2015/05/31 - 2015/05/31
20位(同エリア483件中)
junemayさん
- junemayさんTOP
- 旅行記226冊
- クチコミ42件
- Q&A回答0件
- 191,567アクセス
- フォロワー41人
2014年6月から7月にかけて、イタリア、フランス、スペインを勝手気ままに歩いた一人たびの心地よさが忘れられず、年が明けるや否や新しいプランを作成。今年は昨年最も強く心を惹かれてしまったイタリアに集中することにしました。6月のトスカーナは連日35度を超す猛暑だったので、今年は1か月前倒し。
まずは行きたいところをピックアップして、たびの拠点となる都市を選定。宿泊施設を押さえてから、詳細を詰めていくというのが私のスタイルなのですが、例によってこれも見たい、あそこも行きたい・・・とかく欲張りな私のこと、1か月じゃあ全く時間が足りないことがすぐに判明しました。とはいえ、時間とお金は限りあるもの。優先順位を決めて、何とかやりくりをして決めたのが下記のプランです。
イタリアには過去3度行ったことがあります。
最初のたびは、大学生の頃、スイスのチューリッヒから日帰りで行ったミラノ。最後の晩餐だけ見に行ったような、慌ただしいたびでした。
2回目は2001年、シシリアとアルベルベッロ、カプリ島、ローマを2週間かけて回りました。
3回目が2014年、ベネチアとトスカーナ州、リグーリア州が中心の2週間。
今回は、過去に行ったことのない場所をメインとした旅程となりました。たびを重ねるうちに、自分が最も興味を惹かれるものは、古い建物、神社仏閣教会等、そして彫刻、絵などの美術品 全て人が作り出したものだということがわかってきました。中でも、ここ2、3年、以前はあまり興味が沸かなかった教会に強く惹かれる自分がいます。基本的には無宗教なのですが、現在より人々の心が純粋で、神を敬う気持ちが強かった頃でなければ、創り上げられなかった文化の結晶とでもいうべき施設には畏敬の念を覚えます。というわけで、今回のたびの中心は教会を巡る街歩きとなってしまいました。
イタリア語は皆目見当がつかず、付け焼刃で2週間ほど本を見て勉強しましたが、やるとやらないでは大違い。後は度胸と愛嬌?で前進あるのみ。御陰様で、とても自己満足度の高いたびになりました。
2015/5/6 水 成田→モスクワ→ローマ
2015/5/7 木 ローマ
2015/5/8 金 ローマ→ティヴォリ→ローマ
2015/5/9 土 ローマ
2015/5/10 日 ローマ
2015/5/11 月 ローマ
2015/5/12 火 ローマ
2015/5/13 水 ローマ→ナポリ
2015/5/14 木 ナポリ→ソレント→アマルフィ→ラヴェッロ→アマルフィ→サレルノ→ナポリ
2015/5/15 金 ナポリ
2015/5/16 土 ナポリ→エルコラーノ→ナポリ→カゼルタ→ナポリ
2015/5/17 日 ナポリ→バーリ
2015/5/18 月 バーリ→マテーラ→バーリ
2015/5/19 火 バーリ→レッチェ→バーリ
2015/5/20 水 バーリ→オストゥーニ→チェリエ・メッサピカ→マルティーナフランカ→バーリ
2015/5/21 木 バーリ→アンコーナ→フォリーニョ
2015/5/22 金 フォリーニョ→スペッロ→アッシジ→フォリーニョ
2015/5/23 土 フォリーニョ→トレヴィ→スポレート→フォリーニョ
2015/5/24 日 フォリーニョ→ペルージャ→フォリーニョ
2015/5/25 月 フォリーニョ→コルトーナ→オルヴィエト
2015/5/26 火 オルヴィエト→チヴィタ ディ バーニョレージョ→オルヴィエト
2015/5/27 水 オルヴィエト→アレッツォ→オルヴィエト
2015/5/28 木 オルヴィエト→フィレンツェ→ボローニャ
2015/5/29 金 ボローニャ→ラヴェンナ→ボローニャ
2015/5/30 土 ボローニャ→モデナ→ボローニャ→フェラーラ→ボローニャ
2015/5/31 日 ボローニャ
2015/6/1 月 ボローニャ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/2 火 ヴィチェンツァ→パドヴァ→ヴィチェンツァ
2015/6/3 水 ヴィチェンツァ→ヴェローナ→ヴィチェンツァ
2015/6/4 木 ヴィチェンツァ
2015/6/5 金 ヴィチェンツァ→ミラノ
2015/6/6 土 ミラノ
2015/6/7 日 ミラノ
2015/6/8 月 ミラノ→モスクワ→
2015/6/9 火 →成田
再び2つの斜塔のある広場にいます。昔からの街道のジャンクションとなっているこの広場からは四方八方に道が延びています。先ほどは北方面に行くザンボーニ通りを歩いたのですが、今度は南東の方角に進むサント・ステファノ通りを辿ります。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
ここは斜塔の広場からは目と鼻の先にあるメルカンツァ広場。 日本語に訳すと「商業市場」かしら?
そして、この巨大なアーチのロッジアを持つ建物がメルカンツァ宮殿(またの名をロッジア・デイ・メルカンティ)です。14世紀末から18世紀末にかけて、ボローニャの商業、ギルドの中心でした。1797年にフランスに占領された後は、商工会議所となっています。狭いけれど、とてもインパクトのあるファサードですねえ。
ゴシック様式のアーチのスパンドレルにはニッチェがあって、中央には「正義」の彫像が置かれていました。その上にある白いキャノピーと両脇の白いねじれた柱のある連窓があるおかげで、大変格調高く見えます。 -
商工会議所とサント・ステファノ通りを挟んで建つこちらの古い建物の前には、なんとも危なっかしい木製のポルティコの柱があって、ご覧の壁から突き出した部分の建物を支えていました。
確か市政府は1366年に、木製のポルティコの建築禁止命令を出したはずですが、それから650年も経つというのに本当に残っていましたよ。
下の家の説明板には、14世紀の税関のあった建物と書かれていました。 -
後刻、にわか雨が降ってきて、急遽雨宿りしたポルティコ内から撮った1枚です。
この辺りは14世紀末頃から両替商、金細工店、肉屋、魚屋、毛皮屋などがひしめいていたそうで、今も当時の面影が色濃く残っているエリアだそう。この一角を眺めていると、中世にタイムスリップしたような気分になります。 -
ポルティコはないけれど、2階以上がちょっと出っ張っている家もありました。木製の梁?がずらっと並んでいますね。
-
サント・ステファノ通りを更に進んでいくと、右手にアーチのスパンドレルに顔を覗かせた彫像がずら〜っと並んでいるポルティコがありました。ポルティコのある建物と言うべきかしら? 面白〜い!!
