2014/05/29 - 2014/06/01
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Dwind_999さん
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大連から北東へ約300km、鴨緑江(おうりょくこう)を挟んで北朝鮮との国境にある辺境の町、丹東。
かつて安東と呼ばれていたこの地は、日清戦争(1894年7月から1895年3月)の後に、新義州市とともに軍事目的で日本が作った町。
鴨緑江の対岸は北朝鮮の新義州市で、その繁栄の差を間近に見ることができます。
- 同行者
- 一人旅
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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5月29日(木)の朝、白玉山塔を見学した後、2泊した旅順の宿をチェックアウトして旅順バスターミナルに来ました。
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旅順バスターミナルから10時半出発のバスに乗り大連に戻ります。
運賃は7元(\119)。 -
旅順からのバスは約1時間半で大連駅北口前の站北広場に到着。
バスを降りてすぐ近くの「大菜市」そばにある羊の串焼きの店に直行。
1本3元で食べたこの店、3度目のこの時はなぜか1本2元(\34)でした。 -
5本の串焼きをばらしてパンにはさんで食べました。
あまり美味しいものに巡り合わなかった今回の旅、その中でこの羊の串焼きは私のお気に入り。 -
羊肉の串焼きをいただいたあと、站北広場を通って大連駅南口へ抜ける「宏孚橋」のところに来ました。
相変わらずの賑わいをみせています。 -
次の目的地、丹東へ行く前に大連で1泊するため、また同じ「日月潭大酒店(サン・ムーン・レイクホテル)」にチェックイン。
今度はスムーズにチェックインできて良かった。
最初の時とは反対の北向きの13階にある部屋で料金は同じ158元(\2686)。
デポジット(押金:ヤージン)を含め300元を支払いました。 -
部屋の窓からは真下に鉄道線路と向こうには大連港が見えます。
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ホテル近くの超市(コンビニのようなもの)で調達してきた品々。
水1.5Lが2.5元(\43)、コークが3元(\51)、ビール600mlが3元(\51)、アイスクリームが4.5元(\77)。合計13元(\221)。
ビールよりもアイスクリームの方が高い。 -
天津街で買って食べた栗餅(餅というより饅頭)。
人気があるようで焼き立てがどんどん売れていきます。 -
1つ2元(\34)で2ついただきましたが、作り立てのまだ暖かいこの栗餅、安い値段の割になかなか美味しかったです。
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そしてロシア風情街に来ました。
陽が沈む頃になると、やっぱり羊肉の串焼き。ロシア風情街 旧市街・古い町並み
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というわけで、串焼き6本とビール。
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夕暮れ前のロシア風情街。
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大連のあちこちで見かけるサクランボを売る露店。
大連サクランボ祭もあるくらいで、春の味覚として人気があるようです。
一粒一粒、きれいに重ねてカゴに盛っているのがすごい。 -
大連駅北口の広場では、やはり夜になると踊りを楽しむ人たちが繰り出していました。
ここでは社交ダンスをしている人が多かった。 -
5月30日(金)、大連の勝利広場横のバスターミナルから9時発の丹東行きバスに乗ります。
運賃99元(\1683)。
切符売り場の前に表示されている料金は83元だったので、購入時に金額が違うと一悶着ありましたが、なんと燃油代として16元加算されるとのことでした。
まるで飛行機並みですね。
車内はほぼ満席。数日前に切符を買っていてよかった。 -
大連から50分ほど走った高速道路上でバスが故障してしまい、しばらくバスの中で待機したあと代替えのバスに乗り換えることになりました。
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バスの故障もあって1時間遅れの、所要約5時間で丹東駅前に無事到着。
丹東駅前に建つ毛沢東の像。 -
