2016/05/08 - 2016/05/08
291位(同エリア821件中)
元カニ族さん
川和宿は、鎌倉街道が通っていて、古くから交通の要衝でした。
また、江戸時代には、川和村をはじめ、石川村、王禅寺村、荏田村は、2代将軍秀忠の正室お江の化粧料となっていました。このため、お江と村人は親交があり、お江は冬に村人に木綿の綿入を下され、春には村人がそれを着てゴボウを献上したと記録があります。またお江の葬儀には村人350人がお棺をかついだといわれています。
お江が亡くなった後、これらの村々は芝・増上寺の御霊屋領(みたまやりよう=墓所を維持管理するための領地)となりました。
石川村(現青葉区元石川町)にある満願寺は徳川家の菩提寺である芝・増上寺の裏鬼門(南西方面)にあたり、守護・守衛の役割を担っていました。このため満願寺には徳川2代目将軍秀忠公とお江、6代将軍家宣公、7代将軍家継公、9代将軍家重公の位牌が安置されています。
今回は都筑区水と緑の散策マップ「F川和宿の昔を偲び今を歩くコース」に、Gコースの川和富士公園を付け加えてめぐりました。
写真は川和町の氏神が祀られている「川和八幡神社」です。
- 交通手段
- 徒歩
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この日のコースマップです。Fコースを逆に回り、最後にGコースの川和富士公園を付け加えました。
川和町駅(スタート)―信田家―菜の花と桜―無患子(むくろじ)―川和八幡神社―川和の宿―八坂神社 天王様―城所家―道祖神塔―瑞雲寺―天宗寺―大きな地神塔―川和富士公園―都筑ふれあいの丘駅(ゴール) -
スタートの横浜市営地下鉄グリーンラインの「川和町駅」です。田園の中に城砦のように聳え立っていました。
川和町駅 駅
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駅の近くの「⑩信田家」の屋敷です。
江戸時代に名主を務めた信田太郎右ヱ門は、天保15年(1844)の元旦から大晦日までの、名主の仕事、農作業、交友などや、その日の天候を日記に書き残しています。この日記は当時の農民の生活を知ることが貴重な資料となっています(非公開)。 -
コースマップの「⑨菜の花と桜」です。
桜は「越の彼岸」といって、江戸彼岸と近畿豆桜を交配したものですが、ポトマック河畔の里帰り桜(愛称 シドモア桜)とも呼ばれています。3月から4月にかけて黄色の菜の花と、桜とのコントラストは見事で、川和町の魅力的なポイントになっています。 by 元カニ族さんポトマック河畔の里帰り桜 名所・史跡
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3月から4月にかけて一面に黄色の菜の花が咲き、桜とのコントラストは一見の価値があり、川和町の魅力的なポイントになっています。
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桜並木を反対方向から見たところです。
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都筑区作成のマップのこの桜が咲いた写真です。その説明によると
「ポトマック河畔の里帰えり桜 (愛称 シドモア桜)」と題して次のように書かれています。
「明治45年(1912)、東京からワシントンへ友好・親善のため桜の苗木(ソメイヨシノ)が3000本送られた。その桜はポトマック河畔一帯に植えられ、世界的な桜の名所となった。桜の植樹にあたり、大きく貢献したのがアメリカ人のエリザ・R・シドモアである。シドモアは紀行作家で、度々日本を訪れた親日家であり、日本に関する記事や著作を残している。そのシドモアは現在、横浜の山手外人墓地に眠っており、その墓碑の傍らに、昭和62年(1987)にポトマック河か 畔はんから里帰りした桜が植えられた。
川和町駅近くの桜は、横浜に眠るシドモアのエピソードを伝えるため、ボランティアが接つぎ木により苗を作り、菜の花畑で育てたものである。」
なお、ポトマック河畔の桜については、私の旅行記「アメリカ大陸横断バスの旅(23)<<付録>>ポトマック河畔・ハドソン河畔の桜物語」
http://4travel.jp/travelogue/11049545
に書いてありますので、ご覧ください。 -
地下鉄のガードを抜けると「②無患子(むくろじ)」の古木が聳えていました。
黒色の種は、正月の羽子板の羽根や数珠に使われています。 -
無患子の根元に鳥居と社がありました。
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ここから川和町の住宅地に入って行きました。
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レンタル農園のようです。
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野菜の自動販売機がありました。
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道端の地蔵堂がありました。
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住宅地に入って行きました。
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「⑧川和八幡神社」の鳥居です。
川和町の氏神として祀られ、長い参道や境内の桜は見事です。 by 元カニ族さん川和八幡神社 寺・神社・教会
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長い参道に、桜が植えられていました。
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参道脇に日露戦争の記念碑がありました。
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忠魂碑など、戦没者の関係の記念碑がありました。
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赤い鳥居の先に、ようやく本殿が見えてきました。
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この神社は、貞観1 7年(875)武蔵野国河輪神社は従五位を授けられたといわれています。現在は川和八幡神社となり川和町の氏神として祀まつられています。
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屋敷の中に鳥居があり、お稲荷さん(?)を祀っている家がありました。
