2016/01/30 - 2016/01/30
178位(同エリア367件中)
dapuqiaoさん
- dapuqiaoさんTOP
- 旅行記178冊
- クチコミ1件
- Q&A回答0件
- 175,743アクセス
- フォロワー14人
上海市や近郊には史跡や水郷の街などたくさんの見どころがあります。
ほとんどが日帰りで行く事が出来るので土、日に暇を見つけて訪れてみました。
今回は江蘇省鎮江です。
行程
上海 → 鎮江 動車、約1時間40分
鎮江 → 賽珍珠記念館 徒歩、約10分
賽珍珠記念館 → 伯先公園 Taxi&徒歩、約15分
伯先公園 → 鎮江博物館 徒歩、約4分
鎮江博物館 → 西津渡古街 徒歩、約3分
西津渡古街 → 金山公園 徒歩、約15分
金山公園 → 北固山 Taxi、約15分
北固山 → 古城公園 バス&徒歩、約20分
古城公園 → 鎮江 taxi、約20分
鎮江 → 上海 動車、約1時間40分
写真は西津渡古街の仏塔と石塔
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 3.5
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
10:33 鎮江駅
上海から高鉄で1時間40分少々。
鎮江の駅を出ると早朝の雪が残っています。
鎮江は、京杭運河が長江と交差する位置にある港町。
かつては京口、丹徒などと呼ばれたそうで三国時代、呉の孫権が一時、ここにに都を置いていました。
北宋時代に鎮江と改称されたそうです。 -
あたりを見るとこちらは南広場のようです。
最初の目的地「賽珍珠故居」へは北広場からの方が近い。
(賽珍珠=パール・バック(アメリカ女流作家)の旧居。) -
という事で駅構内を北広場へと向かいます。
-
10:43
北広場です。 -
上海では見かけない輪タクが客待ちをしています。
-
賽珍珠故居へは北広場から歩いて800m位、歩いても10分位。
ただ雪道なので歩きにくい。 -
10:51
歩く事8分で「賽珍珠故居」の案内板が、
この坂を登ったところにあるようです。 -
10:54
賽珍珠故居に到着。
賽珍珠=パール・バックは、生後まもなく両親とともに中国に渡り、宣教師の娘として浙江省鎮江で過ごしたそうです。
後に自らも宣教師となり、中国で結婚、生活を続け中国を舞台とした小説「大地」を発表しやがてノーベル文学賞を受賞することになります。 -
しかし、・・・、1/19-1/26の間臨閉館との貼り紙。
今日は1/30なんだけど、・・・・ -
隣接する記念館も当然閉まっています。
-
10:57
ぐるっと後ろに回っても、・・・、やはり閉まっています。
仕方なく坂の下まで戻るとうまい具合にTaxiが通りかかったのでゲット。
伯先公園、鎮江博物館方面へと向かいます。 -
11:11 鎮江博物館
伯先路の鎮江博物館前でTaxiを降ります。
旧英国領事館の建物を利用した博物館です。 -
博物館の右隣りは今も残る旧英国領事館の建物です。
1858年の天津条約でイギリス租界がこの地に開かれイギリス領事館も置かれたそうです。 -
博物館の左の並びには鎮江商会旧跡があります。
-
そして、その裏手の山は伯先公園がある雲台山です。
先に伯先公園に向かいます。 -
伯先路を歩いて戻ります。
-
伯先公園のバス停。
-
11:15
伯先公園の入口。
入場料は無料です。 -
伯先公園全景図
-
趙伯先さんの銅像。
鎮江の人で清末に孫文らと共に辛亥革命を起こした政治家・革命家との事。 -
11:17
雪の階段を滑らないように用心しながら登り始める -
11:24
7,8分も登ると山頂の雲台閣が近づいて来た。 -
山頂付近から眺める鎮江の街。
-
11:25
「雲台閣」に到着。 -
「雲台閣」の入場券。10元。
-
中は、展示館になっています。
かつての鎮江と長江の図。
西晋の時代のもののようです。 -
雲台閣から眺める長江。
はるか右のかなたに焦山が見えます。 -
三国時代の209年に孫権が作った城郭の模型。
「三国鉄甕城」と表示されていました。
左上の小高いところが「北固山」、半円の城壁は、現在の「鎮江古城璧遺址」がそれらしい。
いずれも午後行く事になります。 -
11:50
再び伯先路を歩いて博物館へと戻ります。 -
博物館まで戻ってきましたが、対面にあるこの建物はなんなんでしょう。
「広肇公所」とあります。
広肇と言うのは、広東の肇慶地区との事。清の時代にその地域から鎮江に来ていた経済人・商人たちが造った同郷の会館、1907年に建てられたとの事。 -