丹東駅の切符売り場で後日乗車する列車の切符を購入しておくことにしました。
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大連などの大都市の切符売り場に比べるとそんなに混んでいないようなので、少し並んで待つだけで購入できました。
行き先と希望する日にちや列車、座席の種類などをあらかじめ紙に印刷しておいたので、窓口でそれを見せるだけ。
空席がないことも想定して第一希望、第二希望も書いていましたが、瀋陽北から長春へ向かう列車は第二希望の座席しか取れませんでした。
他の都市から乗車する切符を予約購入する場合、異地費として別途5元(\85)の支払いが必要。
割と人が少なくて購入しやすいこともあり、後日、長春からハルビンとハルビンから瀋陽北の切符もここで購入を済ませました。 -
中国の旅行予約サイト「Ctrip(シートリップ)」から予約していた「丹東Life's Bussines Hotel(丹東莱弗仕商務快捷酒店)」に入ります。
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チェックイン時に、3泊分の564元を支払いますが、例の押金(ヤージン)を含め1200元を請求されました。
デポジットの方が宿泊料金より高いとはビックリ。 -
1泊188元(\3196)の5階のBusiness Standard Room。
居心地は悪くなかったですが、ホテル外観の印象と違い、一番安いこの部屋は何だか古びた感じでミニバーもないし、空調も送風だけで冷えない。 -
ホテルから10数分ほど歩いて鴨緑江にやってきました。
対岸は北朝鮮の新義州市で、国境となる鴨緑江をまたぐ全長946.2mの「中朝友誼橋」が架かっています。
下流側を鉄道、上流側を道路が通る鉄道道路併用橋。 -
対岸の北朝鮮・新義州市。
活気のなさを物語るかのように稼働しているのかも疑わしい工場の煙突が立つ、中国側のビル群との対比を鮮明にする鴨緑江沿いの北朝鮮の光景。 -
「中朝友誼橋」の右横には、朝鮮戦争時にアメリカ軍の爆撃によって一部破壊された橋が観光用に「鴨緑江断橋」としてそのまま残され、途中まで歩いて行けるようです。
「鴨緑江断橋」はもともと、韓国併合後の1911年(明治44年)に完工した、京義線の「鴨緑江第一橋梁」として日本によって建設された鉄道橋で、鴨緑江を越えて奉天(瀋陽)への列車移動を可能にしていました。鴨緑江断橋 史跡・遺跡
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丹東の観光拠点となっている「中朝友誼橋」辺りの鴨緑江沿いを走る錦江街には、多くの北朝鮮関連のお土産屋、レストランなどが並んでいます。
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北朝鮮との国境の町だけに、北朝鮮レストランもいくつかあるようです。
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朝鮮百貨商店などの朝鮮の特産品やグッズを売る店が並んでいる一角で、ある一軒の店の前に冷蔵ケースに入った缶ビールを見つけたので、冷えたビールが飲めるぞと喜んで購入。
8元(\136)と案外高かった冷え方の足りない330mlの缶ビール、鴨緑江沿いの遊歩道で気持ちの良いそよ風に吹かれながらいただきました。 -
朝鮮風の餅を売る店があったので1つ5元のピーナツ入り餅をおやつ代わりにいただきました。
あんがい美味しかった。 -
「鴨緑江断橋」のたもとに日本軍が造った望楼を兼ねたトーチカが残っています。
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鴨緑江近くの十経路沿いの入り口に「朝韓風情街」と書かれた門を構える、朝鮮系の人が多く住むストリート。
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「朝韓風情街」入り口のすぐ横にある食堂。
表の看板のメニューに炒飯の文字を見つけたので入ってみました。 -
夕時前の17時頃だったので、客は誰もいなくて店のお姉さんが携帯をいじっていました。
用意していた、中国語で書いた「冷たいビールをください」と「焼き飯をください」の紙を見せると頷いたので席に着く。
よく冷えた鴨緑江ビール(580ml,アルコール度数3.3%)が出てきたのは嬉しかった。焼き飯はやはり満足のいくものではないが、ご飯の量は多い。
合計で9元(\153)とかなり安い。ビールは3元(\51)のようでした。 -
丹東駅付近には、観光用に改造した屋根つきの三輪車が何台も停まっています。
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西日を受ける丹東駅前。
ユニークな箱型の三輪車。
