2016/06/19 - 2016/06/20
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walkingmanさん
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僕が大好きなサンティアゴ巡礼。銀の道を歩いたあと、急遽、予定外のイギリス人の道も歩くことに。プレセドからサンティアゴまで、3〜4日目の記録です。最後にサンティアゴ巡礼に要した費用などのまとめも。
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プレセドのアルベルゲ、設備はよかったけれど、最悪でした。このアルベルゲ、寝室の壁一枚隔てた隣が町の集会所みたいになっていて、僕らが夕食のレストランから戻ると町の人が集まって会話やゲームを楽しんでいるようでした。まあ、それはいいんだけど、夜になっても物音が止まず、むしろ、23時を過ぎてから車でやってくる人とかもいてますます賑やか。子供がサッカーで遊んでいるらしくて壁にボールを蹴っている。僕らの部屋にビンビン響く。寝られたものじゃない。これが朝4時まで続いた。朝4時ですよ。大人の話し声も気になって仕方ない。土曜の夜だったのでたまたまだったのかはわかりませんが、これにはまいりました。
3日目はロングコースなので朝早く出発しようと思っていたのに、寝坊してしまいました。7時スタートとなりました。
最初の区間はイギリス人の道の最高点、標高477mのブルマにむかっての上りです。 -
朝霧の風景。ガリシアらしい。
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なかなか厳しい砂利の上り坂です。ブルマまでに大きな坂が二つありましたが、そこを除けばゆるやかな上りでした。この区間は険しそうだと予想していたが、覚悟のほどではなく拍子抜けでした。
Puente Presedo〜hospital de Bruma 16.5km -
10時30分、峠の上に達しました。ブルマにはアルベルゲとレストランが一軒あるだけ。でも多くの巡礼者はここに泊まるようです。僕はここで朝食にありつけました。
うれしいことにWi-Fiが使え、しかもよくつながる。ネットで次の目的地への航空券をとりました。
カミーノは歩き旅なのでいつ巡礼が終わるか予定がたちません。サンティアゴから先の移動手段を確保しなければいけないと思いつつも、乗車日が固まらないので、これまで航空券の予約を控えていました。でも、さすがにここまでくれば大丈夫でしょう。明日にはサンティアゴにつくはずです。
昨日一昨日のルベルゲではWi-Fiがつながらなかったので、ここで電波がとれたことが嬉しくて、航空券を取ってしまいました。朝、出発が遅れたのに、こんなところで時間を使って。馬鹿ですね。 -
ブルマから10分の位置で発見。残り40km。明日のサンティアゴ到着は間違いない。
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ブルマからは下り。のんびりした道が続きます。
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土道が舗装路になり工場らしきものが見えてきました。シグエイロはもうすぐです。時刻は16時50分。いつもならアルベルゲに入っている時間です。
hospital de Bruma〜Sigueiro 24.8km -
町に入りアルベルゲを探します。エロスキー社のサイトでこの町には2軒のアルベルゲがあることは確認済みです。でも名前や住所までは控えていなかった。そんな手間をかけなくても、どこの町でも大抵の住人はアルベルゲの場所を知っているからです。聞けばわかる。
この時も人にたずねて(僕が返答のスペイン語を理解できないので、身ぶりだけで判断するのですが)アルベルゲまで行ったのですが、そこは既に閉鎖されていました。
通りが掛かりの人にたずねると、すぐ近くにアルベルゲがあるようです。そのアルベルゲに向かいます。 -
もう一軒のアルベルゲは閉まっていました。ブザーを鳴らしても誰も出てくる気配なし。扉にはお決まりの電話番号。でも、もう時刻は17時だから、管理人も宿泊者も誰もいないというのはちょっと妙。
周囲を歩いていると一人の巡礼者を発見。彼女があのアルベルゲに泊まっているかもしれません。ならば鍵を持っているかも。聞いてみます。
ところが返ってきた答えは
「電話したけれどつながらないの。休みみたい。あきらめてサンティアゴまでバス行くわ。」
仕方ありません。アルベルゲはあきらめて安ホテルを探すことにしました。とはいえ、安ホテルに泊まるといってもどこにホテルがあるか僕は情報を持っていません。そこで別の巡礼者を捕まえました。アイルランド人の女の子二人組。
「私たち、別のホテルに泊まっているのだけれど、あのレストランが安宿をやっているはずよ。」そう言って、一緒にレストランまでついてきてくれました。
レストランのカウンターにいた女性に宿の件を聞くと
「やってないわ」
と面倒くさそうな返事。それでも食い下がってこのあたりの宿を教えてほしいと聞きました。
「あっちの通り。」とあからさまに不機嫌な顔で答えられました。でもそこは閉鎖したアルベルゲ。レストランからすぐそこだから、アルベルゲが営業していないことは百も承知のはずなのに。答える気がないということですね。これ以上彼女にたずねても埒があかないのは明白です。
するとアイルランドの女の子が、
「私たち、ホテルリストを持っているのだけれど、ホテルの部屋に置いてきたの。ホテルまで5分歩くけど、よかったら見る?」
