2016/08/22 - 2016/08/22
19位(同エリア264件中)
かっちんさん
夕張市の清水沢・大夕張地区は炭鉱の町として栄え、昭和40・50年代に閉山しました。
その後、清水沢は観光産業への転換が行われず、跡地の多くが未利用だったため炭鉱関連施設や炭鉱住宅が残され、建物外観を炭鉱遺産として見学することができます。
また、清水沢駅から分岐して大夕張炭山駅まで走っていた三菱大夕張鉄道は、南大夕張駅に当時の車両が大切に保存されています。
旅行記の説明は、以下の資料を参考にしています。
・NPO法人 炭鉱の記憶推進事業団の「炭鉱遺産をめぐる夕張市清水沢マップ」
・一般社団法人清水沢プロジェクトのホームページ
・三菱大夕張鉄道保存会の展示資料
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
清水沢駅
夕張本町のホテルシューパロ前からバスに乗り、清水沢駅にやって来ました。
鉄道では夕張駅から3つ目の駅です。 -
真夏の清水沢駅
昨冬のままだと思いますが、すでに除雪の準備万端です。 -
広い駅構内
かつて国鉄夕張線から三菱大夕張鉄道に乗り換える列車が停車していたので、広い構内になっています。 -
信号設備
腕木式信号機を作動させるワイヤーと滑車の信号設備が残されています。 -
昭和50年(1975)頃の清水沢駅(現在、駅に展示されている写真)
昭和50年は国鉄からSLがなくなった年です。 -
清水沢駅の思い出展
昭和56年(1981)当時の思い出を、訪れた人に書き込んでもらっています。
旧北炭清水沢炭鉱は昭和55年(1980)に閉山しており、宮前町にあった炭鉱住宅が今でも残っています。 -
駅前の古い建物
では、炭鉱遺産めぐりに出発します。 -
オオハンゴンソウの群生
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北海道の風景「森の奥にある民家」
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傘が植木の屋根
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旧北炭清水沢炭鉱事務所
1つ目の炭鉱遺産に到着。
清水沢炭鉱は昭和22年(1947)に開鉱し、ここは炭鉱事務所だったところです。
現在は民間企業が使用しています。 -
頑丈な造りの玄関(旧北炭清水沢炭鉱)
建屋内の見学はできません。 -
イチオシ
変電所のような建物(旧北炭清水沢炭鉱)
この建物は炭鉱作業員のキャップランプを充電、保管する安全灯室でした。 -
坑口(旧北炭清水沢炭鉱)
車道を挟み事務所の向かい側に坑口があります。
草木が生い茂るすき間から、立坑の上部と煙突らしきものが見えます。 -
清水沢ダム
炭鉱事務所を後にし、清水沢駅方面に少し戻ります。
昭和15年(1940)に火力発電所の冷却水を取得する目的で建設された夕張川をせき止めたダムで、水力発電所も設置されています。 -
清水沢ダム湖
雨上がりの幻想的な風景になっています。 -
清水沢ダム放水
水力発電所は補修中の白い幕が張ってあるところです。
炭鉱用の電力に使用され、閉山後は北海道企業局へ譲渡し現在も発電に使われています。 -
イチオシ
旧北炭清水沢火力発電所
大正15年(1926)に完成した北炭の火力発電所で、清水沢ダムから眺められます。
わが国有数の自家発電所といわれ、遠くは幌内・歌志内まで送電していました。
戦後復興期の北電への電力供給や、坑内ガスの有効利用・微粉炭助熱装置の設置などによる発電能率向上の成果を挙げました。
平成3年(1991)に火力発電所廃止後、民間企業の工場・作業用地となっています。 -
輪車路跡
ここは清水沢炭鉱の坑内から搬出された石炭を輸送していた屋根付きの専用線だったところです。
電気機関車が炭車に積み込まれた石炭を選炭場へ牽引していました。
そんなことを想像しながら、この跡地を歩いています。 -
北炭清水沢炭鉱のズリ山
選炭場跡から分かれた清栄町に高低差60mほどのズリ山があります。 -
炭鉱住宅
昭和45年(1970)頃から建設されたコンクリートブロック造りの炭鉱住宅は、現在市営住宅として使用されています。 -
平屋住宅
清栄町は清水炭鉱・夕張新鉱の職員住宅が中心です。 -
二階建て住宅(清栄町)
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宮前浴場(宮前町)
隣の宮前町の鉱員住宅の主力は、1棟4戸の「重ね住宅」と「縦割り住宅」です。
