2016/11/08 - 2016/11/11
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ソウルの旅人さん
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三泊四日の韓国への旅行
1日目 ソウル;南山(ナムサン)
2日目 江陵(カンヌン)
3日目 驪州(ヨジュ)
4日目 ソウル;昌徳宮秘苑(チャンドックンフォウォン)
「その1」は1日目のソウル。南山中心に歩いた。
タイトル写真は南山院
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 航空会社
- アシアナ航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行なし)
- 利用旅行会社
- 日本旅行
-
1年ぶりの韓国はすべて順調な出発
-
本日はアシアナ航空
珈琲を飲みながら、ゆっくり待つ。
関空は雨が降っているが、ソウルは回復するとの予報。 -
アッという間に仁川着
2時間弱で韓国に着く。
途中は厚い雲の上であったが、仁川は秋晴れ。 -
この飛行機が沢山並んでいると、韓国に来た実感が出る。
-
仁川の到着掲示板
関空は静かだったが、仁川は喧噪。 -
今回は3泊とも世宗(セジョン)ホテル
偶々、このホテルに決まったので、今まで何となく足が向かなかった南山
を廻ってみることにした。 -
少し歩いて南山の麓にあるソウルアニメーションセンターに到着。
(午後1時30分頃)
アニメを見に来た訳ではない。 -
アニメセンターの中央にこの碑が設置されている。
統監府は保護国時の出先機関名。総督府は植民地にしてからの名称。このアニメーションセンターの敷地にあった。
1926年景福宮内に移る。 -
赤い人形は誰に「あかんべー」をしているのか。
-
韓国統監府
おそらく1910年ごろの写真である。この正門が上の写真の碑が立っているあたりか。 -
これが現在の全景。
ソウルタワーが聳え、アニメの主人公たちが勢揃いして平和な光景であり、場違いに見える韓国統監府碑を見る人はいない。
この碑以外は建屋の欠片も何もない。 -
アニメセンターを少し下ると石垣があって、人形が何やら指さししている。
-
この壁は「Seoul Cartoon Museum」の外壁になっているが、もともとは統監府の壁であった。おそらく統監府関連で唯一の残存物である。
ソウル漫画博物館の外壁に生まれ変わっていること自体が漫画的といえる。
漫画も博物館にするところが韓国だ。 -
漫画博物館の一本東側の路地に入る。
左側の建物はソウル市消防本部である。消防本部前を左折する。 -
左折して少し行くと、おおきな銀杏の木が現れる。
-
この銀杏は何を見てきたのか。
-
この写真に写っているのは統監府長官の官邸である。
坂道の左にある大きな銀杏が上の写真に写っている銀杏と同じである。おそらく100年程前の写真であるが、樹木だけは何事もなかったように、そのまま残っている。官邸は跡形もなく消滅している。
この銀杏は伊藤博文・林権助・寺内正毅・李完用そして高宗を見ていた。 -
上の古写真の右側に写っている樹木である。
-
この大木の前に1900年~1907年に朝鮮公使であった林権助の像の台座が水平に置かれ、ベンチとして利用されているはずであった。
写真を見たのでここにあったことは間違いないが、無くなっている。 -
林権助の台座は諦めて、統監官邸跡に戻る。朝鮮が植民地になる契約が結ばれたのは統監府ではなく、この官邸であり、それ故ここに100年後の2010年8月に悔恨碑が建てられた。
『庚戌 国恥の現場』と書かれている。
庚戌:1910年 -
その碑の少し離れた横に新しい石柱があった。そして、金属のプレートが貼ってある。
-
林権助の銅像の変遷に関する説明文であった。
銀杏が写った同じアングルの別の写真が載せられている。
日付は2015年8月。去年に作ったものである。
このプレートの裏側は次の写真。 -
旅行から帰ってから調べて判ったことである。
ベンチに使われていた銅像台座を先ほど見つけられなかった場所からこちらに移して、このような形で作り替えたものであった。
ベンチのままにしてあるほうが、はるかにリアルに歴史を感じることができ、林権助の名前も含めてユーモラスであったのに、これでは人工的すぎて実感がない。
この横には『歴史を忘れるものは未来を失う』のような標語?があった。 -
全体写真
林権助は会津の出身。八重の桜にでてきた同名の権助の嫡孫になる。敗者の会津出身者が明治時代に朝鮮公使まで出世し、男爵になるのは一つのドラマであり、一筋縄ではいかない複雑な人物であるが、朝鮮公使時の権助は朝鮮を植民地にした実務者であり、韓国ではいまでも敵役である。 -