ありがたい申し出。彼女たちは買物に町に出てきたのに、自分たちが泊まっているホテルまで戻ってくれるというのです。そこまでしてくれる人はそうはいません。
彼女たちと一緒にホテルへ。ロビーで待っていたら部屋からリストを持っていてくれました。リストの上から潰したのだけれど、残念ながらシグエイロで僕が泊まれそうな宿は見つかりませんでした。ちなみに、彼女たちが泊まっていたホテルは一泊37ユーロ。僕には高すぎます。時間も遅いし、妥協してそこに泊まろうかとも思いましたが、37ユーロは出せない。僕はシグエイロ泊りを諦めました。
「親切にありがとう。サンティアゴまでバスで行くよ。本当にありがとう。」
何度も礼を言う僕に、彼女たちは心配そうな顔をしていました。本当に優しい人たち。
*このブログを書こうとしてエロスキー社のサイトを見たら、掲載されているアルベルゲのうち一軒は僕があたった廃業したアルベルゲとは別でした。つまり、もう一軒、アルベルゲがあるみたいです。 -
バスの時刻表を見ると1時間に1本ほどありました。時刻は19時。まだバスが運行している時間帯でした。田舎のバスは最終が早いこともあるので時刻表を見るのが怖かったけれど、なんとかサンティアゴにたどり着けそうです。
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バルで休憩。目的はクレデンシャルにスタンプを押してもらうこと。シグエイロに宿泊しないので、アルベルゲでスタンプはもらえません。そこでバルで証拠のスタンプをもらいます。
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やがてバスがきました。なんと、時刻表に書いてあった時間よりも10分も前にきました。早めにバルを出ていてよかったです。サンティアゴデコンポステーラまでは20分、1.5ユーロ(191円)。
バスが着いたのはサンティアゴのバスターミナルでした。ここから歩いて10分ほどのところにアルベルゲが3軒ほどあったはず。 -
20時近くになってようやくアルベルゲに入ります。以前泊まったことのあるアルベルゲを選びました。ある程度様子がわかっているので気持ちが楽です。
受付の際、事情を話しました。僕のサンティアゴ巡礼はまだ完遂していません。ここでスタンプをもらったらルール違反だと思いました。最後まで歩いていないのに、クレデンシャルの上ではすべてのスタンプが揃ってしまう。それはいけないことだと思ったのです。
今日はシグエイロまで歩いたこと。シグエイロからバスに乗ったこと。明日またシグエイロに戻ってサンティアゴまで歩くつもりであることを話しました。
するとオスピタレロから返答が。
「明日また歩くんだろ。だったらスタンプ押してあげるよ。日付は空欄にしておくから、明日、自分で書けばいいさ。」
右ページ中段のがそのときのスタンプです。ちなみに、上段左がブルマのバルで、右のカフェバーとあるのがシグエイロでもらったスタンプです。 -
21時、ようやく夕食です。
チキンバーガーとオニオンフライとビールのセットで5ユーロ(636円)。スペインではよく見かけるグッドバーガーというチェーン。某チェーンよりいいと思います。 -
今日は朝一番のバスでシグエイロに戻るつもりでしたが、さすがにくたびれていて起きることができませんでした。8時発のバスに乗りシグエイロ着は8時15分でした。
叶うならばサンティアゴに12時までに到着し、巡礼者のミサに参加したかったのですが、サンティアゴまでは16km強。ここを3時間45分で歩かなければなりません。ギリギリ間に合うかどうか。 -
9時40分、サンティアゴまで11.185kmとあります。1時間20分かかって5.3kmしか進んでいないことになります。
“そんな馬鹿な”
今日は重いバックパックはサンティアゴに残し、最低限の荷物だけしか持ってきていない。普段よりも確実に早足で歩いているのに時速4km程しか出ていないなんてありえません。道標がおかしいのか、元々サンティアゴまで16.5kmというのがおかしのか。
とにかく、12時のミサに間に合うよう、最後まで諦めたくないから、早足で歩き続けます。 -
巡礼路は今朝乗ったバス道を右左とまたぎながらのルートです。バス道を通るのが合理的そうで、もどかしいです。
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途中で道標を見失ってしまいました。最悪。道標が見つける地点まで引き返したら確実に12時には間に合いません。そこで方針変更。国道を歩きます。この道が最短なのかどうかはわかりませんが、少なくとも迷うことなくサンティアゴまで連れて行ってくれるのは確かです。それに舗装路だから小走りできます。交通量の多い国道の側道は通りたくないけれど、ここは腹を決めました。
走って息が苦しくなったら早歩き。呼吸が元に戻ったらまた走る。これを繰り返しました。こんなに苦しい思いをしてまで、どうして僕は急いでいるのでしょうか。自分でもよくわかりませんでした。ただ、ひとつだけ思っていたことがあります。
“寝坊して12時のミサに間に合わなかったなんて最低!” -
11時30分。なんと、ミサの30分も前にサンティアゴ大聖堂に到着しました。これにはびっくりです。国道が相当の近道だったのだと思います。そうでなければ説明がつきません。
Sigueiro〜Santiago de Compostela 16.5km -
大聖堂の守護神ヤコブ像。4日前にもお目にかかっているのに、より神々しく感じました。