いろんな形の乗り合い自動車を目にするけど、車両の保安基準もけっこういい加減なんだろうな。 -
駅前の歩道脇で商いをする屋台のおじさん。
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夕方になると歩道の一角に出現する飲食風景。
丹東の町角のあちこちでこのような光景が見られます。
ケースに入った常温のビールを取り出して飲むのがこちらでは普通のスタイルのようです。 -
常温ビールを飲みながら、貝を焼いたり、串焼きなどをつまんだりする人たち。
ベトナムでもよく目にする光景ですが、例のプラスチックの風呂椅子がこちらのは丸い。 -
陽が沈みかける頃になると、ますますうら寂しさを漂わせる鴨緑江対岸の北朝鮮。
こちら側には近代的なビルが多く活気があるだけに、川を隔てただけでこれほどの違いを目にすると、なおさらそのような印象を受けてしまいます。 -
宿泊しているホテル前の銀杏広場で踊る人たち。
これがおばちゃんたちの元気の秘訣かな。 -
5階の部屋の窓からは、真下にある銀杏広場で踊る人たちの姿が毎夜見られました。
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シャワーを浴びたあとの20時にホテルを出て町歩き。
鴨緑江の橋のところに来ました。 -
ライトアップされた中朝友誼橋。
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鴨緑江沿いには数キロにわたる遊歩道があり、露店や屋台なども出ていつも観光客や地元の人たちで賑わっていますが、夜になるとイルミネーションに彩られていっそう華やかになります。
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夜の鴨緑江沿いを走る錦江街。
北朝鮮レストランの前。 -
5月31日(土)、朝の5時過ぎに起きて丹東駅そばの十緯路にある丹東バスターミナルに来ました。
このバスに乗って丹東の北約25kmにある「虎山長城」へ行きます。
運賃4元(\68)。 -
丹東から虎山長城へのバスは始発の6時から8本あり、復路も同じく8本あるようです。
6:50発のバスに乗り込む。 -
丹東から鴨緑江沿いを北上して約25kmの所にある「虎山長城」そばの幹線道路でバスを降りました。
丹東バスターミナルから約40分。 -
万里の長城の東端の起点とされる虎山長城、現在のは観光用として復元されたもの。
向こうに見える木々に覆われた小山を縫う、アップダウンのある長城を歩きます。
いい運動になりそうだ。 -
チケット売り場窓口で入場料60元(1020円)を払って入ります。
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チケット売り場からこの突き当りの先にある長城入り口の城門まで、かなりの距離がある。
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ようやく長城入り口の城門に来ました。
歴史的な遺構に手を加えて復元した、いわば自然景観と歴史のテーマパークのような趣を見せる虎山長城。
この右横の階段から入っていきます。 -
虎山長城の案内図。
左端の城門から入って、右端の1号砦手前から左に折れ、国境となる川沿いのハイキングコースを進み、「一歩跨」を経て8号砦付近に戻ってきます。 -
外敵を防ぐために明の時代1469年から建造が始まったとされる虎山長城。
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朝一番に入ったのでまだ人が少なく、小鳥のさえずりを耳にしながら石畳の通路をゆっくりと歩いて行きます。
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稜線に沿って延びるアップダウンの長城。
いよいよ急こう配と急な階段が待ち受ける、左上の小山にある3号砦を目指します。 -
虎山長城は入り口の10号から1号までの砦や望楼があり、アップダウンのある長城の道を汗をかきながら上がってきました。
一番高い3号砦付近から見る西北方向の景色。
左端の門のある所がチケット売り場。 -
虎山長城の最高地点となる標高146.3mの3号砦から望む、北方向の光景。
鴨緑江の支流を挟んで右の農地が広がる中州は北朝鮮領。 -
3号砦から見る、東方向の北朝鮮の農地と集落。
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2号砦を出たところから南方向を見る。
この急な石段を下って、下に見える1号砦の少し手前から左に延びるハイキングコースに入ります。 -
1号砦の少し手前から左に折れて、北方向に延びる小川沿いの、ハイキングというにはちょっと無理のある荒れた狭い道を、8号砦の方へ戻っていきます。
