2016/01/30 - 2016/01/30
377位(同エリア418件中)
dapuqiaoさん
- dapuqiaoさんTOP
- 旅行記178冊
- クチコミ1件
- Q&A回答0件
- 192,932アクセス
- フォロワー14人
上海市や近郊には史跡や水郷の街などたくさんの見どころがあります。
ほとんどが日帰りで行く事が出来るので土、日に暇を見つけて訪れてみました。
今回は江蘇省鎮江です。
行程
上海 → 鎮江 動車、約1時間40分
鎮江 → 賽珍珠記念館 徒歩、約10分
賽珍珠記念館 → 伯先公園 Taxi&徒歩、約15分
伯先公園 → 鎮江博物館 徒歩、約4分
鎮江博物館 → 西津渡古街 徒歩、約3分
西津渡古街 → 金山公園 徒歩、約15分
金山公園 → 北固山 Taxi、約15分
北固山 → 古城公園 バス&徒歩、約20分
古城公園 → 鎮江 taxi、約20分
鎮江 → 上海 動車、約1時間40分
写真は金山寺の慈寿塔
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- グルメ
- 3.5
- 交通
- 4.0
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 鉄道 高速・路線バス タクシー 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
13:04 金山寺へ到着。
唐代にここで金が産出されたことから金山と呼ばれるようになったそうです。
もともとは長江に浮かぶ島、長年の土砂の堆積により、清の時代に陸とつながり、現在の姿(標高45m、周囲550m)となったそうです。
山上には禅宗の金山寺(創建は東晋時代)建っています。 -
長江三山と呼ばれている金山、焦山、北固山の位置図がありました。
図の左(西)にあるのが金山。
北固山(中)は高さ52メートル。甘露寺、試剣石、魯粛/太史慈の墓など三国志に関する遺跡(?)が多い。
焦山(右)は長江に浮かぶ小島で高さ71メートル。後漢時代に創建された定彗寺、山頂に建つ吸江楼があります。 -
入り口を入ってまっすぐ進むと右手に佛光閣というお店があります。
線香、仏具などが売られています。 -
店の対面にある標識と石橋。
まっすぐ行けば金山寺ですが、橋を渡る左手方向には「天下第一の泉」があるようです。
唐代の茶人である陸羽と劉伯芻が中冷泉という泉の水を飲んで天下の第一の泉と評したそうな。
では、この橋を渡ってちょっと覗いてみましょう。 -
13:10
「花洲冷泉」の額のある屋根付き橋を渡ると、百花洲公園、更にその向こうが中冷泉公園です。 -
百花洲公園から金山寺を振り返ります。
慈寿塔の姿が美しい。 -
13:18 中冷泉公園。
百花洲公園から塔影湖を挟んで向こうに見えるのが中冷泉公園。
建物(芙蓉楼)の後ろに中冷泉があるらしい。
中冷泉へは先ほどの橋まで戻って舟で行くか、陸路を迂回して行くか、いずれにせよちょっと時間がかかりそう。
なので今回はパスします。 -
13:22 雪の残る百花洲公園の茶畑と金山寺慈寿塔。
-
13:27 金山寺山門
元の道へ戻って金山寺への山門へ到着。
真言宗を開いた空海(弘法大師)さんは、804年に、遣唐使の留学僧として唐に渡り,一時ここ金山寺に滞在したそうです。
室町時代には雪舟さんが遣明船に乗り2度この金山寺を訪れ、ここに絵を残してもいるそうです。 -
金山寺入場券 25元。
-
大雄宝殿。
入るとすぐ大雄宝殿(お釈迦様が祀られている寺の本殿)があります。 -
中に入ると、三人の仏様が鎮座されています。
お三方共にお釈迦様に見えますが、やはりお釈迦様を中心とした「釈迦三尊」なのでしょうか。 -
後ろに回ると「観音菩薩」。
そして、阿弥陀如来、釈迦牟尼、薬師如来の名前があるようなので前のお三方はこれらの如来様たちなのでしょう。 -
大雄宝殿を抜けて見上げると慈寿塔が遥か上に見られます。
-
13:31 大雄宝殿の後ろには「度一切苦厄」という言葉があります。
「一切の苦しみとわざわいを取り除きますよ」という意味なんでしょう。 -
どんどんと階段を登ります。
あちらの門には「入深佛界」とあります。
あの門をくぐると世の中の事を深く知る事が出来るという事になるんでしょうか??? -
13:35
「入深佛界」門を通り抜けると金山湖が下に見えます。
長江はさらに北側を流れています。 -
東の方に目をやると、雲台閣が右手に見えます。
そして建築中のビルの左手に北固山、はるか遠く中央左に焦山が見えます。 -
13:40 慈寿塔に到着。
清の時代に建てられた七層八角の高さ30mの美しい塔です。 -
山頂(慈寿塔)から金山寺を俯瞰してみます。
-
「江天一覧」
清の康熙帝の字が彫られた石碑。
金山寺は別名江天禅寺とも言うそうで、金山寺を訪ねその絶景に感動した康熙帝が名付けたそうです。 -
13:47
金山を後にして北固山へと向かいます。
長江路を東に行けばTaxiで15分ほどです。
路線バスもあるようですが、Taxiにしました。 -
14:04 北固山に到着。
長江を見下ろす標高53mの北固山全体が公園になっています。
呉の孫権はここに城を築きました。
雲台閣で見た鉄瓮城で北にあるのが北固山のようです。 -
こちらには北固山の全景図があります。
-
