2016/11/20 - 2016/11/20
112位(同エリア198件中)
t.oさん
今回は西日暮里を起点に浅草まで下町の商店街をめぐり歩きました。コース中盤では東京スカイツリーの眺めも楽しむことができました。
起点駅・集合時間:東京都JR山手線西日暮里駅 10時
歩行距離・所要時間:約10.5km 約?時間
今回のコース:
西日暮里駅→荒川仲町通り商店街→ジョイフル三の輪商店街→円通寺→浄閑寺→見返り柳→山谷堀公園→待乳山聖天(まつちやましょうでん)→浅草→谷中銀座商店街→よみせ通り商店街→西日暮里駅
歩行中のお酒とごはん:ジョイフル三の輪「とりふじ」でテイクアウト。浅草ホッピー通り「どん」
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 徒歩
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今回は西日暮里駅より10時ころスタートです。
西日暮里駅 駅
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いつもは谷根千巡りの起点として訪れることが多い駅ですが、今回は反対側のJR三河島駅方面に向かって歩き始めます。
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JR常磐線の踏切を渡り、右側の路地に入っていきます。
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そのまま、線路沿いに三河島駅方面に歩いていきます。昨日までの雨はすっかり上がり良い天気です。
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真土公園の辺り。紅葉が見えますね。
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尾竹橋通りを渡り、JR三河島駅近くの「荒川仲町通り商店街」に入ってきました。。
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ここは、かつては「小さなアメ横」と言われたそうで、全長500mほどの細い路地には、精肉店や鮮魚店、洋品店など、昔ながらの商売を営む個人商店が並び、昼間は平日でも買い物客が多く訪れる活況を呈しているそうです。ただ訪れた時間は日曜日の10時半ということで、さすがに多くのお店がまだ開店前。昼間の賑わいを想像しながら先へ進んでいきます。
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荒川仲町通り商店街は明治通りに抜けたところで終わり、明治通りを渡って路地に入ると都電荒川線の踏切に到達しました。荒川一中前の停留場脇の踏切を渡るとその先にアーケードの入口がありますので入っていきます。ここがジョイフル三ノ輪商店街の入口です。
ジョイフル三ノ輪商店街 市場・商店街
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ここから都電荒川線終点の三ノ輪橋停留所まで全長およそ400メートルに昔ながらのお店が100軒以上並ぶレトロで味のあるアーケード商店街です。
大正時代開業とその歴史は長く、かつては「南千住銀座」と呼ばれていたとか。ジョイフル三ノ輪商店街 市場・商店街
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商店街の中ほどで、駅からハイキング参加者にサービスでみそ田楽を配ってましたのでいただきます。なかなかこういう雰囲気も良いですね。
ジョイフル三ノ輪商店街 市場・商店街
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三ノ輪停留所方面に歩みを進めていきます。まだ朝の11時前なので開店しているお店はまばらですが、ところどころ、沢山の種類のぬか漬けを店頭で売っている八百屋さんや、昔ながらのパン屋さん、個性的なあられのお店など、なかなか味わいのあるお店が軒を連ねております。
ジョイフル三ノ輪商店街 市場・商店街
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停留所近くまであるくと、「とりふじ」というお惣菜屋さんがありました。商店街の中でも大きな規模の惣菜店で、串焼きやフライが所狭しと並んでいます。毎日70種ほどの総菜を作っているそうです。豊富な種類な揚げ物惣菜が揃う有名なお店だそうで店頭で食べることを伝えると、軽く焼いて温めてくれるサービスもうれしいです。土・日はから揚げが半額になるセールも開催しているそうです。
とりふじ グルメ・レストラン
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店頭でも食べれるように、ソースやマスタードが用意されたテーブルがお店の脇に設置されておりましたので、一行はこちらでめいめい気になったお惣菜を買って楽しみました。焼き鳥や上げ茄子やカキフライなどどれもそそられますが、私は名物のまん丸のメンチカツとメンコロをチョイス。まん丸メンチカツは中に半熟卵がまるごと入っていておいしかったです。"メンコロ"は、牛肉メンチとコロッケが2層になった名物で結構食べ応えがありました。持っていたボジョレーヌーボーと合わせてみんなで商店街グルメを楽しみました。
とりふじ グルメ・レストラン
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そうこう楽しみながら、ふと、とりふじの真向いに目をやると弁当屋があるのに気づきました。弁当全品280円!
