2016/03/31 - 2016/04/03
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ソウルの旅人さん
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4月1日午前中、本栖湖を最後に富士山を見る目的は終了した。午後は身延山に行って古桜を見て、茅野市にある友人宅で宿泊。そして、3・4日は『御柱祭』の見学となる。
御柱祭の概略
諏訪大社のお祭り。「7年に一回、17メートル余の高さを誇る樅の木を山から切り出し、山から里そして各4社まで人の手だけで曳いてきて境内の4か所に建てる」お祭りである。
諏訪大社は4社あるが、今回見るのは本宮・前宮2社のお祭りである。
山から切り出した御柱を里まで運んでくる行路を見ることが、お祭りを見る内容となる。(神社に建てるお祭りは5月3・4・5日に行われる)
タイトル写真は現在の本宮に立てられている7年前に建てられた御柱です。
- 旅行の満足度
- 4.5
- 観光
- 4.5
- 同行者
- 友人
- 一人あたり費用
- 3万円 - 5万円
- 交通手段
- 自家用車
- 旅行の手配内容
- 個別手配
-
本栖湖から国道300号線を身延山に向かう。全員が初めての道であり、何があるのかも知らない。山間部を走っていると道の駅「しもべ」があったので、トイレ休憩が出来た。車旅行にとってはおおいに助かる。
-
予備知識もないが、たまたま昼食時間に重なったので、そこにあったそば処「木喰庵」でそばを食べた。そばはもちろん素朴であるが、十分に素朴なそばであった。
富士川に出て、国道52号を南下する。 -
身延山久遠寺には同行の京都の友人が「両親が身延山に永代供養されているので、先祖供養の回向を受けたい」ことから行ったのだが、丁度、桜の季節に当たった。久遠寺には有名な桜の古木があり、この時期は大混雑するとのことで、乗用車ではお寺の駐車場まで乗り入れできず、富士川の土手に作られた臨時の駐車場からシャトルバスに乗って行った。参拝記念乗車券はそのシャトルバスの切符である。
-
シャトルバスは門前町の中程に到着し、その後は本堂まで歩くことになる。
三門
山門と思っていたら、三解脱門を略して[三門]とのこと。難解な門名であるが、なんでも縮めて表現するのは最近だけではなかった。 -
菩提梯
287段の石段である。それも相当に急斜面。
この上にある本堂に達するには、この石段を登るか、男坂と言われる急坂を行くか、女坂と呼ばれている比較的なだらかな坂を行くかの三択であった。全員一致で女坂を行くことになった。 -
女坂
みつまたが道の両脇に満開であった、緩やかな坂のはずがこのように楽な坂ではなかった。砂利道でもあり、帰りには転びそうになった。 -
女坂からの桜
古木の桜は本堂にあるが、久遠寺周辺もかなり桜が多くあり、ほぼ満開であった。春爛漫と言うほどではなかったが。 -
桜1
女坂をようやく登り切ると桜の古木が見えてくる。立派なしだれ桜である。 -
桜2
樹齢400年と記載されている。 -
女坂を上がったところからみた本堂方面。2本の古木だけがあると思いきや、それ以外にも桜の木がたくさんあった。
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菩提梯を上から見るとこんな感じである。
僧侶の鍛錬の為であろうが、参拝者にも労苦の一端を経験させようというのか、凡そ寺院はこのような階段を備えている。それにしても立派すぎる石段である。 -
五重塔
新しい建築物だった。 -
本堂
この後、宝物殿に入って、身延山の明治初期の写真を見たが、貧相な山寺といった佇まいであった。このような立派な寺院になったのはいつからなのか。 -
祖師堂
本堂の隣にあって、荘厳です。 -
扁額
金箔が貼ってあるのがわかります。 -
桜3
本堂側の樹齢400年のしだれ桜。古い桜でしょうが、関西にはこれより見事な古桜が各所にあるだけに、特別な感激がなかった。
【関西の推奨古桜】
