2016/04/08 - 2016/04/15
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マキャヴィティさん
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サマルカンドまで直行チャーター便が出ると聞いて参加することに。
旅行会社3社のツアー280人(ぐらい?)がウズベキスタンの端に位置するタシケントではなくサマルカンドに直接乗り付け、現地では歓迎行事が盛大に行われました。 ウズベキスタン政府の高官、駐在日本大使も列席と大変な力の入れようです。
ウズベキスタンに旅行しようなんてもの好きは旅慣れた世界中旅行しまくっている人が多く、もしこの飛行機が落ちたら日本の高齢化問題が解決するんじゃないかと思えるくらい私を含め年寄ばかし。
貧乏人は個人旅行が安くていいけど、どこかで倒れたら骨を拾ってくれるツアーが安心。特に3食豪華な食事が付くのが利点。1人旅だと昼はオレンジ一個なんて普通です。自分で交通手段を手配するのが疲れ果てました。行くのが面倒くさい所に連れて行ってくれるのは願ったりで、ツアーはお勧め。
- 旅行の満足度
- 4.0
- 観光
- 4.0
- ホテル
- 3.0
- グルメ
- 3.5
- ショッピング
- 2.5
- 交通
- 2.0
- 一人あたり費用
- 20万円 - 25万円
- 交通手段
- 観光バス
- 航空会社
- ウズベキスタン航空
- 旅行の手配内容
- ツアー(添乗員同行あり)
- 利用旅行会社
- 阪急交通社
-
サマルカンドに280人の日本人が到着。
一緒の飛行機でも旅行会社間で勢力格差があるようで、入国審査では私達のツアーは最後のまわされ、ホテルは中心からはるか離れた変な趣味のホテル。
マリリンモンローはこの国に関係ありませんけど。でも、きれいな写真よく集めたなー。 -
レギスタンに朝6時に行ってきました。
なんとレギスタン広場近くのホテルに泊まった他社のツアーの、同じ飛行機だった人達も散歩中。ホテル前でタクシーの運ちゃんの10ドルと言うのを3ドルにまけさせ交渉で疲れ果てた私はなんなの。
ツアーを選ぶときは旅行会社も選ばなくちゃ。
タクシーの運ちゃんは、ドル両替から女性の斡旋まで商売熱心に勧めてきました。
ウズベキスタンではドルからの両替は銀行の公定レートと闇レートがあり2倍ぐらい違いました。ツアーの添乗員はバスの中で平気な顔して半分ぐらいのレートで両替してました。生活がかかっているいるとしても良心はあるの、悪戯と思いませんか。 -
レギスタン広場の建物傷んでます。
元はレンガ造りらしいがタイル張っている工事がいい加減。
チムールさんが造ったんじゃないらしいけど -
塔が傾いている。
すぐには倒れないと思う。 -
レギスタン広場からビビハ二ムの方への道。
緩やかな傾斜でアフラシャブの丘方面に向かっています。 -
ジュマモスク ビビハ二ムモスクとも言う。
1番大きなモスクだったらしい。
隣に大きなバザールが有りました。 -
今と昔 ビビハ二ムモスク
全くの廃墟から今のように修復された。再建に近い?
前に建っていたミナレットは今は跡形もない。 -
アフラシャブの丘
突き当りの丘ににモスクが見え、間を道路が走っている。
左に見える丘はアフラシャブの遺跡の建造物が何とか残っている場所です。
昔のサマルカンドがあった場所と言われています。 -
モスクの立っている場所から新設の道路がアフラシャブの丘を縦断。
緩やかに博物館の方に坂道になっている。
途中、右側は墓地が続き、左は新設墓地造成中。
アフラシャブ遺跡に入ろうと左の墓地から入ったら墓地関係者に怒られた。 -
道路沿い、まだ墓地になっていない。
土盛りは昔の建物のなれの果てです。 -
広いです。
城壁に囲まれた面積は219ヘクタール(66万坪!)、面積は皇居よりも広い範囲に、日干し煉瓦で建物を造り、建物が壊れるとその上に新しい建物を造ったので遺跡の土の層の厚さは10m. 11層に積み重なった文化層があるそうです。もし、アレキサンダー大王が訪れた際落とした金貨を探そうとしたら、10m掘らないと出てこない。 -
ソグド人が隊商を組み貿易で富を築きました。
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遺跡の端っこの高い城壁跡。
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チムールがイランを征服したときにダニエルの骨を持ってきて祀ったダニエル廟。私がイランに行った時スサにもダニエル廟がありました。
ダニエルはスサでアケメネス朝ペルシャに勤めていたので本家はスサの廟だと思うけど、スサのダニエル廟の墓の中は空っぽの可能性がある。
ダニエルはユダヤ人で、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教でそれぞれ聖人になっている。 -
昔のサマルカンドには水道施設が完備されていたそうで、発掘された陶器製水道管。
伝説では金属管が使われていたそうですが博物館には現物、無し。 -
いつの時代かわかりませんが、繁栄の都サマルカンド。
玄奘三蔵がインドに行く途中に寄った仏教のお寺や宮殿もここにありました。
これをジンギスカンは住民もろとも完璧に破壊しました。水道設備が破壊されたので高台になったアフラシャブの丘は誰も住まなくなり草原と墓地になりました。