とくとく弁当 ニハマル グルメ・レストラン
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お惣菜もあり店の奥にはイートインスペースもありました。とりふじで既に満腹になった我々は覗くだけでしたが、今度きたときはこちらでいただいてみようかな?
とくとく弁当 ニハマル グルメ・レストラン
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商店街周辺の路地も下町らしい味わいがあります。「ドロボー侵入禁止」の立て札が良い感じですね。
ジョイフル三ノ輪商店街 市場・商店街
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商店街の別の路地を入ると都電の停留所がありました。
早稲田~三ノ輪橋間を運行する都電荒川線の始発・終着停留場です。三ノ輪橋停留場 駅
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関東の駅100選の一つで、平成19年には昭和30年頃をイメージしたレトロ調のデザインに改修されたそうです。
三ノ輪橋停留場 駅
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ここから都電に乗ってゆっくり沿線の旅も良いですね。
三ノ輪橋停留場 駅
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関東の駅100選の認定プレートがありました。
三ノ輪橋停留場 駅
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停留所の先には、またレトロな商業ビルがありますね。梅沢写真会館との表示が見えます。
三ノ輪橋停留場 駅
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建物のトンネルを抜けて道路側に出て撮った写真。調べてみると1927年(昭和2年)竣工で、現在は梅沢写真会館になっていますが、都電荒川線の前身で大正14年開業の王電(王子電気軌道)のターミナルビルとして建てられたものだそうですね。
大正ロマンの趣がありますね。三ノ輪橋停留場 駅
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ここで円通寺に寄り道します。昭和通りに出て北千住方面に通り沿い少し行ったところ左手にあります。
円通寺 寺・神社・教会
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モダンな建物のお寺ですね。マンションのようなお寺の上の大きな観音像が印象的です。この寺は寺伝によれば、791年(延暦10年)坂上田村麻呂によって開かれたと伝えられる古いお寺なのだそうです。
円通寺 寺・神社・教会
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境内には大きな黒い木の門がありました。調べてみたらこれは上野の寛永寺の黒門が移築されたものだそうです。
円通寺 寺・神社・教会
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1868年(慶応4年)に行われた上野戦争後、戦死した彰義隊士を供養したのが、円通寺の住職という縁で、上の寛永寺の黒門が移設されたのだそうです。黒門には沢山の穴があいてますが、これは弾痕だそうです。その時の戦争の激しさを今に伝えています。
円通寺 寺・神社・教会
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上野戦争で亡くなった彰義隊の隊員の墓もありました。
円通寺 寺・神社・教会
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彰義隊の墓石群。ほかにも、天野八郎や榎本武揚など、旧幕臣の墓碑が多数あるそうです。
円通寺 寺・神社・教会
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また、このお寺は、1963年3月に発生し、1965年7月に解決した吉展ちゃん誘拐殺人事件の被害者の遺体発見現場となったことでも知られているそうです。このお地蔵様は被害者の慰霊のために作られたのだそうです。
円通寺 寺・神社・教会
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円通寺を出て、次に、昭和通りと土手通りの交差する付近にある浄閑寺に立ち寄ります。
浄閑寺(投込寺) 寺・神社・教会
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ここは、別名「投込寺」とも呼ばれ、徳川時代からの吉原遊郭の娼妓の亡骸を葬った寺として知られるところだそうです。
浄閑寺(投込寺) 寺・神社・教会
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寺の史跡の立て札。このお寺は1655年に創建され、吉原遊廓の誕生(1657年)よりも2年早いそうです。
浄閑寺(投込寺) 寺・神社・教会
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寺のウェブサイトによると、同寺が投げ込み寺と呼ばれるようになったのは安政の大地震(1855年)で大量の遊女が死亡した際にこの寺に投げ込んで葬ったことによるそうです。その数500人以上だとのこと。ただ、安政地震のときだけでなく、遊女が死ぬと、その亡骸はこのお寺で無縁仏として葬るのが普通であったそうです。
浄閑寺(投込寺) 寺・神社・教会
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新吉原総霊塔。お寺の裏手にありました。現在の塔は昭和4年8月に、寛政5年(1793年)以来の供養塚を改修し、形を改め、名も「新吉原総霊塔」としたものだそうです。