実はこちら、先ほど聖ペトロニオ聖堂で見た、ジョヴァンニ・ダ・モデナの描いたフレスコで埋め尽くされた礼拝堂のパトロンだったボロッニーニ家の宮殿だったそうですよ。建物には「素敵なキューピッド」と言う名前が付けられています。 -
リッチな絹商人だったボロッニーニ家の宮殿は、1517年〜25年頃に建築を開始しましたが、完成には至らず、1602年には資金が尽きてしまいました。最終的な完成は1884年だったそうです。
そのため、スパンドレルの彫像も、16世紀に作られた部分は、アルフォンソ・ロンバルディとニコロ・ダ・ヴォルテッラ、19世紀の部分はジュリオ・チェザーレ・コルヴェンティと作者が分かれています。
風貌から見て、彫像はギリシャ神話の登場人物ではないかと思われるのですが、定かではありません。 -
イチオシ
サテュロスの彼に「ベスト・スマイル賞」をあげたいなあ・・・もしかして君、19世紀製??
-
柱廊の美しさに魅せられて、にわかカメラマン気取りです。
-
次々と現れるポルティコのある古い屋敷にうっとり・・・ サント・ステファノ通りは必見です!
ボローニャ1の旅行記で、1288年には、公共の使用に資するため、有用と考えられる全ての道路にポルティコを設置することが義務化される法律が作られたと書きましたが、重要なことを言い忘れていました。馬に乗った人間が頭を閊えないようにするために、ポルティコの高さは2.7m以上と定められたのです。
この通りに並んでいる家々はそれ自体の高さもポルティコの高さもマチマチですが、少なくとも、馬に乗って問題なく駆け抜けることが出来る空間を保持しているということですね。 -
そして通りの彼方に現れたのは、サント・ステファノ教会群と呼ばれている教会の集合体です。
-
サント・ステファノ教会群に入場する前に、教会に向かって左側にあったこちらの建物を紹介しておきましょう。
パラッツォ・イゾラーニ。1451年〜55年の間に、パニョ・ディ・ラポ・ポルティジャーニ・ダ・フィエゾーレ(サン・ジャコモ・マッジョーレ教会にあったベンティヴォーリオ礼拝堂の設計者)によって建てられました。ゴシック期からルネサンス期への移行期の建物なのだそうです。
2階窓の上のルーネット部分に、6体の彫像が並んでいますが、こちらの建物の方が先。お向かいのボロッニーニ宮殿は、こちらの彫像を意識して装飾に加えたのかもしれません。そして、16世紀に入るとボロッニーニ家はこの宮殿も手に入れることになるのです。 -
さて、広いサント・ステファノ広場の向こうに忽然と現れた古い教会の数々に少々戸惑いました。あまりに私好みの教会が沢山集まっていたので、教会のテーマパークかと思ったくらい。
地元ではセッテ・キエゼ(7つの教会)もしくは聖なる(ボローニャの)エルサレムと呼ばれているこちらの教会群、伝説によれば、5世紀にボローニャの司教だった聖ペトロニオがローマ帝国時代のイシスの神殿上にバシリカを建てたのだと言われています。一つ前の旅行記でも書きましたが、ペトロニオは、エルサレムにある聖墳墓教会を思い起こす教会を作りたかったのだそうです。 -
今見えているのは、左が聖ヴィターレと聖アグリコーラ教会(4世紀。12世紀に再建)、木に隠れてしまいましたが隣の八角形のものが聖墳墓教会(5世紀)・・・
-
そして、こちらが聖磔の十字架教会(またの名を洗礼者聖ヨハネ教会 8世紀)です。774年にフランク王国のカール大帝に滅ぼされるまで北イタリアを支配していたロンバルド王国時代が起源とされていますが、11世紀に大規模改修されています。
1488年に追加された、外に丸く突き出した説教壇を見て、またまた一目ぼれしてしまいました! -
まずは聖磔の十字架教会に潜入します。単一廊で、シンプルなロマネスク様式。天井もごく一般的なトラス構造でした。
17世紀に再建された主祭壇は16段の階段を上がった上にあり、シモーネ・デイ・クロチフィッシによって1380年頃作られた十字架が吊り下げられています。 -
身廊左側にあったボローニャ出身のアンジェロ・ガブリエッレ・ピオ(1690年〜1770年)作のピエタです。この作品なんと紙を貼り合わせて出来ているのだそうです。いわゆる「張り子」ですね。
-
主祭壇の下に位置する五廊式のクリプトに参りましょう。こちらは1019年に作られたそうです。
様々な長さ、太さ、色、材質、柱頭のついた柱を見ることが出来ます。時代もローマ時代、ビザンティン時代、ルネサンス時代と色々です。伝説によれば、この中に1本、キリストの身長と同じ高さの柱(170cm)が含まれているのだそうですよ。 -
この写真を見ると、柱の長さがバラバラであることが良く分かると思います。
-
聖ヴィターレと言うとラヴェンナを思い浮かべてしまう私ですが、この教会群の中にある聖ヴィターレと聖アグリコーラ教会の聖ヴィターレとは別人です。ラヴェンナの聖ヴィターレは3世紀にミラノで生まれ、ラヴェンナで殉教しました。
こちらの聖ヴィターレも同じ3世紀の人ですがボローニャ生まれ。盟友の聖アグリコーラと共に304年殉教しています。
クリプトの中には、二人の聖遺物が収められた壺の他に、クリプトを建設した修道院長のマルティーノの墓があるようですよ。 -
こちらは「雪の聖母」と呼ばれているフレスコで、幾層にも積み重なった漆喰の中からほんの数年前に発見されました。
ボローニャ出身の画家リッポ・ディ・ダルマシオ(1355?年?1410年)の作品ではないかと言われています。
切れ長の聖母の目が観音様のそれのように見えます。幼子はしっかりカメラ目線。意思の固い、聡明そうな目でこちらを見ています。いいね! -
イチオシ
クリプトから出て、次に出てきたのは聖墳墓教会です。先ほど外からちらっと見た八角形の建物の中はこんな風になっていたんだと感激!
