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週明け前の日曜日。久々に関西本線に乗り三郷で降りる。龍田大社の風鎮大祭に行く。花火は9時から。汗だくになり家に帰ったのは夜11時半であった。<br />  この風鎮(ふうちん)大祭は風しずめのまつりとされ、風水害、凶作、疫病が流行しこれらを鎮める為に風の神を龍田に祀りお祭りが行われたのが最初です。歴史は古く675年には国の祭りとして行われていたと日本書紀に記されています。砂かけ祭りの行われる広瀬神社の水神が水による生産の神であるのに対し、龍田大社の風神は悪風を防ぐとともに、荒雨を防ぎ、国家を鎮める神として祭られ対になっています。<br />  もともと日本は稲作文化が中心で、古代の人々は台風や水害の被害に遭えばたちまち生きることができないのです。だからこそ風水害を避け、豊作になってくれることを祈っていたのでしょう。<br /> 夜9時からはいよいよクライマックスの奉納花火です。あらかじめ、花火で燃えないように周辺を散水車で濡らしています。手筒花火をもった官司さんが筆頭になり次々と花火を点火します。<br />  見学は危ないので少し離れた場所からになります。この花火は一般でも参加でき、この時に募集しますが、男は上半身裸になる必要があります。服着ると焦げてたり燃え移ったりして危ないそうです。この火の粉はほとんど熱くないようですが、汗かいていてそこにあたると熱いそうです。女性は白装束を借りていました。<br /><br /><br />龍田大社(たつたたいしゃ)は、奈良県生駒郡三郷町立野南にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。<br /><br />旧称は「龍田神社」。風の神(風神)として古くから信仰を集める。<br /><br />祭神<br /><br />祭神は次の2柱。<br /><br />天御柱命(あめのみはしらのみこと)<br />国御柱命(くにのみはしらのみこと)<br /><br />龍田の風神と総称され、広瀬の水神と並び称された。同社の祝詞などでは、天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととされている。<br /><br />歴史<br /><br />『延喜式』祝詞の「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたという。<br /><br />国史では、天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀ったと『日本書紀』の記述が初見である。<br /><br />延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国平群郡に「竜田坐天御柱国御柱神社二座 並名神大 月次新嘗」として、二座が名神大社に列するとともに朝廷の月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。<br /><br />明治維新後、明治4年(1871年)に近代社格制度において「龍田神社」として官幣大社に列した。<br /><br />紅葉の名所としても有名である。摂社・龍田比古龍田比売神社の祭神である龍田姫は秋の女神とされ、古来より多くの歌に詠まれてきた。<br /><br />風鎮大祭<br /><br />例大祭と同じ意味合いのお祭りで、年間祭事中、最も重儀です。<br /> 行事は祭日1週間前から前日までの、1日2度の御饌祭(みけさい)*に始まり、結願日(けちがんび)である7日目に風鎮大祭が行われます。祭典後には、剱舞や民踊などの神賑奉納行事が行われ、火のごちそうである「風神花火」をお供えし風鎮大祭の締めくくりとなります。<br /> *御饌祭:朝食・夕食をお供えすること<br /><br />当日予定<br /><br />風鎮大祭詳細 神賑行事予定<br /><br />居合剱詩舞道奉納(午後2時〜3時):<br /> 柳生新陰流の「居合」の静から動への一瞬の気迫と、日本水華流の「剱舞」華麗なる動きには目を奪われます。<br /><br />家内安全龍田神楽奉奏(午後1時〜4時):<br /> 家内安全・商売繁盛をご祈願するお神楽をお受けいただけます。<br /><br />安岐風神太鼓奉納(午後5時〜6時):<br /> 岐阜県中津川市鎮座風神神社に伝わる風神太鼓の奉納。<br /><br />風神太鼓奉納(午後6時半〜7時):<br /> 当社に伝わる風神太鼓の奉納。<br /><br />河内音頭・民踊奉納(午後7時半〜9時):<br /> 拝殿前広場に立てられた提灯を中心にして、三音会の音頭に合わせた賑やかな民踊が繰り広げられます。参加は自由になりますので皆様も進んで踊りの輪に加わって下さい。<br /><br />風神花火奉納(午後9時〜10時):<br /> 神様に火のごちそうである「風神花火」を奉納します。花火の力強くも美しいさまは見るものを引き付けます。ご希望の方は風神花火を持つことも可能です。<br />さて妄想へ 著者注)<br />本紀行は、写真撮影記に私の妄想が入り、過去の人物などが出る事があります。入江:入江泰吉 土門:土門拳 佐藤:佐藤義清 楠木:楠木正成<br /> 三郷の駅を降りるといかつい男が待っていた。<br />楠木さんである。<br />私「今日はおひとりですか」<br />楠木「今日は、わいがお相手するやんけ」<br />

