2012/04/07 - 2012/04/08
401位(同エリア923件中)
マローズさん
徳島中心市街地背後に横たわる一等三角点峰・眉山(びざん・276.7m)は、紀伊水道から淡路島、和歌山県まで見渡せる徳島市一の絶景地として全国的に有名。ここは桜の名所でもあり、山上一帯の眉山公園に約1,500本のソメイヨシノや枝垂れ桜が咲く。
この山上には約4,100個のLED電球を使用した高さ6メートルの巨大なLED自動万華鏡があるが、白鵬の妻・紗代子夫人の祖父が眉山ライオンズクラブ初代会長という縁で、そのライオンズクラブが2010年、建設・寄贈した万華鏡の通電・点灯式に白鵬家族が出席し、通電スイッチを押した。そして万華鏡横に設置されている恋人たちの出逢いボードに夫妻の鍵もかけられた。
眉山北麓にある徳島城跡の城山やその下の徳島中央公園も桜の名所で、200数十本のソメイヨシノが咲く。
徳島城は言わずと知れた阿波国と淡路国の宗藩・徳島藩の本拠だが、徳島藩は土佐人にとっては敵でもあり、味方でもある。徳島城の築城には、四国を統一した土佐の長宗我部元親公が秀吉の命によって助力したと言われているが、徳川家康に敵対した長宗我部宗家最後の当主・盛親公を元和元年(1615)5月、京都府八幡市で捕らえたのは、徳島藩初代藩主・蜂須賀家政(嫡子の至鎮を初代とする見解もあり)の家臣、長坂三郎左衛門。同月15日、盛親公は六条河原で斬首され、長宗我部宗家は滅亡した。
一方、http://4travel.jp/travelogue/11086734の旅行記で触れた、文久2(1862)年2月中旬、坂本龍馬が勤王活動資金調達の途次、滞在し、番傘を借りた岡家の当主が仕えていた主は長坂三郎左衛門の子孫。何とも奇縁なこと。
[一日目]
この一泊二日の旅行では初日、まず眉山西方、南庄町三丁目の加茂神社を訪ねた。この神社は記紀・阿波説(邪馬台国・阿波説)の中に、聖徳太子の斑鳩宮に比定しているものがあるため。しかし実際には境内は想像以上に狭く、真実味に欠ける。
次は東方の西部公園に向おうとした。この公園前を通る道路は眉山に通じており、その公園も桜の名所になっているため。しかし当日、その道路入口から少し上った地点で通行止めになっていた。平日は通行できるようだが、どうやら土砂崩れによる道路の補修工事のためらしい。
西部公園行きは諦め、眉山北東中腹の道路へ移動した。それは翌日、徳島城跡を探訪する際の駐車場所を探すため。市街地には有料駐車場しかないため、城跡から半径1.5km以内で探すとこの道路沿いしかない。この道路入口は眉山パークウェイ沿いの四方植物園南東の四叉路。
適当な駐車場所へ行く前にその手前の眉山への登山口前に駐車し、少し登ったようだが、なぜそうしたのか記憶にない。
登山口に戻ってからは、そのままその道路を終点まで歩いたと思う。終点手前の明治天皇の銅像前に五台以上の駐車スペースがあった。ここの標高は80m弱なので、市街地に下りてから帰ってくる際も苦にならない。
道路終点先の高台には明治天皇像より一回り大きい神武天皇像が建立されていた。そこからは北方の観音堂、上部の御嶽神社へと進み、更に眉山支尾根突端の鳳凰山(70m)に登頂したが、展望はない。
帰路は観音堂から谷沿いの石段を下り、石段が途絶えた地点で南に折れ、八坂神社へと進んだが、この周辺も桜が咲いている。そこからは南東の祗園橋を渡り、歩道の途中から道路に上がって車にもどった。
この日の宿は北常三島町二丁目の安宿「ホテル・キャッスルCV」。
[二日目]
明治天皇像前に駐車し、祗園橋南袂まで下り、北東の歩道を下る。この道は春日会館南に出ていた。そこから東に進み、徳島駅北西の歩道橋を渡ってまた東に折れ、配水池から徳島城跡本丸へ登ったと思う。
帰路は反対側へ下り、展示されている機関車を見学してから、北方へ回り、中央公園東側駐車場辺りから南北に走る道路に一旦出て南下し、数寄屋橋を渡って再び城内に入り、表御殿庭園や徳島城博物館を見学後、徳島駅南東の歩道橋を渡り、なぜか両国橋を渡って引き返している。
次は眉山へと移動したが、山上の「林間駐車場」へと車で登頂した。まずは東の「花のカスケード」を登って行き、ロープウェイ山頂駅南の展望レストハウスで牛丼を食べ、万華鏡や平和記念塔・パコダ、剣山神社を見て回り、往路とは別の小径を下って西方のお花見広場を回遊して駐車場に戻ったと思う。
その後、論田町新開の「天然温泉・えびすの湯」へ移動し、施設関係者に同町籠の藻風呂跡や川口番所跡について尋ねたが詳細は分からないという。もう夕刻になり、跡地の探索時間もなくなったため、帰路に着いた。
この二年後、籠地区について書かれた古書を入手したが、未だ探訪の機会はない。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- ホテル
- 4.0
- 交通手段
- 自家用車
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加茂神社
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明治天皇像
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神武天皇像
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八坂神社周辺に咲く桜
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石割樫
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観音堂と八坂神社を結ぶ石積み橋台の橋下の歩道だったか?