常照皇寺・仏隆寺・西光寺 -
桜4
本堂内部からの樹齢400年のしだれ桜。庭の桜といった感じでもない。 -
本堂から離れた場所にある桜が満開だった。かなり山深いと思われるが、4月1日に満開なのは、ソメイヨシノではないからか。
-
身延山を十分堪能して、車で友人の別荘がある茅野市へ向かう。
富士川に沿って国道52号を北上する。 -
増徳インターから中部横断自動車道に入いる。周辺は南アルプス市となっていたが、桃・梨・葡萄の畑が広範囲に見られる。大きな果実畑は見たことがなかったので、このあたりの景色は珍しかった。
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中央道に入ってからは南アルプスの山々が見えていたが、山名は判らず。
6時前には茅野に到着。深夜まで話し込む。 -
4月2日(土)晴れ
本日はいよいよ『御柱祭』の初日である。これから2日間祭を見ることになる。
朝5時半頃にドーンドーンドーンと大砲のような強烈な音が響き渡った。眠っていた私が目を覚ました程大きな音だった。“さあーお祭りだ”と全市民に知らせる合図の花火だった。
出発したのは午前8時頃であった。
なぜ最初が諏訪中央病院なのか? -
諏訪中央病院の待合室にあった中尾彰の絵画。
私は諏訪中央病院が鎌田實の本拠地であることも、このような絵があることも知らなかったが、友人が教えてくれた。帰ってから調べると「あたたかな急性期病院」と呼称されており、何となくほんわかした雰囲気があった。
昨年神林で伐採された御柱は網置場と呼ばれる八ヶ岳山麓の保管所に安置されていたが、今日4月2日はそこから引き出され、茅野市内まで12Km程を運ばれる。その行程は《御柱街道》と呼ばれており、本日はその街道の所々で御柱が引き回されるところを見ることになる。
諏訪中央病院はその街道の近所にある。 -
諏訪中央病院にかかっていたタペストリー?素人の作品ではない。
これも帰ってから調べると原田泰治のキルトではないかと思われる。ほかにもたくさんの絵画が飾ってあり、病院らしくない廊下・待合室であった。安心して診察を受けられる病院らしく感じた。
友人の案内で中央病院近所の運動公園に車を駐め、御柱街道に行く途中にある病院に寄っていったのだが、地元を知らないと選べないルートであった。 -
御柱街道
子の神地区と書いてある。八ヶ岳山麓の網置場から茅野市内は東から西に向かうほぼ一本道であり、その間、各村があり、このようにお祭りを行っている。観光客に振る舞い酒を出している村もあり、御柱が予定通りに行進していると情報をくれる村人もあった。
最初の御柱は午前7時30分に出発している。 -
八ヶ岳
意外だったのは八ヶ岳が諏訪地方の主景観をなしていることであった。御柱になる樅の木も八ヶ岳山麓から伐りだされ、そこに安置され、今日それを八ヶ岳を背景に諏訪盆地(茅野市)に運ぶ段取りである。私たちは御柱を迎えに西から東に向かっているのだが、正面にはこのようにまだ雪を多く残した主峰の赤岳を中心に豪快な山容の八ヶ岳が常に見えていた。 -
御柱街道にあったバス停留所表示板
菊沢が字名の地区か。分かり難いが左側の「バス停留所」と書かれてある下
に描いてある漫画絵を覚えておいて下さい。 -
御柱街道石碑
古いものではない。7年に一回だけ、それも1日だけ御柱が通る田舎道であるが、このような立派が碑が建っている。 -
御柱街道
八ヶ岳に向かって歩いて行く。本日の最終歩数は16000歩を越えた。よく歩いた。 -
蓼科山
正面は八ヶ岳であるが、左手には蓼科山が見えていた。ビーナスラインが走り、白樺湖・車山・霧ヶ峰等々がすぐ近い。 -
「御柱行列」をはじめて見る
私たちは御柱街道を西から東に向かい、御柱は東から西に向かっている。その最初の遭遇は、穴山の大曲と呼ばれている処の少し手前であった。御柱の行列がどんな形をしているのかも承知しておらず、どのように見ることが出来るのかも判らなかった。 -
行列が近づく
先頭は旗を掲げた一行。隣の人が「旗持ちが来た」と言った。
《四賀》《豊田》《寺沼》《桑原》《神戸》《有賀》《細久保》《富士見》《小川》