建物は5世紀まで遡ります。聖ペトロニオによってエルサレムの聖墳墓教会の複製として構築されましたが、10世紀にハンガリーの侵略で壊滅的に破壊されたため、ベネディクト会修道士らにより11世紀に再建されたものです。
待てよ・・・よくよく見ると、八角形ではなくて、内部は12面あるようです。各面の長さにはばらつきがあります。大理石とレンガで作られた柱も12本ありました。 -
中央にはキリストの墓を模倣したエディクラ(立体的に造形された祭壇 13から14世紀)があり、1141年に発見された聖ペトロニオの聖遺物(体部分)が収められていました。
2000年に、ここにあった聖遺物は、聖ペトロニオ聖堂に移されたそうです。元々頭部分は聖堂に安置されていたそうですから、私は個人的にはようやく聖ペトロニオは安息を得たのではないかと思っています。
エディクラの左側低い部分には、福音記者達のシンボルのレリーフがありました。 -
聖ペトロニオの墓の扉は、毎年イースターの真夜中に行われるミサの祭典以降の1週間は開かれたままになるそうです。
中世の頃は、手前に階段がなかったために、這ってペトロニオの傍まで行く輩もいたとか・・・
墓の扉の上方には、キリストの墓に詣でた女性達と天使のレリーフがありました。 -
エディクラの前の床には、1666年に亡くなった方の墓もありましたよ。おどろおどろしい骸骨付きです。
-
聖墳墓教会お隣の聖ヴィターレと聖アグリコーラ教会に入って参りました。こちらは、教会群の中で最も古い建物で、内部は翼廊のない三廊式になっていました。主祭壇は、ローマ帝国時代の祭壇をそのまま転用したものだそうです。
ヴィターレとアグリコーラについてはミラノ大司教アンボロージョの説教によって明らかにされています。
ヴィターレはアグリコーラの奴隷だった人物で、二人の関係は最初は主従関係でした。アグリコーラは、ヴィターレの影響を受け、キリスト教に入信します。最初にディオクレティアヌスの大迫害で殉教したヴィターレは、ありとあらゆる拷問の末に亡くなりました。役人たちはその一部始終を見せつけることによって、アグリコーラを脅し続けましたが、彼の信念は変わらず、磔刑で殉教したそうです。 -
アーチ部分に残っていたフレスコは、かなり傷んでいました。どこにあったのか、よく覚えていません。
-
続いて現れたのは、ピラトの中庭と呼ばれている部分です。キリストが捕えられ、連れていかれたピラト邸 ユダヤのローマ総督の館の庭に雰囲気が似ているのだそうです。
イスラエルには行ったことがないので、ここは想像するしかありませんね。 -
アーチの碑文には、438年、聖ペトロニオが、ボローニャの最初の殉教者聖ステファノのために建てたと書かれていました。
鉄の扉の先は、壺や石棺が置かれた小さな庭になっていました。 -
イチオシ
聖墳墓教会側を撮った1枚です。確かに、イタリアでは滅多にお目にかかれない雰囲気が漂っていますね。
レンガの壁に埋め込まれた様々な装飾が大変美しいです。 -
もう1枚アップでどうぞ。
手前にある花器にはロンバルド時代の彫刻が彫られており、ロンバルド王リウトプランド(?年-744年)同じくヒルデプランド(?-744年)と共に司教バルバトゥスの名前が刻まれているそうです。 -
こちらは、ピラトの中庭から見た、聖磔の十字架教会です。表側とは雰囲気が全く異なりますね。
-
聖墳墓教会とは反対側にあるのはトリニティ教会。またの名をカルヴァリオ(ゴルゴダの丘)、あるいは殉教者教会と呼ばれています。
この教会は4世紀か5世紀に建てられましたが、聖ペトロニオの時代に、早くも資金が尽きて、工事が途中で頓挫しています。更に12世紀に大改修され、20世紀初頭にコッラマリーニによっても改修が行われています。そのため、元々の配置や用途があやふやな部分が多いそうです。 -
祭壇には磔像と消えかかったフレスコが、周りにはテラコッタのパネルが沢山並べられたサンタ・ジュリアナ礼拝堂です。
-
部屋の右側にある大きなフレスコは16世紀のもの。聖母子に礼拝する人たちが行列を作っています。白い小さなユダヤ帽をかぶった方々は一体どなたでしょうか?
-
トリニティ教会(殉教者の教会)の次なる礼拝堂にあったゴシック時代のフレスコです。
左側は、十字軍の旗を持つ王冠を被った女性聖人とその周りに集まる沢山の女性達の姿が描かれていました。
右側も大変美しい1枚で、ヤシの葉を持つ聖人です。黄色い衣が珍しい! -
ピラトの中庭からトリニティ教会を経て、教会の回廊部分に出て来ました。最初に入った聖磔の十字架教会の真後ろに当たります。
-
こちらが、裏側から見た聖磔の十字架教会です。壁にはフレスコの赤い跡がうっすら。でも何が描かれていたのかは、もはやわからなくなっていますね。
教会群前の広場からはよく見えなかった13世紀に作られた鐘楼は窓が最上階にしかありません。ごっつい私好みの鐘楼です。 -
イチオシ
ピラトの中庭より大きく、総2階造りになっていました。下の階の部分は10世紀までに作られたもので、3本の柱で支える広いアーチが印象的。上の階はアーチの幅が狭いロマネスク様式で、バラエティに富んだ柱頭のついた白い柱が大変美しいです。12世紀中頃のピエトロ・ダルベリコの作ではないかと言われています。
小さいので、見えないかなあ・・・正面の回廊2階一番右側の柱頭が物凄くユニーク! -
画面粗いけれど、拡大してみました。裸の男性が首を後ろに向けてしがみついているように見えます。
-
もう1枚!
