2016/05/04 - 2016/05/05
4964位(同エリア9657件中)
むしころさん
青森の旅 弘前へ。
弘前では弘前城や津軽氏の菩提寺を見て、その後電車で青森へ。
青森では三内丸山遺跡へ。
どちらも見るのは二度目だけど、新しい発見とか感動がありました!!
- 旅行の満足度
- 4.0
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル
- 旅行の手配内容
- 個別手配
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5月4日(水)
9:00 弘前城へ向かいます。
途中にあった家
筵・叺 って書いてあって読めなかったので
後で調べたら、むしろ・かます でした。
むしろは時代劇でよく出てくるからなんとなく分かる。
かますは藁とかで作った袋のことらしい。 -
弘前文化センター前の
津軽為信公の像
弘前藩の初代藩主です。
弘前城は為信公が慶長8年(1603)に計画し、二代目の信枚(のぶひら)が慶長15年(1610)に着手、翌年完成させました。 -
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お城のお堀
桜がきれい -
旧笹森家住宅
旧笹森家住宅 名所・史跡
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旧伊東家
旧伊東家住宅 名所・史跡
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ちらっと覗く
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そして弘前城の北門口へ
この橋は亀甲橋 -
北門(亀甲門)
守衛の人がパンフレットくださいました。 -
大光寺城の城門を移築したものらしい。
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実戦経験のない弘前城の中で唯一実戦経験をもつ門。
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門を過ぎると四の丸。
ここに護国神社があります。
お詣りしていかねば -
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四の丸から北の郭へ
料金所でお支払い。
310円
すると、次回使える無料入園券をいただきました(期限なし!) -
本丸の石垣
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井戸枠
移築修理に伴い移動させたそうです -
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天守
ちょっと並んでおります。 -
中に入るとすぐお土産物やさんがあり、為信戦跡って冊子(¥800なんとなく買った)とお城の手ぬぐいを買った(手ぬぐいはデザインがかわいかったです)
階段で並んでいるので説明パネルを読んでゆっくり進む -
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天守を引っ張ってここまで動かしたとは・・・
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動かしたルート
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弘前城本丸のジオラマ
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天守があった場所には展望台がつくられていました。
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天守台のところは工事中
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展望台から撮影した天守
ちょっと斜めになってしまった -
本丸の石垣修復についての説明
100年ぶりの大修理なんだそうです -
御日記蔵跡
弘前藩庁御国日記という日記が保管されていた蔵があった場所。
4代目の藩主、津軽信政の時代(寛文元年、1661年)から明治までの間のことが書かれているらしい。 -
本丸未申櫓跡
ここは築城当時に五層の天守があったのですが、寛永四年(1627年)落雷で消失してしまったので櫓を建設したそうです。
櫓の名前はこれが南西にあるから未申です。 -
岩木山が良く見えます。
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ウラジロモミ
樹齢180年以上だそうです。
北限は福島県で
この木は日光から取り寄せたものではないか、とのこと。 -
これがそのモミです。
立派だな〜 -
木から小さい木が二本生えてきた
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本丸戌亥櫓跡
戌亥は北西です。
土蔵造りで杮葺(こけらぶき)だった模様 -
枝垂桜
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本丸から北の曲輪に戻ってきました。
ここにも古木が。
ハルニレ 樹齢200年以上 -
こちらがそのハルニレ
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子の櫓跡。子は北
三層の櫓があったらしい。
明治まで現存していたが、明治39年(1906年)花火により消失!! -
北の郭から二の丸へ。
こちらは丑寅櫓。丑寅は北東です。
土蔵造りで銅板萱だった(最初はとち萱) -
これが丑寅櫓 現存です。
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二の丸東門与力番所
今は休憩所になっていました。 -
日本最古のソメイヨシノ
幹周 410m
樹高 約9m
植栽 明治15年(1882)
立派だなあ、花も見事に咲いているし・・
弘前公園のソメイヨシノは樹齢100年を越えるものが300本以上あるそうです。すごい!! -
二の丸東門(現存)
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公開中だったけど並んでいたので入らなかった
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明治大正時代の修理範囲−元禄年間に積み足した石垣−築城期の石垣
