2016/11/08 - 2016/11/11
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ソウルの旅人さん
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三泊四日の韓国への旅行
1日目 ソウル;南山(ナムサン)
2日目 江陵(カンヌン)
3日目 驪州(ヨジュ)
4日目 ソウル;昌徳宮秘苑(チャンドックンフォウォン)
その3は3日目の驪州。
驪州は京畿道(日本では近畿地方の意味に近い)にある古い都市。
タイトル写真は漢江の風景
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 高速・路線バス タクシー 徒歩
PR
-
今日はバスで驪州へ行く。ヨジュと読む。
地下鉄で2号線の江辺駅(カンベンヨク)に行き、地上に出るとソウル東バスターミナルがある。驪州に行くのに便利なターミナルである。 -
いつものように事前準備の購入用カードを窓口に出して切符を購入する。
スムースに進行。 -
切符の半券
今日は運転手が受け取る従来型であった。
運賃は5,700ウォン。550円程度になる。 -
驪州に行くバスの乗り場を示す表示板
左側上から2番目に驪州の文字がある。漢字が書いてあると間違いない
ことが確認出来て安心である。 -
今回乗車したバス。
行先と出発時間がフロントに表示してある。
以前はそれも知らず、間違ったバスに乗り込んだことも再々であった。
間違わずに乗れるようになった。 -
ソウルの朝の風景 1
漢江。 -
ソウルの朝の風景 2
バスはソウルから出て行く。対向車線は市内に向かう車列。
夕方の渋滞も酷いが、朝も同様である。 -
ソウルの朝の風景 3
漢江を渡って江南に入った辺りはこのように同一形態の集合住宅
(マンション)が林立している。どこまで行っても住宅が続く。 -
驪州バスターミナルの時刻表
驪州までは1時間20分。渋滞箇所もなくスムースに到着。 -
いつものように、バスターミナル横にあるタクシーに乗り、
前もって作ってあるカードを見せて、目的地へ向かう。
ヨギロ カジュセヨ (ここに行ってください)
ミョン ソン ワン フ セン ガ
今日の第1目的地は明成皇后の生まれた家である。 -
明成皇后生家(ミュンソンワンフセンガ)の入口
「明成皇后殉国崇幕碑」と記載されている。
書くまでもないが、明成皇后は日本によって殺された。
-
入場券
一人1,000ウォン。約100円。
当然、日本人としては行きづらい場所である。
不愉快な体験をすることもあろうかと思っていた。 -
入口の右側に立派な記念館が建っていた。
正面に飾ってあった高宗と皇后の肖像画。
平日の午前であり、訪問者は我々だけであった。
教師に引率された小学生が見学にきていた。韓国を旅していて、よく出会う風景は小学生の社会見学である。 -
記念館を出た時、韓国語にて「日本の方ですか・・・・」と言ってるような感じで、女性に呼び止められて、渡された資料である。
右は生家のパンフレット、左は驪州市を紹介する小冊子で、すべてハングルである。誰にでも渡す冊子では無いであろう。
日本から訪ねて来た来訪者に敬意を表するといった感じであった。決して反感を持って悪意で接するのではなく、「よく来て下さいました。」と言ってるようであった。
『会話』が出来ないのが残念である。 -
誕生地の石碑
-
生家の入口門
母屋だけが19世紀の遺構であり、それ以外は近年に作られていると説明されていた。 -
記念館が立派な建築物であり、周辺が公園風にきれいに整備されていたので、生家も手を加えて飾り立ててあるだろうと思っていたが、一歩中に入って驚いた。
貧しい百姓家の佇まいである。 -
母屋
現在の感覚で判断すれば貧農の家という感じである。 -
母屋の内部
皇后の衣装を着た明成の絵がかかっているが、周囲の風景と余りに不釣り合いである。 -
柱などは当時のままと思われるが、実際に見ると写真よりはるかに貧弱に見える。
-
瓦屋根であり、当時ではそれなりに立派な家であったのかもしれない。現代の基準で判断すると間違う。
しかし、多くの歴史的建造物が手を加えて修正美化されているのに、この生家はそのままの姿で残していることは事実であり、感心し、嬉しかった。 -
生家に行った目的はもう一つある。
生家の奥にあるこの建物である。 -
感古堂
李朝朝鮮史の中で、最も朝鮮らしい「お話」は仁顕王妃(イニョンワンフ)の物語であろう。その仁顕王妃が住んでいた家である。200年後に同じ閔氏である明成皇后が住むことになる。 -
