2016/11/19 - 2016/11/23
9位(同エリア41件中)
junさん
ガナルカナル島は、私のように戦史研究するものにとっては、最終目的地でした。それが、近年、パッケージツアーで比較的安く行くことができるようになりました。
早速、4泊5日(内機内1泊)で、パプアニューギニアのポートモレスビー経由、ガダルカナル島ホニアラへ向かいました。ホニアラは「ソロモン諸島」と言う国の首都です。
現地について、一番驚いたのは物価がとても高いこと。
ペットボトルの水やコーラ、ビールが、約20ソロモン諸島ドル(500円)です。ドルを持っている人(わざわざドルに両替する必要はありません)は、ドルでの両替がおすすめです。
物価が高いせいもあり、現地戦跡ツアーも2日間で、1人72,000円(昼食代別)と高額です。
それでも、ホニアラは治安は良く、子供達も人懐こいのが嬉しいです。
現地戦跡ツアーは、英語ガイドです。
私は、旅行前に戦跡情報を取得して、ガイドの英語を聞くので、拙い英語力でもなんとかなりましたが、戦跡以外の話はなかなか理解できませんでした。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 5.0
- ホテル
- 5.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 3.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 25万円 - 30万円
- 交通手段
- 徒歩 飛行機
- 航空会社
- ニューギニア航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
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成田空港から、ニューギニア航空でパプアニューギニアのポートモレスビーへ向かいます。オーストラリアワインを飲みながらの夜間飛行です。
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未明にポートモレスビーに到着して、11時にガダルカナル島ホニアラへ向かいます。
5時間ほどの待ち時間ですが、ポートモレスビー空港も値段が高く、コーヒーとハンバーガーで1500円ほどでした。 -
ポートモレスビーの街です。
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優雅に機内で、ランチにワイン。
先の大戦中はこのあたりで、日米で激しい海空戦(珊瑚海海戦)が行われました。
申し訳ないと言う気持ちと、平和でありがたいという気持ちを噛みしめます。 -
ガダルカナル島のホニアラ市街です。
右の岬はクルツ岬、真ん中がマタニカウ川。
左方の飛行場をめぐって、このあたりで日米が激しく戦いました。
この景色は、ラバウルから来た日本海軍航空隊や米軍機の視点です。
窓際の席であったことを感謝です。 -
ヘンダーソン飛行場です。現在も国際空港として活躍しています。
右の川はルンガ川。
戦後、拡張された滑走路の左が、一木支隊が壊滅したアリゲータクリークの戦場。飛行場の山側が、川口支隊や第2師団が攻撃したムカデ高地。
この飛行場を巡って、この孤島で10万人近い日米兵士が戦いました。 -
左の島がサボ島、右はツラギ島などがあるフロリダ諸島です。
この海では、日米海軍で激しい海戦が行われました。
日本の戦艦比叡、霧島を初め、日米の艦船数十隻が沈んでいて、アイアンボトムサウンド(鉄底海峡)と言われています。 -
偶然、一木支隊が戦った通称アリゲータクリーク(イル川河口)を空撮しました。
中央の砂州付近で、1千人近い日本軍が壊滅しました。
翌日、陸から訪問しますが、きれいに空撮できたのはありがたいです。
沖にはサボ島も写っています。
ちなみに、ここは航空機の離着陸コースなので、着陸時は右窓側、離陸時は左窓側が良いです。 -
ホニアラ国際空港(ヘンダーソン飛行場)に到着しました。
空撮に熱中しすぎて、入国カードを書けませんでした。 -
空港からホテルの送迎バスで、キタノメンダナホテルに到着です。
同じツアーのメンバーは、私達4名とご夫婦の6名です。
他に十数名の日本遺族会の慰霊団の方も機内一緒でした。 -
とても快適な日系ホテルです。
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日本人スタッフがいてくれて、とても助かります。
wifiは有料だったので、使用しませんでした。
ホテル内で現金両替しますが、円レートはあまりよくありません。
市内銀行でも同様なようなので、なるべくクレジットカード利用が良いです。
ホテル内ショップで、水や土産品を買いましたが、当然高いですが、市内も同様です。 -
室内も快適です。
テレビはNHKも見れます。
無料の飲料水はありませんが、歯ブラシ等のアメニティは充実しています。 -
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シャワーブースがバスタブと別で、快適です。
時間帯により水温が若干下がります。 -
3階(エレベータはありません)なので見晴が良いです。
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部屋のベランダからプール越しにサボ島が見えます。
ここから見える範囲で、先の大戦時に多くの海戦が発生しました。 -
部屋の正面はフロリダ諸島です。
そのツラギ島などでは、日本の海軍警備隊が米軍海兵隊により玉砕しています。
現在は、クルーザーなどが停泊して、平和な風景です。 -
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このあたりマタニカウ川西岸地区は、当時日本軍の陣地がありました。
過去の戦場も、今は平和なリゾートです。 -
ホニアラの繁華街です。
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大戦中の対日本軍監視コーストウォッチャーの英雄像です。
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ガダルカナル島2日目(ツアー3日目)は、東地区戦跡地巡りです。
ホテルの朝食レストランは、プールサイドに面していて、明るい感じです。 -
ビュッフェの朝食は、ツアー代に含まれています。
卵料理はオーダーで、持ってきてくれます。
とても美味しいです。 -
最初の訪問地は、東部のテテレビーチです。
多く(20両以上)の米海兵隊の水陸両用車が置かれていました。
損傷したのか?残置されたのでしょうね。 -
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テテレビーチから、最初の日本の陸軍部隊一木支隊が上陸したタイポ岬を望みます。
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2番目の訪問地は、レッドビーチです。
米第1海兵師団が、日本軍の完成間近の飛行場を奪取するために、最初に上陸した海岸です。
米軍の反攻のスタートで、この後、東京へ行くまでの長い道のりの第一歩だと、米記念碑に記載されています。 -
一木支隊の鎮魂碑で、日本から持ってきた大福と、水で簡素な慰霊を行いました。
周辺は学校や教会で、碑はきれいに整備されていました。
日本から学校へ援助が行われているとのことです。 -
一木支隊の戦闘地の碑です。
近所の子供達が物珍しそうについてきました。 -
碑から海岸を歩いて行くとすぐに、一木支隊が壊滅した通称アリゲータークリークの砂州があります。
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ここで正面の米軍基地から掃射され、さらに米軍M3軽戦車に包囲蹂躙され、多くの日本兵が戦死しました。
今は、地元の女学生がいる平和な風景です。 -
米軍側から見た視点です。
若干高くなっています。
砂州と川に足を取られながら、遮蔽物もない場所を突撃してきたわけです。 -
空港(ヘンダーソン飛行場)には、旧日本海軍の高射砲がまだ空を睨んでいました。
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飛行場南のムカデ高地の旧日本軍の第2師団の慰霊碑です。
ここでも、大福と水を献じました。
ここで敗退した第2師団は、後退時に多くの兵が飢餓で亡くなりました。
それが「ガ(餓)島」のゆえんです。 -
ガイドさんが持っているのは、当時の米軍の鉄条網です。
この正面から、日本の川口支隊、そして第2師団がこの急坂を登って攻撃しました。
ここは、防御する米軍からの視点です。 -
川口支隊の慰霊碑があった場所だそうです。
川はルンガ川です。 -
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