2016/07/01 - 2016/07/01
3位(同エリア54件中)
かっちんさん
明治時代に高畠(たかはた)は製糸業の操業を始め、大正11年に奥羽本線糠ノ目(ぬかのめ、現JR高畠)〜高畠5.2kmを結ぶ高畠鉄道が誕生しました。
その後、山形交通高畠線となり農作物・製糸・鉱石など、輸送の役割を担い、昭和49年廃止まで地域の発展に貢献しました。
今日は、高畠線跡を整備した「まほろばの緑道」をレンタサイクルで走り、旧高畠駅の駅舎・駅施設、保存車両などを見学します。
地元産「高畠石」を用いた昭和初期の駅舎は重厚な造りで、その美しい建物から2016年の国登録有形文化財(建造物)に決定しています。
また、高畠には童話作家の浜田広介記念館があり、心優しい赤おにが出迎えてくれます。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 交通
- 5.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 新幹線 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
イチオシ
JR高畠駅
「赤おに」が駅でお出迎え。
高畠町は米沢と山形の間に位置しています。 -
山形新幹線のお見送り
東京から乗ってきた新幹線とお別れします。 -
JR高畠駅舎
お城のような建物の駅です。
ここは明治33年に奥羽本線「糠ノ目(ぬかのめ)」駅として開業し、平成3年にJR高畠駅に改称されました。
また、大正11年糠ノ目駅から高畠駅まで5.2km間に高畠鉄道が開業し、その後二井宿まで延伸、昭和4年に電化しました。
昭和18年から山形交通高畠線となり、昭和49年に廃止されました。 -
温泉のある高畠駅
駅舎に温泉施設「太陽館」があり、入浴料が300円です。
駅に続いているJRホテル「フォルクローロ高畠」の宿泊者は、無料で温泉を利用できます。 -
高畠周辺の地図
山形交通高畠線の線路跡は「まほろばの緑道」として整備され、自転車道になっています。
途中には、童話作家の「浜田広介記念館」、二つの駅跡、石造りの駅舎が残る「旧高畠駅」、昭和縁結び通りなどがあり、吉の里歴史公園・三重塔に続いています。 -
山形交通高畠線糠ノ目駅跡
駅にある観光案内所でレンタサイクル(1日利用料金800円)を借り、旧高畠駅へ向かいます。
JRホームの隣には、山形交通高畠線の糠ノ目駅がありました。 -
まほろばの緑道
では、出発します。 -
奥羽本線とお別れ
しばらくすると、緑道は東へ向かいます。 -
通学にも利用されている緑道
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4方向に山々が見える景色
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赤湯温泉と蔵王連峰
この日は東の方向に蔵王連峰だけ見えました。 -
童話作家の浜田広介記念館
駅から自転車に乗り、10分で到着。
本館展示室とドーム型の「ひろすけホール」が見えます。 -
赤おにの家の立札
童話「泣いた赤おに」にでてくる一節です。
心の優しい鬼の家です。
どなたでもおいでください。
美味しいお菓子がございます。
お茶も沸かしてございます。 -
ひょうきんな赤おに
本館玄関で挨拶している赤おにです。
休館日は毎週月曜日、入館料は500円です。
童話の作品と生い立ちの資料が展示され、童話がビデオで放映されています。 -
広介生家
庭園に生家があり、見学できます。
江戸時代末期に建築された木造茅葺平屋建ての農家造りで、広介が明治28年に生まれてから米沢中学校に入学するまで住んでいました。
屋根の中央に煙抜きの破風があります。
この建物は平成12年に移築・復元されたものです。 -
「泣いた赤おに」に登場する赤おにと青おにの表札
童話のストーリーは、青おにが故意に人間に意地悪しているところを、赤おにが青おにをこらしめ、赤おにが人間と仲良くなっていきます。 -
建物の内部
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再び緑道を走ります
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高畠線当時の橋脚
浜田広介記念館の先にある橋です。 -
一本柳駅跡
糠ノ目駅から一つ目の駅でした。 -
田園地帯
浜田広介と学友が屋代学校へ通ったあぜ道です。 -
竹ノ森駅跡
二つ目の駅で、ホームが残っています。 -
風に揺れるヤナギの木
そろそろ果樹園地帯です。 -
ラ・フランス
フランス生まれの山形育ち、高畠町がメッカです。 -
日向ぼっこしているライオン
緑道にはライオンや他の動物(置き物)がくつろいでいます。 -
デラウェア
デラウェアは高畠町が全国一の生産地です。 -
イチオシ
旧高畠駅舎
JR高畠駅から自転車で30分、5.2kmのところに突然駅舎が現れます。 -
城壁のような駅舎
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石造りの駅舎
地元特産の高畠石を用いて昭和9年に旧高畠駅が建てられました。
この駅舎に使われているのは、高畠の瓜割丁場の石です。 -
山形交通高畠営業所
明治期に高畠でも長谷川製糸や片倉製糸などが操業を始め、大正11年高畠鉄道(糠ノ目〜高畠)が誕生しました。
昭和18年から山形交通高畠線として、米、果樹、乳製品、製糸、木材、鉱石などの輸送が盛んに行われ、人々の足にもなりました。
やがてトラック輸送の時代が訪れ、昭和49年に廃止されました。 -
木枠の上下窓
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駅舎の玄関
通常は鍵が掛けられ、中には入れません。 -
赤く錆びたバス停
鉄道廃止後、代替する山交バス「高畠待合所」として利用されていました。 -
改札口と駅構内
窓から駅舎内を覗いています。 -
運賃表
昭和49年以前(廃止前)の運賃表です。
国鉄路線だけでなく、庄内交通湯野浜線(昭和50年廃止)、山形交通三山線(昭和49年廃止)、山交バスなどの運賃が案内されています。 -
イチオシ
電車が停車している旧高畠駅
今でも動いているみたいです。 -
広い駅構内跡
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イチオシ
石造りの変電所
交流電源入力を直流に変換する変電所です。
昭和4年に鉄道が電化されたので、その頃に高畠石を用いて造られました。 -
変電所外側の壁
絶縁用碍子が見えるので、ここから電線が出ていたのでしょう。 -
イチオシ
アーチ型のトンネル
階段で少し下がった位置にあります。 -
アーチ型のトンネル正面
この場所に電車の検修庫があったので、部品などを保存していたのでしょうか?
説明板がなく、詳細がわかりません。 -
映画「64−ロクヨン」のロケ地
平成27年にこの駅で撮影がありました。 -
駅舎とつながるホーム屋根
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高畠線の保存車両
現在は塗装の剥がれもなく、綺麗な状態で保存されています。 -
電車モハ1
昭和4年日本車輌製の電車デハニ1(客室+荷物室)が導入され、昭和34年にモハ1(客室のみ)に更新されました。 -
乗務員ドアの前に小窓
反対側の運転室(ひとつ前の写真)と比べると、小窓が1つ多く違和感があります。
デハニ1当時の写真を調べてみると、運転室に小窓が2つ、次に荷物ドアと旅客ドアがありました。
モハ1への更新時は、2つ目の小窓を乗務員ドアに改造、旅客ドアを窓に改造、もともとあった荷物ドアを旅客ドアにしたと思われます。 -
電車の車内
ロングシートの座席です。 -
静かに佇むモハ1
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イチオシ
大きな目の黒い電気機関車
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凸形電気機関車ED1
昭和4年川崎車輌製の電気機関車です。
凸形は運転台がひとつで前進後進できるメリットがあります。 -
高畠で活躍した山形交通の車両たち
高畠町の発展に貢献してきた高畠線と美しい建物の駅舎、永い間ご苦労様でした。
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