14:05 北固山の牌坊。
目の前の鳳凰の池を渡ってまっすぐ進むと山頂に見える北固楼や甘露寺へと続きます。
右手に行くと、・・・ -
試剣石があります。
孫権と劉備がどちらが天下を取れるかお互いの剣で石を切って試したという試剣石、
間近に近づいてみると、・・・ -
お互いの剣を挟んでお二人がにらみ合っているように見えます。
-
案内図に従って入り口へと向かいます。
-
14:10
こちらが入り口です。 -
15元なりの入場券を支払って出発。
-
こちらはパンフレット。
観覧順路図は、先ほどの案内板と同じものです。
この後、
入口→東呉古道→鉄塔→天下第一江山→歌碑(阿倍仲麻呂)→古甘露禅寺→多景楼→北固楼→祭江亭→東環路→魯粛墓→太史慈墓→出口
と回る事になります。 -
入り口あたりで仰ぎ見ると山頂の北固楼は牌坊で見たものより大きく間近に見えます。
-
入り口から東呉古道を通ってまず到着したのは、・・・
-
14:18 鉄塔。
-
北宋時代に伝統的な石塔を鉄製で造り直したものだそうです。
詳しい履歴が石碑に彫られていました。 -
曰く、
もともとは唐代に作られた石塔(825年)が、
火事に遭って宋の時代に鉄塔に造りかえられた(1076-1078年)。
明の時代に風で倒れたので修復(1582年)。
清の時代に風と雷で倒れて4層となる(1886年)。
(もとは7層or9層であったらしいがここには書かれていない。)
その後も災害に遭うが1960年に現在の姿に修復された。
現在は、塔座は唐代、その上二段は宋代、さらに上二段は明代という複雑な鉄塔。
1960年の修復の際には、仏舎利その他埋蔵品が出土したとの事。 -
鉄塔から左手に見える甘露寺を目指し階段を登っていきます。
孫権は、劉備を亡き者にしようと妹孫尚香との見合いにことよせて劉備をおびき寄せます。
この階段(廊下)は、見合いの場所「多景楼」に向かう劉備を殺害しようと孫権の軍師周愉が軍を伏せた場所との事。
孫権のこのはかりごとは諸葛亮孔明の知るところとなり孫権の母呉氏の助けを借りて無事クリア、孫尚香とも無事結婚という事になりますがいずれも明代に創作された三国志演義でのお話です。 -
14:21 南北朝時代の梁の高祖(蕭衍)の書。
階段の右手にあります。 -
続いて阿倍仲麻呂の歌碑があります。
阿倍仲麻呂が玄宗皇帝より帰国を許され日本への帰国船に乗り込む際に寧波で詠んだと言われる 「天の原ふりさけみれば春日なる三笠の山にいでし月かも」が刻まれています。
阿倍仲麻呂も西安から寧波に行く途中、このあたりにも宿泊したのでしょうか。 -
甘露寺への入り口へ到着。
-
14:22 甘露寺
呉の孫皓が264年に創建した寺院。
中には庭園や劉備のお見合いがらみの蝋人形がありますが今回はスルーしました。 -
14:25 多景楼
劉備と孫権の妹である尚香がお見合いをしたのがこの場所だそうです。 -
多景楼から望む長江。
多景楼から見た長江と金山が織り成す絶景を劉備が「天下第一江山」と賞賛したと三国志演義にあるそうです。 -
祭江亭。
劉備が白帝城で亡くなった後、孫尚香が劉備を弔うために建てたとされています。
劉備の死後、孫尚香は後を追ってここから身を投げたそうです。 -
少し下ると北固楼への入り口。
-
北固楼。
東晋初期の建造。
南北朝時代の梁の高祖(蕭衍)はここに登って「天下第一江山」と称えたとの事。 -
焦山方面。
-
甘露寺を右手に見ながら出口へと下ってゆきます。
-
14:44 中山紀念林塔
孫文さんを紀念したものです。 -
14:47 魯粛さんのお墓
さらに下ると魯粛さん(呉の智将)のお墓。
蜀(劉備)に対し強硬派が多い呉の陣営でなにかと融和策を模索した。 -
魯粛さんのお墓はここだけで無く数か所あるようなのでここが本物かどうかは定かでは無い。
-
14:48 太史慈さんの墓。
太史慈さんは呉の武将で、弓の名人だったと言われています。 -
太史慈の墓を最後に北固山から鎮江古城璧遺跡へと向かいます。
目の前の東呉路を東に行けば到着です。
路線バスも走っていますので利用してみます。
乗るのは、東呉路の甘露寺駅です。 -
15:08 東呉バス停
133路のバスに乗って甘露寺から2つ目になります。
ここで降りて前方(東)へ数分歩きます。 -
15:13 鎮江古城璧遺址
東呉路沿いに古城璧遺址への階段がありました。
登ってみると広場があり一帯は古城公園となっています。 -
15:18
雲台閣で見た鉄瓮城がここにあったらしい。
広場の左側に城壁の上を通る遊歩道があります。
「通幽」と書かれた楼からスタートのようです。 -
しばらくは屋根付きの道です。
-
やがて屋根は無くなり、かつての城壁の上を歩いて南に進みます。
-
公園をめぐるこの道は「健康歩道」として鎮江の皆さんに親しまれているようです。
-
15:22
そして道の脇には高名な方々(皇帝、詩人、文人、武人)の文、詩が並んでいます。
こちらは、唐の大宗さんのものです。 -
トウ小平さんのお言葉もあります。
-
15:33 鎮江京口古城法治文化公園平面図。
東呉路から続いた城壁の道もこちらの石碑があった花山路でいったん終了のようです。
私の今回の鎮江の旅もここで終了、ここからTaxiで鎮江の駅まで戻り高鉄で上海へと帰ります。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
62