4トラ初になろう 風鎮大祭 奈良三郷町 龍田大社 これも奇祭だと思う。

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2016/07/03 - 2016/07/03

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bakaneko

bakanekoさん

週明け前の日曜日。久々に関西本線に乗り三郷で降りる。龍田大社の風鎮大祭に行く。花火は9時から。汗だくになり家に帰ったのは夜11時半であった。
 この風鎮(ふうちん)大祭は風しずめのまつりとされ、風水害、凶作、疫病が流行しこれらを鎮める為に風の神を龍田に祀りお祭りが行われたのが最初です。歴史は古く675年には国の祭りとして行われていたと日本書紀に記されています。砂かけ祭りの行われる広瀬神社の水神が水による生産の神であるのに対し、龍田大社の風神は悪風を防ぐとともに、荒雨を防ぎ、国家を鎮める神として祭られ対になっています。
 もともと日本は稲作文化が中心で、古代の人々は台風や水害の被害に遭えばたちまち生きることができないのです。だからこそ風水害を避け、豊作になってくれることを祈っていたのでしょう。
夜9時からはいよいよクライマックスの奉納花火です。あらかじめ、花火で燃えないように周辺を散水車で濡らしています。手筒花火をもった官司さんが筆頭になり次々と花火を点火します。
 見学は危ないので少し離れた場所からになります。この花火は一般でも参加でき、この時に募集しますが、男は上半身裸になる必要があります。服着ると焦げてたり燃え移ったりして危ないそうです。この火の粉はほとんど熱くないようですが、汗かいていてそこにあたると熱いそうです。女性は白装束を借りていました。


龍田大社(たつたたいしゃ)は、奈良県生駒郡三郷町立野南にある神社。式内社(名神大社)、二十二社(中七社)の一社。旧社格は官幣大社で、現在は神社本庁の別表神社。

旧称は「龍田神社」。風の神(風神)として古くから信仰を集める。

祭神

祭神は次の2柱。

天御柱命(あめのみはしらのみこと)
国御柱命(くにのみはしらのみこと)

龍田の風神と総称され、広瀬の水神と並び称された。同社の祝詞などでは、天御柱命は級長津彦命(男神)、国御柱命は級長戸辺命(女神)のこととされている。

歴史

『延喜式』祝詞の「龍田風神祭祝詞」によれば、崇神天皇の時代、数年に渡って凶作が続き疫病が流行したため、天皇自ら天神地祇を祀って祈願したところ、夢で天御柱命・国御柱命の二柱の神を龍田山に祀れというお告げがあり、これによって創建されたという。

国史では、天武天皇4年(675年)4月10日に勅使を遣わして風神を龍田立野に祀り、大忌神を広瀬河曲に祀ったと『日本書紀』の記述が初見である。

延長5年(927年)成立の『延喜式』神名帳では大和国平群郡に「竜田坐天御柱国御柱神社二座 並名神大 月次新嘗」として、二座が名神大社に列するとともに朝廷の月次祭・新嘗祭で幣帛に預かった旨が記載されている。