旗に印刷されていた文字だが、これ以外に沢山の表記があった。
これは祭りに参加している村落名(字名)である。祭りの実際の実行者はこれら諏訪大社の氏子である村人である。諏訪大社自体ではない。
共同体としての繋がりは"地域"を基本としており、日本のお祭りは都市部であっても地域共同体を基本として成立しているが、御柱祭も全く同様であった。 -
旗持ちの次は子供とのんびり歩く大人達であったが、真ん中の綱に細い紐を繋ぎそれを持っていることで御柱を引いていることになっているようだった。しかし、力を入れてひっぱてるようではなくのんびり歩いている風情であった。まだ、御柱本体は見えず。この前座集団だけでも200m以上はあったか。
恐らくこの集団は氏子の家族か遠い親戚である。 -
遠方に本体らしき飾りが見えてきた。まわりはこのように大勢の人垣になった。狭い道であるが、路肩に立って見る以外にないようだ。
日本の祭りが地域共同体で成立しているのは当然のようだが、東アジア全体からみれば、むしろ特殊といえる。他では氏族共同体か血族共同体が現在でも基本になっている。 -
だいぶ近づいてきた。御柱を運んでいるのだが、どのような形で運んでいるのか不明。台車にでも乗せてひっぱてるのかと思ったが、それにしてはゆっくりである。なかなか近づかない。
韓国・中国あるいはヴェトナムでは血縁関係による共同体が未だ強力である。
「遠くの親戚より近くの他人」は日本だけであり、最近はかなり薄れたといわれるが、韓国では血の繋がりが最優先になる。日本だけなぜこれほど強力な地域共同体が成立したのか? -
本体が近づくと、のんびりひっぱているように見えた人々に変って消防団・関係者・警察官がどっと増え、もっと下がるように指示する。道筋の民家の玄関に入ると見えなくなるので、出来るだけ前方で頑張る。
御柱祭のパンフレットに載っている諏訪大社の挨拶文では「起源や由緒などは詳らかではありませんが・・・」と記載されている。御柱祭りは1200年の伝統を持つと書かれているが、確かに「木」を神社に奉納する行事は珍しい。 -
下がると写真が撮れない。出来るだけ全体を写したいが、このような画面になる。狭い道は人で溢れかえっている。
神社建築物の部材なのか、「ご神木」の奉納(木自体が神である時代があった)としてなのかは不明も、地域共同体のアイデンティティを確認する行事である。
飾り立てた山車の巡航である祇園祭はその最も洗練された形であろうが、基本は同一である。 -
近くに来た。
朝一番に出発した一番大きな御柱で、殆ど両脇の建屋と接触しそうである。賑やかな鳴り物で囃し立てる。両方に斜めに張り出した棒(「めどでこ」と言うとのこと)にたくさんの若者が乗っており、黄色や赤色のボンボン(「おんべ」と言うか)を振って進め進めと大声を上げる。 -
「めどでこ」は御柱に繋がっているからこの下に御柱があると思われるが、本体の姿はまったくみることが出来ない。鳴り物とかけ声で騒然たる雰囲気になり、写真を撮る場所確保が難しい。
-
めどでこに乗っている若者は縄を引っかけただけの足場であり、不安定極まりないが、このように"演技"をおこなう。祇園祭りで着物姿で山車の先端に乗って紐に捕まりながら扇子を優雅に揺らしているのを思い出した。声を揃えて歌のような吠え声もあげるが、意味はとれない。
-
御柱を見に来た。それは何処にあるのか。人が重なって足下は殆ど見ることが出来ない。めどでこが行ったあと、路面を注意していたがハッキリ見ることができない。
真ん中に僅か『木』が見えます。これが御柱です。これが諏訪大社本宮の一の御柱になる。 -
御柱の後ろにも小さめの「めどでこ」が付いている。
乗っている若者が交代している。しばしば交代するシーンが見られた。 -
後ろ姿
最初の御柱は西に向かって行ってしまう。後ろ側にも大勢の人々がついて歩く。 -
最初の御柱が通過し、人々もついて行ってしまい、喧噪がおさまった。次の御柱が未だ来ない時の路面。
神様の足跡。
御柱は少し浮かして運んでいるのか、路面上をすって運んでいるのか?