感古堂は驪州ではなく、ソウルの安国洞にあった。
地下鉄安国駅1番出口を出て、豊文女子高校を右に曲がる。少し歩くと右側に成徳女子高校の正門がある。その入口に記念碑がたっている。ソウル旧市街のど真ん中である。
写真は昨年、行った時のもの。 -
記念碑
ハングルと英語であるが、英語の直訳。
感古堂址
李朝第19代王、粛宗の妻である仁顕王妃が住んだ両親の家である。 -
感古堂の母屋
安国洞から明成の関係よりここに移築された。
仁顕王妃と明成皇后が住んだ建物。
朝鮮史はあまり知られておらず、韓国歴史ドラマは余りに荒唐無稽で酷いので
概略を書いておく。
【仁顕王妃物語】
17世紀後半。
王・複数の王妃・側室・王の母親・王の臣下(官僚、政治家)・王族達・王妃の親族(外戚)・尚宮が入り乱れて権力争いを繰り広げる話である。 -
感古堂の細部。入口の木柱が高品質である。
権力に連なると一族にその余得が配分される世界では、権力争いは一族と一族の争いである。 -
母屋の全体 立派過ぎてイメージに合わない。
仁顕王妃もその競争相手である張禧嬪も一族を代表する選手として登場する。一族の興廃をかけて権力獲得に全力をあげる。
負けた仁顕は王宮を追い出され、住むことになったのが、この感古堂である。 -
建具関係 細工が上等である。当時のものではないかもしれない。ソウルから移築して、ここに立て直した時に大幅に変更が施されているようだ。
この感古堂に移ってからの苦労話も一族との関係においてであり、王妃復活活動も仁顕に連なる人々が開始する。
張禧嬪も同じく親族が出世を果し、一族が栄華を誇ることを強調される。本人もそうなることに誇りを感じている。
朴大統領スキャンダルの崔順美の関係者が不正入学をしたり、高級装飾品で着飾っているのとまったく同じである。それを非難するマスコミの口調も仁顕関係者の口調と同じである。 -
内部 白磁などが飾ってあるが、仁顕が食料にも困る生活をおくっていた様子ではない。17世紀のリアル感なし。
「崔順美」は張禧嬪の役回りである。報道される内容があまりにそっくりなので笑ってしまう。張禧嬪は最後に仁顕王妃を呪詛したことが明らかになり、殺されるが、今回はどんな結末が待っているか。 -
右:仁顕執贒笵
左:明成継履正
意味がわからないが、あえて想像すれば、仁顕は王妃として模範的に行動した。明成はそれを正しく継承したような文意か。
19世紀半ばに驪州で生まれた、明成皇后は8才の時にソウルへ移る。その時に住んだのが、この感古堂である。閔氏一族であり、それなりに関係があったのでしょう。
-
感古堂全体
仁顕王妃の住んだ感古堂を期待したが、韓国において17世紀の建築物をそのまま見ることができると思うことに無理があった。
明成皇后生家が生々しのに較べ、こちらは後世の作為が目立って想像していた感古堂とまったく違っていた。 -
2年前に行った西五陵の粛宗と仁顕王妃の陵墓。仲良く並んでいる。
-
同じ西五陵にある張禧嬪の墓。一つだけ大きく離れて、単独に作ってある。
李氏朝鮮の価値観は確実に現在の韓国に引き継がれている。 -
感古堂から第2の目的地「世宗の陵」に行く。
その時に乗ったタクシー運転手は私が手渡したカードに、写真のように「×」を付けてかえしてきた。世宗の陵は「ヨンルン」で真ん中の文字はいらないと言ってるようだった。
世宗の陵は孝宗(17世紀の王)の陵と隣り合っており、孝宗の「ニョンルン」と併せて「ヨンニョンルン」と地図には記載されており、それを書いておいたのだが、世宗の陵名とすれば間違っていると運転手は思い、それを伝えるために×を付けた。このように客であっても訂正するのが韓国人気質である。
この微妙な≪すれ違い感覚≫をわかってもらえるであろうか? -
世宗陵(英陵)入口
-
入場券
一人500ウォン。約50円
韓国の入場料はどこへ行っても安い。 -
立派な記念館があった。
残念ながら李氏朝鮮の歴史は学校では殆ど教えられておらず、韓国ドラマを見てる人が知ってる程度であろう。先ほどの感古堂も、歴史を知らなければ何らの感興も湧かない。
世宗についても同様であろう。 -
世宗は韓国では最高の英雄である。
ソウルの光化門から市庁に伸びる中心道は世宗路と呼ばれ、世宗の大きな銅像が鎮座している。10,000ウォン札の肖像が世宗であるし、韓国中が世宗で溢れているといってよい。あまりに持ち上げるので、引きたい気持ちになるが、それでも陵墓にやってきたのは、この王はほんとに凄いのである。 -