官邸跡から引き返して漫画博物館から入ってきた道を直進する。
このような細い路地である。行き止まりのような門扉が見える。
地図にはリラ小学校後門と記されている。 -
やはり行き止まりであった。
その時、一人の韓国女性が門扉の潜り戸からでてきた。見慣れない日本人が二人立っているので、怪訝そうであったが、「ナムサンイン オディエヨ」(南山院はどこですか?と聞いたつもり)と声をかけた。
意味がわからないといった感じであったが、「ナムサンウォン?」と返答があった。思わず「そうですナムサンウォンです。!」と日本語で返事していた。行きたい処は南山院であるが、韓国音ではナムサンインではなくナムサンウォンとなる。
女性は少し考えていたが、今出てきた門扉に戻り、インターフォンにて何か話している。門扉の潜り戸が開き、女性が手招きしてくれた。南山院に案内するという意思表示に間違いない。彼女について中に入るとそこはやはり小学校であった。そして、校舎の中に入っていく。授業はしていなかった。初めて韓国の小学校の中に入って興味津々もキョロキョロは出来ない。2階に上がって、外に出た。 -
外に出た左側がこの景観だった。写真で知っている南山院。
女性は「右に行けば出口がある。そこから出て下さい。」と言って引き返して行った。同行者は「ヤン・ミギョンにそっくり」と言う。知的な美人であったが、リラ小学校の教師かも。
お礼を言いたかったが、「カムサハムニダ」「コマスミダ」も出てこない。軽くお辞儀をしただけで終わったが、本当に有り難い。韓国旅行ではしばしばこのような親切に出会う。韓国の醍醐味である。
しかし、おそらく探している場所が南山院であるから校舎内を通ってまで案内してくれたと思われる。
南山院とはどういう処か? -
南山院の入口
韓国では朝鮮戦争にて離散家族が膨大な数にのぼり、従って多くの孤児が生まれた。
南山院は孤児院である。
リラ小学校は富裕層のための私立有名小学校らしいが、その敷地内になぜ孤児院があるのか、現在はどのような状態なのかも調べたが、判らなかった。
そして1945年以前はこんな姿であった。 -
乃木神社
1945年以前には南山院の敷地にはこの神社が建っていた。
ソウルに作られた日本占領期の施設はほぼ消滅しているが、南山院には多くの関連物が遺されていたので、多数の紹介記事がある。
それで、是非、南山院に行きたかったのだが、一般には入ることが出来ない敷地内にあるようで、難しいと思っていた。上述のような偶然の事情で訪問することができた。 -
入口を入って左側には南山院の本部建屋があるはずであったが、消滅している。
工事中であった。
南山院には着くことは出来たが、どこに遺物があるのか皆目わからない。 -
大がかりな工事である。
資料ではこのあたりに乃木神社関連の遺物があった。
どこかに保管してあると思われるが、質問する語学力がない。
ウロウロするばかり。
このようにして関連遺物は消滅していくのであろうか。南山院の遺物も
他へ移されたか、破棄されたのか。 -
諦めて帰りかけたが、正面掲示板のすぐ後ろに何かある。
-
あった。
本日、唯一見つけた乃木神社の関連施設である。 -
奉納 御手水舎 一棟
寄進者 高木徳彌
同貞子
昭和九年九月吉日
多くの資料に掲載されているからそのまま載せてもいいであろう。
昭和九年といえば西暦1933年である。今から83年前となる。
手水舎は入口のすぐ後ろにあったから、動かしていないとすれば、神社の手水舎の置かれる位置から考えて、古写真の乃木神社と南山院はほぼ同じ方向を向き、規模も近似していたと推察される。 -
帰り道はこのリラ小学校の正門からであるが、警備員が多数立っているような門である。案内されたとはいえ裏口からであり、声をかけられると説明する韓国語の会話能力はない。
不審者と見られないように、気をつかった。守衛さんはどんな種類の人間(韓国人か中国人か日本人か)か解釈しかねているような顔をしていたが、声をかけてこなかった。 -
リラ小学校から南山公園に向かって歩いて登って行く。ケーブル駅を過ぎ、地球村民俗教育博物館の横の有名な大階段を登る。ソウル市内が一望に見えてくる。
-
階段を昇りきったら、南山公園。
多数の石碑が立つ。 -
このような石碑が連続する。
-
安重根(アン・ジュングン)義士記念館
-
石碑の間から振り返ればソウルタワーがすぐ前に見える。
観光客は歩いて公園など来ずにケーブルカーでタワーに上がる。
同行者は「足が痛い」と言い出した。
この広場には何があるのか。いや、何があったのか。 -
朝鮮神宮
この公園には、1925年に出来た写真のような朝鮮神宮があった。
それが有ったことを示す兆候はない。完璧に何もない。
安重根を顕彰する石碑が林立するだけである。 -
南山を借景に大神社であった由。