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住宅地の中は、総じて細い道でした。
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川和小学校です。
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川和小学校前の「横浜上麻生線」です。現在はバイパスが出来て、交通量は少なくなりました。以前は、狭い道路に車が溢れ渋滞の激しい道路でした。
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コースマップ「⑤川和の宿」の中心に入って行きました。立派な家が見られました。
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コースマップの「⑦八坂神社天王様」です。
幕末、官軍の江戸攻めによる戦乱から難を逃れるために引き取った大神輿、御神体として祀っています。 by 元カニ族さん八坂神社 (天王様) 寺・神社・教会
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川和宿の通りの中央にある鎮守の天王様です。
幕末の時代、官軍の江戸攻めによる戦乱から難を逃れるため、知人を通して大神輿を引き取り、御神体として祀っています。
境内には二十三夜塔と、力比べをした「天王様の石」といわれる24貫(90kg) の力石がります。 -
「天王様の石」です。
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川和宿の中央付近の東側に、赤い屋根瓦をのせた大きな旧家が残っています。
コースマップの「⑥城所家」です。 -
門扉の上から、なかを写させてもらいました。
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母家は明治16年(1883)から4年の歳月をかけて建てられました。書院と正玄関(式台があり籠かご等がつけられる) がある格式のある造りになっています(非公開)。
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宿の下の入り口脇に、双体立像の道祖神の祠が建っていました。
集落内を悪神から守るために建てられたもので、市に来た市商人を守るためでもありました。 by 元カニ族さん道祖神塔 寺・神社・教会
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これは、寛政元年(1789)に建てられたもので、この道祖神は、集落内
を悪神から守るために建てられたもので、市に来た市商人を守るためでもありました。 -
祠の中の双体立像の道祖神です。
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川和町駅前に「③臨済宗円覚寺派 瑞雲禅寺」がありました。
徳川家康が鷹狩りの時、鷹が戻らないので、この寺の薬師如来に祈願したところ、たちまち戻ったと伝えられています。 by 元カニ族さん瑞雲禅寺 寺・神社・教会
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簡素で落ち付いた雰囲気の境内です。
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鐘楼です。
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瑞雲禅寺の本堂です。徳川家康が鷹狩りのとき、寵愛していた鷹が戻らないので、この薬師如来に祈願したところ、たちまち手元に戻った霊感に帰依して、鷹薬師如来として祀られているとのことです。
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瑞雲禅寺の六地蔵です。
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コースマップ「①天宗寺」の石段です。
天文9(1540)年、村民・岩澤伊佐衛門の開山といわれている簡素な寺です。 by 元カニ族さん天宗寺 寺・神社・教会
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狭い境内ですが、地元の檀家の方が手入れをされていました。
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六地蔵です。
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この寺は、天文9年(1540)村民・岩澤伊佐衛門の開山といわれています。
観音菩薩は、広島県尾道村法輪寺の本尊であったが、信者安丸が背負って勧講のため諸国を巡っているとき、賊に襲そわれ菩薩に助けられた。身代わり観音として親しまれています。 -
天宗寺のすぐ近くに、大きな地神塔がありました。
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Fコースのルートを外れて、「川和富士公園」に向かいました。
川和富士は、都筑区で最も高いところです。 by 元カニ族さん川和富士公園 公園・植物園
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この公園には標高74mの「川和富士」があり、都筑区で一番高い所となっています。
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元は川和高校寄りの地点にあったものが、港北ニュータウン建設のため、現在の場所に再現されました。
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階段を登って頂上に向かいました。
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石段を登りました。
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頂上から、天気が良ければ富士山が見えるとのことですが、この日は雲がかかってみることはできませんでした。
しかし、港北ニュータウンは良く見えました。 -
ゴールの横浜市営地下鉄「都筑ふれあいの丘駅」です。
都筑ふれあいの丘駅 駅
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