ジンギスカンが破壊した100年後、旅行家イブン・バトゥータが訪れたときもサマルカンドは全く復旧していなく、その後チムールが今のサマルカンドを作りました。
写真に水道橋が見える、水道橋はどこにあったのか。 -
アフラシャブの現況地形図 (博物館)
モスクとシャーヒズィンダ廊群も有ります。 -
水道橋の模型。 (博物館)
今、痕跡はどこにもありません。 -
地図 水道橋もあります。 (博物館)
地図を現状のアフラシャブの丘に当てはめると、ビビハ二ムモスクから丘の今モスクの立っている場所に向かって水道橋が架かっていて、丘全体に水を供給していたらしい。
google earthで各地の高度を図ってみると、いったん今モスクのある場所に水を流せば丘全体に勾配を利用して水を配れることが可能と解かった。
元の水源は明らかにされていないが、10キロ離れたところにザラフシャン川の支流が流れていて、水を取込み運河を掘れば緩やかな高低差の流れでレギスタン広場からビビハ二ムモスク、アフラシャブの丘まで動力を使わず水を持ってくることが可能。
またサマルカンドの地図を見ていてザラフシャン川支流を超えた先の山から川が流れているのですが、そこからアフラシャブの丘方面にまっすぐに道路が伸びています。道路のとこだけ木が生えて緑なので、昔の運河かも知れない。全て私の推測です。
ただ、ローマみたいに120キロ彼方から水道橋を造ったり、3階建ての水道橋を作る努力は必要無かったと思われます。 -
有名な壁画 道路工事中に発見された。
時代は8世紀アラビア人に占領される直前のソグド人最後の繁栄するサマルカンド。 -
シャーヒズィンダ廊群の昔の写真
ボロボロだったのですが修復して今はきれいです。観光資源てことで修復したんだと思います。 -
チムールさん
-
チムールのお墓は右の黒いの。ウルベルクの墓もあります。
偉大な一族だった割りに一族のお墓は質素。 -
ほんとの墓は地下の真下にあり、ここが入口だけど入れません。
おっかないおばさんの門番がいます。 -
チムールの時代のサマルカンド。
今、宮殿跡は緑が多い公園かな、ぐらいでチムールの銅像が座っているだけ。
昔は町の周りは農地みたいですが、今は住宅地がずーっと広がっている。 -
夕方6時からレギスタン広場のウルベルク・メドレッセでウズベキスタン観光協会主催歓迎プログラム「サマルカンドの夕べ」が式典ご挨拶、踊り、ファッションショーと一般旅行者、現地人は締め出して盛大に行なわれました。
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レギスタン広場の夕方。
3つのメドレセは神学校として建てられましたが、今はお土産屋の建物となりました。
夜9時過ぎ、歓迎2次会としてメドレセに投影する3D映写会が行われました。 -
隣国タジキスタンの山山。4月、山には雪が多い。
アレキサンダー大王はこの辺でペルシャ王ダレイオス3世を殺したベッソスを捕まえました。 -
シャフリサブス
アクサライ宮殿のアーチ
シャフリサブスは昔ケシュと呼ばれていて、この一帯ナウタカはアレキサンダー大王の軍隊が冬を越した場所です。また奥さんのロクサネと出会った所と言われています。
当時のシャフリサブスは少し北のキタブにあったのを、チムールが生まれ故郷のイリガル村に近い今の場所に移しました。 -
チムールの銅像。
このあたりに立派な宮殿があったそうです。
ブハラハンがシャフリサブスを攻めた時、途中で愛馬が死んだので腹いせに宮殿を壊したと言われています。後で壊したのを反省したらしいけど遅いよね。
チムール像は南を向いていますが、正面は北側のアーチの方向なので、
「後ろ向きだよ、チムールさん。」 -
ブハラに向かう途中荒れ地が続く。
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ブハラのホテルは新市街とは名ばかりの、あっちこっちに潰れたホテルが散在するさびれた場所。
朝6時に散歩に出かけると羊を連れたおじいさんに会う。見ていたら「どこからきた」「日本から」「俺はウズベク人だ」と握手をしました。
昨日の夜のレストランで酔っぱらってロシア人のサービスの可愛い女性に「クラシーヴァ」と褒めて手を握ったのを、急に思い出しちゃいました。 -
朝は早い方が人がいなくて気持ちがいい。
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旧市街は歩き回っても静かです。
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タキ・ザルガロン(宝石商市場)
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イスマイルサマニ廟
アラビア人から独立したサマン朝の廟。アラビア人は去っても、人達はイスラム教徒になっていました。
私は昔からの言い伝え通り廟を3回まわって幸せ?になりました。 -
タリパチ門
隣にファーマーズマーケットがあり、野菜がいっぱい。
ここからタクシーでホテルに帰る。 -
ミナレット
今度は団体でガイドの説明を受け観光。
絨毯屋に寄って見た。数年前に行ったイランのペルシャ絨毯の半額ぐらいで買えるようだが、模様に特徴がなく、今回は購入見合わせ。 -
タキザルガロンの楽器屋さん。
演奏が上手く自分で演奏したCDを売っている。 -
お人形屋さん
ウズベキスタンではどこでもロバに乗ったホジャさん人形を見た。
ホジャさんの物語は、一休さんのようなおかしいトンチ物語で、
「亭主と奥さんでは、奥さんの方が長生きをするのはなぜだい?]