多くの業績があるというが、世宗の歴史的業績はハングルの創生に集約される。世界史的事件と言っても過言ではないであろう。
世界の言語で作った人間の名前がわかっている事例などありはしない。ひらがなは誰が作ったのか。漢字は誰が作ったのか。アルファベットは誰が作ったのか。
ハングルは世宗その人が創作した。実際の王様がである。臣下に命令して作らせたのではない。自ら研究し、創作した。 -
ホォンミンムン
21世紀に全面的に使用可能な文字を15世紀に創っていたことは、驚くべきことである。私でも覚えるだけなら1週間で十分であった。 -
シンド(神道)
韓国語ではシンドと発音される。中央は神が通る道なので歩かないように書かれている。私と同行者は当然神道を避けて端を歩いた。
残念ながらハングルは創生されて、王によって発布されるが、思うように広がらなった。 -
参道
見事に整備されていた。
同行者が「神社に来たみたい」と言っていた。
朝鮮王朝ではハングルは自然に広まらなかった。
昨日江陵で見た金時習の碑文のように、あまりにも漢字の世界が強かった。 -
紅箭門
同行者は言った。「鳥居みたい」。
ひらがなは自然にひろまった。
ハングルは自然には広まらなかった。
19世紀末に見直され、そして現在では漢字を駆逐し、ハングル一本槍である。
漢字が消滅しているのだ。
世宗もこんなことになるとは思っていなかったであろう。 -
碑石
世宗大王
昭憲王后
日本語は漢字なしではやってゆけない。
ハングルは漢字なしでもやってゆける。
どちらが良い結果を生むかはわからない。 -
丁字閣
王陵はすべて同じ形になっている。
今まで行った王墓では丁字閣までしか入れなかったが、ここでは上の陵寝まであがれた。 -
参拝者が多く、墳墓周辺は記念撮影をする人々でいっぱいであった。仁顕王妃の時は我々だけであったので、厳粛な気持ちになったが、混雑しているとそういう気持ちにはなれない。
-
正面
陵墓の基本形はすべて同じである。 -
世宗だから特に大きくしているとか、立派にしているとかはなかった。
-
墳丘上からの景観
世宗のお墓に行ったことで、満足した。 -
世宗陵から一旦市内に戻り、昼食を食べ、3つ目の目的地である神勒寺に向かった。韓国のお寺は殆ど行ってないし、神勒寺もお寺そのものを見るためではなかった。
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入場券
一人2,200ウォン。約200円か。
日本のお寺に比べると高くはないが、韓国の博物館などに比べると高い。 -
塀がなく、外部との区切りがはっきりしない。それで、全体に散漫な印象を与える。期待した銀杏の紅葉は終わっていた。
-
江月軒(カノルホン)
映画・ドラマに屡々出てくる東屋。
ドラマの撮影現場を見て回る趣味はないが、ここから見る漢江が目的であった。 -
南漢江の悠然たる流れは確かに一幅の絵画になっており、韓国らしい風景である。韓国の自然景観で素晴らしいと思ったところはあまりないが、ここはイメージにぴったりであった。
-
韓国の歴史を感じる?場所である。
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本堂
内部に入ると、金ピカの仏像が高い場所に鎮座している。 -
日本人のお寺イメージと懸け離れている。この違和感はなかなか解消されない。
-
本堂前の石塔
日本にも多くあるので、石塔は違和感なし。
日本仏教は朝鮮から渡ってきたものであり、日本の石塔はその原初の姿を留めていると思われる。
近江の石塔寺はその名のとおり、石塔で埋まっている。 -
梵鐘類がまとめてある。
日本にある梵鐘類と酷似している。 -
観音殿を覗いている同行者。
かすかに観音さまの姿が見える。 -
お遍路のようなお寺巡りが行われているようである。
韓国から日本に来た風習か、あるいは日本人が植民地時代に持ち込んだ習俗か。
いずれにしても違和感があっても、仏教関連が日本と韓国では最も相似している。 -
神勒寺から驪州バスターミナルにタクシーで帰り、ソウルへの切符を購入しようと、いつもの通りのカードを出したが、窓口の女性が韓国語で何かを話してくる。意味が判らない。首を振っていると、横から同行者が「ツデイ」と発言する。窓口の女性はニッコリ笑ってこのカードに14:40と書いた。写真に写っているのがその文字である。頷いて切符購入できた。
-
購入できた切符
「君は韓国語ができるのか?」と韓国については全く関心のない同行者に嫌味を言うと、「今日の切符か予約なのかぐらいは言葉は知らなくてもすぐわかるじゃない。鈍いわネ。」「・・・・・・・」 -