が解説されていました。 -
築城期の石垣は大きくてごろごろしています。
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元禄時代に積み足した石垣は形が整っています。
石垣の積足しは、
四代目藩主 信政によって元禄7年(1694)に開始されて、大飢饉で途中で中断があり、元禄12年(1699)に完成しました。 -
今、石垣は100年ぶりの大修理をしているところです。
天守もこのためにひっぱって移動させたのかあ。
修理は平成26年から平成35年までの10年間を見込んでいるそうです。 -
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天守台部分の石垣
これをばっちり修理して、これからまた何百年も大丈夫でありますように・・・ -
下乗橋の説明
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これがその下乗橋
ここで馬を下りましょう -
南内門(現存です)
ここを越えると三の丸です。 -
外側は狭間とかがあります
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堀があって杉の大橋を渡り、三の丸へ。
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南へ進むと追手門
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築城当初は北の亀甲門が正門でしたが、寛文5年(1665)にこちらが正門になったそうです。
桝形になってます -
で、お堀があって橋を渡ります。
ここからさらに南西方向へ歩いて
津軽氏の菩提寺である長勝寺へ向かいます。 -
お寺が集合している禅林街に入るとき、少し手前に土塁がありました。
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黒門の説明
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なんと!!黒門は解体修復中です。
禅林街 名所・史跡
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これがあった模様。
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左手に六角堂(さざえ堂)
豪商の中田嘉兵衛さんが天保10年(1839) に海難事故で亡くなった人や、天明・天保の大飢饉で亡くなった人たちの供養のために建立したそうです。 -
杉並木は保存樹林になっているようだ・・・
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静かで、お線香の香りが漂っております・・・
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二代目の信枚が西南につくった寺院街は長勝寺を含めて33の寺院すべてが曹洞宗だったそうです。全部同じ宗派で固めるなんて珍しいなあ。
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長勝寺三門
長勝寺 寺・神社・教会
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両端に仏像
ちらっと見えた・・ -
本堂と庫裏
この静けさとか建物の雰囲気が好きです。長勝寺 寺・神社・教会
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銅鐘 (重要文化財)
嘉元4年(1306)の銘と、寄進者の筆頭に北条貞時の法名があるそうで、探したかったけど遠くて見えなかった・・・・ザンネン
北条氏と津軽氏の関係を示す貴重な資料だそうです。 -
長勝寺 蒼竜窟
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蒼竜窟の説明。
天正8年に岩木山神社の主尊、岩木山所大権現の本地仏を安置す・・
う〜む消えかかっていてよく読めないや。
明治8年に神仏分離があり、厨子と左右の五百羅漢をここに移したとかなんとか・・・。 -
カスミザクラ
正徳5年(1715)に弘前城内に家来が持ち寄って植えたという桜と同年代と考えられるそうです。
推定で樹齢300年。 -
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綺麗に咲いてた
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津軽家霊屋
立ち入り禁止だ・・・
五棟あって、
環月臺(初代藩主為信室霊屋)寛文12年(1672年)造
碧巌臺(二代藩主信枚霊屋) 寛永8八年(1631年)頃造
明鏡臺(二代藩主信枚室霊屋)寛永15年(1638年)頃造
白雲臺(三代藩主信義霊屋) 明暦2年 (1656年)造
凌雲臺(六代藩主信著霊屋) 宝暦3年(1753年)造
だそうです。長勝寺 寺・神社・教会
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川沿いに西に向かって歩いていたら、、
土塁っぽいのがみえた。 -
弘前昇天教会
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中はどうなっているのだろうか・・・
さらに歩いて まちなか情報センターで一休み。買っておいたお昼ご飯をそこで食べました。
ボールペンをなくしたことに気づき、情報センターのお土産やさんで「たか丸くん」のボールペン買いました。たか丸くん、、、かわいい。。弘前昇天教会 寺・神社・教会
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弘前駅から青森へ向かいます。
座れなかったけど一番前に誰もいなかったから運転手さんの見る景色をみられました!! -
ふりがなが無ければ読めない駅名
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新青森の駅の手前で緊急停止した・・・
この先の踏み切りあたりで線路に問題が発生した模様
・・・・・
15分位したら動き出した。なんだったんだろ。 -
15:00くらいに青森のホテルに到着。
近くのバス停から三内丸山遺跡へ行くバスに乗れるというので、大きな荷物を置いて急いでバス停へ!!
