2016/03/27 - 2016/03/29
56位(同エリア250件中)
しんちゃんさん
- しんちゃんさんTOP
- 旅行記155冊
- クチコミ84件
- Q&A回答1件
- 247,802アクセス
- フォロワー36人
最終日3日目は、平地に恵まれ豊富な海の幸と海上交通による豊かな財源に支えられ、古代から栄えていた吉備の国に伝わる「桃太郎伝説」ゆかりの2つの神社を訪ねました。
まず最初に訪れた吉備津神社は、国宝の本殿、長い廻廊、鳴釜神事など深い印象を残す山陽道屈指の古社です。
春のさわやかな陽気の中、のんびり歩いてみました。
*** ***
吉備津神社は童話「桃太郎」のモデルといわれる大吉備津彦命(オオキビツヒコノミコト)を祀り、チヂレヒメノミコトら8神を配祀。
平安時代にはすでに「三備一宮(備中一宮)」として、歴代の朝野に崇められていた由緒ある神社です。
1425年 足利義満再建と伝えられる国宝本殿は 比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)で、吉備津神社でしか見られない特殊なもの。
また、祈願の成就を占う「鳴釜神事」も有名。江戸時代の「雨月物語」に登場します。
「鳴釜神事」の由来は・・・桃太郎のモデルとなった『吉備津彦(きびつひこ)』が、鬼のモデル『温羅(うら)』を苦労して退治。
しかし首をはねた後も、温羅のうめき声は収まらず、困っていた。
そこで骸骨になった温羅の首を、このお釜殿の下に埋めたところ、吉備津彦の夢枕に温羅が立ち「私の妻の阿曽姫(あぞひめ)にお釜殿の火を炊かせよ。釜は幸福が訪れるなら豊かに鳴り響き、わざわいが訪れるなら荒々しく鳴るだろう」と告げた。
それ以来、その年の吉凶を釜の鳴る音で占うことになった・・・というのが鳴釜神事の始まりです。そしてこの神事は現在も続いています。
***では、桃太郎伝説ゆかりの吉備路・吉備津神社の様子をご紹介します。
- 旅行の満足度
- 5.0
- 観光
- 5.0
- 同行者
- カップル・夫婦(シニア)
- 交通手段
- 高速・路線バス 新幹線 JRローカル 徒歩
- 旅行の手配内容
- 個別手配
PR
-
昨日はやま幸に13時早々チェックイン。大衆演劇、温泉、夕食を十二分に楽しみました。
今日は吉備津神社と最上稲荷を訪ねる予定。
歩行数も相当多くなると思うので、早朝からゆっくりと温泉に浸かり鋭気を養い、朝食を充分に頂き体力も充実(^O^
瀬戸大橋温泉やま幸前9:47発のバスに乗り岡山駅へ。
岡山駅で5分待ちの吉備津神社行きバスに乗る。。。はずでした。
が、岡山駅到着が渋滞で10分も遅れた為吉備津神社行きバスに乗れなかったので、電車で行く事に。 -
桃太郎線という愛称が付いたJR吉備線。
桃色ではなくオレンジに近い2両編成の車体。普通列車のみの運転です。
岡山駅から総社行きに乗り19分、無人駅の吉備津駅到着。 -
吉備津駅から徒歩で吉備津神社を目指します。
駅から歩いて間もなく、一の鳥居と松林が迎えてくれます。
-
参道の立派な松林は延々と続き・・・次第に山郷の風景と清々しい空気に包まれます。
昔はこの近くに山陽道が通っており、この松林あたりも宿場町として栄えていたそうですが、その面影は今はありません。 -
ぶらぶら10分程歩いたでしょうか、吉備津神社の広い駐車場の先にある『宇賀神社』が見えてきました。
美しい満開のしだれ桜★ -
宇賀神社の池には中島が設けられ、稲荷神を祀っています。
-
宇賀神社と道路を挟んで吉備津神社境内に入って来ましたが、ここは表参道入り口ではなかったようです。あらら(=_=)
西入口でしたが・・・では、こちらから参拝します。 -
西入口に入って直ぐの所、「御釜殿」があります。
慶長17年(1612年)の建築の国の重要文化財。
-
鳴釜神事の由来が書かれています。
