2016/05/08 - 2016/05/08
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yakyukozouさん
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5月8日 8時25分
金城から台湾好行A線に乗車して観光に出かけました。
A線は主に水頭集落を周る観光バスです。
金門島には、地理的な条件から福建とのかかわりが強く、古くから大陸の戦乱を逃れた人々が移り住んできました。
台湾に逃れた鄭氏の政権が破れ、清の本格的な統治が始まった17世紀後半から福建人が多く移住ようになり、福建省南部の独特な中華風の住宅が建てられるようになりました。
水頭は早くから移民が住み着いた場所で、あちこちに状態の良い古民家を見ることが出来ました。
中でも最も早く金門島に移民した黄氏一族の古民家9棟が集まった「頂界十八支梁」は、建築後300年たっているので文化的にも貴重な古民家群です。
その中の「十八支梁民宿」に2泊お世話になりました。
こちらのオーナーは、ご自身が所有する古民家を形や構造は変えず、内装を綺麗にリノベーションして民宿にしています。
想像よりも快適な古民家体験でした。
また、日本の大学を卒業されているので日本語も堪能で、金門島のことを色々教えてもらい、旅のアドバイザーとしても助けてもらいました。
隣の厦門がアヘン戦争で開港され、東南アジアとの中継貿易で栄えたことから、その繁栄を見た金門島の人々も、華僑となって東南アジアに移民しました。
商売で成功して帰島した華僑は、20世紀初めからその富を競って洋館を建てたので、水頭では中華風の古民家群に囲まれて、城のような洋館が混在するちょっと不思議な景観の集落になったのです。
特に記憶に残ったのは、「得月樓」と呼ばれる望樓。
港に近い水頭の集落には外から盗賊が来襲したので、防御のために建てられたのだそうですが、側面の攻撃用の槍穴の位置が、いかにも人の顔に見えて威嚇になっていないので面白かったです。
写真は「得月樓」です。
(文字化けするので一部当て字にさせて頂いています)
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.5
- 同行者
- 一人旅
- 一人あたり費用
- 5万円 - 10万円
- 交通手段
- 鉄道 観光バス 徒歩 飛行機
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
十八支梁民宿のオーナー黄さんが美味しいお店があるというので、一緒に金城まで朝食を食べに行きました。
麦藁帽子の女性が黄さんです。 -
黄さんお薦めの広東粥のお店「科記」。
ここのご主人は黄さんの同級生だそうです。 -
金門島の油條は冷めても美味しく、台湾本島のものとは違うのだそうです。
広東粥はとても美味しかったです。 -
朝食のあと台湾好行A線に乗車。
最初に筥光樓を訪問。
金門島の電話ボックス、ここにあったんですね! -
筥光樓は、金門戦争や823砲戦で闘った国府軍兵士の功績を称えるために建設された中華風の建物で、向いている先は大陸。
筥光樓という名前の由来は、国土回復への悔しい気持ちを例えた故事「筥に在ることを忘れること母れ」(母忘在筥)と「大陸を回復しよう!」という当時の国民党のスローガン(光復大陸)から来ているらしい。 -
入口に、金門島の守り神、風獅爺。
風の強い金門島独特の守り神で、強風を沈めたり、邪気を追い払うのだそうです。
島内の至るところにいました。
沖縄にも似たようなのがあったような・・・ -
天井がとても豪華なつくり。
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そして水頭集落へ。
バス停を下りるとこんな古民家がいっぱいでした。 -
こっちは廟のようです。
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古民家の集落を抜けると広々とした場所に出て突然洋館が登場!
目に飛び込んできたのがこの「金水国小」。
このあたりはほとんど黄氏という苗字の集落なんですけど、教育に重きをおいた黄氏一族が資金を出し合って1932年に建築した洋館の小学校です。
一時期日本が金門島に進駐した時は病院にもなっていたらしい。 -
銘板に天使が描かれていた。
当時は夢のある建物だったのだろう。 -
そして広場の中心にあったのが得月樓。
この建物は1931年に完成。
遠くからみたらヨーロッパの城のような佇まい! -
得月樓は可愛い顔している。
海岸の方まで監視するための望楼だったらしいのですけど、睨みを効かせているわりには可愛すぎかな?(笑) -
この一帯はヨーロッパの街並のよう。
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通りも素晴らしい!
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こっちは、風獅爺文物館。
黄一族の建物。
1階は喫茶店か食事処のような場所だったので、入りづらくて入館は遠慮しました。 -
また水頭の集落内をブラブラ。
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民宿のオーナー黄さんに聞いたら、この周辺はほとんど300年以上の建物。
水頭の建物は山の傾斜を利用して建てられており、上の方から、頂界、中界、下界と別れていて、黄さんの民宿は「頂界」と呼ばれる山の手にありました。 -
黄さんの民宿は得月樓からすぐです。
赤い車は黄さんのマイカー。 -
得月樓から十八支梁民宿までは徒歩3分。
この周辺が水頭の見所でした。
バスなら金城から15分位。
水頭圓環で下車徒歩3分です。 -
金門島滞在中に2泊お世話になった「十八支梁民宿」です。
民宿の目の前は黄さんの畑があって、野菜や果物を育てています。 -
建物は四方が壁で囲われていました。
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黄さんの畑で採れた西瓜をご馳走になりました!
(食べかけでゴメンナサイ!) -
とても広いですけど、ここは入口を入った玄関のようなところ。
お茶を出したり、カラオケも出来ます。 -
黄さんのご家族は皆さん陸軍士官学校を出ているそうです。
由緒ある家系です。 -
ここは建物の中心部でダイニングのような場所。
居室内は飲食禁止なので飲食はこのオープンスペースで取ります。 -
風獅爺もいました!
-
ここが私の寝室。
扉は観音開きですが、反りがあってきちんと閉まらないので、隙間が空いたまま。
蚊も多かったです。
(電気式の蚊取り器があるので大丈夫!) -
蚊帳がかかっていました。
懐かしいです。
部屋には、テレビ、エアコンも完備してました。 -
水回り。
歯ブラシ→無
髭剃り→無
フェイスタオル→無(2泊でバスタオルが1枚だけです)
清掃→(滞在中はありませんでした)
台湾の民宿はどれもこんな感じ。
歯ブラシと髭剃り、小タオルは台湾旅行ではいつも携帯しているので没問題かな! -
黄さんの一族の写真。
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軍服も飾ってあった。
親族のものでしたけど、詳しく事は聞き忘れてしまいました。
もしかしたら、金門戦争や823砲戦の時、家族の誰かが着てきたものかも知れないです。 -
十八支梁民宿の日本語の説明がおいてありました。
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民宿の隣の古民家は洋館風。
まだ100年位の家で、黄さん曰く「この家は新しい!」と。(笑) -
水頭集落のあとは、金門城の北門周辺を散策。
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42艇の砲艇を隠した大きな坑道も見学。
広いトンネルを下って行きました。 -
これが坑道です。
神秘的・・・ -
A型の坑道で出撃と帰還が同時にできるようになっていた。
-
バスは金城に戻り台湾好行D線に乗車するため、すぐに山外に向かいました。
(つづく)
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