バスに乗ってしばらくしたら見えた神社がこちら。 -
30分ほどで到着。¥310−でした。
GWと6/1〜9/30は18時まで開館しているので、ゆっくり見られそうです。
早速
中のさんまるミュージアムへ
縄文ポシェットの説明 -
これがそのポシェット
・・・完成度高くないか??特別史跡 三内丸山遺跡 名所・史跡
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失敗作か。。
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これは丁寧な仕事とみえる。
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作った人の感性が炸裂してるな
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大きな翡翠だな
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どれも形が整ってるし繊細に作られてるしすごいなって思う。
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なんで耳飾りとかヘアピンって分かったのかな・・・
というか、耳飾り大きすぎて相当痛そう -
ちょっと怖い
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水晶の鏃?!
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下のほうはきれいだな
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昔の人も、おままごとしたのかな?
ところでこのころの人たちの平均身長は
男 157cm 女 147cm
だそうです。 -
土器の変遷
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翡翠はやはり糸魚川であった。
でもこんな大昔でも遠くの場所と交易をしていたなんてすごいなと思う。
アスファルトや黒曜石、コハク、翡翠・・・特別史跡 三内丸山遺跡 名所・史跡
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縄文時代と近い年代に世界各国に現れた文明が表わされていました。
特別史跡 三内丸山遺跡 名所・史跡
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いよいよ外の展示スペースへ!
この日は風が強かった特別史跡 三内丸山遺跡 名所・史跡
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どこから見ようかな?
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かなり分厚い。
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竪穴住居でも
萱葺き、樹皮葺き、土葺き と種類があるらしい。 -
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高床式の建物
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イチオシ
これも結構大きいです。
建物はすべて35cmの倍数でできていたそうです。 -
ゴミ捨て場。
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子供の墓の説明。
ドーム型の建物の中に遺跡が保存されています。 -
中の様子。
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大型掘立柱建物について
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大林組が穴の底にかかっていた力とか分析調査したらしいです。
穴に残っていたのは栗の木で、腐らないように焦がして使っていたらしい。
穴の間隔も縄文尺の35cmの倍数。 -
ドーム内に保管されている本物の6つの大きな穴の跡
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木が残ってる〜!
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大型竪穴住居
ところでこのころはブナやコナラの木が減って栗の木が増えていて、
使いやすい栗の木を植林したのではないかと考えられているそうです。 -
本当に広い。152畳で76坪。300人収容可能!