「吾が妻、阿曽郷の祝の娘阿曽媛をしてミコトの釜殿の御饌を炊がめよ。もし世の中に事あれば竃の前に参り給はば幸有れば裕に鳴り禍有れば荒らかに 鳴ろう。ミコトは世を捨てて後は霊神と現れ給え。われは一の使者となって四民に賞罰を加えん」とお告げになりました。これが鳴釜神事の起源であり現在も随時ご奉仕しております。 -
鳴釜神事は、釜を沸かしたときの音によって吉凶を占うとのことです。
しかしその音が大きいとか小さいとかは、占ってもらう私たちが感じるままが占いの答えとなるようです。
神様のお告げを自分の心で感じるわけです。
時間が無いので神事のお願いはしませんでしたが、毎週金曜日以外は鳴釜神事をして頂くことが出来ます。 -
御釜殿から始まる廻廊は、 戦国時代、天正年間(1573年-1591年)の造営とされるものです。
総延長398メートルの長〜い廻廊です。
岡山県指定文化財に指定されています。 -
緩やかなアップダウンのある廻廊。
-
廻廊から眺める桜☆
-
廻廊は、本殿と南の本宮社や御釜殿をつなぐ歩く廊下。
梁間一間、切妻造の本瓦葺です。
-
右手には、手入れが行き届いた美しい庭☆
-
-
疲れたら休憩できるようにベンチも置かれています。
-
さらに廻廊の南端を左に曲がると「本宮社」の拝殿があります。
もともと吉備津彦の父君孝霊天皇を祀っていたが、明治末年、新宮社と内宮社を合併したので、現在は天皇のほか、吉備武彦命や百田弓矢姫命(ももだゆみやひめのみこと)を合祀している。
岡山城主宇喜多秀家が再建した。 -
そして、この本宮社の反対側には「瀧祭宮」があります。
-
「瀧祭宮」は、道路をまたいだ森の中です。
-
この道は、吉備の中山道歩道のようです。
-
-
-
さらに進むと左手に弓道場が見える場所があります。
-
弓道場
-
「 三社宮」
右側の山裾に朱塗りの柱を有する社が三社祀られている。
向かって左より春日宮・大神宮・八幡宮。
-
さらに 廻廊を進むと右側に見える「若山宮」
吉備の国の地主神である建日方別(たけひかたわけ)を祀っている。 -
「吉備津えびす宮」
本殿に向かっている途中の右手にある末社。夷と大黒の二神を祀っている。
江戸時代には招福と商売繁盛の霊験で賑わったが明治以降一童社に合祀された。
-
吉備津えびす宮
-
「南随神門」
廻廊の中ほどに位置する三間一戸の八脚門で室町中期の再建とされています。
屋根は入母屋造、桧皮葺、木部はすべて丹塗りで、壁は白く塗られている。
左右には随神を安置。 国指定重要文化財。 -
長い廻廊もここでおしまい。
ここから外に出ます。 -
そしてやっと、「拝殿」を目にします。(廻り方を間違えたので・)
主祭神は大吉備津彦命(おおきびつひこのみこと)です。
桃太郎のモデルで、鬼を退治して平和を取り戻した人物。 -
拝殿の額がとても立派です。
-
右側が切妻造、平入りの拝殿で、左側の本殿とつながっています。
-
国宝の本殿・拝殿は1390年、室町幕府3代将軍の足利義満が応永12年(1405年)再建し、応永32年(1425年)に完成したもの。
-
屋根が二つ並んだ珍しい造りは、全国で唯一の様式で、建築学上は『比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)』といい、この吉備津神社だけの造りなので『吉備津造り』ともいうそうです。
平成20年秋に約半世紀ぶりに葺き替えが行われた本殿。
この角度から見ると、国宝の本殿・拝殿の荘厳な美しさと大きさに圧倒されます。 -
社務所展示品
-
-
社務所の横には、いちょうの神木があります。
樹高18m 樹齢600年 目通周囲4.3m -
観光客を喜ばせている人が演技中。
-
さらに進んで、本殿の左手奥にある一童社へ。
この辺の桜は満開で美しい〜〜☆ -
「一童社」
学術神・遊芸の神として江戸時代の国学者達も篤く信仰した社。
近年は受験の神様として信仰されている。 -