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観音堂
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鳳凰山山頂碑
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岩に根を張る樹木
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観音堂から下の石段には大木の倒木がそのまま
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八坂神社近くの桜
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竜王さんの樟・・・城山で最大の樟の古木。樹高20m、幹径2m、樹齢約600年。昭和9年の室戸台風で折れて倒れた。
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帳櫓跡
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次の櫓跡へと続く石段
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弓櫓跡だったか?
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徳島城跡本丸の桜
徳島城跡 名所・史跡
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徳島城跡からの展望
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徳島城跡から見た眉山
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石段沿いの桜
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徳島城天守跡
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大正12年から昭和44年まで、徳島県内を走っていた8620形式機関車
徳島中央公園 公園・植物園
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水濠の北側辺りだったか?
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城山東麓の貝塚の洞穴
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城山東麓の海蝕痕・・・約5千年前、城山東の山際は波打際で、波による海蝕痕が各所に見られる。
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数寄屋橋から再び城内へ
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ヘイ彼女、お茶しない?
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徳島中央公園の桜
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明治初年に解体された徳島城の鯱瓦
徳島城博物館 美術館・博物館
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徳島城表御殿庭園・・・藩主・蜂須賀氏の書院の庭で、面積は1.5ヘクタール。南東部が枯山水、北西部が築山泉水庭。かつてこの池は海と繋がっていた。
徳島城表御殿庭園 公園・植物園
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御殿庭園内の地団駄橋。やや右寄りにヒビが入っているが、これは毒殺された蜂須賀至鎮(よししげ)公が死ぬ直前、毒を盛られたことに気づき、橋の上で地団駄を踏んだためだと言われている。正室・お虎の方の侍女を寵愛したことにより、お虎の方が毒殺したという説や、幕閣と対立したため、幕府の隠密によって毒殺されたという説等がある。
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太鼓櫓跡。上に昭和9年、建設されたNHK徳島放送局のラジオ塔が残っている。
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城壁から溢れるかのような桜
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徳島城舌石・・・屏風折塀の支柱石で、ここに穴を設け、弓や鉄砲を構えることにより、敵軍への側面攻撃ができる。旧寺島川沿いに32m間隔で六個の舌石が設置されている。
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ひょうたん島クルーズ船
ひょうたん島クルーズ 乗り物
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錦竜水(きんりょうすい)・・・蜂須賀氏が愛飲した眉山の湧き水
錦竜水 自然・景勝地
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眉山公園・花のカスケード
眉山公園 公園・植物園
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パコダ塔と一等三角点
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パコダ二階
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眉山からの絶景
眉山(徳島県徳島市) 自然・景勝地
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城山をズームで
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白鵬夫妻も鍵をかけた出逢いボード
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眉山ロープウェイ
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展望所隅の万華鏡
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LED万華鏡内
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枝垂れ桜
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ガゼボ・・・徳島市と姉妹都市縁組を結んでいるアメリカ・サギノー市から、徳島市制100周年を記念して寄贈された洋風東屋。
♪アイ・ライク・ショパン・・・♪ -
園内に桜が咲き誇る
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駐車場沿い桜
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眉山西部からの展望
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駐車場付近
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桜の下で愛を語らう
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籠川口番所跡付近をズームで望む
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えびすの湯北側
天然温泉 えびすの湯 温泉
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この旅行で行ったホテル
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ホテル キャッスルCV
3.05
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