このように直に地面に這わして運んでいた。このクリーム色の跡は木屑状の細かい粉末だった。 -
穴山の大曲
御柱を運んでいるのだが、ただ運んでいるだけでは祭りとしては寂しい。困難を乗り越え、苦労を重ねて運ぶことになる。細い道で17mの太い棒では曲がることは大変難しい。御柱街道はほぼ直線であるが、ここだけは名前の通り曲がっている。そこをどのように曲がることが出来るのかを見ることになる。
最初の写真を撮った所から少しで大曲のコーナーに来た。もちろん大観衆で大変な混雑である。
2番目の御柱が来て、曲がる準備をしているところである。 -
実際に御柱をひっぱている場面
御柱を地面に這わせ引っ張っているため、このような屈強な男性が多数必要なのでしょう。囃子詞が飛び交っているも、意味不明だったが、『曳け』という意味だったかもしれない。 -
同じく力を合わせて引っ張っているところ。
子供の頃、だんじりを引っ張ったことがある。特に力を入れた記憶もないが、その時を思い出した。御柱には人が乗るめどでこが付いており、だんじりの前段階と言えなくもない。 -
大曲の御柱
2番目の御柱は1番目より少し小さかった。大曲に入る前は何度も止まる。止まっては進み、また止まるの繰り返し。 -
めどでこは左右に揺らすことができる。止まるとかなりの角度で右左に揺らすが、若者は必死にしがみついている。僅かな距離を行くのに30分位かかったであろう。
-
スムースに大曲を曲がっていった。
木遣り歌が歌われていたようだが、喧噪に紛れて聞こえなかった。
簡単に写真を撮っているようだが、隣近所と押し合いへし合いしながら写す
ことになる。20枚ほどから掲載可能写真を選択して、これがベストです。 -
トランペット
大曲の角にこのような舞台が作られいた。特にトランペットを吹き鳴らすので、引き手のかけ声やめどでこ上からの叫びと混合し、喧噪の巷である。トランペットの吹くマーチが甲子園球場のライトスタンドとそっくりだ。日本の伝統のお祭りを見に来て"甲子園球場"に来てしまった感じ。
しっとりした木遣り歌を聴きたかったが、残念。
しかし、考えてみれば甲子園もスポーツではなくお祭りである。同じ雰囲気になるのは当然か。
左横は地元ケーブルテレビのカメラである。1日中ずっと実況中継をしていた。 -
現場の雰囲気がなんとなく伝わる絵です。
雑踏です。 -
御柱の後ろのめどでこ
かなり小さくなるのでちょっと寂しいか。あんちゃん達は黄色のボンボンを必死に振っていた。
大曲を無事通過していった。 -
大曲より少し離れた農道からの八ヶ岳
時間は13時頃であるが、天候は晴れ、よりいっそう八ヶ岳が見えてきた。
この近所にある茅野市が経営している望岳湯という温泉に入り、昼食を食べた。
ちなみに望岳とは八ヶ岳を望む湯の意味。 -
温泉に入って昼食を食べたあともう一度御柱街道に戻った。
何番目かは不明も御柱の行進が続いていた。人波も途絶えていない。 -
後ろをついて歩いて行くと殆ど進まないので、畦道に入り横から行列を写している。お祭りの行列らしい写真となっているか。
-
遠方から見た行列
これで今日の御柱祭見物は終了。
後は諏訪地方にて行きたい場所を訪問した。 -
何が写っているのか不明かもしれないが、国宝です。
尖石縄文考古館
大曲から車で10分程のところにあります。
八ヶ岳山麓には縄文時代の遺跡が数多くあり、それらを展示している博物館がここです。特に有名なのがこの《縄文のビーナス》と呼ばれる土偶です。最近の教科書に載っているそうで、縄文時代の代表的土偶となっているようです。日本の博物館は内部撮影禁止ですが、ここは撮影OKです。喜んで写したが、残念ながらこの程度しか撮影できなかった。
御柱街道のバス停留所に描いてあったビーナちゃんはこの土偶のことを描いてあった訳です。
しかし、ビーナスとは似ても似つかない姿をしている。 -
国宝です。
《仮面の女神》と名付けられている土偶だが、女神という姿形ではない。もっと呪術的原始的なおどろおどろしい姿をしている。
縄文のビーナスもそうだが、諏訪の地で発見されたものであり、先祖の姿だと思われるが、果たしてこれら土偶と御柱祭はどのように結びついているのか。この土偶を作った人々が御柱祭を作った人々の直接の祖先なのか。
それとも、この間には深い断絶があるのか。
距離的には僅か数キロしか離れていないのだが・・・・・。 -
余りに不鮮明なので博物館でもらったパンフレットを添付しておきます。
実物を見るとかなりのインパクトがあります。是非、一度見に行ってください。
《ビーナス》が約4,800年前、《仮面》が3,800年前、《御柱祭》が1,200年前とされているが、空間の感覚と時間の感覚に大きな齟齬があるような気がする。同じ空間でありながら、時間的にはまったく異なる文化が重層しているとしか考えられない。
今回の旅は「日本の伝統を訪ねる旅」としたが、御柱祭までは伝統の範疇に十分入るが、この土偶達もその範囲なのか。 -
縄文博物館から向かった先は諏訪大社上社本宮。
諏訪市内であるが、殆ど茅野市との境界にある。前宮はすぐ近くだが、茅野市になる。参考までに下社はここからは大きく離れている。お祭りも別の日になっている。
今日見た御柱はこの諏訪大社本宮と前宮の御柱になる。 -
本宮一の御柱
御柱とは何か?