-
聖磔の十字架教会と反対側にあったのは、ベンダ教会と呼ばれている部分。4つの部屋に分かれていて、以前食堂だった部分も含まれています。現在は教会と言うよりは美術館に変身しています。
どうやって数えると7つの教会になるのかが分かりませんが、ベンダ教会が最後の訪問場所でした。写真の模型では一番左側にある建物です。 -
イチオシ
美術館にある展示物は、いつものことですが、興味あるものだけ写してみました。
まずは、動物たちが描かれた木製の細長いパネルです。実際には存在しない空想上の動物もいますが、イタリアの教会で「亀」は初物です(上から三段目左から2列目)! -
とても立派な聖遺物を収める箱です。戦いの様子が描かれたレリーフが見事。右側には沢山の鳥に曳かれて空を飛んでいる人物が彫られていました。
-
こちらのフレスコには、中央に聖ペトロニオ。周りの4枚には、聖ステファノの生涯の物語が描かれていました。ミケーレ・ディ・マッテオの15世紀の作です。
マッテオはボローニャ生まれ。この頃の画家の多くがそうであるように、詳細は分かっていません。多くの場合、画家に支払われた報酬の記録が残されているので、そこから制作年や活動時期を割り出し、大体〜年くらいに生まれて、〜年くらいに亡くなったと推定しているようです。 -
ミケーレ・ディ・マッテオの作品をもう一つ。こちらは、フレスコをキャンバスに移したものだそうです。「聖母子」で、15世紀前半の作品。
-
ジョヴァンニ・ディ・ツァネッロの作品で、中央は「聖母戴冠」。15世紀前半。他の4人の方についてはメモを失念。
-
シモーネ・デイ・クロチフィッシの「聖母子」です。上方左右に「受胎告知」も描かれています。14世紀後半の作品。
-
イチオシ
こちらは、大変美しい聖母子と洗礼者聖ヨハネを描いた作品。インノチェンツォ・ダ・イモーラ(1490年-1550年)。ヨハネが幼子にザクロを手渡しています。下の方にダメージがあるのが非常に残念です。16世紀前半。
-
フェッラーラ派の画家による洗礼者聖ヨハネ像。15世紀後半の作品とされています。
-
ヤコポ・ディ・パオラの中央に「玉座の聖母子」が描かれた多翼祭壇画です。
左側には、トゥールーズの聖ルイと聖オノフリオ(ライオンのような形相の髭モジャの男性ですが、4世紀か5世紀のエジプトに住んでいた隠者だそうですよ)。右側には大アントニオスと聖クリストフォロ。
上部の中央には「ピエタ」、左右には「受胎告知」がありました。14世紀。 -
再び回廊です。1階部分を支える柱に接写してみました。3本しか見えないけれど、4本柱です。
-
ひっそりとした回廊を暫し彷徨います。
-
帰り道に見つけたフレスコです。その下にはラテン語で「14世紀に作られたゴルゴダの礼拝堂のイメージ」と書かれていました。
-
聖墳墓教会の入り口付近からサント・ステファノ通りを臨みます。
-
再び美しいサント・ステファノ通りに立っています。どの家にも何ページにもわたる歴史が眠っていそう。
一番手前の家は、何度修復をしたのでしょう? 奇妙な場所に窓があると思いませんか? -
イチオシ
広場からサント・ステファノ通りに入る辺りが一番美しいかもしれません。
-
この頃から雲行きが怪しくなって・・・
-
ボロッニーニ宮殿のポルティコを通って、斜塔のある広場にたどり着く頃には、
-
バケツをひっくり返したような雨が降ってきました。ポルティコがあって良かったぁ。白いパラソルの下で優雅に午後のお茶を楽しんでいた人々は、店内に避難。
でもものの10分位で、雨は上がりました。気まぐれ5月のなせる業です。 -
少しこの辺りをぶらついてみましょう。
こちらはBrooks Brothers。店内は、美しいフリーズのある外壁面と見事に調和しています。 -
こちらは、Brooks Brothersの隣にあった、パラッツォ・ボロッネッティ。ポルティコの方が歴史が古く15世紀初頭まで遡ります。屋敷の方は、1551年建造のルネサンス様式です。
-
美食の都と呼ばれるボローニャの台所に入って参りましたよ。生ハムがおいしい、A.F.タンブリーニです。
お店の右手で物乞いしているおじいさんの背後には、聖人の銅版画、そのはるか上には・・・ -
「受胎告知」発見! これも銅板かしら???
-
ペスケリエ・ヴェッキエ通りのお肉屋さん。左はボローニャ・ソーセージかなあ・・・ 右側はポーク・ナックルと書かれていました。よだれが・・・
-
Eatalyもここにありました。
-
様々な形のパスタが並んでいますよ。手前はラビオリのように、中にお肉が入っているトルテリーニ。1kgって何人前になるのかしら? 隣のラザニアも旨そうです。一人分にはちと多い・・・
-
そのお隣はパルミジャーノ・レッジャーノ他チーズのオンパレードです。最近では、日本でも手に入りやすくなったけれど、ここのはお値段が優しい。
-
日曜日にもかかわらず、どのお店もオープンしていました。お蔭で夕食用にホテルで食べる分をここでお買い上げ。
-
ふと気が付くと、マッジョーレ広場に戻っていました。真正面は市庁舎の時計台です。
-
今度は聖ペトロニオ聖堂の横の道アルキジンナジオ通りを歩きます。中から見てとても迫力のあったステンドグラスは、外から見ても大きい!
横に5列ある巨大なステンドグラスは、聖アッボンディオ礼拝堂でしたねえ。 -
ほらっ! こうやって見ると、いかに聖ペトロニオ聖堂が巨大か分かりますね。
-
ようやく聖堂の後陣が見えるガルヴァーニ広場に到着。聖堂にくっつくように、他の建物が建っているのが面白いです。
-
広場の真ん中に彫像が立っているボローニャ出身の医師で物理学者のルイジ・ガルヴァーニから名づけられた広場です。ウィキペディアによると、彼はかえるの足の中に電気が起こることを見つけた「ガルヴァーニの発見」で有名なのだそうですが、理系全く無知な私めは存じませんでした。彫像のガルヴァーニはかえるの足を載せた板を持っているのだそうですよ。
-
突き当りのファリーニ通りには、これまでに見た中で一番豪華なポルティコがありました。フレスコには、ローマ時代と思しき神殿と神殿の番をする番の想像上の動物(まあ、狛犬のようなものか・・・)が描かれていました。
-
写真は、靴・かばんのブランド FURLAの前のポルティコです。
-
この建物は二方がポルティコになっていて、ファリーニ通りから右に曲がってガリバルディ通りに入っても、ずっと続いていました。