浄閑寺(投込寺) 寺・神社・教会
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昔は、昼のうちに寺男が穴を掘っておき、夜になると亡くなった遊女を粗末なたるのような棺に入れてそっと運び、穴に埋めて土をかぶせただけの土まんじゅうがあちこちにあったそうです。安女郎は米だわらに包んで投げ込んだと伝えられており、そこから「投込寺」と異名がついたとも。あとで骨になったものをあちこち掘り出して、無縁仏の供養塔の下に集めて経をあげたものが遊女の供養塚の始まりだったそうです。
浄閑寺(投込寺) 寺・神社・教会
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新吉原創業から廃業まで江戸、明治、大正、昭和と380余年間に浄閑寺に葬られた遊女、遊女の子、遺手婆など遊郭関係のものや、安政、大正両度の大震災に死んだものを含めた推定数は2万5千に及ぶそうです。そういう意味ではここは江戸文化の負の側面を体現した重要な歴史遺産として充分に認定されてよい場所かと思いました。
このお寺の所以を知っていた永井荷風は自分が死んだらここに埋葬してほしいと希望していたそうですが、それは叶わず、このように詩碑のみが残されたそうです。浄閑寺(投込寺) 寺・神社・教会
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花街を愛した永井荷風らしいですね。この荷風の塚は慰霊塔のすぐそばに位置しております。
浄閑寺(投込寺) 寺・神社・教会
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一行は浄閑寺を後にして、土手通りを隅田公園方面に向かいます。
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途中からスカイツリーが見えてきましたので、それを目標に歩みを進めます。
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通りを歩いていると、「あしたのジョー」の人形がありました。ゆるい感じがまた良いですね。でもなぜここに「あしたのジョー」の人形?
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注意して周辺を観察してみるとジョーの視線の先に商店街の入口がありました。商店街入口の垂れ幕にもあしたのジョーが。
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商店街の入口の立て看板にその答えが。ここは、まさに下町の中心街ですね。
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あしたのジョーのふるさとからほどなく歩いたところに「吉原大門」の交差点がありました。ここが昔の遊郭かの吉原があったところですね。
吉原大門 名所・史跡
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見返り柳ですね。旧吉原遊郭の名所のひとつで、京都の島原遊郭の門口の柳を模したといわれているそうです。遊び帰りの客が、後ろ髪を引かれる思いを抱きつつ、この柳のあたりで遊郭を振り返ったということから、「見返り柳」の名がつけられたのだとか。
見返り柳 自然・景勝地
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柳は普通の木ですが、石碑は立派。
見返り柳 自然・景勝地
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見返り柳の説明版。かつては山谷掘脇の土手にあったそうですが、道路や区画の整理に伴いこの場所に移され、また、震災・戦災による焼失などによって、数代にわたり植え替えられているそうです。
見返り柳 自然・景勝地
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土手通りをスカイツリー方面に向かって歩いていると
間もなく地方橋が見えて来ました。橋と言っても下に川は流れていません。以前は江戸初期に造られた運河山谷堀がありましたが、現在は堀は公園となり、ご覧のように石造りの橋台だけが残っています。山谷堀公園 公園・植物園
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土手通りの左側に公園の入り口がありました。運河を埋め立てた後に整備され造られた、全長およそ700mの細長い山谷堀公園です。
山谷堀公園 公園・植物園
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紙洗橋の欄干ですね。紙洗橋付近には浅草紙の生産所があったそうです。原料である紙屑を紙舟に入れて山谷堀の流れにさらしておく2時間程度の間、職人たちはよく時間つぶしに吉原遊郭の軒先を見てまわったとか。そうして見るだけで登楼しないことから、紙をさらしておく工程の「冷やかす」という言葉が、買う気のない客を表す「冷やかし」の語源になったという説が生まれたそうです。(「ウィキペディア」より)
山谷堀公園 公園・植物園
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正岡子規の句碑がありました。『牡丹載せて今戸へ帰る小舟かな』と言う艶っぽい俳句ですね。(今戸橋は隅田公園の近くにあります。)
山谷堀公園 公園・植物園
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山谷堀公園の看板ですね。ここから公園らしくなっていきます。
山谷堀は大川(隅田川)から吉原に繋がる水路であり、吉原全盛時 、お大尽の船が浅草と吉原の間をよく行き来していたそうで、かつては「よろず吉原、山谷堀」と歌にも歌われ、江戸名所のひとつに挙げられる風情ある場所だったそうです。山谷堀公園 公園・植物園