「亭主は金を稼がないといけないので疲れるから」「奥さんは楽だから」etc
「ホジャさんどう思う?」
「うーむ、奥さんは奥さんと結婚してないからじゃないかな」 -
新婚さん
お幸せに -
ブハラからヒワまで延々8時間バスの旅。砂漠が広がる。
途中トイレはない。女性は砂丘の陰で。 -
アヤズカラの目の前のユルトでおそい昼食。外は暑いのに中は快適。泊まることもできるらしい。
-
アヤズカラ
気まぐれで流れを変えるアムダリア川、川が他に移ったら都城は捨てられました。 -
アヤズカラの上から隣の都城を眺める。
この旅でこれを見たかったので、食後すぐバスは移動する予定だったらしいが変更してもらい有志で登ることにした。私達グループが登り始めたら、他社のツアーの人まで付いてきてしまった。しーらないと。 -
農地は塩だらけ。
ソ連時代、乾燥砂漠地帯で綿花を栽培するためコルホーズの機械化による大規模農園が造られ、灌漑水はアムダリア川、シルダリア川からポンプで大量にくみ上げられた。初めは収穫が上がったが、灌漑農業により毛細管現象で地下の塩が地面に上がってきて収穫が落ちた。自然を無視した計画経済の失敗だった。川の水を取られたアラル海はほとんど消滅した。 -
対策は農地を放棄するか、田んぼのように水を張って塩を溶かし排水路に放流するしかない。
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トプラクカラ遺跡内部。 白いのは雪です。 ウソです
冬だったらきれいな雪景色。 -
トプラクカラ遠望。ここ周辺も農地化しようとしたらしい。
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アムダリア川
長い流れの途中であっちで水を取られ、こっちで水を取られ、やっとウルゲンチまで流れてきたがアラル海までに流れは消滅する。 -
ヒワハン国の内城。
「ヒワ」と「ヒヴァ」呼び名はどちらが正しいのかガイドの聞いたら、ウズベキスタンではヒワよばれているのに、なぜか日本人だけヒヴァと言うそうです。 -
ヒワハン国
奴隷市場で有名だった。18世紀ロシアが攻めてきた時、ロシア兵を全滅させたほど強かった。 -
ヒワハン国
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内城への門
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内城はあまり大きくない。内城はさらに外城壁で守られていた。
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プロフ製作中。沢山の日本人が来たので大鍋じゃないと間に合いません。
プロフはアレキサンダー大王がギリシャに持ち込んで西洋に広まりピラフになったとか。 -
奴隷市場から内城に。どこでもお土産屋ばかし。無秩序か思っていたら見回りが来たら急いで開いていた商品をまとめて逃げる女性がいた。そこで買い物中のお客もなぜか一緒に逃げたとか。
閑話休題 「奴隷市場でロシア人の可愛い女奴隷を買いたいな」
「そんなことしなくても、いいのいっぱいいるよ」 ガイド
「? ・・・ ! 」
私達は便利な時代に生きているらしい -
ヒワハン国の離宮で夕食。日本人グループばかしがヒワでは目立つ。
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ウルゲンチからタシケントに飛んで市内観光後スーパーに寄ってから、直行便で成田に。
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海外旅行で洗浄便座が無くて不自由していたのでアマゾンで購入。
ぬるま湯を入れてノズルを延ばしシューと。
私には水の量1本では足りないようで、途中で補給。
だいたいトイレの傍には洗面台が有り座ったまま補給できた。
518円と割安でこれからどこに行くにも必需品。
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