2枚上のソウルタワーの写真に写っている山の形と、
この写真の右側の山の形を較べると、
神社はなくなって、何もかも変ってしまっても、
山の形は変らないことが判る。 -
公園から一段下がった白凡広場にある金九(キム・グ)銅像。
このあたりも朝鮮神宮の敷地内。 -
金九像の横に並んでいる李始栄(イ・シヨン)像。
金九・李始栄も朝鮮独立活動家として著名。 -
金庚信像
李始栄像のかなり下にこの像がある。何故、ソウルの南山に金庚信の像が建てられているのか、全く判らない。日本書紀に現れる金庚信は特に反日ではないし、伽耶の人である。ソウルとの関連が見つからない。 -
金九像から南山の下りになる。
李朝時代にソウル城壁があったが、破損されたので、復元されている。下段に僅かな李朝時代の石が見られるが、殆ど真っ新である。 -
紅葉した木々の間を下って行く。
しかし、日本占領時代はこんな景色ではなかった。 -
朝鮮神宮に登るこんな石段が作られていた。
迫力のある階段である。 -
階段の上からの鳥瞰写真
安重根石碑周辺が神社の中心であり、李始栄像がこの階段の登りきった辺りになり、金庚信像は3/4見当か。
そして、この道は南大門に続いている。現在の素月路(ソウォルロ)がこの道に当たる。
写真では判りづらいが、右端に南大門がある。 -
上の写真とは反対方向の南大門方向から朝鮮神宮を望む写真
神社参道として整備されたのであろう。道路も階段も壮観である。
神社本体は何も残っていないが、この道に痕跡は残っているのか。 -
南山を下りきり、素月路を南大門に向かうと、金色の仏様の後ろ姿に出会う。退渓路(テゲロ)を陸橋で渡る右側である。
-
龍宮寺
韓国の宗教施設はみんな新興宗教にみえる。なにか怪しげなのだ。このお寺もソウルの中心街にありながら一種独特の雰囲気をだしている。 -
このお寺の素月路に面した擁壁の裏側であるが、玉垣の空間部分をセメントで埋めて、その上に絵を描いている。高い石柱だけが残っている。
朝鮮神社参道の玉垣を利用している。
(この絵が描かれる前の玉垣であった写真を資料で見たことがある。) -
上の写真の絵が描かれていない左部分拡大であるが、明らかに玉垣であったと思われる。
-
拡大写真
文字が彫ってあったと思えるが、長年の風雨ゆえか、又は人為的に削られたのか不分明になっている。 -
龍宮寺を過ぎ退渓路をこえて少し行くとはっきり玉垣が現れる。
間違いなく朝鮮神宮のための玉垣である。実にしっかりと残っている。 -
かなり長い区間残っている。こんなに沢山残っているとは驚いた。
朝鮮神宮の完成が1925年であるから、少なくとも90年は経過している。 -
相当くたびれているが90年を経て、まだ現役で活躍していることに感激した。
朝鮮戦争では何度も戦火に遭っているはずであり、よくぞ残ってくれた。ここだけでも遺したいが難しいであろう。 -
対向車線側の玉垣はこのような状態であった。大きな石柱だけ残り、それを利用して金属の枠がはめてある。半分壊れているが、半分は生きている。
-
玉垣が残っている処と、無くなっている処の境界。金属製の柵で繋いでいるが、機能も美観も石垣が断然勝っている。
-
3点の青い信号機の向こうに南大門がみえる。
韓国の象徴である南大門から朝鮮神宮への道を作った人々の意図は何
だったのか? -
日本人は韓国に入植すると南山の麓にその基盤を築き、発展していく。その跡を少し追ってみたが、ほんの僅か痕跡が認められただけだ。
植民地支配とはこのような形でしか残らないことを実感した。
2日後の写真ですが、明洞は相変わらず賑わっていた。
明洞は日本人が多く住んだ明治町が発祥である。すべての日本名が消えた中で、『明』の文字が残った希有の例といえる。 -
1日目の夕食
韓国の雰囲気に浸る為、ホテルから個室を予約してもらった。 -
夕食
2日目に続く
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この旅行記へのコメント (2)
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- 熟年ドラゴン(もう後期高齢だけど)さん 2016/11/17 18:25:02
- ヤン・ミギョン
- チャングムのハン尚宮ですね。
- ソウルの旅人さん からの返信 2016/11/17 22:10:38
- RE: そうです
- > 本当にヤン・ミギョンに似ていました。顔だけではなく、全体の知的な雰囲気がそっくりでした。30代半ばくらいで、挙措が上品でした。本文ではあまり強調するのは文章の品が無くなるので押さえましたが、韓国にはこのような女性がまだ居るのだと思いました。
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