11:55 鎮江博物館と伯先公園の雲台閣。
では、博物館に入って見ましょう。 -
博物館の入場券。免費(Free of charge)。
-
周の時代の青銅器。
-
説明板によると
①、② 祖先神に供える穀物を盛る祭器。
③ さかずき、酒器。
④ 味を調えるのに用いる器。
との事。
①③④の字は日本にもあるようですが、文字化けします。
難しい漢字もあるもんですね。 -
春秋戦国時代のこの地(呉の国)で出土した青銅製兵器の分布図。
-
呉の王様の系図です。
下のお二方(闔閭、夫差)はなじみのある方ですね。 -
鎮江博物館内部
博物館らしい佇まいです。 -
12:14
博物館を出て旧英国領事館の方へ行ってみますが門は閉まっています。 -
12:16
旧英国領事館の隣に上り坂があります。
西津渡古街への入り口です。 -
アーチ型の門には「西津渡古街」と書かれています。
鎮江博物館の北側に東西に延びる1000年の歴史を持つ通りで、この通りが出来た宋代に因んで 宋街とも言われています。 -
門をくぐるとそこは、・・・、古玩店(骨董店)となっています。
古玩店と言うより、玩具店のようですが。
玩には両方の意味があるようなのでOKかもしれません。 -
通りを進むと、右手に観音洞一条街との石碑。
うん???、西津渡古街 or 宋街とは違うのかな。
この通りの名前は、観音洞一条街、この辺り一帯の街の名前が西津渡古街だそうです。 -
左手には「鎮江英国領事館旧址」、こちらからも入れるようですが、やはり閉まっています。
-
右手には、こんなものがあったり、・・・
-
前方は(左手は旧英国領事館旧址)こんな通りだったり、・・・
-
振り返るとこんな感じです。
-
今も宋、元、明、清代古い街並が残りっています。
向こうの石門には「同登覚路」とあります。 -
西津渡は三国時代に形成され、唐代には渡し場の機能が完備し、ずっと中国の南北交通、水運の要衝だったそうな。
右手の階段を降りて池の向こうに続く街並みが西津渡古街、その向こうが長江、渡し場となっているようです。 -
観音洞と観音文化展示館。
穏やかに見える長江ですが、往々にして荒れ狂う時もあったようです。かつて、渡し舟が遭難し人々が長江に投げ出された折、観音さまが現れて人々を救われたそうな。
人々は西津渡街のこの山林に洞を掘って観音様を祀り、航行の無事を祈ることにしたそうです。 -
こちらは、民間の救生組織「西津古渡救生会」の跡地。
救生会は1693年に作られたとの由。 -
12:22
宋街に建つチベット仏教の石塔(後ろ)、昭関石塔というこの通りのシンボル。
元末から明初に建てられたラマ塔形式の塔、上部が瓶のような形なので、瓶塔とも呼ばれているそうな。
前にあるのは金属製の仏塔。 -
振り返ってみるといい感じの歴史を感じさせる石畳の階段です。
-
坂を下り切ったところには、唐代の詩人「張(zhang)示+古(hu)」さんの像と「金陵津渡」と題された詩の石碑があります。
張継さんの「楓橋夜泊」と同様「客愁」を詠った有名な詩らしい。
李白、孟浩然、王安石さん達も風光明媚なこの地を訪れて詩を詠ったとの事。
右の階段を登ると「超岸寺」というお寺があるそうですがスルーしました。 -
降りきったところは歓楽(?)街。レストラン、土産物屋さんが連なっています。
-
12:26
こちらのお店の「鎮江鍋蓋面」と言うのがちよっと気になります。
ちょうど昼時、入って注文してみます。 -
注文したのは、「鶏蛋面」10元です。
可もなく不可もなく普通の面でした。 -
12:40
西津渡街を後にし金山へと向かいます。 -
後ろを振り返ると、伯先公園の雲台閣が見えます。
-
出てきたところは、蒜山遊園となっています。
蒜山と言えば赤壁の戦いの前に諸葛亮と周瑜が曹操に対する戦略を練った場所(蒜山という小山の山頂の亭子=あずまや)との事なんですが、付近にそれらしき表示は見当たりません。百度の地図に出ていません。
という事でスルーしてしまいました。 -
12:49
長江路を西に金山寺を目指します。 -
12:52
この橋を渡ると右手が金山寺のようです。 -
橋のたもとに「長江新天地」と刻まれた石碑。
これはなにものぞ、・・・・・
何のことはない新しく売り出されている住宅地のようです。 -
12:57
橋を渡ると間もなく金山寺の慈寿塔が見えてきました。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
63