2016/03/31 - 2016/03/31
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杏仁豆腐さん
暖かくなり桜も開花。それとともに人出も増えました。
今日は、西日暮里から谷中をめざし、谷中墓地の桜を鑑賞。
墓地の桜は静かに咲いていました。ブルーシート禁止、墓地内での飲食禁止なので、純粋に桜の花を見に来ている人たちです。
- 同行者
- 一人旅
- 交通手段
- 私鉄
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西日暮里の駅から坂を上ると西日暮里公園の桜がきれいに咲いていました。
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第一日暮里小学校校門前に高村光太郎直筆による石碑『正直親切』。
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創立百周年記念 高村光太郎書「正直親切」の記念碑
「正直親切」の文字は、本校卒業生である高村光太郎の直筆で、昭和26年岩手県山口小学校の児童のためにかかれたものを高村規氏、財団法人高村記念会のご厚意により創立百周年記念碑に使わせていただきました。
高村光太郎は、明治23年に下谷区練塀小学校から日暮里小学校(当時は、現在の福祉館の場所に校舎がありました)に転校、ここで勉強し小学校を卒業しました。
その後、彫刻家としてすぐれた作品をつくり、また詩や絵もかき、立派な書を数多く残しています。
ここで大切なのは、それらの作品を通して光太郎が人を愛し、自然を愛する人間としての生き方を教えていることです。
先輩光太郎が心をこめてかいた「正直親切」の文字が、本校に学ぶ児童一人ひとりの心のなかに、いつまでも生き、その成長を支えることを望みます。
「フクロウ」の像は、石彫家飯田雅光氏の作で、本校校歌にもある?諏訪の森かげ、みどりの風に?ふさわしい《森の知者》として、一日小の子どもたちのシンボルとなり、永く親しまれることを願っています。
昭和60年11月9日 東京都荒川区立第一日暮里小学校 創立百周年記念事業協賛会
(8月9日記) -
高村光太郎は同校卒業で、昭和60年(1985年)の同校創立百周年の際に、この石碑が造られました。
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諏方神社
元久2年(1202)豊島左衛門尉経泰が信州諏訪神社より勧請して創建したそうです。 -
三峰神社
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諏方神社の桜もきれいに咲いていました。
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諏方神社境内から、その東脇、JR山手線沿いを下る石段の坂道が地蔵坂。
この坂はJR西日暮里駅の西わきへ屈折して下る坂である。坂名の由来は、諏方神社の別当寺であった浄光寺に、江戸六地蔵の三番目として有名な地蔵尊が安置されていることにちなむという。
電車が間近に見られる坂です。 -
諏訪台から見下ろせば、新幹線が走っていました。
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広重の浮世絵・名所江戸百景「日暮里(ひぐらしのさと)諏訪の台」では筑波山や日光連山も見えています。
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この辺りは谷中生姜の産地でした。
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人も少なく、ひっそりとした境内です。
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諏訪神社鳥居。
諏訪」の字ではなく、古来の表記である「諏方」の字が使われています。神社所有の元禄時代に描かれた軸に「諏方大明神」と記されていることから、「諏方神社」の社名を続けているそうです。 -
浄光寺に来ました。
境内からの雪見が有名となって雪見寺と呼ばれたそうです。
空無上人が勧請した地蔵菩薩像、文化6年(1809)に再建した地蔵菩薩立像があります。 -
江戸六地蔵の3番目として知られる大きな銅造地蔵菩薩立像と銅造地蔵菩薩坐像。
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山門の屋根に草が生えています。
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富士見坂
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確かに見晴らしのいい場所です。
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富士山が見える時もあります。
素晴らしい場所です。 -
富士見坂途中の桜も咲いています。
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富士見坂を演出しています。
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下から見上げた富士見坂。
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道路にも富士山。
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日暮小学校跡
明治13年(1880)5月、谷中天王寺門前の瑞輪寺境内にあった寺子屋が、日暮里6番地(現諏訪台ひろば館あたり)に分離移転したという。
その後、公立小学校設置の必要性に迫られていた日暮里村・谷中本村・谷中村の三村が、東京府知事に設置を嘆願。明治18年(1885)に認可され、公立日暮小学校が誕生した。開校当時、児童数36名、教員2名・1学級で、校舎は萱葺15坪(約50平方メートル)一棟の規模であったという。
大正2年(1913)、校名を第一日暮里尋常高等小学校と改称。昭和11年(1936)11月、日暮里9丁目1080番地、旧星雲寺内(現在の区立第一日暮里小学校)に新築移転した。 -
ひっそりとした場所に日暮小学校跡。
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経王寺