ここは、学問にご利益のある神社のようです。
トンネルの周りに、絵馬がいっぱい掛かっています。
4月になったので皆新しい門出を迎えられていることでしょう・・ -
-
ダルマさんの納め処もあります。
-
一童社前の高い場所から見た比翼入母屋造(ひよくいりもやづくり)の本殿です。
空に向かってピンと反り上がる屋根の美しいこと。
ここからの眺めが一番良いですー☆ -
おみくじ
こちらは英語のおみくじでしょうか? -
こちらは、日本語のおみくじ。
その他色々豊富にあります。 -
-
ご朱印も頂きました。
-
拝殿
参拝を済ませたので・・・・ -
では、拝殿の正面にある階段を下り帰路へ。
階段下に見えるのは、北随神門 。 -
北参道から石段を上リきると正面に拝殿が見えます。
それにしても、急な石段ですよォ〜
間違って西門から入ってしまいましたが、その方が良かった様な・・・ -
「北随神門 」
北参道の中ほどにあり、屋根は入母屋造、桧皮葺、木部はすべて丹塗りで、壁は白く塗られている北随神門。
邪悪なものが神域に入るのを阻止する神を祀った門で左右には随神を安置している。
三間一戸の八脚門で室町中期の再建とされている、国指定重要文化財です。 -
境内案内図と吉備津神社案内板
-
矢置岩の由来(現地案内板より)
社伝によれば、当社の西北八キロの新山に温羅という鬼神あり、凶暴にして庶民を苦しむ、大吉備津彦は「吉備の中山」に陣取り鬼神と互いに弓矢を射るに、両方の矢、空中に衝突して落つ、そこに矢喰宮(旧高松町高塚に現存)あり。また、中山主神は鬼神の矢を空中に奪取す、当社本殿の中に祀る矢取明神はすなわちそれなり、この戦いのとき大吉備津彦命、その矢をこの岩の上に置き給いしにより矢置岩と呼ぶと、旧記によれば中古より箭祭の神事あり、願主は櫻羽矢または白羽の矢を献る。神官その矢を岩上に立てて交通の安全を祈る、のちその矢を御蔵矢神社に納むる例なりき、と、この神事いつしか中絶せしが、昭和三十五年、岡山県弓道連盟の奉仕により復活され、毎年正月三日ここに矢立の神事を斎行することとなれり。 -
「矢置岩」
温羅(うら)という名の鬼が悪事を働いたため、大和朝廷から派遣されてきた四道将軍の一人、大吉備津彦命の放った矢が当たり温羅は退治されることになります。
この岩は、矢の打ち合いで大吉備津彦命が矢を置いたとされる矢置岩。
この地域には、大吉備津彦命の戦いにまつわる伝説やそれに関わる神社が他にも多く残っているそうです。 -
-
ここが北参道入り口です。
吉備津神社の社号標は当地出身の政治家犬養毅の揮毫だそうです。 -
吉備津駅に向う途中で見かけた、勇ましい姿の吉備津彦命さま。
-
吉備津駅
-
吉備津駅にあったパネル。
-
吉備津駅にあったパネル。
-
予定では吉備津神社を訪ねた後バスで最上稲荷へ行く予定でしたが吉備津神社は思っていた以上に見応えあり時間オーバー。
最上稲荷行きのバスは本数が少なく行けなくなってしまいました。
スマホで調べたら、吉備津駅から一駅先に吉備津彦神社があることが分かり、行く事にしました。
吉備津神社と1字違い。気になります。 -
14:18発の電車で、1駅隣にある吉備津彦神社へ向います。
***続きは、備前の一宮:吉備津彦神社も参拝して‘両宮参り’〈6〉2泊3日岡山の旅です。
最後までご覧いただき有難うございます。
この旅行記のタグ
利用規約に違反している投稿は、報告する事ができます。
コメントを投稿する前に
十分に確認の上、ご投稿ください。 コメントの内容は攻撃的ではなく、相手の気持ちに寄り添ったものになっていますか?
サイト共通ガイドライン(利用上のお願い)報道機関・マスメディアの方へ 画像提供などに関するお問い合わせは、専用のお問い合わせフォームからお願いいたします。
しんちゃんさんの関連旅行記
旅の計画・記録
マイルに交換できるフォートラベルポイントが貯まる
フォートラベルポイントって?
0
65