昨日のような渋滞もなくバスは順調に東ターミナルに4時頃についた。東のほうが高速バスターミナルより渋滞が少ないか。
漢江を渡る地下鉄からの景観。漢江を渡る時は地下鉄ではなくなる。
ソウルに最初に行ったときは、この住宅の密集に驚いたことを思い出した。 -
地下鉄2号線で乙支路3街(ウルチロサンガ)まで乗る。
ソウルランタン祭りが清渓川(チョンゲチョン)で行われている。 -
日本からの出品
アオモリ ネブタ と記されている。 -
フィリピンからも出品されていた
フィリピンにもランタンがあるのだろうか。 -
昨年、ここの屋台で買った焼栗がモーレツにおいしかった。
天津甘栗ではなく、生の大きな栗をゴロッと焼いただけの、焼栗そのもの。
日本では入手出来ない貴重品である。それを大量に買うのが目的
でランタン祭りにきた。 -
残念ながら屋台がでていなかった。少し前に雨が降ったからか、時間が早すぎたのか、一台も屋台の姿がなかった。
結局、明洞で焼栗をみつけたが、昨年とは大違いであった。
もう一度あの栗をほうばりたい。 -
夕食は焼肉
-
韓国に焼肉を食べるために行く人も多いが、私は日本の肉のほうが好きである。
その4 最終日に続く
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この旅行記へのコメント (4)
-
- 熟年ドラゴンさん 2016/12/01 17:20:02
- 世宗の肖像画
- そういえば記念館の肖像画、よく見かけるような気がします。
ところでハングルですが、日本語をすべてローマ字で表記しようなどと梅棹忠夫あたりが昔提唱したようですが同じようなものなのですかね?
Nihonngo wo subete romaji ni sitara yominikukute sikatanai to omoimasu.
kannkoku no hitoha korede yoku rikai dekimasune.
niwa niwa niwa uraniwa niwa niwa niwatori ga iru. nanntene.
あちらには韓検一級とかないのですね。
- ソウルの旅人さん からの返信 2016/12/05 17:40:00
- RE: ハングルのこと
- > ハングルはアルファベットと同じ表音文字ですが、ローマ字表記とは全く違います。ここでハングルについて書き出すと字数オーバーになります。よって、ハングルに関する重要な本を紹介しておきます。抜群に面白いです。騙されたと思って図書館で借りて読んで下さい。世宗がどれほど偉大であるかも判ってもらえると思います。
野間秀樹 「ハングルの誕生」
-
- 熟年ドラゴンさん 2016/12/01 10:17:02
- フィリピンランタンですか。
- そんなのがフィリピンにもあるとは知りませんでした。
閔妃ってよく知りませんが悪女なのですね? 3大悪女には入っていないようですが。
ミスターと言えば長嶋、北壁と言えばアイガー、ジオープンといえば全英ゴルフ選手権の様に閔妃といえば明成皇后なのですね。
乗り物に乗るとき書いた紙見せるのが一番ですね。最近はタブレットで言語を選び日本語をしゃべれば自動で翻訳してくれるアプリもあるらしいですね。外国に持っていけば便利そうですが使いこなせないかな?
今度家内がタブレット買うらしいので、そのアプリ入れて借りようかと思っています。
先日、山ノ辺の道をちょっと歩いた時に大神神社寄りました。ご神体の山に登るのは狭井神社からでしたっけ?有料なので登っていません。
旅行記待ってます。
- ソウルの旅人さん からの返信 2016/12/01 16:18:31
- RE: 自動翻訳
- >フォートラベルに最初の旅行記を投稿した時に、韓国の方からコメントをいただきました。(現在も私のトラベラーページに入っています。)それが韓国語から日本語への自動翻訳だったのですが、ほとんど支障なく文意が通じました。私の日本語の返事も韓国語に自動翻訳され、先方に意味が通じたようです。日本語・韓国語間の自動変換は完成の域に達しています。日本語とタガログ語との翻訳はどうなのでしょうか。
明成皇后(閔妃)は李朝第28代高宗王の正式な王妃です。旅行記で書いたように悪名高い閔氏の出身ですが、悪女と呼ばれたらその意味を理解できないような人だったと思っています。
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