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本行寺。
景勝の地であったことから通称「月見寺」ともよばれてました。 -
墓地の向こうに歴史的な家屋。
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こちらの桜もいい感じで咲いています。
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御殿坂。
西日暮里三丁目と台東区谷中七丁目の境を七面坂から日暮里駅方面へ下る坂。江戸時代から用いられていた呼称である。
当時の絵図などから、天王寺(現谷中墓地)の下を通り芋坂下に続いていたいたことがうかがえる。
天保九年(一八三八)刊の「妙めを奇談」は寛永(1624〜44)の頃、白山御殿(将軍綱吉の御殿)や小菅御殿(将軍御膳所)と同様の御殿がこのあたりにあったことにより付いたというが、坂名の由来は明確ではない。 -
谷中の墓地に入りました。
あちこちに桜が咲いています。 -
人も多く出ています。
週末は混雑するでしょう。 -
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天王寺に到着。
文永11年(1274年)に創建されました。
釈迦如来坐像が迎えてくれます。 -
1690年に建立されました。基壇は昭和8年の鉄筋コンクリート製で、昭和13年に内部に納骨堂が造られました。
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台座の裏。
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背中を下から見上げると。
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学童守護の地蔵像
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江戸時代には、富くじ興行が許可されたことで大変賑わい、目黒不動尊滝泉寺、湯島天神とともに「江戸三富」と称されました。
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桜を眺めながら、谷中墓地を歩きます。
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幸田露伴の小説『五重塔』のモデルとなった天王寺五重塔の跡地です。
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五重塔跡地を見降ろす桜。
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見上げる桜は見事です。
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徳川慶喜のお墓に行きます。
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大原重富の墓。
大原重徳(おおはら しげとみ)は、江戸時代後期から明治時代の公家です。 -
徳川慶喜公墓所。
三つ葉葵が目立っています。 -
慶喜公のお墓。
従位勲一等徳川慶喜墓の石柱があります。 -
墓地から出た所にあるのが、イナムラショウゾウがあります。
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グラニテの桜シャンパンをいただきました。
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浄名院に来ました。
江戸六地蔵。
かって江戸六地蔵第六番の地蔵菩薩像があった深川永代寺が明治維新のとき廃寺になったためと、日露戦争の戦没者を弔うため、明治三十九年新たに建立建立されたもの。 -
八万四千体地蔵。
衆生済度(迷い苦しんでいる人々を救い、悟りの境地に導くこと)のために、初めに一千体、次に八万四千体の地蔵建立を発願されたことに始まります。
境内には2万体余りの地蔵尊が並んでいます。 -
こちらの桜もいい感じで咲いていました。
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観音寺。
赤穂浪士・近松勘六行重とその異母弟・奥田貞右衛門行高の兄弟・文良が修業をしていたお寺です。 -
昼食は、たんぴょう亭で。
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鮪づけ丼をいただきました。
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づけがたっぷり乗っています。
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お昼のメニュー。
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店内は清潔で、ゆっくりいただきました。
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谷中商店街に向かいます。
途中のかみくらでどら焼きを購入。 -
どら焼きです。あんこが美味しいです。
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夕焼けだんだん。
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後藤の飴で飴を購入。
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うめぼし飴
素朴な美味しさ -
りんごニッキ
手作りの美味しさ -
肉のサトーです。
こちらで谷中メンチ、谷中コロッケなどを購入。 -
芸能人の色紙が溢れんばかりです。
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色紙のパレード。
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いつも並人がんでいます。
今日の晩ご飯は、こちらの揚げものです。
お土産も購入したので、帰宅しました。
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