室内に浴室がないため、住宅地の中心部に浴場と集会場があります。 -
縦割り住宅(宮前町)
各戸が二階建て構造になり、4戸並んでいます。 -
イチオシ
重ね住宅(宮前町)
各戸を重ねて二階建てにし、外階段があります。 -
重ね住宅(宮前町)
1棟全体を見渡すと、一階に2戸、二階に2戸あります。
この2種類の住宅は、どちらが住みやすいのでしょう?? -
三菱大夕張鉄道の車輌保存地
午後は、旧南大夕張駅に来ています。
公共交通が不便なところで、行きはタクシー、帰りは路線バスを利用します。 -
イチオシ
三菱大夕張鉄道で活躍していた車両
ラッセル車、客車、炭車が並んでいます。
保存会の方が定期的に整備し管理しています。 -
三菱大夕張鉄道の路線図(保存会作成資料)
清水沢から南大夕張を経て大夕張炭山まで 17.2km、8つの駅がありました。
明治44年(1911)に部分開業し、昭和48年(1973)大夕張炭鉱閉山に伴い大夕張炭山〜南大夕張間部分廃止。
昭和62年(1987)に全線が廃止されました。
沿線には7つの炭鉱があり、森林鉄道の三弦橋(さんげんきょう)があります。 -
イチオシ
幻の三弦橋
シューパロ湖に架かる下夕張森林鉄道夕張岳線の三弦橋(さんげんきょう)です。
森林鉄道は昭和17年〜昭和39年まで運行していました。
最近、夕張シューパロダム建設により水位が上がり、2014年から三弦橋の姿を見ることができません。
この写真は、かっちんが2011年9月に訪れた時のものです。 -
イチオシ
南大夕張駅に停車している客車
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旅客荷物緩急車 スハニ6
客室の一部が荷物室になっている客車です。
営業用の3軸ボギー客車としては日本最後のものです。
手前の台車を見ると、3軸の車輪がついています。 -
三菱マークのスハニ6
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白帯の客車 ナハフ1
この車両は三菱鉱業の自社発注車で、大夕張鉄道初の2軸ボギー客車です。
夕張市が炭鉱で輝いていた時代、市内には国鉄夕張線の「夕張駅」、夕張鉄道の「新夕張駅」、三菱大夕張鉄道の「南大夕張駅」「大夕張駅」など、似た名前の駅があり、地理不案内の乗客が列車を乗り誤ることが多発していました。
特に国鉄乗換の清水沢駅では大夕張鉄道線が1番線に発着しており、国鉄との誤乗防止のため、客車の窓下に緑がかった白線が入り、三菱のスリーダイヤモンドが両脇に赤く記されていました。 -
ラッセル車 キ1
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重厚な顔付き
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スハニ6の車内
手前が荷物室、奥が客室だったところです。 -
スハニ6の車内
木目が美しい客室です。 -
板張りの背
背中がシャキッと伸びる反面、長時間乗っていると痛くなりそうですね。 -
昭和31年の北海道国鉄案内図
じっと眺めていると、懐かしい路線を思い出します。 -
炭車 セキ2
石炭を輸送する車両です。
屋根がないので石炭を上から積み込み、側板が手前に傾くので石炭を落とすことができます。 -
三菱鉱業バス
昭和42年に三菱鉱業・美唄鉄道の貸切バスとなり、その後、大夕張〜札幌の特急線などに活躍しました。 -
保線用エンジン付きトロッコ
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保線用自走式トロッコ
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あれっ、エゾシカの親子
どこへ行くのやら・・・ -
な〜んだ、これから自転車に乗るのですね(笑)
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シューパロダム
南大夕張のある南部地区からダムが見えます。 -
昔の木製貨車
民家の物置に利用されていました。 -
南部バス停
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新さっぽろ駅前行きバス
南部12:36発のバスに乗り、札幌へ向かいます。
バスは早朝2便と昼1便しかありません。
清水沢は町全体が炭鉱遺産になっています。
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