-
ガリバルディ通りを左手にカヴール広場の緑を眺めながらさらに進むと、やや小さめのサン・ドメニコ広場に出ます。
出迎えてくれたのは、聖ドメニコのブロンズ像です。 -
広場の奥には、ロマネスク様式のこじんまりとした印象を受ける聖ドメニコ聖堂が建っていました。総レンガ造りのファサードを含む建物は1240年に完成しました。清貧をモットーにしている聖ドメニコの精神を受け継ぎ、華美なファサードを好まなかったと言います。
中央の大きなバラ窓はオリジナルですが、18世紀には、ファサードにポルティコが作られて、バラ窓がほとんど見えない状態だったそうです。
現在の建物は、20世紀に入ってから建築家ファッラエーレ・ファッチョーリによってオリジナルに近い外観に復元修復されたものです。 -
ファサードの左側にくっついて建つ大きな建物は、同じくロマネスク様式のロドヴィコ・ギジラルディ礼拝堂で、1530年頃増築されています。
-
一つしかない扉の上のルーネット部分にあったモザイクは、「ボローニャの町を祝福する聖ドメニコ」の姿で、付設の修道院の入り口に飾られている18世紀に描かれたルチア・カザリーニ・トレッリ作の絵をモザイクにしたものです。
-
この図を見ると、左の創建時の時の姿から増築を繰り返し、建物が膨らんでいった歴史が良く分かって興味深いです。
-
あららぁ? 中はすっかりバロックでしたよ。残念。三廊式で白に統一されているので、けばけばしさは感じません。でも「清貧」も感じませんねえ。
上の図にもあるように、1313年にまず何の変哲もない細長い十字架形にいくつかの礼拝堂と鐘楼が加わりました。2回目の大変革は、前述した1530年のロマネスク様式のギジラルディ礼拝堂。そして右側廊に、巨大な聖ドメニコ礼拝堂が誕生しました。最後の変革はバロック時代の1600年から1740年にかけて。巨大な後陣が作られ、内装がバロックでリメークされています。統一感あるインテリアでした。 -
主祭壇に向かって左側部分と
-
右側部分です。図を見て左側だけ太っちょになったのかと思いましたが、見る限りでは、そういう印象は受けません。左右対称で、一応釣り合いが取れているように思いました。
身廊中央部にあるクーポラと高いところにある窓から光が十分に差し込んでくるので、明るさは十分です。 -
いつものように、駆け足で右側廊から見ていきます。
サンタ・ローザ・ダ・リマ礼拝堂。ペルーのリマ生まれの聖ローザ(1586年-1617年)はアメリカ大陸初めての聖人だそうですよ。祭壇画は「聖ローザの法悦」でチェザーレ・ゲンナーリ作。 -
マドンナ・デッレ・フェッブリ(熱・Feverの聖母)と呼ばれているフレスコの断片です。14世紀のもので、作者不詳ですが、フランチェスコ・ダ・リミニかひょっとしたらジョットでは? と言われています。
1572年、ミラモンテ通りの端の堤防の下から発見されました。1796年に聖ドメニコ聖堂に運ばれたそうです。 -
それ以外のことは殆ど何もわかっていませんが、この聖母に詣でる熱心な信者達が後を絶ちません。
-
1221年、ここにまだ小さなドメニコ会修道士達の小さな教会しかなかった頃、創設者だった聖ドメニコはこの地で亡くなりました。この聖堂で、主祭壇より重要と思われる礼拝堂が、聖ドメニコに捧げられた礼拝堂です。主祭壇に向かって右側に大きなスペースを占めていました。
写真は聖ドメニコの墓です。 -
聖ドメニコの礼拝堂は1233年から既に存在していましたが、こちらは17世紀前半にフロリアーノ・アンブロジーニによって建てられたバロック様式の大礼拝堂です。幅13.6m、奥行き23.8m、クーポラの高さが38mもあります。更に礼拝堂全体が身廊部分より1.5m高い位置に作られています。
殆ど見えていませんが、左右の壁には、聖ドメニコによってもたらされた奇跡の場面が4つ描かれています。 -
御陣には、グイド・レーニのフレスコ「聖ドメニコの栄光」が描かれていました(1613年から15年)。
-
イチオシ
後ろ壁に置かれた7つの彫像は、ジョヴァンニ・トデスキによる作品です(1617年〜331年)。これらは「3つの対神徳」博愛、希望、信仰と「4つの枢要徳 」知恵、正義、勇気、節制を表していて、合わせて「7つの美徳」と呼ぶのだそうです。今まで何度か説明を聞いたのですが、ピンと来なかったのですが、初めて合点!
でもどの像が博愛で、どの像が節制なのかまるで分らん! -
7つの美徳の寓意像のうちの2つです。
-
さあ、何の寓意像だか、わかったら教えてくださいね。
-
お次は、この美しい聖櫃をじっくりと見ることにしましょう。聖ドメニコの最初の聖櫃の核となる部分(てっぺんから2本のキャンドルの付け根部分まで)は、1264年から1267年にピサのドゥオモの洗礼堂やシエナのドゥオモの説教壇などを構築した彫刻家ニコラ・ピサーノと彼の工房によって造られました。
-
頂きには父なる神が地球の上に乗っています。その下には「創造物の象徴」が置かれています。プット達が支える花綱、これは大地を、そしてイルカ達、これは海を表すそうです。そして死せるキリストとその両脇に「受胎告知」が展開されています。
-
今正面に見えている、人が沢山彫られているパネル部分を始め、全部で6つのパネルには、聖ドメニコの生涯の物語が綴られています。
中央の聖母の向かって左側には、馬から落ちた男性を復活させ、彼の母の元まで送り届けたという聖ドメニコの逸話を表しているそうです。 -
キャンドルの上にある4つの彫像は、ニッコロ・デラルカ(1435年-1494年)と若き日のミケランジェロによる8人のボローニャの守護聖人像のうちの4体です。聖フランチェスコ、聖ペトロニオ(これはミケランジェロ作)、聖ドメニコ、聖フロリアーノが見えています。後の4体は反対側にあります。
その後も聖櫃には次々と装飾が加えられます。沢山名前が出てくるので、もうこの辺にしましょう。一番下の部分に「聖ドメニコの死」のパネルが加えられたのは1768年のことです。 -
イチオシ
もう一つ、ミケランジェロの作品を紹介。聖櫃に向かって右手のキャンドルを支えている天使像が、ミケランジェロの作だそうです。柵が邪魔をして、上手く撮れませんでしたが、イケメンの天使です。1494年。
-
あまりにも素晴らしいものを見てしまった後なので、その後は何を見ても頭が反応しません。右翼廊にあるボロッニーニ礼拝堂には、グエルチーノの「キリストの聖餐について書く聖アクィナス」があったのですが、傍に寄らずじまい・・・1662年。