昨年来たときに友人が宮司さんに尋ねたことがある。少しびっくりなのだが、このような樅の木が4本建てられているが、その場所は社殿を囲う正方形の4隅であった。その4本を見に行ったがなかなか見つけられず、宮司さんに再度聞きに行って判った。普通に行けばまず見つけられないだろう。
紹介しておきます。
一の御柱は正面入り口の左側に建っており、すぐに判ります。これだけ見て帰る人が殆どか。 -
本宮二の御柱
駐車場から入場するとすぐにありますが、一緒に行った仲間は誰も気が付かなかった。一の御柱を見てから戻ってきて、「これが二の御柱だ」と言われると納得する仕組みである。 -
本宮三の御柱
本殿に向かって右側斜面の林間にあります。前もって聞いておけば判りますが、知らずに行って見つけるのは至難。 -
四の御柱
実際に十分注意して眼を凝らせば判ります。
二の御柱の対面にある雑木林の中です。
御柱は一種の神聖結界を作っており、この4本の柱で囲まれた範囲は一般世俗とは切り離された世界ということになる。その話を聞いたあと、その囲われた範囲に入るとなんとなく緊張するから不思議だ。
その柱を7年ごとに立て替える行事が『御柱祭』だが、起源・由緒が不明と神社自身が言明しているので、なんとも返事のしようが無い。
あとはクライマックスの[木落し][川越し]になる。稿を改める。
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この旅行記へのコメント (2)
-
- 熟年ドラゴン(もう後期高齢だけど)さん 2016/04/14 22:37:22
- 見た気になります。
- 祭りの様子から八ヶ岳の景色まで詳しい旅行記なので実際に行った気になれますね。
見たことないけど祭りの様子は手に取るように分かりました。
久遠寺の枝垂れ桜、私には充分立派です。
意外な所で中尾彬の絵が見られるのですね。
地域共同体である氏子中心の日本の運営と氏族共同体、血族共同体中心の外国との違いの考察など興味があります。
その辺を詳しく解説してくれると面白いかも。(私だけかもですが)
フィリピンでも血の繋がりが強いようです。誰か出世をすると一族郎党が恩恵にあずかり何らかのポストにありついたりして、家族の絆が最優先の社会のようです。
木を引きずった後の路面の解説まである旅行記は初めてでしょうね。
考古館の写真はライトが反射して何が写っているかよくわからないのはちょっと残念。でもフラッシュ切ると暗くて写らないのですよね。写真は難しい。
ビーナちゃんよりピーナちゃんが好きなドラゴン。
- ソウルの旅人さん からの返信 2016/04/15 07:48:24
- RE: 返事です
- > コメントを有難うございます。
ドラゴンさんに褒めていただいて嬉しいかぎりです。
共同体のことは詳しく書こうと思っていましたが、説明過多なので途中で止めました。その3で少し触れてみます。
御柱の引き摺った跡は本当に「神様の足跡」に見えました。
縄文考古館の写真は残念ですが、国宝の写真撮影可の博物館は初めてで、びっくりするほどオープンでした。長野県は進んでいる。
諏訪中央病院の絵画作者は『中尾彬』ではなく【中尾彰】です。私も間違いましたが、まったくの別人です。この絵も一見の価値ありです。
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