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腰をかがめて岩の真下を通ったりする所も何カ所かあって、いささか難儀する。
川向うは北朝鮮。 -
川向こうの北朝鮮ののどかな農村風景を間近に見ながら歩いて行きます。
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北朝鮮の集落。
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吊り橋を渡っていきます。
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幅の狭い小さな川でもやはり国境、有刺鉄線が張り巡らされ監視小屋もあります。
しかしこの辺りはそれほどの緊迫感はないようで、監視員は眠りこけていました。 -
崖下の川沿いの狭い道を上がったり下ったりしながら進んでいく。
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中国兵が警備する、「一歩跨(いっぽまたぎ)」と言われる所に出てきました。
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中国と北朝鮮を隔てる川幅が数メートルしかなく、すぐ渡れることから「一歩跨」と名付けられたそうです。
さすがは「白髪三千丈」の中国、大魔神かウルトラマンならいざ知らず、一歩で跨ぐとはまた大げさなネーミング。
「一歩跨」の小川では地元の女性たちが洗濯するのどかな風景が見られますが、すぐ目の前が北朝鮮という国境地帯だけに中国兵の監視員が銃を構えて警備に当たっていました。 -
「一歩跨」からは山の上に3号砦の望楼が見えます。
<丹東 虎山長城>
https://www.youtube.com/watch?v=t6YtOM9yLC8 -
「一歩跨」に立てられていた、注意を促す看板。
物々交換や麻薬取引など、密輸の禁止。
国境施設の柵を壊してはいけない。
北朝鮮の兵士の写真を撮ってはいけない。
北朝鮮の人に物資を投げてはいけない、として投げている絵には「食品」と書かれており、食べ物が豊富にあるこちら側と困窮する北朝鮮の現実を反映していて面白い。
最近、脱北者が書いた「生きるための選択」と「7つの名前を持つ少女」を読み、その波乱に満ちた逃避行の物語に驚嘆しました。
その本の中にも出てきましたが、北朝鮮ではもうだいぶ前からチョコパイが垂涎のお菓子になっているそうで、庶民がめったに口にすることができないチョコパイが手に入ろうものなら、彼らにとっては感涙もの、束の間の幸せを味わうことができるでしょう。
万歩計によると約4.5km歩いたことになる虎山長城を出て、11時過ぎのバスで丹東に戻りました。 -
丹東に戻ってきて、「朝韓風情街」入り口横の食堂で昼ご飯。
一応冷たいビールがあるということで、丹東で3回食べたお気に入りの食堂。メニューの中から指さして注文した何だかよくわからない食べ物。味付けは今ひとつ物足りなかったけど。それにしてもご飯の量が多い。
昼時なのでお客さんも多く、となりのテーブルの中年男が私に何度も声をかけてきてちょっかい出すので店のお姉さんが男に注意してくれました。
親しみを込めたちょっかいですが、その男が私が食べているそばで痰を吐くのにはげんなり。
これもお姉さんが注意してくれましたが。 -
丹東の街角でよく見かける路上麻雀。
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日が暮れると、地元の人や観光客が繰り出し、建物もイルミネーションに彩られて華やかな夜の装いを見せる鴨緑江河畔。
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きらびやかな電飾に彩られた鴨緑江沿いの遊歩道。
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夜風も心地よく、そぞろ歩きを楽しむ人たち。
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一方、対岸に目を転じれば、川向うには闇に包まれた北朝鮮の夜が広がる。
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ライトアップされた「中朝友誼橋」とイルミネーションに彩られた遊覧船。
北朝鮮側に国力の差と繁栄ぶりを見せつけるかのように、色彩とネオンで誇示する中国側の一種のデモンストレーション。 -
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6月1日、日曜の朝。