明治維新後、明治4年(1871年)に近代社格制度において「龍田神社」として官幣大社に列した。

紅葉の名所としても有名である。摂社・龍田比古龍田比売神社の祭神である龍田姫は秋の女神とされ、古来より多くの歌に詠まれてきた。

風鎮大祭

例大祭と同じ意味合いのお祭りで、年間祭事中、最も重儀です。
行事は祭日1週間前から前日までの、1日2度の御饌祭(みけさい)*に始まり、結願日(けちがんび)である7日目に風鎮大祭が行われます。祭典後には、剱舞や民踊などの神賑奉納行事が行われ、火のごちそうである「風神花火」をお供えし風鎮大祭の締めくくりとなります。
*御饌祭:朝食・夕食をお供えすること

当日予定

風鎮大祭詳細 神賑行事予定

居合剱詩舞道奉納(午後2時〜3時):
柳生新陰流の「居合」の静から動への一瞬の気迫と、日本水華流の「剱舞」華麗なる動きには目を奪われます。

家内安全龍田神楽奉奏(午後1時〜4時):
家内安全・商売繁盛をご祈願するお神楽をお受けいただけます。

安岐風神太鼓奉納(午後5時〜6時):
岐阜県中津川市鎮座風神神社に伝わる風神太鼓の奉納。

風神太鼓奉納(午後6時半〜7時):
当社に伝わる風神太鼓の奉納。

河内音頭・民踊奉納(午後7時半〜9時):
拝殿前広場に立てられた提灯を中心にして、三音会の音頭に合わせた賑やかな民踊が繰り広げられます。参加は自由になりますので皆様も進んで踊りの輪に加わって下さい。

風神花火奉納(午後9時〜10時):
神様に火のごちそうである「風神花火」を奉納します。花火の力強くも美しいさまは見るものを引き付けます。ご希望の方は風神花火を持つことも可能です。
さて妄想へ 著者注)
本紀行は、写真撮影記に私の妄想が入り、過去の人物などが出る事があります。入江:入江泰吉 土門:土門拳 佐藤:佐藤義清 楠木:楠木正成
三郷の駅を降りるといかつい男が待っていた。
楠木さんである。
私「今日はおひとりですか」
楠木「今日は、わいがお相手するやんけ」

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  • 龍田大社、龍田神社とも言います。<br />楠木「この前、木津のほう行き張ったのに、声もかけてくれんで殺生な話や」<br />私「かんにんや」

    龍田大社、龍田神社とも言います。
    楠木「この前、木津のほう行き張ったのに、声もかけてくれんで殺生な話や」
    私「かんにんや」

  • ここで盆踊りと花火が行われます。

    ここで盆踊りと花火が行われます。

  • ああ盆踊りが始まる。ここから現地語で<br />私「わかったで。おんどれなんででてきよったんや思たら河内音頭け」<br />翻訳 わかりました。あなたが出てきた理由は河内音頭ですね<br /><br />楠木「おお!!せやんけわれ。ようわかっとるのう」<br />翻訳 はいそうです。よくおわかりになられましたね。<br /><br />私の河内音頭といえば、<br />https://youtu.be/YXErH02VMEw

    ああ盆踊りが始まる。ここから現地語で
    私「わかったで。おんどれなんででてきよったんや思たら河内音頭け」
    翻訳 わかりました。あなたが出てきた理由は河内音頭ですね

    楠木「おお!!せやんけわれ。ようわかっとるのう」
    翻訳 はいそうです。よくおわかりになられましたね。

    私の河内音頭といえば、
    https://youtu.be/YXErH02VMEw

  • まるで河内のおっさんの唄。なかなか年寄りやないとこんなしゃべりかたはしません。

    まるで河内のおっさんの唄。なかなか年寄りやないとこんなしゃべりかたはしません。

  • 私「おお!!べっぴんやぞ」<br />翻訳 なんときれいなお嬢さんでしょうか<br /><br />楠木「ほんまやんけ。われいったれや」<br />翻訳 ほんとうですね。あなたがお声をかけたらどうでしょうか<br /><br />私「もうあかん。歳」や」<br />翻訳 もう私も歳をとりそんなことはできません