-
壁にあったバロックの葬送モニュメントは、私好みでした。
-
主祭壇と後陣です。たった1枚しか撮っていません。17世紀から18世紀にかけて行われた最後の大改修の際に、うんと奥に伸びた形になりました。主祭壇は18世紀のアルフォンソ・トッレギアニ作ですが、これも一瞥しただけ。
黄金色に輝く幕屋の中の祭壇画は、ボルトロメオ・チェージの「東方三博士の礼拝」です。
後陣には、素晴らしい木製の聖歌隊席があったそうですが、まるで記憶にありません。(´・ω・`) -
福者に列せられた教皇ベネディクトゥス11世(在位1303年-1304年)はドメニコ会出身のローマ教皇です。教皇になってからわずか8か月で急逝しました。
イチジクによる消化不良がその死亡理由とされましたが、次に教皇となったクレメンス5世はフランス王の影響下にあり、彼の時代にアヴィニョンへと教皇庁が移されたことから、もっぱらそちらの筋の毒殺説が有力視されています。
祭壇画はフェリーチェ・トレッリによる「天国へと昇る福者」。 -
聖ドメニコ聖堂にもう一つある重要な礼拝堂をご紹介。ちょうど聖ドメニコの礼拝堂の反対側に位置しているロザリオの礼拝堂です。この礼拝堂は16世紀後半に、ドメニコ会の下部組織である聖ロザリオと言う名前の奉仕団体の所有となりました。そしてフロリアーノ・アンボジーニによって再建されたのが1589年のことです。
後陣の幕屋には、多くの信者を持つ「ロザリオの聖母」を中心に、周りを「15のロザリオの謎」と銘打った15枚のパネルが取り囲んでいます。グイド・レーニやルドヴィコ・カラッチ、バルトロメオ・チェージ、カルバールト、ラヴィニア・フォンターナ、フランチェスコ・アルバーニ、ドメニキーノといったそうそうたる画家によって描かれた絵画なのですが、大変小さな絵で、しかも残念ながら中に入ることが出来ないので、よく観察できませんでした。 -
こんな小さな説明板しかありませんでしたが、参考までに。物語は左下の「受胎告知」から始まり、右下の「聖母戴冠」で終わります。
蛇足ですが、グイド・レーニの墓はこの礼拝堂内にあるそうですよ。 -
17世紀半ばになってロザリオの礼拝堂は改装され、ヴォールト天井と後陣には、アンジェロ・ミケーレ・コロンナとアゴスティーノ・ミテッリによって、フレスコが加えられました。
ヴォールトには、天使が聖母を天に導いている場面、後陣には聖母戴冠用の大きな花冠を、天使達が支えているのが見えますね。 -
左側廊 聖なる血の礼拝堂にあった「大天使聖ミケーレ」はジャコモ・フランシア(1486年〜1567年)の作品。
ミケーレは完全にルシファーの体の上に乗っかってポーズを決めていますよ! -
ここでも見逃したものが沢山ありましたが、ミケランジェロとグイド・レーニの作品に出会うことが出来て大満足です。ロザリオの礼拝堂は残念だったなあ・・・
-
再び聖ドメニコ広場です。広場にはボローニャ人の有名な墓が二つあります。そのうちの一つ、13世紀の法学者ローランディーノ・デ・パッサッゲリは工事中でした。公証制度と公証文書における最高権威だった人だそうですよ。
でもこれじゃあねえ・・・ -
もう一つのお墓はエギディオ・フォスカラーニ。16世紀のドメニコ会修道士兼司教でした。彼は異端扱いされ投獄されましたが、後に無罪となりました。
どちらも13世紀に流行したピラミッド型霊廟だそうです。教会の中や墓地以外に、町中で墓を見かけることはなかったので、少々意外。まあ、でもここは町中ではなくて、聖ドメニコ聖堂の敷地内なのかもしれませんね。ボローニャでは他にも12このような霊廟があり、そのうち五つは聖フランチェスコ教会周りにあるとのことです。 -
最後に、グイド・レーニ作の「ロザリオの聖母」の彫像を見ていきましょう。塔はレンガ造りで、てっぺんの彫像はブロンズです。1632年、ペスト流行の終焉を祝して建てられました。
-
アップしてみてビックリ! 酸性雨でしょうか? マドンナも幼子も泣いています。大変気の毒。
-
ロザリオの礼拝堂に寄り添うように、彫像は立ち続けていました。
-
帰り道は、こちらの静かなロランディーノ通りを進みます。2階の方が少々出っ張った建物、ここでも見っけ!
-
出っ張った部分に張り出したアーチのフリーズは全てプット達ですよ。可愛いい! カーザ・ベロと呼ばれる家で、16世紀のルネサンス様式の建物でした。一時画家たちが好んでこの家に住んだので、別名「カラッチの家」とも呼ばれるそうです。カラッチ? どのカラッチかしらねえ・・・
-
カーザ・ペロからほど近く、今度は大行列のジェラテリア発見! 迷わずに並びます。
クレメリア・フニヴィア。このロープウェイが名前なの? 日本にいるときは行列を見ると逃げていたのに、イタリアに来たら、進んで列に加わるとは何事かしらねえ・・・ -
冷蔵庫に並んでいたアイスケーキも美味しそう。一人ではちょっと大きすぎるなあ・・・
-
で、こちらで我慢。またまたピスタチオとエスプレッソの組み合わせ。信じられないほどクリーミー。伸びが半端じゃあありませんでした。2.5ユーロ。
-
ジェラートを大満足で平らげた後はファリーニ通りに戻ります。格調高いエルメスが「おいでおいで」を・・・・今度はしていない! エルメスよりもルネサンス!
-
イチオシ
飛びっきりの空間! ファリーニ通り。ここだけの美しいポルティコを独占しました。
-
サン・ジョヴァンニ・イン・モンテ教会を横目に見て・・・
-
瀟洒な・パラッツォ・ガルガネッリの脇道グエラッツイ通りを進みます。
このパラッツォはサン・ビアジョ教会跡地に建てられたもので、教会の遺した列柱が今でもポルティコを支えています。 -
次にやってきたのは、シンプルなレンガ造りのサンタ・マリア・ディ・セルヴィ聖堂。マリアの下僕・・・そう言えば、フィレンツェで訪れたサンティッシマ・アヌンツィアータ教会も、この修道会の教会でした。
1346年にアンドレア・ダ・ファエンツァによって建てられ、その後段階的に建設が進められたファサードは、一度も装飾されることはありませんでした。
吃驚したのは、前の小さな広場を含めて、聖堂をすっぽりと取り囲む長いポルティコです。白っぽい大理石の柱が見事です。左側に見えるポルティコはこの先も聖堂に沿ってずっと続いていました。その長さ100m以上!