少し靄がかかった鴨緑江をゆく、観光客を満載した遊覧船。 -
かなりの距離にわたって続く鴨緑江沿いの遊歩道。
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鴨緑江の橋付近では、朝鮮民族の貸衣装を着て写真撮影する商売が人気のようです。
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鴨緑江の遊歩道には昼も夜も数多くの露店が店を出していますが、北朝鮮の切手や紙幣を並べている露店もよく見かけます。
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鴨緑江を行く遊覧船。
30分〜40分の鴨緑江クルーズで60元(\1020)。
私は乗らなかったですが、船の上から間近に北朝鮮を見られるというのがセールスポイント。 -
鴨緑江沿いの通りにある朝鮮風の餅を売る店。
実際に店の前で餅をついて作っていたので、ピーナツ入りのきな粉をまぶした長方形の餅を1つ買って食べました。
1つ5元(\85)で、もち米を使っているので日本の餅のような食感であんがい美味しかった。 -
丹東駅前から123路のバスに乗って「抗美援朝紀念館」に向かいました。
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日曜日で人出も多く、錦江山公園近くの道路はかなりの渋滞。
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バスを降りて少し歩き、長い階段を登っていきます。
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長い階段を登った丘の上に朝鮮戦争の歴史を展示した「抗美援朝紀念館」があります。入場無料。
朝鮮戦争(1950年6月25日〜1953年7月27日に休戦)において、いかに中国が北朝鮮のために戦ったかを誇示してみせる博物館。抗美援朝紀念館 博物館・美術館・ギャラリー
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陳列館に入って最初に目にするのが、毛沢東と金日成が握手している銅像。
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朝鮮戦争において劣勢になった金日成が毛沢東に援軍を求めた手紙も陳列されています。
ソ連の後ろ盾を得て建国した北朝鮮、本来ならソ連が応援すべきところを、アメリカとの直接対決に発展するのを恐れ、表だって参戦できない事情からその肩代わりを建国間もない中国に求め、ソ連は後方支援として武器・弾薬供与だけにとどめました。
ソ連共産党からの要請と金日成からの懇願に応じて参戦を決意した毛沢東。
中国人民志願軍(実質は正規軍の人民解放軍)が100万人以上投入され、得意の人海戦術で国連軍を北緯38度線まで押し戻し、膠着状態となって休戦。
その戦いで人民志願軍の死傷者は36万人以上にのぼったといわれています。 -
朝鮮戦争の歴史を俯瞰する、陳列館の展示物。
中国人民志願軍が参戦していなかったら、アメリカを主とした国連軍・韓国軍が勝利して南北は統一され、今の北朝鮮は存在してなかったでしょうね。 -
パノラマ館では、多大な犠牲を出した中国人民志願軍の奮戦ぶりがジオラマなどで再現。
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人民解放軍の人海戦術の大パノラマ。
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「抗美援朝紀念館」を出て、また123路のバスに乗って丹東駅前に戻り、鴨緑江周辺を散策しました。
鴨緑江公園にあるモニュメント。 -
鴨緑江公園の一角では、胡弓などを使ったアマチュアの楽団が演奏していました。
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歩いて「錦江山公園」にやってきました。
丹東の観光スポットの一つで、広大な公園には遊園地などもあり、日曜日ということもあって家族連れの人たちで大賑わい。錦江山公園 広場・公園
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「錦江山公園」の中にある小規模な遊園地。
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宿泊したホテル前の銀杏広場。
今夜も踊りを楽しむ人たちの姿が見られました。 -
最後に夜の鴨緑江河畔をそぞろ歩き。
明日は列車に乗って瀋陽(奉天)に向かいます。
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