ミサに参加します。4日前は正面左手の席に座りましたが、今回は正面のブロックに座りました。後方だったけれど、席が確保できました。今日もボタフメイロの儀式が執り行われるようです。この儀式を見るならば左右のブロックがいいですが、つい先日見たばかり。今回は正面のブロックからミサの進行をしっかり見て、カミーノ達成の喜びを感じたいと思います。 -
ミサが始まりました。厳粛なミサですが、その最中も観光客が出入りできるので、どうしてもワサワサした雰囲気になってしまいます。それでも僕にとっては特別なミサ。やっぱり、苦労して歩いて出席するミサはひと味もふた味も違うのです。
12時50分、ボタフメイロの儀式が始まりました。すると、前の列の一段が立ち上がり、壁のようになって見えなくなってしまいました。しかも、香炉が振られている間、最初から最後まで立ちっぱなし。前の人達、ちょっと配慮なさすぎ。 -
これがボタフメイロで振られる香炉
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香炉は天井に取り付けられた滑車から伸びるロープにくくりつけられます。ロープの反対側を10人程の人が引っ張って揺らすのです。
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天井には勢い余って振られた香炉がぶつかった跡が残っています。
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ボタフメイロの儀式がない場合は香炉のかわりに梅干しみたいなものがぶら下がっています。(過去に撮影した写真から)
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このあと、巡礼事務所に行き歩行証明書をもらいました。巡礼証明書が100km以上歩いた巡礼者に発行されるものなのに対し、歩行証明書は100km以上歩いた旅行者に対し発行されるものです。その違いは歩行の目的が宗教目的かどうかということ。
巡礼事務所で証明書の申請をする際にその目的を記すのですが、『宗教』『宗教&文化』『文化』の中から三択で丸をつけるようになっている。この時、『文化』を選ぶと、この歩行証明書が発行されます。巡礼者のほとんどはたとえ観光であっても巡礼証明書を欲しがるので『宗教&文化』を選ぶのですが、僕は既に銀の道を歩いて巡礼証明書をもらったので、ここはあえて歩行証明書をもらいました。歩行証明書を希望する人は全体の7%。また、遠く離れた日本からでかけてわざわざ歩行証明書を希望する人は少ないでしょうから、結構レアなんじゃないかと思います。 -
まとめ
①期間:37日間
銀の道:2016年5月15日~6月16日(33日間)
イギリス人の道:6月17日~20日(4日間)
②距離:1092.9km
銀の道:971.3km
イギリス人の道:121.6km
*距離については参照するガイドブック等で随分と異なる。銀の道を1,000km超と書いているものもあって、どれが正しいのかよくわかりません。イギリス人の道はほぼ120kmで統一されているようです。
③費用:749.5ユーロ+5ポンド(95,365円/現金は現地通貨入手に要した円貨額、クレジットカード払は円貨請求額)
宿泊:274ユーロ(食事付の宿はこれを含)
飲食:397.1ユーロ
交通:13.35ユーロ(サンティアゴ→フェロル/サンティアゴ⇔シグエイロ)
入場料:39.5ユーロ(教会5ヶ所、メリダローマ劇場、サラマンカアールヌーボー博物館)
その他:25.55ユーロ+5ポンド(ガイドブック、クレデンシャル、ミサでの寄付、コインロッカー、他)
④感想
銀の道
雨季は水、夏は暑さ、冬は寒さが悩ましい。歩く時期によって感じる難易度が大きく違うと思う。道は山越峠越が多く、また30km宿泊施設がない区間もあるのである程度の体力は要する。他のサンティアゴ巡礼路を経験してから挑戦した方がベター(事実、出会った巡礼者のほぼ全員が他の道の巡礼経験者だった)。
銀の道の素晴らしさは風景がバラエティに富んでいること。草原、平原、川、森、農家の敷地など。標高差と緯度差があるので表情豊かである。
また歩きたいかと聞かれると…是非、もう一度歩きたいと思っている。
イギリス人の道
距離が120kmと手頃。コース全体に標高差はないが、こまかいアップダウンはある。意外と舗装路区間が多く、半分以上アスファルトだったような印象がある。
また歩きたいかと聞かれると…まあ、歩いてもいいかなっていう程度。
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この旅行記へのコメント (2)
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- おくさん 2021/07/16 07:04:05
- シグエイロ
- こんにちは。私も2016年の7月にイギリス人の道を歩きました。シグエイロは災難でしたね。私は7月なのに何とか泊まれたので、たまたま運が悪かったのだと思います。写真にあった「売ります」看板の家は、実はもぐりのアルベルゲです。
2019に歩いた時はシグエイロにアルベルゲは増えていて、五軒ほどありました。銀の道は短期間で歩けるので帰りの飛行機の日程調整にピッタリですよね。
http://m.gmobb.jp/zav14930.value/2016Camino%20Ingres/Ingres5.htm
- おくさん からの返信 2022/06/15 09:34:11
- Re: シグエイロ
- 今頃また読み返して間違いに気づきました。
銀の道が短期間のはずないですよね。
イギリス人の道の間違いです。
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