アトリウムと呼ばれるこの長い廊下は、以前は教会建築ではごくごく一般的なスタイルだったそうですが、今では殆ど残っていません。1393年に工事が始まって、完成したのは、なんと! 1846年のことなんですって。 -
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂の中に入りました。三廊式で、天井はゴシック様式のヴォールト。レンガ造りの柱は多角体と円柱が交互に並んでいました。
幸いなことに、この聖堂自体の景観は、建造時より殆ど変化がないそうです。シンプルだけれど、温かみのある色合いで、ほっとした気分にさせてくれます。聖ペトロニオ聖堂とも雰囲気が似ているような気がしますが、それもそのはず、この聖堂を設計した神父アンドレア・ダ・ファエンツァは、聖ペトロニオを建てたアントニオ・ディ・ヴィンチェンツォの助手も務めていたそうです。 -
この聖堂では、もういい加減疲れていたこともあってか、写真は「聖ルチア像」と次の「守護天使像」から、いきなり、後陣裏の礼拝堂へと飛んでいます。
-
右側廊には、フィレンツェのサンティッシマ・アヌンツィアータで散々見た「マリアの下僕会」の7人の創設者たちの絵があったのは覚えていますが、写真はありません。
自分好みの守護天使の像を撮って、ご満悦です。子供のボンレスハムのようなプクプクした肌がたまりません。思わず頬ずりしたくなってしまいます。 -
そして、本当に主祭壇をすっ飛ばして、ドーナッツを2つに切ったような形をしている後陣裏の通路に進んでまいりました。放射状に小さな礼拝堂が並んでいるところに目指すものがありました。
チマブエ、正確には、チマブエの工房による Maestà「荘厳の聖母」です。1280年頃の作品と言われています。 -
wikimediaには、ドゥッチョ・ディ・ブオニンセーニャ作だと書かれていましたが、教会側の説明にはしっかりチマブエとあったので、こちらを採用することにしましょう。燭台の影がどうしても写ってしまって、いつもながら下手くそな写真ですねえ。
「聖母は、こぶのあるねじれた木枠が特徴的な玉座に座り、右手で優しく幼子の足を握っていて、荘厳で崇高に満ちた印象を与えています。幼子のこの上なく美しいしぐさは、絵に命と動きを吹き込んでいます。聖母のアーモンド形の目、筋の通った鼻には、チマブエの絵の特徴が良く表れています。
この絵は、おそらく、聖堂の主祭壇を飾るために描かれたものだと言われています。」
以上は教会にあった解説板からの抜粋でした。 -
こちらは、チマブエの絵の右壁にあったフレスコの断片です。「玉座の聖母子と双子の聖人コズマとダミアーノ」は、14世紀のボローニャ出身の画家リッポ・ディ・ダルマシオ(1352年-1410年)の傑作の一つです。こちらは14世紀の作品。
いつものコズマとダミアーノのイメージとは異なるので、言われてみるまで気が付きませんでした。 -
左側廊7番目の礼拝堂です。「受胎告知」コレクターとしては欠かすことの出来ないこちらは、インノチェンツォ・ダ・イモーラの作品。1515年から20年の作です。
天使だけでなく、マリアも跪いているのが珍しいと思いました。天使とマリアが同じ高さになった分、安定感が増したような気がします。 -
左側廊2番目の礼拝堂の祭壇画は、フランチェスコ・アルバーニの「我に触れるな」でした。どうも、自分の好きな題材ばかり追っかける癖があるようですねえ。1644年。
-
左側廊一番入り口に近い礼拝堂は、大変煌びやかな、しかし、苦しそうな表情を浮かべた「悲しみの聖母」が祀られていました。
アンジェロ・ピオが1733年〜39年にかけて、この教会のために作った二つの彫像のうちの一つです。実はこれ、パピエマシェと呼ばれる、いわゆる張り子で作られています。前にも何点か紹介しましたね。言われなければ、絶対わからないけれど、外には飾れません。
あっという間に終わってしまったサンタ・マリア・デイ・セルビィでした。 -
サンタ・マリア・デイ・セルヴィ聖堂と道路を挟んで反対側にあったのは、パラッツォ・ダヴィア・バルゲッリーニ。バロック様式のお屋敷で、現在は市立産業芸術博物館になっています。中央扉脇には、テラモン達が必死にバルコニーを支えていました。地元の人達にはギガンテ(巨人)と呼ばれているそうですよ。
-
そろそろ帰りましょう。朝から歩き詰めで疲れました。聖堂の前の道マッジョレ通りを斜塔のある広場へと戻ります。5分ほど歩くと、先ほど訪れた聖バルトロメオと聖ガエターノ教会のポルティコに差し掛かり、・・・
-
本日3度目の斜塔とご対面です。空はまだ昼間のように明るいけれど、もう午後7時をとっくに回っています。
-
ヘブライ博物館が提供している、分かりにくい地図で再びボローニャのゲットーの中の道、インフェルノ通りを突っ切って進むと、聖マルティーノ教会の前に出ました。
こういう形のゴシック様式のファサードは、ボローニャの町で随分見かけたような気がします。1217年創建ですが、現在のファサードは1879年に作られたものだそうです。レンガが新しい・・・といっても130年以上経っているのですがね。
私としては珍しく、ファサードを撮っただけで中には入らず。よっぽど疲れていたと見えます。 -
中央扉の上のルーネット部分には4世紀の聖人聖マルティーノ(トゥールのマルティヌス)のモザイクが見えました。夕日に映えて大変煌びやかでしたよ。
寒さに震えていた物乞いに、自分のマントを半分割いて与えたが、この物乞いが実はキリストであったという伝説しか知りませんが、フランスやドイツでの人気が高く、多くの国で守護聖人となっています。 -
だいぶ駅に近づいてきましたよ。朝、一番で紹介したガッリエーラ門に隣接するモンタニョーラの丘にある美しい公園まで歩いてきました。1662年に設立された、城壁内では最大の広さを誇る市民公園です。朝眺めたスカリナータ・デル・ピンチョ(ピンチョの階段)がある側とは、ちょうど反対側に当たります。
公園を歩いて帰ろうと思ったのですが、目の前のイルネリオ通り、意外と交通量が多く、せっかくの機会を逸してしまいました。目の前のブロンズ像は、1848年8月8日を記念する戦勝モニュメントです。その日、パスクアーレ・リッツォーリ率いるボローニャ軍は、町からオーストリア軍を追い出すことに成功したのです。 -
ボローニャの町のほんの一部を彷徨った街歩きでしたが、この町でしか見れない風景と建物を沢山味わうことが出来て、お腹いっぱいです。美術館、博物館、教会はまだ数知れずありますが、またの機会にしましょう。最後の写真は中央駅の近くインディペンデンツァ通りにあったサン・ベネディット教会。ファサードの一部が公共のポルティコの一部になっていますね。
明日は移動日。とうとう5月が終わって6月に入ります。この続きは、イタリア あっちも! こっちも! と欲張りなたび その82 ヴィチェンツァ1で!