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一方で山谷堀沿いは歓楽街の一面もあり、吉原や浅草で働く車夫などの低所得者や東北への旅人の木賃宿が軒を並べていたそうです。明治時代に遊興の場が吉原から新橋などに移るにつれて堀沿いの歓楽街や宿場は次第に寂れ、それが日雇い労働者用簡易宿泊所が乱立するきっかけとなりいわゆるドヤ街として発達したとのこと。「あしたのジョー」のふるさとですね。
山谷堀公園 公園・植物園
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公園の道は延々と続きます。両脇の紅葉が良い感じです。今や、堀は暗渠となり、こうして山谷堀公園として整備され、山谷と言う地名は無くなり、周辺は日本堤等の地名に改名され、多分、この公園だけが山谷の名を残しています。
山谷堀公園 公園・植物園
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朝倉文夫作『あこがれの像』がありました。何気に文化度の高いものがあって公園の雰囲気を高めていますね。
山谷堀公園 公園・植物園
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紅葉の並木道の向こうに見えていたスカイツリーもだんだんと近づいてきました。そろそろ堀跡の終点も近いですね。
山谷堀公園 公園・植物園
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ふと吉原方面を振り返りますと、水たまりに映った紅葉がまた綺麗です。この公園を散策するにはちょうど良い季節ですね。
山谷堀公園 公園・植物園
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今戸橋跡に到着です。
山谷堀公園 公園・植物園
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公園の説明板。山谷堀公園もここまで。次に待乳山聖天に向かいます。
山谷堀公園 公園・植物園
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待乳山聖天の敷地に入りました。
待乳山という名の通り寺の境内は本当にこんもりとした山になってました。
本堂裏手へ登れるモノレールもありました。
言伝えによると飛鳥時代、6世紀後半の推古天皇の頃、突然土地が盛り上がり金龍が舞い降りて待乳山が出来たのだとか。本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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モノレールの脇の階段を昇り表側に回りました。さらに本堂への階段を昇ります。
待乳山聖天本龍院は浅草寺の子院で、関東三聖天の一つ、浅草七福神の毘沙門天だとのこと。待乳山ができた飛鳥時代の創建と伝えられ、東京都内に残る古刹です。また平地に盛り上がった地形のため見晴らしが良く、江戸時代には人気の景勝地として多くの浮世絵や詩歌にもうたわれたそうです。
以下案内板の内容を記載します。
「<<待乳山聖天>>
待乳山聖天は、金龍山浅草寺の支院で正しくは、待乳山本龍院という。その創建は縁起によれば、推古天皇9年(601)夏、旱魃のため人々が苦しみ喘いでいた時、十一面観音が大聖尊歓喜天に化身してこの地に姿を現し人々を救ったため、「聖天さま」として祀ったといわれる。
ここは隅田川に臨み、かつての竹屋の渡しにほど近い小丘で、江戸時代には東都随一の眺望の名所と称され多くの浮世絵や詩歌などの題材ともなっている。とくに江戸初期の歌人戸田茂睡の作、
「哀れとは夕越えて行く人も見よ待乳の山に残す言の葉」
の歌は著名で、境内にはその歌碑のほか、石造出世観音立像、トーキー渡来の碑、浪曲双輪塔などが現存する。また境内各所にほどこされた大根・巾着の意匠は、当時の御利益を示すもので、大根は健康で一家和合、巾着は商売繁盛を表すという。1月7日大般若講大根際には多くの信者で賑わう。
なお、震災・戦災により、本堂などの建築物は焼失、現在の本堂は昭和36年に再建されたものである。」本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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待乳山聖天銅造宝篋印塔(台東区登載文化財)
本堂脇にありました。
この仏塔は1781年に建立されたもの。案内板によると、銅製の宝篋印塔は全国的にはかなり珍しく貴重なのだとか。造立当初からほぼ完形として遺存する唯一の事例だそうです。蔵前の札差等によって奉納されたものとのこと。本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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大根をあしらった石鉢ですね。敷地内にはあちこち、このように大根やまた巾着があしらわれております。
本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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百度石。お百度参りとい言いますが、この石を起点にお参りしたのでしょうね。
本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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糸塚。元治元年、11代目杵屋六左衛門が父10代目杵屋六左衛門の遺志により建立した供養塚とのこと。10代目杵屋六左衛門(1800-1858)は江戸時代後期の長唄三味線方、杵屋宗家の人で、演奏と作曲にすぐれ,長唄中興の祖といわれた人だそうです。