    私「おお!!べっぴんやぞ」
    翻訳 なんときれいなお嬢さんでしょうか

    楠木「ほんまやんけ。われいったれや」
    翻訳 ほんとうですね。あなたがお声をかけたらどうでしょうか

    私「もうあかん。歳」や」
    翻訳 もう私も歳をとりそんなことはできません

  • しかし河内音頭を連続聞くとは思わんかった。<br />河内音頭(かわちおんど)は、大阪府下北 - 中河内地域を発祥とする伝統的な河内音頭、及びその音頭をアレンジさせた、近代・現代河内音頭をいう。大阪では河内地域以外でも盛んに盆踊りなどで踊られ、その曲目は全国的に愛聴されている。<br /><br /> ここで<br />伝統的な祭文音頭と、今日一般的に知れ渡れるようになった、現代の河内音頭と呼ばれる音頭は節回し(曲調)が大きく異なる。<br /><br />明治初期からに北河内一円で活躍した『初代歌亀』(1845-1915 河内国野口村-現在の大阪府門真市出身、本名中脇久七)[1]を名乗る音頭取りが、西洋音階が本格的に日本に入る10数年前にそれまで短調(minor)で唄われていた音頭を偶然部分的に長調(major)で唄いだしたのが現在の河内音頭の原型だとされ、成立は明治中期と推定されるが、はっきりしたことは諸説があり不明であり、大正〜昭和初期に録音されたSPレコードなどに残されている『正調河内音頭』は極めて現在の交野節・江州音頭などに酷似した節を取っている。<br /><br />大正末期頃まで近畿地域で盛んに歌われ、踊られていたのは、滋賀の東近江(八日市)発祥の音頭である江州音頭や、伊勢の伊勢音頭であった。<br /><br />そして江州音頭は明治中期頃に千日前界隈の寄席では落語や音曲と並んで人気の演目となった。<br /><br />大正中期には平野節の初音家太三郎(初音家初代宗家)が登場し、従来唄われてきた河内音頭を大幅にアレンジし、現在に繋がる節回しやお囃子が誕生した。この太三郎の編み出した、新しい河内音頭も寄席の演目として人気を博すようになった。<br /><br />寄席小屋で興行として演じられる様になると、益々江州音頭や浪曲などの諸芸と融合・影響を受け、河内音頭が飛躍的に変革・発展を遂げていく。<br />

    しかし河内音頭を連続聞くとは思わんかった。
    河内音頭(かわちおんど)は、大阪府下北 - 中河内地域を発祥とする伝統的な河内音頭、及びその音頭をアレンジさせた、近代・現代河内音頭をいう。大阪では河内地域以外でも盛んに盆踊りなどで踊られ、その曲目は全国的に愛聴されている。

     ここで
    伝統的な祭文音頭と、今日一般的に知れ渡れるようになった、現代の河内音頭と呼ばれる音頭は節回し(曲調)が大きく異なる。

    明治初期からに北河内一円で活躍した『初代歌亀』(1845-1915 河内国野口村-現在の大阪府門真市出身、本名中脇久七)[1]を名乗る音頭取りが、西洋音階が本格的に日本に入る10数年前にそれまで短調(minor)で唄われていた音頭を偶然部分的に長調(major)で唄いだしたのが現在の河内音頭の原型だとされ、成立は明治中期と推定されるが、はっきりしたことは諸説があり不明であり、大正〜昭和初期に録音されたSPレコードなどに残されている『正調河内音頭』は極めて現在の交野節・江州音頭などに酷似した節を取っている。