木は焦がして腐りにくく丈夫にしてありました。
どんな用途で使っていたのであろうか。 -
南盛土
穴を掘ったときの土や、いろんなゴミを捨てていった結果、地面が盛り上がったようだ。 -
南盛土も地面の断面が見られるようになってます。
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終了。
時間がまだあったので縄文シアターで遺跡についての映像を視聴しました。
興味深かったことを箇条書きしておくと、、
・8000年〜7000年前は海水面が上昇して現在のJR青森駅の辺りは海だった。
・三内丸山遺跡はわりと海に近かった。
・魚は50種類以上見つかっている(ブリとカレイの割合が多い。)
・土偶に漆の痕跡が残っている。
・土偶は2000以上見つかっている。
・人骨の成分から木の実を多く摂取していたことが分かる。
・約800棟の住居跡がある。
・三内丸山遺跡は約5500年から4000年前の1500年ほど続いたが、温暖から寒冷化になり人々があちこちに分散して消滅したのではないかと考えられる。特別史跡 三内丸山遺跡 名所・史跡
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5月5日(木)9:00
今日は最終日だ。あっという間だった。。。
お昼の新幹線に乗る予定なので駅付近でうろうろすることにしました。
海上保安庁の船だ!!! -
八甲田丸
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船のスクリュが屋外展示されてた。
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折角だから見学していこう。
料金は500円です。(JAFの会員は優待で450円になります。) -
津軽海峡の往来は平安時代から記録にあるのかあ・・・
すごいなあ。 -
昔の航路だ
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和船の絵
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青函間の定期航路は明治5年(1872)に北海道開拓史が始め、
競争が厳しくなってきたため政府が日本郵船会社を設立。明治18年(1885)1日1回定期運行していたそうです。
その後鉄道が上野〜青森。室蘭〜岩見沢と開通したので鉄道連絡船の役割も担うようになりました。 -
全国の汽車の時刻と料金表。
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比羅夫丸は青函間を4時間で航行していたとのこと。
大正14年(1925)8月に貨車航送が開始されて、北海道から石炭や食料を大量に運ぶことができるようになりました。
太平洋戦争のときに石炭などの資源を輸送しているために連合国から攻撃の標的にされて沢山沈没させられました。 -
レールがあってここに列車が入っていきます。
始めのうちは列車の乗った後も開いたままになっていました。 -
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運賃。
安いのかな?これは。 -
東北本線の駅間の距離とか書いてある表と
乗車料金の算出表と
上野〜仙台〜青森の鉄道の時刻表 -
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船の仕組みについて書いてある
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洞爺丸
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しばらくすると汽車を乗せた後、閉じられるようになった。
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最後の連絡線は昭和63年(1988)
青函トンネルが開通したため。 -
青函連絡船の機関は大きく分けて
蒸気タービン機関
と
ディーゼル機関 -
連絡線が運んだもの
大正10年と、昭和6年、戦後の昭和32年
結構内容が変わってます。 -
上野〜札幌間の所要時間の移り変わり
明治45年は37時間37分!!
これが、
昭和63年には15時間54分になった。
そして今は。。ずいぶん早く行けるようになったなあ〜〜〜 -
4階の甲板部分、煙突展望台からの眺め。
風が強い -
下北半島方面。
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ブリッジにて。
今こういう向きらしい。
色んな機器があってボタンもいっぱいあって面白かったです。 -
海流が複雑に流れ込んで実は結構大変な航路だったらしい。
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1階 車両甲板
ここから鉄道が入ってきた。 -
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八甲田丸の機関について
出力は12800馬力あったらしい。 -
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よくわからないけど、なんかすごそう。
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ここで機器を監視していたようだ。
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よくある質問への回答が置いてありました。
これによると、、
エンジンは川崎重工業が作ったものだそうです。 -
エンジンは1台で一般家庭230軒分の発電能力があるという・・・
うわわわ〜 -
発電機室。
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一通り見たら、なにやら八甲田丸の元船長さんがすこし案内をしてくださるという。
10数人集まって案内してもらいました。
船の償却機関は大体18年ですが、八甲田丸は23年7ヶ月と、普通より長く現役でした。 -
老朽化してきてしまってますが
可動橋は機械遺産にも認定されたので、これから保存整備を進めていくそうです。 -
八甲田丸を見終わって、近くのAファクトリーでお土産とかを買うことにしました。
アイスがおいしそうだったので買ってみた。
早速外で食べてみた。
さっぱりめ。 -
青森駅も隣に駅ビルがあってお店がいっぱいです。
ここから電車で新青森へ。
新青森でもお土産やさんを色々見て時間つぶせました。
今回も楽しかった〜。
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