本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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戸田茂睡歌碑。「哀れとは夕越えて行く人も見よ待乳の山に残す言の葉」
戸田 茂睡(1629 - 1706)は、江戸時代前期の歌学者で、下河辺長流や契沖とともに国学の先駆であったそうです。この歌碑はもともと江戸最古のものだったそうですが、残念ながら震災や戦争などで破損し、現在のものは拓本をもとに再建されたものだそうです。本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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境内の見事な銀杏の木。見上げている人が結構いたので連られて撮ったのですが、何事かと思ったら、枝間にアライグマが休んでいるのが見えるとのこと。目視では確認できなかったのですがこの写真のどこかに写っているのでしょうか。
本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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境内にあった神楽殿。ちょうど雅楽が演奏中でした。
本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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お地蔵様。後ろの築地塀が素晴らしいですね。
本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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築地塀の続き。
この塀は江戸時代に建てられたものだそうで長さは45.5mにもなるそうです。本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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境内の庭園。幽玄な感じがします。
本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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歓喜地蔵尊。
本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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歓喜地蔵尊の説明立て札。「数度の火災に遭い、その尊容とどめていませんが古来より子育地蔵として伝承され、霊顕あらたかな尊として信仰されています。」
本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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表参道より寺を後にします。浅草散策ではいつも浅草寺だけで終わっていたので、今回は新たに近辺の史跡を巡れたので良かったです。
本龍院(待乳山聖天) 寺・神社・教会
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待乳山聖天の後はいよいよ浅草寺に向かいます。言問橋付近からの写真。スカイツリーが正面に見えます。
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言問通りを浅草寺方面にあるき、裏手から境内に入ります。
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浅草寺本堂です。大勢の人々がお詣りしておりますね。せっかくなので一行もお詣りします。
浅草寺 寺・神社・教会
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本堂内陣。御宮殿が望めますね。有難くお詣りします。それにしても凄い人出です。正月は大変でしょうね。
浅草寺 寺・神社・教会
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本堂から宝蔵門を眺めます。とにかく人出が凄く仲見世通りは避けて境内の外に向かいます。
浅草寺 寺・神社・教会
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本堂西方、淡島堂の前を通り、浅草西参道商店街を抜けていきます。
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商店街を抜けて六区の手前当たりに「まるごとにっぽん」があったので、中を見学します。
まるごとにっぽん ショッピングモール
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ここはもともと浅草ブロードウェイと呼ばれた東京楽天地を再開発して2015年12月に新規オープンした商業施設で、全国から選び抜かれた地方グルメや地方色豊かな日用品などが集結し、浅草にいながら日本各地の魅力を感じられるという、まさに国際観光地浅草が外国人旅行者向けに満を持して世に送り出した物産館だとのこと。
まるごとにっぽん ショッピングモール
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施設の構成は、
1階は産地直送の生鮮品や、日本酒・国産ワインなどが買えるお店。
2階は伝統技術を活かした生活用品や雑貨などの逸品
3階は”旅の窓口”をテーマにしたイベントスペースのほか、地方の食材を使った期間限定メニューを提供するカフェ、郷土料理の作り方が学べる料理教室(要予約)など。
4階は地方グルメが味わえるレストラン街
ということ、かなり大きな物産館ですね。外国人がお土産を買うには良い施設でしょうね。まるごとにっぽん ショッピングモール