    大正末期頃まで近畿地域で盛んに歌われ、踊られていたのは、滋賀の東近江(八日市)発祥の音頭である江州音頭や、伊勢の伊勢音頭であった。

    そして江州音頭は明治中期頃に千日前界隈の寄席では落語や音曲と並んで人気の演目となった。

    大正中期には平野節の初音家太三郎(初音家初代宗家)が登場し、従来唄われてきた河内音頭を大幅にアレンジし、現在に繋がる節回しやお囃子が誕生した。この太三郎の編み出した、新しい河内音頭も寄席の演目として人気を博すようになった。

    寄席小屋で興行として演じられる様になると、益々江州音頭や浪曲などの諸芸と融合・影響を受け、河内音頭が飛躍的に変革・発展を遂げていく。

  • 言葉を穏やかにして<br />私「花火の奉納始まりまっせ。」<br />楠木「たのしみやね」

    言葉を穏やかにして
    私「花火の奉納始まりまっせ。」
    楠木「たのしみやね」

  • いきなりどかーんと

    いきなりどかーんと

  • さていよいよ人間が持つ花火が登場です。

    さていよいよ人間が持つ花火が登場です。

  • 楠木「こりゃ熱いやろ」

    楠木「こりゃ熱いやろ」

  • 点火

    点火

  • ますます燃える

    ますます燃える

  • 大体は3人で花火を2本

    大体は3人で花火を2本

  • こんな感じで、火をつけにくる

    こんな感じで、火をつけにくる

  • いよいよ点火

    いよいよ点火

  • 火花が飛ぶ

    火花が飛ぶ

  • 素晴らしい

    素晴らしい

  • アップで

    アップで

  • おお、何やら神々しい

    おお、何やら神々しい

  • ちょっと止まって

    ちょっと止まって

  • やがて燃え出す

    やがて燃え出す

  • ドカンと

    ドカンと

  • 燃え尽きる最後にドカンと爆発します。<br />下に火が飛んでいます。

    燃え尽きる最後にドカンと爆発します。
    下に火が飛んでいます。

  • これが全景です

    これが全景です

  • にいちゃん。モンモン入っている。奈良やなあ・・・・

    にいちゃん。モンモン入っている。奈良やなあ・・・・

  • さあさあ見ものの4発打ち

    さあさあ見ものの4発打ち

  • 真ん中2本

    真ん中2本

  • サイド2本

    サイド2本

  • 4本点火

    4本点火

  • やっぱり奇祭やろ

    やっぱり奇祭やろ

  • また4本

    また4本

  • 楠木「男らしいやないけ」<br />私「なにやら中国雑技団みたいに思えてきた」

    楠木「男らしいやないけ」
    私「なにやら中国雑技団みたいに思えてきた」

  • 夜に高々と奉納花火が上がります。

    夜に高々と奉納花火が上がります。

  • アップ

    アップ

  • 熱い。

    熱い。

  • 火のシャワー

    火のシャワー

  • 同じ位置から撮るのんあきてしもた

    同じ位置から撮るのんあきてしもた

  • 人の頭越し

    人の頭越し

  • 親切なおばちゃんに前に入れてもらいました

    親切なおばちゃんに前に入れてもらいました

  • こうして花火を持つ

    こうして花火を持つ

  • 点火

    点火

  • おねえちゃんも<br />せやけどあついて叫んでた

    おねえちゃんも
    せやけどあついて叫んでた

  • 花火の方向を修正

    花火の方向を修正

  • 楠木「鎌倉方に使えるな。火の海にしたろ」

    楠木「鎌倉方に使えるな。火の海にしたろ」

  • ラストの ナイアガラ点灯 9時45分くらい

    ラストの ナイアガラ点灯 9時45分くらい

  • どどんと火花が落ちてきます

    どどんと火花が落ちてきます

  • 楠木「これや。千早城でつこたろ」

    楠木「これや。千早城でつこたろ」

  • 最後の点火

    最後の点火

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