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
この旅行記へのコメント (8)
-
- kaz-ykさん 2016/10/31 13:06:52
- 初めまして
- junemayさん 今日は
拙い小生のブログに、お越し下さり、1票まで、いただき有難うございました。
足跡を辿り、ボローニヤに、お邪魔しました。
綺麗な数の多い写真に、懇切な説明を付けて頂き勉強になりました。
4世紀に出来たものが、現存するとは、驚きです。
聖徳太子と同時代に、すでにこんな立派な建物や文化が、残っているとは
イタリヤの凄さを、再認識致しました。
敬意をこめて、厚く御礼申しあげます。
- junemayさん からの返信 2016/10/31 15:10:57
- RE: 初めまして
- kaz-ykさん こんにちは
こちらこそ、ご訪問頂ありがとうございました。
お二人でクルーズの旅大変魅力的ですね。
まず、荷物を持って歩かなくてよいというのがとても魅力です。
私は一人旅が多いのですが、いつも気になるのは荷物の重さ。このスーツケースが持ち上がらなくなったら旅ができないと思うと、もう少し体を鍛えなければといつも感じています。
私のは旅行記ではない、解説だとよく言われますが、好奇心旺盛なため、「なんだ王?」と思うと調べずにいられない性格のようです。また、機会がありましたら、どうぞご訪問ください。お待ち申し上げております。
junemay
- kaz-ykさん からの返信 2016/10/31 15:51:33
- RE: RE: 初めまして
- junemayさん 御懇切なメール有難う御座います。
「 私は一人旅が多いのですが、いつも気になるのは荷物の重さ。このスーツケースが持ち上がらなくなったら旅ができないと思うと、もう少し体を鍛えなければといつも感じています。」
私達は、宅急便や赤帽を、使っています。「テルミニ」では、エレベーター故障で、 階段下げを、赤帽に依頼、トランク1け10ユーロでした。
「 私のは旅行記ではない、解説だとよく言われますが、好奇心旺盛なため、
「なんだ 王?」と思うと調べずにいられない性格のようです。」
御同様、訪問前、訪問後 調査し、現地の解説本は、必ず購入します。
「機会がありましたら、どうぞご訪問ください。お待ち申し上げております。」
ご招待感謝します。旅行記も、貴女様を見習い、磨きを懸けたいと思います。
小生は、PC2台で3T HD3台で 5Tに。画像50万枚とその「BackUP」を、しています。画像の保持能力は、ほぼ10年間で、変質の恐れある由です。
手間をかけて、HDに、貯められる事をお勧めします。 御礼とご連絡まで
-
- マリアンヌさん 2016/10/28 13:05:17
- セッテ・キエゼ♪
- junemayさん、こんにちわ。
ボローニャには、サント・ステファノ教会群なんていうのもあるんですね。
私の好きな感じの教会です。
エルサレムには行ったことはないのですが、雰囲気のある地域ですね。
雪の聖母は魅力的なフレスコですね。
シモーネ・ディ・クロフィシの聖母子の絵は、立体的な造形が変わってますね。天使が窓から覘いてたり、受胎告知が一番上にあったり。
聖墳墓教会も変わった構造で興味深いです。
そして聖ヴィターレと聖アグリコーラ教会の最も古い建物の主祭壇は神秘的な感じです。
アーチの美しい中庭もいいですね。
オシリみたいな柱頭も面白くて可愛い!
昨年訪れたシエナ近郊のトッリ村の回廊を思い起こしました。
ポルティコだけじゃないディープなボローニャを見せていただき、ありがとうございました。
訪れる時には是非、参考にさせていただきますね。
マリアンヌ
- junemayさん からの返信 2016/10/28 22:27:59
- RE: セッテ・キエゼ♪
- マリアンヌさん こんばんは!
ご訪問頂き、ありがとうございます。
実はこの間、マリアンヌさんの旅行記に懐かしいヴィンテミッリアのドゥオモの記載があったので、コメント欄にお便りしたのですが、いえ、したつもりだったのですが、昨日見に行ったら消えていました。あれ?! 何か間違ったことしたんですかねえ。たいしたこと書いたわけではなく、ガイド本にも載っていないヴィンテミッリアの旧市街を歩いたときのことを思い出したものですから。
あの時ドルチェアクアに行こうとして、バス便が本数なくてあきらめたのでした。代わりに?マリアンヌさんが行ってくださったので、とてもうれしく、また満足した気持ちになってしまい、コメント欄にその旨描いたつもりだったのですが、うまく送信できなかったみたいです。
ボローニャは足の便が良く、基点として使うのにはとても便利だったので、最期の日まで取って置いたのですが、いや、思いがけない発見がたくさんありました。詰めが甘く、詳細に予定を立てない、時間管理が緩い等もろもろあって、いつもぶっつけ本番の旅になってしまうのですが、その割には犬も歩けばで良いものに出会うことができ、ラッキーだと思っています。
またのおいでをお待ちしております。ありがとうございました。
junemay
- マリアンヌさん からの返信 2016/10/29 09:40:20
- RE: RE: セッテ・キエゼ♪
- ヴィンテミッリアnの旅行記にコメントいただいたのですね♪
私もjunemayさんの旅行記、何度も参考にさせていただきました。
あのドゥオモ、クリプトが秀逸ですよね。
それからヴィンテミッリアの旧市街への入り路がよくわからなくて(グーグルマップって旧市街はない)他の4トラの方も見たりしました。
ドルチェアクア、代わりに行けて良かったです。私も初めはドルチェアックアだけと思ってたのですが、バスの中で時刻表をパズルのように組み合わせてみたら(出発直前に秋の時刻表がわかったので)終点のカステルヴィットーリオまで行ける!と変更しました。
ボローニャは大きな街だしエミリア街道沿いの歴史溢れる街だし、美味しいし☆
いつか再訪するぞぉ。
イタリアの旅、続き楽しみにしています♪
マリアンヌ
-
- とし坊さん 2016/10/26 11:43:51
- 歴史ある建物
- レンガ造りの建物に歴史と憧れをお持ちますね、知れば知るほどいいところですね
イタリア また行ってみたいですね・・・
旅行記よりも解説書のような深みのある書物ですね 素晴らしいです(^O^)
ボロニャーも行かねば(´・_・`)
- junemayさん からの返信 2016/10/26 23:50:35
- RE: 歴史ある建物
- とし坊さま
こんばんは。ご無沙汰です。
ロシアから帰って、来週は大和八木から新宮行きの路線バスに乗って熊野をめざすために紀伊半島に参ります。旅行が忙しくて、なかなか旅行記を更新する時間がないのが悩みです。なんとか、今年中に終わらせたいのですが、難しいかな?
ボローニャ、サント・ステファノはお勧めです。ボローニャに泊まってラヴェンナは日帰りすればよいと思いますよ。とし坊さんも、古い時代(ロマネスク等)の建物がお好きなんですね。無骨だけれど、味のある建物がたくさんありますよね。個人的にはこの後ミラノの最終日に素晴らしい教会に出会えました。最後まで楽しんでいただけるよう、頑張ります。
junemay
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
8
138