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ここだけで、色々と楽しめそうですが、一行は歩行で疲れた身体を休めるべく、下見程度に抑えて、次の場所に向かいます。
まるごとにっぽん ショッピングモール
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まるごとにっぽんを後にして、伝法院通りを100メートルほど国際通りの方に進むと、土産物屋などの観光客相手の店が立ち並ぶ通りが突如として、屋台村のような町並みに一転しました。
浅草ホッピー通り (煮込み通り) 名所・史跡
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この浅草寺境内の西側にある80メートルほどの酒場通りは、下町の懐かしい雰囲気の居酒屋がたくさん立ち並んでおり、「ホッピー通り」と呼ばれているそうです。
いつ行っても、地元の常連さんや大勢の観光客で賑わっているそうです。
ここがホッピー通りと呼ばれるようになったのは、すぐ近くに場外馬券場があることに端を発するそうで、競馬客向けに軒を連ねていた安飲み屋に、そのリーズナブルな値段と下町らしい雰囲気に惹かれて外人旅行者など大勢の観光客が押し寄せいつの間にか名所化したものだそうです。浅草ホッピー通り (煮込み通り) 名所・史跡
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どのお店も奥に競馬中継をしている大画面テレビを設置しているところに、もともとの通りの由来を感じさせます。
でも土日などは、逆に大勢の観光客に圧倒されて競馬客は肩身が狭いでしょうね。
通り沿いの各店からかかる威勢の良い呼び込みの中、ちょうど人数分の席が空いたお店に入ります。浅草 居酒屋どん グルメ・レストラン
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ここでは、まさにホッピー通りならではの大衆酒場メニューを楽しみます。定番の
ホッピーと牛すじ煮込み。牛すじ煮込みが塩味でここしかないらしくホッピーが進む美味しい味わいです。浅草 居酒屋どん グルメ・レストラン
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この店オリジナルの砂肝ポンズ。砂肝を揚げて、ポン酢でたべるという、ちょっと変わった料理です。なかなか美味しく、ホッピーの中をお代わりします。
浅草 居酒屋どん グルメ・レストラン
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イカの炒め物。少しカレー風味で香辛料が効いており、箸とお酒が進みます。結局ホッピーの中を三杯お代わりしました。
浅草 居酒屋どん グルメ・レストラン
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良い気分でお店を出て雷門まで来ました。まさに浅草の象徴ですね。大勢の観光客にまじって写真をパチリ。
雷門 (風雷神門) 名所・史跡
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次に、雷門の右手奥路地に入ってすぐのところにある角打ち「酒の大枡」を覗きます。ここは浅草で営業する日本酒専門の有名な酒屋がバーを営業という、ふたつの顔を持っています。
こちらのお店ならではの品揃えで、常時100アイテム以上、90mlから日本酒を購入でき、店頭で買って、+500円でバースペースヘ持ち込むことも可能です。我々一行は気になった日本酒四合瓶を一本購入(日本酒名は失念)、お店の肴で楽しみほろ酔いとなりました。酒の大桝 雷門店 グルメ・レストラン
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酒を大枡を後にした一行はゴールを目指し、引き続き言問通りを入谷方面に進みます。
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入谷に到達しました。時刻は4時半を回っております。
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谷中銀座に到着。夕暮れ時の「夕焼けだんだん」です。
夕やけだんだん 名所・史跡
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ここまで来ると西日暮里はもうすぐ。街灯が灯り始めた黄昏時の通りに入っていきます。
夕やけだんだん 名所・史跡
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暗くなってきたとはいえ、さすが谷中銀座。大勢の人通りで活気がありますね。
谷中銀座商店街 市場・商店街
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谷中銀座を抜けた辺りの看板。
谷中銀座商店街 市場・商店街
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西日暮里駅に向けてよみせ通りに入っていきます。夕方から開店を始めるお店も多々あるようで、昼間とはまた違った趣が出始めております。
よみせ通り商栄会 市場・商店街
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せっかくですので、一行は、よみせ通りにある老舗コシヅカハムのお店に立ち寄り、名物自家製コンビーフなどをお土産に買いました。
千駄木腰塚 専門店
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よみせ通りを抜けてゴールの西日暮里駅に帰着です。まさに下町の商店街と文化と歴史を満喫した充実のウォーキングの1日が終了しました。
西日暮里駅 駅
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