2016/08/07 - 2016/08/07
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nakaohidekiさん
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これは江戸時代にあった防災の話である。
紀州藩有田郡広村の庄屋の主、濱口五兵衛は、夜中に目が覚めるとふと不穏なものを感じた。何か異様な気配とともに大きな揺れを感じたのである。驚いて家の裏の高台に登ると、家の前の砂浜から海水が一斉に引いていくではないか。これは巨大な津波が来るに違いないと思った五兵衛は、村人たちに異変を知らせるため村中を駆け巡った。しかし燈火はいっさいない深夜である。五兵衛は田畑にあった刈り取ったばかりの稲の束(稲むら)に松明で火を点けた。あちこちで稲むらが燃え上がっると、村人たちは火を見て驚いて飛び出してきた。そこで五兵衛は全員を高台に集め、村人に海を見るように指をさした。すると巨大な津波が村を一斉に飲みこんでいく姿が映ったのである。こうして村人はひとりとして亡くならずに済んだのである。
これは1854年(嘉永7年/安政元年)の安政南海地震津波に際しての出来事であった。以後、五兵衛は私財を投じて津波から村を守る防波堤なども造ったのである。この防波堤は現在も残っている。
五兵衛の功績を記念して2007年に津波防災教育センターとして『稲むらの火の館』が完成した。今日はここへ行ってみた。今後来ると思われる南海地震や東南海地震や津波について学ぶことができた。
近くには、日本最古の中学校、耐久舎もある。
1852年、嘉永5年に濱口梧陵(五兵衛改め)等が剣術と漢学を学ぶ学校として建てた学校である。明治に入り和歌山県はここを和歌山県立耐久中学校とし、その後は現在の和歌山県立耐久高等学校へと受け継がれている。五兵衛が造った防波堤の下に、その耐久舎はあるのである。
- 旅行の満足度
- 3.5
- 観光
- 3.0
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 1万円未満
- 交通手段
- 自家用車 徒歩
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