですね
きなこさん、早速の書き込み、ありがとうございます。
イランの人たちの温かさを、きなこさんに感じとっていただいてうれしいです。
ぼくのような言葉の不自由な者は、どの国へ行ってもその国の人たちの好意に助けられて旅しているわけですが、イランの人たちはその優しさ、温かさの熱量が違いました。
なぜそうなのかはよく分からないのですが…。
ぼくたちも少し見習わなくちゃと話していて、妻は先日、電車の中で疎外感のあったアフリカ出身の青年とおしゃべりして励ましたそうですが、ぼくもせめて簡単な道案内くらいは積極的にしたいと思っているこの頃です。
でも、そのためにはサボっている英語を細々でもやらなくちゃ。そこが問題です。
ひらしま
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